第174話 最後の鎖を解く人/隔世之感
-最後の鎖を解く人-
四属の【聖地】の中では最後に巡る場所となった、【水の聖地】『クアルベルド』。
魔法王国マギスディバインの従属国のひとつであり、北部の『ゼルグの地平』に境を接する『ヴァステル諸侯領』にあるその【聖地】は、山深い奥地に存在しているということだった。
そのため、あたしたちは情報収集を兼ねて、山の麓に位置する『レムリア』の街へと向かうことにした。
「レムリアって言ったら『水の都』として有名な街だよね。すごくきれいな水が張られた水路を船を使って移動できるんだって。今から楽しみだなあ」
シャルちゃんは食堂の席で、シリルちゃんに向かってしきりに話しかけている。けれど、当のシリルちゃんはと言えば、
「そうね。楽しみね……」
どことなく上の空だ。でも、無理もないよね。もちろん結果的には、ルシアくんとシリルちゃんはお互いの気持ちを知ることになったわけだし、晴れて恋人同士と言ってもいいのかもしれない。けれど、途中で妙な横槍が入っちゃったこともあって、せっかくの告白シーンが台無しだったんだもの。
「本には水路の水は凄く透明だから、中を泳ぐ魚の姿がはっきり見えるんだって書いてあったんだよ。すごいよね?」
「うん。凄いと思うわ……」
「うう……」
シャルちゃん……頑張って。涙ぐましいシャルちゃんの努力に、あたしは心の中で声援を送る。
「アリシア。なんかあれ、シャルが可哀そうだよ。助け舟ぐらい出してあげればいいじゃん」
意外にも、そんな風に声をかけてきたのはレイフィアだった。でも、あたしはその言葉に首を振る。
「だ、駄目だよ。前に一度慰めようとしたら、……こう言われちゃったんだ。『アリシアはロマンティックな告白の場面があって良かったわよね』って……」
「……ああ、こりゃ相当重症だねえ」
納得したように言いながらも、レイフィアの声は楽しそうだ。一方のルシアくんはと言えば、困ったような、でもどこか嬉しそうな顔でシリルちゃんとシャルちゃんの様子を見つめている。
「……でも、その問題は別にしても、心配は心配だね」
と、ノエルさん。
「シェリエルのこと?」
「ああ。はっきり言わせてもらえば、さっき襲撃してきた『聖堂騎士団』を撃退できたのは『彼女』のおかげだ。もちろん、僕らが戦って負けたとは思わないけど、敵の数と言い、連中の武器の火力と言い、あの状況なら間違いなく、この船は落ちていただろうね」
ノエルさんは深刻な顔で言う。
「そうだよね……。もしまた襲ってきたとしたら、次もおんなじように行くとは限らないわけだし……」
「いいや、僕が心配なのは、そんなことじゃないよ」
「ノエル?」
そこでようやく、ノエルさんが真剣な口調で話し始めたのに気付いたのか、シリルちゃんが不思議そうな顔で声をかけてきた。
「ねえ、シリル。『彼女』はこう言ったんだよね? 『このままだと、この船が落ちる』って」
「ええ、そうよ。それが何か?」
「ちょうどその時、僕はヴァリスと一緒にいたんだ。でも、その時はまだ彼の“超感覚”でも敵の接近に気付けていなかった。さらに言えば『彼女』は、その時点ですでに敵の力と、この船の防御性能を見抜いていたんじゃないかと思う」
えっと、それってつまり……。あたしは、ノエルさんの言葉の続きを待った。
「『竜族』を凌駕する感知能力。『魔族』を圧倒する分析能力。それに加えて……他人が所持する【魔装兵器】を支配して暴走させる力。そんな力を持った存在がシリルの中にいて、気まぐれに力を振るうんだよ? 今の僕たちは、まさに薄氷の上に立っているようなものだ」
「お、おい、ノエル! なんて言い方をするんだ」
ルシアくんが憤慨したように咎めても、ノエルさんは首を振る。
「駄目だよ、ルシア。問題から目を背けてはいけない。僕だってシリルのことが何より心配だ。だからこそ余計に、この問題を無視するわけにはいかない。だからここで、確認なんだけど……」
そこで言葉を切って、ノエルさんはシリルちゃんに目を向ける。彼女の目には、深刻そうな光が宿っていた。
