第182話 楽しい未来をお話ししよう/湧出宙域
-楽しい未来をお話しよう-
春が来た。
あたしは、声を大にして叫びたい。長く辛かった冬を越え、待ちに待った春の訪れ。あたしがそれを知った時、どれだけ嬉しかったことか。それはもう、ヴァリスのところまで駆けていった挙句、わけが分からず狼狽える彼の手を取って、万歳三唱を繰り返し続けてしまったくらいに最高の気分だった。
「うー! もう勘弁してよう……」
半泣き気味のくぐもった声が聞こえてくる。シリルちゃんの部屋には、彼女以外に女三人が揃っている。あたし、シャルちゃん、そしてレイフィアの三人だ。ちなみにエイミアだけは、そんなに虐めたら彼女が可哀そうだという理由で、この場には来なかった。彼女の場合、「もし自分だったら」という恥ずかしさもあるんだろう。
一方、本日の主役であるところのシリルちゃん自身は、寝台の上で布団を頭からかぶったまま、ただひたすらに呻いている。
「なんで? どうして? めでたいことじゃん! あたしらは純粋に、おめでとうを言いに集まったんだよ?」
嬉々として声を弾ませ、猫の瞳をまんまるにしながら笑うレイフィア。でも、この日ばかりは彼女のことを責められない。なぜなら、あたしもシャルちゃんも、この機を逃してはなるまいという想いは同じだったからだ。
いつも冷静沈着で、感情を表に出さなかったシリルちゃん。最近ではそうでもなくなったけれど、それでも、こと『この問題』に関して言えば、なかなかお話をする機会もなかったのだ。
「……ねえ、シリルちゃん。そんなに恥ずかしがることないじゃない? はじめて恋人ができた女の子が浮かれて羽目を外しちゃうことくらい、よくあることだと思うもの」
あたしがなだめるようにそう言うと、シリルちゃんが頭からかぶっている布団が動いた。
「ほ、本当? ほんとにそう思う?」
恐る恐る、といった感じで布団の中から銀色の髪が垣間見えてくる。
「うんうん! ほんとだってば! ぴったり寄り添いあって街中を歩き回ったり、食べ物を『あーん』しあったりするくらい、よくあるよくある! ありまくりだよ!」
「いやあああ!」
ああ、レイフィア。またしても余計なことを……。シリルちゃんが頭から布団をかぶり直しちゃったじゃない。
「……レイフィアさん。あんまりそんなことを続けているようだと、出て行ってもらいますよ?」
「へ? い、いやだなあ……ちょっとした冗談じゃない。そんなに怖い顔しないでよ。あはは……」
ぞっとするような低い声を出したシャルちゃんに、レイフィアが思いっきり顔を引きつらせている。
それにしても、シャルちゃんは強いなあ。あたしはシャルちゃんの複雑な心中を思いやりながら、感心してしまう。寂しくないわけはないだろうに、それでも、彼女はルシアくんとシリルちゃんの仲がうまくいったことを心の底から喜んでいる。
「シリルお姉ちゃん。昨日の夜のことは、もういいから。少しお話がしたいの」
シャルちゃんが改めて声をかけると、シリルちゃんはようやく布団から顔を出した。
「……お話?」
「うん。……気が早いかもしれないけど、今後のこと。世界を救ったその後のこと」
「世界を救った、その後……?」
寝台から身を起こし、呆然とした顔でシャルちゃんを見つめるシリルちゃん。そんなことは考えたこともなかった。そんな心の内が、あたしじゃなくてもありありとわかる顔だった。
「うん。今はほら、そういう目的があって、わたしたちは一緒に旅をしてるけど……もうすぐでしょう? 【水の聖地】で補助装置を設置したら、すぐにでも最後の【聖地】に向かうわけだし、その後、皆はどうするのかなって……」
この話をしようと切りだしてきたのは、シャルちゃんだった。そして、シャルちゃんの『狙い』を聞いたあたしたちは、一も二もなく賛成したのだった。レイフィアは面白半分な部分があるみたいだけど、それでもあたしの“真実の審判者”で見る限り、賛同してくれたことは嘘じゃなかった。それは少しだけ、意外に思う。
「……そうね。【狂夢】の収束と世界律の再構築ができれば、わたしの旅の目的は果たせてしまう。あえて冒険者として旅を続ける理由も……ないのかな?」
寝台に腰かけた姿勢のまま、シリルちゃんは思案顔になった。こういうところは、わかりやすくていい。彼女はいつだって、目の前に与えられた命題があれば、それに一生懸命、前向きに取り組んでくれる。
