第177話 殺戮の騎士/癒えない傷
-殺戮の騎士-
俺は、自分の無力さに苛立ちを覚えながらヴァリスの前へと進み出る。
空から襲来してきた敵に対し、俺ができることはあまりに少ない。防御に徹することでアリシアとシャルを護ることはできたとはいえ、正体不明の敵を相手に特攻を仕掛けたエリオットとヴァリスは、二人そろって危険な状態にある。
特にエリオットの方がまずい。遠目からでは分かりにくいが、エイミアのあの焦りようからすれば、命の危険が迫っているのは間違いない。だから俺は、シリルを彼の方に向かわせ、一人で聖堂騎士団長のレオンと対峙する。
「ヴァリス、大丈夫か?」
「……すまん。奴の武器……変則的に揺れるぞ。つけられた傷は、何故か治癒できない。回避は慎重を期すべきだ」
全身に傷を負ってはいるものの、やはり先ほどの背中の傷が特に酷いらしい。それでもエリオットと違い、どうにか意識を保っているところは、さすがは『竜族』と言ったところだ。
しかし、そもそも《転空飛翔》発動中のヴァリスの身体にここまで酷い傷を負わせること自体、尋常じゃない。俺は用心深く、レオンに向かって構えをとる。
「よう! お前の部下どもは全滅したぜ。もう勝ち目はない。さっさと諦めたらどうだ?」
揺さぶりをかけるように言ってはみたが、ろくな反応は返ってこない。近くに目を向ければ、先ほどの狂ったような大魔法で【魔力】を使いきったのか、レイフィアがぐったりと座り込んでいる。
エイミアとシリルがエリオットの治療に当たっている以上、残る戦力は俺だけだ。そう考えれば自分で言うほどに、こちらが有利なわけではない。
「我が目的は『天使』のみ。障害はただ、排除する」
「へえ? そりゃ、あんたじゃなくてリオネルの目的だろ? あんたも不幸だよなあ」
空からの閃光を斬り散らしながら、俺は時折、こいつの戦闘を見ていた。そこで気付いたことがある。レオンには、隙というものがまるでない。心や感情と言ったものが微塵も見えない殺戮機械のような戦いぶりに、俺は【機械兵】を思い起こす。意志や意図がわからないモノが相手では、戦いづらいことこの上ない。
「部下を使って女を攫おうとか、アンタの主とやらも、とんだクズだな」
だから俺は、挑発の言葉を口にする。少しでも戦況を優位にするために。ついでに時間も稼げれば御の字だ。
「……我が主を愚弄するな。下賤なニンゲン」
奴は俺に向かって、手にした槍の先端を向けてくる。冷静さを失ってくれたのなら、しめたものだ。あの槍の光は、俺の【魔鍵】なら防げないこともない。初撃を正面から防げれば、その隙を突いて間合いを詰めるだけだ。
「斉射、『ダインレイフの聖槍』」
しかし、俺はこの敵のことを侮っていたらしい。声に怒りの色こそ含まれているが、奴が行ったのは単純な攻撃などではなかった。
「な、なに!?」
四方八方から迫る白い閃光。その発生源は……周囲に落ちている『聖槍』。つまり、先ほどのレイフィアの魔法を受け、辛うじて焼け残ったものだった。
「くそったれ!」
俺は舌打ちしながらも、『切り拓く絆の魔剣』を一閃させる。ほとんどすべての光は、『ひとまとまり』のものとして斬り散らせたものの、死角から迫るものはそうはいかない。身を捻って回避するが、幾筋かの光条が俺の身体をかすめていく。
「ぐ……!」
痛みに顔をしかめるが、大して深い傷ではない。だが、その程度の傷であるにも関わらず、俺の装備する『放魔の生骸装甲』による治癒効果が発揮されない。そして、間髪入れずにレオンが間合いを詰めてきていた。
「接近してきた? だが、こっちの思うつぼだぜ!」
敵が掲げる槍に、俺は魔剣を振り下ろす。『切り拓く絆の魔剣』の神性“斬心幻想”。この世に存在するあらゆるものを断ち切る魔剣の軌跡は、しかし、奴の手にした『聖槍』によってあっさりと遮られる。
