第200話 万全には程遠く/されど最善の結果を求め
-万全には程遠く-
飛行型の『幻獣』の背に乗り、空へと上がっていくノエル。無茶ともいえる化け物との“共鳴”により、身体の一部を異形へと変えた彼女は、散歩にでも行ってくるような気軽さで僕らに向かって手を振っている。
とはいえ、『クロスクロスクロス』の体内で生態系に影響を与える振る舞いをするためには、やはり彼女一人では足りないらしい。彼女の指揮下にある『幻獣』たちの一部は、彼女と行動を共にしている。
「……やっぱり、身体が複数ある感覚なんてわからないものですね」
これから捨て身の特攻に向かうとは到底思えないような彼女の仕草に、僕は呆れながらエイミアさんに呼びかける。
「ああ、そうだな……」
なんだか、エイミアさんは浮かない顔だ。
「どうかしましたか?」
「いや、わからない。ただ、何かが引っ掛かるんだ」
僕はそんな彼女の様子をいぶかしくは思ったものの、それ以上彼女も何かを言うつもりはないらしく、黙って上空を見上げている。
僕らの視界には、『魔導都市』の空を赤と青に染め上げながら、『クロスクロスクロス』の巨体に何度も大穴を開け続けている青竜ラーズとレイフィアの姿も見えた。
「そらそら、次はあっちの腕を二本ばっかしまとめて吹き飛ばしちゃおうよ!」
「承知! いくぞ!」
魔導都市に暗い影を落とす超大型モンスター『クロスクロスクロス』は、既に満身創痍ともいうべき状態だった。六本あった腕は既に三本が消し飛ばされており、胴体に開いた風穴も依然として塞がりきってはいない。十枚羽根の一部が喪失したことで、バランスを保てなくなっているらしく、ふらふらと飛びながら時折高層の建物に足をぶつけている。
だが、それでもあの化け物を倒しきるのは困難だ。ダメージは大きいとは言え、それも徐々に回復されてきているし、そもそもラーズとレイフィアの戦いぶりは、明らかに飛ばし過ぎだ。
「……とはいえ、あれくらいのペースで攻撃しなければ、回復の方が速いんだろうな」
自分たちの無力さに歯噛みしたくなる思いだ。
エイミアさんは『幻獣』を操るノエルがいなくなったことで、『クロスクロスクロス』の体内から溢れる化け物の群れの殲滅を代わりに引き受けており、そんなエイミアさんの護衛としてこの場に残る僕もまた、黙ってノエルが死地に向かうのを見つめるしかない。
「いくら替えの身体があるからと言って、苦しいことは変わりないでしょうに……」
僕は“共鳴”の最中、ノエルが浮かべていた苦悶の表情を想い出しながらつぶやく。すると、その時だった。
「それだ!」
「え? エイミアさん?」
「くそ! あいつめ! なんて馬鹿な真似を!」
いきなり激昂するように叫び出したエイミアさんを、僕は呆気にとられて見つめてしまう。するとエイミアさんは僕の腕を掴み、今にも『クロスクロスクロス』に接触しようかというノエルを乗せた『幻獣』を指差した。
「彼女には、もう替えの身体なんて無いんだ! あれは……苦悶の表情なんかじゃない。別れを惜しむ……悲しみの表情だ。あの時、アベルが見せたものと同じ……」
そこまで言って、エイミアさんは声を詰まらせる。
「ま、まさか……ノエル! 聞こえるか?」
僕は慌てて『風糸の指輪』に呼びかける。
〈ああ、ちょうど良かった。その声の調子だと、ばれちゃったみたいだね〉
「な、じゃあ、やっぱり!?」
〈うん。さすがに『身体』を使いすぎたよ。実はさ、クルヴェド王国で胸を貫かれた身体もかなり限界が来ていたんだよね。だから、こっそり最後の身体に意識を移してあったんだ〉
「じゃあ、なんでスペアがあるだなんて、嘘を!」
