第195話 イミテーション/神の威を狩る異形
-イミテーション-
最後の七賢者が遺した最悪の敵、神のケモノ『クロスクロスクロス』。
ノエルさん、エイミア様、エリオットさん、レイフィアさんの四人、そして青竜のラーズさんや『幻獣』の『ファルーク』、『リュダイン』たちは、狂気の産物とも言えるこの魔獣から街を守るべく戦っていることでしょう。
大聖堂の最後の騎士、『聖堂騎士団長レオン・ハイアーランド』。
ヴァリスさんとアリシアさん、そしてレイミさんの三人は、死を知らない人形のようなこの騎士を滅するため、たった今、何処に続くとも知れない暗い地下へと降りていきました。
それぞれがそれぞれの役目を果たすため、その時、最善と思える行動をとってくれた結果。わたしたちはここにいます。
……けれど、そんな選択はすべて、間違っていたのかもしれません。
ルシアとシリルお姉ちゃん、わたしとフィリス、フェイルとノラに、ファラさんとアーシェさんの姉妹女神。ここにいるだけでも、十分すぎるくらいに強力なメンバーであることには違いがありません。
……けれど、大聖堂の中心部──『祈りの間』と呼ばれる場所で待ち受けていたモノは、ただ、『そこにある』というだけで、わたしたちの希望の灯を吹き消してしまいそうでした。
荘厳な造りの礼拝堂。その中央通路に敷かれた紅い絨毯。その左右に並ぶ参列者用の長椅子。頭上には巨大で豪奢なシャンデリア。奥の壁面に並び立つ四柱の神の石像……は、無惨にも打ち砕かれています。
中央壁面に備え付けられた黄金の祭壇には、銀と紫の装飾が施された『箱』が置かれていました。あれは確か、『天空神殿』でノエルさんに見せられた【狂夢】の箱ではなかったでしょうか?
しかし、あの時見た映像とは、明らかに異なる点がありました。
『箱』に巻きつく鎖が、粉々に破壊されているのです。ノエルさんに聞いた話では、あの『鎖』は【狂夢】を封印するため、当時の『魔族』たちが総力を挙げて施した術式だったはずです。
「え? あれは何かしら……?」
シリルお姉ちゃんの視線の先には、真っ赤な楔のようなものが転がっています。
「濃密な【魔力】の気配……“竜の血”だわ。まさか……ラーズの?」
ヴァルナガンたちとラーズさんとの戦闘後、白い騎士鎧の男が抜き取っていった“竜の血”。リオネルはそれを使って濃密な【魔力】の楔を生み出し、『鎖』の術式を力業で破壊したようでした。
今や『御神体』のごとく祀られている【狂夢】の箱。何気なくその上部に目を向ければ、『天使』のステンドグラスが壁にはめ込まれています。今にして思えば、リオネルはずっと、この『祈りの間』で『神』ではなく、『天使』に祈りを捧げていたのかもしれません。
「リオネル! あなた、封印を解くなんて、……なんて馬鹿なことを!」
シリルお姉ちゃんが、とうとう我慢しきれなくなったように叫びました。
銀の瞳が見据える先には、祭壇の前に置かれた一つのテーブル。邪魔なものを薙ぎ払うかのように広がるスペースに、あえて持ち込まれた違和感のある食事用の台。
そこには、二人の人物が相向かいに腰かけています。
一人は、裾の長い神官衣に身を包み、顔を覆うヴェールを頭に着けた人物。言わずと知れた『神官長リオネル・ハイアーランド』、その人です。
そして、もう一人。『彼女』はテーブルに置かれた茶器を手でもてあそびながら、茶菓子を次々と口元に運んでいました。
荘厳な部屋の雰囲気とはまるで場違いな、奇抜な装い。この大聖堂で以前見かけた神官たちの衣装のようですが、その裾をビリビリに破き、大胆に足を露出させています。胸元も切り裂くように大きく開けられ、なんだか着せられた服を無理矢理引きちぎった後のようでした。
とはいえ、『彼女』が見た目通りの存在であるはずがありません。
〈……勘弁してほしいわね。あれが『魔族』なの? 嘘でしょう?〉
呆れたように言ったのは、アーシェさん。
〈なんだ、アーシェ。怖じ気づいたのか? なんなら、ここで帰ってもいいのだぞ?〉
