第203話 異世界人/銀の魔女
-異世界人-
「……ふう。どうにか上手くできたみたいだな」
再び襲いかかってきたモンスター群を斬り払い、俺は軽く息を吐く。
〈……まったく、お主という奴はどこまで非常識なのだ〉
心の中に響くファラの声に、俺は苦笑してしまう。周囲の空間の維持を『エデン・アルゴス』に任せたせいか、その声にはある程度の余裕が感じられた。
〈でも、俺はファラに教えてもらったとおりに『やってみた』だけだぜ?〉
〈それはそうだが……ほとんど駄目元のつもりだったのだぞ?〉
〈何言ってんだよ。ファラが言ったんだろう? お前は世界を客観的に見ることに長けているってさ〉
〈だからと言って……姿形はおろか属性の種類も幽体と実体の区別も、【瘴気】と【マナ】の混じり具合さえも、すべてがバラバラなモンスターどもを『ひとまとまり』に斬るか? それこそ世界の内にありながら、自分の存在を本当の意味で『世界の外』に置きでもしない限り、できない芸当だ。『神』にも不可能な真似だぞ?〉
ファラは呆れたように言うが、その点に関しては、俺にも勝算がなかったわけではない。
──この『魔導都市』に突入する、しばらく前のことだ。
アリシアから俺の能力に関する『分析結果』の詳細について、改めて話を聞く機会があった。
「ヴァリスとの《転空飛翔》のおかげだと思うんだけど、前に見たときに分からなかったことが、わかるようになったの」
そう言って彼女が俺に教えてくれた情報は、かつて俺の【スキル】分析結果を紙に書き出してくれた時、「?」となっていた【種族特性】“転生者”に関することだった。
【種族特性】
“転生者”:異世界人。『夢』の外に生まれ、『夢』の中へと転じた者。
この情報を聞いた時は、正直、意味がわからなかった。だが、世界そのものを自由に操るシェリエルを観察し続けることで、俺はようやく理解した。
シリルの話によれば、彼女は世界に散らばる無数の【幻想法則】を融合させた際、己の意識をその中に紛れ込ませ、【世界の夢】を見ていたのだという。
彼女の夢。それこそが【狂夢】だ。彼女の夢の中に生きる者は、彼女の支配からは逃れられない。世界を脱した『四柱神』でさえ、己の生まれた世界の法則からは逃れられない。少なくとも、より『上位の存在』たる彼女には従わざるを得ないのだ。
だが、俺は最初から【異世界】で生まれた存在であり、つい一年近く前までは、この世界にすらいなかった。つまり、彼女はどうやっても俺を『夢』の中に見ることはできなかったのだ。
だからこそ、俺は彼女にとって、『外側の存在』であり続けることができる。
〈私の思い通りにならないイレギュラー。……でも、それだけでしょう? 確かに今のあなたなら、私の『夢』を超えて、私に干渉できるかもしれない。でも純粋な力そのものだけで見ても、あなたは私に遠く及ばない〉
「そんなの、やってみなけりゃわからないだろ?」
そんな風に強がっては見たが、確かに彼女の言うとおりだった。今も寒気がするばかりに圧倒的な力を漲らせるシェリエルに、どうやって俺の剣を届かせるのか? それが何より難しい。
「根拠のない強がりを吐くな。見苦しい」
そんな俺の胸中を読んだわけでもないだろうが、つい先程ようやく姿を現したばかりの馬鹿が、身も蓋もないことを言ってくる。
「ああ? 何言ってんだてめえは。だいたい、さっきまでどこかに隠れてこそこそしながらサボってた奴の言うセリフか、それが?」
語調も荒く言い返す俺に、呆れたように息を吐くフェイル。ぬお、馬鹿にされたようで、ますます気に入らない。
「二人とも! 喧嘩してる場合じゃないでしょう?」
ほら見ろ、シリルにも怒られちまったじゃないか。俺たちは一瞬だけ視線を交わし合うと、そのままシェリエルへと改めて目を向ける。
〈……つまらない。あなたたちのやりとりも、前は面白かったはずなのに。……リオネルがいないからかな? リオネルがいないと、どうしてつまらないのかな? どうして……どうして、リオネルは死んだのかな? どうして、どうしてどうして……〉
バチバチと音を響かせる凄まじい力を全身に帯びながら、シェリエルは虚ろな瞳で呟き続けている。俺は、そんな彼女を見て、どうしても黙っていられなくなった。