〈……こんなこともあろうかと思って、さ。知っているだろう? 僕の万全主義を〉
彼女はこともなげに笑う。すると、僕に変わってエイミアさんが声を張り上げた。
「ふざけるな! そんなもののどこが『万全』だ! お前が死んだら、シリルが悲しむ! シリルだけじゃない。お前を大切に思うものみんなが、心に深い傷を負うことになるんだぞ! くそ! いますぐ撃ち落としてやる!」
「駄目です、エイミアさん! それこそ死んじゃいますよ!」
〈あはは。うん。でも、大丈夫だよ。シリルには皆がいる。悲しみもいつかは癒える。……他に手は無いんだ。もうこの『魔導都市』は限界が近い。構造体そのものにも深刻なダメージがあるみたいだし、一刻も早くこいつを倒さないと、皆死ぬ〉
「黙れ! 他にも方法はあるはずだ! 諦めるな! お前がこんな形で死んだら、シリルになんて言えばいい!」
〈うん。それは本当にごめん……〉
ノエルのつぶやきが小さくなっていく。彼女と共にある『幻獣』たちは、既に『クロスクロスクロス』の表皮に接触しており、恐らくノエルも同じだろう。
〈う、く……。このまま、内部に入って、こいつの、生態系を崩壊させる〉
「待て! やめろ! くそ! どうにか、どうにかならないのか!」
〈もう手遅れだよ。そもそも“共鳴”を終えた時点で、この身体は『致命傷』を負っているんだ〉
絶望的な言葉を口にするノエル。僕はそれを聞いて、身体の震えが止まらなくなる。そして、そのまま感情に任せて叫んだ。
「ふ、ふざけるな! そんな、そんな! 君は僕に、君を殺させたのか? よくもそんなことを!」
〈ごめん、本当にごめん。僕のわがままで、君たちに酷い心の傷を残してしまった〉
本当に酷い話だ。僕は憤りを隠せない。自己満足の自己犠牲で大切な人間に死なれ、深い悲しみの底で苦しんでいたエイミアさんという実例を知る僕にとって、彼女のしたことはどうしたって許せるものではない。
〈ぐ、くう……〉
苦しげに呻くノエル。その声に、無力感ばかりが増していく。
〈ねえ、わがままついでに……お願いしてもいいかな?〉
「………」
〈シリルに……伝えてほしいんだ。僕は……君に出会えて、幸せだったって……。可愛い妹の姉でいられて、僕の人生は……ふふ、まさにバラ色だったってね〉
「そんなことは自分の口で言え!」
〈はは……。手厳しいね。……なんだか、目の前の色もわからなくなってきたな。うん。そろそろ取りかからなくちゃ。生態系に入り込んだ『自滅プログラム』を持った因子としての、僕の『最後』の役割にね〉
「ノエル! ノエル!」
「くそ! 返事をしろ! おい!」
〈ありがとう……さようなら〉
そんな言葉を最後に、ノエルの声は途絶えてしまった。
そして、それから間を置くこともなく、『クロスクロスクロス』の巨体に変化が起こる。ラーズとレイフィアによって穿たれた傷跡の再生が停止し、周囲に溢れていた化け物たちまで苦悶の声を上げて苦しみ始めたのだ。
〈ほえ? なになに? もしかして、あたしたちの攻撃に耐えきれなくなってきたのかな?〉
〈ハハハ! 間違いあるまい! 我ら二人にかかれば、どんな化け物だろうとこの様だ!〉
二人は恐らく、戦いに夢中でこちらの通信を聞いていなかったのだろう。能天気なそんなやり取りに、なおさら胸が痛くなってきてしまう。
崩壊していく化け物の姿は、すなわち、ノエルが自分の役割を果たしきったということを意味する。彼女は、文字どおり身体を張って自分の家族や仲間たちがいるこの『魔導都市』を救ったのだ。
でも、残された者たちのいったい誰が、それを喜ぶというのだろうか?
