第20話 意外な一面/わたしの我が儘
-意外な一面-
シリルのあんな顔は初めて見た。いつだって沈着冷静で、誰よりも正論を語って、何よりも感情的な行動を嫌っているようにさえ見えた彼女が、あのときは、なんだか泣きそうに見えた。
どうして彼女がそこまで、シャルロッテに肩入れをするのかはわからないが、俺は、彼女のそんな一面が見られたことだけで満足だ。もちろん俺だって、助けられるものならシャルロッテのことを助けてやりたいとは思う。それでも俺は、今回、責任感でも何でもなく、自分の思いのままに動くことを決めたシリルのためにこそ、助けると決めた。
はっきり言って、今回の作戦は無茶苦茶だ。いや、シリルの考えることだから間違いなく成功はするだろう。だが、問題は成功した後の方だ。まあ、俺には異論はないけど、シリル自身、それでいいのだろうか。
なにはともあれ、今は真夜中。視界もほとんど利かない中、ヴァリスから逃れた暗殺者の連中がテントのある場所に迫っている。
俺は同じテントの中で息を潜めるシャルロッテの頭を一撫ですると、テントの入り口を睨みつけたまま待つ。
外ではシリルが闇魔法で敵の数をさらに減らしているはずだ。ここまでたどり着いていいのは一人か二人。それ以上だとほんとにやばい。
というか、俺が一番重要な役回りになってないか、これ?
と、その時、テントの側面が大きく揺れると、刃物によって大きく切り裂かれたそこから、一人の暗殺者が飛び込んできた。……って、そっちからかよ!
が、しかし、その暗殺者は驚いたように動きを止める。
そりゃそうだろう。標的を狙って飛び込んだその先には、自分と同じように黒っぽい服を纏った男が、当の標的の心臓に『剣』を突き立てているんだ。どうしていいか判断に迷うに違いない。
「よう、同業者かい? 悪いな。一足先に殺らせてもらったぜ」
俺はせいぜい凶悪そうな口ぶりでそう声をかけた。
「何者だ……」
言葉少なく問いかけてくる暗殺者。うおお、怖い。人殺ししかしなくなった奴ってのは、どうしてこう、陰気臭い迫力があるかな。
「この王女もどきを狙っている貴族なんて、一人や二人じゃないだろ? まあ、あんたはあんたで標的を抹殺できたってことでいいんじゃないか? 俺とはどうせ依頼主が違うんだろうから、ばれやしないさ」
「……なぜ、そんなことを言う?」
やばい! 疑われてる!
「こんなところで、同業者とやりあっても一銭にもならん。それだけだ」
「……ふん。標的の死亡を確認させてもらう」
奴は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
ええ! ちょっと念入りすぎません? 心臓貫いてんだぜ? 死んでるってば。
と、その時、ようやく待ちわびていたものが来た。
側面を斬り裂かれ、ぼろぼろになっていたテントへのとどめの一撃。
巨大な馬と見まがう幻獣『リュダイン』の体当たり。
あわてて飛び下がる暗殺者。
俺は『リュダイン』から飛び降りてくるジグルドさんと交差するような形で、同じく飛び退いた。よし、これであいつの目からは剣もシャルロッテの胸も見えなかったはずだ!
