第5幕 魔法王国
ラーズさんの膨大な【魔力】による補給を済ませ、そのまま彼らと合流した状態で次に向かう先は、魔法王国マギスディバインです。
ちなみに、首都のマギスレギアにはギルド本部があり、王城が『魔導都市』とも通じていることから、この場所で合流するメンバーが一番多くなる予定でした。
「まずはどこから行く?」
「うん。順番からすれば、城下町、ギルド、王城の順でいいんじゃないかな?」
「わかった。それじゃ、いこっか?」
わたしとセフィリアは、いつものとおり二人で手早く方針を決めると、シェリーとリオンの二人を連れて、早速マギスレギアの城下町へと向かうことにしました。
人前に出たがらないノエルさんはともかく、レイフィアさんにはついて来てもらおうかとも思ったのですが、彼女は意外にも首を振りました。
「いやあ、あたし、つい最近ちょっとばかし暴れすぎちゃって。あの街にはあんまり近寄れないんだよねえ! あははは!」
〈そのうち、近寄れる街の方が少なくなるかもしれんがな……〉
能天気に笑うレイフィアさんとは対照的に、ラーズさんの声には疲れのようなものが滲み出ていたのでした。
──それはさておき、最初にわたしたちが向かったのは、マギスレギアの城下町にある、一軒の宿屋です。三年前とは違い、綺麗な看板が出されたその宿屋には、あの時よりもたくさんの宿泊客が泊まるようになり、最近では増築も検討していると聞いています。
それもそのはず、この宿の扉を開けて中に入れば、世界で一番有名と言っても過言ではない女性が出迎えてくれるのです。
「いらっしゃい! ようこそ、わたしたちの宿へ!」
カウンターの向こうで愛想の良い笑顔を浮かべ、手を振ってくるのは鮮やかな蒼い髪をすっきりと首の後ろでまとめた、「元・魔神殺しの聖女様」でした。
「こんにちは、エイミアさん」
わたしがぺこりと頭を下げ、そして、元の位置に戻した時。
「え? きゃあ!」
まるで瞬間移動したかのように、彼女の姿はわたしの目の前にありました。
「シャルじゃないか! いやあ! 久しぶりだなあ! まったく、この! この! 愛い奴め、愛い奴め!」
「ちょ、ちょっと、エイミアさん、苦しいです」
全力で抱きしめられ、頬ずりをされたわたしは、思わず抗議の声を上げてしまいました。
「ん? ああ、悪い悪い!」
「もう……わたしだって、もう子供じゃないんですよ?」
わたしが乱れた衣服と髪を整えるようにして言うと、エイミアさんは悪びれもせず、朗らかに笑います。
「あはは! 確かにまた髪も伸びたみたいだし、抱きついた限り、身体つきも大分大人っぽくはなったみたいだな」
「も、もう! セクハラです!」
この時間、一階の食堂には人の姿もまばらですが、それでも驚いたような顔で皆さんがこちらを見つめているのがわかり、わたしの頬はますます熱くなってしまいました。
「あははは! ごめんごめん」
ここで働くようになってから、エイミアさんはますます活き活きとしてきたようです。とはいえ、彼女も冒険者の仕事をやめたというわけではなく──
「それで、エイミアさんの花嫁修業は順調なんですか?」
「いやいや、シャル。それがな? わたしは頑張って店をこんなにも繁盛させているのに、意地の悪い姑がなかなか認めてくれないんだ」
ひそひそ話でもするかのように、わたしに顔を近づけ、茶目っ気たっぷりに笑いかけてくれるエイミアさん。わたしは吹き出してしまいそうになりましたが、それより早く、店の奥から別の声が聞こえてきました。
「聞こえているよ。誰が意地の悪い姑だい。まったく、あたしはいいと言ったのに、自分から押しかけてきて店の手伝いを始めたんじゃないか」
そう言って姿を現したのは、この宿の女将のメリーさんでした。街に流れ着いたエリオットさんを拾ってくれた彼女も、今では七十歳にはなっていると思いますが、まだまだ元気なようです。
わたしたちもここに宿泊した際には、おいしい料理を食べさせてもらったり、シリルお姉ちゃんに至っては、料理の手ほどきまで受けていたほどです。
そこでエイミア様もそれにあやかるべく料理を教わるという名目で、この店を手伝っているのでした。
