第176話 空より来たるモノ/おぞましきもの
-空より来たるモノ-
それからしばらくの間、僕たちは『一線』の前に陣取ったまま、何とも言えない時間を過ごした。ノエルさんとレイミさんは、川の流れを制御する作業があるため、山間部の川岸へと降りて行ったようだけど、その他の皆にはやることがないのだ。
いや、もちろんシャルは例外だった。彼女は『一線』の手前ぎりぎりのところに立ち、ひたすら目の前の『氷の世界』を見つめている。セフィリアが何を思ってこの『世界』を創りだしたのか。その想いを読み取ることで、ここから先に進むための方法を見つけ出す。
そもそも、そんな真似が可能なのかどうかもわからないけれど、今は彼女に任せるほかはない。
「エリオット。ほら、温かい飲み物を持ってきたぞ」
「え? ああ、ありがとうございます」
僕はエイミアさんの手から湯気が立ち上るカップを受け取る。できればシャルにも休むよう声を掛けたいところだけど、集中を邪魔することもできない。気が引ける思いはあったものの、僕は手の中の飲み物を口にする。
「ふう……。落ち着きますね」
「そうだな。こういうとき、自分の無力を感じないではいられないけど……それでもわたしたちは仲間だ。ここは黙って信じて待つしかないぞ」
「……はい」
エイミアさんには、僕の内心なんてお見通しらしい。そう言えば先ほどから他のメンバーの元にも飲み物を配っていたみたいだし、こういう場面では、エイミアさんは意外と気遣いのできる人なのだ。
「あの頃は、まさか君とこうして『世界を救う旅』に出ることになるとは、夢にも思わなかったな」
僕の隣に腰を掛け、しみじみと言うエイミアさん。
「……そうですね。僕も、エイミアさんとこうして恋人になれるなんて、夢にしか思っていませんでした」
「む……まったく。昔はそんな子じゃなかったのに。どこで育て間違えたかな?」
「あはは。すみません」
僕の軽口に、すねたような顔をするエイミアさんは、たまらなく可愛いけれど、やりすぎると後が怖い。ここまでで自重する僕だった。
「……まずいな」
ヴァリスが空を見上げてつぶやく。
「ヴァリス? どうしたの?」
アリシアさんの問いかけに、ヴァリスは空を見上げたまま続ける。
「アリシア。敵が来る。障壁の展開を頼む。」
「う、うん!」
アリシアさんは、ヴァリスの言葉に素早い反応を見せた。すぐさま“抱擁障壁”を僕ら全員を囲むように展開する。
「まだ《転空飛翔》の効果は残っているが……まさか、このタイミングで襲撃に来るとはな」
ヴァリスの『変身時間』もかなり伸びてきているらしい。その発言が終わるころには、僕とエイミアさんも戦闘準備を整えている。
「来るぞ!」
ヴァリスの警告の声が聞こえた直後、視界を真っ白な光が覆い尽くす。降り注ぐ閃光は恐ろしい破壊力を伴っていた。
「きゃあああ!」
アリシアさんの悲鳴だ。驚いて彼女を見れば、酷く苦しそうな顔で胸を押さえている。
さらに周囲を見れば、樹木が根こそぎ吹き飛ばされ、焼け野原と化していた。破壊の影響は『氷の世界』にまでは及んでいないようだけれど、アリシアさんの障壁が無ければ、僕らも無事では済まなかっただろう。
「大丈夫? “抱擁障壁”にここまで負荷をかけてくる攻撃なんて普通じゃないわね……。アリシア、こっちはわたしが防壁を展開するから、あなたはシャルだけを護って。ルシアも、敵の攻撃を斬り散らすのをお願い!」
「う、うん。ご、ごめんね……」
「ああ、わかった!」
