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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第19章 栄華の庭と世界の絶望
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第188話 獣と人の戦い/理性と情熱の戦い

     -獣と人の戦い-


「うらあああああ!」


「ぐがあああああ!」


 目の前が真っ赤に染まっている。顔の横すれすれを黒い剛腕が通り過ぎ、かすめた竜鱗が焦げ臭い匂いを放つ。叩きつけた槍が敵の皮膚を裂き、骨を砕く感触が生々しい。だが一方で、硬いものを叩いた感触に手がしびれる。繰り出される蹴り足を翼による後方への滑空により回避し、追いすがる敵の側面に回り込んで衝撃波を放つ。一瞬、確かに敵の腕から鮮血が散ったように見えたはずなのに、次の瞬間には何事もなかったかのように、岩のような拳が迫り、防いだ槍越しに全身を強い衝撃が襲う。


「はっはー! 楽しいねえ!」


「うるさい!」


 間合いを空けるべく、僕はとっさにブレスを吐く。そして、吐いた瞬間に失敗を悟る。奴にブレスは効かない。それはもう、全くと言っていいほど無意味だ。だからこれは、僕が『ブレスを吐く』という動作をした分だけ、奴に対して余計に隙を見せてしまったことになる。


「おらあ!」


 斜め上から振り下ろされる、漆黒の腕。僕は体勢を崩した不利を取り戻すべく、その攻撃をあえて紙一重で回避しようとした。


「ぐあ!」


 ヴリトラの純白の鱗が引き裂かれ、焼けつく痛みとともに鮮血が散る。これまで拳による攻撃を繰り返してきたヴァルナガンは、ここにきて指を広げた掌打による攻撃に切り替えてきた。その結果、僕は指の分だけリーチが伸びた攻撃を見切れなかった。


「……くそ。駆け引きが上手いだなんてもんじゃないな」


 背中の翼で宙を舞い、【気功】で傷を癒しつつ、僕はヴァルナガンの姿を見下ろす。


 悪魔のような立ち姿の大男。人間とは思えない漆黒の身体には、これまでのように鎖は巻かれておらず、元の焦げ茶から漆黒に染まった頭髪は針金のような硬さを感じさせる。そして何より、落ち窪んだ目に宿る赤い光は、モンスターのように狂気に満ちたものに見えた。


 ──だが、その実、奴はどこまでも冷静だ。


 僕よりもさらに長い戦闘経験に裏打ちされた勘の良さに、こちらの心理を絶妙についてくる変化にとんだ攻撃。一撃一撃が必殺の破壊力を持っていると言うのに、すべての攻撃に意味を待たせて放ってくる。牽制であり、布石であり、囮であり、本命であるそれらの攻撃は、こちらが一手間違えればそのまま敗北につながりかねない緻密な計算の上に成り立っている。


「どうした? いつまでも飛んでねえで、かかってこいよ!」


 挑発の言葉に滲む粗野な性格は、見せ掛けだ。この男は獣ではなく、狩人だ。


 だがそれでも……奴は忘れていることがある。


「【因子暴走オーバードライブ】」


 かろうじて人の形を残していた顔の部分まで竜化させ、僕は吠える。


「がはは! 化け物! いいねえ、化け物! 俺とお前は化け物同士だ! せいぜい、殺し合い、喰らい合おうじゃねえか!」


 そんな僕を、嬉しそうに見上げるヴァルナガン。


「るぅあああああ!」


 喉から声にならない雄たけびをあげ、僕は一直線にヴァルナガンへと降下する。


「はっ! 芸がねえぞ! おらあ!」


 ヴァルナガンは僕の動きをぎりぎりまで見据え、下からすくい上げるような拳の一撃を放ってくる。僕が降下する速度を正確に把握し、減速も方向転換もできないだろうタイミングを捉えての一撃だ。だが僕は、その寸前で奴に向かってブレスを吐く。効かないのはわかっているが、これは攻撃のためのブレスではない。風の塊を吐きつけるブレスによって、急減速をかけるためのものだ。


