第201話 暴虐の天使/無意味なる最強
-暴虐の天使-
視界を覆うまばゆい閃光が消えた後、目を開いたワタシの前には、不思議な空間が広がっていた。
「なんだ? この気持ち悪い空間は」
ワタシの隣で、フェイルが周囲を見渡しながら言う。
足元の地面こそ石床のようだけれど、問題なのはそれまで大聖堂の壁や天井として存在していた部分だった。そもそも壁は無く、見渡す限りに灰色と黒と白が混じり合い、不気味に波打つ天井ともいえない空がある。
〈……き、気持ち悪いとは酷いわね。わたしとお姉様が必死で創った【異空間】だって言うのに〉
苦しげな声でそう言ってきたのは、ワタシの新しい『母さま』──アーシェだ。
「二人が作った空間だと? どういうことだ?」
フェイルがそう問い返すと、アーシェ母さまの姉だというファラさんが答える。
〈こうでもしなければ……、あの『魔導都市』ごと吹き飛んでいたからな。悪いが、わらわたちはこの空間の維持で手一杯だ。……アレの相手は、お主たちに任せるしかない〉
アーシェ母さまと同じく、ファラさんの声も苦しげだ。
ワタシはそこで、彼女の言う『アレ』の方へと目を向ける。そこに立つのは、一人の女性。彼女──シェリエルは、ぼろぼろの神官衣を身に纏い、銀の髪を振り乱したまま、幽鬼のように佇んでいた。
でも、一目見ればわかる。その身体に宿る力は、これまで以上に馬鹿にならない。こうして相対しているだけで、心臓をわしづかみにされているような気分だった。こんな言い方はしたくないけれど、彼女こそ、まさしく『化け物』だ。
〈……つまらないつまらないつまらないつまらない。どうして? さっきまであんなに面白かったのに、どうしてこんなにつまらないの?〉
倒れたまま動かないリオネルを見下ろしながら、シェリエルはぶつぶつとつぶやき続けている。
「おいおい……こうなると呆れるしかないよな。なんだよ、この半端じゃない威圧感は?《黒の虫》を躊躇なくぶっ放してくるシリルより怖いんじゃないか?」
言葉の通り、呆れたようにつぶやくルシア。でも、他の皆が顔を蒼白にして言葉を失っている中、そんな軽口にも似た言葉を吐けること自体、すごいことだと思う。
そこでふと、ワタシが気配を感じて隣を見ると、フェイルが小さく肩を震わせているのがわかった。
「フェイル、大丈夫?」
さすがの彼もあの化け物を前にしては、恐怖を感じずにはいられないのだろうか? しかし、ワタシのそんな心配は全く的外れなもので……
「何を言っている? 人のことを気にしている暇があったら構えろ。……来るぞ」
そう言いながらも、フェイルの顔にはわずかに笑みが浮かんでいた。どうやらルシアの言動に笑いをこらえていたらしい。やっぱり、彼ら二人はどこまで行っても『イレギュラー』だ。……でも、それこそがあの『化け物』に対する勝機になるのかもしれない。
と、ワタシがそんなことを考えた瞬間だった。
〈つまらない。何をすれば面白くなるのかな? どうしたら、この胸のモヤモヤは晴れるのかな? ……わからないわからないわからないわからない〉
シェリエルの声が聞こえた途端、周囲に暴風が再び吹き荒れる。ワタシはとっさに『歪みの結界』を展開し、皆を護る。
「く! なんて力なの……」
結界にかかるあまりの負荷に、ワタシは思わず歯を噛み締める。シェリエルはただ、意味もなく、狙いも定めず、放射状に力を垂れ流しているだけのはずなのに、周囲一帯を根こそぎ吹き飛ばしてしまいかねない威力だった。
〈で、でたらめね、こいつ。これじゃあ、どうあってもわたしとお姉様は、この【異空間】の維持を止めるわけにはいかないじゃない〉