「斬れない?」
だが、驚愕している暇もない。奴の槍の先端部分。光の刃に当たる部分が蛇のようにうねり、複数に分かれて俺に迫ってきたからだ。
「あっぶねえ!」
俺は慌てて距離を置き、その攻撃を回避する。ヴァリスの忠告が無ければ、危ないところだった。
〈ファラ、どういうことだと思う?〉
俺は心の中でファラに問いかける。
〈……擬似魔鍵。あやつは最初、あの槍のことをそう呼んだ。見ただけではよくわからんが、あの槍が魔鍵に近い性質を持つと言うのであれば……槍そのものを切ることは簡単にはできないのかもしれんな〉
『神』でさえ、他者の存在を根本から否定することはできない。ファラの神性をもってしても、他の【魔鍵】を切ることができない理由。
〈よくわからないけど、厄介だな。……後は、『事象の斬断』くらいしかないか〉
俺が内心でそうつぶやいたころには、再び迫るレオンの姿。背中の羽根も【魔装兵器】なのかもしれないが、恐ろしく直線的な動きで、宙を滑るように槍を構えて突進してくる。
「穂先が曲がるってのが厄介だな!」
言いながら、俺は先端の光部分を斬り散らす。やはり、本体でなければ切ることはできるらしい。だが、今でこそ挑発の成果もあって俺をターゲットにしてくれているが、いつ他のメンバーに槍を向けるかわからない。
先ほどの周囲に落ちた槍による攻撃も、連続では使ってこれないのかもしれないが、俺以外に使われれば相当危険だ。だからここは、敵にそんな暇を与えることなく畳み掛けるしかない。
「……斬る!」
俺は空振りによって体勢を崩したレオンに向けて、一歩踏み込む。だが、案の定、振り下ろした魔剣は敵の鎧で受け止められていた。レオンに関しては、鎧さえ特別製なのかもしれないが、今は斬れなくて当然だ。俺の目的は、こいつの鎧を斬ることじゃないのだから。
俺の背後に迫る無数の閃光。だが、俺には背中にも『目』がある。ファラからの警告の声を受け、一瞬早くそれに気づいていた俺は、『敵の放った光線が俺の身体を貫く』という事象のみを斬って捨てていた。
ファラの真なる神性“斬神幻想” 。
結果として、俺の身体を『貫かなかった』閃光は、俺の目の前に立つレオンめがけて突き進む。
「事象の変動率──測定不能。想定超過」
意味の分からない台詞を吐きながら、まともに閃光を浴びたレオンは、派手に吹き飛ばされる。山道を激しく転がり落ちながら、奴はどうにか翼で体勢を整えたらしい。再び手にした槍を構えて立つ。その立ち姿はだいぶ遠いが、相変わらず鎧には傷一つない。
「くそ、なんだよあれ。反則過ぎないか?」
〈弱音を吐くな。一度で効かぬなら……〉
「ああ、わかってるって。効くまで、何度でもやるだけだ!」
ファラの声に応えつつ、俺は敵が動き出すより早く、山道を駆け下りるようにレオンへと突進する。だが、奴はふわりと宙に浮かぶと、上空で槍を構えた。空を飛んで位置的優位を確保するつもりのようだ。もしかすると、先ほどの攻撃で冷静さを取り戻したのかもしれない。
「空を飛ばれたんじゃ、剣が届かないか……」
一見、強力無比に思える『ひとまとまりの斬断』には、欠点がある。対象となるものをどれかひとつでも、直接『刀身で斬る』必要があるのだ。
一方、『事象の斬断』に関して言えば、その制限はない。だが、代わりに敵本体を斬り裂くことは難しい。多少の傷くらいなら負わせられるかもしれないが、この技で斬れるのは、あくまで事象そのものだけだ。
〈たわけ。敵が一体なら、他にもやりようがあるわ〉
「え?」
先程の言葉は独り言のつもりだったのだが、ファラが聞き咎めるように声をかけてきた。
「……なるほど」