「なにかしら……?」
「君には、彼女の行動を制止することはできないのかい?」
ノエルさんの問いに、シリルちゃんは考え込むような仕草を見せ、そしてゆっくりと顔を上げる。
「……わからないわ。ただ、本気になって抵抗すれば、できるかもしれない」
「そう、良かった。でも、君が彼女を止めようとすることで、反撃されてしまうようなリスクはないの?」
良かったと言いながらも、ノエルさんの顔には、わずかに不安と疑念の色が残っている。
「……ないわね。これは感覚的な言い方になるけど……彼女とわたしは『同じ』なのよ。記憶も感覚も『共有』している……みたいな? とにかく、少なくとも『今の彼女』の行動は、究極的にはわたしの意に沿わない結果にはならないと思うわ。……あくまで『究極的には』だけどね」
最後の言葉を言う時には、シリルちゃんは苦虫をかみつぶしたような顔になっていた。
「……なるほどね。ようやく腑に落ちたよ」
「ノエル?」
「いや、ごめんね。あえて意地悪な聞き方をしたのも、確認したいことがあったからなんだ。でも、これでわかった。──君の魂は、『シェリエル』のものを元に生み出されたんだ」
「え? どういうこと?」
「昔から、僕は不思議だったんだよ。君に【魔導装置】の扱い方を教えていた時の、君の覚えの速さは明らかに異常だったからね」
「…………」
シリルちゃんは何を思い出したのか、沈黙したままうつむいている。
「それどころか既存のものを元に、まだ学んでいないことを推測することにも長けていたよね。……でも、違う。君は『覚えて』いたんじゃなくて、『思い出して』いたんだ。そう考えれば、つじつまが合う。君は過去に存在した人物、『シェリエル』の複製体なんだ」
その言葉に、シリルちゃんは弾かれたように顔を上げる。
「……じゃあ、なに? ここにいる『わたし』は何なの? 彼女が本物で、わたしは偽物。だったら、わたしはわたしじゃないの?」
シリルちゃんの声が震えている。あたしには、彼女の抱えている『恐怖』が直に見えてしまう。『ゼルグの地平』で、シリルちゃんの様子がおかしくなったとき──ううん、もしかすればそれより遥かに以前から、彼女の心には『自分が自分でないかもしれない』という不安があったに違いない。
「シリルちゃん……」
あたしは、彼女にかける言葉が見つからなかった。さっきまでの元気のなさも、ルシアくんとの時間を邪魔されたことだけじゃなくて、このことが引っ掛かっていたせいなのかもしれない。
世界を救うという使命の重さに苦しみ、失敗することに怯えて悩んできた彼女の心には、見えない鎖がもう一本、絡みついていた。複雑に絡み合う感情は、あたしにさえ完全には読み解けなかった。世界を救う希望が見えてきた今だからこそ、最後の鎖は目に見えるものになったに違いない。
ルシアくんは、そんなシリルちゃんをもどかしげに見守っている。何がどうだろうと、シリルちゃんはシリルちゃんだ。他の何者でもない。そう言ってあげたいのだろう。
けれど、周囲の人間が何を言っても、『自分の存在を自分で確信できない』という恐怖は、ぬぐい去ることなんてできない。それがわかっているからこそ、ルシアくんも何も言えないでいる。
これまでずっと、彼女が抱えてきた問題。その最後にして、最大のもの。
「……ふふ、何をそんなに深刻な顔をしてるんだい?」
けれどノエルさんは、気楽な調子で笑いかける。
「……当然でしょう? そんな話を聞かされて、どうしろって言うのよ……」
知らなければよかった。そう言いたげな顔で、恨めしげにノエルさんを見るシリルちゃん。
「正直、僕は良かったと思ってるよ。これこそが僕の役目だ。他の誰にも譲らない。これでこそ、僕もあんな苦痛に耐えた価値があったってものだよ」
「……どういうこと?」
訝しげな顔で首をかしげるシリルちゃんに微笑みかけ、ノエルさんはとある方向に手を差し向ける。
「やあ、レイミ。ひとつ聞いてもいいかい?」
「はいな。ノエルさん」
え? いったい何が始まるの?