「……リオネルは、お前のせいで死んだんだよ」
〈は?〉
意味が分からない。そんな顔でシェリエルは動きを止めた。そんな彼女の様子が、俺はますます気に入らない。
「馬鹿は私を理解不能。お前はそんな風に言ってたっけな?」
〈だって本当のことだもの〉
平然とそんな言葉を返してくる彼女。やっぱり、彼女は全然わかっていない。
「さっきから聞いてりゃ、アーシェのせいだとかファラのせいだとか、好き勝手言ってるけどさ。……そもそも、お前がリオネルに本当のことを伝えなかったのが悪いんだろう?」
言わずもがなの事実を、俺は彼女に指摘する。だが、彼女はそんなことはわかっていると言いたげに肩をすくめた。
〈それは、ただの結果論。本当なら、あれが寿命で死んだ時点で、私の術式は正しく発動していたはずだもの。伝えなかったことが悪かったわけじゃない。ちょっと驚かせてやろうと思っただけだもの〉
「……お前って、本当に人の気持ちがわからない奴なんだな」
〈私にわからないことなんてない〉
「じゃあ、聞くぜ? お前にいなくなられて、残されたリオネルはどんな気持ちでいたんだろうな?」
俺がそう訊くと、そこで初めて彼女は表情に戸惑いの色を見せた。
〈……どんな、気持ち?〉
「もう二度とお前に会うことができないと知って、あいつはどれだけ苦悩したんだろうな?」
〈苦悩……〉
「いいか? お前の方は……『目が覚めたら、あいつがそこにいた』って状況なんだろうけどな。見ただろう? あんな半分白骨化したような身体で、あいつは八百年間、無理矢理生きてたんだ」
〈だ、だから……それが馬鹿だって言ってる〉
「黙れよ、馬鹿が! 言ってただろうが! 死ぬ前に、もう一度お前に会いたかったんだって! 八百年は長かった、そう言ってただろう? それもこれも、お前が真実をあいつに話さなかったからだ!」
話しているうちに、だんだんと腹が立ってきた俺は、思わず声を荒げていた。もちろん、そのためにシリルを初めとする多くの人を苦しめてきたリオネルに、同情なんてしてやる必要はない。でも、それでも、腹が立つものは腹が立つのだ。
〈……何を言ってるの? 何を言ってるの? わからないわからないわからない……〉
ぶつぶつと呟きながらも、彼女の瞳の光は、ますます虚ろになっていく。
「彼女は……わかりたくないだけなのよ」
「シリル?」
背後から響くシリルの声に、俺は思わず振り向こうとした。だが、その直後のこと。目の前でうめくシェリエルに起きた変化は、俺にそれを許さなかった。
〈わからない! 私は……悪くない!〉
シェリエルは、片手をまっすぐ俺に向かって突き出していた。その手の先に、冗談みたいな規模の魔力光が集束していくのが見える。よく見れば、それだけじゃない。彼女の周囲には、同じく馬鹿げているとしか言いようのないレベルの魔力障壁が組み上がっている。
回避する余地も反撃する機会も与えず、今の俺でさえ認識しきれない規模の攻撃を放つ。それがシェリエルの狙いなのだろう。正気を失っているように見えて、その実、こうして的確な攻撃手段を選択してくるあたり、彼女は紛れもなく『天才』だった。
「ルシア……!」
背後からシリルの心配そうな声がする。護るべきものを背にしながら、それを確実に護るだけの力が無いことに、俺は焦りを募らせる。だが、俺は……
「大丈夫。俺に任せておけって。立ってるだけでもきついんだろ? だったら、座ってみててくれてもいいんだぜ?」
そんな内心などおくびにも出さず、彼女を安心させる『言葉』を口にした。そして、そんな『言葉』を口にしたことで、俺は改めて自分自身を勇気づけ、目の前の脅威に視線を向ける。
〈じゃあ、最後に言い残すことはない?〉
力を解放したことで精神的な余裕が生まれたのか、彼女はファラに対して口にしたのと同じ台詞を言い放つ。ここはとにかく、時間が欲しい。
しかし、何でもいいから話を続け、時間を稼がなくてはと考えた俺が口を開きかけた、その時だった。
──俺より先に、フェイルの奴がこともなげに言い放つ。
「特に無いな」
……うおおおおおい! 何やってんだ、てめえ! 馬鹿なのか? 馬鹿なんだな? 少しは考えてから物をしゃべれ、このアホがああああ!
