第2話 召喚魔法について/償いの方法
-召喚魔法について-
「これから、あなたの身に起こったことを説明します。そのうえで、わたしを殺したいと思ったら、殺してくれて構わないわ」
突然なにを言い出すかと思えば。ただでさえ、女性を殺すなんて考えたこともない俺が、ましてやこんな美少女を殺すなど、あり得るはずもない。
しかし、彼女は真剣なまなざしでこちらを見ている。
シリル・マギウス・ティアルーン。
そう名乗った彼女は、本当に美しい少女だった。年齢からすれば自分より10歳近くは若いかもしれない。10代半ばといったところだろう。それにしては大人びた話し方をするが、なんにせよ、ここは『異世界』だ。異世界の人はみんなこうなのかもしれない。しかし、皆がこうも美しいなんてことはないのではないか。
そんなとりとめもないことを考えているうちにも、彼女は「俺の身に起きたこと」について話し始めた。
それは、正直、信じられない話であるといってもよい。【魔法】の存在など、信じてはいなかった。しかし、こうして異世界に来た以上、『あるものはある』のだろう。
それでもなお、『あるわけがない』と言いたくなる話なのだった。
いわく、俺は彼女の使用した【召喚魔法】によって、彼女が『異世界』と呼ぶ俺の元いた世界から、この世界へと召喚されたらしい。
しかし、【召喚】という言葉は、事実を正しくは言い表し切れていないのだという。
彼女によれば、【召喚魔法】とは本来、この世界と重なり合うように存在する【幻獣界】や【精霊界】と呼ばれる世界から幻獣や精霊といった『人にあらざる』ものを召喚し、契約によって使役する魔法のことであるらしい。
したがって、重なり合ってすらいないはずの俺の世界から俺を召喚したことについては、彼女自身、「わからない」としか言えないそうだ。
彼女が複雑そうな顔をして、可能性としてはと前置きしながらも話した内容からすると、この世界で最高の条件下で最高の方法と思われるやり方で召喚したことに原因があるかもしれない、とのことであった。
つまり、「やりすぎちゃった」ということか?
しかし、問題はそんなところにはない。続いて彼女はこう言ったのだ。
「あなたが今、名前を思い出せないと感じているのは、『思い出せない』のではなくて、そもそも『名前を失った』からなの」
「名前を失った?」
俺は首をかしげざるを得ない。確かになぜか、名前を思い出せないが、それは記憶がなくなっただけで、名前そのものを失うなんてことがあるのだろうか?
彼女からの説明はさらに続く。
通常の【召喚魔法】において召喚対象となる幻獣や精霊は、元いた世界では不安定な自我しか備えておらず、この世界に召喚される際は、世界を『渡る』ために、いったん『分解』され、再び『再構築』される。
その際、召喚されたものは召喚主にこの世界における『名を与えられ』、魔力によって繋がり、この世界で安定した存在となる。
すなわち、同じ術式で召喚された以上、俺にも同じことが起きていることになるらしい。
つまり、【召喚】ではなく【転生】。
俺は元いた世界で分解されて死に、この世界で再構築された。その際に前の世界における名前を失った。存在そのものを奪われ、この世界のものとして再構築される過程で、真っ先に失われるものは、存在を表す『名前』なのだそうだ。
それこそが、俺が名を『思い出せない』理由であり、俺の身に起きたこと。
しかし、これで俺が感じていた最大の疑問は解決した。俺は、ゆっくりと自分の手を動かす。久しく忘れていたこの感覚。だが、俺の身に起きたことが【転生】だというのなら、つじつまは合うのだろう。
「ってことは、俺は元の世界には戻れないのか?」
恐る恐る聞いてみるが、答えはわかっているようなものだ。
「……ええ、そうよ。もう、取り返しはつかないの。元の世界では、あなたの存在は『なかったこと』になってさえいるかもしれない。どちらにしても、【転生】してしまったあなたを元に戻すことは、理論上、絶対に不可能なこと」
彼女は沈痛そうな面持ちで、絞り出すようにそう口にした。
なるほどな。そしてそれを現実のものにしてしまったのが、彼女だってわけか。どうりでさっきから謝ってばかりなわけだ。
ここまで見事に被害者になってしまうと、なんと言っていいのか、言葉も出ない。
彼女を責めるのは簡単だ。
この野郎、なんてことをしてくれたんだ、と怒鳴りつけ、血相を変えて相手に掴みかかってもいいかもしれない。
実際、それぐらいのことをしてもいいぐらいの大問題だ。なにより、彼女自身が言ったように、「取り返しがつかない」ってのが決定的だ。
だがそれでも、過失だっていうのなら、責めても仕方ないじゃないか。俺はそう思う。
断じて美少女に甘い顔をしたいわけじゃない。いや、そういう面もあるかもしれないが、たとえ、彼女が男であっても同じように考えただろう。
俺は、過ぎたことを考えないようにしてきた男だ。そうでなければ、心が押しつぶされてしまいそうだったから。されたこともしたことも、過ぎてしまえば思い返す必要もない。
過去はおろか、未来すら、俺には考えるゆとりはなかった。
それでも、やっぱり、俺は思う。少なくとも自分が生まれたあの世界で、そのときそのときの「今」を積み重ね、懸命に生きてきた結果、今の俺があるのではないか?
それなのに、あの世界の俺は『なかったこと』にされているかもしれないだって?
冗談きついぜ。じゃあ、俺はあの世界からいなくなったってのか?
楽しいことなんて何もなかった世界。辛くて苦しいことばかりだった世界。ただ、それでも歯を食いしばり生きてきた世界。
俺が生きてきた二十数年間は、まったくの無駄になってしまったのだろうか?