 僕が装備する『デッドウイングの羽根靴』には、慣性を殺す効果もある。それでもなお、ほとんど上半身を後ろに弾かれるような勢いに、僕は歯を食いしばる。宙返りするように後方へ下がった僕の動きに対応できず、ヴァルナガンの一撃は空を切った。


 僕は後方宙返りの最中に手にした槍を腰だめに構え、背中の翼で姿勢を制御しながら『轟音衝撃波』を奴に叩きつける。


「馬鹿の一つ覚えかよ!」


 ヴァルナガンは身体の一部を吹き飛ばされながらも瞬時にその傷を再生し、跳び上がりざまに両手でつくった握り拳を僕の上から叩き下ろす。


「ごがっ!」


 僕は身を捻って槍を叩きつけるが、それで勢いが止まるヴァルナガンではない。息がつまるような一撃に、たちまち大地に叩きつけられる。先の戦闘で『聖堂騎士団』に壊された『乾坤霊石の鎧』が今度こそ粉々に砕け、僕は激しく地面を転がった。そうして転がりながら、奴の踏みつけを回避し、槍を起点に身体を起こす。目前に迫る奴の身体に軽く槍の穂先を押し当て、その勢いで距離を取りつつ宙に浮かぶ。


「なんだあ? 化け物じみた姿になった割には、随分ちゃちい戦い方するじゃねえか。ブレスで減速かますなんざ、積極性の欠片もねえな」


 つまらなそうに言いながら、豪快に笑うヴァルナガン。どうやら、奴は僕が【因子暴走オーバードライブ】状態になった理由を勘違いしているらしい。だが、勘違いなら、させておくに限る。今の僕を『獣』だと思っているのなら、思わせておけばいい。


「うるああああ!」


 僕は再び声を張り上げると、刃の付いた尾を振りかざし、奴めがけて叩きつける。意表を突いた攻撃は、奴の皮膚こそ切り裂いたものの、その程度の傷は一瞬で治癒される。どころか奴は僕の尾を素手でつかみ、振り回すようにして僕の身体を近くの石塔に叩きつける。


「ぐああ!」


 粉々に砕ける石材は、『魔族』の技術で強化されたもののはずだ。僕の身体も強化されているとはいえ、その勢いで叩きつけられて無事で済むはずがない。今ので骨の何本かは、確実に折れてしまっただろう。


 戦闘時の興奮のためか、痛みこそないものの、確実に身体の自由が損なわれているのがわかる。【気功】による回復もしているが、蓄積するダメージの方がはるかに多い。


「……つまんねえな。俺はもっと、熱く、滾った、獣のような戦いがしてえんだよ! ああ、もういいや。拍子抜けだぜ。がっかりだ! ……さっさとてめえは片付けて、俺はあっちに行かせてもらうぜ?」


 満身創痍の僕に対し、傷ひとつない姿で笑うヴァルナガンは、先ほどから激しく光が乱舞するもうひとつの戦場を指し示す。だが僕は、そちらに目を向けることすらしなかった。黙って奴の姿を見つめ、槍を構える。


 【魔鍵】『轟き響く葬送の魔槍ゼスト・ヴァーン・ミリオン


 槍とは言っても、形状としては二股の音叉のようなものだ。穂先には刃すらない。普段なら槍に空気の刃を生み出すところだが、今のヴァルナガンの表皮には、その程度では歯が立たないのはわかっている。


