第36話 ブラックアウト/アナザー・マイセルフ
-ブラックアウト-
すごいものを見てしまいました。
鉄格子の向こう側、わたしの目の前を横切る光の奔流。硬い外皮を備える単体認定Bランクモンスター『ロックギガース』を跡形もなく消し飛ばしたそれでさえ、霞んでしまう出来事です。
あのヴァリスさんが、アリシアお姉ちゃんを抱きしめている……。
え? あの二人ってそんな関係だったのでしょうか?
「あ、あの、ヴァリス? その、シャルちゃんが、ものすごい目で見てるよ?」
……ああ、思わず凝視してしまいました。
その言葉に、ようやくヴァリスさんはアリシアお姉ちゃんを離すと、何事もなかったように立ち上がり、こちらを振り返る。
「怪我は治ったようだな。なら、さっさと立ち上がれ」
「え? あれ? そう言えば……」
アリシアお姉ちゃんが不思議そうな顔をして首をかしげている。
そういえばさっき、ものすごい勢いで『ロックギガース』に殴られていたはずなのに、今では少しも痛そうにしている様子はないみたい。
「そ、そっか。もしかして、今のでヴァリスが治してくれたんだ? ありがと」
「治した? ……ふん。足手纏いは御免だからな」
アリシアお姉ちゃんに背を向けたまま、ヴァリスさんは突き放すような言い方をしているけれど、わたしの方からは少しだけ気恥ずかしそうに見えなくもない表情をしているように見えた。
やっぱり、すごい発見です。シリルお姉ちゃんにも後で教えてあげなきゃ!
「シャ、シャルちゃん!」
あれ? 気付かれてしまいました。アリシアお姉ちゃんはなかなか鋭いですね。
「シャル。動くなよ。今、これを壊す」
ヴァリスさんは鉄格子を難なく素手で捻じ曲げて入ってくると、わたしの座る床に広がる紋様に向けて拳を構える。そしてそのまま、その紋様ごと床を砕いてしまいました。
ふと、身体が軽くなったような気がする。
どうやら床の紋様に使用された染料には、周囲の属性傾向を固定することで【精霊魔法】の発動ができないようにする効果があったようです。
「あ、ありがとうございます。あ、あの……」
「何だ?」
うう、やっぱりちょっと怖いです。でも、気になることだから聞いてみようかな?
「どうやってここに来たんですか? それにさっきの力は……」
「空間転移魔法|《転空飛翔》(エンゲージ・ウイング)だ。これの使用直後には【魔力】容量が飛躍的に高まる。それが本来の使用目的だからな。ゆえに今の我にも、一時的にではあるが【竜族魔法】が使えるのだ」
ヴァリスさんは意外にも、丁寧に教えてくれました。それにしても、それはすごい。
でも、どうして今まで使わなかったんでしょう?
「……ヴァリス。ごめんね。その、あたしの『真名』を呼んでくれたからなんだよね?」
なるほど、わたしもシリルお姉ちゃんに教えてもらいましたが、『竜族』にとって『真名』を呼び合うことは、お互いの力を高め合うほかに、結婚にも等しい繋がりを持つことも意味するのだそうです。
え? ということは……。
「非常事態だったのだ。やむをえまい。それに、『風糸』を介しての呼びかけでは、不完全だったようだ。我の力もすぐに元に戻った。お前にしても一時的に身体の治癒力が高まった程度だろう。……問題は、ない」
あ、ヴァリスさんが「しまった」って顔をしています。どうしたんでしょう?