シリルは素早く二人に指示を出しながら、『ディ・エルバの剛楯』でシャルのいる場所を除く僕らの周囲に分厚い半透明の障壁を出現させる
アリシアさんの障壁の範囲を狭めたのは、敵の攻撃の負荷をシリルの障壁にも分散させるためだ。実際、さっきの一斉砲撃を受けて、アリシアさんはかなり苦しそうだった。
一方、ルシアは今も『一線』の前に立ち尽くすシャルの元へと駆け寄っていく。
「……聖堂騎士団か」
僕の隣で弓を構えるエイミアさんから、そんな言葉が漏れる。
上空を旋回する無数の白い鳥。よく見れば、それは純白の鎧から翼を生やした異形の騎士団の姿だった。
「先手……は取られたが、速攻で片を付ける」
〈還し給え、千の光〉
エイミアさんは凛とした声で宣言し、蒼く輝く弓を空へと掲げた。すると、その声に応えるかのように、空に無数の光点が出現する。エイミアさんの【魔鍵】の神性、“黎明蒼弓”。
「上空に攻性を有する【魔力】の群体を捕捉。全軍、【擬似魔鍵】『ラジエルの盾』を頭上に展開」
しかし、空に舞う騎士たちを貫くべく降り注いだ光の雨は、無機質な声と共に騎士たちが掲げた輝く盾に防がれる。
「第二射を用意。【擬似魔鍵】『ダインレイフの聖槍』発射」
百人以上はいるだろう騎士たちは、声に従って手にした『槍』を構える。その先端から、再び白い閃光の束が僕らめがけて降り注ぐ。
「く! なんて威力……」
シリルが唸るようにつぶやく。『ディ・エルバの剛楯』が限界を訴えるように軋んだ音を立てていた。シャルとアリシアさんに迫る攻撃こそ、ルシアが斬り散らしているけれど、攻撃の範囲が広すぎる。
「『ファルーク』、迎撃をお願い!」
〈キュアア!〉
シリルの声に空を舞い、聖堂騎士団の牽制に向かうファルーク。風に乗って飛ぶ白銀の飛竜は、残像が見えるほどの速さで騎士たちの隊列を蹂躙するかに見えた。
しかし、騎士たちは恐ろしく統制のとれた動きで散開すると、あっという間に飛竜の周囲を取り囲み、光の槍で撃ち落としてしまう。
「ファルーク!」
具現化維持の限界を超えるダメージに、姿を霞ませていくファルーク。
「くそ! 僕がやるしかないか!」
「我も行く!」
僕はヴァリスと頷きあい、空を覆う聖堂騎士団の群れを睨みつける。
翼を生やした純白の鎧騎士。白い光を放つ槍や輝く盾など、揃いの装備を身に着け、一糸乱れぬ統率の元に動いている。似たような姿で区別はつきにくいが、中央に浮かぶ騎士だけは、何やら底知れない迫力を感じさせる。恐らくあれが、聖堂騎士団長レオン・ハイアーランドだろう。
いずれにしても、あれだけの数の敵が強力な武器を持ち、連携の取れた戦術を使ってくるとなると、かなり苦しい。
エイミアさんにはバックアップをしてもらうとして……残る一人。僕はレイフィアさんの姿を目で追う。
「ん? 何見てんのさ。あんな蠅みたいな連中、まとめて焼き払うのが一番でしょ? ささと時間稼ぎに行ってきなさいよ。あたしはいつものとーり、ド派手にとどめをぶちかましちゃうからさ!」
彼女はけらけらと笑いながら、地面に『陣』を描いている。確かに、彼女の魔法は頼りになる。エイミアさんの“黎明蒼弓”こそ防がれてしまったが、これだけの人数差を覆すには、圧倒的な火力で当たるのが有効だろう。
とはいえ、それを待っている暇もなさそうだ。僕らが近接戦で奴らと戦い、地上への攻撃を止めさせるしかない。
「【因子加速】!」
僕はヴリトラの竜翼を展開し、聖堂騎士団めがけて猛然と迫る。
「《竜翼飛行》!」
ヴァリスが周囲の風をコントロールし、舞うように空を駆ける。
〈誰かを護る。その意志こそが楯となる〉
《鉄壁の意志》!