「くそ! 馬鹿が! もう、あんなことはたくさんなのに……」
肩を震わせて唇をかみしめるエイミアさん。僕はただ、黙ってその身体を抱き寄せた。
「エリオット……。お前は悪くないからな。気付かなかったわたしが悪い」
「……いいえ、エイミアさん。悪いのは、彼女です。残されたものの悲しみを思えば、彼女の採った手段は決して『万全』なんかじゃありません。どころか、最善ですらないでしょう」
「ああ、そうだな……」
そのとき、突如として凄まじい爆発音が響き、『魔導都市』の地面がぐらぐらと大きく揺れ始めた。
「な、なんだ?」
「おーい! 二人とも! 大変だよ! 大聖堂の方でとんでもない爆発が起きてる!」
ラーズに乗って上空から降りてくるレイフィアの声に、僕らはノエルを失った悲しみの余韻に浸る暇もないまま、事態がますます悪化していることを思い知らされるのだった。
──僕たちはラーズの背に乗せてもらい、爆発が起きたという『大聖堂』へと向かうことにした。敵の残党はノエルが最後に残した『幻獣』たちに加え、『ファルーク』や『リュダイン』が駆逐してくれているため、街の安全は確保されたと言っていい。
「……ふうん。ノエルがね。まったく、どうしてそんな馬鹿な真似をするかな?」
〈我は悔しい……。もっと我に力があれば、みすみすノエル殿を死なせることなどなかったというのに……〉
僕たちからノエルの訃報を聞かされたレイフィアとラーズは、片や苛立ち混じりの口調で、片や悔しげに声を震わせながら、それぞれの言葉を口にした。
「……ノエルのためにも、この戦いは何としても勝たないとな」
「ええ」
ようやく気を落ち着けたエイミアさんの力強い言葉に、僕は安堵と共に頷きを返す。今のところ、爆発のあった方向には変わった様子は見えない。
しかし、よく考えてみれば、それがおかしい。
〈なんだ? あれは……〉
『大聖堂』の建物は尖塔も多く、この都市の建造物群の中では比較的背の高い方だ。だというのに、それまで『何も』見えなかったこと自体、普通ではあり得ないのだ。
「……うひゃあ、建物が消し飛んでる?」
呆れたように言うレイフィア。そう、僕らが見下ろした場所には、文字どおり何もなかった。本来なら荘厳な造りの門構えから始まり、緑豊かな庭園や複数の礼拝堂、レリーフの彫られた大小の塔、そして何より中央に鎮座する巨大な本堂といったものが、何一つ残っていない。
綺麗に地ならしがされたかのように瓦礫ひとつない地面には、動くものなど何もなかった。
「い、いったいこれは……」
「皆はどこに行ったんだ?」
あまりの光景に言葉もない。ある意味、絶望的とも言えなくもないが、逆にここまで非現実的な光景だと、まともに爆発に巻き込まれたとも考えにくいと思えてしまう。
「ちょっと、ラーズ? 何をぼさっとしてんの?」
〈む? な、何がだ?〉
「ほら、“超感覚”ってのがあるんでしょうが! 皆がどこに行ったか、とっと探しなさいっての!」
〈あ! そ、そうであった……すまぬ〉
早くも『竜族』の相棒を尻に敷き始めたレイフィアには驚かされるけれど、確かに今はそれが先決だった。
〈……む〉
「どう?」
〈地下に気配がある。恐らくは……ヴァリスの兄者たちだ〉
ラーズの言葉に、僕たちはようやく安堵の息を吐く。
「よかった! じゃあ、みんな生きているんだね?」
僕がそう言うと、ラーズが首を傾げる気配を見せた。
〈全員の気配が確認できるわけではないが……いずれにしても降りてみるか?〉
「ああ、そうしよう」
僕たちを乗せたラーズは、周囲を警戒しながら、ゆっくりと地上へと舞い降りていく。
-されど最善の結果を求め-
どうやら向こうも、こちらの気配を察知していたらしい。
わたしたちが地上に降りると、それに合わせるかのように地面の一部が吹き飛び、中からヴァリスとアリシア、レミルとレイミと言った面々が姿を現す。
〈おお! 兄者、無事だったのか!〉
「ああ、ラーズ。お前も無事で何よりだ……」
ヴァリスは安堵の息をつきながらも、その声には複雑な感情が滲んでいる。わたしたちは素早く情報交換を済ませたが、地下にいたヴァリスたちには、地上で何が起きたかはわからないらしい。
「……そうか。ノエルがな」
「う、嘘……そんなの、嘘だよ! うう……」
泣きじゃくるアリシアを抱き寄せるように慰めるヴァリス。アリシアには隠し事ができないことから話はしたが、この分では仮にシリルに合流できたとしても、すべてのことが終わるまで、この件は伏せておいた方がよさそうだ。
そこでわたしは、ちらりともう一人の人物に視線を送る。
「どうかしましたか? エイミアさん」
その人物──レイミは、不思議そうに首を傾げて問いかけてくる。