 それでもこの槍は、僕にとっての最強の切り札だ。異形の姿になり果てて、復讐に狂い、生きる意味すら見失っていたかつての僕に、エイミアさんが与えてくれた強さの証。


 これがある限り、僕は自分の『最強』を誰にも譲るつもりはない。


「もう勝ったつもりカ? 『元最強』の冒険者」


「へえ、言うじゃねえか? 『暫定最強』の冒険者がよ」


 僕は槍を、奴は拳を構えて笑う。獣のように。人のように。

 僕は身体の回復具合を確認すると、弾かれたように高速で奴に迫り、怒涛の勢いで奴の身体に槍を叩きつける。


「ぐはははは! そうだそうだ! やれんじゃねえか!」


「うおおおおお!」


 たちまち始まる乱打戦。死の暴風が吹き荒れる紙一重の殺し合い。だが、ヴァルナガンの方はどんな傷でもたちどころに治癒してしまうため、紙一重なのは僕の方だ。僕は自身に備わった【オリジナルスキル】“闘神の化身”による戦闘感覚をフル動員し、致命傷になりかねない一撃を優先して回避する。


 かわしきれない黒い拳が身体を強かに打ちつけ、鈍い痛みに僕の全身が悲鳴を上げている。すでに身体中の鱗が摩擦によって黒く焼け焦げ、剥がれ、ひしゃげて酷い有り様と化していた。


「がはははは! これでどうだあ!」


 ヴァルナガンは自身の身体が傷つくのもいとわず、僕の槍を胸板で弾き返しながら、巨体による体当たりを仕掛けてくる。まるで大岩にでも激突されたかのような凄まじい衝撃に、僕はたまらず弾き飛ばされ、近くにあった石塔のひとつに背中を強打した。


「あ、あが……ぐ……がはがはっ!」


 口の中に血が滲む。肋骨が折れて肺に刺さったのかもしれない。呼吸が苦しい。せめて回復用の【魔法薬】でも口にできればいいのだが。そんな素振りを見せれば、間違いなくその隙にやられるだろう。


「ああ、なんだ。そろそろ、終わりか? どうする? なんならここで許してやってもいいんだぜ? お前が俺を『最強』だと認めるんならな」


 石塔に背中を預けたまま、僕はぼんやりと揺れる視界の中を歩いてくる、漆黒の悪魔の姿を見つめている。……と、その時。僕の瞳は、ようやく待望のものを見出すことができた。


「み、認め……」


「ん? なんだあ?」


 にやにやと笑いながら、歩いてくるヴァルナガン。その足元には、彼の身体からポタポタと垂れる液体が滲んでいる。


「認めるのは、お前の方だよ!」


 僕は全身の力を振り絞り、大声を上げて槍を繰り出す。折れた肋骨が激しく痛み、口の中に血の味がこみあげてくる。


「見苦しいぜ? おい」


 力無く突きだされた槍。ヴァルナガンは、それを素手で横に払おうとした。


 だが、その瞬間──


「な、なんだあ? か、身体が……」


 不思議そうな顔をするヴァルナガン。全身から血を吹きだし、歪に曲がった腕をだらりと下げ、膝を地に着けたまま、身体をガクガクと震えさせている。


「僕は……滅茶苦茶苦しいよ。身体が燃えるようだ。今にも血を吐きそうで気持ち悪いし、身体を動かすたびに激痛が走る。泣きそうに辛いね」


 ぜえぜえと荒く息をつき、石塔に寄り掛かった体勢で、僕はつぶやく。


「……な、なんだと?」


 ヴァルナガンは、身体をふらふらと揺らせながら、なおも訳が分からないと言った顔で僕を見上げる。既に彼は、両膝を地に着け、今にも倒れそうだった。


「『人』としての痛みを忘れちゃ、おしまいだって話さ。そもそも自分の身体の異常を感じ取れなきゃ、それこそ死につながる。お前みたいに瞬時にすべての傷が治癒できるような『化け物』には、痛覚なんて不要だったのかもしれないけどな」


「てめえ、俺に何をしやがった……」


「僕の【魔鍵】の神性、“狂鳴音叉シンパシイ”が、お前の身体にかかった治癒の【魔法】を狂わせた。お前はそれに、気付かなかったんだ。……お前に痛覚があれば、傷が治らなくなりつつあることに気付けただろうにね」


 かつての『手合わせ』の中で、エイミアさんがルシエラから得た、わずかばかりの彼の情報。それこそが、彼の身体に『自動で治癒する【生命魔法】ライフ・リィンフォースが常時かかっている』というものだった。


