第35話 ひとりぼっちの戦い/転空飛翔
-ひとりぼっちの戦い-
宮殿の地下は、薄暗くて気味が悪い雰囲気が漂っている。
けれど、長い間放置されていた廃墟のはずなのに、外から見た城壁や地上部分の崩れかけ具合からは想像できないほど壁や床は綺麗なままに保たれている。
古代の遺跡だって話だけど、どんな人たちが使っていたところなんだろう?
あたしは胸中の不安を誤魔化すようにそんなことを考えながら、潜伏系スキル“孤高の隠者”を発動させつつ、ゆっくりと通路を進む。前に町で買った『闇猫のブローチ』の暗視効果のおかげで、多少暗くても周りが見えないことはないけど、それでもやっぱり怖い。
「シリルちゃんの話だと、潜伏系スキルって、気配を消すだけじゃなく、自分を発見しようとする者の気配や視線を敏感に察知できる能力でもあるんだっけ……」
あたしは使いなれない【スキル】の性質を復習するように呟く。
つまり、あたしが今、周囲に気配を感じていないということは、この地下一階にはほとんど誰も(何も?)残っていないということ。
シリルちゃんの凄い【魔法】のおかげで、この階にいた【アンデッド】は、みんな出払っているみたい。
だとすると、本番は地下2階からね。地下の構造はある程度、前もって図面で知っているけれど、とにかく広いこの建物では、どうしてもシャルちゃんを見つけるのに時間がかかっちゃうだろう。
その間、あたしは絶対に敵に見つかってはいけないんだ。そうなったら、あたしに身を守る手段はない。シリルちゃんから借りた【魔装兵器】も気休めみたいだし、一度でも見つかったら、もうおしまい。
地下一階はまだ、倉庫のような部屋がいくつもある単純な区画になっている。あたしは手元の図面を確認しつつ、ようやく地下二階に向かう階段の近くまでたどり着いた。
「ひっ!」
あたしは喉まで出かかった悲鳴を必死に押し殺す。階段の周囲には、三体ほどの気持ち悪い【アンデッド】の姿がある。
怖い。怖い。怖い。怖い! とにかく、怖い。どうしよう?
ここでは誰も、あたしを助けてはくれないんだ。あたしは一人で、この状況を乗り切らなくちゃいけない。
腐りかけた身体のものが一体と、骸骨と化したものが二体。あれが元は生きていた人たちだったなんて、信じられない。生気の欠片も感じられない姿なのに、人間と同じように立ち、人間と同じように動き回る。
何よりも、そんな目の前の生きた(死んだ?)矛盾が、あたしの心臓を鷲掴みにする恐怖を生んでいた。
【アンデッド】は術者の遠隔操作であらかじめ与えられた命令をこなすけど、判断能力なんかは低いらしいから、このまま“孤高の隠者”発動状態で行けば、近くを通っても見つからないはず。それでもあたしは、なかなかその一歩を踏み出すことができなかった。
でも、あたしの脳裏には、モンスターに攫われるシャルちゃんの姿が浮かんでいる。
あんな凶悪なモンスターに捕まりながら、それでもあたしの身を案じてくれたシャルちゃん。……そう、あたしは彼女を助けるために、ここまで来たんだ。やらなくちゃ。
「はあ、ふう、ふう……」
あたしは呼吸を整えると、虚ろな視線をあたりに送る【アンデッド】たちの隙を見つけて、素早く階段に駆け込んだ。
近くを通る時、【アンデッド】の身動きする気配に心臓が飛び跳ねるかと思った。今でもなんだか胸が痛い。呼吸が荒くなって、冷や汗が止まらない。
でも、気を落ち着けないと【スキル】の効果が切れてしまうかもしれない。
あたしは気を取り直すと、地下二階をゆっくりと探索し始めた。周囲にちょっとしたかがり火のようなものがあって、明らかに誰かがここを使っているのが分かる。
廃棄された広い城なら、かがり火は普段使わない通路にまでは設置しないだろうから、基本的にはこれがある通路だけを選んで探せばいいはずね。
あたしはそう決めると、慎重に通路を進んだ。埃っぽい石畳の上を歩く足音は、“孤高の隠者”の【スキル】のおかげでほとんどしない。
逆に、曲がり角の向こう側から歩いてくるモノの足音が聞こえてきた。目の前の足元に何かの影が揺らめくのが見える……。あたしは慌てて後ろに下がり、柱の陰に身を潜めた。