「シャ、シャルロッテ様!」
ジグルドさん、渾身の演技でシャルロッテに覆いかぶさる。
「ちっ、さっさと逃げるか!」
俺はそう言うと、同じくその場から走り去る暗殺者の姿を視界に捉えながら、別方向に走り出す振りをした。
「もう、行ったみたいですよ」
そう声をかけると、ジグルドさんはゆっくりと起き上った。
「これで、本当に大丈夫なのか?」
「そうね。後はあなたがギルドへの依頼を中途解約して、『一人』で領地に逃げかえれば、状況証拠としては、十分でしょう。あなたに冒険者ギルドを使うよう指示した貴族の思惑としても、最初の襲撃で殺せなかった場合は、契約違反で護衛がいなくなったところを今回の暗殺者に襲わせる計画だったんでしょうから」
いつの間にかやってきていたシリルが答える。
「そうか……。連中は、わたしがギルドの契約関係に疎いということまで計算に入れていたのだな」
気の抜けたような声を出すジグルドさん。まあ、あの暗殺者は、間違いなくシャルロッテの死亡を報告するだろうし、この状況で一人でジグルドさんが帰れば、擁立する王女を失っての帰郷だと連中も思うだろうしな。
「さて、というわけだ。シャルロッテ。もう狙われなくて済むぞ」
俺が呼びかけると、心臓を『剣』で刺されていたはずのシャルロッテが、何事もなかったように起き上った。
斬るべきものを斬り、斬らざるべきものを斬らない。
こういう使い方もできるとは便利だよな、『切り拓く絆の魔剣』も。
「うわーん。怖かったよう!」
と、まあ、この声はもちろんシャルロッテじゃない。もともとジグルドさんたちが用意していた比較的立派なもう一つのテントの中から出てきたアリシアの声だ。
「囮役、お疲れ様」
「うう、あの人たち、短剣とかびゅんびゅん投げてくるんだよ?死ぬかと思った」
「『拒絶する渇望の霊楯』があるんだから、大丈夫だったでしょうに」
「でも、これだって、【魔鍵】の攻撃までは防げない場合があるんだよ?」
「大丈夫。それっぽい『力』を持った奴がいれば、真っ先に片づけてるから。まあ、いなかったけどね」
シリルは、あっさりとそんなことを言う。でも、おかしいな?
「しかし、それっぽい『力』とかって、どうやってわかるんだ? そういうのって魔導師なら誰でもわかって当たり前のものなのか?」
「まさか。そんなことができるのは、わたしだけよ。【オリジナルスキル】“魔王の百眼”。わたしには、【魔力】も『精霊』や【魔鍵】の『力』も、すべてが見える。もっとも、その本領はそういう感覚を増幅することで、【魔力】の運用効率を高めることにあるんだけどね」
「そりゃ、すごいな。っていいのか? そんなこと、ここで話しちゃって?」
俺たちはともかく、ジグルドさんもいるわけだし。【オリジナルスキル】の詳細なんて、ギルドだって知らないはずだと思うけどな。
「だからよ。いい? そのわたしが断言するんだから間違いないの。シャルロッテは『悪魔憑き』なんかじゃない。『精霊』を魂に宿した【因子所持者】よ。召喚精霊は指示なく動いたりしないけれど、魂に宿った『精霊』は宿主の危機には自律的に行動することがあるから、十二年前みたいな事件が起きたんでしょうね」
なるほど、『悪魔憑き』でないことの証明ってわけか。本当に随分、シャルロッテのことを気にかけているんだな。
「よかった。シャルロッテ様。やはりあなたは『悪魔憑き』なんかではなかったのです」
「……」
ジグルドさんの言葉に、シャルロッテは俯いたまま、返事をしない。
「あのねえ、わたしが言ったことを忘れたの?」
「あ、いや。シャル…。良かった。本当によかった」
「うん。おと……、わたしも、ジグルドが無事で良かった」
「! うう……シャル、すまなかった。私が自分の態度を決めかねていたために……」
まあ、臣下としての忠誠心と赤ん坊のころから育ててきた愛着とで板挟みになって、あいまいな態度をとり続けていたところへ、急に臣下みたいな態度をとったのがいけなかったんだろうけどな。ジグルドさんも、そんなに悪い人じゃないか。
「やっぱり、ジグルドさんが一人で領地に帰って、シャルロッテちゃんは後からこっそり戻るってわけには行かないんだよね?」
アリシアが確認するように尋ねるが、シリルは首を振る。まあ、そうだろうな。どうしたって、それだと危険が残る。場合によっちゃ、領地の連中からすら隠れて暮らさなきゃならなくなるだろうし。
