第7幕 竜王の住処
「おお! あの二人もついに結婚するのか」
「そっか……。ふふ! でも、少し遅すぎるくらいよ」
ルシアとシリルお姉ちゃんは突然の知らせに驚きながらも、すごく嬉しそうでした。
「ほほう……、確かにこの工房に入る時から、仲の良い二人じゃとは思っておったが、ついに結婚か」
喜び合う二人の後ろから姿を現したのは、この工房のかつての主、ガアラムさんです。
「あ! ガアラムさん! お久しぶりです!」
わたしは一目散に彼の元まで駆けていき、頭を下げて挨拶をしました。
「うむ。久しぶりじゃな。シャル。元気でおったか?」
「はい! 旅の仲間も増えました!」
わたしはリオンとシェリーをガアラムさんの前に立たせ、自己紹介の挨拶をさせました。すると、ガアラムさんは嬉しそうな顔で、わたしに笑いかけてきます。
「ははは! すっかり『お姉さん』が板について来たようじゃのう? 以前は、シリルがその役割だったと思うが」
「あはは! そうですね」
良かった。相変わらずガアラムさんは元気そうです。聞いた話では、工房主の仕事はハンスさんに譲ったものの、今では“魔工士”としての技能を生かし、街中で様々な昇降機などの便利な装置の開発を続けているとのことでした。
「そう言えば、どうしてルシアたちがガアラムさんと一緒に?」
わたしは先ほどから疑問に思っていたことをルシアに向かって問いかけました。
「ああ、実はな。近年まれに見る大きな『浮遊石』が見つかったってことで、ガアラムさんから俺に連絡があったんだ。大きすぎて細かい調整作業が難しいらしくて、俺の“理想の道標”を使ったらどうかって話になってな」
「ああ、なるほど。そう言えば、そんな『アルバイト』もしてるって言ってたっけ」
ルシアとシリルお姉ちゃんは、ここ最近ではこのアルマグリッドを拠点にしていることが多いらしいのですが、その理由の一つが、ルシアの【オリジナルスキル】が【魔法具】の品質向上に極めて有益だということでした。
「まあ、この街の“魔工士”にしてみれば、商売あがったりな能力だからね。あまり乱用しないよう、ほどほどにしておくつもりよ。……そうね。【フロンティア】の開拓もできたことだし、そろそろ別の場所に移っていいかもね」
シリルお姉ちゃんが思案顔でそう付け足すと、途端にハンスさんが立ちあがって声を張り上げました。
「そんな! もういなくなっちゃうって言うのかい? そんな寂しいことを言わないでくれよ。この街から魅力的な女性が一人いなくなるたび、僕の心は栄養失調になっていくんだからさ」
「黙らんか、この馬鹿もんが!」
すかさず拳骨を喰らわせたのは、ガアラムさんです。こんなところも依然として健在なようで、何よりでした。
「……いたた。でも、久しぶりにシャルちゃんに会って思ったんだけど……」
叩かれた頭を押さえつつ、わたしたちに目を向けてくるハンスさん。
「着実に『成長』しているシャルちゃんを見てしまうと、シリルって本当に変わらな……」
もちろん、皆まで言わせません。
《黒の虫!》
「ぴぎゃあああ!」
「『リュダイン』。変身。出力全開で噛みついてあげて」
〈グルガルウ!〉
「ぎゃあああ!」
黒い羽虫にたかられてボロボロになったところに、巨大な金獅子に噛みつかれ、黒焦げになるまで電撃を浴び続けるハンスさん。
「いやいや! お前らちょっと待て! いくらなんでもこれは死ぬだろ!」
ルシアが真っ青な顔で止めに入りますが、関係ありません。なぜと言って、彼は万死に値するセクハラ発言をしてくれたのですから。
「ミスティさん? あんたの旦那でしょう? 助けないと!」
「え? あ、ああ。大丈夫よ。あたしの『跳ね回る狂乱の牙鞭』で簀巻きにしたまま一晩放置しても生きてた人だもの」
「嘘だろ!? ものの数分で発狂死するほどの激痛だって言ってたよな!?」
信じられないとばかりに叫ぶルシア。さっきから少し、うるさいですね?