その答えは、すぐにわかりました。アリシアお姉ちゃんがにんまりと笑ったからです。
「……あれ? ヴァリスぅ。さっきのって、あたしを治すためじゃなかったんだ?」
「ぬ……」
「ふうん。じゃあ、どうしてヴァリスはあたしを抱きしめたりしてくれたのかな?」
「ぬぐ……」
「ねえ、どうして?」
アリシアお姉ちゃんは跳びはねるように立ち上がると、顔を背けようとするヴァリスさんを追いかけるように、周りをくるくると回っています。すごく楽しそうで、嬉しそう。
……ああ、よかった。さっきまでは、アリシアお姉ちゃんが『ロックギガース』にやられちゃいそうで、わたしもどうにかなりそうだったのに、気がつけば、こんなに平和な光景が目の前にある。
二人のやりとりは、ルシアとシリルお姉ちゃんの二人がやってくるまで、延々と続いたのでした。
「アリシア! 大丈夫?」
「うん。シリルちゃんの道具のおかげで大丈夫だったよ。心配かけてごめんね」
「いいのよ。それにしても、驚いたわ。『ディ・エルバの楯』は気休め程度に渡したつもりだったのに。そんなに効果があるなんてね」
シリルお姉ちゃんは不思議そうに首を傾げました。どうやら『ロックギガース』の攻撃を防いでいたというのが信じられないみたいです。
「まあ、いいわ。それより、経緯はともあれ、どうにか合流できてよかった。…シャル。大丈夫? よく、頑張ったわね」
シリルお姉ちゃんに優しく声をかけられて、わたしはようやく自分がどんな状況にいたのか、思い出しました。そうしたら怖さが急に蘇えってきて、目に涙が滲んできて……、でも冒険者なら、こんなことで泣いたりしちゃ……。
「シャル。無理しちゃ駄目よ。……いいから。十分、あなたは頑張ったんだから」
シリルお姉ちゃんは凄い。わたしのことなんて、なんでもお見通しみたい。
それから、ひとしきり、わたしはシリルお姉ちゃんの腕の中で泣いてしまいました。
「よし、シャルもどうにか落ち着いたようだし、そろそろ行くか」
ルシアにまでわたしの泣いているところを見られたのは、なんだか悔しい感じです。なぜ、ルシアにだけは、対抗心みたいなものを抱いてしまうのか自分でもわからないけれど。
「……、ええ、人質の心配はいらないから、思う存分やってちょうだい」
シリルお姉ちゃんが『風糸の指輪』で外にいる人たちと話しているみたいです。なんでも、わたしのために聖騎士団の人たちがたくさん来てくれているとか。申し訳ないです。
「さて、上はこれで片づくわ。わたしたちは本拠地を叩きましょう。こんな真似をする連中、ただじゃおかない。少なくとも、『死んだ方がましだ』って思うぐらいの目にあわせてあげなきゃね? うふふ……」
シリルお姉ちゃんは、いつもは優しいのに、たまに凄く怖くなる時があります。
「お、おう…」
「だ、だよね?」
「そ、そうだな」
みんなもやっぱり同じ思いみたいで、誰も逆らう様子はありません。
そしてわたしたちは、宮殿の地下2階、さらに奥深くに向かって進んでいます。なんといっても、ヴァリスさんが敵の気配のする方を教えてくれるので、迷子になることもありません。
「不可解だな。こんな状況なら、とっくに逃げ出してもよさそうだが」
「それだけ自信があるんだろ。まだ『アルマゲイル』とかいうモンスターも出てきてないしな」
ルシアの言葉に、わたしは思い出しました。そう、あのモンスターにわたしは攫われたのです。確かに、あれが出てくると大変かもしれませんが、今のわたしたちならどうにかできるんじゃないでしょうか。
「油断は禁物ね。単体認定Aランクっていうのは、他とは別格なのよ」
シリルお姉ちゃんがそう言うなら、気を引き締めていかないと。
そして、わたしたちはようやく、ひとつの扉の前にたどり着きました。
「ここだ。中に複数の敵の気配がある。だが、妙だな?」
「どうした?」
「いや、なんでもない。敵には違いない。行くぞ!」
一瞬怪訝そうな顔をしたヴァリスさんは、ルシアにそう答えると、真っ先に扉を開けて中に飛び込みました。なんだかんだと言っても、最初に危険に飛び込むあたり、ヴァリスさんからは、わたしたちを護ってくれようとする思いが伝わってきます。
その後に続く、ルシアとシリルお姉ちゃん。そして、『拒絶する渇望の霊楯』を受け取ったアリシアお姉ちゃんが続き、わたしが最後に部屋に入る。
「な、なんだこれは!」
ルシアの声が響いたかと思うと、
「なに、これ? 酷い……」
シリルお姉ちゃんの茫然とした声が続く。
「どうしたんですか?」
わたしは、みんなの背中の脇からどうにか顔を覗かせて、ソレを見た。
「駄目! シャル。見ちゃ駄目よ!」
シリルお姉ちゃんの声がする。でも、わたしの耳には届いていない。わたしの目の前にあるソレは、わたしから視覚以外のすべての感覚を奪っていた。
あり得ない。酷過ぎる。なにこれ?どうしてこんな?
