表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第20章 伝わる想いと伝える言葉
254/270

第198話 特別なメイドさん/魔血結晶

     -特別なメイドさん-


 薄暗い地下道には、ほのかな明かりが壁面に取り付けられている。不思議なことに、それは『魔族』の一般的な照明のように、壁面や天井そのものが発光するタイプのものではなく、人間の使う【魔法具】のような形のものだった。


「随分と旧式の照明ですねえ。それだけこの地下道が年季の入った場所なんでしょうけど」


 手にした黒鞭を弄びながら、どこか楽しげな声を出すレイミさん。彼女の正体を知った今でも、その心の内は相変わらず見えてこない。


「アリシアさん、どうしましたか?」


「え? ううん。その、レイミさんて、不思議だなって思って……」


「うふふ! そうでしょうそうでしょう。わたしはやっぱり、ミステリアスで秘密の多い、メイドさんなんですから!」


「あはは……」


 嬉しそうに胸を揺すって笑う彼女に、あたしも乾いた笑いを返すしかない。暗く長い通路の中に、あたしたちの声が小さく反響した。

 今にも化け物が出てきそうなジメジメとした空気に、思わず気分が滅入ってしまいそうだけれど、前を行くヴァリスは周囲を警戒しながら力強く歩を進めている。


「こんな時だからではありませんけど……少しだけ、お話ししながら行きましょうか」


 そんな風に語りかけてきたレイミさんの声には、いつもと違う真剣な響きがあった。


「レイミさん?」


「わたしは『生まれた』あと、しばらくして自分の存在が他とは違うことに気付きました。わたしには、ノエルのように両親がいない。わたしの元になった彼女には、自分の『起源』が存在するのに、わたしにはソレがない。そのことに気付いた時、わたしが何を考えたと思います?」


「……わからないよ」


 あたしは、正直にそう答えた。彼女が同情や慰めの言葉を求めて話しているのではないということくらい、『見え』なくても『見れば』わかったからだ。


「わたしは『生まれた命』ではない。わたしは『造られた道具』なのだ。わたしが死んで悲しむ者なんていないし、わたしなんて、いくらでも取り換えの利くモノでしかない……」


「…………」


「うふふ、そんな言葉を口にしたら、ノエルに思いっきり叱られちゃいました。『自分が道具だなんて、悲しいことを言うな。君も僕と変わらない。喜びも怒りも、哀しみも楽しみも……想い、感じる。生きてここにいる特別な命なんだ』って」


 あたしには、どうして今、彼女がこんなことを言い出したのかはわからない。けれど、これはとても重要な話なんだと思う。


「だから、わたしは決めたんです。自分がどんな形で生まれたのであろうと……今ここに、こうして生きている自分を否定してはいけない。思うがままに、我が儘に、自分らしく、特別に、生きていこうと」


 ──わたしは複製と言うより、『特別製』なんです。


 彼女はかつて、そんな言葉を口にした。

 考えてみれば、ことあるごとに彼女は、自分を『特別なメイドさん』だと言って、普通のメイドらしからぬ振る舞いを続けてきた。能天気にも見える彼女の行動の背景に、まさかそんな思いがあっただなんて……。

 

「うふふふ! それからの人生はバラ色でしたよ? 欲望のまま、可愛いオトコノコやオンナノコを相手に、あんなことやこんなことを……。ぐふふふ……」


 気持ち悪い声で笑いながら、涙ではなく涎をぬぐう仕草をして見せるメイドさん。


「……うあああ! もう! 人が感動している傍から、どうしてそうなるの?」


 あたしは頭を抱えて叫ぶ。こんな緊迫した状況での話だから、絶対重要なものだと思ったのに。前を行くヴァリスだって無言のままだけど、絶対呆れているはず。


 と思っていたら……あれ? 既に《転空飛翔エンゲージ・ウイング》を使用済みのあたしたちは、互いの心が読み取れる。だから、ヴァリスの背中を見れば、彼の想いが感じ取れるのだけれど……