「うわ、怖い! 今のシャルの目、めちゃくちゃ怖い!」
ルシアはわたしと目を合わせた直後、怯えたように首をすくめたのでした。
──大所帯となった『魔導客船』は、結婚式場となる『ルーズの町』を目指して飛翔していきます。
今回の結婚式のとりまとめを担当するノエルさんは、町の外の平原に会場を設営し、青空のもとで式典とパーティを開催することを企画していました。
青竜ラーズさんの参加も考えればそれは当然のことでしたが、それ以上に会場に集まる人数も考慮してのことです。
ただ、会場に向かう前に、途中で一か所だけ寄るべき場所がありました。
「まあ、『竜族』のヴァリスの結婚式だもんな。竜王様も招待するのは礼儀って奴か」
説明を受けたルシアが、納得したように頷いています。
わたしたちは、いつものように皆が集まる食堂で、今後の飛行ルートと行事内容の説明を受けていました。
「それに、あそこにはファラもいるからね。彼女を呼ばないわけにはいかないだろう?」
ノエルさんはそう言って、優雅な所作でカップを口まで運んでいます。
「まあな。念話ではしょっちゅう話もしてるけど、あいつに直に会うのも久しぶりなんだよなあ」
ルシアはシェリエルとの戦い以降、ファラさんが傍に居なくても、『切り拓く絆の魔剣』の力を十全に使えるようになったそうです。
そのため、今ではファラさんが『竜の谷』に留まり、彼は世界中を旅するということができるようになっていました。
「竜王様の彼女への熱愛ぶりは凄かったからね。今頃彼女もどうなっていることやら」
ククク、と楽しそうに笑うノエルさん。
ルシアは、そんなノエルさんの方を極力見ないようにしているようです。わたしはもう慣れましたが、かつての彼女を知る身としては、明らかにサイズダウンした彼女がかつてと同じ仕草をしている姿は、どうしても笑いを誘うのです。
ちなみに、この船でルシアとシリルお姉ちゃんが合流した直後、笑いが止まらなくなったルシアがノエルさんの『護身用』の【魔装兵器】で痛い目に遭わされたのは言うまでもありません。
「……そ、それで、ノエル。どうしてこんなに急な企画になったの?」
笑いをこらえながら尋ねるシリルお姉ちゃん。
「うん。ちょっと出席者の日程調整がね……」
言葉を濁すようにして言うノエルさん。確かに『出席者』の中には、日程調整がかなり大変なメンバーも含まれていました。
「ふうん。でも、楽しみね。アリシアの花嫁姿。早く見てみたいわ」
「ああ、そうだな。ヴァリスの奴がどんな顔で結婚式に臨むのか、今から楽しみではあるな」
「もう……そういうひねくれたことを言うものじゃないわよ?」
「ははは。悪い悪い」
仲睦まじく話すルシアとシリルお姉ちゃん。『世界律』の調律作業を終えたシリルお姉ちゃんは、かねてからの望みどおり、ルシアと二人で冒険者を続けることになりました。
とはいえ実際には、わたしたち他のメンバーとは異なり、自由気ままな旅をするというよりは、各地に残る【歪夢】の消去に貢献することが目的のようなのです。
それについて聞くと、シリルお姉ちゃんは決まってこう言いました。
「せっかくわたしたちが救った世界なんだもの。一人でも多くの人が幸せに暮らせる世界にしたいじゃない?」
どこまでも他人の幸せを優先する、心優しいシリルお姉ちゃん。でも、わたしは、そんなシリルお姉ちゃんにこそ、幸せになってほしいのです。
──それから数日後、魔導客船アリア・ノルンは『竜の谷』へと到着しました。前回同様、ラーズさんが先触れとなってくれたため、そのまま谷の中央付近に着陸した船から降りたわたしたちは、早速『竜王神殿』へと足を向けます。
船から降りたメンバーは、わたしのほか、ルシアとシリルお姉ちゃん、エリオットさんとエイミア様、そしてレイフィアさんの六人でした。あまり大勢で押しかけてはいけないということと、失礼があってはいけないとの判断で、セフィリアにお守りをお願いする形でシェリーとリオンにはお留守番をしてもらうことになっています。
「おーい! ファラ、いるか」
〈む? おお、ルシアか! よく来たな!〉
巨大な洞穴の奥には、まるで人間が生活しているかのような居住スペースが設けられていました。聞いたところによれば、竜王様はファラさんがここを最初に訪れた時以来、ずっと人身のままでいるそうです。
それはともかく、わたしたちを出迎えてくれたのは、気の強そうな顔立ちの銀髪の女性でした。しかし、初めて見る顔ではありません。かつてシリルお姉ちゃんが因子制御で変身していた時の面影も、わずかに残っています。
しかし、着ている服はと言えば、貴族の奥方様が身に着けていそうなドレスでした。
〈む? なんだ、妙な顔をして。……ああ、この姿か。やはり銀髪が気に入っているのでな。色を変えてみたのだ。しかし、それだけだと今のシリルに似てしまうかもと考えて調整したのだが……ふむ。その心配はなかったようだな〉