結局俺は、どうすればよいのか分からず、ただ、思いついたことを思いつくままに口にし、考える余裕もなく行動することだけしか出来そうもないのだった。
-償いの方法-
わたしは、すべてを話し終え、彼の反応を待った。彼はいくつかの事柄、主に【召喚魔法】について、聞き返してきただけで、相変わらず薄い反応しか示さない。
「なるほどな、ようく、わかった。つまり俺は、君に殺されたんだな?」
彼は、ようやくそれだけ言った。突き刺さるような言葉だったが、なお足りない。
「殺されるより酷いこと、よ。あなたは人間なのよ?もともと自我のない『精霊』とは違う。元いた世界には、あなたにとっての人生があったはず。わたしは殺すだけにとどまらず、あなたを作り替え、生まれ変わらせてしまった。神をも恐れぬ所業というしかないわ」
しかし、彼はわたしの言うことなど大した問題ではないかのように、ほとんど表情を変えようともしないでいる。
先ほどまでの笑みが消えたのは当然だとしても、怒りや悲しみの表情すら顔に出さず、無表情と言うわけでもなく、あいまいな顔をしているのは、どういうことなのか?
わたしには、よくわからなかった。
「現実のところ、どうなんだ? 俺は、君に名前を与えてもらって、魔力でつながらないと安定できないのか?」
「いえ、もともと安定した存在である以上、それはないわ。わたしとの間に多少の繋がりがあるだけで、生きるのに支障はないと思う」
彼の質問にそう答えると、彼は安心したような、けれども何故か少しだけ残念そうな表情を見せた。ますます、わけがわからない。
それでもわたしは、言うべきことは言わないといけない。
「とにかく、わたしはどんな償いでもするつもりよ。殺したかったら殺してもいい。憎んでも憎みきれないでしょうけど、あなたを元に戻す方法がない以上、他に責任の取りようがないから」
「どんな償いでも……」
彼は小さく呟くと、わたしの顔をじっと見つめた。その目はなんだか、少しだけ『男』を感じさせるものだった。
わたしは自分の発言に少しだけ後悔する。考えてみれば、彼にとってわたしを殺すことのメリットは少ない。
むしろ、そう、彼は男で、自分は曲がりなりにも女なのだ。そういうことを求められる可能性もあるのではないか。
今までも何度となく、冒険者仲間に言い寄られた経験からして、自分の容姿はそれなりに男性を惹きつけるらしいことは自覚している。それは『今の姿』であっても同じなのかもしれない。
自分の犯した罪から考えれば、甘んじて受けなければならないのかもしれないが、殺されるより考えたくない事態だった。
わたしが彼の視線にそんな不安を覚えていると、彼は急にわたしから目をそらし、こちらを見ないようにしながら、こう言った。
「オーケー。わかった。じゃあ、君を殺そう」
さらりと言われたその言葉は、わたしの予想に反していて、けれども決定的な一言だった。さっきの彼の目は、男たちが自分を見る目に似ていた気がしたが、錯覚だったのだろうか? 彼は異世界人なのだから、同じ常識で考えてはいけないのかもしれない。
「じゃ、目を瞑っててもらえるか?」
そして、続く言葉で覚悟を決めた。目を閉じるようにとの言葉は、彼のせめてもの優しさだろうか?
こんなところで死ぬのは嫌だったが、生きていても同じことだ。誰にも理解されない重圧を抱えて生きるぐらいなら、人生の幕引きとしてはちょうどいいのかもしれない。
ゆっくりと目を閉じる。もうこの世界の景色を見ることは叶わない。【マナ】に満ち溢れた美しい【聖地】の風景が最後に見たものでよかった。
「これで、いいかしら?」
「え、ああ、そ、そうだな……」
わたしの静かな問いかけに、彼は戸惑ったような声を出す。
いざとなるとやっぱり、殺すのにためらいがあるのだろうか?
「遠慮することはないわ。わたしはどんな償いでもすると決めた。わたしがあなたにしたことは、どうしようもないくらい罪深いことなんだから、好きなようにしてくれていいの」
わたしは、早口でそんなことを口走った。
「そ、そうか……」
彼はなおも、口ごもるように返事をする。
死にたくないという気持ちの反面で、死んでしまった方が楽になれる、楽をするために召喚してしまったのなら、むしろ望みどおりなのかもしれないと思う気持ちがあった。
それに、彼がためらってくれていることに、甘えたくない。人としての存在を奪い、勝手につくりかえてしまったわたしには、そんなことをする資格なんてない。
ためらうことなく、殺してくれればいい。
そんなことを思っていると、突然、身体に重みがかかった。
押し倒されてる!
男性の身体の重みが思い切り自分にのしかかってきている。
荒い息使いも聞こえてくる。「殺そう」だなんて言っておいて、目まで瞑らせておいて、
やっぱり、そうだったのね!
異世界人だろうと亜人種だろうと、男は男、おんなじなんだ!
わたしはかつて、親友に言われた台詞を思い返していた。
「シリルちゃんはただでさえ可愛いんだから、油断したら餌食にされちゃうんだからね」
その親友の方がよっぽど危なっかしいと思っていたけれど、まさかわたしの身に振りかかるなんて!
そう思いつつも、抵抗できない立場であることを自覚して、身を固めていたが、いつまでたっても変化がない。気になって目を開けてみると彼は、わたしに覆いかぶさったまま、気絶していた。
「あれ? 一体何が……」
わたしは彼の身体の下から這い出すと、茫然とその姿を見下ろしていた。