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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第18章 世界の欠陥と少女の純真
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第179話 アビス/イノセント・ワールド

     -アビス-


 頭上に浮かぶ巨大な氷塊。あんなものが落ちてくれば、たとえレイフィアさんの禁術級火属性魔法でもどうにもならないでしょう。


「くそ! でかすぎる。あれじゃ、俺の【魔鍵】でも一部しか斬れない!」


 ルシアの悔しげな声が聞こえてきました。全体を認識の内に入れることができないほどの巨大な氷塊。それがまた、セフィリアの力の異常さを表しています。


「く、どうする? 一体どうすれば……」


 シリルお姉ちゃんも今回ばかりは対処の方法が思いつかないようです。そうしている間にも、氷の塊はわたしたち目掛けて落ちてきました。

 わたしは、頭上に向けて風の【精霊魔法】エレメンタル・ロウを解き放ちます。焼け石に水だとしても、他に手はありませんでした。同じく、レイフィアさんもこの短時間で発動可能な【魔法】を選択して解き放ちます。


 けれど、そのほとんどは、氷の表面を削る程度の効果しかありません。


「く、ううう!」


 最初に巨大氷塊を支えたのは、アリシアお姉ちゃんの“抱擁障壁”バリアブル・バリアでした。【魔鍵】の神性としての力は流石に強力で、とんでもない重さがあるはずの氷塊をしっかりと受け止めています。


「アリシア! わたしの【魔法】の完成まで、もう少し頑張って!」


 シリルお姉ちゃんは、こうなることを見越していたのか、恐らく【古代語魔法エンシエント・ルーン】と思われる白い【魔法陣】を幾重にも構築し始めていました。


「ああ、ううう……」


 ですが、セフィリアの使う氷が、ただの氷であるはずがありません。アリシアお姉ちゃんは苦悶の声を上げながら、必死に耐えています。こうなると、《転空飛翔エンゲージ・ウイング》の効果が切れてしまっているのも大きな痛手でした。


 そう言えば、ヴァリスさんは……? 気になって目を向ければ、彼は右手首を左手で掴み、何かを強く念じているようでした。


「ちっくしょー! このやろー! こんなところで『ぷちっ』とやられてたまるかー!」


 レイフィアさんはすでにヤケになっているのか、滅茶苦茶に火属性魔法を頭上へと連発しています。氷の表面をえぐり、溶かす程度の効果はあるようですが、それこそまさに焼け石に水でした。


「くそ! 一か八かで【事象の斬断】で行くしかないか!」


〈駄目だな。『氷がわらわたちを押し潰す』という事象を斬って捨てるのは簡単だが、その後が続かない。どの道あの氷がこの場所に留まるのなら、上書き直後に圧死するのは目に見えているぞ〉


 ファラさんの声にも、焦りの色が滲んでいます。


「くそ! なんとかならないのかよ!」


「く、う……」


 悔しげに叫ぶルシアの声に重なる、苦しげなアリシアお姉ちゃんの声。


「シリルお姉ちゃん! まだなの?」


「あと、もう少しよ!」


 シリルお姉ちゃんの周囲の【魔法陣】は、今まさにその数を増やしているところでした。

 そして、アリシアお姉ちゃんが苦しそうに膝をつき、ついには頭上に展開された障壁が消滅してしまおうかという、まさにその瞬間のことでした。


「うおお!」


 ヴァリスさんが鋭い叫び声と共に、頭上へと跳躍しました。その右拳には、膨大な量の【魔力】が集中しているようです。さらにヴァリスさんは、そのまま躊躇うことなく、巨大氷塊めがけて輝く拳を叩きつけます。何かが『弾ける』ような音、そして同時に、何かが『砕ける』ような音が辺りに響きわたります。しかし、同時に──びしゃり、と周囲にまき散らされたものがありました。それは、紅い雨ならぬ、真っ赤な鮮血。


「ぐ……!」


「ヴァリス!」


 アリシアお姉ちゃんが血相を変えて叫びました。それもそのはず、ヴァリスさんの右腕は、肘から先がごっそりと吹き飛んでしまっていたのです。


「体内の【魔力】を腕に圧縮して爆発させた? なんて無茶を……!」


 シリルお姉ちゃんがつぶやくのが聞こえました。


「ちくしょう! まだだぜ!」


 けれど、続いてルシアの声に再び緊張が走ります。砕けて飛び散ったかに見えた氷は、どうやらせいぜいが下半分だったらしく、残りの半分はなおも高度を下げてわたしたちを押し潰そうとしていました。


「できたわ!」


〈輝ける幾億の星。満天の空。時の定めに従いて、無限に爆ぜよ〉

〈ファエラ・マレウル・リュネイ。ラフォウル・ラズラ。トード・ミュウル・レイル、ロア・ルヴァン〉


爆ぜ散る天空の星々ルヴァン・リュネイド》!