「い、いや……こんな言い方はしたくないが……君だってノエルとは親しいだろうに、随分と落ち着いているものだと思ってな」
それが不思議だった。彼女とノエルの間には、余人には立ち入りがたい不思議な絆があるものと思っていたのに、彼女はまるで平然としているのだ。衝撃を受けた様子もなく、悲しむでもなく、下手をすればわずかに微笑んでいるようでさえある。
「うふふ……彼女のことは、わたしが一番よく知っていますからね。彼女は『満足』だったはずですよ。信頼できる仲間に後を託し、自分の大切なものを命を賭けて守り通したんですからね」
「……ふん。死なれる側の気持ちぐらい、考えてもらいたいものだがな」
わたしは思わず、荒々しい口調で吐き捨てる。どう考えても、彼女のやり口は許しがたい。
「うふふ、彼女のためにそんなに怒っていただいて、ありがとうございます。……まあ、確かに彼女は満足だったのかもしれませんが……。とはいえ、わたしはそんなくだらない『自己満足』を、彼女に許すつもりはありませんけどね?」
「む? どういう意味だ?」
わたしはそう問い返すが、レイミは意味ありげに微笑むだけで、それ以上は何も言ってはこなかった。
「ところでどうすんのさ? シリルたちはどこに行ったの? どう考えてもこれ、滅茶苦茶やばい状況だと思うんだけど……ねえ、ラーズ。ほんとにあんたの“超感覚”でも見つからないの?」
〈い、いや……かなりの範囲にまで知覚を広げているはずなのだが、まったく気配が感じ取れないのだ〉
「……はあ。まったく使えないわねえ」
げしげしと『竜杖』の頭で青竜の頭を叩くレイフィア。どんな度胸なのだと言いたくなるが、当のラーズは恐縮したようにますます首を縮こまらせていく。
〈うう、すまん〉
一方、そんな彼らのやり取りを見て、アリシアが目を丸くして固まっている。さらにヴァリスはと言えば……
「……ラーズ。いったい何を血迷ったのだ。人間と絆を結ぶことはともかく、よりにもよってその相手がレイフィアだとは……それこそ全人類を候補に入れたとしてなお、一番最後の選択肢であろうに……まるで正気の沙汰とは思えん」
ぶつぶつとつぶやきながら、頭を抱えて呻いていた。
「あ、あはは……相手が『竜族』でも関係なく虐めちゃうんだ? すごいなあ、レイフィアって」
引きつった笑みで笑うアリシア。
「“超感覚”でも見つからないってことは、どんな可能性が考えられますかね?」
エリオットが問いかけた相手は、レイミだ。
「そうですねえ。最悪の可能性を除けば……考えられるのは『隔てられた空間』にいる場合でしょうか。『竜族』の“超感覚”も空間操作には弱いわけですし、可能性はありますよ」
「なるほど。でも、その場合、僕らはどうやって皆に合流すればいいんでしょう?」
「……難しいですね。そこまで隔絶した空間に干渉可能な方策なんて、そうそうありませんし……」
難しい顔で考え込むように顎に手を当てるレイミ。そんな仕草は、どこかノエルを想像させるものがある。やがて、彼女はおもむろに顔を上げた。
「ただ、この『大聖堂』がここまで粉々に吹き飛ばされておきながら、『魔導都市』……いえ、この【異空間】が無事だということは、ここの地下にソレがあるかのもしれません。探してみる価値はあると思いますよ」
「ソレって?」
アリシアの問いかけに、レイミはにっこりと笑って返す。
「はい。ハイアークの残した【神機】──空間創造兵器『エデン・アルゴス』の本体です。あれは確か神官長が管理しているはずですから、ここにあってもおかしくはありません」
──それから、わたしたちはヴァリスとラーズの“超感覚”に頼りつつ、ヴァリスたちが出てきた地下とは異なる地下室を探しだした。地面の土砂をどかせば、そこには地下に向かって螺旋状に伸びる階段がある。
「よし、行くぞ」
ヴァリスを先頭に螺旋階段を降りようとするわたしたち。だがここで、最後尾にいたレイフィアから声がかけられる。
「ちょっと待って? これだとラーズが入れなくない?」
「仕方が無かろう。目的のものを見つけ出したら戻ってくるつもりだ。それまでそこで待っていてもらうしかあるまい」
〈すまない。我は情けない。……肝心な時に役に立てないことばかりだ〉
ヴァリスの言葉に、落ち込んだ声を出すラーズ。若干言動が人間じみてきているのは、レイフィアとの『真名』の交換の影響だろうか? いや、元々彼はこういう性格だったか。しかし、ここで意外にもレイフィアが言う。
「仕方ないなあ。じゃあ、あたしもここでラーズと一緒に待ってるわ。どうせ地下には大した敵もいないんでしょ?」
〈し、しかし、レイフィア……いいのか?〉
彼女の思わぬ申し出に、ラーズが狼狽えたように問いかける。すると再び、げしげしと彼の頭を『竜杖』で叩く音がする。
