第32話 心躍る訓練/心折れる特訓
-心躍る訓練-
「どおおりゃあ! こなくそう!」
俺は気合の掛け声をあげて剣を振りかぶり、振り下ろす。
「うおおお!」
相手の聖騎士は、その一撃を真正面から剣で受け止め、同じく猛烈な声をあげながら押し返してくる。ちょっと待て! 半端な力じゃないぞ?
この体格の人間にしてはあり得ないほどの腕力だ。俺はたまらず後方に吹っ飛ばされる。
「ウソだろ。おい!」
「どうだ!これが強化系【生命魔法】《戦士の剛腕》だ!」
その若い騎士が得意げに言うとおり【生命魔法】には回復のほかに身体強化の効果があり、むしろこの能力こそが少数精鋭の聖騎士団を成り立たせているといえるものだ。
とはいえ、怯んでばかりもいられない。俺は体勢を立て直すと、『切り拓く絆の魔剣』を構え、続く追撃に備えた。
〈しなやかな力。駿馬は風のごとく駆ける〉
《疾風の健脚》!
その騎士は、詠唱と同時に猛スピードで間合いを詰めてきた。強化系の【生命魔法】は他者に使用する場合は【融合魔法】と同様に【魔法陣】(この場合は生命魔法陣と言うらしい)の構築に時間がかかるが、自身に使う場合はほとんど発動時間を必要としないとのことだ。
今度の魔法では足を強化したのだろう。目に見えてスピードが違う。
しかし、ヴァリスとの訓練で毎回のように急加速による間合いの詰め方をされてきたこともあって、俺は袈裟掛けに振り下ろされる斬撃を、どうにか受け流すことができた。
「く、やるな!だが、これはどうだ!」
「は!こんなくらいでやられるか!」
俺はムキになって言い返しながら、続く連撃を次々と防いでいく。剣を持つ手が軽い気がする。敵の攻撃を防ぐ、敵に攻撃を仕掛ける、といった一連の動作が、効率的かつ最適、最短距離の軌道を描いて繰り出される。
はじめは無意識だったが、今は何が最適かを自分で判断できるような、そんな不思議な感覚を覚え始めていた。
とにかく楽しい。思い通りに動く腕と足。斬られれば痛むし、殴られても痛む。
戦い挑み、負けて倒され、立ち上がり、また挑み、打ち倒す。
いまこのときの、一瞬一瞬が俺を成長させている。何度負けても悔しいと思うどころか、まだまだ、やられ足りないとさえ思ってしまう。
「せい!」
俺が繰り出した渾身の一撃は、見事に相手の籠手に直撃し、剣を取り落とさせることに成功した。
「勝負あり! 勝者ルシア!」
ようやく勝てた。俺は満足感にひたりつつ、相手の騎士に手を差し出す。
「くっそう、負けたか。やるなあ、ルシア」
俺はなぜか、この数時間で特に同年代の騎士たちとだいぶ親しくなっていた。笑って握手を交わす。
「大したもんだな。やっぱり、“剣聖”なんだろ?これだけ上達が早いってことは」
「え? ああ。上達の速さぐらいでそんなことがわかるものなのか?」
「まあ、俺たちの日ごろの訓練と比較すれば一目瞭然だ。はじめは雑だった動きが、こんなに短時間でそこまで洗練されたものになるには、それこそ“剣聖”クラスの才能が必要だろうよ」
「そんなもんかね」
「ところで、ルシアは【魔鍵】は持っていないのか?武器使用系【エクストラスキル】持ちなら、それに見合った【魔鍵】があるのが普通だと思うが……」
少し前に手合わせし、見事に俺を打ち負かしてくれた若手聖騎士の一人がそんなことを聞いてくる。
「へ? いや、これがそうだけど」
そう言って俺は、見た目は何の変哲もない剣にしか見えない『切り拓く絆の魔剣』を持ちあげる。
「え? それなのか? 気付かなかったな。で、神性は何なんだ?見た目で分からないってことは身体強化の効果でもあるのか?」
「いや、神性は使ってなかった」
俺がその言葉を言った途端、相手の雰囲気が変わった。うわ、なんか知らないが凄く怒ってるよ。
「おい、ふざけるなよ。じゃあ、いままで手加減していたって言うのか?」
「いや、本気だって。【魔鍵】の力に頼らずに戦ってこそ、自分の真の実力じゃないのか?」
相手の剣幕を宥めるようにそう言うと、今度は呆れたような気配が周囲から漂ってきた。
それから、俺は、若手の騎士たち数名に取り囲まれ、【魔鍵】も含めた武器防具をどう使いこなすかまでを含めて実力なのであり、そうしたものは戦士にとって肉体の一部と同じなのだという、ありがたーいお話を延々と聞かされてしまった。
いや、そういう考えもあるかもしれないけどさ、そこまで言うほどのことか?