姿を自在に変えられるとは、さすがは『神』です。しかし、ファラさんの言うとおり、今のシリルお姉ちゃんは成長したとは言っても、因子制御時の姿とは違って、あどけなさというか、可愛らしさを残しているのでした。
「まあ、それにしてもなんだな。俺はてっきり、竜王様といちゃいちゃしながら出迎えをしてくれるもんだと思って身構えていたんだがな」
ルシアがからかうようにそう言うと、ファラさんはやれやれと首を振ります。
〈もう慣れた。アレはもう、どうにもならん。いちいち狼狽えるのは、やめにしたのだ〉
意味深な言葉をファラさんが口にした、その時でした。
〈ファラ! 御客人に立ち話をさせても悪かろう。さあ、応接に案内するぞ。ついて来るがいい〉
威勢の良い声と共に奥から姿を現したのは、竜王様でした。貴族か商人が好んで着るような、上等な仕立ての衣服に身を包んでいます。
「……うひゃあ、なにあれ?」
レイフィアさんが呆気にとられたように、ぽかんと口を開けています。
「なあ、エリオット。わたしの記憶に間違いがなければ、あの虹色の髪の御仁は、竜王様だよな?」
「ええ、そう思います。ですが……ものすごく、何と言うか……人間じみてますね」
後ろの方からは、エイミア様とエリオットさんの会話が聞こえてきています。
「あ、あの……ファラさん? これはいったい……」
わたしが戸惑い気味に問いかけると、ファラさんは大きく溜め息をつきました。
〈うむ。わらわが完全に復活して以来、あやつは自由に谷から出られるようになったからな。あの姿のまま、あちこちの人間の街に出かけては、その……人間の真似というか……『ごっこ遊び』のようなことをやりたがるのだ〉
「え? ご、ごっこ遊びですか?」
思わず耳を疑いました。
〈うむ。……ちなみに今は、貴族の夫婦、という設定なのだがな……〉
頬を赤くして力無くつぶやくファラさん。何と言うか、『いちゃいちゃしている』などという次元を軽く超えた域に、二人の仲は達しているようでした。
〈さあ、遠慮なく座ってくれ。今、飲み物を用意する〉
そう言って別室に消えていく竜王様。
「ここは召使に用意させる場面じゃないかしら?」
シリルお姉ちゃんは不思議そうに首を傾げますが、ファラさんが顔を赤くしたまま、説明してくれました。
〈そこまでのリアリティなど求めてはおらんのだ。……よ、要は、その……わらわと『夫婦』という設定の部分を、状況を変えて楽しみたいだけのようだからな〉
「……………」
全員、絶句。言葉も何もありません。竜王様って、やっぱりすごい。すごすぎです。
〈い、いや、わらわもな? 最初は馬鹿らしいからやめようと言ったのだ! だが、そのたびに千年待っていた時の話を引き合いに出されて……仕方なく……。ほ、本当だぞ! な、なんだ、その顔は! さては信じていないな!?〉
一人で必死にまくしたてるファラさんですが、ますます状況を悪化させています。
〈待たせたな。ほら、ファラ。こっちに座ろう〉
〈うう……〉
竜王様はコップに近くの湧水を汲んだものをわたしたちの前に置くと、自分の隣に座るようファラさんを促し、ほとんど身体を密着させるようにして、どっかりと腰を落ち着けました。
〈話はヴァリスからも聞いている。実にめでたいことだな〉
「ええ、はじめてこの『竜の谷』にお邪魔した時は、まさかこんなことになるとは思いませんでしたけれど……でも、旅の中でお互いに分かりあい、手を取りあって生きていくことを決意した二人ですもの。きっと幸せになれるはずです」
感慨深そうに洞穴の天井を見上げ、つぶやくシリルお姉ちゃん。ルシアとシリルお姉ちゃん、そしてアリシアお姉ちゃんの三人で始まったこの冒険の、最初の目的地ともいうべき場所。それがこの『竜の谷』だったのです。色々な思い出が頭の中をよぎっているのかもしれません。
〈ふむ。そうだな。……そうだ。ところでファラ〉
〈む、な、なんだ……?〉
何かを思いついたような顔をする竜王様に、引きつった顔で応じるファラさん。もしかすると、これは二人の間で何度となく繰り返されているやりとりなのかもしれません。
〈夫婦と言うなら、我らも『結婚式』なるものをやらなければならんな?〉
〈んな!? い、いや、それは……〉
〈嫌なのか?〉
すがるような目で、ファラさんを見つめる竜王様。
はい。あの目は多分、反則です。
〈うう!〉
〈ファラは、我を伴侶として見てはくれないのか?〉
〈そ、そういうことではなくてだな。そ、その、恥ずかしいというか……〉
〈そうか。我との結婚など、恥ずかしくてできぬか……〉
〈うあああ! そうは言っていない! わ、わかった! 後でだ! 後で考えてやるから、この話題をここで続けるのは止めてくれええ!〉
周囲の皆がニヤニヤした生暖かい目で自分を見つめていることに気付いたのか、ファラさんは、ほとんど涙目で絶叫したのでした。