〈自暴自棄、と言う奴かな。ふん、厄介な……〉
アーシェ母さまとファラさんの二人の話を聞く限り、この不思議な空間は二人が生み出し、維持してくれているものらしい。でなければ今頃、本当に『魔導都市』が消し飛んでいたに違いない。
「シリル、大丈夫か?」
ルシアが心配そうにシリルさんに声をかけている。彼女の顔が青ざめているのは、敵の威圧感に圧されてのものではなかったらしい。すごく具合が悪そうに見える。
「……ええ。【魔力】を使い過ぎただけよ。ごめんなさい。回復には少しかかりそうなの」
胸を押さえて息を吐くシリルさん。身に纏う薄紫の衣の背中からは、銀の翼が生えている。
「ふん……銀の魔女の『事象の遡及』が使えないとなれば、そうそう迂闊には飛び込めないか。死んでも蘇れるあの力は、『実験』には便利だったのだが……」
「え?」
隣から聞こえてきた信じられないような言葉を受け、ワタシは思わずフェイルに驚愕の目を向ける。
「アレを出し抜くには、生半可な手段では不可能だ。あと何度か繰り返せば、もうすぐ感覚を掴めるような気もするのだがな」
そんなワタシの視線を問いかけだと判断したのか、彼はそんな風に答えてくれた。でも、もちろん、ワタシが驚いたのはそんなことじゃない。
先程の言葉を聞く限り、彼は先ほどまでの戦闘の中で、『自分が死んで復活する』ことを当然のものとして戦っていたことになる。それがワタシには信じられない。いったいどういう思考回路があれば、そんな恐ろしいことが考えられるのだろうか?
一方、それまでぼんやりと立ち尽くしていたシェリエルは、ゆっくりとその顔を上げていく。
〈じゃあ、手始めに、壊しちゃおうか? ……リオネルを死なせた奴を。でも、壊すなら『順番』かな? 最初は、この人形。これは壊しちゃった。だから、次は……〉
そう言って、彼女はぞっとするほど冷たい輝きをたたえた瞳をワタシたちへと向けてきた。否、正確にはワタシたちではなく、アーシェ母さまを見ている。
〈あなたが『シュレインの守護盾』を破壊しなければ、リオネルはこんなことにはならなかった〉
シェリエルは言いながら、一歩、足を前へ踏み出す。
〈その次は……そっちの女神。あなたがリオネルの『鉄槌』を壊さなければ、この女神がリオネルの『盾』を壊すこともなかった〉
ファラさんを見つめ、つぶやくシェリエル。
〈……お前たちがここに来なければ、リオネルは死ななかった。そもそも、こんな都市が存在しなければ……、『魔族』なんていなければ……人間なんていなければ……あはは!〉
狂気に満ちた声で笑い、一歩、また一歩と歩みを進めるシェリエル。
〈あは? 少しだけ、楽しくなってきたかも。うん。ルールを決めて、順番に、ひとつずつ『壊していく遊び』をしよう。そうすれば、きっと面白くなるはずだもの……〉
そう言って、掌をアーシェ母さまへと伸ばすシェリエル。その手の先には、黄金に光り輝く優美な剣が生み出されていく。
〈瞬きひとつで消滅させてやってもいいけど、やっぱりここは、リオネルと同じく、バッサリ切り裂いてあげる〉
微細な装飾が美しい黄金の剣。シェリエルはそれを不慣れな手つきで、もてあそぶように振りかざす。するとそれだけで、空気が震え、光の奔流があらぬ方向に飛んでいく。
「おいおい……あれ、どう考えてもルシエラの『舞い降りる天使の剣』より凶悪だよな?」
「比較にならないだろうな。まともに受ければ俺たち全員骨も残らず消し飛ぶぞ」
ルシアとフェイル。似た者同士の二人は、随分と怖い軽口を叩きあっている。けれど、ワタシにはそんな余裕もない。あの一撃に耐えられるレベルまで『歪みの結界』を強化しなければならないのだ。