「わたし、もどらない。さっき相談したとおり、シリルお姉ちゃんたちと行くから大丈夫」
シャルロッテは、はっきりと言った。
そう、それがこの作戦の最も重要な結果であり、他ならぬシリルが出した結論だ。
「シャル……。しかし、それでは……」
「もう、いいんだよ。シャルみたいな厄介者を今まで育ててくれて、ありがとう。……おとうさん」
「! わ、私を父と呼んでくれるのか?!結局、お前にまともな生活を与えてやることもできなかった、この私を」
「ううん。シャルは幸せだったよ? おとうさんもおかあさんも『リュダイン』もいたから、……シャルは一人じゃなかった。血なんか繋がっていなくても、わたしには家族がいたし、友達がいたから」
……やばい。目頭が熱くなってきた。ふと、横を見るとアリシアはすでにぽろぽろと涙を流しているし、シリルも顔を俯けているところからすると涙をこらえているのかもしれない。
と、そこで、雰囲気を台無しにする感じで声がかかる。
「まったく、手応えのない奴らだった。もう少し練習になるかと思ったのだが。で、こちらの方は終わったのか? まだいるのなら、我が相手をするが」
……このタイミングで来るか? もうちょっと空気を読んでくれよな、ヴァリス。
-わたしの我が儘-
「今の状況ではシャルロッテは、宮廷にも領地にもいる場所がないわ。ジグルドに野心があるかもしれないと判断された以上、どこにいても殺される。だから、……あの子を助けようと思うなら、わたしたちがあの子の『居場所』になるしかない」
わたしは、大反対を受けることを覚悟して、思い切って皆にそう言った。
はっきりいって、足手まといになりかねない少女を連れて冒険者の仕事を続けることには、何のメリットもない。そんなことをしなければならない理由なんてない。
でも、わたしは、そうしたいんだ。あの子を、助けたい。
望まぬ力を持って生まれ、そのために周囲にうとまれる。
望まぬ環境の中に生まれ、そのために周囲に翻弄される。
どこまでも自分と重なるその境遇は、かつてのわたしを思い起こさせる。
そう、わたしはかつてのわたしを助けたいんだ。誰にも助けてもらえなかった、あの頃のわたしを、他ならぬ、わたし自身が助けたい。
それは、わたしの我儘だった。なのに、皆はそんなことは当たり前だと、言ってくれた。
それは、泣き出さなかったのが不思議なくらい、嬉しいことだった。
「シリルお姉ちゃんたちが、シャルの居場所になってくれるの?」
「ええ、そうよ。あなたさえよければ、だけど」
わたしの言葉に、シャルロッテは沈黙する。会って3日程度の相手にこんなことを言われれば、当然の反応だろう。
「……うん。わかった」
「え? いいの?」
「うん。大丈夫。シリルお姉ちゃんは、優しいから、好き」
シャルロッテは、迷いのない瞳でまっすぐこちらを見上げてくる。
それを見て、わたしは悟った。彼女は本当に、全てを理解しているんだ。
そして、夜が明ける間もなく、わたしたちは次の行動に移る必要に迫られていた。
他にもこちらを狙ってくる敵がいないとは限らない以上、早々にここを立ち去らないといけないのだ。
それも、シャルロッテを死んだことにするためには、ジグルドとわたしたちは、ここで別れなければならない。
ジグルドは一人でツィーヴィフの町に戻り、護衛依頼の中途解約をギルドに伝えなければならないし、わたしたちは『ファルーク』にでも乗って行方をくらませる必要があった。
「ここで、お別れね。でも、わたしが言うのもなんだけど、よくわたしたちを信用する気になったわね」
「……そうだな。ここ数日のシャルの表情のせいだろう。シリル殿。貴殿といる時のシャルは本当に嬉しそうにしている。どうして貴殿が、ここまでしてくれるのかは分からないが、それでも、その事実だけで、信用に足る人物だということは確信したよ」
ジグルドは悲しげに微笑む。臣下として一線を引いて接してきたつもりでも、長年育ててきたシャルロッテは娘のようなものだったに違いない。
誘いに乗って領地から出てきたりしなければ良かったのに、とも思ったがジグルドは首を振る。
「それは違う。シャルはあのまま領地にいても、人並みの幸せすら得られなかったに違いない」
「でも、冒険者のわたしたちと過ごすのは危険だし、幸せとは限らないじゃない」
「それでも、自分の翼で飛ぶことはできる。誰かに縛られることもなく生きていけるなら、その方がいい。私はそう思う」
