第26話 大脱出/彼女の【魔鍵】
-大脱出-
「アリシア? どういうこと?」
シリルが怪訝そうに立ち止まる。アリシアのあんなに焦った声なんて、そうそう聞けるものじゃないだけに、驚いた顔をしていた。
「あの【歪夢】なんだけど、その、頭上の空気を固めて固定する力があるみたいなの…」
「なんですって?」
それってまさか、もし、この【歪夢】が消えたら、頭上の湖にある大量の水が降ってくるってわけか?
とんでもない話だ。どう考えても百パーセント溺れ死ぬ。
そもそも俺、実は泳げないんですけど……。
「確かに、【歪夢】はモンスターの発生以外にも周囲に様々な影響を与えることが多いけれど、そんなこと、よくわかったわね? それも“真実の審判者”の力なの?」
「うーん……、普通は生き物が相手じゃないと、見えないはずなんだけど……」
「……わたしの『知識』によれば、あれは古代の『神』の残留思念を材料に生まれたモノよ。“魔王の百眼”で見ても、歪んだ【魔力】の吹き溜まりのようにしか見えないけれど」
「神の残留思念? また、スケールの大きい話だな。そのへんはよくわからないけど、要はその吹きだまりって奴を払えばいいってことなんだろう?」
俺は気楽に構えたまま、単に思いついただけのことを言ってはみたが、どうにも他のみんなの様子がおかしい。
「気持ち悪い……」
そう呟いたのはシャル。気付けば、シリルもアリシアも気分の悪そうな顔をしているし、ヴァリスですら同じ有様だ。いったい、何だって言うんだ?
「払っても消去しても、同じことの繰り返しなんだけどね。……ルシア、わかったでしょう? この世界では、あんなにも禍々しいモノが無限に生まれ、永遠に人々を脅かし続けているの」
と言われても、俺はあの蜃気楼みたいなモノを見ても「禍々しい」とか「気持ち悪い」とまでは思わない。だから俺はとりあえず、曖昧な顔をして誤魔化すことにする。
そんな表情から何を感じ取ったのかは分からないが、シリルは俺から視線を外すと、肩にかかる黒髪を軽く払いながら周囲を眺めまわしはじめた。
「いずれにしても、あれは早く消去しましょう」
「ええ! でも、どうするの? 落ちて来たら逃げられないよ」
「わかってるわ。消すのは準備を整えてからよ」
そして、シリルの言う「準備」が始まった。
まず、地属性の【精霊魔法】で周囲に複数の「石の柱」を生み出す。
これはシリルとシャルが属性増幅を使ってやったことだ。
それから、シリルが氷の上位精霊『ローラジルバ』を召喚して、待機させる。
シャルは【歪夢】のある空間に意識を集中して、【魔鍵】の位置を確認。
実際に【魔力】を【歪夢】に注ぎ込む役はヴァリスが担うことになった。
俺とアリシアは通路側で退路の確保だ。……決して何もしてないわけじゃないぞ。
「さあ、準備ができたら始めるわよ」
シリルは、少しだけ辛そうな顔をしているように見える。たぶん、いつもより多くの【魔力】を『ローラジルバ』へ注ぎ込んでいるためだろう。
「では、始める」
ヴァリスの声とともに、【歪夢】が一気にその輪郭を縮小させる。シリルの話では、【歪夢】を消去する際には流し込む【魔力】が多ければ多いほど、消えていく速度は速くなるとのこと。実のところ、【竜族魔法】こそ使えないものの、保持している【魔力】はヴァリスが一番多いらしい。やっぱり、『竜族』だもんな。
「あった!」
シャルは一気に【魔鍵】のある場所まで駆け寄り、それを手にする。
「お願い!『ローラジルバ』!」
轟音とともに上空から水が雪崩をうって落ちつつある中、シリルの声が響き渡る。