俺はファラの言葉に従い、改めて奴を睨む。立て続けに放たれる閃光を斬り払いながら、準備を整える。これは『認識』が命だ。そんなに簡単なことではないが、俺は嵐のような攻撃にさらされながら、斬り捨てるべき事象を冷静に見定めていた。
「落ちろ!」
青白い輝きが刀身に収束し、そこから放たれた光が空を飛ぶレオンに迫る。
「展開、【擬似魔鍵】『ラジエルの盾』」
レオンは例のごとく光でできた盾を構えるが、そんなものは関係ない。俺の放った斬撃は、たがうことなく狙いのものを斬り落とす。
──落ちたのは、レオン自身の身体だった。俺が『斬って落とした』ものは、奴が『空を飛んでいる』という事象そのものだ。だから、落下中に奴の翼がいくら羽ばたきを繰り返しても、一度墜落するまでは、再び飛ぶことはできない。
俺は、バランスを崩して落ちてくるレオンめがけて走り寄る。だが、奴は予測できなかったはずのこの事態にも冷静に対応し、落下しながらも正確に俺に向かって閃光を放ってくる。
「ちっ! あいつ、本当に【機械兵】みたいだな。動揺って言葉を知らないのか?」
攻撃を防ぎながらでは突進の速度も鈍る。奴の傍までたどり着いた時には、すでに体勢を立て直されていた。そのまま近接して切り結ぶものの、槍も鎧も斬ることができない以上、どうしても決定打に欠ける。逆に敵の攻撃は変幻自在の光の刃のために、わずかではあるが防ぎ切れないものが身体をかすめ、治癒できない傷が増えていく。
「でも……だから何だ!」
考えてみれば、そんなことは当たり前なのだ。少なくとも、俺のいた世界ではそうだった。厳重な装備に身を固める相手には、生半可な攻撃は通じない。戦闘中に傷を受ければ、すぐには回復など望めない。それが当然だ。傷の割には若干出血が多めだが、見た目より少し深い傷だと思えば同じこと。
だから、俺にはこんな戦いなど、日常茶飯事でしかない。俺はことさらに大きくバックステップを踏む。好機とばかりに間合いを詰めるレオン。だが、これは誘いだ。単なる後退ではない。身体の重心を極力前方に残しつつ、即座に前進へとステップを切り替えるための動き。
変則的で無理がある動きに、俺は身体のバランスを崩す。繰り出される槍がかわせない。だが、避ける必要などない。機械的に急所を狙うレオンの攻撃は、予期しない動きの前には、むしろ弱い。わずかな動作で致命傷だけは確実に回避できる。
これは俺が、前の世界で【機械兵】と戦った時に身に着けた戦法だった。
脇腹をかすめる槍の閃光。痛みに顔をしかめながらも、俺は手にした剣を角度をつけて鋭く突き込む。狙いはもちろん、敵の装甲の隙間だ。カウンター気味の攻撃に、レオンはまったく反応できない。
相手の虚を突くことで、反応すら許さない攻撃。かつての俺が得意としていた戦い方だ。今の俺にも、【アドヴァンスドスキル】の形でこの才能が備わっているらしい。
「体幹部に損傷。速度および正確性への影響、二割弱」
「くそ! 浅かったか!」
完全に不意を突いたはずの一撃でさえ、刺さった瞬間に身体をよじり、深い損傷を避けていたらしい。いずれにしても、鎧から引き抜いた剣先には、一滴の血も付いていなかった。
「……お前は危険だ。我が主に害をなす恐れが高い。ゆえに、ここで排除する」
レオンは左手の楯を背中にしまうと、右手の槍を投げ捨てる。だが、だからと言って油断はできない。遠隔操作で攻撃が可能なら、この状況は単に、あの場所に『固定砲台』ができたようなものだからだ。
しかし、奴の目的はそんなことではなく、ただ両手を自由にしたかっただけらしい。ゆっくりと両手を胸の前に合わせる。右手が握りこぶしの形に代わり、何かを掴む。左の掌から黒い水晶のような刃がずるずると引き出されていく。