 シリルお姉ちゃんが発動した魔法は、以前セフィリアの『第三の邪悪』が象った死神を殲滅し続けるために使用されたものでした。けれど今回はあの時と違い、時間をほとんどおかずに無数の光点が氷の表面を覆いつくし、連鎖的に一斉爆発を起こしたのです。


「ルシア! 余波と破片なら斬り散らせる?」


「ああ、任せろ!」


 降り注ぐ氷の破片をルシアが斬ると、無数の欠片がすべて同時に斬り散らされ、霧氷へと姿を変えました。


「た、助かったあ……」


 安堵の息を吐くレイフィアさん。他の皆も声にこそ出しませんでしたが、想いは同じでしょう。ただ、わたしには安心している暇などありませんでした。第二撃がもし来たら、もう耐えきれない。ヴァリスさんの怪我は心配ですが、行くしかありません。


〈フィリス! 行こう!〉


〈ええ、シャル。……彼女の心を受け止めに〉


 わたしはフィリスの力を借りて周囲の風をコントロールし、『セフィリア』の姿をした『最後の邪悪』へと一気に接近。その頭へと手を伸ばします。そこあったのは、黒く染まり始めた髪の中に残る、一房の金の髪。


「取ったわ!」


 思った通り、これが彼女の『最後の邪悪』の正体でした。しかし、わたしが叫んだその瞬間でした。周囲の景色がぐにゃりと歪んだのです。


〈え? なに? なんなの?〉


「シャル!」


「シャルちゃん!」


 みんなの焦ったような声が聞こえました。ああ、そうか。わたしの身体を包む気配に、わたしは何が起きているのかを悟ります。【地の聖地】エルベルドと同じでした。凍りついた滝壺の中に、わたしの身体は引きずり込まれようとしているのです。


「大丈夫! 大丈夫だから! わたしがセフィリアを説得する! みんなは、そこで待っててください!」


 わたしはどうにかそれだけ言い残すと、彼女、セフィリア本人が待つだろう水底へと身体を沈めていく。エルベルドと同じ感じだとは言ったけれど、実際には違うところもありました。


「……寒い」


 氷の中に入ったのだから当然だ、と言うわけでもありません。わたしを襲う寒さは、肉体に対するものではなく、精神に対するものでした。凍えるような感覚に、思わず意識が遠のきそうになります。


「シャル、しっかりして!」


 気付けば、励ましの声と共にフィリスがわたしに寄り添うように、『身体』を寄せてくれていました。


「あ、ありがとう。フィリス。おかげで大分温かく……って、あれ?」


 わたしは、自分に寄り添うもう一人の自分の顔を見て、思わず固まってしまいました。


「フィ、フィリス? あなた、身体が……」


「うん。ここは『彼女』の精神が生み出した世界。だから、こんなこともできる。……うん。こんなことができてしまう世界を、彼女は生み出してしまっている。……彼女は本当に“天意無法フロウレス”なんだわ」


 フィリスの声も、緊張をはらんだものでした。


 世界の【自然法則】エレメンタル・ロウの枠から外れてしまった、哀れな孤児。

 【世界の欠陥ヴァイス】の犠牲となり、世界の歪みを一身に受け止め続ける少女。

 わたしたちは、そんな彼女を救わなくてはいけないのです。


 いまだにその方法すら分かりませんが、まずは彼女と話をしてみないことには始まりません。わたしたちは、暗く光の射さない『深淵の世界』を歩きながら、彼女の姿を探しました。