「おや? セフィリアの他にも、見慣れない子たちがいるな?」
「あ、はい。……ほら、シェリー、リオン。ごあいさつしなさい」
わたしは、二人を促すように前に押し出しました。
「はじめまして! エイミアさん。わたし、シェリーって言います。よろしくお願いします」
「……は、はじめまして……。リ、リオンです。よろしく、お願いします……」
はきはきと元気よく挨拶をするシェリーとオドオドと不安げに頭を下げるリオン。そんな二人を見て、エイミア様は目を丸くしていました。
「……驚いたな。随分礼儀正しい子たちだ。ふふ、シャルの躾のたまものかな?」
言いながらわたしに目配せをしてくるエイミア様。わたしはそんな彼女に頷きを返します。実際に会わせるのは初めてでも、この子たちの存在自体は、『あの二人』を知っている皆には伝えてあったのです。
「……そうか。じゃあ、シェリー。リオン。これからも二人仲良くするんだぞ」
「はい!」
「うん」
「よし、いい子だ」
エイミア様はにっこり笑って、二人の頭を撫でてくれました。
「ところで、エリオットさんは?」
「ん? ああ、事前に連絡をもらってから、この日の内には、任務を終わらせて戻ってくるよう伝えたんだけどな」
「任務? ギルドのですか?」
「ああ、なんでも近くの【フロンティア】で単体認定Aランクのモンスターが確認されたらしい。チームの編成上、ヴァルナガンも一緒だとかで、ブーたれていたけどな」
「あはは! なんだか目に見えるようですね」
それから、わたしたちはメリーさんの気遣いで店の番を外してもらったエイミアさんと一緒に、奥の部屋でエリオットさんの帰りを待たせてもらうことになりました。
その間、お店の方の手が空いたなどと理由をつけては、メリーさんが時々顔を出し、差し入れなどをしてくれたのですが、どうやら彼女のお目当ては二人の可愛い男の子と女の子のようでした。
普段の仏頂面が、シェリーとリオンに向けられるときだけ嘘のように崩れていくのですから、疑いようはありません。そのことは、直後に戻ってきたエリオットさんが彼女の顔を見た時の驚きようからも十分にわかりました。
「いやあ、驚いたな。まさかあのメリーさんがあんな顔をするなんて……」
すれ違うように出て行ったメリーさんを見送りながら、エリオットさんが目を丸くしています。あれから三年がたち、十九歳になったエリオットさんは、体格的にも少したくましくなったように見えます。
ですが、それでも……
「がははは! ったく、花嫁修業だか何だか知らねえが、お前らも俺たちみたいにさっさとくっついちまえばいいだろうが」
などと言いながら、彼の後ろから入ってきた巨漢の男性とは比べるべくもありません。
「あはは! それについては、わたしの方に責任がある。やっぱり、結婚して一緒に暮らすとなればな。愛する夫には……以前のように我慢しなくても食べてもらえる、美味しい料理を食べさせてあげたいじゃないか」
「エ、エイミアさん……」
堂々と惚気るエイミア様に、エリオットさんの方が赤面してしまっています。かつては逆だったような気がしますが、エイミア様も鍛えられてしまったのかもしれません。
「がはは! お熱いねえ。でもよう、そんなことを女に言わせちまってる時点で、男に甲斐性がないってもんだと思うがなあ?」
「うるさいな。僕らには僕らのペースがあるんだ。少なくとも公衆の面前で、ところ構わずいちゃいちゃしているお前なんかに言われたくはないぞ」
近くの席にどっかりと腰を下ろしながら、エリオットさんは後について来たヴァルナガンさんを見上げて言います。
「んだと?」
「喧嘩はやめなさい。二人とも。そちらの小さなお子さんが怯えているじゃありませんか」
喧嘩腰の言い争いになりかけたところで、するりと割り込むような言葉をかけてくれたのは、金色の髪を長く伸ばし、白を基調とした魔導師風の衣装に身を包む一人の女性でした。
彼女の言葉を受けて隣を見れば、シェリーとリオンがびっくりしたような顔で、わたしの袖を掴んでいます。
「あ、ルシエラさん。お久しぶりです!」