するとそこで、ワタシの隣に金髪の少女が進み出てくる。黒を基調とした衣装をまとった彼女──ワタシとセフィリアの大切な友だちは、ワタシに向かって力強い声をかけてくれた。
「ノラ! わたしたちも手伝う! あんな奴に負けてたまるもんですか!」
「うん……頑張ろう!」
ワタシは世界の混沌を操る力で、向こう側とこちら側の空間を歪め、その隙間に防御壁となる『断絶』を生み出していく。一方でシャルとフィリスが世界の秩序を維持する力で、ワタシが生み出した『断絶』を強化し、固定化していく。
さあ、これで、防御は万全。
──けれど、そんなワタシたちの必死の努力を、彼女はあっさりと無視してのける。
〈あは?〉
「え?」
「う、嘘……」
皆の最前面に立ち、結界を構築していたワタシとシャルは、声のした方向──自分の真後ろへと振り返る。
そこには、銀の髪をゆらゆらと揺らして立つ、おぞましくも美しい天使の後ろ姿がある。
「『断絶』を超えて、空間転移? そんな馬鹿な……」
呆けるワタシたち。シェリエルの立ち位置は、今にもワタシたちに身体が触れそうなほどの至近距離だ。攻撃を仕掛けることも距離を置くことも、選択肢としてはあるはずなのに、まったく身体が動かない。
次元が違う存在を間近にして、恐怖というより根源的な本能そのものが、動くことを拒否しているようだった。こんな存在を前にしては、何をしても無駄であり、ただ静かに嵐が過ぎゆくのを待つしかない。そんな思考ばかりが頭の中を埋め尽くしていく。
けれど──
「くそ! 二人から離れろ!」
「ノラ! 退避しろ!」
誰もが動きを止める中、ルシアとフェイルの二人だけが、シェリエルめがけて斬りかかる。
〈駄目駄目。順番は守らないと〉
ルシアの身体が不可視の衝撃波で弾き飛ばされ、《虚無化》の力でそれを回避しようとしたフェイルも、見えない何かに掴まれるようにして遠くに放り飛ばされる。
「ぐああ! くそ!」
「……ちっ! 駄目か」
悔しげな二人の声を尻目に、シェリエルは動く。背後に立つワタシたちなど気にも留めず、散歩でもするような足取りでアーシェ母さまに近づいていく。
「母さま! 逃げて!」
ワタシが叫んでも、母さまは動かない。ううん、動けないんだ。ワタシたちとは別の理由──この【異空間】を維持するために、力を使い続けているから。
〈ま、動けなくはないんだけど、逃げても無駄みたいだしね。でも、最後まで足掻かせてもらうわよ?〉
アーシェ母さまは、紅い短剣を手の中に生み出し、構えを取る。今の状態で使える力の総量を表しているかのような、短くも儚い剣だ。シェリエルの握る豪奢な黄金の長剣とは比べるべくもない。
「母さま!」
このままじゃ、アーシェ母さまが殺されてしまう。ワタシは動かない身体に鞭を撃ち、無理矢理、手の中に収束した『歪みの力』を解き放つ。隣ではシャルもまた、シェリエルへの攻撃魔法を放ってくれていた。
けれど、彼女はこちらを見向きもしない。ワタシたちの渾身の攻撃は、確かに彼女に直撃した。なのに、その姿は揺るぎもしない。痛みもかゆみも感じないかのように、微動だにしない
〈じゃあ、壊しちゃおう〉
笑って剣を頭上に掲げるシェリエル。防御する必要など感じていないのか、あまりにも隙だらけな構えだった。
〈やられてたまるもんですか!〉
黄金の剣を睨みつけ、真紅の短剣を頭上に掲げるアーシェ母さま。激しい輝きと共に振り下ろされる黄金の剣閃は、小さく紅い光を飲みこもうとする。……けれど、そのとき。
赤い光に重なるように、蒼い光が黄金の光を迎え撃つ。