「セフィリア! どこにいるの! わたしとお話ししよう?」


 呼びかけることしばらく、右も左もわからない薄暗い水の中にちらりと紅いものが見えました。


「……あれはまさか」


「フィリス?」


 つぶやくフィリスにわたしが声をかけると、彼女は突然、紅いものが見えた方角へと手を振りはじめました。


「ノラ! こっちよ! わたしたちはここよ!」


「……フィリス!」


「きゃあ!」


 唐突に目の前に出現した赤髪の少女に、わたしはびっくりして悲鳴を上げてしまいました。


「あ、ご、ごめんなさい。つい、一気に距離を喪失なくしちゃって……」


 申し訳なさそうに頭を下げてくる彼女の顔は、セフィリアと瓜二つ。でも、今の彼女はかつて『ルーズの町』で会った時とはまるで雰囲気が違いました。わたしたちと同年代の、どこにでもいる当たり前の少女。それが久しぶりに会った彼女に対する、わたしの印象でした。


「……フィリス。シャル。やっぱり、来たんだ……」


 嬉しそうに、だけど、どこか悲しそうに微笑むノラ。


「ねえ、ノラ。教えて。セフィリアはどこにいるの? わたしはセフィリアに、会わなくちゃいけないの」


 わたしが懇願するように言うと、ノラは、力無くうつむきました。


「会って、どうするの? 彼女は、もうどうにもならないくらい絶望してる。わたしは何百年もずっと、彼女と一緒だったからわかるの。……彼女は本当に、この世界が大好きで、あなたと同じように大切な誰かと絆を結ぶことを望んでいて……でも同時に、それが絶対に叶わないことも知っている。そんな彼女に、あなたはまた、絶望を与えようと言うの?」


 それは責めるような、それでいて助けを求めるような口調でした。だから、わたしは真っ直ぐに彼女を見つめ、力を込めて断言します。


「わたしは、セフィリアの友達よ。答えはそれで十分でしょう? それだけで、わたしが彼女に会いに行く理由には十分よ。このまま何もせず、諦めて終わりだなんて、わたしは絶対に嫌だもの」


 わたしがそう断言すると、彼女の真紅の瞳は、何かに気付いたように丸く見開かれました。


「……感傷に浸っている暇があるなら、動け。それができないなら、死ね」


 それはまるで、別人のような言葉。


「ノラ?」


「……わたしでは、彼女を救うことはできない。今までずっと、そう思ってた」


 ノラは何かを思い出すように、目をつぶって言葉を続けました。


「……でも、それは違うの。『力が足りないなら、力を求めればいい』──【聖地】の巡礼で、フェイルはわたしに力をくれた。『一人でできないなら、仲間を求めればいい』──最後の瞬間も、フェイルはわたしに言葉をくれた。……わたしは、彼女を助けたい。だから、お願い。わたしと一緒に、彼女を助けて」


「うん! 行こう!」


 わたしとフィリスは彼女の手を取り、三人で暗い水底を進む。どこまでも暗く、どこまでも深い深淵。凍えるように寒い世界。温もりが失われた世界。


 ──ねえ、セフィリア。あなたはずっと、こんなに暗くて寂しい場所で、一人ぼっちで過ごしてきたの? 今、行くからね。あなたとお話をするために。あなたのその手をとるために。

 氷の世界に創られた、一本の道。それはきっと、あなたが心の奥底で、わたしとの絆を望んでくれた証だと思う。だから今度は、わたしがそれに応える番よ。


 大切な友達との特別な絆を結ぶため、わたしは凍える世界を歩いていく。



     -イノセント・ワールド-


 “天意無法フロウレス


 それは本来、世界を護るための仕組みだった。完全ではあり得ない世界が完全であろうとするために、時間をかけて『歪み』を修正することを目的とした仕組み。


 そう、それは『仕組み』だった。誰のせいでもなく、世界がただ、自然に、偶然に、運命的に、そうなってしまったというだけに過ぎない。


 でも、彼女の場合、それを偶然であるとか運命であるとか、そんな一言で片づけてしまうには、あまりにも酷過ぎる。

 なぜなら、彼女はこれから自分の中の“無法”が世界に馴染み、還元されるその時まで、数千年という時を孤独に過ごさなくてはならないのだから。


「……セフィリアは、あそこよ」


 ノラが指し示した先には、黒々とした暗黒が広がっている。これまでわたしたちが歩いてきた場所が凍りつくような水底を模した世界だとすれば、黒く長い髪を揺らせて立つ、あの少女を中心に広がる世界は……『世界ではない世界』だ。