茶化すように言ったのは、ファラさんです。
〈冗談言わないでよ。あんなモノを見ちゃったら……うふふ! 足掻いてみずにはいられないじゃない!〉
声を弾ませて笑うアーシェさん。どうやら自分が逆境にあればあるほど喜びを見出すタイプのようでした。しかし、アーシェさんは、瞬間的になら絶対神ハイアークさえ凌駕する力を有しているはずなのです。言いかえるなら、『あそこにいる彼女』は、そんな女神がここまで喜ぶほどの『逆境』なのだということです。
〈シャル……あの人、おかしい。普通じゃない。ううん。そもそも『人』じゃないし、『世界』じゃない。でも……どうしようもなく、あの人は世界そのもの。……いえ、そうじゃない。こんなことは言いたくないけれど……これじゃ、まるで……『世界はあのヒトそのもの』だとしか……〉
わたしの心の中で、怯えたように囁くフィリス。支離滅裂なその言葉は、それだけ目の前の女性の異常さを物語っていました。
〈ほら、リオネル。お客さんだよ? 相手をしてあげないと。……どうする? お茶でも出してあげる?〉
『彼女』は軽く笑うと、茶菓子を食べていた手を止め、にやにやとした笑みをこちらに向けてきました。
銀に輝く瞳に宿る、面白そうな光。シリルお姉ちゃんをさらに成長させた姿にも見えますが、似ているのは外見だけなのでしょう。
「お茶ですか? シェリエル様が、そうおっしゃるなら……」
リオネルの声は、かつての二重音声ではなく、まるで少年のように若々しいものでした。
〈うそ、冗談。それはいいから、相手をしてあげなよ〉
彼女はティーカップの中身を軽くあおると、ひらひらと手を振っています。リオネルは、そんな彼女の言葉を受け、立ち上がってわたしたちの方へと振り返りました。
「……我が言葉なら、『人形』から聞いたであろう。もはや汝らと語る意味などない」
冷たく突き放すような言葉。
「……そっちこそ、俺たちの用件はわかってるよな?」
ルシアは挑むような目を向けて問いかけました。すると、リオネルは広げていた両腕を下ろし、それからひとつ、頷きを返してきます。
「世界律の再構築。そして、ここにある【狂夢】の解体と修復。それが汝らの望みであろう」
リオネルは言いながら、自分の背後に置かれた祭壇の上にある『箱』を指差す。
「ん? 何か見たことのある『箱』だと思ったら、やっぱりそれが【狂夢】か。わざわざそんなところに置いてくれるだなんて、随分と親切じゃないか」
ルシアが皮肉を込めてそう言うと、リオネルは下げていた腕をこちらにまっすぐ伸ばしてきました。
「やる気か?」
わたしたちは、攻撃の予備動作にも見えるその仕草に、とっさに身構えます。しかし、リオネルは、静かに首を振りました。
「僕の天使は、至高であり、最強であり、無敵であり、万能である。ゆえに汝らは、すでに警戒に値する存在ではない。だが、僕と彼女の『永遠』を邪魔しようというのなら……」
しかし、その言葉が終わらないうちのことでした。
突如、リオネルの前に、長い黒髪を揺らせた人影が出現しました。真紅の剣を横構えにしたその人物──フェイルは、そのまま腕を振り抜きます。
「貴様の戯言に付き合う気はない」
横一文字に閃いた、真紅の輝き。
世界ごと敵の肉体を断つ、問答無用の“斬界幻想”。
「フェイル! 駄目!」
ノラが叫ぶ。彼女はファラさんやアーシェさんのような『神』に近い存在だけに、シェリエルの異常性に気付いていたのでしょう。
けれど、フェイルは気付かなかった。だからこその、無謀な突撃。
……少なくともこの時は、この場の誰もが彼の行動をそう捉えてしまったかもしれません。
金属同士がぶつかり合う、甲高い音。フェイルの手にした真紅の聖剣は、リオネルのすぐ傍の空間に浮かぶ、不思議な紋様の『盾』によって、しっかりと受け止められていました。
「……【擬似魔鍵】『シュレインの守護盾』」
リオネルは、虚空に浮かぶ輝く盾に目も向けず、小さくつぶやくように言いました。