〈やらせるか!〉
激流のような光の嵐が吹き荒れる中、ファラさんは蒼く輝く短剣を手に掴み、死に物狂いでシェリエルの剣を押し返している。
〈……邪魔。順番だって言っているでしょう?〉
けれど、シェリエルは余裕に満ちた声で笑う。みしみしと空間が軋むような音を響かせ、徐々に押し返されるのは、赤と青の光だった。
〈うるさい! 順番だと言うのなら、壊されるのは貴様の方だ!〉
〈あはは! 面白い面白い。……つまらないつまらない。わかった。じゃあ、あなたからに、してあげる〉
シェリエルはそう言うと、手にした黄金の剣を消し、そのまま素手でファラさんの握る蒼い短剣を掴みとる。
〈こんなにか弱いくせに、どうしてここまで抵抗できるのかと思ったら……この『剣』、自分の存在の力まで、残らず全部つぎ込んでいるんだ?〉
〈な! お姉様、なんて無茶を!〉
床に膝を着いたまま、声を震わせて叫ぶアーシェ母さま。『存在の力』を剣に注ぎ込む、だなんて非常識に程がある。言葉で言うのは簡単だけれど、『神』だからと言って誰にでもできることではない。そもそも、彼女の言うことが本当なら、ファラさんはあの『短剣』が破壊された瞬間、死ぬことになるのだ。
〈凄いね。どうしてそんなことができるの? そっちの彼女が大切だから?〉
〈当たり前だ! 千年ぶりに出会えた妹を、こんなところで殺されてたまるか〉
苦しげに顔を歪め、シェリエルを睨みつけるファラさん。
先ほどから繰り返しているワタシたちの攻撃は、依然として彼女には届いていない。
「ファラ! くそ! 何だよ、この壁みたいなものは!」
「俺の空間転移でも、越えられない壁とはな……」
駆け戻ってきたルシアたちも、どうにかファラさんを助けようと試みているけれど、見えない壁に遮られて近づくことができないでいた。
〈千年ぶり……か。うん。わたしも考えてみたら、リオネルとは八百年ぶりだったんだね。……本当に馬鹿な奴。さっさと寿命で死んでいれば、新しい身体だって、『永遠』だって、与えてやれたはずなのに……〉
それまでとはうってかわって、シェリエルの声には悲しみにも似た感情が滲んでいるようだった。けれど、それも束の間のこと。すぐに彼女は元の調子を取り戻し、蒼い刀身を握る手に、ゆっくりと力を込めていく。
〈ぐあああ!〉
苦悶の声を上げるファラさん。
〈お姉様! 駄目! やめて! お願い! お姉様!〉
アーシェ母さまは、ほとんど半狂乱になって叫び声を上げている。
〈何か最後に言い残すことはある?〉
シェリエルは楽しげな声で言う。それに反応してということではないようだけれど、ファラさんは小さくつぶやく。
〈ここで、終わりか。……すまないな、グラン。こんなことなら再会した時、もっとお前と話をしてやるべきだったな。千年間も待たせておきながら……せめて、もう一度、お前と、会いたか……った〉
そして、蒼い短剣にひびが入りかけたその時。
ワタシの視界をまばゆい光が覆い尽くした。
-無意味なる最強-
虹色の閃光。この世のあらゆる『強さ』という『強さ』をかき集め、濃縮して増幅し、でたらめに撒き散らしたかのような馬鹿げた光の乱舞。理想の女神ファラが口にした今際の言葉の直後、それは現れた。
〈え? なにこれ?〉
さすがに動揺の色を隠せないシェリエル。彼女の手は、ファラの蒼い短剣から離れていた。
〈これってまさか……〉
虹色の輝きは人の姿に集束し、と同時にその人影が鋭く繰り出した拳の一撃は、シェリエルの身体を正面から撃ち抜いていた。
〈え?〉
胸の中央に風穴を開け、周囲を激しく振動させる衝撃波と共に、彼方へと吹き飛んでいくシェリエル。
