第25話 胸騒ぎが止まらない/属性増幅
-胸騒ぎが止まらない-
あたしも少しは役に立ったかな? ものすごく怖かったけど、こんなときのために苦労して『拒絶する渇望の霊楯』を見つけておいてよかった。
もともとシリルちゃんと旅ができるようになりたいと思って手に入れた【魔鍵】だったけれど、おかげであたしはここにいられる。
シャルちゃんも【精霊魔法】が使えるようになれば、冒険者としてかなりの戦力なんだろうし、わたしも支援系冒険者として認められるよう、もっと頑張らなくちゃ。
モンスター退治が冒険者の全てじゃないけど、この世界でもっとも需要があるのは、やっぱりモンスターに関わる仕事なんだよね。だから、どうしても戦闘で皆の役に立ちたかった。だって、あたしもみんなとパーティを組む冒険者仲間なんだから。
「どうにか片づいたけど、何やってるの? シリルちゃん」
あたしは、ぐずぐずの肉塊になった『ヘルリザード』の傍に屈みこむシリルちゃんに声をかけた。なんだか、気持ち悪いから触らない方がいいよ?
「ああ、『ヘルリザード』は、Aランク以上のモンスターだから、ライセンス証に討伐登録をしているの」
「討伐登録?」
「ええ、【フロンティア】では、倒したモンスターによって報奨金が出るでしょう?このライセンス証はギルドが把握するモンスターの情報を記憶しているから、倒した直後のモンスターから読み取れる情報を登録することで、ギルドにそのための証明ができるの」
「へえ、ほんとにギルドってすごい技術があるんだね。そんなことまで、そのライセンス証で出来ちゃうんだ」
「そうね……」
嫌悪感? 諦め? シリルちゃんって、あまりギルドのことをよく思っていないんだね。
そんなシリルちゃんの様子に気づくこともなく、今度はルシアくんが質問する。
「なあ、この『ヘルリザード』って本当にAランクなのか? なんだか前に戦ったBランクの『ワイバーン』の方が強そうな気がするんだけど」
ええ!? 『ワイバーン』と戦ったの? 知らなかった……。『竜の谷』でのことかな?
「そうね。単体での強さならそのとおりよ。ただ、ギルドの設定する討伐ランクには『単体認定』と『集団認定』があるの。同じランクになっていても単体の強さは別物よ。特に『ヘルリザード』みたいな集団戦闘が得意なモンスターは、単体で強くなくても高いランクに設定されることが多いわ」
なるほど。確かにそうだよね。集団で行動するってことは、一度にたくさんを相手取らなければいけないわけだし、危険度は高まるもの。……って、集団で行動?
「そう。さっきの奴は、いわば哨戒役だったんじゃないかしら。彼らはモンスターの割には組織だった行動ができる連中だから厄介なの。ぐずぐずしていると本隊が来るわね」
「ええ? じゃあ早く逃げなきゃ!」
「駄目よ。さっき、シャルが指さした道はこっちなのよ? つまり、この先に進まないとシャルの【魔鍵】は手に入らないの。それが目的でここまで来た以上、引きさがるわけにはいかないわ」
「ごめんなさい。シャルのために」
シャルちゃんが申し訳なさそうに頭を下げる。うう、そんなつもりで言ったんじゃないのに。
って、あれ? シャルちゃん! 髪の毛が青くなってる! それに肌全体にもうっすらと青い紋様が浮かんでいるし、なんだか新鮮で可愛い!