そんな魂の叫びを声には出さず、視線と表情だけで訴えかけるようにフェイルを睨みつける俺。だが、フェイルは俺の必死の形相を意にも介さず、どころかこんな言葉を吐きかけてきた。
「おい。陸に上げられた魚みたいに口を開閉している暇があったら、俺の話を聞け」
「な、な、ななな……」
なんだとう! この野郎。そんな言葉を言いかけたその時、それは起きた。
〈なに、これ?〉
シェリエルの周囲を、巨大な何かが包み込んでいる。肉眼で見る彼女の姿が大きく歪み、映像が激しくぶれる。……って、『歪み』?
「時間稼ぎなら、ノラにやらせている。お前が言う『こそこそ隠れてサボっていた』時間を使って、あいつに創らせていた特大の『歪み』だ。あいつの中のすべての『ジャシン』の力を全力で注ぎ込ませた。力を減じている今のシェリエル相手なら、後しばらくはもつだろう」
いちいち嫌味ったらしい奴だ。とはいえ、先ほどまで姿を消していたのがフェイルだけでなくノラも一緒だったのには、こんな理由があったらしい。見れば俺たちの斜め頭上に、ふわふわと浮かぶ真紅の髪の少女の姿がある。
〈こんなもの……!〉
シェリエルは『歪み』の中で激しく暴れているらしい。足元から激しい振動が伝わってくる。
「で? 何か手はあるんだろうな?」
やけくそになって俺がそう訊くと、フェイルの奴はあっさりと頷きやがった。
「当たり前だ。お前とは違う。時間稼ぎをする以上、策ならある」
「いちいち、ひと言余計なんだよ! さっさと言え。しばらくもつって言っても、そんなに時間は無いだろ?」
俺がちらりと見上げた視線の先には、必死で『歪み』を操り続けるノラの姿がある。と、そこにぼそりと聞こえてくる言葉があった。
「……俺を信じろ」
「へ?」
何か耳を疑うようなことを言わなかったか、こいつ?
「アレの懐に、お前を送り届けてやる。本当ならアレには、俺の刃を突き立ててやりたいところだが……アレクシオラの話の聞く限り、それでは大した有効打にはならないようだからな」
「意味が分からないぞ?」
「だからこその時間稼ぎだ。お前に理解させ、……叶うことなら信用させるためのな」
「……つまり、そう簡単には信じられないような話なのか?」
俺がそう言うと、フェイルは首を振る。
「いや、信じる信じないは、お前の自由だ。難しい話ではない」
「じゃあ、なんだよ」
「簡単なことだ。俺が一歩間違えれば、お前は死ぬ。まあ、俺も死ぬだろうがな」
「んな!? し、死ぬ?」
物騒なことを言うフェイルに、俺は思わず声を大きくしてしまう。
「だから、信じろと言った。……『実験』した限り、それなりに成功率は高いと思う。もっとも『実験』とは言っても、本番同様にはできなかったがな」
よく見れば、フェイルの表情はどこか悔しそうでもある。恐らくこいつは俺に対して、かなりの譲歩をしているのだろう。止めを自分で刺せない不甲斐なさを悔しく思い、よりにもよってこの俺に『信じろ』などと言わなければならない状況を悔しく思っている。
まったく馬鹿な奴だ。だが、まあ、それは俺も同じだろう。
「信じられるか、お前なんか」
「…………」
フェイルは俺の言葉に、目を見開いて唇をかみしめる。だが俺は、そのまま言葉を続ける。
「……でも、騙されてやる」
「……ふん。最初からそう言え。肝が冷えたぞ」
言葉どおり、安堵したように息を吐くフェイル。
「うるせえよ。俺だって、お前なんかの力を借りなきゃならないこと自体、悔しくて仕方がないんだ。ちっとぐらい我慢しやがれ」
「……子供か、貴様は」
そんな言葉を交わし合った後、俺はフェイルから『策』を伝えられた。
そして、即座に後悔する。聞かなければよかった。嘘だ。無茶苦茶だ。
とはいえ、今さら後には引けないのだった。
-銀の魔女-