「な、なんだ? 何が起こってる?」
ルシアは不思議そうにつぶやく。状況に理解が追いついていないようだ。無論、それは俺も同じこと。そもそも新たに現れた人影の正体自体、皆目見当がつかない。
「今の転移の仕方……まさか、《転空飛翔》?」
だが、“魔王の百眼”を有するシリルには、この現象の正体がわかったらしい。そうこうしている間にも、目の前の虹色の光はその輝きを弱め、その中に立つ人影の輪郭がはっきりと見えてくる。
〈グラン! どうして、お前がここに?〉
驚きと喜びが入り混じったような叫び声を上げたのは、ファラだった。どうやら、先ほどシェリエルを吹き飛ばした新たな『化け物』の名は、グランというらしい。
〈決まっていよう、ファラ。お前を助けるためだ〉
光の加減で虹色にも見える金髪の美青年。胸を張って誇らしげに語る男の外見は、一言で言えばそんなところだ。しかし、その身体からあふれ出る力は、ヴァリスやラーズと言った『竜族』でさえ、比較にならないだろう。
単体で世界そのものに匹敵しかねない、まさに規格外の化け物と言ったところだ。
〈そ、そういうことを言っているんじゃない! どうやって、ここに来た!〉
〈それも決まっていよう。ファラ、お前の『扉』が完全に開いた以上、お前が我に会いたいと強く望めば、例えどれだけ離れていようとも、その想いは我に届く。それこそが真なる《約束の翼》なのだからな〉
〈む……そ、そうか〉
うつむき加減に言葉を返すファラ。
「何がどうなっている? 俺には全く理解できないが……」
どうやら俺以外の人間は『グラン』について、よく知っているらしい。やむを得ず、俺はちょうどすぐ傍にいたシャルに尋ねる。
「おい。あの男は何者だ?」
「え? え? あ、はい。その……」
急に問いかけられたことに驚いたのか、シャルは俺の顔を戸惑いと共に見つめた後、しどろもどろに概ねの事情を教えてくれた。
「……竜王か。だが、それにしても異常な力だな」
俺がそうつぶやくと、お節介にもシリルが解説の言葉を口にする。
「『竜族』でありながら『理想の女神』と『真名』を交わし合った結果として、竜王と呼称されるだけの存在になりえたのでしょうけど……元々がそんな状態なのに、究極の魔力増幅魔法であるところの《転空飛翔》なんて使用すれば、まあ、あんな化け物じみた力にもなるのかもしれないわね」
俺は改めて『竜王グラン』を見た。彼はファラに優しく笑いかけた後、自分が吹き飛ばしたシェリエルがいるはずの方向に目を向けている。
〈やはり、あの程度の攻撃では倒せぬか〉
〈…………あはは。ちょっとびっくりしちゃった。あなた、『竜族』? でも、お互いに憎みあっているはずの『神』と『竜族』が『つがい』になるなんて、あり得ないよね?〉
再び空間転移でもしたのだろう。遥か彼方まで吹き飛ばされたはずのシェリエルは、竜王の視線の先で、けらけらと笑いながら立っている。風穴が開いたはずの胸元のは傷ひとつなく、それどころかその上の神官衣まで元の状態に戻っていた。
〈再生したのか? ……ふん。だが、あの日の【邪神】どもとて、その程度の再生は当たり前だった。ならば我は、貴様が滅びるまで殺し続けてやるだけだ〉
みなぎる【魔力】を虹色の闘気に変えて、竜王は腕を掲げるように構えを取る。
〈あは? あなた、すごく強いのね。その気になれば、この世界だって滅ぼせてしまうんじゃない?〉
一方のシェリエルは、変わらず自然体のまま立ち尽くしている。
「よし、じゃあ、俺も援護するぜ!」
ルシアがそう言って前に進み出ようとしたが、竜王がそれに首を振る。