 世界の枠から外れたもの。世界そのものと相容れないもの。あの場所に一歩足を踏み入れれば、二度と戻ってこれないかもしれない場所だった。


「じゃあ、いこっか?」


 シャルの言葉には、まったく躊躇がなかった。歩みを止めず、まっすぐに暗黒の領域に足を踏み入れようとしている。


 けれど、その時。


「来ないで!」


 目に見えない衝撃波が、わたしたちを襲う。ざわざわと波打つ黒髪をなびかせ、金色に輝く瞳でこちらを睨みつける少女。彼女が一声発しただけで、わたしたちは吹き飛ばされる。


「セフィリア! やっと会えた!」


「シャ、シャル……」


 それでも構わず叫ぶシャルに、セフィリアは信じられないものを見たかのように声を震わせ、ついで、悲しげに目を伏せる。


「約束したよね? わたし、あなたの心を持ってきたよ。だから、お話ししましょう?」


「……心? 何を言っているの? わたしには、心なんてない! わたしは……ほら、こんなにも邪悪な存在なんだもの……」


 セフィリアが軽く腕を動かすだけで、周囲に生まれる不気味な生き物。黒く歪んだその生き物は、生まれてすぐ、自壊するように崩れていく。禍々しく歪な命。


「違うよ。セフィリア、あなたにだって心はある!」


 シャルは懐から、金の髪束を取り出し、掲げて見せた。


「だって、約束したじゃない! これを全部集めたら、もう一度、わたしを信じてくれるって。……だったら、これはあなたの心だよ。わたしともう一度、絆を結びたい。そう思ってくれたからこそ、あなたはこれを残してくれたんでしょ?」


「……本当に来ちゃうなんて、思わなかった。絶対途中であきらめるって、思ってた。できるわけがないって、思ってた。なのに、なのに……!」


 セフィリアは、今にも泣きそうな顔をしている。


「ふふふ! わたしを馬鹿にしちゃ駄目だよ。こう見えても、わたし、すっごく諦めが悪いんだから!」


 シャルはあえて胸を張り、満面の笑みを浮かべて笑う。


「あはは。シャルは凄いね。……わたし、そんなシャルのことが大好き」


 それまで悲しげだったセフィリアの顔に、柔らかい笑みのようなものが垣間見えた。


「ありがとう。わたしもあなたが大好きよ。この世界、そのものよりも。……あなたはどう?」


「……うん。わたしも、世界全部より、あなたが大好き」


 雪解け水のせせらぎのような、少女の声。ワタシはそれに思わず安堵する。


「でも……だからこそ……」


 その直後のことだった。再び極寒の吹雪がわたしたちを襲う。


「……もう近づかないでほしいの。もう、嫌なの! 誰かを好きになって、その人を傷つけるのは嫌! 好きな人に触れることも、一緒にいることもできないことを知って、傷つくのは、もう嫌なの!」


 彼女の悲痛な叫び声に比例するように、勢いを増していく吹雪。


 精神世界とは言え、こんな状況の中にいては、心が凍りついてしまう。急速に襲う眠気に、必死で耐えるわたしたち。恐らく、ここで眠ってしまえば、わたしたちはこの世界から追い出されてしまうだろう。


「セフィリア! 聞いて!」


 そこで前に進み出たのは、ノラだった。真紅の髪をなびかせる彼女の身体を中心に、奇妙な空間の歪みが発生し、それがわたしたちを吹雪から守ってくれていた。


「ノラ……」


「何度も言っているでしょう? わたしはあなたといることで、すごく救われた。後悔なんてしていない。あなたのために生きることができて、すごく幸せだった。だから、わたしのことで、あなたが自分を責める必要なんてない!」


 セフィリアの魂に同居することで、自身の存在さえ危ぶまれたノラ。セフィリアはそのことに心を痛めていたのだろうか?


「……ノラ。あなたがいなかったら、わたしは何百年もの孤独に耐えることなんてできなかった。なのに、わたしは、あなたを消してしまうところだった。……そうよ。そうなのよ。やっぱり、わたしは、誰とも相容れないの。わたしといれば、皆が傷つく。だから、だから……お願い! 出て行って! もう来ないで! 放っておいて!」


「う、く……セフィリア……」


 周囲を吹き荒れるブリザードは、これまで数多くのジャシンを取り込むことで力を増しているはずのノラでさえ、耐え難い圧力となってきている。


「……ノラ。頑張って。わたしも頑張るから」


 ワタシは周囲の『世界』に自身の感覚を重ねる。セフィリアの周辺に広がる暗黒には、世界そのものであるワタシであっても手が出せない。でも、この『深淵の世界』自体はまだ、元の世界との接点を保っている。ならば、ワタシにもできることはある。


〈ワタシと繋がる世界はわたし……〉


|《万象流転》(チェンジ・ザ・ワールド)!


