第3幕 魔導客船
ライルズさんたちに『招待状』を渡した後、わたしたちは次の目的地に向かうことにしました。しかし、世界中に散らばる知り合いに声をかけて回るだけでは、期日に間に合わない可能性があります。
このツィーヴィフの町は、わたしたちの知り合いがいる場所の中では『会場』に一番近かかったため、『招待状』を渡すだけで済みましたが、現実的には『迎えに行く』べきところでしょう。
そのため、今回の旅では、わたしは三年ぶりとなる懐かしい『我が家』を使わせてもらえることになっていました。
「楽しみだね。二人とも」
「うん! 楽しみ!」
「空飛ぶ船かー。どんなだろうね?」
待ち合わせ場所になっている町の近くの平原で、セフィリアが二人の少年少女とじゃれています。もはや定番となったこの光景ですが、見つめているとついつい頬が緩んでしましそうでした。
それからしばらくして──
「あ! レイミさん! こっちです、こっち!」
ようやく見えてきた『魔導船アリア・ノルン』の船影に向かって、わたしは大きく手を振りました。
「うわー! すっげええ!」
リオンが両手をぶんぶんと振りながら、叫び声を上げてはしゃぎ回りはじめました。
「あーあ、みっともなーい。リオンってホントに子供なんだから!」
腰に手を当てて立ち、呆れたように言っているシェリーですが、降りてくる船を見つめる彼女の瞳はこれでもかというくらいに大きく見開かれ、その頬も赤く上気しているのは丸わかりでした。
「ほら! 早くいこ!」
二人の先頭に立って駆け出していくセフィリア。彼女は彼女で眠っている間以外、ほとんど『アリア・ノルン』への乗船経験がなかったため、船に乗るのを楽しみにしているようです。
三人の後を追うように船の着地点まで駆けていくと、ちょうど甲板から降ろされた階段から一人の女性が下りてくるところでした。
「あらら! なんですか、この可愛い子たちは?」
例によって露出の激しいメイド服。黒縁眼鏡に三つ編み姿のレイミさんは、自分の傍に駆け寄ってくる三人の姿に、目を丸くして驚きの声を上げていました。
「レイミさん! お久しぶりです!」
「ええ、お久しぶりです。シャルちゃん。髪も伸びて、大分大人っぽくなりましたねえ」
「あはは……」
じっとりと絡みつくような視線を向けられ、わたしは思わず乾いた笑いを返してしまいました。
「うわあ! 可愛いメイド服!」
シェリーは服飾に興味があるのか、あの手の服に目がありません。たちまちレイミさんの傍に近づき、人見知りすることもなく銀の瞳を輝かせて彼女のことを見上げました。
それとは対照的に、リオンの方は彼女のあまりに奇抜なスタイルに圧倒されてか、セフィリアの背中に半分隠れるようにして、遠巻きに彼女のことを見つめています。
一方、レイミさんはと言えば、そんな二人に交互に視線を向けた後、小さく身を震わせ、満面の笑みでわたしに向かって問いかけてきます。
「シャルちゃん! この子たち、食べちゃ駄目で……」
「だめです!」
皆まで言わせぬ勢いで叫ぶわたし。
「うう、いけずう……」
三年たった今でも、相変わらず彼女は彼女。そんなところでしょうか。
「さて、それじゃあ可愛いお客様? この『魔導客船アリア・ノルン』のメイド長を務めております、このレイミが皆さまをご案内いたします」
レイミさんはお茶目な顔でそう言うと、子供たちが足を踏み外さないよう注意しながら階段を上るよう促してくれたのでした。
──船内は三年前の面影を多く残しているようでいて、色々と手を加えられているようにも見えます。
自動人形型の【魔導装置】に手荷物を預け、廊下を進みながら、わたしはそのことについてレイミさんに聞いてみました。
「ええ、そうですね。何と言っても多くのお客様を乗せることも想定して、居住性は元より、船の大きさや内部空間の拡張には、以前よりもさらに気を遣っていますからね」
わたしたちをかつて食堂兼作戦会議室として使われていた部屋に案内しながら、レイミさんがそんな解説をしてくれました。
その間、セフィリアを含めた三人の子供たち(わたしは子供じゃありません)は廊下を駆けまわってはしゃいでいましたが、それでも通された先にある部屋を見たところで、息を飲んで固まってしまいました。