「あの哀れな人形にも、聞かせてやりたい話だな」


「……うふふ! はいな! あの複製人形さんには、教えてあげなくちゃいけないと思いますよ。自分の人生を生きるということの意味を」


「……ああ。そうだな。そのとおりだ」


 なんだか、二人だけで通じ合っているような会話だった。ヴァリスは生真面目だから、彼女の話を真剣に受け止めたのだろうけど、対するレイミさんの態度は、なぜかこれまた真面目なものに戻っている。


「……な、なによ。二人して……」


 拗ねたようにそう言うと、ヴァリスがこちらを振り返り、あたしに微笑を向けてくる。


「……さあ、ここからが正念場だ。気を引き締めていくぞ」


 そう言って、あたしの肩を叩いた。……あたしがやきもちを焼いていることがわかっているくせに、彼はあえて、それに触れようとしてこない。


「いじわる……」


 あたしのそんな言葉にも、彼は楽しげに笑みを深くするだけだ。……心が通じ合い過ぎる状態も、良し悪しなのかもしれない。


「うふふ、仲が良くて羨ましいですう。どうです? 一度、わたしも混ぜていただけませんか?」


 からかうような彼女の言葉に耳を塞ぎ、あたしは肩に置かれたヴァリスの手を邪険に振り払うと、大きくため息を吐いたのだった。


──地の底まで続くかのような長い通路も、やがては終着点に辿り着く。


 押し開いた扉の先に見えるものは、広大な空間に整然と並ぶ、墓標の数々。


「地下墓地……か?」


 ヴァリスのつぶやき。すると、それまで薄暗かった空間を明るい光が照らしだす。


「……ここは墓地ではない。身体は死せども、信仰は死なず。ゆえにここは、忠義の騎士たちの安息所。我ら『騎士団』の住まう『聖堂』なり」


 頭上に輝く光の球。それは、よく見れば巨大なシャンデリアだった。足元の地面こそ土のようだけれど、部屋に居並ぶ調度品や壁面の飾りなどを見る限り、ここは確かに『聖堂』と呼ぶべき室内なのかもしれない。


「隠れていないで姿を見せろ!」


 ヴァリスが鋭く叫ぶ。


「急くな。姿なら、もう見せている」


 その声は、はるか向こうの壁際から聞こえてきた。目を凝らしてみれば、そこには一人の人影がある。壁に寄りかかり、腕を組んだその人影は、微動だにしないままに言葉を続ける。


「汝らには、我らが信仰を見せてやる。主のために生まれ、主のために戦い、主のために死に、主のために蘇る。我が信仰は死なず、我が魂は不滅なり。……さあ、我が騎士たちよ。目覚めよ!」


 号令と共に、バタバタという連続した音が響く。それは、敷地全体に無数に屹立する墓標──そのすべてが一斉に倒れた音だった。倒れた墓標の下からは、無数の腕が突き出ている。それは大地に手を着くように折り曲げられ、そのまま己の身体を地上へと引き摺り上げる。


 その姿は、『騎士』のものではなかった。


「……あれって、神官?」


 あの姿は、見たことがある。かつてリオネルとの取引に訪れた時、あたしたちを案内してくれた彼らだ。狂熱的なリオネルへの信仰心を抱く彼らのことを、あたしは心の底から不気味に思ったものだった。


 彼らの青白い顔には、何の表情も浮かんでいない。外見だけを見れば、老若男女さまざまな『魔族』たちだ。……けれど、生きながらにして死んでいるような、そんな姿でもある。


 彼らが騎士団だなんて……どういうことなのだろう?

 すると、あたしのそんな疑問に答えるように、奥に佇む人影が言葉を発する。


「信仰の心を強く抱いたまま、『魔族』としての生を終えた者たち。選ばれし信徒たちのみが死後、ここに安置される。我が主に捧げられし、彼らの『信仰心』こそが、不死にして不滅の騎士そのもの」


 彼らの身体を包む神官衣が、その形を大きく変えていく。柔らかい布地が固い金属へと変化し、金の装飾が入った荘厳な純白の鎧に変わる。倒れた墓標は槍へと変わり、彼らの手に武器として収まる。