「えー? いいじゃん、冒険者! モンスターはぶっ殺せるし、多少の無茶なら見逃してもらえるし、いいこと尽くめだよ?」
冒険者ギルドにおける、Sランク冒険者。自由気ままな『紅蓮の魔姫』は、楽しそうに笑う。彼女の言い様はともかく、このまま冒険者を続けること自体は、選択肢のひとつだ。誰にも縛られず、旅から旅へ、今まで通りみんなで楽しく冒険を続けていても、何の問題もない。
でも、未来への選択肢はひとつじゃない。
「あたしは、どうしよっかなあ。ルーズの町のお店もあるし……、ヴァリスもあの町は気に入ってくれてるし、『竜の谷』も近いし……あそこで暮らすのもいいかも。うーん、迷っちゃうなあ」
あたしは多少わざとらしく、そんな言葉を口にする。この発言、まるで旅が終わったらヴァリスと一緒に暮らしますって宣言してるみたいなものだけど……そうなれたら嬉しいな。その気持ちは本物だった。
「……そうね。わたしも、あの町は好きよ。アリシアがあそこで暮らすのなら、同じようにそこで生活するのも悪くないかもしれないわ」
うんうん! これは良い傾向だね。自分でも気づいていないだろうけど……彼女は今、自分の『未来』を考えている。そして、これこそが、あたしたちの狙い。
目の前の目的に一生懸命になるのはいいけど、それだけじゃなく、これからも続いていく未来のことを、彼女自身の幸せを、彼女が『幸せ』というものを実感できた今だからこそ、考えてもらいたい。あたしたちはそう思ったのだ。
「わたしは……目が覚めたセフィリアと、この世界を一から旅してまわりたい。二人でいろんなものを見て、いろんなことを感じて、たくさんお話をして、一緒に笑いあえたら嬉しいな……」
控えめに、そんな『夢』を口にするシャルちゃん。今のシャルちゃんは、時間の許す限り、セフィリアちゃんのいる医務室に通い、【魔法】をかけてあげているらしい。いつかきっと、そんな願いも叶うといいね。
「わ、わたしは……」
シリルちゃんは顔を赤くして口ごもる。
「シリルちゃんは、誰と一緒にいたい?」
あたしは少し、意地悪く問いかける。
「そ、それは……」
「『みんな』って答えはダメだよ? 人それぞれ事情はあるし、ずっと一緒にはいられないかもしれないんだからね。ちゃんと一人に絞らなきゃ」
機先を制してそう言うと、シリルちゃんは拗ねたような顔であたしのことを睨みつけてくる。うん、とってもかわいい。これはルシアくんがメロメロになっちゃう気持ちもわかるってものだね。
「そ、それは……だ、誰か一人って言うなら……ル、ルシアよ」
耳まで真っ赤になりながら、ようやくその言葉を口にしてくれたシリルちゃん。あたしとシャルちゃんは思わず会心の目配せを交わし合う。
「おお……」
何故かレイフィアまでが、からかうこともなく、感無量といった顔をしているのは、やっぱり少し意外だったけれど。
「か、勘違いしないでよ? わたしには、彼をこの世界に【召喚】しちゃった責任が……」
「いやいや、シリル。その話はもう古いよ? 聞き飽きちゃった。あたしが聞きたいのはさ……最新情報だよ。決まってるでしょ? ホットなニュース、聞かせてよ」
間髪入れず、レイフィアの一言。さすがにこういうところは素早いんだから。でも、今回に限って言えばファインプレーだと褒めてあげてもいいかもしれない。
「うう……わ、わかってるわよ……」
驚いたことに、シリルちゃんが素直に認めてしまっていた。
「わ、わたしだって……す、好きな人と、ずっと一緒にいたいって、思うわよ。だから、もしこの世界を救うことができたなら……わたしはルシアと一緒に、この世界で幸せに生きていきたい」
顔の赤みは消えないけれど、それでも彼女は堂々と前を見据え、はっきりとそう言った。あたしはこの時点で、とうとうこらえきれなくなってしまった。
「シリルちゃーん! おめでとう!」
「え? きゃ、きゃああ!」
これでもかというくらい、全力だった。腰かけていた椅子から立ち上がり、電光石火の勢いでシリルちゃんに迫り、がばっとその身体を抱きしめ、押し倒す。
「ちょ、待って! く、苦し! 重い! 重いから!」
「もー! この幸せものめー!」