ちくしょう、みんなで囲みやがって。これは立派ないじめだぞ?
俺はだんだん、腹が立ってきたので、ちょっと仕返しをすることにした。
「わかった。俺が悪かったよ。じゃあ、神性を使おう。そこまで言われたんだ。遠慮なく、徹底的に使わせてもらう。後悔するなよ?」
「あたりまえだ! よし、まず俺からだ!」
先ほど怒りを露わにした若い騎士が、俺の前に立つ。手にした剣は【魔鍵】ではないものの、光属性のいくつかの魔法が込められている魔法補助具でもある、いわば【魔法剣】のようだ。
「では、はじめ!」
掛け声とともに俺は、無造作に相手へと肉薄する。こちらの神性がどんなものかわからないためか、相手も警戒しながら少し後ろへ下がりつつ、俺の振るう剣を受け止めようとした。が、そりゃ無理だ。せいぜい、後悔するがいい。
「うわあ、俺の剣がああああ!」
案の定、なんの抵抗もなくすっぱりと二つに断ち切られる【魔法剣】。
「ウソだろ! え? これ、俺の給料半年分くらいするんだぞ?」
茫然とするその騎士に、さらなる追い打ちをかけるように、俺は追撃を加える。
「ああ! 鎧が!」
聖騎士団特注の鎧はかなり優秀な防御力があるらしいが、『切り拓く絆の魔剣』の神性“斬心幻想”の前には、そんなもの紙屑同然だ。これを防げるのはせいぜい同じ【魔鍵】ぐらいのものだろう。
勝負はあっという間についた。鎧まで切り裂かれて放心状態の騎士のほか、周囲に集まっている騎士連中までもが、あんぐりと口を開けている。
「さて、じゃあ、つぎは誰だ?あれだけ言ったんだ。まさか、逃げないよな? 次は、そうだな、カイラル、あんたはどうだ? それともザック、お前がやるかい?」
「え、いや、うう……」
言葉に詰まりながらも、前言を撤回することをよしとしない彼らは、まあ、騎士の鑑かもしれない。よく教育が行き届いているのは素晴らしい。うん。遠慮なく仕返しさせてもらおう。
そして、しばらくの後のこと。騎士たちの訓練場ともなっている城の中庭には、サイアス副団長の前に揃って正座し、しょんぼりとうつむく俺と若手騎士たちの姿があった。
まあ、剣はともかく、鎧に関しては聖騎士団の所有物でもあり、人間の肉体と違って【生命魔法】では回復しないそれを、ばっさばっさと切り裂いていたのだ。怒られるのもは当然だ。
俺には今まで、こうして誰かと馬鹿騒ぎをしたり、誰かと一緒になって怒られたりする経験がなかった。
だから、だろう。怒られている最中ですら、俺の心は高揚感で一杯になっており、近くの騎士となんとなく目配せを交わし合いながら笑いをかみ殺していた。
まあ、こういう一日も悪くない。まだ、一日が終わりもしないうちに、俺はそんなことを考えたのだった。
-心折れる特訓-
わたしは今まで、人にものを教えることがこんなにも難しいと感じたことはなかった。
わたしにそんな貴重な体験をさせることになる当のエイミアは、彼女の朝の日課だという『捧げ矢』を済ませると、さっそく厨房にやってきた。
「いや、待たせたな。シリル殿。遅くなってすまない」
「いいわよ。大事な日課なのでしょう?」
彼女の【魔鍵】『謳い捧ぐ蒼天の聖弓』の神性である“黎明蒼弓”は、あらかじめ空に矢を射る(捧げる)ことで、いざというときに捧げた数の分だけ任意に光の矢を降らせることができるというものだ。
捧げておける矢の数に制限はなく、すでに使用可能な光の矢の数は数万本にも及ぶと言われている。ただし、捧げられる時間帯は朝に限られているため、彼女の朝は必ずこの『捧げ矢』から始まるのだという。
「ああ、だが、料理の上達も同じくらい、……いや、ある意味、それ以上に重要だ」
言い切っちゃったわね。まあ、真剣なのはいいことだし、その分早く上達すれば早くここから出発できる。一応の滞在費や謝礼はあるそうだけど、そんなに長居する気はない。