「んな、馬鹿な……」


「ちなみに、僕が【因子暴走オーバードライブ】状態になったのは、肉体を強化するためじゃない。槍の性能をすべて、自身の身体の制御じゃなく、お前の身体の制御に向けたかったからだよ」


 槍を使わなくても【因子】の暴走を制御する方法は、シリルに学んだものだ。


「傷が治らないだと? くそ……」


 痛みが無くとも、出血による身体機能の低下は、意識を朦朧とさせているらしい。漆黒の顔に苦悶の表情を浮かべ、理解できないものを見るように僕を見上げてくる。


「以前僕は、傷を治せない状態に陥ったことがあってね。その記憶をもとに、お前の身体を共鳴させてやったんだ。全部ではないにせよ、治ったはずの傷口さえ悪化しているだろう?」


 そのために、僕は無謀とも無駄とも見えるアタックを繰り返したのだ。奴の身体に一つでも多くの傷を生み出すために。


「がは、がははは! やるじゃねえか。大したもんだぜ。現役最強の冒険者さんよお!」


 血濡れた身体で立ち上がり、拳を振るうヴァルナガン。折れた腕でどうやってのことかはわからないが、黒い拳が僕に迫る。


「ロートルは、さっさと引退しやがれ!」


 激痛に苛まれる身体を動かし、僕も負けじと応戦する。僕たちは、ただひたすらに殴り合う。これまでとは比較にならないほどに動きは鈍く、力も弱い。


 けれど、これまで以上に互いの命を削りあう拳の応酬。


「がは、がはは……」


「はあ! はあ! はあ!」


 やがて、ずしんと響く音と共に、ヴァルナガンの巨体が崩れ落ちる。


「か、勝ったぞ……」


 それを見届けて、僕は仰向けにひっくり返るように倒れ込んだのだった。



     -理性と情熱の戦い-


 ルシエラの頭上に絶えることなく光の雨を落とし続け、同時にわたしは追尾型の光魔法をも“黎明蒼弓フォールダウン”で叩き落とさねばならない。さすがのルシエラも、頭上に禁術級光属性魔法《霊光集う水晶の城壁クリスタル・ウォール》を展開しながらでは、それほど強力な【魔法】は使ってこれないらしい。


 どうにか隙を見て、わたしの方も反撃を試みる。掌の先に黄金の【魔法陣】を明滅させ、神経を研ぎ澄ませながら詠唱を開始。


〈目標を違うことなき光の魔弾。運べ妖精の射手〉


妖精の魔弾フェアリー・ショット


 意趣返しだと言わんばかりにわたしが使ったのは、敵と同じ光属性中級魔法だ。


琥珀の城壁アンバー・ウォール


 しかし、【魔法陣】も詠唱もなく発動する中級魔法が、わたしの【魔法】をあっさり受け止める。何故あんな真似ができるのか。依然として理解できない。


「このままでは、埒があきませんね。数十万本の規模があるのでは、このペースで矢を降らせても、あと一、二時間は粘られそうですし……」


 珍しく思案顔でつぶやくルシエラ。とはいえ、わたしとしては、後一時間も持たせられるとは思っていない。矢の本数は問題ではないが、わたしの精神力の方が持たないだろう。今もなお、出現し続ける追尾の魔弾に“黎明蒼弓フォールダウン”を命中させるのは、それだけ至難の技なのだ。


 いつかは失敗する時が来る。その前に打開策を見つけなければ、わたしの負けだろう。


「では、こうしましょう」


 言いながら、ルシエラは指で虚空に何かを描く仕草を見せた。訝しく思いつつも、攻撃の手が止んだことを好機と見たわたしは、一気にルシエラの元まで疾駆する。手には強化した腕力で握る『乾坤一擲ラスト・インパクト』。