エイミアさんからの【生命魔法】は、表皮を鉄のように強化するものだった。僕は彼女の援護に心強さを感じつつ、敵へと接近する。狙うはもちろん、先ほどから攻撃指示を出している騎士団長のレオンだ。
「喰らえ!」
僕は空中で身を捻り、『轟音衝撃波』を繰り出した。
「衝撃波を感知。逆位相の衝撃波を……」
「同じ手が二度も効くか!」
僕は繰り出した腕を強引に引き戻し、二発目の衝撃波を放つ。モーションが小さい分、大した威力にはならないが、二発目は敵を倒すことが目的じゃない。
「解析困難……」
案の定、奴は追い打ちによって乱れた衝撃波を防ぎ切れず、直撃を受けた。普通なら全身が粉々になってもおかしくないだけの威力を誇る攻撃だが、奴は原形を保ったまま、錐もみ回転で落ちていく。
「くそ、あの鎧。随分頑丈だな!」
僕は追撃を仕掛けるべく、奴めがけて高度を下げた。だが、奴は落ちながらも、こちらに槍を向けてくる。他の騎士たちが持つものとは装いの異なる、奇妙に捻じ曲がった槍の先端。そこに集まる白い光は、それ自身が槍と化して僕に迫る。
「くそ!」
僕は背中の翼で自分の姿勢を制御し、迫る光線を紙一重で回避する。身体をわずかにかすめる光。ぞわりと全身が怖気立つ。この『光』は危険だ。僕の『戦闘感覚』がそう訴えている。僕は自分が感じたものを同じく上空で戦っているヴァリスにも伝えるべく、周囲に視線を走らせる。
「|《竜爪乱舞》(サウザンド・クロウ)!」
黄金の輝きを纏い、騎士の集団に飛び込んでいったヴァリスは、手から無数の光刃を放っている。
「展開、【擬似魔鍵】『ラジエルの盾』」
しかし、騎士たちの光の盾は、強力無比な【竜族魔法】を難なく防ぎ切る。ヴァリスはためらうことなく近接攻撃に移ろうとするが、連中は反対に統制のとれた動きで彼の周囲を取り囲み、手にした槍を突きつける。その先端には、収束する白い光。
「おのれ!」
ヴァリスは急加速して包囲網の一か所を打ち破り、敵の集中砲火を回避する。だが、敵はその動きを読んでいた……というより、誘っていたらしい。回避の方向を予知したように、複数の閃光がヴァリスを襲う。
「……ヴァリス! く! くそ!」
だが、僕にはヴァリスの状況を気にしている余裕はなかった。レオン騎士団長が再び僕に接近し、槍を繰り出してきたからだ。真っ直ぐ急所めがけて迫る槍。僕はその先端を受け流すように、自身の槍を掲げて受ける。敵の体勢が流れたところにブレスを吐きかけ、距離を取った。
駄目だ。さすがに団長だけあってか、他の騎士たちとは比較にならないほど強い。他の敵を相手にしながら戦える相手じゃなさそうだ。
「二人とも! 援護射撃ならわたしもできる! それと無理はするな! 危険だと思ったら下がってくるんだ! すぐに回復魔法をかける!」
「了解です!」
「承知!」
下から聞こえてきたエイミアさんの声に頷きを返しつつ、聞こえてきたヴァリスの声にほっとする。どうやら先ほどの攻撃は回避できていたらしい。彼は地上で障壁を展開し続けるアリシアさんに目を向けると、再び騎士団を睨みつけた。
「これ以上はやらせん!」
ヴァリスは黄金の闘気を全身にまとい、騎士の群れへと突撃を仕掛けていく。その行く手を数人の騎士たちが塞ぐものの、『竜族』が本気で放つ破壊の闘気を前に、為す術もなく吹き飛ばされる。
「斉射」
レオンと騎士たちが、再びあの禍々しい槍をヴァリスに向ける。
「同じ攻撃が何度も通じると思うな!」
文字どおり光速で飛来する閃光を、ヴァリスは“超感覚”を駆使して紙一重で回避し、奴らに向かって肉薄する。
「散開」
レオンの号令に合せ、蜘蛛の子を散らすように動く部隊。だが、レオンの作戦は巧妙だった。敵が散開してできた空間に残ったヴァリスへ向けて、さらに上空に移動していた部隊の一部が無数の光弾を撃ち放ってきたのだ。どうやら敵の武器は『ダインレイフの聖槍』だけではないらしい。
「ぐ! この程度の攻撃で!」
あの光弾自体は、『ダインレイフの聖槍』と異なり、彼の防御を貫通できるほどの攻撃ではないのだろう。だが、その分だけ速射性・連射性に優れているらしく、地上にいるメンバーに向かって降り注げば、かなり危険だ。
「ヴァリス! こっちは任せて君は奥の敵を殲滅してくれ!」
「……承知した!」
ヴァリスは僕の意図を察知してくれたらしく、そのまま上昇を続け、迎え撃つ騎士たちを薙ぎ払っていく。
「お前たちの相手はこの僕だ!」
瞬間的な交戦相手のスイッチに、レオンとその周りの隊の連中も反応しきれなかった。今度の『轟音衝撃波』は、物の見事に三人ほどの騎士たちを吹き飛ばす。だが、やはり彼らの鎧も異常なまでの強度を誇っているらしい。大きく歪みはしたものの、鎧自体は破壊を免れていた。
「何だ? おかしいぞ?」
僕は、一糸乱れぬ統制のとれた動きで槍を振りかざしてくる敵と立ち回りを続けながら、奇妙な違和感を覚えていた。おかしいと言えば、先ほどの攻撃に彼らが耐えたこと自体がおかしい。なぜなら、彼らの鎧は『歪んで』いたからだ。鎧が歪むほどの衝撃を受けて、どうしてこうも平然としていられる?