白く美しい衣を纏った半透明の女性の精霊『ローラジルバ』は、シリルから注がれる【魔力】と周囲に満ちた水の傾向の【マナ】を収束・変換し、氷の息吹として上空へ吹きつけた。
「わたしの中の『精霊』もお願い!」
シャルの声に反応し、さらなる氷の息吹が上空に殺到する。
支えを失い、滝となって落ちてくるはずの湖水は、一瞬で凍りつき、立てておいた石の柱に支えられて動きを止める。
「早く! こっちだ!」
俺は皆に向かって叫ぶ。湖の水は膨大な量がある。氷の精霊の力を最大限に使って凍らせたとはいっても、湖底部分の一部の水だけだろう。やがて耐えきれなくなって崩落するに違いない。
「ふあ! え?」
ヴァリスが気功で強化した速度でシャルのもとまで走り、有無を言わさず抱えあげると、そのまま、こちらへ駆けつけてくる。シリルもすでにこの通路に到着していたが、ここでもまだ危ない。
「とにかく、脱出するぞ!元来た道が上り坂になっている。外まで間に合わなくても、上までたどり着ければなんとかなる!」
後ろでは、石柱に支えられた氷がビキビキと音を立てているのが聞こえている。
砕けるのも時間の問題だろう。
大脱出の始まりだった。
俺たちは、それはもう、全力で走った。背後から迫る轟音と濁流は徐々に近づきつつある。アリシアも、ヴァリスに抱えられたままのシャルから身体強化の【生命魔法】をかけてもらいながら、必死で走る。
転ばないようにスカートの裾をたくしあげているのが悩ましいところだが、それどころではない。
「ああ、もう、あたし、次から絶対ズボンにする!」
悲しいかな、そんな場合ではないはずなのに、その発言に、少しだけがっかりしてしまう俺がいた。
「はあ、はあ、はあ、ふう……」
「どうやら、ここまでは水位も上がってこないみたいだな」
ようやく一息ついたときには、ほとんど洞窟の入り口近くまでたどり着いていた。いや、いくらなんでも、もっと手前で水は止まったはずだが、安心するにはそれだけの距離が必要だった。
っていうか、モンスターと戦ってるときより、ものすごく怖かったぞ?
「相変わらず、無茶な作戦だ。我には考えられん」
「成功している以上、無茶とは言わないのよ」
ヴァリスの呆れたような言葉に、胸を張って返事するシリル。
いや、無茶だろ絶対。なんでこんなに誇らしげかな、こいつ。
「ふふっ。でも、無事で良かったよねえ」
ようやく呼吸を整えたらしいアリシアの声が聞こえ、そちらを向くと、
「うお!」
俺はまたしても目を背ける羽目になった。
そう、さっきまで『雨』の降りしきる場所にいたのだ。つまり、俺たちは全身びしょぬれなわけで、特にアリシアは防具の類をまったく身に着けていないから、その身体に服がぴったりと張り付き、豊かな胸をはじめとする全身のラインがくっきりと浮かび上がっていた。
「え? なんで……、って、きゃああ!」
赤面してうずくまるアリシア。続いて、俺の頭に軽い衝撃が来る。
「!」
後ろを向くと、案の定シリルが俺を睨んでいた。
いや、なんで俺、叩かれて、怒られてるんだ? 今のは不可抗力だろう。……と、あれ?
「そういや、シリルは全然服がぬれてないよな?」
「……」
やっちまった!
確かにそれは不思議かもしれないが、このタイミングで言っちゃ駄目だろ俺!
シリルの目がすうっと細まる。
「ふうん。わたしの服も濡れてほしかったわけ? こ、の、変態!」
再びの衝撃。また、叩かれた。うう、今のは弁解のしようがない。
「何をやっているのだ貴様は」
ほっとけ、ヴァリス。
「あはは! ルシアって面白い!」
シャルにも喜んでもらえたようで大変結構なことですよ。
って、もしかして、俺の呼び方、完全に呼び捨てで定着してる?