 古参の冒険者が引退間際にわたしに託した、固くて重い、想いの小太刀。


 振りかざす小太刀は、しかし、突如として出現した光の刃に受け止められる。その光を見た瞬間、わたしの背筋に寒気が走る。


「馬鹿な!」


「わたくしが禁術級を同時にふたつ使えないなどと、いつ言いましたか?」


 まずい。この間合いで《舞い降りる天使の剣アポカリプス・ブレード》などを振るわれれば、間違いなく死ぬ。考えている暇はなかった。わたしはほとんど無我夢中でルシエラとの間合いをさらに詰め、その《剣》を抑え込みにかかる。


妖精の魔弾フェアリー・ショット


「なに? うああ!」


 だが、突如として至近距離に出現した魔弾は、とっさに身をよじるわたしの身体を削るように通り過ぎていく。


「ぐうう!」


 わたしは痛みをこらえて地を転がり、再び迫る魔弾に向けて〈十を束ねし一の光〉を射ち落とす。


「くそ! なんだ、今のは……」


 とっさに初級魔法で傷口を癒しながら、わたしは毒づくようにルシエラを見た。彼女の手には先ほどの光の剣は見当たらない。


「先ほどの剣は、まやかしか? ……いや、禁術級に見せかけた中級魔法か」


「……ヴァルナガンもそうでしたが、中々に厄介なものですね」


 わたしの声を無視するように、静かにつぶやくルシエラ。


「せっかく傷を与えても、回復されたのでは意味がない。確かあなたは“閃光の聖騎士”でしたか。だとすれば【生命魔法ライフ・リィンフォース】も上級クラスでしょうね」


「……随分と余裕だな」


「いいえ、そうでもありません。あなたがここまで強いとは、思いませんでした。……さすがは、わたくしの『最後の敵』です」


 そうは言うものの、大して嬉しそうな素振りさえ見せないルシエラは、ヴァルナガンと違い、戦闘に楽しみを見出しているわけではないのだろう。彼女にとっては、それが『困難』であるかどうかがすべてなのだ。


「なら、最後の敵らしく、君に勝利して終わらないとな!」


〈還し給え、千を束ねし一の光。二重に三重に降り注げ〉


 わたしは“黎明蒼弓フォールダウン”の中でも特に強力な三千本を三本にまとめた矢をルシエラの頭上目掛けて撃ち落とす。ただでさえ、天空に近いこの場所では威力が増すのがこの技だ。ルシエラの禁術級魔法であっても、そうやすやすとは防げまい。


「無駄です」


霊光集う水晶の城壁クリスタル・ウォール

霊光集う水晶の城壁クリスタル・ウォール

霊光集う水晶の城壁クリスタル・ウォール


 落ち着いた彼女の声が聞こえた直後、炸裂する圧縮三千連撃。しかし、ルシエラの姿は微動だにしない。彼女の頭上には、依然として輝く光の壁がある。


「ば、馬鹿な……禁術級を三つ同時に……だと?」


 わたしはそう言いながらも、次の瞬間には自分の言葉が間違いであることを悟る。


「違う。まさか……瞬間的に三連続の障壁構築魔法を発動したのか?」


 同時ではないとは言え、ある意味、それ以上に厄介だ。ほとんど間隔を空けずに連続魔法が行使できると言うことは、わたしがどれだけ強化した一撃を放っても、彼女はそれを減殺し切るまで、延々と防御壁を構築し続けることができるということになる。