あたしが目を見開いた瞬間、シャルちゃんの心が身構えるのがわかる。あ、警戒されてる。うーん、これまでも何度か衝動を抑えきれずに抱きついちゃったから、気配で察知されるようになっちゃったんだね……。
「ああ、水の“精霊紋”がちゃんと出たわね。これでもう、火に偏って暴発することもなくなったんじゃないかしら」
「うん。ありがとう。シリルお姉ちゃん」
「あなたが頑張ったからよ」
そういってシリルちゃんは、シャルちゃんの頭をくしゃくしゃっと撫でる。
シャルちゃんは、くすぐったそうな、それでいて気持ちよさそうな顔をしてる。
シリルちゃんばっかり、ああいうことができて羨ましいなあ。
「連中は集団で行動すると言ったな。進むのは構わぬが、策はあるのか?」
ヴァリスが至極もっともなことを口にした。確かに、さっきの感じからすれば、あんなのがいっぱい出て来たら、ひとたまりもないんじゃないかな。
「あるわよ。奴らは火属性魔法に弱いの。Aランクとは言っても、5体以上倒さないと認定されない程度の相手ではあるから、戦い方次第でどうにでもなるわよ」
「だが、シャルはこの洞窟では火属性は使えまい。お前も火属性適性がない以上、戦闘中に使えるのは【魔導の杖】が使用可能な中級魔法までだろう。それでは大量の敵には対処できないのではないか?」
人間の【魔法】のことをもう、ここまで勉強しているなんてヴァリスってすごいよね。
シリルちゃんも同じことを思ったみたいで、驚いた顔をしている。
「大したものね。そのとおりよ。でも、あなたが今言ったこと、それがそのまま策になるのよ。わたしたちは、一人じゃないんだから」
シリルちゃんはそう言うと、シャルちゃんの肩に軽く手を置く。
「ね? シャル」
「う、うん!」
シャルちゃんの方はよくわかっていないみたいだったけれど、それでも大きく頷いて元気よく返事をした。
うーん、あたしにもよくわからないけれど、シリルちゃんは自信満々な感じだし、きっと大丈夫なんだよね?
そして、あたしたちは、シャルちゃんが【魔鍵】があると感じた道の奥へと進んでいく。
あたしたちが歩く洞窟内は、だんだんと下り坂になっていたんだけど、急に上に向かって吹き抜けのある広い空間にぶつかった。
相変わらず洞窟の中はジメジメしていて、服が肌にまとわりつく感覚が気持ち悪い。
でもここにきて、ついに、この強い湿気の原因がわかっちゃった。
……空から、雨が降っている。洞窟の中なのに変だけど、そうとしか言えない。
しかも、周囲はあたしたちが首から下げている『精輝石』の明かりが必要ないくらいに明るくなっていた。
真上から、きらきらとした光の柱が何本も差し込み、ゆらゆらと揺れる水の影みたいなものが足元に見え隠れしている。
「えっと、何これ?」
あたしは思わず、間の抜けた質問をしてしまった。目の前のものが信じられない。
「うおお、こりゃすごいな。どうなってるんだ?」
ルシアくんも気持ちは同じみたい。
簡単に言うと、今、あたしの頭上には水がある。たぶん、あれは洞窟に入る前に見た湖の底、だよね? その水を透かして空からの光が差し込んでいて、どういうわけか、その湖の水が降ってきているみたい。
「なんで、落ちてこないんだ?」
ルシアくんの疑問も、もっともだよね。湖の水は確かに降ってきてはいるけれど、あくまでそれは雨みたいなもの。あれだけの量の水が空中に浮いてるなんて信じられない。
そこはまるで、夢の中の世界みたいだった。水を透かした日の光が周囲のごつごつとした岩場を照らすその様子は、いままでに見たこともないくらいに綺麗な光景で……。
でも、そこにあったのは、綺麗なものばかりじゃなかった。
「シャルの【ダウジング】の言葉で、気付くべきだったわね。『混濁する回廊』……か」
シリルちゃんが指差した先は、この広い空間の中心地点。さっきまで上ばかり見ていて気付かなかったけれど、そこに「それ」はあった。
なんだろう? 胸の奥がすごくザワザワする。あれを見ていると不安な気持ちでたまらなくなる。不快で不愉快で気持ち悪くて、思わず目を逸らしてしまいたくなる。
胸騒ぎが止まらない。どうしようもなく間違ったものを目の前にしているような……、自分自身の認めたくない間違いを見せつけられているような、そんな感覚。
「【歪夢】。あるべき姿を失った、狂える意識の堂々巡り……。確かに『混濁する回廊』ね」
シリルちゃんの声が、「それ」の正体を教えてくれた。
-属性増幅-
我は不覚にも、周囲の気配に気づくのが遅れてしまった。
あの【歪夢】と人間が呼ぶモノの、異様な雰囲気に飲まれてしまっていたようだ。
我ら『竜族』は、長く世界から切り離されていたことのある種族でもある。ゆえに、今の世界でこのような現象が生じていて、それを人間たちが『処理』しているということに、あまりにも無知だった。
不定形の歪んだ空間。見た目にはそれ以上でもそれ以下でもないものだが、あれは、この世界にあってよいものではない。ただちに、早急に、消し去らねばならないものだ。
「……! 周囲を囲まれているぞ!」
我は遅まきながらに、警告を発する。気付けば、我らの周囲を不気味な黒い鱗に覆われた人型魔獣『ヘルリザード』の群れが取り囲んでいる。
「済まぬ。不覚だった」
「いいわ。それより、わたしの傍に集まって!」
シリルが叫ぶ。何か策でもあるのだろう。その言葉に従い、近くへと駆け寄る。
「さあ、シャル。さっき言った通り、わたしと呼吸を合わせてお願いね」
「うん!」
シリルはシャルに一声かけると、赤い宝玉のついた【魔導の杖】を構えた。
〈吹き荒れよ、焼けつく風〉
《赤の吐息》!