〈面白い面白い。『今の状況』でこんな攻撃を仕掛けてこられるなんて、やっぱり貴方も『イレギュラー』だね。でも……話している最中に問答無用に切りつけてくるなんて、つまらないつまらない。だから……つまんであげる〉
今度は、楽しげに声を弾ませる『彼女』の言葉。それと同時。
「なに? なんだ、これは!」
ふわりと、宙に浮かぶフェイルの身体。けれど、その直後には、彼の身体が霞むように消えていきます。
「フェイルが消えちゃう!」
〈ノラ、大丈夫。あれはフェイルの虚無化能力よ。どんな敵の攻撃も無効化するだなんて、ある意味、あれも反則技よねえ〉
アーシェさんは動揺するノラの肩を抱き、明るく声をかけていました。
しかし、そんな言葉で安堵できたのも一瞬のことです。何故かフェイルは、敵の手を逃れることなく、そのままわたしたちの傍へと投げ飛ばされてしまったのでした。
「フェイル! 無茶だよ! 大丈夫?」
ノラが彼に駆け寄り、心配そうにその顔を覗き込んでいます。一方、彼女に助け起こされたフェイルはと言えば、驚きを張りつけた顔でシェリエルを睨みつけています。
「……馬鹿な。極限まで存在を希薄化させた俺を、掴んだだと?」
〈驚いた? でも、どんなに頑張って希薄化しても、『存在自体が無くなる』わけじゃないんだから、私にとっては『同じ』だよ。それが君の『限界』だね〉
フェイルの驚愕の声を面白がるように、シェリエルはケラケラと笑っていました。
「ちっ! だが、……アーシェ。お前の【魔鍵】『斬り開く刹那の聖剣』は、剣閃の軌道上にある世界そのものを斬り裂けるのではなかったのか? 仮にあの『盾』が【魔鍵】だとしても、その奥の軌道上にある奴らの身体自体が斬れないのはおかしいだろう」
ノラに助け起こされながら、フェイルが疑問の声を投げかけた相手は、アーシェさんでした。
〈そうね……。さっき……あの男は『シュレイン』って言ってたでしょう? それがもし『神』の名のことなら……あらゆる事象を指定した『境界面』でせき止める。そんな“神性”を持った『神』がソイツだったと思うわ〉
「つまり、あれが奴の【魔鍵】の能力と言うわけか」
彼の無謀な突撃には驚かされましたが、おかげで敵の能力の一端を知ることができたのは、運が良かった言うべきところでしょう。しかし、ルシアはフェイルに向かって憎々しげに声を掛けます。
「あのなあ……敵の能力を確かめてくれたのはいいけどよ。俺が言ったことを忘れたのか? 無茶してんじゃねえよ、格好つけやがって……」
「くだらん思い込みをするな」
「へいへい、素直じゃないねえ」
「なんだと?」
わたしは呆気にとられたように、二人が憎まれ口を叩き合う姿を見つめていました。フェイルが『仲間』のために行動したらしいということもそうですが、そのことにいち早く気付いたのがルシアだっということが驚きです。
犬猿の仲の二人が、実は誰より通じ合っているような……そんな不思議な光景でした。
〈うんうん。面白い面白い面白い。あななたちは本当に『イレギュラー』。……ああ、そうだ。話が途中だったね。他のことなんかどうでもいいけど、どうして……どうやってリオネルが『シリル』を造ったのかは知りたいな。……ほら、あなたも知りたいでしょ?〉
彼女は、自分の長い銀の髪を弄ぶようにしながら、気楽に笑って言いました。
「……そんな話、聞きたくないわ。どんな目的で造られたのだろうと、関係ない。わたしはわたしよ。わたしはあなたたちの道具じゃない。わたしは、自身の意志でここにいて、あなたたちに敵対しているのだから」
気付けば、シリルお姉ちゃんの正面には、白く輝く複数の【魔法陣】が浮かんでいました。わたしたちがフェイルの特攻やその後の会話などに気を取られているうちに、シリルお姉ちゃんは準備を済ませていたようです。
〈ほら、リオネル? 教えてくれないの?〉