「く! アリシア! 障壁を頼む!」


 ヴァリスに言われるまでもなく、あたしは周囲に“抱擁障壁バリアブル・バリア”を展開していた。

 彼らの姿は、【水の聖地】で見た親衛部隊のものだ。だとすれば、彼らの槍は【擬似魔鍵】『ダインレイフの聖槍』に違いない。あの時の威力を思えば、あれだけの数の『聖槍』をあたしの障壁で防ぎ切れるかどうか。


 けれど、そんなあたしの心配に対し、ヴァリスはこともなげに断言する。


「いや、心配はいらん。障壁を展開してもらったのは、『撃ち漏らし』を心配してのことに過ぎないからな」


「え?」


「……人身のまま【竜族魔法インターナルバースト】を使うための極意。我は、あの『人の形に戦闘技術を詰め込んだメゼキス』との戦いを経て、ようやくそれに辿り着いた」


 ヴァリスの身体に、黄金の闘気が絡みつく。


「『竜族』最強の【種族特性】──“竜の血”。周囲の事物を己が血液に満ちた【魔力】で従属させる切り札とも言えるものだが、体力の消耗が激しいのが難点だ」


 彼の左手に、黄金の光が集束していく。


「だが、『竜族』とは……何物をも支配せず、何物にも支配されない孤高の王者であったはずだ。ならば……支配するのはただ、己が肉体だけでいい」


 彼は左手に凝縮した光を、自らの胸に押し当てる。


竜影閃光ライトニング》!


 聖堂騎士団の親衛部隊。彼らの手にした『聖槍』から、まばゆい閃光が放たれようとしたその瞬間──光となって搔き消えるヴァリスの身体。


「え? 嘘!」


 残像のように霞むヴァリスの姿は、ほとんど同時に、親衛部隊数十人の目の前に出現した。そして、そうと気付いたその時には、騎士たちの手から槍が飛び、あらぬ方向に光線がまき散らされる。さらには鈍い音と共に、その身体を鎧の内部で爆散させる騎士たち。


「おお! 分身の術ですか? わたしが一度やってみたかった技を! 先を越されてしまいましたねえ」


 こんな場面にもかかわらず、冗談めかして笑うレイミさん。けれど、それを咎める気がしないぐらい、彼のやったことは非常識だった。

 もちろん、分身の術なんかじゃない。彼はただ、『速く動いた』だけだ。

 敵が『聖槍』をこちらに向けて構え、その先端から光が放たれるまでのわずかな時間。言葉で説明するならば、彼は『その間』に数十人の騎士たちの懐へと『順番に』入り込み、槍を弾き、あまつさえ鎧の隙間に手を差し入れて【魔力】を注ぎ込んだのだ。


「……ふう。さすがに身体への負荷は大きいな」


 再びあたしたちの目の前に姿を現したヴァリスは、肩で息をしながら言葉を洩らす。


「す、すごい! ヴァリス、やったね!」


 あたしは興奮のあまり、飛びつかんばかりの勢いでヴァリスに駆け寄る。


「いや、まだ奴がいる」


 ヴァリスが目を向けた先には、こちらに向かって歩いてくる一人の騎士がいた。

 聖堂騎士団長レオン・ハイアーランド。


「……虚しきかな。信仰を残して滅びたる肉塊よ。我が主を脅かす敵を滅ぼすことさえ叶わぬとは。だが……我は違う。我はリオネル様の忠実なる僕。我は死なぬ、我は滅びぬ。……我は、我こそは『永遠』に、あの御方に仕え続けよう」


 身に纏う純白の鎧には、赤い血のようなものでびっしりと紋様が描かれ、他の騎士とは比較にならない不気味さを漂わせている。でも、何より不気味なのは、あたしの目から見える『心』の在り様だった。


「……どうしてなの? どんなにあなたがリオネルのために働いても、傷ついても、彼はあなたのことなんて、見てはいない。あなた自身、そのことに苦しんでいるじゃない! なのに、どうして?」