「あのねえ? 大の男がいつまでも、ぐじぐじうじうじしてんじゃないの。そんなんじゃ、肝心の戦いのとき、役に立たないでしょうが」
〈そ、それは……すまん〉
「あんたはここで、皆が戻ってくるまで、あたしのお説教を聞くの! いい?」
これが彼女なりの慰め方なのかもしれないが、相変わらず素直じゃないな。
〈う、うむ! わかった! 我の性根を叩き直してくれるのだな?〉
「へ? あ、ああ、そういうことになるかな?」
感心したような目で見上げられたレイフィアは、逆に戸惑い気味の声で答えている。ちなみに、ラーズの方が身体は大きいはずだが、先ほどから彼は『レイフィアに頭を殴ってもらう』ために、地面に顎を押し付けんばかりに首を下げているのだった。
「あはは! 仲が良くていいねえ、レイフィア?」
「仲が良い? 何言ってんの? 『ともだち』なんだからあったりまえじゃん」
アリシアのからかいにも動じた様子がないレイフィアだが、そんな彼女の背中を見つめるラーズの熱い視線に、ヴァリスはますます困惑した顔で首を振る。
「……そうか。ラーズ。あえて茨の道を選んだか」
いや、決してそういう意図ではないと思うが、ヴァリスはそうやって自らを無理矢理納得させたようだ。
そんなやりとりを経て、再びわたしたちは二人を地上に残し、螺旋階段を下り始める。
「シリルちゃんたち……無事でいてくれるといいけど……」
「心配するな、アリシア。皆、きっと無事に決まっているとも」
「うん……」
先頭を歩く二人の背中をぼんやりと見つめ、わたしは考えてしまう。これまで、わたしたちは誰一人欠けることなくここまで来た。けれど、エリオットが死にかけた一件でもわかるとおり、それはほとんど奇跡のようなものだったのだ。
世界の命運のためと言って、一般の人間からは想像を絶する危地に身を置くわたしたちは、今後も同じように全員で笑って明日を迎えることができるだろうか?
わたしたちにとっての『家』ともいうべきあの船、『アリア・ノルン』の主だった女性を失い、わたしはその危うさを実感をもって再認識してしまった。
怖い。今さらとは思うが、それが何より怖かった。けれど、わたしが内心でそんな思いに身を震わせていると、その肩にそっと優しく手をかけられる。
「エイミアさん。泣いても笑っても、きっとこれが最後です。ですから、ここを乗り切ればすべてが終わります。あとひと踏ん張り、頑張りましょう」
「エリオット……」
まるでわたしの不安を読んだかのような言葉に、驚いて彼の顔を見上げてしまうわたし。しかし、視線を巡らせば、アリシアがちらちらとこちらを見ていることに気付いた。そこでわたしは、改めてエリオットを見る。すると彼は、どこか気恥ずかしげに頬を掻いていた。
どうやらアリシアが、『風糸の指輪』でこっそりわたしの胸中の不安を彼に伝えていたらしい。
「……あはは。不安なのは皆同じだもんね。でも、だからこそ、力を合わせて頑張ろうね」
「ああ! そうだな」
わたしは声に力を込めてアリシアに頷きを返す。
石造りの螺旋階段を下りた先は、一転して『魔族』の施設にありがちな発光する天井と継ぎ目が無く滑らかな健在でできた床や壁に囲まれた空間があった。廊下と言うほど長い距離を歩くこともないままに、わたしたちはすぐに一枚の大きな扉の前へと行き当たる。
「いかにもって感じの場所ですねえ。でも、この向こうに『エデン・アルゴス』があるとすれば、この扉もそう簡単には開かないでしょうし……奥にも何らかのガーディアンがいるかもしれませ……って、え?」
レイミが扉を見上げながら言葉を続けていたその時、すぐ傍にいたヴァリスの姿がかすむように消えてしまった。
《竜影閃光》
眼で追いきれないほどの凄まじい速度は、そのまま威力に変換されて扉へと叩きつけられる。轟音と共に吹き飛ぶ扉。しかし、それでもなお、ヴァリスの動きは止まらない。
案の定、待ち受けていた生ける屍のような神官たちは、手にした鉤爪のようなものを掲げ、一斉にこちらを見た。だが、その直後には、光速移動するヴァリスの残像に次々と吹き飛ばされ、打ち砕かれて倒れ伏していく。
「め、滅茶苦茶だな……」
呆気にとられたように言うエリオット。
「そう言えばエリオット。君は以前、彼と武芸大会で引き分けたそうだが……」
「……それ以上は言わないでください。あれはいくらなんでも規格外すぎますよ」
エリオットは情けない顔で首を振る。まあ、確かにわたしの言い方も意地悪だったかもしれないな。あんな速度で動ける生き物がこの世にいるなど、到底信じがたい話だ。
などと言っている間に、広間の敵は一掃される。残された広大な空間には、ヴァリスの他、中央で鈍く輝く宝玉の置かれた祭壇のみが目についた。