あたしは彼女を抱きしめたまま、ぐりぐりと自分の頬を彼女の側頭部に擦りつける。大好きな親友の幸せを、あたしは自分の幸せのように噛み締めていた。いつかシリルちゃんが、あたしに向かって「あなたが幸せなら、それが自分の幸せだ」って言ってくれたことがあったけれど、それはあたしだって同じだった。
ずっとずっと心配だった彼女が、ようやく自分自身の幸せのために、前を向いて生きて行こうとしている。押しつけられた使命じゃなく、自分の運命を、自分の望む方向に切り拓こうとしている。あたしには、それがたまらなく嬉しかった。
「あはははは!」
気づけば、後ろからシャルちゃんの笑い声が聞こえてくる。
「やれやれ、女同士で何をやってるんだか……って、そんじゃあ、あたしも混ぜろー!」
「へ? うわ! きゃあ!」
後ろから飛びついてくるレイフィア。寝台のバネが軋む音を立て、一気に重さが増加した。
「ちょ、ちょっと! わたしが潰れちゃうでしょう?」
シリルちゃんが抗議の声をあげる。
「あ! そう言えばさっき、どさくさに紛れてシリルちゃん、あたしのことを重いって言わなかった? 失礼しちゃうなあ、もう!」
あたしも負けじと抗議の言葉を投げ返す。
「い、いや、それは勢いよく乗っかってくるから……っていうか、なんだか重さが凄いんだけど!」
どうにかあたしたちの身体を押しのけようとしながら、シリルちゃんが唸る。そう言えば、あたしにかかる重量も結構なものがあるような……?
「レイフィア? あなたって見かけによらず、重いんだね」
「あー! デリカシーの無い発言だぞ、それは! だいたい重いのは、あたしのせいじゃなーい!」
あたしの言葉に、途端に怒り出すレイフィア。驚いて体勢を変えてみれば、レイフィアの上には……なぜかシャルちゃんがいた。
「あれ? シャルちゃん?」
「あはは……えっと、その……なんだか仲間外れみたいだったので……」
誤魔化すように照れた笑いを浮かべるシャルちゃん。これまた可愛い。
よし、ターゲット変更!
「ふえ? きゃあ!」
あたしは勢いよく、シャルちゃんを寝台に引きずり倒したのだった。
-湧出宙域-
あらためて訪れた【水の聖地】『クアルベルド』は、山頂の湖から滝が流れ落ちる神秘的な景色が美しい場所だった。空から見下ろせば、まるで火口のマグマのように並々と山頂のくぼみにたまった水が、日の光を反射して七色に煌めいている。
湖の中ほどに船を着水させ、甲板の上から周囲を眺めれば、これまた遮るもののない青空が四方を囲い、湖面に映る白い雲も幻想的な光景を演出している。
そんな景色にはしゃぐアリシアに微笑みかければ、彼女は満面の笑みを返してくれた。このところ、彼女の機嫌は極めて良い。原因は恐らく、つい先日に我のところに来て、まくしたてるように話していった例の件だろう。
船の舳先に視線を転じれば、ルシアとシリルの二人が寄り添うように並んで立ち、湖の景色を見つめている。こうして二人の幸せそうな姿を見ると、先日のアリシアの言っていたこともわからなくはない。何と言ったところで、やはり我らのパーティで中心的な立場にある二人の仲が深まるのは、全体の雰囲気にも影響するのだから。
「さ、そろそろ景色を楽しむのも十分じゃないかな? 始めようか」
ノエルの言葉に促され、我はアリシアと向かい合う。とにかく嬉しそうに笑うアリシアは、うっかり見惚れてしまいそうなくらい美しい。そうした意味でも、我もまた、彼ら二人の恩恵を受けていると言えるのかもしれない。
そして我とアリシアは、『真名』を交わし合い、世界を渡り、世界に結ばれる。
《転空飛翔》を終え、我らは船内へと戻った。
甲板上に設けられた応接小屋兼船内への入口。
室内に置かれたソファにそれぞれが腰かけ、レイミが用意した温かい紅茶を口にする。日は高かったとはいえ、山頂の湖で風に吹かれていたのだ。それなりに身体は冷える。こういうとき、温かい飲み物はありがたかった。
「ふう、相変わらずレイミさんの淹れてくれる紅茶、美味しいよねえ」
我の隣で、アリシアも満足そうだ。
「何はともあれ、これで『クロイアの楔』の補助装置は、そのすべてを設置し終えたというわけだ。長い道のりだったけど、みんなのおかげだよ。ありがとう」
一息ついたところで、ノエルはあらためて皆の顔を見渡しながら言う。
「何を言ってるのよ。装置のことも、この船のことも、あなたが頑張ってくれたからじゃない。お礼なんか言わないで」
