幕 間 その35 とある天使の油断
-とある天使の油断-
「……な、何だ? その姿は……」
矢を放った反動で後ろに尻餅をついた姿勢のまま、彼女は問いかけてくる。言われて、わたくしは自身の身体を見下ろした。先ほど彼女が放った光の奔流に飲み込まれ、半ば吹き飛んだその身体を。
「見ての通りです。わたくしには、元々既にまともな肉体など、ごくわずかしか残っていません」
「……君も【因子所持者】なのか?」
その言葉に、わたくしは首を振った。すでに身体の自由は、ほとんど利かなくなっている。
「いいえ。これはただの病気ですよ」
「……病気?」
「わたくしは、これを『光源病』と名付けました。簡単に言えば、光属性への適性が『高すぎる』がゆえに、己の肉体さえも光に変えてしまうという病です」
「馬鹿な……そんな病気があるのか?」
信じがたいといった顔でつぶやく彼女。
「……人々が持つ各種属性への適性スキル。これが何によって決定づけられるか、貴女は御存じですか?」
白装束を吹き飛ばされ、その下の肉体が半分以上消失してはいても、大して違和感など覚えない。『痛み』など既に感じなくなっていたし、光の糸でバラバラの身体を繋ぎ止め、辛うじて維持していたモノが失われたにすぎないのだから。
「……いや、詳しくはわからない」
彼女の答えに、わたくしは頷きを返す。当然だ。そうしたスキルの根幹部分に関わることは、『魔族』による研究の結果として明らかになってきたことなのだから。
「火、水、地、風の四属性。これらはもともと、世界に溢れる『精霊』の恩恵によるものです。貴女のお仲間の少女などは、その極端な例ですね。四属性すべてに極めて高い適性を備えた『精霊紋』です」
「だが、シャルはそんな病気になどかかっていないぞ?」
「ええ。四属性では、どんなに適性が高くともわたくしのようにはなりません。ですが、光と闇の属性は、『特別』なのです」
「確かに……その二つは適性者が少ないうえに、扱い自体が難しい代物だったな」
「はい。その理由ですが……その二つの属性は、『精神性』──いわば当人の性格に左右されるものだからです」
「性格だと?」
「例えばですが……光属性の適性者には快活で朗らかな性格の持ち主が多く、闇属性では、鬱屈していて粘着質な性格の持ち主が多い──などでしょうか?」
「……言ってはなんだが、君が快活で朗らかな性格?」
彼女は呆れたような顔をしている。
「もちろん、すべてに当てはまるわけではありません。先天的な性格と生育過程での影響はまた別物ですし……今のはあくまで一例です。わたくしやシリルさんに当てはめようとするなら、こう言うべきでしょう。潔癖症で規範的な人間が光で、寛容で感受性の高い人間が闇であると。……いずれにしても、こうした精神性が基盤にある二属性は、精神状態で【魔法】の出来不出来まで変わってしまうため、扱いが困難なのです」
言いながら、わたしは自身の身体を繋ぎとめていた光の糸を少しずつ操作する。
「前置きが長くなりましたね。……つまり、わたくしの場合、穢れを嫌う『潔癖症』が度を過ぎていたがために、属性適性が暴走して己の肉体さえ侵食しているということです」
「潔癖症?」
この先は思い出したい話でもない。けれど、わたくしに『最後』をもたらしてくれた彼女の疑問には、せめて答えてやってもいいかもしれない。
「わたくしは……十三歳の時、義理の父親に犯されそうになりました」
「な……!」
「昔の話です。それに未遂でしたからね……当の相手はその瞬間に発動──いえ、『発症』したわたしの光属性魔法の暴走により、村ごと消滅しましたから」
「…………」
さすがに言うべき言葉が思いつかないのか、彼女は黙ったまま、わたしのことを見つめてくる。
ルシエラ・リエラハート。
断罪の天使。ギルドの二枚看板。猛獣使い。潔癖の光魔導師。
わたくしには、軽く思い返すだけでも、これだけの呼称がある。
けれど、どれひとつとして、『わたくし』を表す名ではない。と言うより、わたくしには名などない。
何の変哲もない小さな村に生まれ、何の変哲もない家庭で、何の変哲もない少女として育てられ、……そして、自らが生まれた村を滅ぼしたわたくしには、親から与えられた名前など、名乗るのもおこがましい。
わたくしを蝕む光の呪い。それはわたくしの罪の証。
浄化の概念を強く持つ光属性。穢れを嫌う度が過ぎた潔癖症は、己が身を穢されそうになったとき、極限を超えたのだろう。
以来、わたくしは光属性魔法を自由自在に操る力を得た。病によって得た力の代償は、『少しずつ己の肉体が光に変換されてしまう』こと。
わたくしが先天的に備えていた操作系の【オリジナルスキル】“糸繰る神の指先”は、光の魔力そのものを肉体の代替物として維持することを可能とし、わたくしはその命を長らえさせてきた。
生まれ育った村を自らの手で滅ぼし、生きる目的を失ったわたくしは、この呪われた力で何をどこまでできるのか、試してみようと思った。どうせ死ぬべき命だ。ならば、使い道など自分で考える必要は無い。誰かの依頼を受けてそれを実行する。そんな生き方が楽でいい。何も『考えなくて済む』のだから