 思わず、そんな言葉が口を突いて出た。


「……うるさい。下等な人間め。我はリオネル様の道具なり。我はただ、至高にして完全無欠の我が主のため、この身を捧げ続けるのみ」


 レオンは背中に背負った鞘から、すらりと長剣を抜き放つ。赤黒い刀身の剣。【水の聖地】で見た『魔剣アウラシェリエル』にも似ているけれど、少し違うような……。


「……あちゃあ、随分と禍々しい剣ですね。『赤黒い結晶』にあれだけの【瘴気】となると……あの刀身。あれはもしかすると、【魔血結晶デモンズ・ブラッド】と呼ばれる代物かもしれませんね」


 レイミさんの言葉に、あたしは彼女を振り返る。


「【魔血結晶デモンズ・ブラッド】? なんなの、それ?」


「『魔族』の魂にわずかに残された【オリジン】の欠片──残りカスもいいところの代物ですが……昔、それをかき集めて『古代魔族』を再現しようという試みがあったんです。まあ、実験に使われたのは主に『魔族』の中でも犯罪者の類だったでしょうけど……」


 レイミさんは珍しく、その先を言うのを躊躇っている。


「被害者がどんな立場かなんて、関係ありません。非人道的な実験には変わりはありませんしね。ただ、問題だったのは、そうして命を落とした『魔族』の無念が『ソレ』に宿り、並の者なら触れただけで発狂死する結晶と化してしまったことでしょう。それこそが数ある『魔族』の魔法の媒体のうちでも、『最大の失敗作』と言われる【魔血結晶デモンズ・ブラッド】なんですよ」


 あたしはその話のあまりのおぞましさに、身震いしてしまった。



     -魔血結晶-


「とにかく、今のあの【魔血結晶デモンズ・ブラッド】にどんな力が宿っているかはわかりませんが、不用意に近づくのは危険ですよ」


 忠告の言葉をそう締めくくったレイミは、手にした黒鞭を構え、中距離からの攻撃を行うつもりのようだった。


「……ならば、まずは確かめるまでだ」


 先ほどの超光速駆動魔法《竜影閃光ライトニング》は、体内での【魔力】制御が主であるため、【魔力】消費自体は少ない。だが、試すならまず、ロングレンジでの攻撃からだ。


凱歌竜砲ブレス・キャノン


 放たれた光の砲撃は、レオンの姿をあっさりと飲み込み、鎧ごとその肉体を崩壊させていく。が、しかし……


「『不滅の神剣フェイス・ブレード』」


 レオンの低い呟きの声。虚空に浮かぶ赤黒い剣が、横合いから飛び出してきた鎧の主に掴みとられる。


「なに?」


「うふふ! 新手ですか?」


 レイミの黒い鞭が唸りを上げて敵の鎧を打ち据える。大きくバランスを崩す騎士の姿は、さきほど我が内部の肉体を破壊してやった純白の鎧騎士そのものだ。だが、その鎧には紅い紋様が浮き上がっており、我の魔法に飲み込まれたレオンの姿と同じだった。


「きゃあ!」


 『レオン』は『神剣』を右手にしていたが、気付けば左手には白い槍が握られており、そこから純白の光が放たれる。光はアリシアが展開した障壁によって辛うじて防がれるが、やはり【擬似魔鍵】の攻撃は、“抱擁障壁バリアブル・バリア”にも多大な負荷を与えてくるらしい。彼女は苦しそうに顔をしかめている。


「『ダインレイフの聖槍』か! アリシア、大丈夫か?」


「う、うん。平気! ……レミル。頑張ろう!」


 アリシアが呼びかけた先には、黒髪を足首まで伸ばした少女の姿。


〈大丈夫。あんな紛い物の光になんか、わたしとアリシアの力は負けないよ〉


 レミルは力強くそう言うと、ゆっくりと掌を前に伸ばす。すると、目の前の光の壁がひときわ強く輝いた。


「第二射……」


「させませんよー!」


 レイミの操る黒鞭は生き物のように動き、『レオン』が構えた『聖槍』をもぎ取った。すると奴は、右手の剣を大きく振るい、レイミの黒鞭へと叩きつける。その一撃で、ざっくりと両断される黒い鞭。