シェリエルとわたしとの『魂の繋がり』を強化してすぐのこと。
流れ込む膨大な【魔力】に、わたしの意識が遠のきかける。『絆の指輪』で協力をお願いしたシャルがわたしの手を取るまでの時間は、実際にはほんの数秒のことだっただろう。
だけど、その数秒はわたしにとって、永遠に近いものに感じられた。なぜなら、【魔力】の他に、わたしの心に流れ込んでくるものがあったからだ。
【魔力】とは本来、意志を与えられた【マナ】を指す言葉だ。だから、たった今、シェリエルが無意識に流しているこの【魔力】には、彼女の心が込められていた。彼女の思い、彼女の記憶、そうしたものが映像としてフラッシュバックするかのごとく、わたしの心を埋め尽くす。
彼女は、ずっと孤独だった。『古代魔族』の中でも他と隔絶した力を持って生まれ、凡百の研究者とは次元の違う頭脳までをも有していた彼女には、対等の仲間などいなかった。誰もが皆、彼女の言うことを理解できず、彼女に畏れを抱くばかりだった。
だから彼女は、他人に理解してもらうことを諦めた。多大なる研究成果を背景に資金を獲得し、次々と新しい研究所を辺境の荒野に造っては、ただ一人、誰にも理解できないほどの高度な研究に没頭し続けた。
そんなある日、気紛れに顔を出した『元老院』の議場で、彼女は一人の少年と出会う。少年は彼女のことを憧れと尊敬のまなざしで見上げていた。
彼との問答は、特に面白味のないものだった。これからの『魔族』がどうあるべきか? そんなことは、彼女にとってどうでもいいことだ。でも彼女は、自分を慕う少年との会話そのものに、新鮮味を覚えていた。
同じく気紛れに少年を自分の研究所に招待したその日、世界が退屈で仕方がないとつぶやく彼女に、少年はこう言った。『だったら、貴女が退屈しないよう、僕がお話相手になります』
それから、少年はどこから仕入れてきたのか、様々な話を彼女に聞かせた。彼女はそれを面白いと感じたこともあったし、つまらないと思ったこともあった。けれど彼女は何も言わず、ただ、少年の頭を一撫でするだけだった。だが、その程度のことでも、少年は酷く嬉しそうな顔をする。そして、いつの間にか、そんな少年の顔を見ることだけが、彼女の密かな楽しみになっていた。
別のある日、戯れに『気持ちの良くなる道具が欲しい』──そう語った時のこと。少年は顔を真っ赤にして、『僕でよければ頑張ります』と言った。彼女はそんな彼の様子が、可笑しくてたまらなかった。けれど彼女は何も言わず、頭を一撫でしただけで、いつものように彼を枕に眠りについた。
──そんな記憶の断片を垣間見て、わたしは思う。
彼女は馬鹿だ。どうしようもなく、馬鹿な人だ。彼女には、わたしが教えてあげなくちゃいけない。彼女が何を間違えてしまったのか。そして何より、何が一番大切なことなのかを……
〈こんなもの、こんなもの、こんなもの!〉
周囲の【異空間】すら侵食しかねない『歪みの力』を一身に受け止めながら、シェリエルはまったく苦しむ様子もなく、闇雲に腕を振り回している。彼女にしてみれば、あの凄まじいまでの力の渦も、面倒なパズルぐらいにしか感じていないのかもしれない。
「ちっ! そろそろやばいな! ……覚悟を決めるしかないか」
「なら……行くぞ!」
先ほどまで、二人で何やら相談(言い争い?)をしていたルシアとフェイル。そんな彼らがお互いに歩み寄り、肩も触れあわんばかりの距離で構えをとった。
「……だ、大丈夫? 何をするつもりなの?」
流れ込む【魔力】に耐えることしかできないわたしは、二人の行動を見守るしかない。話しかけたところで邪魔にしかならないだろうに、それでもつい、声をかけてしまった。
「心配するなよ。これからあいつに、きっちり落とし前をつけてきてやるだけだ。ちゃちゃっと終わらせてくるさ」