わたくしが冒険者になったのは、そんな理由だった。
「さて、無駄話はここまでです。……貴女も大概、お人好しですね」
「なに?」
まだわかっていないのか、彼女は不思議そうな顔をする。
「わたくし自身の身体を構成する光の糸。半分はあなたに吹き飛ばされてしまいましたが、命と引き換えにするならまだ十分すぎる量があります。せめて貴女には、わたくしの『最後』に付き合ってもらいましょう」
「な……まさか!」
ようやく気付いたようだ。でも、遅い。わたくしの『最後の魔法』は、これまでとは比較にならない強力なものだ。今の彼女には、どうあがいても防ぐことなど叶うまい。
自らの身体が崩れていくのを感じながら、わたくしは自分の顔に笑みが浮かぶのを自覚する。
「こんな死にざまも悪くないですね。罪深いわたくしには、勿体ないぐらいです」
口からは、自然とそんな言葉が洩れる。
──けれど、その時だった。
「がはははは! やっとだぜ! やっと『油断』しやがったな?」
ヴァルナガンの声。……良かった。どうやらあの馬鹿は生きていたようだ。
「ようやくだ! 俺はこの時を、ずっと待ち続けていたんだからなあ!」
振り向くこともできないわたくしの背後に、巨大な獣のような男の気配を感じる。
わたくしが、彼に恨まれていることは、もちろんわかっていた。いつでも彼が、わたくしを狙っていることは理解していた。彼を鎖で束縛し、その自由を奪い、獣のように従えてきたのは、他ならぬわたくしなのだから。
ならば、こんな終わりも悪くない。自分の目的を持たず、誰かの代わりに目的を果たし、同時に誰かの目的を妨害する。それだけを生き甲斐にしてきたわたくしにとって、最後の最後に、自分自身が誰かの『目的』となって死ぬことができるのは、望外の幸せだ。
それが他ならぬ『彼』だと言うのなら、是非もない。彼にこそ、わたくしを殺すだけの正当な理由があるのだから。
……そんな風に考えてしまったことこそが、わたくしにとっては最大の『油断』だったのかもしれない。
「がはははは!」
背後から圧力を感じる。だが、それは唸りを上げて迫る拳などではなく、覆いかぶさる彼の身体だった。
「……ヴァ、ヴァルナガン?」
らしくもなく、震える声が出た。おかしい。何かがおかしい。わたくしには、それが何なのかわからない。
「まったく、てめえときたら眠っている時でさえ隙がねえんだからな。参ったぜ。だが、ようやくだ。ようやく俺は……お前を抱いてやることができる」
「な、何を馬鹿な、こと、を……」
ようやく気付く。おかしいのは、わたくしの身体の方だ。彼に抱きしめられてから、全身が焼けるように熱い。『痛み』など、とうの昔に捨てたはず。この身体は、熱すらもほとんど感じることなどないはずだ。
だと言うのに……。
「禁術級の生命魔法。それも俺がこの日のために、練りに練った特別製だぜ! 逃げられると思うなよ?」
「ば、馬鹿な! やめなさい! そんな! わ、わたくしは、こんなこと……!」
「望んでないってか? わかってるんだよ、そんなことは。だからこそ、お前の『隙』を狙う必要があった。今がその時だ。お前の意志なんざ、関係ねえ。……そうだろ? お前が俺を鎖で縛ったように、俺は俺で好きにさせてもらうぜ!」
彼の身体と触れている部分から、彼自身の熱情を変換したかのような凄まじい生命力が流れ込んでくる。だが、わたくしがこの時感じたものは、目もくらむような恐怖だ。
「い、いや! やめなさい! やめて! 嫌だ! わたくしは……わたくしは……! 生きていたくない! 考えたくない! 自分の罪も、愚かさも、未来も、幸せも、何もかも、どうでもいい! だから、だから! もうこんな世界には……こんな『暗闇』には、いたくないの!」
泣き叫ぶ。自分の中からあふれ出てくる感情が抑えきれない。これまでずっと自分の感情を押し殺し、目的など持たず、唯々諾々と他者の目的にすがりつくように生きてきた。
そうすることで、己の罪から目を背けてきた。つねに己の傍に在り続けた『終わり』の存在が、わたくしの心を救い続けていた。なのに……彼はそれを奪おうとしている。
「うるせえ! ふざけんな! 甘えてんじゃねえぞ! この馬鹿が!」
「…………!」
今までとは違う、彼の声。いつものように斜に構えることもなく、真っ直ぐに、わたくしの心を射抜く彼の言葉。
「俺がいるだろうが! ああ? 何も考えず、目的を持たず、そうやって生きてきたつもりでも、そうはいかねえんだよ! お前はどうして、俺を生かした? 俺に『鎖』をかけたんだ? ギルドの命令は、俺の抹殺だった。そうでなくとも、お前が俺を『鎖』で縛る理由はない。……だったら! それは! てめえの『意志』だったんじゃねえのか!」
「そ、それは……」
わたくしは、言葉を失う。
あの日、わたくしの前に現れたのは、暴走する自身の力を持てあまし、『痛み』を忘れた獣のような男。彼を見た瞬間、わたくしは彼を『鎖』で束縛し、『痛み』を与えることを決めた。
でも、何故なのだろう? どうして、そんな必要があったのか?