中の人間にダメージは無いのだろうか? まさか、『パラダイム』の【生体魔装兵器】のような存在なのか?
僕はそれを確かめるべく、鎧が歪んだ一体の敵に狙いを定める。僕の背後から迫ってきた敵を、エイミアさんの光属性魔法が弾き飛ばすのを気配で感じ、周囲を槍で一閃してから一気呵成に間合いを詰めた。
そのまま、反応もできずにいる相手の胴を突いた。槍の穂先に錐のように鋭く高速回転する空気を生み出し、貫通力を極限まで高めた一撃だ。傷んだ鎧の割れ目を狙って突き込むことで、それは見事に敵の身体を貫いた。
「な、こ、これは……」
固い鎧を貫く感触。そしてその後に続く、柔らかいものを貫く感触。でも、尋常じゃない。柔らかいとは言っても、それは『生き物』を貫いた感触ではなかった。
「な、なんだ、これは?」
僕は敵の身体を蹴りつけ、その反動で槍を抜きつつ、周囲の敵の攻撃を回避する。先ほどまで敵を貫いていた槍。そこには、血肉がまとわりついている。
「こ、こんな、こんな馬鹿な……」
けれど、その血肉は、生きた人間ものじゃない。ぼろぼろになってこびりつく屍肉の塊であり、干乾びきった血液の塊だ。
「クソ! まさか、まさか……!」
僕は手直にいた騎士の兜を弾き飛ばす。すると、その下からは……眼窩に暗い虚無を宿し、水分のない皺だらけの顔をした人の顔が現れた。
「【アンデッド】? い、いや、まさか……」
ただの【アンデッド】に、ここまでの集団戦闘が可能な知能があるはずがない。だとしたら、こいつらはいったい?
「エリオット! 油断するな!」
エイミアさんからの警告の声。だが僕は、あまりの衝撃に気が動転してしまい、反応が遅れてしまう。気づいた時には、レオンが手にした光の槍が目の前に迫っていた。胸元の鎧をえぐる一撃が、僕の身体を弾き飛ばす。
-おぞましきもの-
「エリオット!」
わたしは思わず叫び声をあげた。
「ぐああ!」
信じがたいことだが、彼の胸を覆う『乾坤霊石の鎧』が砕けている。その裂け目から鮮血を散らしながら、エリオットは空中で姿勢を崩していた。
「だ、大丈夫です!」
しかし、傷自体はそれほど深くなかったらしい。彼はすぐさま体勢を立て直す。
「いったい、あれは何なんだ?」
エリオットが気を取られてしまったもの。地上にいるわたしの眼にも、それははっきりと見えていた。聖堂騎士の兜の下から現れた、死人の顔だ。
わたしはレオンに向けて牽制の矢を撃ち落としながら、周囲の状況を確認する。
今もシリルは、上空から放たれる散発的な攻撃をルシアと共に防ぎ続けている。さらにその上空を見上げれば、ヴァリスが敵の光弾をことごとく回避しながら凄まじい戦いぶりを見せてはいるが、しばらく時間はかかりそうだ。
「我が騎士団は不滅。信仰の心がある限り、死など無意味」
レオンと名乗った騎士団長の声は、相変わらず感情のこもらない無機質なものだ。先程から立て続けにエリオットやわたしの攻撃を受けているはずなのに、ダメージなど微塵も感じさせない。
今の言葉も意味不明だ。だが、ひとつだけわかったことがあった。この連中は、以前に見た『元老院衛士団』などとは全くの別物だ。あんなものとは比較にならないほど禍々しく、おぞましい連中だ。
「……あの『鎧』だわ。着用者に死を許さない鎧。肉体が人の形を留める限り、どんな致命傷を負おうとも、文字通り死んでも戦い続けさせられる。造った人間の正気を疑う代物ね……」
シリルが口にした“魔王の百眼”による分析結果は、彼らの正体を如実に知らしめてくれたが、おぞましさは増すばかりだ。
「我らが主、リオネル様より【擬似魔鍵】『エクスの鎧』を賜るは、至上の栄誉」
シリルの発言に反論するかのような、レオンの言葉。どうやら彼は、リオネルに関することだけは、まともに反応するらしい。
〈還し給え、百の光〉
わたしはエリオットに迫る敵の集団に、再び光の雨を落とす。何体かには防がれたが、その他の連中にはまともに命中していた。中には頭を貫かれた敵もいたはずだが、それもでなお、行動不能になった敵は一人もいなかった。
「くそ! あれじゃ、きりが無い!」
エリオットのことも心配だった。降りてきてくれないことには回復魔法もかけられないのだが、彼は少しでも地上に降り注ぐ攻撃を減らそうと、依然として空で戦い続けている。
悔しいが、連中は矢の一本や二本では倒せない。かといって前回の戦いで『捧げ矢』を激しく消耗している以上、数で攻めるやり方も難しい。
……と、そこまで考えて、わたしは気付く。そう言えば、こんな場面で一番役に立ちそうな奴が、わたしたちの仲間にはいたはずだった。彼女は、どうしたのだろう?