〈ブグブシュシュ!〉
奇妙な声を出しながら歩いてきたのは、『マッドオーク』という人身豚面のモンスター。
集団認定Cランクモンスターの一種で、その怪力で棍棒を振りまわす他、鋭い牙で獲物を咬み裂く凶暴なモンスターだ。
「う、あ、あ……」
あたしは、今までどれだけ自分が『拒絶する渇望の霊楯』に頼ってきたかを思い知らされた。身を守る術のないあたしにとって、このレベルのモンスターでも十分な威圧感を受けてしまう。ものすごく、怖い。
柱の陰といっても人一人がぎりぎり収まる程度の幅しかなく、すぐ傍まで来られれば、普通なら丸見えになってしまうような場所だ。
息を殺して見守るあたしのすぐそばを、ブシュブシュと気持ち悪い声を出しながら通り過ぎていく『マッドオーク』。その息遣いや獣のような臭いまでもが感じられる距離まで近寄られて、気が遠くなりそうになる。
……そして、ようやくその姿が見えなくなってから、あたしはやっと安堵の息をついた。
「は、早くいかなくちゃ……」
あたしは、震える足を言うことを聞かせるように叩くと、ふたたび歩きはじめた。
それから、しばらく通路を進みながら何度かのモンスターとの遭遇をやり過ごし、あたしはそれまでとは若干、周囲の構造が異なる場所にたどり着いた。
「これって、地下牢?」
そう、あたしの目の前には突き当たりのT字路があるのだけれど、正面の壁際に鉄格子のはめられた空間が並んでいるのが見えた。
「あ! シャルちゃん!」
T字路の突き当り直前まで行ったあたりで、見知った顔を一つの鉄格子の向こうに見つけたあたしは、思わず声をあげていた。
よかった! まだ、生きてる。怪我をした様子もないし、本当によかった!
「待ってて、シャルちゃん! 今助けるからね!」
あたしはここで、致命的な選択ミスをした。元々の作戦では、あたしはシャルちゃんの正確な位置さえ特定できれば、その近くに隠れてシリルちゃんたちに連絡を取ることにしていたはずだった。
なのに、怖い思いを乗り越えて、目の前にシャルちゃんの姿を見つけたために、緊張感から解放されて、そのことを完全に忘れてしまっていたんだ。
「ア、アリシアさん? どうしてここに?」
「もう、大丈夫だよ」
あたしはそのまま、鉄格子に駆け寄ろうとする。シャルちゃんは後ろ手に縛られ、奇妙な図形の描かれた床の上に座らされているみたいだったから、早く助けてあげたいと思った。
「来ちゃ、駄目です!」
シャルちゃんが叫ぶ。……でも、遅かった。
ズガン、と鈍い衝撃が身体に走る。
あたしの身体はその強い衝撃に、横っとびに吹き飛ばされてしまった。
「あぐ! うう……」
全身に走る鈍い痛みのほか、何かが衝突した右肩と倒れた時にひねった左足首がズキズキと痛む。
意識が朦朧とする中で、痛む右肩を動かさないようにしながら、あたしは必死に手首のブレスレットに触れて、【魔装兵器】『ディ・エルバの楯』の障壁を発動するよう念じて【魔力】を流す。
ふたたびズガン、という鈍い音。目の前に出現した白い半透明の障壁が衝撃に歪む。
あたしの目の前には、障壁を前に拳を振り上げる巨人の姿がある。
『ロックギガース』……Bランクモンスターだ。
そう、地下牢なんだから、『牢屋番』がいるのは当然だった。
あたしの右肩は骨が折れているかもしれないぐらいに痛い。でもこんな化け物に殴られて、あたしが死なずに済んだのは、間違いなく町で買った『星光のドレス』のおかげ。
「あは、でも駄目みたい……。足が動かないや」
「アリシアさん!」
シャルちゃんの声が聞こえる。目の前では、岩のようにごつごつした肌をした巨人が何度も拳を障壁に叩きつけている。障壁自体はシリルちゃんが言うよりずっと丈夫みたいだけど、歪んできているからやっぱり長くは持たないのかな。
身体が痛くて身動きが取れないし、【スキル】の効果も切れちゃったし、もうどうしようもない。でも、ここまでくればきっとシャルちゃんの場所は伝わるよね?
あたしはそう思い、『風糸の指輪』を口元に運ぶ。
そういえば、危険になったらヴァリスに呼びかけるように言われているんだっけ?