そんな心づもりで始めた『特訓』だったけれど、彼女はわたしの想像をはるかに超えた高み(低み?)にいた。
「なぜ? どうしてこうなるの?」
「いや、それをわたしに聞かれてもだな……」
頭を抱えるわたし。エイミアはよくわからないといった感じで首を傾げている。
何が問題なのかと言うと、彼女の料理について、わたしはつくる手順を一つ一つ、それこそどんな些細なことも見逃さないように観察していたはずだった。
そのわたしが見る限り、おかしな手順も調味料の誤りもほとんど見られなかった。もちろん、細かいところで未熟な点はいくつもあったけれど、味に大きな影響を及ぼすほどのものではない。にもかかわらず、である。
「なんで、さっきのつくり方で、ここまで壊滅的なものができるの?」
「そうか? 悪くない味だと思うが……」
そういってひと匙の味見をするエイミア。その様子は特にやせ我慢をしているようにも見えない。でも、わたしが口にした時は、なんの問題もないはずの料理の中に、刺すような辛さと、涙が出るような青臭さが紛れ込んでいたのだ。
「……ああ、なんていうか、その、ごめんなさい。諦めましょう? うん、それがいいわ。そうすべきよ。もう、間違いないわ。というか、お願いだから、諦めて?」
「……さすがに諦めるのが早過ぎるのではないか? 今さら何を言うのだ。シリル殿に見捨てられてしまったら、これからわたしはどうすればいい!? 見損なったぞ。わたしの婚期が遅れてもいいというのだな?」
エイミアは、ものすごく真剣な顔で迫ってくる。
婚期が遅れることを心配する『聖女様』って一体……。
「ああ、もう、わかったわよ! 徹底的にやってやろうじゃない。さあ、もう一度つくり直しよ。こうなれば、もうわたしの“魔王の百眼”で何が起きているか、意地でも解明してやるからね!」
何が悲しくて、この世のあらゆる『力』の流れを見透かす希有な【オリジナルスキル】を使って、料理の失敗の原因を探らなくてはいけないんだろう?
わたしは、脳裏をよぎったそんな疑問を心の奥に無理やり押し込み、改めて彼女の一挙手一投足を見守る。
「ちょ、ちょっと待った!」
「む、どうした?」
「何をやっているの?」
「ん? ああ、香草を使って肉の臭みを取っているんだが……」
「だ・か・ら! なんでその香草に『テラヤモギの葉』を使ってるのかって聞いているの。【魔法薬】の材料じゃない! だいたい、どこからそんなものを……」
「ああ、滋養強壮によいというからな。常備しているぞ。やはり料理とは食べる者のことを考えてつくらなければなるまい。健康は大事だ」
「健康以外に色々と大事なものを犠牲にしないで!」
やっと、わかった。わたしは彼女の料理手順におかしな点はない、と言った。でも、使っている物がおかしければそんなことは関係ない。
それも、香草かと思えば魔境にしか生えない薬草だったり、小麦粉かと思えばモンスターの尻尾の乾燥粉末だったりと、それこそ“魔王の百眼”でも使わないと見抜けないぐらい巧妙に、他の食材の中に紛れ込んでいるのだ。
「エイミア。ねえ、わざとでしょう? わたしを困らせようと思って、わざとこんなことをしてるのよねえ?」
わたしは、表面上はあくまでにっこり笑ってそう言った。
「い、いや、なんだか分からないが、今のシリル殿にそんな嫌がらせのような真似ができるほど、わたしも命知らずじゃないぞ……」
『聖女様』を怯えさせるわたし。
「じゃあ、なんで、料理の材料に、今にも【魔法薬】が作れそうな特殊素材ばかり並んでるのよ!まさか、これが小麦粉に見えました、野菜に見えましたなんて、言わないわよね?」
「無論だ。これは、わたしが健康のために毎日食しているものだぞ」
「毎日!? これを!?ちょっとあなた、身体は、……ううん、頭は大丈夫?」