けれどシェリエルは、明らかに強力な【魔法】を準備しているシリルお姉ちゃんには目もくれず、ヴェールをかぶったままのリオネルの顔を覗き込んでいます。
〈ん? 答えたくないのなら、無理しなくてもいいけど?〉
シェリエルの言葉は、優しげなものに聞こえて、その実、わずかに冷たいものを含んでいるようでした。
「……いいえ。貴女の求めに応えない僕ではありません」
そんな彼女の言葉を受けて、ようやくリオネルは口を開きました。
「貴女が『世界を我が物』としてから……僕は考えたのです。貴女は貴女の『永遠』を手に入れた。でも、そこには僕がいない。僕は……貴女と『永遠』に共に在りたかった」
〈……リオネルは、相変わらず馬鹿だね。でも、それで『シリル』を造ったとか言われても、意味が通じていないと思うけど〉
「はい。……僕は、貴女には遠く及ばない。だから、このままでは『永遠』を得られない。けれど、僕には貴女から頂いた『この身体』がある。そして、あなたの『因子』がある。ならば……僕の『因子』を受け継ぎ、貴女の魂を雛形にした『子供』なら、きっと貴女に近いものになれる。代替品の人形でも、そこに『世界に満ちた貴女』を注げば、ソレはいつか貴女になるかもしれない。僕はそう考えました」
残酷なまでのリオネルの言葉。
「う、嘘よ! じゃ、じゃあ……わたしは、わたしは……リオネルの?」
それを聞いたシリルお姉ちゃんの身体は、激情のあまり大きく震えていました。
「血の繋がった子供。だが、そんなものに意味はない。汝はただ、彼女に還ってきてもらうための器に過ぎないのだから。役割を終えた人形などに、もはや用は無い。失せるがいい」
「……ふ、ふざけないで! わたしがあなたの『子供』なのだとしたら……、わたしの他に犠牲になった多くの実験台たちというのは……」
「兄弟。姉妹。もっとも、本当に『そう』だったものはそれほど多くはない。残りはただのカムフラージュだ。元老院の者どもに、僕の意図を悟られるのも面倒だったゆえにな」
「……カムフラージュですって? な、何て……酷い。人間を道具みたいに……。リオネル! あなたは! あなただけは許せない!」
叫び声と共に、純白の光。
【古代語】を用いて放たれる、強力無比な無属性攻撃魔法。螺旋状に折り重なる光の渦は、リオネルとシェリエルめがけて襲いかかりました。
しかし、そんな状況にあってもなお、シェリエルは呑気な言葉を繰り返しています。
〈ふうん。随分頑張ったものだね。そんな形で私の因子を使うだなんて、ちょっとびっくり〉
「僕の身体に根付いたままの、貴女の『因子』が偉大なのです。……これのおかげで今の僕には、こんなこともできるのですから。飲み込め……『ゲインズの獣杖』」
言いながら、片手をかざすリオネル。その手の中に、獣の口のような装飾が施された杖が生まれ、シリルお姉ちゃんが放った光が吸い込まれるように、その口へと消えていきます。
〈へえ。【寝床】の中から【オリジン】の“神性”を引っ張ってきて具現化してるんだ? 確かに、私の『因子』がなければ難しいかな〉
何事もなかったように言葉を続けるシェリエル。
「そ、そんな!?」
「なんだ? あの杖は……」
シリルお姉ちゃんの驚愕の声に重なる、ルシアの疑問の声。それに答えるように、リオネルはこちらに顔を向けました。
「【擬似魔鍵】『ゲインズの獣杖』。……僕は、彼女がその身に取り込んだ『神』の力を、こうして擬似的な魔鍵の形で具現化できる。ククク、封印が解けた今となれば、七十七万七千七百七十柱すべての『神』の力を使うことさえ可能だろうな」
〈な! 『神』をその身に取り込んだだと?〉
〈七十七万?……ああ、もう非常識にも程があるわね。道理で化け物じみてるわけだわ〉
リオネルの言葉の恐ろしさを理解できたのは、この時点では、ファラさんとアーシェさんの二人だけのようでした。
──しかし、真の驚愕は、この後のシェリエルの言葉によってもたらされたのです。
「七十柱じゃなくて七十一柱だよ、リオネル。つい最近、ハイアークって奴も食べちゃったからね」