ジグルドは確信を持った顔で力強く断言する。少し前に、シャルロッテは王宮に行くべきだと主張していたときとは、随分違う表情をしている。やっぱり彼自身、連れていくべきか否か、迷いながらの旅路だったのだろう。
「うん。シャルも、外の世界をもっと見てみたい。シリルお姉ちゃんたちの足手まといにならないよう、頑張るから、連れて行って」
シャルロッテがジグルドに同意するように言葉をはさんだ。
「…わかったわ。それじゃ、お別れのあいさつをしないとね」
「うん……。おとうさん。今はさよならだけど、一人前の冒険者になったら、きっと会いに行くから。それまで、お別れだね」
まったくこの子は、どこまで聡明な子なんだろう。なにもかも、わかっているのね。
「う、く、ううう……。シャル、シャル……。ああ、わかった。いつでも待っている。だから、元気でな」
わたしは、この子を守る。『国の権力に縛られず、独立して生きていくことのできる一人前の冒険者』にしよう。再びこの親子が出会える日のために。
「そうだ。シリル殿。お願いがある」
「なにかしら?」
「『リュダイン』を連れていってほしい。シャルにとっては幼いころからの友人なのだ。あんな高位精霊まで使える貴殿なら、契約は容易だろう?」
「それはそうだけど、いいの?あなたの十年来の契約が台無しになるわよ?」
「私にやってやれることはこれぐらいだ。構わない」
「そう、わかったわ」
と、わたしが言ったところで、アリシアが横から会話に割り込んでくる。
「ねえ、それならシャルちゃんの方がいいんじゃない?」
「シャルが? それは、どういう意味かな?」
「だって、シャルちゃん。召喚系【アドヴァンスドスキル】“高位契約者”持ちだよ?丁度いいじゃない」
「なに? どうしてそんなことがわかる?」
「えっと、そう、『鑑定』したの! さっき、手を握らせてもらっちゃった」
あわてて誤魔化すアリシア。もう、うっかり者なんだから。
「なるほど、貴殿は“鑑定者”だったのか。なら、……シャル。手を出してごらん」
「うん」
そう言うとジグルドは懐から取り出した筒をシャルロッテに手渡す。
「さあ、シャルロッテ。『リュダイン』の名前を呼ぶんだ」
「うん。……『リュダイン』」
〈わが友、『リュダイン』よ。わが友は汝が友。汝が新たなる友の名は、『シャル』。共に生き、彼の者を護り給え〉
それは召喚獣の引き継ぎの術式。召喚獣は、新たなる契約者にそれに足る力があれば、契約を引き継ぐことができる。わたしも見るのは初めてだけれど、親から子へ、一子相伝の『幻獣』というものもあるらしいので珍しい話ではない。
「素性を隠すためにも、今後は『シャル』と名乗るようにしなさい」
「うん。いつも呼ばれている名前だもん。それでいいよ」
シャルは、嬉しそうに笑った。ああ、こんな顔もできるんじゃない、この子。
明るみ始めた空の下で見えるシャルの姿は、本来の色素の薄い金髪と水色の目をした少女のものではなく、火の“精霊紋”が発動しているために、真っ赤な髪に真っ赤な瞳となっている。
「あれ? シャル。“精霊紋”はまだ元に戻らないの?」
「え? うん。前にこうなったときも、しばらく赤いままだったよ。そのうち戻ると思うけど」
……おかしい。わたしの知識で知る限り、“精霊紋”は魂に融合している『精霊』が特定の属性の力を発揮したときにのみ発現するはずだ。
こんなに長時間発現していることもおかしいけれど、『赤いまま』という台詞が気になる。
「ねえ、シャル。もしかして、今まで火の“精霊紋”しか出たことないの?」
「赤いのってこと?うん、そうだけど」
そうか。融合した『精霊』は、彼女が赤ん坊の頃、『死の恐怖』を感じているんだ。
恐らく殺されそうになったとき、手近にあった暖炉の火か何かを頼りに、最も攻撃的な火属性で反射的に身を守ったのだろうけど、生まれたばかりの赤子に宿る『精霊』も、同じく産まれたばかり。小さい時のトラウマのように、危機に対しては常に火属性を発動してしまい、しばらく興奮状態に陥ってしまう。きっと、そんなところだろう。
「“精霊紋”を制御できるように訓練する必要があるわね。冒険者としてやっていくにも、『精霊』しか使えないはずの【精霊魔法】が使えるというのは大きな利点にもなるし」
わたしが独り言のようにそう言うと、シャルは神妙に頭を下げて、こう言った。
「よろしくお願いします。シリル先生」
そのなんともお茶目な言い方に、わたしは思わず笑い声をあげてしまった。