「ふふん! 駄目駄目だねえ。みんな! ここはあたしに任せときなって!」
そんなわたしの気づきに反応したわけではないだろうが、やたらとちょうどいいタイミングで声を張り上げる一人の女性。
「なにが、駄目駄目だ、なのよ。さっきからわたしの後ろでびくびく隠れていたくせに
……」
呆れたようなシリルの声。見れば彼女の言うとおり、シリルの背中から顔だけを出すようにしているレイフィアの姿があった。
「な、何をやってるんだ?」
わたしはあまりのことに、状況も忘れてそんな呑気な問いかけをしてしまう。
「え? だ、だから、あたしが一発、あいつらを【魔法】で吹き飛ばしてやるって言ってんの!」
などと言いながら、何故か彼女の声は震えているようだ。あいつらと言いつつも、上空を見上げもしない。
「まさか……、レイフィアってああいう、グロテスクなのが苦手なのか?」
「な! んなわけないじゃん! ばっかみたい! なに言ってんの? なに言ってんの? ばっかみたい!」
うん。図星らしい。だが、やるなら早くやってもらいたいものだ。上空ではそろそろヴァリスが分隊の連中を殲滅しようかというところだ。遠目からしか見えないが、彼は彼で優れた戦いぶりをしてくれているというのに、彼女の方は随分と呑気なものだった。
いずれにせよ、連中を片付けないことには、状況は改善しない。今もなお、散発的とはいえ敵の攻撃は降り注いできているのだ。
わたしがそう言うと、レイフィアは憤慨したように叫ぶ。
「やるって言ってんでしょ! もう、黙って見てなよ!」
いつの間にか、彼女の正面には、赤く輝く『3つ』の【魔法陣】とそれをはるかに上回る大きさの1つの白い【魔法陣】が、互い違いに回転しながら浮いていた。
似たような【魔法陣】なら、シリルが使っているのを見たことがあるが、あれは、アレンジした禁術級魔法のものじゃないのか?
「エ、エリオット! 危ない! 下がれ!」
わたしは上空でレオンの親衛部隊と交戦中のエリオットに向かい、慌てて警告の声を発する。
〈赤より紅く燃え滾り、紅より赫く燃え狂え。ああ、もう! ムカつくモノを焼き尽くせ!〉
《滾り狂う真紅の情熱》!
もはや詠唱の言葉すら型破りだ。詠唱自体は、イメージを補助する意味合いしかもたないものだとは言え、もう少し恰好はつけられなかったのだろうか?
だが、効果は劇的だった。彼女の手にした『燃え滾る煉獄の竜杖』から放たれた紅い閃光は、上空に到達するなり爆発的に広がって、周囲の騎士たちを残らず飲み込んだ。空に生まれる火の海は、夕闇の空を真っ赤に染め上げ、わたしは思わず息を飲む。
「エリオット!」
わたしは叫ぶ。見ればエリオットは、真っ逆さまに地面に向かって落ちてくるところだった。
「くそ! レイフィアめ。少しは手加減と言うものを考えろ!」
わたしは毒づきながら、エリオットの落下点へと走り込む。身体強化の【生命魔法】を自身にかけ、彼の身体が大地に激突する瞬間に受け止めた。
「大丈夫か、エリオット!」
わたしはエリオットの火傷の具合を確かめようとした。……だが、そこで気付く。
「胸の傷か!」
そう、エリオットが落ちてきた理由。それはレイフィアの【魔法】に巻き込まれたのではなく、胸の傷による出血が限界に達していたからなのだ。
「くそ! すぐに癒す!」
「……すみません。エイミアさん」
苦しそうに息を吐き、竜化を解除した状態で謝罪の言葉を口にするエリオット。
「馬鹿! どうして黙っていた! すぐに降りてくれば治療もしてやれたのに」
「違うんです。本当、は、【気功】で治癒しておこうと思っただけなんです。で、でも、この傷、治らないん、です……」
「なに?」
なおも、傷口から流れ続ける血は、よく見ればエリオットの全身を濡らしている。これはかなり危険な状態だ。
《星辰の再生光》!