うん。もう手遅れだけど、最後に、……最後だから、ヴァリスの声が、聞きたいな。
-転空飛翔-
地上での戦いは、比較的優勢に進められているものの、膠着状態となっていた。
聖騎士団員たちは、強化された身体能力と五人一組の連携による統制のとれた戦い方で【アンデッド】たちを圧倒しているため、戦力が倍以上違っていても十分問題なく戦えている。
しかし、【アンデッド】は、不死の兵士。頭を落とされても死なないどころか、全身をバラバラにされても、しばらくすれば回復し、戦線に復帰してくるのだ。らちが明かない。
「【アンデッド】は、核となっている身体の部位を破壊するか、光属性で【死霊術】の効果を失わせるかしない限り、何度でも再生するわ。だから、エイミア。これからわたしが指示する奴の部位を狙って」
「ああ、わかった!」
エイミアが弓を構える。核となる部位がどれなのか、“魔王の百眼”を持つシリルにはわかるらしい。
「左の大斧を持った骸骨の左目!」
「よし!」
ほとんど狙いをつける動作もないまま、激しく動く敵の左目を射抜くエイミア。つくづく恐ろしい弓の腕だ。
直撃を受けた【アンデッド】は、あっけなく塵となって消滅していく。
元は五階建てだったという宮殿も半ばまで崩壊が進み、ボロボロの廃墟と化しているうえ、シリルによって城壁が完全に粉砕されているため、エイミアの弓の障害となるようなものはほとんど存在しないのだ。
だが、こんな離れ業を出来るのがエイミア一人である以上、“黎明蒼弓”でも使わない限り、敵の数を減らすには時間がかかる。
そして案の定、崩れかけた宮殿の正面入口から新たな敵が出現する。あれは確か、『マッドオーク』と呼ばれる集団認定Cランクモンスターだったか。
その数は十体ほどだが、今の状況で聖騎士団員に襲いかかられては、形勢が悪くなる。
「止むを得ん! 行くぞ!」
「おう!」
我とルシアは、『マッドオーク』の集団に駆け寄って行く。
このモンスターどもは、アリシアの入った後にこの宮殿から出てきた。
ということは、アリシアとすれ違っているかもしれない。
『拒絶する渇望の霊楯』を持たない今の彼女がもし発見されていたとすれば、呆気なく殺されてしまっているに違いない。
仮定としてそう思うだけで、我の胸の内は焼けつくような焦燥感であふれかえる。
『竜族』である我に、恐れ気もなく近づいてきたアリシア。
かつての我は、それをうっとおしいとさえ感じていたはずだ。
自らに課した使命のために最善を尽くすことしか知らぬ我にとって、喜怒哀楽の激しい感情表現をはじめ、あまりにも自由すぎる振る舞いの数々は戸惑うことばかりだった。
だが、それでも、だ。我の脳裏には、二人で魔法具店に出かけた時のことがよぎる。
少なくとも、あのぬくもりが、あの体温が失われ、ここにいる【アンデッド】どもと同様の、物言わぬただの冷たい骸と化すなど想像したくもない。
耐打撃用気功“流体の鱗”を纏い、我は強化した脚力でルシアを引き離すと、群れの中にたった一人で飛び込んだ。
「おい!危ないって!」
ルシアの声がするが、構わず、我は手近な一体の懐に潜り込み、その腹部に掌打を浴びせ、その後方の一体も巻き込む形で吹き飛ばした。少なくとも手前の一体には致命傷を与えることができたはずだ。
〈ブシュグシュシュ!〉
周囲を囲む『マッドオーク』たちが一斉に棍棒を振り上げ、振り下ろす。通常の人間なら、その一撃に肉が裂け骨が砕けるところだが、我が身に着けている『波紋の闘衣』の効果と“流体の鱗”がすべての攻撃を逸らし、または衝撃を吸収してしまう。
「ふん!」
我はさらに次の一体の毛むくじゃらで野太い腕を掴むと、そのまま力任せに振り回し、周囲の『マッドオーク』たちをなぎ倒す。
「先走り過ぎだって!」
追いついてきたルシアが、『マッドオーク』の一体を紙でも裂くように斬り捨てる。
これで『マッドオーク』たちの鎮圧は十分に可能だろう。後はアリシアからの連絡を待ちながら宮殿の入り口を確保すればいい。
と、そう思った矢先に、さっそく我の指に着けた『風糸の指輪』が振動する。どうやら無事だったようだ。我は内心で安堵しつつ、指輪に呼びかける。
「アリシア。無事か?」
「あ、ヴァリス。よかった……。うん、無事……じゃないかな?」
「なに?」
風糸を伝って聞こえてくる声の弱々しさとその内容に、嫌な予感が胸をよぎる。
「あ、でもシャルちゃんは見つけたよ?だから大丈夫」
「何を言っている? どうした、何があった!」
「シリルちゃんの障壁がもうすぐ壊れそうだから、手短に話すね。……あたしのせいで、人間の姿にしちゃったりして、ごめんね、ヴァリス。……それと、いままでありがと」
「障壁だと! くそ! 今行く! …ルシア! アリシアが危ない!」
我は状況を察し、ルシアに声をかける。最後の『マッドオーク』を斬り捨てたルシアも同じく状況を把握したらしく、慌ててシリルに連絡を入れている。
アリシアの声はなおも続く。
「実はね。あたし、聞いちゃったんだ。竜王様とヴァリスの話。あたしが死ねば、ヴァリスは元に戻れるんでしょ? それだけでも、……よかったよね」
我はその言葉に、怒りを感じた。何を、勝手なことを言っているのだ、お前は?