ルシアは、いかにも自信満々といった声で返事をしてくれた。それだけでも、わたしは安心してしまう。彼がわたしに気を遣ってくれていることがわかっていてなお、彼の『言葉』はわたしを安心させてくれる。
〈吹き飛べ!〉
〈うああ!〉
シェリエルの苛立ったような声と共に、彼女を包む『歪み』の力が弾け飛び、宙に浮かんでいたノラも勢いに押されるように吹き飛ばされ、床に叩きつけられる
「ノラ!」
わたしの隣で心配そうな声をあげるシャル。わたしも同じくそちらに目を向け、ノラの無事を確認する。特に外傷らしきものはなさそうだ。しかし、安堵の息を吐き、わたしが再び視線を前へと戻した時だった。
いつの間にか、ルシアとフェイルの姿が消えている。
〈うざったい真似をしてくれて……。今度は何? 空間転移? 隠れんぼ? くだらないくだらない。どれもこれも、私には無意味。たとえ空間を超えたところで、私には届かない。異なる空間に隠れても、私にはまるで丸見え。馬鹿みたい馬鹿みたい……〉
彼女はすでに、こちらで立ち尽くすわたしたちや他の仲間には興味を失ったらしく、ルシアの姿だけを探している。彼だけがこの中で唯一、彼女に刃を突き立てることができるのだから、当然と言えば当然だ。しかし……
〈……どういうこと? 嘘? どこにもいない?〉
徐々に狼狽えだすシェリエル。破れた神官衣を振り乱すようにして、彼女はきょろきょろとあたりを見回す。一体何が起きているのか? わたしにもまるでわからない。けれど、次の瞬間に起こったことは、この上なく単純明快だった。
「どうにか成功……といったところか」
彼女の背後に、長い黒髪の全身鎧を纏った男が出現する。男は、真紅の刃を頭上高く振り上げ、それをそのまま振り下ろした。
〈く!〉
シェリエルは一瞬で反応して振り返り、頭上に腕を掲げてその男、フェイルが手にした紅の『聖剣』を受け止める。
〈うそ? どうやって私の障壁を乗り越えたの? さっきまで、どこにも気配はなかったはずなのに……〉
「決まっている。さっきまで俺の存在など、どこにもなかったというだけだ」
〈何を言っているの? 意味が分からない〉
振り下ろされた真紅の刃とシェリエルの華奢な腕、その二つがギリギリと力のせめぎ合いを続けている。不意打ち気味にフェイルが叩き込んだ“減衰”の力に加え、シェリエル自身の驚きのせいもあってか、彼女は反撃に出ることもできないでいた。
「お前が言ったのだろう?」
〈え?〉
「極限まで存在を薄くすると言っても、存在そのものが無くなるわけではない。それが俺の限界だ──とな」
〈ま、まさか……〉
「限界ならば、超えればいい。お前の言うとおり、存在そのものが無くなるに等しい……極限のその向こう側にまで達することができれば……『神を超えるモノ』でさえ騙しきれる」
〈く、狂ってる……。そんなの、自殺行為もいいところじゃない〉
「そうだな。だが、自殺行為ならばともかく、他人のそれに身を預けようというのは、それこそ……正気の沙汰ではないのかもしれないぞ?」
そう言って、フェイルは大きく後方に飛びさがる。その、直後のことだった。
「……し、死ぬかと思った」
声の発生源は、再びシェリエルの背後。つまり、先ほど振り向いたシェリエルとわたしたちとの間。そこに、誰よりも頼もしい、彼の背中が現れる。
〈また、背後……!?〉
今度は反応が間に合わない。二重の不意打ち。それも驚愕に驚愕を重ねたところで、狙いすましたタイミングでの彼の出現は、完全に彼女の意表をついていた。
「これで終わりだ!」
蒼く輝く絆の魔剣は、背中から『銀の天使』の胸を貫く。
〈うあ! あ、あああ……くあああああ!〉
胸を押さえるように身をよじり、苦悶の声を上げるシェリエル。彼女の全身から、凄まじい光が溢れ出す。
「うあああ!」
「ぐ!」