そんな必要などない。そんな必要など……なかったのに。
「ヴァ、ヴァルナガン……。貴方は……わたくしを憎んでいたのではないのですか?」
震える声で、そう問いかける。すると彼は、呆れたように息をつく。
「お前、本当に馬鹿だな。鎖で縛られようが何だろうが、俺が憎い相手に唯々諾々と従うような男だとでも思ってたのか?」
ヴァルナガンは、さも嬉しそうに『馬鹿』という言葉を繰り返す。
「……では、なぜ?」
「馬鹿な問いかけだな。決まってんだろうが。俺はお前に惚れてるんだ。体力さえ残ってりゃあ、このままお前を押し倒しちまいたいぐらいにはな」
「……何を馬鹿なことを」
動揺のあまり、わたくしはまともな言葉も返せない。彼の普段の言動は、くだらない軽口ではなかったと言うのか?
「……ルシエラ。聞いているか?」
「え? あ、な、なんでしょう?」
あまりのことに思考が停止していたわたくしは、エイミアの声に気付くのが遅れたらしい。彼女は呆れたような顔をしている。
「……そういうふしだらな真似は、屋内で二人きりの時にしてくれないか?」
「ふ、ふしだら?」
首を傾げるわたくしに対し、彼女は無事な方の腕を上げ、指を差してくる。その指の動きに合わせ、わたくしは自身の身体を見下ろした。
「え? あ……きゃあ!」
ヴァルナガンの腕を振りほどき、わたくしは自分の『腕』で自分の『身体』を抱えるようにしゃがみ込む。
「ちっ! エイミアめ。余計な真似をしやがって」
背後で舌打ち気味の声を出すヴァルナガンの言葉に、なお一層の恥ずかしさがこみあげてくる。半ばまで吹き飛ばされたわたくしの身体は、ヴァルナガンの使用した【生命魔法】によって、ほぼ完全なレベルで復元されていた。
すでに衣服が吹き飛ばされた状態で肉体が復元すればどうなるか? 言うまでもない。今のわたくしは、ほぼ全裸に近い状態となっていた。
「がは、がははは! いやあ、恥ずかしがるルシエラの姿なんざ、初めて見たぜ……」
重く響くような音と共に、背後に立っていたはずの男が倒れる気配がする。
「ヴァルナガン!」
過剰な生命魔法は、彼の身体にも大きな負担をかけていたのだろう。そう思ったわたくしが、慌てて後ろを振り返ったその時。
「がはは! かかったな?」
「な!」
腕を引っ張られ、正面から抱きしめられる。血濡れた身体を見る限り、彼は自身の肉体を回復させてはいないようだった。
「は、離しなさい!」
「嫌だね。やっぱり、抱きしめるなら正面からに限るぜ。がはは……」
力無い声で言いながらも、その腕だけは力強くわたくしを抱きしめてくる。
そんな彼の姿に、わたくしは諦めて息をつく。
「……馬鹿」
そうして、わたくしは彼の身体に、彼から与えられた『腕』を回す。するとそこへ、
「だから、屋内でしろと言うに……」
「ちくしょう、何だよ。この敗北感。勝負は僕が勝ったはずだろ?」
「ひゅーひゅー! やるじゃん。ヴァル兄、ルー姉! 白昼堂々、青空の下でおっぱじめちゃう?」
いつの間にか周囲を囲む三人が口々に何かを言っている。
……しまった。また、油断してしまった。
それでも、この腕の温もりは、わたくしが自分の意志で掴んだものなのだ。ならば、後悔だけはするまい。
──しかし、そんなわたくしの決意も、この後、一人だけ残ったレイフィアから執拗なからかいを受けるまでのことだった。