「……ああいうの、魔導都市で見たな」
〈うむ。だがあれは、あの巨人兵が持っていたような不完全なものではないぞ〉
俺のつぶやきにファラが答えてくれた。
「『魔剣アウラシェリエル』、起動完了。……【擬似魔血結晶】の出力安定」
闇そのものを刃と化したかのような、漆黒の大剣。だが、以前のように歪な形のものではない。真っ直ぐな刀身から両手持ちの柄元部分に至るまでが優美な形の剣だった。
「……あれ、一瞬でもかすったら死ぬかな?」
〈言わずもがなだな。お主の『装甲』で無効化できるようなレベルのものではあるまい〉
「標的、ルシア・トライハイト。抹消開始」
無機質な声が響く。
-癒えない傷-
わたしはルシアの言葉を受け、すぐにエリオットの元に駆け寄っていく。上空の敵をレイフィアが排除してくれたおかげで、周囲の地形を根こそぎ変えてしまった激しい攻撃の雨は止んでいる。
「エリオット! エリオット! くそ! くそ! 治れ! 治れ!」
エイミアが涙を流しながら、エリオットの胸の傷を手で押さえ、ひたすら【生命魔法】をかけ続けているのが見える。わたしは嫌な予感を胸に抱きながらも、急いで彼の傷の状態を確認した。
「血が止まらない?」
「ああ! 頼む、シリル! エリオットを助けてくれ!」
すでにエリオットの顔色は、真っ青だった。傷口を押さえるエイミアの指の間からは、今もじわじわと血が滲み出ている。わたしは焦る気持ちを抑え、“魔王の百眼”を最大限に発動させて分析を試みる。
治癒能力の阻害。生命魔法の無効化。出血の促進。聖堂騎士団の持つ『ダインレイフの聖槍』の効力はそんなところだろう。どうにか解析さえできれば、彼の傷口にかけられた『呪い』ともいうべき効果を解除することも可能だけれど、時間がない。今のわたしでさえ簡単には読み解けないほどに、恐ろしく複雑かつ高度な術式だった。
わたしはちらりと『氷の世界』に目を向け、そして決断する。
「……エイミア。そこを退いて」
「シ、シリル?」
エイミアは驚いてわたしを見る。その時には既に、わたしの銀の髪は透き通るような色に変わり、身にまとう冷気が周囲の空気を一段と冷え込ませていた。氷の精霊『ローラジルバ』。わたしは、その力を宿した手を彼の胸元にかざす。
「で、でも、いったい何を?」
「傷口を凍らせるわ。とにかくまずは出血を止めないと」
「あ、ああ! わかった。頼む!」
エイミアが傷口から手を離した直後、わたしは掌から冷気を放ち、彼の傷口を氷で覆い尽くす。必要以上に凍らせれば、体力を失った彼にはかなりの負担になってしまう。精密かつ繊細に冷気を操り、どうにか最小限の凍結で出血を封じ込めることができた。
「と、止まった! ありがとう! ありがとう、シリル!」
感極まったように喜びの声を上げるエイミア。けれど、わたしは首を振る。
「まだよ。油断はできないわ。彼は血を失いすぎている。体力を回復させる魔法はあっても、血を取り戻す魔法は無いの。後は……運を天に任せるしかないわ」
「そ、そんな……」
再び顔を青褪めさせ、不安げにエリオットの手を握るエイミア。周囲に流れた血の量を見る限り、常人ならまず助からない。ただ、エリオットは【因子所持者】だ。そこに賭けてみるしかないだろう。けれど、それでもなお、分の悪い賭けだった。
「……とにかく、貴女はできる限り、エリオットに体力回復の魔法をかけてあげて。それから、声掛けもね。こういうときは、本人の生きたいという精神力が物を言うのよ」
「あ、ああ! わかった!」
わたしはわたしで、彼の傷口に込められた術式を解読する必要がある。冷凍した傷口も、できれば解凍したうえで治癒させてしまうことが望ましいからだ。たとえそれが、焼け石に水だとしても……。