〈悪いがルシア。ここは我に任せてもらおう。この化け物が何者かは知らぬが、ファラに害を為そうとした時点で万死に値する。ならばここは我が、こやつに万の死をくれてやる〉
「え? いや、でも……」
なおも援護を申し出ようとするルシアに、俺はやむなく声をかけた。
「馬鹿が。考えてみろ。これだけ圧倒的な力を持つ竜王にしてみれば、傍をうろちょろするお前を死なせないようにする方が骨が折れるはずだ。つまり、足手まといなんだよ」
「な! ……く、てめえ、もうちょっと物には言い方ってものがあるだろうが!」
わざわざ忠告をしてやったと言うのに、随分な悪態をつくものだ。俺は呆れて首を振る。
「その言い方を考えたのが、竜王の先ほどの言葉だろう。お前の鈍さで状況を悪化させてどうする」
「うぐ……」
わずかに赤面して狼狽えるルシア。
まあ、馬鹿は放っておくとして、問題はシェリエルだ。恐らく現在の竜王は、間違いなく世界最強の位置に君臨する生物だ。それも歴史上最強の存在と言っても過言ではない。
それだけの力をもってすれば、あるいはシェリエルに勝てる可能性はある。というより、これで勝てなければ、『強さ』によって『天使』を打倒する術は無いということが証明されてしまうだろう。
──とはいえ、妙な胸騒ぎがしてならなかった。
〈順番は変わっちゃうけど、どうせ終わらせる世界だし、どっちでもいいや。……じゃあ、せっかくだから、『肉弾戦』で相手をしてあげる〉
言うや否や、シェリエルの姿は何の前触れもなく消滅し、次の瞬間には竜王の背後に出現している。
〈不意打ちなど、我には効かぬ〉
〈え!?〉
しかし、竜王はその出現と同時、身体をねじりながら凄まじい【魔力】を込めた裏拳を背後に向かって撃ち放っていた。その一撃は寸分たがわずシェリエルの胴体に直撃し、彼女はその身体をひしゃげさせながら吹き飛んでいく。
とっさにノラが『歪みの結界』を張ってくれていなければ、周囲にいた俺たちも攻撃の余波だけで吹き飛ばされてしまっただろうほどの威力だ。
「少し離れた方がよさそうね」
「あ、ああ……。凄いな、あれは」
シリルの言葉に従い、俺たちはノラとシャルが用意した結界に隠れながら二人の化け物の戦いを見守った。
〈どうした! もうおしまいか?〉
竜王は残像が見えるほどの速さで、再び出現したシェリエルに肉薄する。敵の出現位置をあらかじめ読んでいるかのような、迷いのない動きだった。
〈ふん。まあ、奴の“超感覚”はわらわの“神性”で理想化されておるからな。ほとんど予知にも近いレベルの感覚なのだろう〉
この場の人間の疑問を感じとったのか、ファラは聞かれもしない質問に答えてきた。
〈あは! もう少し、肉体強度の『設定』を上げてみようかな?〉
意味の分からない言葉を吐くシェリエル。しかし、その直後のことだった。竜王が虹色の【魔力】を込めて放った拳が、『天使』の華奢な掌によってあっさりと受け止められていた。そして、有り余る破壊の力は、止められた分だけ凄まじい余波となって周囲に広がっていく。
「うう!」
シャルとノラの結界が悲鳴を上げるように軋んでいた。
〈あは? あはははは!〉
シェリエルは蹴り足を繰り出す。武術を知らない人間がやるような、腰の入っていない無様な蹴りだ。
〈ぐお!?〉
軽く触れたようにしか見えない一撃に、竜王は苦悶の声を上げて大きくよろける。
〈ぐ……! おのれ!〉
竜王は、怯んだように大きく後ろへと飛びさがる。すると、シェリエルは案の定、両手を掲げて竜王に追いすがる。だが、完全に間合いが詰まるよりも速く……
《凱歌双龍砲》!