赤く明滅する【魔法陣】が展開した直後、周囲に熱を伴った突風が巻き起こる。しかし、発動時間から言っても、これは火属性の初級魔法だろう。集団認定とはいえ、仮にもAランクのモンスターに効くようなものではない。
と、我が思った次の瞬間であった。
「きゃあ! な、なに!?」
「うおお!」
突然、我らの周囲を炎が埋め尽くしたのだ。完全に視界を遮るほどに燃え盛る赤い炎は、その中心にいる我らにもかなりの熱を伝えてくる。
そして、猛威を振るい、辺り一帯を舐めつくしたその炎が消えた後には、黒焦げになって倒れ伏す十体以上の『ヘルリザード』の姿があった。
「いったい、何をした?」
我の問いに、シリルはこちらを見向きもせずに答える。
「言ったでしょう。わたしたちは一人じゃないって。それより、生き残りが来るわよ!」
見れば確かに、他のモンスターや岩などの陰にいたらしき『ヘルリザード』が数体、火傷を負った様子ではあったが、こちらに向かってくる。
話は後か。止むをえまい。連中が間合いを詰めてくる前に片づける。
シリルは手早く【魔導の杖】を取り出して、我とルシアに差し向ける。
〈守りの西風、災いを退けよ〉
《暴風の障壁》
数秒後、杖の先で白い【魔法陣】が緑に明滅すると、二人の周りに風が巻き起こった。
「これで、『ヘルリザード』の毒液ぐらいは防げるわよ。肉弾攻撃は自分でよけてね。ただ、《暴風の障壁》も長時間は続かないし、あまり負荷をかけると効果が切れるから、毒液もできる限りかわしたほうがいいわ」
当然だ。もとより防御魔法になど、頼るつもりはない。
我はその忠告を背後に聞きながら、『ヘルリザード』に向かって攻撃を仕掛ける。確認したところによれば、この連中は刃を通さない鱗を持つがゆえに、倒すなら火属性によるか、強い打撃を加える必要があるらしい。
大ぶりに振り回してくる鉤爪を横にかわし、試しに気を纏わせた拳を脇腹に叩き込む。
しかし、『ヘルリザード』はその一撃に吹き飛びこそしたものの、よろよろと起き上って体勢を立て直している。
「ふむ。吹き飛ばしてしまっては、効果が薄いか」
我は他の『ヘルリザード』が吹きかけてくる毒液をバックステップで回避すると、今度は相手の腕を取り、地面にひねり倒してから、気を込めた足蹴りを叩き込む。
〈グギャアア!〉
さすがにこれは効果があったらしく、断末魔の声をあげて力を失う『ヘルリザード』。
我は続けて近くの『ヘルリザード』を蹴り飛ばして、距離を開けるとシリルたちの方を確認した。
その周囲には『ヘルリザード』はまだ接近していないが、どうやら防御系の【魔法】を使ったようで、赤い障壁のようなものが見える。
その様子に我は問題ないと判断し、周囲の敵の殲滅を続けることにした。敵の一体を壁際に追い詰め、挟み込むようにとどめの一撃を叩きこむ。続いて次を…、と振り返った時点で気付いた。
二匹の『ヘルリザード』が我に向けて毒液を吐きかけるべく、口を開いている。
別方向から狙われているこの状況では逃げ場はなく、回避はできない。集団での戦いをしてくるモンスターとは、確かに厄介な存在だ。
無論、吐きかけられた毒液自体は《暴風の障壁》によって、難なく防ぐことができた。
我は防御魔法に頼らざるを得なかった己の未熟さを噛みしめながら、その二体をなぎ倒し、うち一体が起き上がる前に踏みつぶした。
「うわ! 危な! やばいな、そろそろ《暴風の障壁》が切れちまう」
焦ったようなルシアの声が聞こえてくる。恐らくは毒液をかわしきれず、何度か防御魔法を発動させてしまったのだろう。
我はもう一体の『ヘルリザード』を片づけると、助太刀をするつもりでルシアに駆け寄ろうとした。
しかし、その必要はなかったようだ。奴の周囲にはすでに五体以上の『ヘルリザード』が、その身体を『剣によって斬り裂かれて』、絶命していたのだ。