広い空間。何もない、石の壁に囲まれた石の床が拡がるだけのその部屋には、かつて人間だったと思しきモノが化け物になり果てて、蠢き、のたうっている姿が見える……。
やがて、唯一残っていた視覚ですら、霞んでいき、わたしの意識が暗転する。
-アナザー・マイセルフ-
ワタシの意識が覚醒する。
こんなことになるなんて、思わなかった。こんなことができるなんて、思わなかった。
でも、今、『わたし』を護るには、これしか方法がない。
今のワタシは『わたし』を護るため、世界に生まれた。
これまでのワタシは、産まれてはいたけれど、生まれてはいなかった。
「シャル! しっかりして! シャル!」
声がする。『シリルお姉ちゃん』の声だ。ワタシは目を開けて、彼女を見る。黒い長髪を振り乱し、ワタシを心配そうに揺さぶる彼女の顔を。
「ハイ」
ワタシはようやくそれだけ言った。まだ、言葉が上手く発音できそうもない。
「そう、よかった」
彼女は安心したように息をついた。
「畜生、なんだよこれ!シリル。こいつらは『切り拓く絆の魔剣』で何とかしてやれないのか?」
ルシアの憤りに満ちた声が聞こえる。
「無理よ。ポーラの時とは違うわ。見た限り、彼らは完全に融合してしまってる。人としての意識も、ないでしょう」
「意識がないって、でもよ! これはいくらなんでも……」
『わたし』が意識を失う前に見た光景、それは、モンスターの身体に人間の身体の一部、腕や足、酷いものになると顔などが不規則に生えている、そんな陰惨なものだ。
『わたし』には、あまりにも刺激が強すぎた。ただでさえ、モンスターに攫われ、独りきりで牢屋に入れられ、恐怖に震えていた『わたし』にとって、この姿は、一歩間違えれば自分もこうなっていたかもしれないという事実は、耐えがたいものだった。
ワタシがこうして出てこなければ、『わたし』の精神に深刻なダメージが残ったことは、想像に難くない。
こんなに狂った、歪んだ世界でも、ワタシは、『ワタシとわたし』を産んでくれたこの世界と、そこに住む生き物たちが大好きだ。だからこそ、こんなコトは許せない。
ワタシは『わたし』を護るために生まれたと言ったけれど、それだけじゃない。ワタシ自身がそうしなければならない理由があるからだ。
ワタシはゆっくりと立ち上がる。まずは、このモノたちを救わなくては。
「シャル?」
急に立ち上がったワタシを訝しげに見るシリルお姉ちゃん。ワタシは手を掲げ、周囲の【マナ】に呼びかける。不安定にゆらゆら揺れる天秤を、ワタシの望む『属性』側に傾ける。ワタシの【魔法】はただそれだけ。
次の瞬間、それまで闇雲に暴れ、のたうっていたモノたちの身体が燃えあがった。苦しむ間もなく一瞬で焼き尽くす。この不自然に歪んだ彼らを救うにはもう、それしかない。
「【精霊魔法】!? シャル、一体何を!?」
シリルお姉ちゃんが、ワタシの肩を掴む。無理もないけれど、うまくワタシのことが伝えられるだろうか?
「ワタシは……」
それしか言えない。やはり難しい言葉はなかなか口から出てこない。
けれど、言葉がなくてもわかる人がいてくれた。
「あなたが、シャルちゃんの中の『精霊』さん、なんだね?」
そう、『アリシアお姉ちゃん』だ。なぜか『わたし』は心の中でだけ、『お姉ちゃん』と呼んでいる。どうやら一度だけ実際にそう呼んだときに、思い切り抱きしめられたトラウマがあるらしい。
「ハイ」
ワタシがそう言うと、シリルお姉ちゃんが難しそうな顔をして、ワタシの顔を覗きこんできた。
「じゃあ、シャルはどうなったの? 無事なの?」
「……今ハ、眠っていマス」
ワタシはそう言いながら、不安な気持ちでシリルお姉ちゃんを見た。そう、ワタシはワタシであって、『わたし』じゃないのだ。だから、彼女から見れば、ワタシは『わたし』の身体を乗っ取ったように見えるかもしれない。
誤解されてもいいけれど、できれば、嫌われたくはない。なぜか、そう思った。
「そう、よかったわ。……、ありがとう。シャルを護ってくれて」
シリルお姉ちゃんは、そう言ってくれた。ワタシのことを、ちゃんと見てくれていた。
ワタシはそれが嬉しくて、跳びあがってしまいたいくらいだった。
「どうなってるんだ?」
再びルシアの声。『わたし』は彼のことが気に入らないらしいけれど、どうしてだろう?