「え?」
耳を疑うとは、このことでしょう。わたしたちどころか、リオネルまでもが間の抜けた声を上げ、彼女を見つめています。そもそもハイアークは、あの時、確かに滅びたはずです。
「シェリエル様……ハイアークを食べた、とは?」
リオネルが呆けたように問いかければ、
「嘘よ! あの時……ワタシは確かに、あの『神』の【想像世界】を歪ませて、その関係性だって喪失したはず……」
ノラもまた、あり得ないとばかりに首を振っています。
ハイアークに止めを刺したのは、他でもないノラなのです。しかし、シェリエルは面白そうな顔でノラを見ました。
「あれ? へえ、そこの女の子も……面白い面白い。私が『神』をそうしたように、貴女は『ジャシン』を取り込んでいるんだ? でも、そんな『お友達』みたいなやり方じゃ、大して力も使えないよ?」
言いながら、彼女は自分の手の中に、見覚えのある細長いものを生み出していく。
「ほら、私なら……こんな感じかな?」
その槍の名は……《定めし破滅の神槍》
最高神ハイアークの振るう、絶対破壊魔法でした。
-神の威を狩る異形-
まったく馬鹿げている。
この礼拝堂に入ってからというもの、わらわは自分の持っていた常識を根こそぎ否定されるような気分を味わっていた。
あのシェリエルという女を見て、最初に抱いた感情は、『恐怖』の一言に尽きる。
『神』は世界の外側に自身の【想像世界】を造りだすことで、世界の事象を客観的に観察し、【魔法】として望みの現象を自由自在に引き起こすことができるものだ。
だが、この女は違う。七十万を超える『神』の【オリジン】。どんな方法をもってかは知らぬが、そのすべてを完全に制御化に置き、あたかもこの世界そのものを手足のように支配している。
女は、ハイアークが生き残っていた理由について、複数の【想像世界】を持っているがゆえだったと語った。そのこと自体、『神』にとってはあり得ないようなことではあるが、そんなハイアークを『食べた』と言う『彼女』自身が、まさに非常識の極みだ。
信じがたいとしか言いようがないが、目の前に浮かぶハイアークの槍は、それがどうしようもなく事実であるということを示している。
「クフフフ! クハハハ! あーっはっはっは! 素晴らしい! そうだよ。その顔だ! これこそが僕がシェリエル様のお傍にあって、最も喜ばしいと思う瞬間だよ! 彼女の偉業を前にしては、誰もがそうやって間の抜けた顔をさらしてくれる」
リオネルは、自分の周囲に複数の【擬似魔鍵】とやらを具現化した状態のまま、狂ったように笑い続けている。ヴェールに隠された表情は見えないが、こちらを見下しきった態度には違いない。
「……ルシア・トライハイトから【異世界】の情報を得るまでもなくわかってはいたのだ。 やはり、シェリエル様こそが至高の存在! 最高神などと呼ばれるハイアークでさえ、不完全な世界しか生み出せず、彼女にとってはただの『食事』でしかないのだからな!」
神の威を狩る異形の男は、彼女の偉業を我がことのように誇らしげに語り、侮辱に満ちた言葉を続ける。
「ククク、どうした、『神』よ? 随分と酷い顔をしているな。いや……こうなってはもはや、貴様らのごとき無能な者どもを『神』と呼ぶのも、はばかられるか?」
その一言に、わらわの心が沸騰する。
〈なんだと? 貴様! もう一度言ってみろ! ただではおかんぞ!〉
今すぐにでも奴をぶん殴ってやらなければ気が済まない。だが、わらわが激しい怒りに駆られ、今にも駆け出そうとした、その時だった。
〈駄目よ、お姉様。落ち着きなさいな。あんな馬鹿の挑発に乗ってはいけないわ。……大体、あんなの借り物の力に酔っているだけでしょう? 自分が大物にでもなったつもりの恥ずかしい『魔族』のボウヤに、お姉様が本気になる必要なんてないわ〉
意外なことに、アーシェがわらわの肩を押さえ、酷く冷静な声で言う。
「借り物の力? 否、これは彼女から賜った、僕の力だ」