「おやおや、強靭さと柔軟性では定評のあるこの素材を斬るなんて、凄いですねえ。でも、実はこの鞭……再生もするんですよお?」


 短くなった鞭は一瞬で元の長さを取り戻し、そのまま『レオン』の足元に絡みつくと、その身体を引き摺り倒す。


竜剣牙斬サーベル・ファング


 間髪入れず、我は斬撃魔法を倒れた相手に叩き込み、鎧ごとその身体を両断する。


 しかし、案の定と言うべきか、再び新たな鎧騎士が出現し、宙に浮かんだ『神剣』を掴みとり、同じく『聖槍』をこちらに向けてくる。出現直後は白かったはずの鎧も、『神剣』を手にしたと同時、紅い紋様に覆われていく。


「こんなの、全然平気なんだから!」


 アリシアとレミル、二人の声が唱和する。放たれた白光は彼女たちの障壁の前に、虚しく弾け飛んでいく。


「うーん。周りの鎧が剣を手にした瞬間に、そのまま『レオン』に変化するみたいですね」


「ならば……《竜影閃光ライトニング》で一気に破壊するしかないか」


「いえいえ、あれだけの数を原形をとどめないまでに破壊するとなると、流石にあなたでも厳しいのではないですか? それに、大聖堂の入り口でのことを想い出してくださいな。見えるところにあるもので、すべてという保証もありません」


 そう言われると返す言葉もない。意外なことにレイミはその外見に見合わず、冷静かつ的確な判断力の持ち主のようだ。


「だが、どうする? このままではアリシアたちの障壁の方が持たないぞ」


 レイミの操る黒鞭も『聖槍』の軌道を逸らすのに一役買ってはいるようだ。しかし、片手に握る『神剣』に斬り払われることもあり、何度か『聖槍』による攻撃を許してしまっていた。


「ここまで見ていて気づきましたけど……あの【魔血結晶デモンズ・ブラッド】。あれこそが彼の『本体』だと思いますよ」


「なに?」


 レイミに言われ、我は改めてその武器を見る。禍々しく、赤々としていながら、黒々とした刀身。この世の絶望を詰め込んだような、不吉な気配を漂わせるその剣は、今も『レオン』の手に握られている。


「……そうか。ならばあの剣を破壊すればいいのだな?」


「いいえ。それも難しいでしょう。あれだけの思念の凝縮体です。破壊すればこのあたり一帯が『汚染』されてしまいますし、わたしたちも無事ではすみません」


「……そこまで分析できているなら、対応策も考えているのだろうな?」


 なんとも厄介すぎる敵だ。八方ふさがりとも言うべき状況に、我も苛立ちを隠せない。


「簡単です。相手が思念の塊なら……『レオン』を倒すには、刀身ではなく、その心を折ればいいんですよ」


 にこやかに笑うレイミ。どこが簡単なのだと言いたいような話だ。


「それができれば苦労はしないのだがな……」


「大丈夫。ヴァリスは強いでしょ? 彼に……ううん、『彼ら』に本当の強さとは何なのか、ヴァリスが思い知らせてあげて」


「だが、アリシア。今の話を聞いただろう? 刀身を折るわけには……」


「うん。心を折るんでしょう? それくらい、あたしたち二人ならできる」


「ふむ。だが、どうやって?」


「とにかく……時間が無いわ。今はあたしを信じて。あなたには、アイツのことを戦闘で徹底的に圧倒してやってほしいの。……きっとそれで、大丈夫だから」


 そう言われては、我も頷くほかはない。彼女を信じ、我は我の全力を尽くして戦うのみだ。


「承知した!」


 我は再び、超光速駆動魔法《竜影閃光ライトニング》を発動させる。体内の血液に満ちた【魔力】直接活性化させ、増幅させるこの【魔法】は、いわば究極の内的爆発魔法インターナルバーストだ。


「うおおお!」


 全身に薄く纏った《竜鱗》が無ければ、空気との摩擦で身体が焼けてしまっていることだろう。体感的には、『世界が止まる』としか表現のしようがない。すべての存在が動きを停止する中、我だけが神経を焼き切らせんばかりに気を研ぎ澄まし、狙い定めた敵へと迫る。