「いいわけがないだろう!」
我は、思わず叫ぶ。狂わんばかりの激情が、我の心を支配していた。
確かにアリシアが死ねば、我は竜身に戻れる。だが、だからなんだと言うのだ?
そんなものに何の意味がある? そんなものを我は、望んでなどいないのだ。
かつてはそうだったかもしれないが、今では違う。
彼女を死なせて、我が得るものなど何もない。ただ、失うばかりだ。
「いくわよ!」
ようやくやってきたシリルから風糸の方向を聞きながら、宮殿内部へと向かう。
「くそ! 邪魔だ!」
宮殿の奥からは、ふたたび『マッドオーク』の群れが溢れてきていた。
このままでは、間に合わない。
「くそお! どけよ、てめえら!」
ルシアが怒号とともに『切り拓く絆の魔剣』を振るい、敵の一体を斬り裂く。すると、剣に触れていないはずの数体の『マッドオーク』まで、まとめて斬り裂かれるのが見えた。
いつかと同じ、擬似的な【事象魔法】だろうか?
だが、この程度では焼け石に水だ。
「く、なんなのよこの量! 妖術師一人で操れる量じゃないわ!」
シリルも焦りの声を上げながら、闇属性の中級魔法《殺意の黒刃》を放っている。
次々と闇の刃に貫かれ、倒れていくモンスターたち。それでも地下への階段にたどり着くには、まだかなりの距離がある。
「あ、もう駄目みたい。……さよなら、ヴァリス。その、まだ、言いたいこと、あったんだけど……あたしには、言う資格、ないよね」
その言葉が聞こえた瞬間、我の口からは自然と言葉が紡ぎだされていた。
「……『アリシア・マーズ』。わが魂の片翼よ。我が翼は汝とともに」
「え?」
それは、【竜族魔法】の中でも、魂のつがいを持つ『竜族』にのみ使用可能なもの。
自らの存在を分解し、空間を渡り、再構築する。いわば自身への【召喚魔法】。
分解されてもなお失われない強力な自我を持ち、魂のつがいを再構築の触媒として使用できる『竜族』だからこそ実現可能な空間転移魔法《転空飛翔》。
我の周囲の空間が歪み、消失する。続いて砕けた粒子が結合するかのように、目の前の景色が再生される。再び組みあがった世界は、薄暗い石壁と鉄格子の並ぶ通路であった。
だが、我の目には尻もちをついた体勢でこちらを見上げ、唖然とした表情で目を丸くするアリシアの姿しか映っていなかった。
怪我はしているようだが、命に別条はなさそうだ。身に着けた『星光のドレス』は乱れてはいるものの、その特性からか一切の汚れも破れも見当たらない。
普段と変わらない水色の髪に同じ色をした瞳。だが、泣いていたのか、目の方は赤く充血しているようにも見える。
「う・そ……? ヴァリス? 夢、なのかな? あ! 危ない!」
アリシアが呆けたような声を出した後、何かに気付いたように叫ぶ。
〈グルウガガガ!〉
背後から迫る風圧を伴うモンスターの一撃。当然、我にはそれが認識できていた。
だが、問題はない。
《閃光の吐息》
その一言とともに、我の背後の空間に高密度の【魔力】が凝縮すると、それはそのまま触れるものすべてを分解し、消滅させる破壊の閃光となって放たれる。
ただそれだけで、固い外皮を持つはずの単体認定Bランクモンスター『ロックギガース』は、何の抵抗もできないまま、声も上げずに光の塵となって消滅した。
「あ、あはは、嘘みたい。ヴァリスがいる。どうして?」
アリシアが泣き笑いのような顔で尋ねるが、我はそれには答えず、そのまま屈みこむ。
「え? あ、あ、ヴァリス? その、えっと……」
我に抱き締められて、アリシアがうろたえたような声を出す。何やら困惑しているようだが構うものか。勝手なことを言って勝手に死のうとした罰だ。
これで我は、二度と竜身へは戻れないかもしれない。しかし我は、自らの決断を決して後悔していない。この腕の中のぬくもりを、護ることができたのだから。