「……ただの【魔装兵器】じゃない。擬似魔鍵? でも、そんなものどうやって……」
癒えない傷跡。止まらない出血。傷つけた相手を、確実に死に至らしめようという呪い。擬似的な【事象魔法】による事象そのもの。ルシアの【魔鍵】を使い、その事象を斬って捨てるという方法も無くはない。けれど、その事象そのものを、彼が正確に認識できなければ難しい。
ただ、それができたところで……恐らく彼は助からない。
「エリオット……、しっかりしてくれ。頼む。死なないでくれ……。わたしは、わたしは……やっと君と、こうして、想いを通じあわせたのに……こんな形で別れるなんて、絶対に嫌だ」
エイミアの悲痛な声に、わたしの胸も痛くなる。自分の大切な人が目の前で死のうとしている。わたしにとっても、エリオットは大切な仲間だ。死なせたくない。それに、こんな形で彼が死ねば、エイミアの心には癒えない傷が残ってしまう。
明るくてお節介で、皆のムードメーカーだった朗らかな彼女の笑顔。それがこんな形で失われるなんて、そんな現実、そんな未来、わたしは絶対に認めるわけにはいかない。
〈それでも、手は届かない。悩んで嘆いて苦しんで、天に向かって喚き散らして……それでもなお、力なき者には、何もできない〉
不意に響く女性の声。
〈うるさいわね。集中してるの。黙ってて〉
わたしはそれどころではない。
〈私は至高。私は最強。私は無敵。私は万能。本当の意味で、すべてに手が届く者〉
けれど『彼女』は、わたしの抗議などお構いなしに言葉を続ける。
〈だから、なに? 貴女が彼を助けてくれるとでも?〉
それはないだろう。問いかける前からわかる。彼女は、興味のない者には本当に興味がない。関わろうとさえしないのだ。だからこの問いかけは、『何もするつもりがないなら黙っていろ』という意味でしかない。しかし、彼女は黙らない。
〈許せない。許さない〉
〈え?〉
〈あなたは私。なのに、あなたは至高ではない。最強ではない。無敵ではない。万能ではない。仮にも私であるモノに、『できない』ことがあるなんて、……つまらないつまらないつまらない〉
〈…………〉
わたしは、その声を無視することにした。意識を目の前の事態に集中しようとする。
……けれど、その時。
〈血を戻す魔法が無い? 馬鹿みたい馬鹿みたい。血なんて、生き物なら誰でも造れる。なのに……あなたに、『私』に、それができない?〉
彼女のその言葉は、わたしの心に冷水を浴びせかけた。仲間の死に直面し、感情を激し く沸騰させて、冷静さを失っていたわたしの心に。
「エイミア! わたしが治すわ!」
「な、なに?」
驚いた顔でわたしを見るエイミア。わたしには【生命魔法】の適性がない。【マナ】を【魔力】ではなく、生命力に変換する【生命魔法陣】は使用できない。
それでも、【魔法】の原理は同じなのだ。己の【魔力】で【魔法陣】を虚空に描き、そこに周囲の【マナ】を取り込んで融合し、想いのままの事象を引き起こす。
そして、古代語を併用するわたしの【古代語魔法】であれば、適性の有無に関係なく、【マナ】を生命力に変換することは決して不可能なことではない。少なくとも、『今のわたし』には、その程度のことはできて当然だ。
多くの生物は、自身の身体で血液を生み出す力を持っている。ただ闇雲に対象へと生命力を注ぐだけでも、その機能を増進させることはできるけれど、それだけでは足りない場合はどうするか? 決まっている。腕や足を強化する場合と同じだ。それだけに特化すればいい。
すなわち──造血機能への強化魔法。
ノエルが使う医療用の大型【魔導装置】にも、特定の身体機能を増進させる機能を持つものはあった。だから、その術式を応用し、この場で即席の新たな【魔法】を創造してしまえばいい。口で言うほど簡単ではないけれど、今、エリオットを救う方法はこれしかない。