「……きれいだね」
「うあー、すっげえ……」
「……リオンってば、感想が『すげえ』ばっかりで芸がないよねー」
若干一名、ひねくれ者がいるようですが、それでも三人は三人とも、前方壁面全体が船外の空の映像で埋めつくされている光景には揃って見入っているようです。
「それでは、御着席になってお待ちください。今、お飲み物の用意をいたしますから」
レイミさんが部屋を後にした後、騒ぐ三人をようやく落ち着かせて席に着いたわたしは、寂しいような、懐かしいような気持ちで、この部屋を改めて見渡しました。
〈懐かしいよね〉
ふと、心に響くそんな声。
〈フィリス……あなたも、そう思う?〉
〈当たり前じゃない。あれから、もう三年も経つんだもの〉
旅の中で巡り合い、苦楽を共にし、この部屋でまるで家族のように笑い合った仲間たち。今では皆、それぞれの生活を始めているけれど、あの時感じた絆は今でもずっと覚えています。
辛いことも、苦しいこともあったけど、それ以上にこの場所には、楽しい思い出が溢れていて……そして何よりこの船には、わたしたち『家族』の帰りを待っていてくれる『彼女』がいたのです。
がちゃり、と入口の扉が開く音がします。
わたしたちは、揃ってそちらに目を向けました。
「はい。皆さん、お待たせいたしました」
レイミさんはカートのようなものを手で押しながら、部屋へと入ってきました。そして、てきぱきと手慣れた手つきで茶器を整え、お茶を淹れていきます。しかし、そんな中、わたしたち四人の目線は、彼女のいる場所とは異なる方向を向いています。
「ふう……やれやれ、よっと……」
『彼女』は一抱えほどもある平たいクッションを手に、とことこと歩いてきます。そしてそれを椅子の上に乗せ、よいしょとばかりにその上に腰を乗せました。
「……ふう。こんなものかな?」
大きな仕事を終えたような顔で息を吐き、やれやれとテーブルに肘を着く彼女。
「…………」
肩が震えてしまいます。我慢し損ねたら確実に怒られてしまう場面なのですが、正直、これには耐えられそうもありません。
〈うふふ! あはははは!〉
フィリスは卑怯です。外には見えないのをいいことに、自分ひとり、大爆笑を続けているのですから。
「……ねえ、シャル?」
「ぶふ!? は、はい、なんでしょう?」
いけません、かみ殺し損ねました。
「我慢は身体によくないよ?」
「ぶは!? あはははははは! す、すみませ……うふふ! あは! ……はあ、はあ、はあ」
お腹が痛くて仕方がありません。わたしは苦しくなった呼吸をどうにか整え、ようやく『彼女』の名前を呼びました。
「……お久しぶりです。ノエルお姉ちゃん?」
たっぷりと情感を込めて、『お姉ちゃん』とわたしが声をかけた相手。それは御年五歳くらいの小さな女の子でした。彼女はその幼い顔に大人っぽい諦めの表情を浮かべ、小さく息を吐きました。
「最近、ますます性格が悪くなってないかい? 聞いた話じゃ、この前なんかレイフィアを使ってギルドの審査官を随分やり込めたとか……」
「あはは……」
「僕の耳にまで噂で届いてくるくらいだから、よっぽどのことだよ?」
呆れたように、その小さな肩をすくめるノエルさん。確かにあれは、やりすぎでした。まさかレイフィアさんがあそこまでノリノリになるなんて、思いもしなかったのです。
「……それで? その無茶な審査を経てまで、君たちが『地平』に開拓に出かけていった結果が、その子供たちなのかな?」
目の前に置かれた茶器を手に、そこから昇るお茶の香りを味わうようにして言うノエルさん。彼女の目は、リオンとシェリーに向けられていました。
「おい、ちびすけ! 僕はお前みたいなちびすけに『子ども』だなんて言われる筋合いはないぞ!」
ノエルさんの言葉を聞いたリオンは、胸を張って相手を見下すように言いました。
「……へえ?」
ああ、リオン。それだけは言っちゃ駄目なのに……。ノエルさんの声が低く沈んだものになったのを聞いて、わたしは思わず首をすくめてしまいました。気付けば、隣ではセフィリアがわたしと同じように首をすくめています。