至近距離でまともにその光を浴びたルシアとフェイルは、たまらず吹き飛ばされるように倒れ込んだ。
〈こ、こんなもの……うう、こんなもので、『永遠』を得た私を、殺せるとでも?〉
蒼い刀身を胸から突き出したまま、シェリエルはふらふらと身体を揺らし、それでも不敵に笑ってみせる。
「くそ! これでも駄目なのかよ!」
ルシアは床から半身を起こしながら、悔しげに叫ぶ。
「……ルシア。大丈夫よ。あなたの剣は、彼女に間違いなく届いてる」
わたしは胸を押さえたまま、彼女を見つめる。怒りに震える彼女は、頭上へと手を掲げ、その先に無数の『定めし破滅の神槍』を出現させていく。
それでもなお、わたしには、彼女はもう、『終わり』なのだということが分かった。
〈こんな世界、いらない! こんな世界、コワシテヤル! こんな世界……〉
無限とも言える数に増殖していく絶対破壊魔法の槍。わたしは、がむしゃらに力を増幅させ続ける彼女に声をかける。
「シェリエル。聞きなさい」
〈うるさい!〉
「いいから聞いて!!」
シェリエルの怒鳴り声に、わたしはそれ以上の声で応じる。すると、そんなわたしの声に何を感じたのか、彼女は呆けたようにこちらを見た。そんな彼女の胸には、『穴』が開いたままだ。大切なものを失い、生まれてしまったその空白に、彼の剣が埋め込まれている。
「あなたが誰にも理解されなかったのは……あなたのせいよ。あなたが、そうやって、他人の言葉に耳を貸さず、他人に言葉を伝えてこなかったから……だから、あなたは独りだった」
〈違う。私の言葉を理解できない奴らが悪い〉
シェリエルは胸に刺さった剣を引きぬこうともがく。でも、あの剣は抜けない。抜けるはずがない。わたしの胸に繋がる痛み。シェリエルとの『魂の繋がり』。それを通じて、彼女の胸に刺さる『魔剣』は、わたしの心に繋がっている。その繋がりは、ルシアとわたし、二人の絆。何者にも断ち切ることのできない想い。
「あなたは……『言葉』なんて使ったことが無いのよ」
〈……え?〉
「『言葉』は、誰かに自分の想いを伝えるためのもの。でも同時に、自分の想いを確かなものに変えるためのものなのよ」
心と心で通じ合う。よくそんな話を聞くけれど、そんなものは幻想もいいところだ。
そこには、いつだって『言葉』が必要なのだ。
あなたが好き。あなたと一緒にいたい。
あなたを喜ばせたい。あなたと笑い合いたい。
あなたを守りたい。あなたを愛し、あなたに愛されたい。
──大切な誰かと、絆を結びたいという想い。
『伝わる』のではなく、『伝える』ことにこそ意味がある。言葉によって『伝えたいという想い』そのものを伝えることが、伝わる想いをより確かなものにしてくれるのだから。
〈わ、私は……〉
「あなたが『言葉』を使わなかったから、リオネルはあなたの想いを知ることができなかった。それもあるかもしれない。……でもね?」
わたしは自分の胸を指差す。わたしの胸に宿る、温かな気持ち。そのいくらかでも、彼女にも感じてもらえるように、わたしはルシアのことを想う。
〈う、ああ……〉
「あなたは、自分の想いを言葉にしなかった。言葉を彼に伝えてこなかった。だから……だから、あなたは! ……自分の『想い』にすら、気付くことができなかったのよ!」
わたしは、シャルから手を離し、まっすぐに彼女に向かって歩き出す。襲いくる猛烈な【魔力】の奔流に耐えながら、それでもわたしは、この『絆』を頼りに彼女の方へと進んでいく。
〈い、いや! ……もう、いや! なんで? どうして? 私は、私は……リオネル。あの子のことが……〉
悲しみと後悔に顔を歪め、よろよろと後退するシェリエル。彼女のしてしまったことは、どうやっても取り返しのつかないことだ。だからこそ、彼女は恐ろしいのだ。理解など、したくないのだろう。