竜王が真っ直ぐ突き出した両腕──その掌から凶悪な力の奔流が溢れ出す。その威力は、どう控えめに見ても『ラグナ・メギドス』の《解放の角笛》を軽く凌駕するだろう。しかも、この場合、それが二発同時なのだ。そんなものをほぼ零距離で喰らい、それでも原形をとどめておける存在など、皆無のはずだった。
当然、間合いに自ら飛び込んだシェリエルには、回避するタイミングなどあろうはずもない。そのまま虹色の閃光の中に飲み込まれていく。
〈あはは! すごい力!〉
間の抜けた声と共に、光の中に姿を消したシェリエル。しかし、その直後には再び竜王が駆けだしている。敵の出現予測地点へと駆け寄っているのだろう。
〈あは?〉
振り抜いた拳は、再び出現したシェリエルの胴体を撃ち貫いていた。しかし、その顔を驚愕に染めたのは、彼女ではなく竜王の方だ。
〈な、なんだと……?〉
〈これはちょっと反則だったかな?〉
竜王の身体は、血濡れた腕によって刺し貫かれている。世界でも最強の防御力を誇るだろう虹色の竜鱗を、薄紙でも破るようにあっさりと『背中から』胸へと貫通する細い腕。その持ち主は、『シェリエル』だった。
〈ぐあああああ!〉
竜王は苦悶の声を上げつつ、目の前のシェリエルの身体から腕を引き抜き蹴り飛ばし、背後の『シェリエル』の腕を掴んで自らの身体から引き抜いた。そのまま爆発的な加速で『二人』から距離を置く竜王。
吹き出す血は、竜王の驚異的な再生能力により、瞬く間に止まっていく。それでもダメージそのものは避けられないらしく、顔を苦しげに歪めたまま、シェリエルを睨みつけた。
〈囮とはな……してやられた〉
〈囮? 何を言っているのかな?〉
シェリエルは不思議そうに首を傾げる。
〈決まっている、そっちの分身の……な、なに?〉
途中まで言いかけて、竜王は驚きに目を見開く。
〈分身? ああ、違う違う。これは同じく『私』だよ〉
先ほど胸を貫かれていた『シェリエル』は、もう一人と全く同じ仕草、同じ声で同じ言葉を口にしている。
〈……だが、二人になったところで、先ほどのような不意打ちは通じない以上、我は負けぬ〉
再び虹色の闘気を爆発させ、構えを取る竜王。
どうやらこのまま引き続き、雲の上の戦いとも言うべき超越者同士の戦闘が再開されそうだ。しかし、俺も含めたこの場の全員がそう思った、その時だった。
〈ん? もしかして、今まで一対一なら『互角以上』に戦えてたとでも、思ってるの?〉
シェリエルは笑いながら分身を消し、あっさりと自らの数的優位を放棄する。
〈あなたの勘違いを正してあげる。実は……さっきから私、一度も『再生』なんてしていないんだ〉
〈……どういう意味だ〉
〈うん。だって、さっきまでのあなたの攻撃は、この身体に宿る魂に、傷ひとつ付けらていないもの。あなたの攻撃なんて、どれひとつとして、『通って』なんかいないのよ〉
〈馬鹿な! 我の|《虹気竜装》(エターナル・ダイヴ)の力は、実体・幽体に関係なく作用するはずだ!〉
意味がつかみにくいシェリエルの言葉に、声を張り上げる竜王。しかし、それに対し、シェリエルは呆れたように首を振る。
〈もう、わかんないかな? つまり、あなたの攻撃は、私の『服を破る』くらいの効果しかないってことなの。女の服を破って喜ぶなんて、あなたって実は変態なんじゃない?〉
〈そんな……馬鹿な……〉
おどけて笑うシェリエルに、絶句する竜王。
どうやら、『世界最強』、『史上最強』程度では、シェリエルには届かないらしい。
ならば俺が為すべきことは、ひとつだけだろう。つまり、竜王に時間を稼がせている間に、先ほどから繰り返している『実験』を成功させる。
俺の刃を奴に突き立てる、その時を狙いすまして……。