「ええ、久しぶりですね。シャルさん」
今ではヴァルナガンさんと公私ともに相棒となったルシエラさんは、三年前と比べれば、随分と物腰も柔らかく、冷たい印象もほとんどなくなっています。
ですが、その直後のこと。
「あ! 天使さま。お久しぶりです!」
「……え、ええ。あなたも久しぶりですね。その、いい加減、その呼び方は……」
同席していたセフィリアの呼びかけに、彼女は身体を硬直させてしまいました。
「でも、天使さまは、天使さまです。シャルから借りた本に書かれてたイメージにもぴったりだし!」
「……そ、そうですか」
いつも落ち着いた彼女にしては珍しく、ぎこちない声で返事をするルシエラさんでした。
一方、何故かヴァルナガンさんも、一度もこちらを向こうとはせず、エリオットさんやエイミア様とばかり話していました。
しかし、それを見逃す彼女ではありません。
「悪魔の人も、こんにちは!」
「…………」
ビシリ、と固まるヴァルナガンさん。しかし、セフィリアは自分の声が聞こえなかったと思ったのか、さらに大きく声を張り上げました。
「こんにちは! 悪魔さん!」
「……お、おう」
ヴァルナガンさんもまた、消え入りそうな声で返事をしたのでした。
実は一度だけ、わたしたちはルシエラさんやヴァルナガンさんと同じ任務に就いたことがありました。そして、どうもそれ以来、この二人はセフィリアのことを苦手に思っているらしいのです
その日は、マギスレギア近隣の【フロンティア】で集団認定Aランクモンスターの大量発生が確認されたことから、ギルド選りすぐりのメンバーで退治に出向くことになっていました。
ちょうどわたしたち二人も、腕試しができる任務を探していたこともあり、エイミア様やエリオットさんに無理を言って、どうにか同行させてもらえる手筈を整えたのです。
その時、セフィリアのことを知らないヴァルナガンさんは、わたしたち二人を後方支援役のメンバーとして『護ってくれる』つもりでいたのですが、その結果がどうなったかと言えば……。
「おお、悪魔さんって強いんだね! よーっし! わたしも負けないぞー!」
「い、いや、ちょっと待てってお嬢ちゃん! 『デスギガント』は骨だけの身体に見えて、とんでもない怪力があるんだぜ! 素手で突っ込むんじゃねえ!」
ヴァルナガンさんが止める暇もないままに、セフィリアは黒光りする骨の巨人の群れをめがけ、恐ろしい速度で突進していきました。
「えい!」
バキン!
「てや!」
ゴキバキ!
「えいえいえいえい!」
ガラガラガラ!
「え? ……う、嘘だろ? あんな嬢ちゃんが……『重黒鉱』並みに硬い『デスギガント』の骨を素手でへし折ってやがる……」
あんぐりと口を開け、固まってしまうヴァルナガンさん。
「……それだけではありませんよ。あのモンスターは壊れた骨から【瘴気】を吐き出します。その中を動いているだけでも異常ですが……そもそも地面が陥没する勢いで殴られているのに、どうして無傷なんですか、あの子?」
ルシエラさんが声を震わせているのは、最近でも珍しいことだったかもしれません。
とはいえ、その程度の芸当ならヴァルナガンさんもできるはずです。にもかかわらず二人がここまで驚愕していたのは、彼女の純粋な強さそのものに対してではなく、その強さに確たる『理由がない』という部分のようでした。
実際、ギルドのスキル鑑定の結果を見ても、セフィリアは戦闘用の技能をまったく有していないのです。
『理不尽な強さ』を持っている彼らだからこそ、『理不尽そのもの』のようなセフィリアの異常性に気付いた、と言い換えることもできるかもしません。
──と、まあ、細かい理由はともかく、わたしが彼女に『やりすぎ』を控えるように言い聞かせるようになったのも、この日、彼女がギルドの二枚看板を驚愕させる非常識ぶりを発揮した時以降のことなのです。
「と、とにかく、ヴァルナガンさんとルシエラさんがここに来てくれたのは助かりました。これでギルドに向かうのは省略できそうですし……」
わたしはここでどうにか話題を変えるべく、懐から『招待状』を取り出したのでした。