〈あのねえ。ボウヤ。そんなことじゃないわ。その彼女とやらも『神』の力を借りているだけでしょう? だったらボウヤなんて、又貸しを受けているみたいなものじゃない。うわ、はっずかしー!〉
ケタケタと笑うアーシェ。だが、ここでわらわはようやく気付く。彼女の立っている石床が、めきめきと音を立てて壊れている。そこから放射状に拡がるひび割れは、かなりの面積に及んでいる。
「おい、ファラ。お前に落ち着けとか言っといて、アイツ、滅茶苦茶怒ってんじゃねえか」
〈わらわに言うな。まあ、あやつは情念の女神だ。さもありなんと言ったところだな〉
わらわとルシアは呑気な会話を続けているように見えるかもしれないが、その実、今もなお虚空に浮かび、こちらを狙う『定めし破滅の神槍』を前に、一時も気を抜くことができないでいる。
あれがこちらに飛来した時、辛うじて対応できるのは、わらわとルシアぐらいのものだろう。シェリエルとやらはそれがわかっているのか、時折からかうように宙に浮かぶ槍を揺らして見せていた。
「……彼女を侮辱するな。僕はともかく、彼女を貶める言葉は、絶対に許さない。貴様はこの僕が、僕の力をもって滅ぼしてやる」
内に怒りを秘めたまま、低くつぶやかれるようなリオネルの言葉。
〈上等じゃない! わたしだって、お姉様を侮辱されて、ブチ切れてるんだから! ギッタギタにしてやるわ!〉
衝動のままに叫ぶアーシェ。その声に呼応するかのように、周囲の長椅子が弾け飛び、足元の石床は崩壊せんばかりにひび割れを大きくしていく。
「きゃあ!」
シャルがとっさに空気の壁を造り、飛んできた破片や衝撃波を防ぎ止める。
「あははは! 面白い『神』さま! みんながみんな、あなたたちみたいな神様だったら、この世界ももっと面白かったのにね」
愉快気に笑うシェリエル。
「でも、せっかくの綺麗な建物を壊しちゃだめじゃない」
彼女が腕を一振りすると、無惨に破壊されたはずの『祈りの間』はたちまち元の姿を取り戻す。先に壊れていた四柱の神像までもが復元していた。
物を修理したのではなく、事象を遡らせた。そうとしか言いようのない現象に、わらわは改めて戦慄を隠せない。だが、そんな相手を目の前にしてアーシェは、こともなげに言葉を続ける。
〈リオネル……どうせアンタも、危なくなったら『彼女』に泣きつくんでしょう?〉
なるほど。それが狙いか。だが、そんな安い挑発に敵が乗るものかどうか。
……いや、むしろ、あの『面白いこと大好き』といった性格の女に手を出させないことの方が狙いかもしれない。いずれにせよ、リオネルがどう出るかだが……
「シェリエル様……」
〈なに?〉
「ここから先、僕の戦いには手出しを控えていただけますか?」
意外にも、リオネルの方が乗ってきた。しかし、シェリエルは首を振る。
〈ええー? それじゃ退屈。でも、確かに手を出したらすぐに終わっちゃいそうだしね。うーん、そうだ! じゃあ、ちょっとは手加減するから、別の形で参加させてよ〉
そう言って、シェリエルは手を一振りする。すると再び、周囲に異変が起きた。先ほど一度吹き飛ばされ、シェリエルによって復元された無数の長椅子。それがぐにゃぐにゃと形を変え、異形の化け物となって立ち上がったのだ。
その数、およそ数十体。
〈命を生み出しただと?〉
〈一瞬で? 馬鹿みたいね。……マーセル神族だってこうはいかないわよ〉
わらわとアーシェの驚愕の声に、リオネルはまたも愉快げに身体を震わせる。
「クックック! これはいい。では、彼女に仕えしこの僕と、彼女の生み出した異形の生命。それがお前たちの相手だ。後悔しながら死ぬがいい!」
リオネルは虚空に浮かぶ複数の【擬似魔鍵】のうち、柄の長い斧槍を掴みとる。一方、それまでこちらに切っ先を向けていたハイアークの神槍はその姿を消している。
「……ふう。やっと消えてくれたか。生きた心地がしなかったな」