「“斬心幻想”の前には、刃を通さぬ鱗も関係ない、というのか……」
我は呆れてそう呟いた。【魔鍵】の力とはこれほどのものなのか。人間が手にするには、あまりにも大きすぎる力のように見える。なぜ、人間のみが【魔鍵】を扱えるのか。その謎は、いまだ解明されていないらしいが。
「なんとか、終わったみたいだな。畜生…、参った。『切り拓く絆の魔剣』とシリルの【魔法】がなかったら何回死んでたことか」
ルシアもやはり、自分の力だけで勝てたわけでないことを悔しく感じているようだ。
「なに、いってるのよ。シリルちゃんも言ってたじゃない。あたしたちは『一人じゃない』んだよ?」
アリシアが怒ったように、そんなことを口にする。……『一人じゃない』か。
確かに、強大な力を持ち、『個』として世界そのものとすら渡り合うことのできるはずの『竜族』ですら、つがいを求め、『真名』で呼び合うことで魂の繋がりを持つのだ。
この世界に、『独りきり』ではいられない。
そういえば、最初の炎。初級魔法とは思えないあの威力。あれはなんだったのか?
「【精霊魔法】よ。わたしの初級魔法によって周囲の【マナ】に生じた火属性の傾向を利用した、ね。まさか、あんなに威力が出るとは思わなかったけれど」
「なるほどな。その方法であれば、環境にない属性でもシャルが【精霊魔法】を使え、シリルに適性のない属性でも、増幅した形で使用可能となるわけか」
「ええ。実際、かなりの戦力強化になるわね。ただの初級魔法が、上級魔法とまではいかないにしても、ここまでの威力になるんだから。タイミングを合わせる必要があるとはいえ、成功すれば発動時間もほとんど必要ないしね」
「“精霊紋”か。湖底洞窟ですら火の海にできるとは、大したものだな」
我の言葉に、シャルはぶんぶんと首を振った。今はまた赤く染まったその髪が、動きに合わせて左右に揺れる。ただ、肌に浮かんだ紋様については、かつて見たときのようにくっきりと鮮明なものではなく、薄く浮き上がって見える程度だ。
「そんなこと、ないです。シリルお姉ちゃんが教えてくれた通りにやってみただけだし。わたしというより、『精霊』のおかげだから……」
「従属させるでもなく、『精霊』と共にあることができる。それだけでも、この世界では希有なことだ。もっと誇ってもいいのではないか? その髪も、肌の紋様も、世界から愛された、その証なのだから」
我から見れば、羨ましいほどに世界から祝福された存在なのだ。
そのため、思わず、そんなことを口にしていた。
「うう……」
だというのに、シャルは顔を赤くして俯いてしまった。
言い方がよくなかったのだろうか? どうすれば怯えられずに済むのか、わからない。
「ヴァ~リ~ス? シャルちゃんを口説くなんて、どういうつもり?」
アリシアが半眼で訳の分からないことを言ってくる。いったい、どういう意味だろうか?
「さて、それじゃ、邪魔者も片づいたことだし、シャル。【魔鍵】のある方向はわかる?」
「え? あ、うん。あっち」
問われて、シャルは我に返ったように、とある方向を指し示した。
「やっぱりか。【歪夢】の傍で発見される【魔鍵】も多いというけれど、まさにそれね」
【歪夢】。『オルガストの湖底洞窟』を【フロンティア】とならしめている元凶そのもの。
「どういうこと?」
「シャル。あなたが言った通り、あなたの【魔鍵】は、あの空間の中よ」
「え? でも、あれ、危ないんじゃ……」
「ええ、まずはあれを消去しないといけないわね。Aランクモンスターの排除に【フロンティア】の開拓か…。今回はそこまでするつもりはなかったんだけどね」
シリルはそんなことを呟きながら、【歪夢】へと近づいて行く。と、そのときであった。
「待って! シリルちゃん。それ、消したら大変なことになるよ!」
切羽詰まったようなアリシアの声が、洞窟内に強く響き渡った。