「ご名答です。『同時』では『糸』の長さが足りませんが、連続発動なら一度の長さは同じですからね」


 彼女は、意味の良く分からない言葉を口にした。


「さて、次はこちらの番ですね」


光の散弾レイ・ガン


 ルシエラの掌から、無数の光の弾丸が発射される。だが、初級魔法程度なら、わたしにも対処はできた。


鏡の盾ミラー・シールド


 無詠唱でも即座に発動する初級魔法の防御壁が、ルシエラの光の散弾を弾き返す。


光の散弾レイ・ガン

妖精の魔弾フェアリー・ショット

白銀の炸裂弾シルバー・ミサイル


「なに!?」


 初級魔法の光の散弾と中級魔法の追尾型光弾、さらには上級魔法の炸裂弾がほぼ同時にわたしをめがけて迫りくる。


 わたしはそれを絶望的な思いで見つめた。だが、対処方法が無いわけではない。


 それぞれの攻撃魔法に対し、わたしが取るべき手段は次の通りだ。

 初級の散弾は数が多く、回避しきれないため、障壁で防ぐ。

 中級の追尾弾は初級の障壁では防げず、回避も困難なので矢を降らせて撃ち落とす。

 上級の炸裂弾は同じく初級の障壁では防げず、撃ち落とそうにも炸裂する恐れがあるため、大きく回避行動をとる。


 そう、口で言うのは簡単だ。しかし、現実にはその三つを同時にこなすのは不可能だ。……ならばどうするか。決まっている。被害が少ないであろう、どれか一つの防御を捨てるのだ。


「くおおお!」


 わたしは、大きく回避行動をとりつつ、追尾弾目掛けて矢を落とす。全身をかすめる光の弾丸は、否応なしにわたしの身体を傷つけていく。


〈還し給え、千を束ねし一の光。二重に三重に振り注げ〉


 わたしは追撃を防ぐべく、再び強力な圧縮三千連撃を彼女の頭上に撃ち落とす。少なくともこの間、彼女は頭上の防御に意識を向けるはずだった。


 全身はもはや血塗れだ。頭や首などの急所を護り、それ以外はルシアの“理想の道標”などで強化した高額な【魔法具】の防具でガードしていたため、致命傷にはなっていない。わたしは敵の攻撃が止んだのを見計らい、自身に回復魔法を発動しようとした。


 だが、発動しない。


「な、どういうことだ……?」


 気づいてみれば、わたしの足に銀の鎖のようなものが巻きついている。


「……【魔鍵】『束縛する王命の鉄鎖ゼスト・ヴァズエル・ヴァクサ』。あなたの【生命魔法】ライフ・リィンフォースは、わたしが許可するまで、使用不可です」


「【魔鍵】だと? これは、ヴァルナガンの【魔鍵】ではなかったのか?」


 わたしは全身の傷の痛みに顔をしかめながら、彼女に問いかける。


「わたくしの【魔鍵】です。あの馬鹿には……一時的に『貸して』いただけです」


「束縛していた、の間違いじゃないのか?」


 かつてヴァルナガンの身体に巻きつけられていた鎖。これが外れると同時、彼はその姿を異形に変えて、恐るべき力を発揮した。そして今、わたしはこの鎖に囚われ、能力の一部を使えなくさせられた。ならばこの鎖の力は、その名の通り、束縛あるいは封印を意味するものではないのか。そう思っての皮肉だったが、ルシエラは答えない。


「傷の回復と身体強化ができなくなった貴女など、恐れるに足りません。……名残惜しい気もしますが、次で終わりですね」


 言いながら、彼女は腕をゆっくり掲げ、その掌をわたしに向けて突き出した。


「今度は『回避不能な上級魔法』です」


天空の流星雨セレスタル・レイン


 短い言葉と同時、無数の光の球が出現する。純白の衣に身を包むルシエラを囲むように出現したその光は、ふわふわと宙を漂うように浮いている。


 ルシエラが使ったのは、限りなく禁術級に近い上級魔法と言われるものだ。周囲全方向から無数に叩き込まれる光の球は、たとえ超大型のモンスターでさえ一撃で仕留めてしまう。