「シャルの中に『精霊』がいるのは知っているでしょう? それがシャルを強い精神的ショックから護るために表に出てきたってことみたい。……言っててわたしも信じられないけれど。……やっぱり『完全精霊』だからなのかしらね?」
最後の呟きはよく聞き取れなかったけれど、ワタシ自身、信じられないのだから無理もない。
「ふうん。まあ、いいか。じゃあ『精霊』?……よろしくな。うーん、呼び名がないと不便だよな。どうする?」
「ワタシはわたし。同じ『シャル』」
「まあ、いいか」とは随分いい加減だけど、嫌な感じは受けなかった。重要なことを脇に置いてまで呼び名を聞いてくるルシアの言葉に、ワタシは当然の返事をする。
「そりゃあ、そうなんだろうけどさ。でも、さっきまでのシャルと違うんだから、呼び名は違ってもいいだろ?」
どうやらルシアも、ワタシをワタシとして扱うつもりのようだ。
……もちろん、全然、うれしくなんてないんだから。
「じゃ、じゃあさ、本名が『シャルロッテ・フィリス・パルキア』なんだから、『フィリス』ちゃん、でどうかな?」
アリシアお姉ちゃんが意外にもまともな提案をしてくる。確かに違う呼び名だけど違う名前ではない、というのはいい考えだ。もっとも、そこまで考えての発言ではないだろうけれど。
「フィリスちゃん……。あたしのこと、馬鹿だと思ってる?」
ああ、そうだった。ワタシの心の動きも読まれてしまうんだった。ごめんなさい。
「話がまとまったようだな。なら、行くぞ。この向こうに恐らく、『アルマゲイル』がいる」
「わかるの? ヴァリス」
「ここまで近ければな。中には数人の人間と何体かのモンスター。それだけだ」
ヴァリスさんはそう断言する。うう、相変わらず凄い威圧感だ。ワタシたち『精霊』とは真逆の存在。ただ、在ってそこに在る。それだけで他の何よりも強く、他の何にも頼らない。最強の存在『竜族』。頼もしい味方のはずなのに、『わたし』が彼に打ち解けられないでいるのは、ワタシのせいかもしれない。
「む? 来るぞ!」
ヴァリスさんが警告の声を発する。意外にも、相手から扉を開けてきたみたいだ。
扉を蹴破るように現れたのは、天井に頭がつきかねないほどの赤い巨人と青い巨人。
「『フレイムギガント』と『ヴェノムジャイアント』!単体認定Bランクモンスターだよ!炎と毒の息に気をつけて!」
アリシアお姉ちゃんが一瞬で敵の正体を看破して、みんなに告げると、その言葉にいち早く反応したヴァリスさんが二体の巨人の前に立ちふさがる。
〈グルウガガ!〉
赤い巨人『フレイムギガント』が炎を吐く。けれどヴァリスさんは、意にも介さずその中に突っ込み、相手の鳩尾に正拳を叩き込む。
その衝撃で数歩後退した相手に、ヴァリスさんがさらに追撃を仕掛けようとしたところで、青の巨人『ヴェノムジャイアント』が毒の息を吐いてくる。
ヴァリスさんはそれを後ろに跳び下がって回避し、体制を整える。少しだけ火傷を負っているみたいだけれど、大丈夫だろうか? 今のワタシには【生命魔法】は使えないので治せないのが心配だ。けれど、見る間にその火傷は再生していった。気功の力だろうか?
するとその間にルシアが手にした【魔鍵】を上段に構え、切りかかる。炎の息が迫るも、あっさりそれを斬り散らし、ヴァリスさんに気を取られている青の巨人に迫ると、今度は下から切り上げるような斬撃を放つ。
〈グオオオ!〉
青の巨人は意外にも俊敏な動作で後ろに下がってかわしたけれど、胸元に大きな切り傷を受けて唸る。けれどすぐに大きな口を開け、紫色の息吹を吐こうとしていた。いけない!あれは猛毒の息。ワタシはとっさに【精霊魔法】を使おうとしたけれど、それより先に、
〈守りの西風、災いを退けよ〉
《暴風の障壁》
シリルお姉ちゃんが手にする【魔導の杖】の先に構築していた【魔法】が完成し、ルシアを包み込むと、致命的な息吹をあっさりと吹き散らす。
「サンキュー、シリル!」
すごく息の合った連携が続く。ワタシたちも、いつかみんなとこうなれたらいいと思う。
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