ま、いいか。気安く呼んでもらえた方がいいのだろうし。
そして、ようやく俺たちが地上に出て、目にしたのは、平原にぽっかりと口を開けた巨大な穴。その底の方には恐らく湖水がたまっているのだろうが、上からでは暗くてよく見えない。
「湖底洞窟が地底湖になっちまったって感じだな」
「そうね。【歪夢】の消去には多額の報奨金が出るから、これで旅の資金にも余裕ができるけど、少しやりすぎたかもしれないわ」
確かに、今まで一度も『開拓』されたことのない【フロンティア】を開拓し、地形まで変えたとあっては目立つことこの上ないだろう。
とはいえ、これでモンスターも出なくなるわけだし、よかったんだろうな。
「ところで、シリル。ほんとに変な意味じゃないんだが、なんでシリルの服は平気なんだ?」
「特別製なのよ。Aランク以上になればお金や活躍次第で、こういう特殊な装備もギルドから支給されるわ」
なるほど。確かにAランクまで行けば危険な任務も多いだろうし、戦力強化にはギルドも協力してくれるってわけか。
シリルが着ているのは、白を基調にしつつも、黒と金の飾り縫いがあちこちに施された、なかなか高級そうなローブだ。それも所々にスリットが入っているためか、重苦しい印象を与えない。
「あ、あんまり、ジロジロ見ないでくれる?」
シリルが照れたように、身をよじる。しまった。まじまじと服を観察してしまった。
ふむ。なんだか、シリルが照れている様子というのも新鮮でいいな。
「変なこと、考えてるでしょう!」
なぜ、わかった!俺は驚愕のあまり目を見開いた。
「あたしじゃなくても、今の顔じゃ、ばればれだよ、ルシアくん……」
シャルの【精霊魔法】で服を乾かしてもらっているアリシアの、呆れたような声が聞こえた。
-彼女の【魔鍵】-
わたしたちは、もともと湖のほとりだったはずの場所を休憩場所と定め、一休みすることとなった。季節的にはまだ暖かくはあったけれど、ひんやりと冷え込む湖底洞窟の中でびしょぬれになって過ごしたのだ。火をおこして温まる必要もある。
「ああ、極楽。やっぱりあったかいっていいよね。しばらく暗いのも水もこりごりだよ」
アリシアが気持ちよさそうに、火にあたりながら呟く。確かに、そんなに長い時間のことではなかったはずなのに、なんだか久しぶりに太陽の下に出た気がする。
「それで、シャルの【魔鍵】はどうなんだ?」
ルシアの問いかけに、さっきまで「それ」を手に抱え、目を瞑っていたシャルが目を開ける。
「うん。名前は『融和する無色の双翼】。神性は“具現式彩”だって」
彼女が手にしている【魔鍵】は、今までわたしが見たことも聞いたこともない形状をしている。そもそも【神の器】に『双翼』と呼ばれるものがあるなんて知らなかった。
一見してそれは、小鳥の姿をしたガラスのように透明な置物にしか見えない。ただ、その周囲に渦巻く力の流れは、まぎれもなく【魔鍵】のものだ。
「“具現式彩”?」
「うん……。あらゆる色を創造する?そんな感じ」
シャルは恐らく【魔鍵】から流れ込んでくるイメージをそのまま口にしているのだろう。けれど、それだと漠然とし過ぎていて、どんな力があるのかわからない。もう少し、イメージに方向性が持たせられれば……。
「あなたに適合した【魔鍵】である以上、あなたの【スキル】や性質と関係があるのだと思うけど、…… “無限の創造主”は【エクストラスキル】だから可能性は高いとして、“精霊紋”はどうなのかしら?」
「うん。……色彩? あ、もしかして」
シャルは何かに気づいたように立ち上がると、手にした【魔鍵】を高く掲げた。
すると、湿気を帯びた周囲の大気から、水属性の【マナ】の流れが生まれ、続いて周囲の大地からも地属性の【マナ】が沸き起こり、合わさるように【魔鍵】に流れ込んでいく。
透明だったガラスの小鳥は、その中に青と茶色の二つの色を織り交ぜ、不思議な輝きを宿したかと思うと、いきなり生き物のように動き出した。
「わあ! すごい。動いた!」
アリシアが驚きの声を上げる中、小鳥は羽ばたき、宙を軽やかに舞う。その翼から燐光が舞い散ったそのとき、周囲に変化が起こった。
「うわ! なんだこれ?」
わたしたちがキャンプを張っている場所は、草もまばらな平原の中だったはずである。
なのに、今のわたしたちの周囲は、人間の身長よりも背の高い草花や低木によって完全に覆いつくされている。瑞々しい生命力に満ち溢れたその姿は、とてもたった今、急速に生えてきたものとは思えない。
「『融和する無色の双翼』。“具現式彩”。あらゆる色を創造する……。つまり、複数属性を融合して、新たな力を生み出したってこと?」
わたしは信じられない思いで周囲に生えた草花を見渡す。
「なになに? どういうこと?」
「多分だけど、さっきの【マナ】の流れを見る限り、水属性と地属性を融合させたのよ」
わたしの憶測に、シャルが頷く。さきほどまで飛び回っていた小鳥は、シャルの肩のあたりにしっかりと止まったまま、元の透明な姿に戻っていた。