でも、それでは、あまりにもあの『少年』が浮かばれない。リオネルは憎んでも憎み切れない相手だけれど、夢に出てきたあの彼は、ただ純粋に彼女に憧れ、彼女に恋い焦がれた、一人の少年に過ぎなかった。
わたしはシェリエルの目の前まで辿り着く。すでに、わたしの身体と心にかかる負荷は、いつ気絶してもおかしくないレベルにまで達している。
「……でもね? それでも、彼は言ったでしょう? 最後にあなたの想いを知ることができて、『幸せだ』って。あなたに向けて、『言葉』で伝えてくれたでしょう?」
〈……あ〉
「最後の最後で、あなたの想いを彼も知ることができた。悔いなんて、なかったはずよ」
〈ほ、本当に?〉
恐る恐るといった表情で、シェリエルは間近に迫ったわたしの顔を見つめてくる。そんな彼女に、わたしは満面の笑みを浮かべてみせた。けれど、続く言葉にはこれ以上なく力を込める。
「ええ。なのに……あなたがこんなことを続けていてどうするのよ! 彼の想いなんて関係なく、子供みたいに八つ当たりばかりして! 彼があなたに『言葉』を伝えてくれたのに、あなたが彼の想いを理解してあげなくて、どうするのよ!」
わたしは、彼女の身体を正面から力強く抱きしめる。そうなれば当然、依然として彼女の胸から突き出た蒼い刀身は、そのままわたしの胸にも突き刺さる。
苦痛はない。ルシアの想いが、わたしを傷つけるはずはないのだから。
「……わたしの心、見えるかしら? この世界を救う唯一の存在だと言われて育ち、その重圧を分かち合ってくれる者なんているはずもなく、ずっと自分は一人なんだと信じ続けて生きてきた……愚かな女の心の内が、あなたにも見えるでしょう?」
〈…………〉
「でも、それは間違いだった。だってわたしは、一度だって誰かに向かって『助けてほしい』と伝えなかった。『理解してほしい』と伝えなかった。……でも、今はどうかしら?」
〈……うん。温かいね〉
「ええ。わたしはもう、一人じゃない。孤独じゃない。だからわたしは、わたしの心は、こんなにも温かいの」
〈……リオネル。私は……ごめん。ごめんね。どうして、今まで……〉
力無く崩れ落ちる彼女の身体を、わたしはゆっくりと床に横たえる。胸に刺さった蒼い剣は、いつの間にか消えていた。
「……終わったのか?」
彼女を見下ろすわたしの隣に、ルシアが歩み寄ってきた。
「ルシア……。ええ、そうね」
わたしたちが見守る前で、彼女の身体が輝き出す。すると、それまでどこに消えていたのか、【狂夢】の箱がわたしたちのすぐ傍に出現した。
「な、何が始まるんだ?」
「……わからないわ」
床に横たわったシェリエルの身体がふわりと宙に浮かび、そのまま蓋を開いた箱の中へと舞い降りていく。
わたしたちは箱へと近づき、その中を覗き込む。するとそこには……
「リオネル?」
恐らく、彼女が用意したという新しい『入れ物』なのだろう。銀髪のあどけない顔をした少年が、静かに目を閉じて横たわっている。そしてその横には、シェリエルの身体が寄り添うように収まっていた。
〈……リオネル。今度こそ、私たち……一緒に……〉
それは、空耳だったかもしれない。けれど、わたしは確かにそんな言葉を聞いたような気がする。【狂夢】の箱は激しい光と共に収縮していき、やがて、塵のように消滅していく。
「……《収束する世界律》と《顕現する世界律》?」
目の前で輝く光は、わたしがこれまで、どうやっても同時には使えないと諦めていた二つの【魔法】が、連鎖的に発動していることを示すものだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回が本編の最終話となります。
続いて第20章の登場人物紹介をはさんで、全10篇からなる「エピローグ 精霊少女の招待状」が始まります。