ルシアはようやく緊張から解放されたように一息つくと、周囲に集まりだした異形の化け物に相対するように剣を構えた。
集まってきた化け物たちの外見は、一見して人間と同じ二足歩行の立ち姿だ。だが、顔の部分には巨大な単眼があるのみであり、背中には虫を思わせる巨大な羽根が生えている。両腕に見えるものも、その実、蛇のような化け物の胴体からできており、その二対の口からは不気味な蒼い炎が漏れ出ている。
「ちっ! だが、同じ連中なら俺の剣で!」
ルシアが例のごとく、敵をひとまとまりに斬り裂こうとする。
「あ、言い忘れてたけど……そいつらにはね。直接的な【事象魔法】の類は効かないよ。それ以外の武器や【魔法】で戦ってね」
「なんだと!」
ルシアはその時、正面にいた一体の単眼魔人を斬っていた。『ひとまとまりの斬断』は、彼の認識の及ぶ範囲に入る敵すべてを同時に斬り裂くはずだった。しかし、結果としては、実際に刀身で斬り裂かれた魔人以外は全くの無傷。
そしてそのまま、彼の近くにいた数体の魔人が手の蛇を持ち上げ、そこから赤と青の炎を吐いた。
〈危ない、ルシア!〉
わらわは反射的に叫んだが、予想外の事態に戸惑ったせいか、ルシアの反応が遅れた。入り混じって紫の炎となった魔人の攻撃は、見た目からして単なる炎ではあり得ない。装備の力だけで防げるものではないだろう。
「フェイルの友達は、ワタシが護る!」
鋭く叫ぶ、少女の声。ふわりと宙に浮いた真紅の髪の少女。ルシアの目の前に出現したノラは、あっさりと紫炎を掻き消してしまった。
「大丈夫?」
「お、おお。サンキュー、助かった。ま、俺はフェイルの友達じゃないけどな」
「うん。アーシェ母様が教えてくれたよ。そういうの、ツンデレっていうんだよね?」
「ツンデレじゃない!」
けれど、そんな悠長な会話を続けている余裕もなかった。周囲には、依然として続々と敵が押し寄せてきている。
〈束縛するは闇の鎖。喰らいつくすは染血の檻〉
《飢餓の縛鎖牢》!
詠唱の声が響き渡り、シリルの【魔法】が発動する。すると、魔人たちの頭上に黒い球体が出現し、そこから無数の血濡れた鎖が伸び始めた。数体がたちまちのうちに絡め捕られ、引きずり込まれるように黒い球体へと飲み込まれ、嫌な咀嚼音と共に血しぶきを上げて細切れの肉片へと化していく。
「うわ、久しぶりに見たな。あのスプラッタな魔法……」
ルシアが周囲の敵から吐き出された炎を斬り散らしながら、つぶやく。【事象魔法】が効かないとは言っても、それは敵の肉体のみに限定される話なのかもしれない。そんなところにも、シェリエルの『手加減』の意図が感じられるが、今はその油断に付け入るしかない。
〈お姉様。【事象魔法】が効かない以上、わたしたちはあっちの生意気な『魔族』のボウヤをやりましょう〉
〈ああ、そうだな〉
アーシェに促されてリオネルを見れば、手にした斧槍でフェイルの聖剣と切り結んでいるところだった。
「お前たちの身勝手さには反吐が出るな」
フェイルは聖剣を握る腕に力を込めながら、吐き捨てるように言う。
「出来損ないの『魔族』か。『パラダイム』も、僕のために、随分と活躍をしてくれた。この都市の『魔族』どもにも、『外敵』がいることは適度な刺激になったからな」
斧槍から吹き出す雷撃がフェイルを襲う。
「刺激だと?」
フェイルの周囲に無数の赤い【傷跡】が出現し、その雷撃を吸い込むように消していく。
「そのとおり。数百年間、飽きもせず僕の創りあげた『信仰』に力を注がせるためには、そうしたものも必要だったのさ。──閃け……『ライオネルの斧槍』」
再びの雷撃。だが、今度のそれは攻撃ではない。リオネルの身体そのものが雷光と化して消え、その直後、フェイルの背後に出現したのだ。
「死ね」
無感情に呟きながら、がら空きとなったフェイルの背中に斧槍を叩きつけようとするリオネル。
「させない! ルシアの友達はわたしが護るんだから!」
〈炎熱の海より臨む、全てを包む母の腕……築き上げるは水晶の牢獄〉
《爆縮晶牢》!