 ノラの使う『歪みの結界』とセフィリアの放つ『心の吹雪』。ワタシは、その二つの力を中和するように働きかける。そうやって結界の外側の薄皮一枚の部分に、何も存在しない緩衝地帯を生み出すことで、均衡状態を作り出す。


「ねえ、セフィリア。一つだけ、言わせてもらっていい?」


 長くは続かないだろう均衡状態の中、シャルはセフィリアに語りかける。


「あなたは誤解してる」


「誤解?」


「ええ、誰も傷つけたくないって言ったでしょう? そんなの誤解もいいところだよ。そんな理由でわたしに近づくななんて、酷いことを言わないでよ」


「何が誤解なの? シャルなら、わたしに近づいても、傷つかないとでも言うの? そ、そんなの、嘘よ!」


「違うよ。……ねえ、セフィリア。わたしさ……あなたに向かって、『わたしはあなたに傷つけられたくありません』って、言ったかな?」


「…………え?」


 呆けたように固まるセフィリア。


「相手のためを思って行動して、相手のことを信じて受け入れて、なのに傷つき、傷つけられる。──あなたは前に、そう言ったよね? でも、それのどこがいけないの?」


「ど、どこって……」


「そんなの、当たり前じゃない。優しくしたり、愛し合ったり、そんな事ばかりじゃないよ。誰かを好きになって、でもそれが辛くて、苦しくて……悲しくなることだってある。……勘違いして、仲違いして、喧嘩もして、それでもまた、仲直りする。それが誰かと絆を結ぶってことでしょう?」


「…………」


「わたしはね。セフィリア。あなたともっと仲良くなりたい。一緒にお話をして、笑いあって、時々喧嘩をして……。だからわたしは、あなたに『傷つけられたい』んだよ。それも含めて、あなたとお友達になりたいの」


「シャル……」


 金色の瞳から、涙がこぼれる。周囲の吹雪が、徐々にではあるけれど弱まってくる。


「……シャルの言いたいこと。すごくわかる。きっと、その通りなんだと思う。……でも、でも、それでもわたしは……『こんな』なんだよ? どうすればいいの? どうしたらいいの?」


 セフィリアが身じろぎするたびに、暗黒の領域に何かが蠢く。ぐずぐずでどろどろの、世界の歪み。世界に生じた不浄部分。醜く汚く汚れた部分。その中心に、どうしてあんなにも、か弱い少女がいなくてはいけないんだろう?


 理不尽だ。どうしようもなく理不尽だった。


「大丈夫、大丈夫だよ。セフィリア。……あなたは独りじゃない。わたしがいるし、ノラがいるし、フィリスだっている。それに、わたしの大切な仲間たち。みんなみんな、わたしの友達のセフィリアに、会いたいって言ってくれているのよ?」


「……シャルの、友達。わたしが?」


「そうよ。言ったじゃない。お友達になってあげるって。わたし、嘘は……うん、つかないこともないけど、これは本当だよ」


「……あはは」


 涙を流しながら、笑みを浮かべるセフィリア。けれど、彼女の周囲の暗黒は、一向に変化の兆しを見せない。そのことを知っているのか、彼女はひとしきり笑った後、再び表情を暗くする。


 どうする? どうすればいい? どうしたら、彼女を“無法”から解放できる?

 ワタシは、頭の中で様々な考えを思い浮かべる。わたしたちの手持ちの力で、彼女を救うための手段はないのだろうか?