「そうだよ。ノエルさんと……それからレイミさん。二人がこの船であたしたちを待っていてくれて、居心地良く色々と気を遣ってくれて、だからこそ、今のあたしたちがあるんじゃない」
シリルとアリシア、それぞれからの言葉にノエルは笑みを深くする。
「ははは。ありがとう。そう言ってもらえると、僕も頑張った甲斐があったってものだよ」
「……いよいよ、次が最後のひとつか」
我の口からは、そんな言葉が自然と漏れる。【聖地】を巡る旅では、実に様々なことがあった。ジャシンとの遭遇、セフィリアの邪心の出現、『パラダイム』との決着、聖堂騎士団との戦闘。そうした苦難を乗り越えて、ようやく我らは最後の聖地に向かうのだ。
「なあ、そう言えば最後の【聖地】って、北部の『ゼルグの地平』内部にあるって話だったよな?」
ルシアが思い出したように問いかける。
「まあね。とはいえ、前にも言ったけど、北部の【真のフロンティア】はそう簡単に僕の手が及ぶところじゃないんだ。ギルド経由の情報なら多少は手に入るにしても……ギルドの探索結果だけを見れば、『ララ・ファウナの庭園』はそれほど重要な施設じゃないってことになる」
ノエルによれば、希少価値の高い【魔法具】の材料が発掘されることはあっても、【創世の聖地】などという名称そのものは、ギルドの間では知られていないとのことだ。
「珍しいわね。あなたがそこまで情報を把握していないだなんて」
「うん。でも、その点については例の『彼女』──まあ、これはシェリエルのことで間違いないと思うけど──とにかく彼女の残した資料に記載がある」
『ララ・ファウナの庭園』は、地上の庭園と空中庭園の二つから構成されているらしい。当然、ギルドが知っているのは地上の庭園のみだ。しかし、『空中庭園』というものがどんなものなのかまでは、シェリエルの資料にも記載はないとのことだった。
「いずれにしても、空を飛ぶ手段が無ければ辿り着けないってわけだね」
「じゃあ、この船の出番だね。……でも、結界はどうする? 確か、北部は結界に覆われていて、地下からでないと行けないはずだろう?」
ノエルの言葉に、エリオットが疑問の声をあげた。確かに、一時期こそは結界の機能不全によって南部に『魔神』が襲来するようなこともあったが、今では修復されているはずだ。
「もちろん、この船には、それも踏まえた装置を用意してある。完成するのに随分かかってしまったけど、どうにか間に合ってよかったよ。でもこれで、僕らはこの船に乗ったまま、北部に侵入することができる。隠蔽機能を発動させれば、中でモンスターの襲撃を受ける可能性も低いだろうさ」
「いつの間にそんなものを……」
「あはは。シリル。僕を舐めちゃいけないぞ。君たちが船を離れている間も、この船を航行させている間も、僕とレイミはこの船に様々な手を加えてきたんだ。時間ならいくらだってあったさ」
ノエルはこともなげに言うが、聞いた話では【魔導装置】の開発や改良、調整という作業は、いずれもそんなに簡単にできるようなものではないらしい。それにこの船の利便性の高さを思えば、彼女が天才だから、で片づけてしまえるものでもないはずだ。
「まったく、君には頭が下がるな」
エイミアが呆れたように、しみじみと笑う。
「ね、ねえ、思ったんだけど……その『空中庭園』のことって、シリルちゃんの中のシェリエルに訊くわけにはいかないの?」
アリシアが控えめな声で尋ねる。『アレ』に関わるのは、何となく危ういような気もするが、とはいえ、未知の場所に無策のまま飛び込むよりは、ましかもしれない。だが、シリルは首を振る。
「……彼女は多分、しばらくは『起きて』はこないわ。わたしによほどのことがあれば別かもしれないけど……」
やはり、無理だったようだ。起きてこないというのも良く分からない表現だが、恐らくシリルも感覚的なものを言葉に置き換えるのに苦慮しているのだろう。
「じゃあさ。あとはわかる情報から類推して、あたりをつけるっきゃないんじゃない?」
ここで意外にも論理的な提案をしてきたのは、レイフィアだった。そして、それを意外に思ったのは、無論、我だけではない。
「…………レイフィアさん?」
一同を代表して口を開いたのは、レイミだった。彼女は酷く心配そうな顔でレイフィアを見つめている。