わたしは必死に彼の胸の傷に回復魔法を照射するが、一向に傷が塞がる気配がない。
「嘘だろう? なんだ、これは? そんな、こんなことがあっていいのか? くそ! 治れ! 止まれ!」
わたしは、半狂乱になって彼の胸の傷を押さえつける。
「レオン! これは、これはなんだ! これも貴様らの武器のせいか!」
わたしは先ほどの爆発で姿を見失ったレオンの姿を探し求めた。
そして、愕然とする。あの凄まじい爆炎が消えた後から、奴は全くの無傷のまま、その姿を現したのだ。
「嘘でしょ? あれで死なないなんて、不死身なんじゃないの?」
レイフィアはあんぐりと大口を開け、レオンの姿を見上げている。だが、その直後のことだった。
「不死身ならば、動かなくなるまで攻撃を続けるだけだ!」
上空から墜落するような勢いで舞い戻ってきたヴァリスは、そのまま拳の一撃をレオンの背中に叩きつける。耳が痛くなるほどの激突音が響き渡り、レオンは激しく大地をえぐるように地面へと叩きつけられた。
「馬鹿な……」
だが、ゆっくりと起き上った奴の鎧には、それこそ傷ひとつ付いていない。エリオットにやられた傷ですら、消えている。逆にヴァリスはと言えば、上空での激戦が響いたのだろう。すでにボロボロの満身創痍となっている。
「ヴァリス、大丈夫?」
しかし、アリシアの心配そうな声にも、ヴァリスは力強く首を振った。
「この程度の傷、すぐに治る!」
ヴァリスは一声叫ぶと、『聖槍』を構えるレオンに向かって飛びかかる。身に纏う黄金色の闘気も最初の頃よりだいぶ減じてきているようだが、それでも一撃必殺の威力はあるだろう。
ところが、レオンはどこまでも冷静だった。
「展開、【擬似魔鍵】『ラジエルの盾』」
輝く盾がレオンの前面に拡がる。
「ちっ!」
ヴァリスは、その盾を迂回するように右に進路を向けようとした。だが、それは盾を逆側にわずかに傾けていたレオンの誘いだった。盾の陰からするりと伸びる『聖槍』の先端。それだけなら、それでもヴァリスには回避できたかもしれない。しかし、レオンの放つその光は、グニャリと捻じ曲がり、回避したヴァリスの背中に直撃する。
「ぐあああ!」
背中から血しぶきをあげ、ヴァリスはたまらず地に転がった。
「ヴァリス! 下がって! わたしがやるわ!」
上空からの敵の攻撃が止んだためか、攻撃に手を回すゆとりができたのだろう。シリルがヴァリスに向かって叫ぶ。
「いや、シリル! お前はエリオットを見てやってくれ! あいつは俺が相手をする」
同じく余裕ができたルシアの声だ。わたしたちに視線を向けながらそう言ってくれた。エリオットの胸元の傷口からは、手で押さえてもなお、血が次々と溢れてくる。少しずつ顔色を青褪めさせるエリオットの姿に、わたしは全身から血の気の引く思いがした。
「エリオット、しっかりしろ。しっかりしてくれ! だ、駄目だ……こんなところで、こんなところで死なないでくれ!」
「……ははは。大丈夫ですよ。エイミアさん。ぼ、僕が、こ、こんな、ところで、死ぬわけがないじゃ、……ないですか」
かすれるような声で、わたしを心配させまいと声を出すエリオット。心臓が止まりそうだ。胸が痛い。誰か、誰か、エリオットを、彼を助けてくれ……。
「な、泣かない、で、ください。僕は……エイミアさんの、笑顔が……」
「エリオット! エリオット!」
わけがわからない。なんだこれは? どうして、いきなりこんなことになった? 何が悪かったんだ? いったい、どうして……。頭の中が真っ白になっていく。
自分には何もすることができないまま、目の前で大切な人が死ぬ。わたしは、この世界にこんなにも恐ろしく、おぞましいことが存在するだなんて、これまで思ってもみなかったのだった。