「なんとなく、この【魔鍵】から想いみたいなものが伝わってきて……。今のは、『地に注ぐ水』で“成長”の属性とでも言えばいいでしょうか?」
シャルが夢でも見ているかのような表情で呟く。自分がこの草花を生み出したことが信じられないらしいけど、無理もない。
【魔鍵】は『神の欠片』。まざまざと見せつけられた奇跡に、そのことを思い知らされる。
たとえ禁術級の【生命魔法】でも、植物をこの速度で成長させることはできないはず。
シャルの話からすれば、水と地の属性の組み合わせが象徴する“成長”そのものの性質を属性として具現化し、通常の【精霊魔法】のように増幅させたということなのだろう。
「すごいじゃない!まさかこんな【魔鍵】だなんて、驚いたわ」
「でも、草花を生やしても、お花屋さんにしかなれないよ……」
シャルは、今は青と茶色が複雑に混じった不思議な色合いの瞳を、悲しげに瞬かせる。
その様子はなんとも可愛らしかったけど、勘違いは正してあげないと。
「あのね。あらゆる色を、可能性を創造しようって子が、そんな狭い考え方に捕らわれちゃ駄目よ? あなたはその、豊かな想像力で色々なものを創っていけるの。冒険者にとっても役に立つものだって、これからいくらでもできるわよ」
わたしの言葉に、シャルの顔がぱあっと輝く。
うん。本当に表情豊かになってきたわね。この子も。これが本当の姿なんだろう。
「ありがとう、シリルお姉ちゃん」
あ、油断したわね。シャル。
「シャルちゃん、可愛い!」
「きゃあ!」
さっきから、うずうずした様子のアリシアが視界の端に映っていたけれど、ここへきて感極まったようにシャルめがけて抱きついていた。
ああ、ものすごい勢いで頬ずりしてる。あの子、大丈夫かしら?
というか、アリシアも、なんだか変な方向に向かってないかしら?
わたしは、なんとなくおかしくなって、くすくすと笑ってしまった。
「さて、今日はもう遅いから、ここで一晩明かして、それからカルナックへ戻りましょ?」
わたしたちは、夕食を用意して皆で食べ、夜が更けるまで、たわいない話をして笑いあった。そんな時間は楽しくて、すごく楽しくて、嫌なことなんて全て忘れてしまいそう。
こんなに幸せな時間が過ごせる時が来るなんて、思わなかった。
ルシアを召喚して、アリシアと旅に出て、ヴァリスがついて来て、シャルと出会った。
この幸せが永遠には続かないものだったとしても、わたしはこのときを永遠に忘れない。
わたしは、そんな気持ちで寝床に入る。夜の間はシャルが【召喚魔法】の練習も兼ねて召喚した『リュダイン』に見張りをしてもらうことにしたので、特別見張りを立てることもなく、皆でお休みなさいを言い合った。
そして翌日。今度はわたしが召喚した『ファルーク』に乗って、あっという間にカルナックへとたどり着く。わたしは『ファルーク』に、いつも以上の労いの言葉をかけてから封印具へと納める。
カルナックの町は、普段と変わらず行き交う人々で賑わいを見せていた。わたしたちは、門をくぐり、噴水広場の人波をかき分けて、ギルドのある区画へと真っ直ぐ向かう。
「へえ、これがカルナックのギルドなんだ。大きいねえ」
アリシアが感心したような声で言う。そう言えば、アリシアとヴァリスの二人は、このギルドを見るのは初めてだったわね。
「ここには、ライルズのような強者はいないのか?」
ヴァリスが、いかにも彼らしい質問をしてくる。
「いるかもしれないけど、もう一度ランク認定試験を受けるわけにはいかないのよ?」
一部の例外を除き、二回目以降の試験というものは実施されない。ランクは本来、実績を積んで上げるものだからだ。すると、彼は少し、意外なことを言った。
「我のことではない。シャルをああいった輩と戦わせるのはどうかと思っただけだ」
へえ、まさかヴァリスがそんな心配の仕方をするようになるなんてね。いい傾向だわ。
「大丈夫よ。登録は支援系にするから。【アドヴァンスドスキル】“聖戦士”に備わっている“治癒術士”の【スキル】だけでもそうだけど、“精霊紋”の属性増幅なんてものがあるのだから、これを売りにしない手はないわ」
わたしがそう言うと、今度はルシアが別の心配を口にする。
「でもさ、“精霊紋”ってのは、かなり珍しいんだろ? 俺とヴァリスは仕方ないにしても、あまり特別な力を示し過ぎれば目を付けられて【フロンティア】系任務への強制参加とか、大変なことが増えるんじゃないか?」
「……心配ないわ。ううん。心配しても、意味がない。わたしとパーティ登録している時点で、目ならとっくに付けられているし、誰もわたしに『強制』なんてできないのだから」
わたしの言葉に、ルシアは首をかしげる。でも、それはきっと、いつかわかることになる。そのとき、彼は、みんなは、どういう決断をするのだろう?
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