 こちらを見失った『レオン』の懐に潜り込んだ我は、その勢いのまま奴の胸元に掌打を叩き込んだ。


 その一撃で鎧を激しく歪ませ、大きく転がる『レオン』。だが、通常の打撃では、鎧を破壊するまでには至らない。奴は、すぐさま立ち上がる。痛みも恐怖も微塵も感じさせない、まさに人形のような動き。


 振るわれる『神剣』を回避し、今にも閃光を放とうとする槍を奪い取り、遠くに投げ捨てる。《竜影閃光ライトニング》で接近と離脱を繰り返し、我はひたすら『レオン』の鎧を殴り続けた。


「お、おのれ! 人間が! 下賤な生き物が! 完璧なる我が主の道具たる我もまた、完璧でなければならぬというのに!」


 ボコボコに醜く歪んだ鎧の中から、くぐもった声が聞こえる。


「『不滅の神剣フェイス・ブレード』!」


 怪しく輝く赤黒い剣。我は振り下ろされたその一撃を、【魔力】を集中させた腕で受ける。


「ぐうううう!」


 流れ込んでくる憎悪や恐怖、怒りや悲しみといった無数の感情に、我は自分の心が軋むのを感じた。レイミは触れただけで発狂するなどと言っていたが、なるほど、確かに常人ならこんな負荷には耐えられまい。


「我が不滅の意志に、汝も飲み込まれよ。愚鈍なるこの世界において、それこそが至上の喜びなのだから」


「ぬ、ぐ、ううう……」


 駄目だ。流れ込んでくる思念の量がまともではない。数百人の心の慟哭が数百年をかけて醸成されたような、ドロドロの怨念の渦。底なし沼のような感情に、我の心が飲み込まれようとした、その時。


〈ヴァリス。しっかりして。あなたには、あたしがついてるよ。あたしたちは心で繋がってる。一人じゃ何もできないかもしれないけれど、二人なら……足りないところを補い合って、どんな困難にだって立ち向かっていける。そうでしょう?〉


「ア、アリシア……」


 心の中に響く声。我はその声に勇気づけられ、暗闇に落ちかけた心を引き摺り戻す。


「飲み込まれよ。その身をゆだねよ! あの御方のためだけに、『我ら』は生まれ、あらゆる苦痛に耐えてきた。完全で完璧な我が主のために……」


「……ふん。馬鹿馬鹿しい。完全だと? そんなものがあってたまるか。己の存在の理由を、そんなものに押し付けてどうする。わからないのか? 貴様の言う主とやらもまた、シェリエルに依存するだけの不完全な存在ではないか」


 振り下ろされた黒剣を腕で受け止めた姿勢のまま、我は相手の兜の奥ではなく、『神剣』の刀身そのものを睨みつける。


「うるさい! 天使、天使、天使、天使! あんなものはまやかしだ! 存在しない! ありはしない! 我らの主は完全なのだ。……だからこそ、我らは……」


「現実を直視するがいい。そうやって取り乱す時点で、貴様自身も完全からは程遠い。そして……貴様が完全ではないということは、不完全な貴様を生み出した者もまた、完全ではあり得ないということだ!」


「違う! 『我ら』は、完全だ!」


「ほざけ! 我一人倒せずにいる貴様の言葉ではない!」


 腕に食い込む黒剣の刀身が、小刻みに震えている。


「辛くて苦しい無限の地獄! 希望の光など欠片も見えぬ深淵の闇! 我は……『我ら』は、完全なる造物主の御心に沿う存在であらねばならん! でなくば、あの地獄に、あの暗闇に、生まれてきた我らの意味とは何なのだ!」


「生まれてきた意味など問うな! 己が生きる意味こそを問え! いいや、それは問うものではない。己の意志で決めるものと知れ!」


 我は目の前の騎士の胴体に、蹴り足を叩き込む。全力の【魔力】を込めた一撃は、相手の上半身と下半身を二つに分け、そのまま吹き飛ばす。


 我は引き続き周囲を警戒したのだが、新たな敵は起き上がらず、ただ、『神剣』だけが宙に浮いていた。


「いやだ! イヤダ! 怖い! コワイ! 死にたくない死にたくない! 誰か助けて! 救世主様! 絶対者様! 『神』よ! 我らが至高の主よ! 祈ります願います捧げます何でもします! だから、だから、どうかどうか! タスケテクダサイ!」