 少なくとも、ワタシには無理だ。どんなに頑張っても、世界そのものの枠から外れた彼女の暗黒には、ワタシの力は及ばない。

 では、ノラなら? ……駄目だ。所詮は彼女の力も、世界律を歪ませるものでしかない。それではやはり、セフィリアには届かない。


 ワタシはシャルへと視線を向ける。彼女があんなにも真摯に友達を想い、救いたいと願っているのに、わたしたちには何もできな……。


「シャル!」


 気づいた時には、シャルはワタシとノラが生み出した結界から一歩、足を踏み出していた。周囲の吹雪は確かに止んでいる。だから、外に出たところで凍りつくことは無いかもしれない。でも、彼女が向かう先には……


「こ、来ないで! だ、駄目……駄目だよ、シャル!」


 セフィリアの叫びと共に、猛烈な風が吹く。けれど、その風はシャルの髪の毛ひとつ、揺らすことはできなかった。それはつまり、心の底ではセフィリアもまた、シャルに来てほしいと願っているということ。


「待っててね? 今、そっちに行くから。大丈夫。わたしが、絶対に、あなたを一人になんてしないから」


 暗黒の領域に足を踏み入れるシャル。ワタシたちには、黙ってそれを見ていることしかできない。


「く、ううう!」


 シャルの身体が激しく揺れる。苦悶の声を上げ、自分の身体を抱きしめるようにしながら、それでもシャルは止まらない。彼女の金色の髪が、徐々に黒く染まっていく。


「駄目、駄目……。どうして? どうしてなの? わたしは、シャルに来てほしくないのに。傷つけたくないのに。なのに、どうして、わたしは……!」


 『暗黒』の中心で、救いを求める幼子のように、シャルに向かって手を伸ばすセフィリア。彼女の金色の瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれている。


「来ないで、来ないでよ……どうして? どうして……拒絶できないの?」


 セフィリアからの暴風はさらに激しさを増し、こちらへと吹きつけてくる。そんな状況でもなお、シャルの周囲だけは、全くの無風状態。


「泣かないでよ。こんなの……へっちゃらだもん。全然……へいき、なんだから……」


 震える声で言いながら、なおもシャルは止まらない。周囲に蠢く異形の生き物が彼女の足に喰らいつき、そのままぐずぐずと身体を崩壊させていく。


「シャル!」


 おかしい……。あの状況で、どうしてシャルは、歩いていられるんだろう。今や状況は、彼女の意志の強さだなんて、精神論で語れるレベルを超えている。


「セフィリアの『暗黒』が……世界に馴染なじんできている?」


 そうつぶやいたのは、ワタシの隣にいるノラだった。


「え?」


「……間違いない。『こちらの世界』の住人であるシャルに、『噛みつくことができる生物』なんて、彼女の『暗黒』の中に今までなかったもの」


 『暗黒』が世界に馴染む? ノラのつぶやきに、ワタシは思い当たることがあった。


「まさか……」


 それは、この世界の在り方に囚われない、唯一無二の力。セフィリアと同様、世界そのものとは独立して存在できる力。


 ──他の誰でもない、シャルという少女の『純真』


 分離属性《純粋ピュアホワイト

 複雑なものを解きほぐし、相容れないものを馴染ませるもの。


「シャル!」


 ワタシは、自分の脳裏に閃いたものをシャルに伝える。シャルはこくりと頷いて、再び、一歩、また一歩とセフィリアに近づいていく。


〈我は馴染むものにして、全ての色を包むもの……わたしが紡ぐ、あなたへの想い〉


純真世界イノセント・ワールド


 純白を超えた透明な輝きが、あたりをまばゆく包み込む。


 視界を染める輝きが去った後には、限りなく薄くなった暗黒の中央で、しっかりと抱きしめあう、二人の少女の姿があった。


「……シャル。ああ……シャル、シャル! うう、……わたし、ずっと、ずっとずっとずっとずっと! ……独りで、凍えてしまいそうだった。寂しかった! 怖かった! 誰もわたしを見てくれなくて、誰もわたしに気付いてくれない。触れあえたと思っても、すぐにみんな、いなくなっちゃう……」


「大丈夫、大丈夫だよ。……ほら、温かいでしょう? わたしはここにいるよ。だから、もう大丈夫。あなたは独りじゃない。あなたとわたしがどんなに違う存在でも、そんなこと関係ない。同じじゃなくても、絆を結ぶことはできる。……だって、わたしたち、お友達でしょう?」


「うん、うん!」


 感動的な光景。本に書かれた物語なら、ここでエンディングを迎えそうな場面。けれど、これは現実だった。だから、それだけでは終わらない。


「いけない! この世界が……壊れ始めてる!」


 ノラが叫ぶ。この『深淵の世界』の中核をなしていた『暗黒』がその密度を急激に下げたことで、負荷がかかってしまったのだろうか? 取り囲む世界の崩壊に、ワタシたちは為す術もなく飲み込まれてしまった。

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