 発動までの準備は手間だが、一度発動してしまえば、逃れようはない。光の球はわたしたち二人の周囲にまで広がっていき、そのすべてがわたしを射程に捉えるだろう。


 まさに状況は絶体絶命。しかし、わたしは笑みを浮かべる。


「ひとつ、聞きたいことがある」


「なんですか?」


「君は、不思議には思わなかったのか? ……千本を一本に凝縮し、二重に『三重に』と落とした矢について」


「……三重に?」


「そう。君は先ほど、『二本』しか頭上で防御しなかった」


 指先から血が滲む。皮膚が裂け、筋肉が痙攣し、激痛のあまり目眩さえしてくる。


「な、そ、それはいったい!?」


 ようやく彼女の驚愕の声を聞くことができた。わたしはそれだけで満足だった。


 バチバチと暴れる力を強引に右手の中で制御する。すでに『ソレ』を掴んだわたしの右腕は、ボロボロだった。


「さあ、選べ。このまま相打ちとなって死ぬか、全力で防御魔法を構築するか。二つに一つだ」


「……なるほど。頭上からだけでなく、正面からも千本の矢を放つと言うわけですか。確かに、アレンジ版の《霊光集う水晶の障壁クリスタル・ウォール》で正面と頭上を同時に防御するにしても、攻撃魔法を展開しながらというのは、少し厳しいかもしれませんね。いいでしょう。あなたの誘いに乗ってあげます」


 そんな言葉と共に、周囲に展開されていた光の球が消失する。


「ですが、回復魔法が使えない状態で、そこまで右腕を酷使している以上、次は同じ真似はできませんよ。つまり、その一撃を受け切れば、わたくしの勝ちです」


「はは……」


 ……わたしは笑う。やはり、そうだった。


 ルシエラは『困難な目的を達成することが目的だ』などと言うとおり、こうして挑まれれば、必ず正面から受けようとする。このことは彼女が打算的な性格に見えて、その実、誰よりも理性ではなく感情で行動する人間であることを示している。


「君は、わたしが毎朝『百や二百ではきかない数』の矢を捧げていると聞いて、酷く驚いていたな? どうしてだ?」


「……意味が分かりませんね」


 わずかに声に苛立ちを滲ませる彼女。


「わたしに、そこまでの【魔力】があるはずはない。そう思っていたからだろう?」


 人間は【魔法陣】を宙に描くだけで、かなりの【魔力】を消耗する。【魔法】という形を取らずに矢の形に変えて放つなど、本来なら不可能だ。ましてや、それを数百本ともなれば、人間業ではない。


「…………」


 彼女は無言のまま、自分の正面に障壁を生みだした。情報が少なく、理解できないことに対する意図的な思考停止。目的を達することのみに特化された、彼女の業。


 『目的と手段を履き違える』ということはすなわち、自身に大いなる矛盾を強いることだ。胸奥に熱情を抱きながら、表面に打算を巡らす彼女は、しかし、その矛盾に気付かない。


「この【魔鍵】の特性のひとつに、使用者の【魔力】を矢の形に『増幅しながら集束する』というものがある。だからこそ、わたしは【魔力】切れもせずに毎朝、思う存分『捧げ矢』を放てるのさ」


 わたしは『謳い捧ぐ蒼天の聖弓カルラ・リュミエル・レイド』に『矢』を番え、強く引き絞る。右腕はもはや限界だ。下手をすれば骨までボロボロかもしれない。痺れて半分感覚が無いが、それでもわたしは弓を引く。


「増幅? ま、まさか……!」


 慌てて目の前の障壁に重ねるような術式を描き始めるルシエラ。


「この一撃には、今のわたしのすべてを込める。受け切れるものなら受け切ってみろ!」


 弓に番えられた途端、凝縮された千本の矢は、さらにその数百倍にまで膨れ上がる。


 引き絞った弦から手を離した……というより、限界を迎えた指の骨が砕けた。掴んでいられなくなった矢は、わたしの身体を後方に弾き飛ばしつつ暴発するように放たれ、そのまま極太の閃光となってルシエラに迫る。


「こんな、馬鹿な……!」


 ルシエラは連続して【魔法】を行使し、瞬間的には禁術級の障壁を都合七枚ほど出現させていた。しかし、わたしの放った数十万本に匹敵する威力の矢は、そのことごとくを打ち砕き、彼女の身体を正面から飲み込んだ。

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