「……これで、どう?」
〈死を想い、生を渇望せよ。汝が血潮に希望の歌を〉
〈クロス・メルリア、リーレ・ディルグ。サウラ・ルミール・ネート・ニード〉
《熱く滾る血潮》
何度かの失敗を繰り返した後、わたしが構築した新たな【古代語魔法】が発動する。
祈るようにわたしとエイミアが見つめる目の前で、徐々にではあるけれど、エリオットの土気色の顔に血の気が戻り始めた。
「た、助かった、のか?」
「ええ、もう大丈夫よ。少なくとも命の危険はなくなったと思う。……後は傷口の『呪い』を解除したいところだけど……」
わたしは、ちらりとヴァリスの方へ目を向ける。彼は全身から血を流したまま、荒く息をついている。昼間から使っていたせいか、すでに《転空飛翔》の効果も切れてしまったらしい。
「わかった。彼はわたしが治療しよう。見たところ、背中の傷もそれほど深くはないようだし、体力を回復する魔法程度でも問題はないはずだな?」
エイミアは、わたしの視線の意味を察したように言う。
「……え、ええ。お願い」
わたしは驚いた。いくら命の危機を脱したとはいえ、あんなにも取り乱してまで心配していたエリオットの傍を離れ、他の仲間の治療に向かおうとするなんて……彼女は本当に、凄い人だ。
「そうだ。シリル。あらためて礼を言わせてくれ。エリオットを、わたしの大切な人を助けてくれてありがとう。後で精一杯、礼をさせてもらうからな!」
いつも通りの朗らかな笑みを浮かべ、ヴァリスの元へと駆け寄っていく。
〈……あなたにも礼を言っておくわ。ありがとう。シェリエル〉
〈礼? なんのこと? それより彼の方が危険だよ〉
「え?」
シェリエルの言う『彼』とは、恐らくルシアのことだろう。わたしは慌てて彼のいるだろう場所へと目を向ける。
「うわ! く! くそ! 結構きついぜ、これ!」
「追撃、追撃、追撃、追撃、追撃、追撃……」
レオン騎士団長は、黒い剣を手にルシアを責めたてている。対するルシアは防戦一方だった。仮にも“剣聖”の【スキル】を有する彼にしては、あまりに一方的な展開だ。けれど、すぐに気付く。
「……まさかあの剣、アウラシェリエル?」
〈うん。私が創った『必ず殺す』魔法。面白い面白い。リオネルが真似したのかな?〉
呑気な口調のシェリエルの言葉を聞きながら、わたしは心臓が止まりそうな思いで彼を見る。あの【魔法】は、かすり傷ひとつでルシアを殺すだろう。ただ、どんな【魔法】であれ、彼の【魔鍵】なら斬り散らせるはずだ。けれど、彼がそれをしないのは恐らく……
「剣の形の魔法ではなくて、剣に宿らせた魔法だから?」
あの黒い水晶のような刀身。恐らくはあの素材が、【魔法】を宿らせている媒体なのだろう。鈍く輝く黒水晶は、それを見る者に恐怖と嫌悪を同時に抱かせるような禍々しさがあった。
〈あの剣は、敵に傷をつけた瞬間に【魔法】を発動させるモノ。魔法を斬る剣でも、発動していない【魔法】は斬れない。剣自体は斬れるけど、斬った瞬間、中に込められた魔法が暴発して彼を襲う〉
歌うように、解説の言葉を口にするシェリエル。わたしは腕を前に伸ばし、『ローラジルバ』の氷の力を解放する。銀の息吹が渦を巻くようにレオンを襲い、彼の鎧を凍りつかせていく。
「サンキュー、シリル! 助かったぜ!」
その隙に、ルシアはどうにか体勢を立て直す。わたしはそんな彼に頷きを返しつつ、油断なくレオンを見据える。
「やっぱり、どう見てもまともな生き物じゃなさそうね」
普通なら身動き一つできなくなるはずの極寒の息吹を受け、鎧ごと凍りついたはずのレオンは、身体にまとわりつく氷をミシミシと音を立てて砕きつつ、動いている。