「な、何よ?」
「何か、悪いものでも拾い食いしませんでしたか?」
「え? ……ちょっと! それ、どういう意味よ!!」
「よろしければ、解毒効果のある薬草茶でもご用意しますけれど……」
憤慨するレイフィアに、レイミは気遣うような声をかけているが、言葉とは裏腹にその顔には意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「いやいや、レイミ。ちょっと待とう。さすがにそれは失礼だよ」
「そうそう! あたしに失礼だ!」
レイミをたしなめるようなノエルの言葉に、同調の声を上げるレイフィア。
「で? レイフィア。さっきの言葉は、小さい頃に読んだ何の本に書いてあったんだい?」
「うん。『しらべもののしかた』って奴に……って、うおおい! なんであたしが自分で考えたって可能性が最初から排除されちゃってるわけ!?」
「いや、でも図星だろう?」
「うぐ……」
レイフィアは悔しげに肩を震わせて息をつく。
「まあ、何の受け売りであろうと、その発想は大事だね。……もちろん、僕の推論なら既にある。確実性の低い考えを披露するのは趣味じゃないけど、この際、そうも言っていられないしね」
まず、【創世の聖地】という名が意味するものだ。それは言わずもがな、【回帰の聖地】たる『精霊の森』と対になっていると考えられよう。つまり、恐らく世界の【マナ】の湧出点というわけだ。そこまではわかる。
だが、問題なのはそれが何故、『ゼルグの地平』に存在するかということだ。仮にも【聖地】と名のつく場所が、あんな灰色の世界に在ること自体が信じがたい。
湧出する傍から【マナ】が汚染されると言うのでは、この世界に正常な【マナ】など存在しないことになるのではないか。
だが、我のそんな疑問にノエルは首を振る。
「まあ、仮に【歪夢】によって湧出した【マナ】が汚染されたとしても、世界全土に拡散していくうちには、ほとんど害のないレベルに薄められるからね。それで害を受けるのは、『精霊』ぐらいのものさ」
「……はい。世界に満ちた【マナ】の純度が下がると、『精霊』も世界そのものとは異なる在り方にされてしまうんです。だから、世界に限りなく近い存在としての『精霊』は、今ではフィリスしかいないかもしれません」
「……まあ、シャルの言うことを逆説的に考えれば、だからこそ【創世の聖地】は、現在、【フロンティア】の中にあると言えるのかもしれないね」
この世界の現在の在り様は、すべてそこから始まった。そういうことか。我がそんな風に納得したところで、それまで難しい顔で黙って話を聞いていたファラ殿が口を挟んできた。
〈……ようやく心当たりを思い出したぞ。『ララ・ファウナの庭園』という言葉には心当たりはないが、空中庭園とやらが【マナ】の湧出『宙域』だというのであれば、間違いあるまい〉
「ファラ?」
ファラ殿の言葉に、ルシアが彼女を振り返る。
〈この世界で最も多くの『神』が集まっていた場所だ〉
「神が集まっていた? でも、神々は争っていたんだろう?」
〈無論、そんな状態に至る前の話だ。【事象魔法】の本質は、世界の【マナ】に意のままに命令を与え、世界を自在に改変することだ。であれば、当然、最も純粋な【マナ】が溢れる地に、神々が集うのも道理と言えよう〉
「なるほどな。じゃあ、ファラは、そこがどんな場所だか知っているのか?」
〈いや、わらわは世界の改変などには興味がなかった。だから、近づいたことさえない。それでも……わかることはある〉
「なんだ?」
〈神々の争いが始まれば、その場所は恐らく、奪い合いになっただろう。戦争の中心地点であったとさえ言える。ゆえに、現在の状況も推測はつく。恐らくそこには……世界でも最も強大な【歪夢】があるに違いない〉
ファラ殿のその言葉に、その場の全員が息を飲む。
世界でも最大の【歪夢】
北部にそうしたものがあるという可能性は、ノエルからも聞いてはいた。そもそも、あれだけ広大な【フロンティア】の存在自体、たとえ小規模な【歪夢】が無数にあったとしても、それだけでは理論的にありえないのだと言う。
だが、これは何の冗談だろうか
世界を救うための最後の【聖地】。
よりにもよって【マナ】の湧出宙域たる場所に、世界を歪める悪夢の親玉が存在していると言うのだから。