「? ああ、心配してもらったようで、ありがとう。……その割には、なぜか心が傷ついたような気もするが」
わたしは頭を抱えた。
はじめ、わたしは彼女がいい加減に料理をしているのだと思っていた。
次に、彼女は真剣ではあるものの、不器用で上手くできないのだと思った。
それも誤解で、彼女は健康のために味を犠牲にしてもよいと考えているのだと思った。
けれど、やっぱりそれも違う。
彼女は、「身体にいいものは、おいしいもの」と思い込んでしまっているのだ。
そんな次元で問題があるなんて、厄介なこと極まりないじゃない。
と、そこへ厨房のドアをノックする控え目な音がする。
「入っていいぞ」
エイミアがあっさり返事をすると、扉が開く。入ってきたのは、シャルだった。
「あら、シャル、どうしたの?」
わたしが尋ねると、シャルは透き通るような水色の瞳でわたしを見上げ、切り出した。
「あの、わたしにも料理を教えてほしいの」
そんな可愛らしいお願いに、わたしは思わず顔がにやけてしまいそうなのを必死で抑えつつ、シャルの頭に手を置いた。
「もちろん、いいわよ。エイミアと一緒に覚えましょう?」
ようやく一筋の光明が見えてきた。ここで、いったん仕切り直しができるはず。
「いい? それじゃあ、わたしがお手本の料理をつくるわ。……これとそれとあれとあれ!片・づ・け・て!どうして厨房に特殊な【マナ】がゆらゆら充満しているのよ、もう!」
わたしは眩暈を覚えながらも、“魔王の百眼”で怪しげな材料を区別して選りわけ、調理を開始する。
……そして、しばらく後。
「おお! おいしい! これはすごい。大したものだ。とてもわたしがつくった時と同じ材料からつくったものとは思えない」
同じ材料からなんてつくってないから!
「うん。やっぱりシリルお姉ちゃんって料理上手だよね」
ありがと、シャル。おいしそうに食べてくれる姿はやっぱり可愛いわね。
一方、エイミアは何やら真剣な顔をしている。
「どうだろう、シリル殿」
何かしら? 専属のシェフにでもなってくれとか言うつもり?
「わたしと、結婚してはもらえないか?」
「は? どうしてそうなるのよ?」
「素晴らしい料理の腕前に感心した。わたしと結婚すれば料理の問題も、わたしの婚期の遅れも一気に解決だ。うん。名案だな」
「その前に大前提があるでしょう?! 何を思いつきだけで、あっさり性別の壁を乗り越えてきてるのよ!」
「む? そう言えばそうか。うっかりしていたな」
ああ、この人、規格外の馬鹿なんだ……。なんて残念な聖女様なんだろう……。
「『残念』とは酷くないか? シリル殿」
「ええ!? なんでわかったの?」
「声に出てたよ。シリルお姉ちゃん……」
シャルに言われて、慌てて口元を押さえる。さっきから敬語なんて全く使ってはいなかったけれど、これはちょっと言いすぎだったかもしれない。
「ははは! 楽しいな。シリル殿。……いや、シリル。言葉遣いなど気にすることはない。できればこれからも、わたしには気安く接してもらいたい」
エイミアは気にした様子もなく、快活に笑っている。
「まあ、確かに気なんて遣っていたら、わたしの精神が到底もちそうもないけど。さて、それじゃあ、二人とも。今わたしがつくった料理を、ここにある材料で順番に手順を追ってつくってみましょう?」
エイミアには、身体にいいものだからといって、なんでも料理に入れていいわけではないということぐらい、今日中に教え込んでおきたかった。
ただ、そんな極めて根本的なところから、延々と教えていかなければならないなんて、前途多難にも程がある。
そう思い、辛くなりかけたところで現れてくれたシャルのおかげで、かろうじてわたしは今日を乗り切ることができそうだ。
まだ、一日が終わりもしないうちに、わたしはそんなことを考えたのだった。