火と地と水の融合属性。擬似的などではない、正真正銘の【魔鍵】の力。
『融和する無色の双翼』の神性“具現式彩”
虚空に出現した水球がリオネルを包み、押し潰さんばかりに爆縮する。
「ちっ!」
舌打ちしながら後方へと飛びさがるフェイル。そんな彼の傍に、先ほどの【魔法】を使ったシャルが駆け寄っていく。
「大丈夫ですか?」
「……誰が友達だ。訂正しろ」
心配そうに問いかけるシャルに、フェイルは不機嫌な声で応じる。するとシャルは、可笑しげに笑いながら、返事をする。
「そういうの、ツンデレって言うんですよね? ノラに教えてもらいました」
どうやら昨日の晩あたり、シャルとノラはその手の会話で盛り上がっていたらしい。
「……あいつには、後でしつけが必要だな」
反論するのも馬鹿馬鹿しいのか、フェイルはそれだけ言うと、再びリオネルの姿を見据える。
〈フェイル! それにシャル! そのボウヤはわたしたちに任せて、あなたたちは周囲の魔人どもに対処しなさい! アイツら、見た目以上に厄介だわ!〉
アーシェが二人に呼びかける。実際、再びルシアたちに目を向ければ、状況の厳しさは明らかだった。序盤こそこちらの攻撃も有効だったようだが、魔人どもはその数が減るにつれ、一体一体の強さが増してきているらしい。
フェイルたちもそのことに気付いたようで、そのままルシアたちへと駆け寄ろうとした。
「馬鹿め。逃がすと思うか? 閃け……『ライオネルの斧槍』」
リオネルの声。再び雷光と化した彼の姿は、光速で宙を渡り、フェイルの眼前に出現する。手にした斧槍に電撃をまとわりつかせながら、それを振り下ろそうとするリオネル。
〈あんたの相手はわたしだって言ってんでしょーが!〉
叫ぶアーシェ。いつの間にかフェイルの隣に立っていた彼女の拳は、リオネルの身体を的確に捉え、はるか向こう側へと殴り飛ばしてしまった。
「……素手で殴りつけるとはな。少々、予想外の攻撃だった」
祭壇脇の壁面に強かに身体をぶつけたリオネルだったが、大して効いた様子もなく、ゆっくりと立ち上がる。
「……二柱の『神』が相手か! ククク! 不足はない! 僕自身が彼女と『永遠』を生きる資格があることを、今ここで、『神』を超越することによって証明してやる!」
〈うんうん。よくわかんないけど、お膳立てはしてあげたんだから頑張ってね、リオネル〉
二人の言葉を聞く限り、少なくともシェリエルの生み出した魔人どもの性質は、わらわたちとリオネルを対峙させるため、彼女が仕組んだもののようだ。
「たとえこの聖堂が壊れても、彼女が修復してくださるなら、手加減はいるまい。貴様ら旧時代の遺物は、この僕が全力で滅ぼしてやる!」
その叫びと同時、リオネルの周囲の空間に、いくつかの【魔鍵】らしきものが浮かび上がる。
「僕が生み出した【擬似魔鍵】。『神』を超えたモノの力を見るがいい!」
〈がんばれー、リオネル。この建物なら、もう『壊れない』ように『設定』したから大丈夫だよー〉
周囲に浮かぶいくつかの【擬似魔鍵】のうち、巨大な鉄の槌を手に取ったリオネル。そんな彼に、シェリエルは場違いとも言える声援を送っている。
相変わらず、奴の狙いだけが読めない。
まさか本当に、何も考えていないのだろうか?