 虚空に浮かぶ『神剣』からは、悲痛な叫びが聞こえてくる。


「……これは、どういうことなんでしょうか?」


「……うん」


 レイミの問いかけの声に、アリシアは小さく返事する。


「……多分、リオネルが『彼ら』の心を操ったんだよ。犯罪者だろうとなんだろうと、非道な実験で殺されることになった彼らは、怖かっただろうし、絶望もしたんだと思う。どうにもならない状況を前に、自分より優れた絶対者に助けを求めたとしても無理はないよ」


 その言葉で、我はようやく理解した。確かに、おぞましい限りだ。リオネルは【魔血結晶デモンズ・ブラッド】に込められた恐怖や絶望の念、そこから生まれた絶対的な救済者を求める心を『自身への信仰』に置き換え、不滅にして不死の騎士団を生み出していたのだ。


「……まったく、仕方がありませんね」


 そう言って、『神剣』へと歩み寄っていったのは、レイミだった。


「おい、危ないぞ!」


 だが、我のそんな呼びかけさえも無視するように、彼女は一人、歩み続ける。


「聞きなさい。レオン・ハイアーランド。あなたはそこに『いる』んでしょう?」


 普段からは考えられない、レイミの落ち着いた声。


「……隠れていないで、表に出なさい。わたしの目は誤魔化せません」


「……我は、我はナニモノダ?」


 ぼそりと、先ほどまでの叫び声とは異なる声が響く。


「あなたはレオン・ハイアーランド。元となる思念がいかに多かろうと、擬似的に生み出された人格だろうと、一度確立してしまえば、あなたはあなたという存在でしかない。逃げることなんてできないの」


「……我は、我が主の……」


「創った人のことなんて、忘れなさいな。あなたはあなた。他の誰でもない、レオン・ハイアーランド。だから、あなたはあなたの望む道を生きればいい。自分をしっかり持つこと。それを恐れないこと。そうすれば、きっとあなたは……」


「我の望む……」


 赤黒い剣のすぐ傍に、ぼんやりと人の姿が現れる。


「ほら、簡単ですよね?」


 にこやかに笑って言うレイミ。一瞬だけ、弛緩する空気。


 ──だが、その直後。


「くく! くはは! くははははは! 我の望み? こんな絶望的な存在として生まれた我に、いったいどんな望みがあるというのだ! くはははは!」


 狂ったように笑い始める人影。徐々にその輪郭をはっきりと現しはじめたそれは、真っ赤な血に染まったかのような鎧をまとう、一人の騎士だった。だが、兜は無く、銀髪に銀の目をしたその顔立ちは、どこか幼い少年を思わせるものでもあった。


「ああ、そうだ。ならば……こんなところにはいられない! 望みは無くとも願いはある! 長年にわたり、心の内に秘めたる狂おしいまでの『願い』がな! くはははは!」


 レオンは、手にした『不滅の神剣フェイス・ブレード』を自らの身体に突き刺した。


「いったい、何を?」


「すべてを終わらせよう。……汝らには感謝する。ようやく我は『自分』になれる!」


 そう言って、その姿を霞ませていくレオン。どうすることもできずに見守る我らの前で、その姿は闇に溶けるように消えて行った。


「……なんだ? 奴は……滅びたのか?」


「わからない。あまりにもいろいろな感情が渦巻いていて、全然わからなかった」


 我の問いかけに、アリシアは戸惑い気味に首を振る。


「うーん。まあ、いずれにしても、感謝の言葉を最後に消えたんですから、とりあえずは一件落着と考えましょう」


「そうだな」


「うん」


 レイミの前向きな言葉に、我とアリシアは揃って頷きを返す。


 だが、この時の我らは、ここでの出来事がこの後の事態を大きく左右することになろうとは、夢にも思ってはいなかったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