「シェリー、口は災いの元だからね?」
手遅れな少年を放置し、少女の口を塞ぎながら言うわたし。シェリーはそんなわたしたちの様子に何かを感じてくれたのか、黙ったままこくこくと何度も頷いてくれました。
「……レイミ。そっちの子、いっぱい可愛がってあげるといいよ」
その一言に、それまで茶器の準備を終えて傍に控えていたレイミさんが、飛び跳ねるように叫びました。
「え!? い、いいんですか? 本当に? わたしの『愛』の前には、道徳も倫理も法律も、まるで意味を持ちませんよ?」
「そ、それは駄目!」
思わず叫び返すわたし。
「ほ、ほら、リオン! ノエルさんに謝ろ? ね?」
「え? え?」
セフィリアに促され、訳も分からず頭をさげるリオン。
こうしてわたしたちは、久しぶりにノエルさんとレイミさんの二人に、再会することができたのでした。
──シェリエルとの戦いが終わった直後のことです。
わたしたちはエイミア様たちから、ノエルさんのことを聞きました。『最後の身体』を使い、自分自身を犠牲にして『クロスクロスクロス』を滅ぼした、彼女の最期のことを。
ですが、衝撃の事実に泣き崩れるシリルお姉ちゃんに対し、慰めるように声をかけたのは、レイミさんでした。
「心配いりませんよ。わたしはこれでも、彼女の『万全主義』を陰に日向にサポートし続けてきた『完全無欠のメイドさん』なんですから」
何故か胸を強調するようなポーズで、ウインクまで決めるレイミさん。そんな彼女に案内されて向かった先には、しばらく前に廃棄されたと思われる小さな研究施設がありました。
「うふふ。『ラフォウル・テナス』による複製体の精製も、そう何度も繰り返し行えるものではありませんからね。シリルさんが絡んだ時の彼女の無鉄砲さを思えば、予備が尽きる可能性は十分に考えられました」
レイミさんの後ろに続き、研究施設の隠し階段から地下に降りると、そこには小さなベッドのようなものが置かれていました。そして、その傍には見覚えのある白衣の女性が一人、椅子に腰かけて座っています。
彼女はこちらに気づくと、立ち上がって手を振ってきました。
「やあ、待ってたよ」
「ローナさん。首尾はいかがですか?」
「うん。問題ない。わたしがあげた『マスターキー』もちゃんと持っていてくれたみたいだし、おかげで『転移』も思った以上にスムーズだったね」
ノエルさんの『悪友』──ローナさんは、にやにやと笑いながらベッドの方を指差しました。
そこには、黒髪を可愛らしく切りそろえた一人の少女が眠っています。恐らくまだ二歳くらいではないかと思われる、幼い少女です。
「ああ。『複製』は二年前だから、その歳で間違いないよ。……元になるひな形に『彼女自身』を使うことができなかったせいなのかな。頑張ってはみたけど、赤子の姿でしか複製できなかったんだ」
「ま、まさか……」
シリルお姉ちゃんは、何かに気づいたように声を漏らしました。
「うふふ。彼女の身辺を世話をする関係上、いくらでも『サンプル』は入手できますし、わたし自身の『肉体』も使いたい放題でしたからね。彼女に内緒でこっそりと、こうして『予備』を準備しておいたというわけです」
「ま、そういうことだ。それでは皆さん? 眠り姫を起こす準備はよろしいかな?」
ローナさんが茶目っ気たっぷりにそう言うと、レイミさんが掌を少女の頭に当て、静かに目を瞑りました。
「これが彼女の、正真正銘、最後の身体です。そもそも、いくら彼女に強靭な精神力があると言っても、複数の肉体を持つだなんて土台無理な話だったんです。あのまま、あと数年も身体の『移し替え』を繰り返していれば、間違いなく彼女の精神は破綻していたでしょう」
それを防いでいたものこそ、レイミさんという『特別製』の存在だったのだそうです。
何はともあれ、ローナさんとレイミさん、二人の機転がノエルさんの命を救う結果につながったわけですが、それがなければ彼女は自己犠牲の末に皆に深い悲しみを残して死んでしまったはずなのです。
ベッドを囲むエイミアさんやエリオットさん、シリルお姉ちゃんたちの表情を見れば、目覚めた彼女がこの後、どれだけの非難を浴びることになるのかは、火を見るよりも明らかなのでした。