「君は僕の魂の複製体だ。じゃあ、君は僕──ノエル・グレイルフォールなのかな?」
芝居がかった台詞を口にするノエルさんに、レイミさんは同じく芝居がかった仕草で肩をすくめてみせる。
「いいえ、わたしはメイドさんです。男女を問わず! 老若だって、広範囲にカバーする! 完全無欠、向かうところ敵なしの特別キュートなメイドさん! レイミです!」
これ見よがしに大きな胸を強調し、鼻息荒く名乗りを上げた変態メイド……じゃなくってレイミさん。彼女のあまりに威風堂々とした立ち姿に、食堂に居合わせた皆からは一斉に笑いが起こる。
「……な、なんなわけ?」
唯一、笑うに笑えないシリルちゃん。するとノエルさんは、呆れたように首を振りつつ言葉を続ける。
「僕だって、レイミのことを僕自身だとは思っていないよ。そんなの、冗談じゃない。僕がこんな変態でたまるか!」
「うふふ、御冗談を。わたしなんて、あなたの足元にも及びませんよ」
興奮気味に叫ぶノエルさんに、冷静に言葉を返すレイミさん。
「うぐ! こ、この……。い、いや、まあ、それは置いておいてだ。僕とレイミは確かに、記憶や感覚を共有している。まあ、はっきり共有するには、意図的に意識をリンクさせる必要があるけれどね。でも、僕は僕だし、レイミはレイミだ。……だから、君だって同じさ」
「……ノエル」
「君は『シェリエル』という存在を認識できているんだろう? 感覚や記憶の共有があると、確かにお互いを自分だと認識してしまいがちだけど、それは錯覚にすぎないんだ。君は君だ。……何を隠そう『経験者』である僕が言うんだから間違いない」
「ノエル……」
ノエルさんの言葉に、憑き物が落ちたような晴れやかな顔で笑うシリルちゃん。
「……そうよね。わたしが自分の知らないはずのことを知っているのも、そういうことなんだわ。ここにいるわたしは、嘘じゃない。わたしは……『わたし』なんだ」
「そうだよ。シリルお姉ちゃん。ノラだって、長い間セフィリアと一緒にいるうちに、自分と彼女の区別がつかなくなってたって言ってたもの。だから、そういうことなんだよ」
「そうね。ありがとう! シャル」
ここでようやく、シリルちゃんは、シャルちゃんに向き直って笑いかけたのだった。
世界を救う使命の重圧。自分自身の存在への懐疑。どんな難題が降りかかっても、彼女にはそれを共に分かち合い、助けてくれる仲間がいる。あたしはそのことが嬉しくて、彼女に向かってこう言った。
「よかったね、シリルちゃん」
-隔世之感-
清流の都『レムリア』。
街の規模としてはマギスレギアほどの広さはないが、【水の聖地】があるレムール山脈に端を発するレムール川の流れを引き込み、物資の輸送手段としての水路を市街地に張り巡らせるという、変わった構造をしている。
だが、それゆえにこの都市は観光地としては世界的に有名であり、清らかな水を使って醸造する酒は名産品としての人気も高かった。
まあ、これらの情報は主にシャルが持つ書物にあったものなのだが、所詮は書物も人が書いたものでしかない。絶対の正しさなどあり得ないのだろう。
「いやいや、ヴァリス。それは違うぞ。いくらなんでも、これはおかしいって」
寂れた街を一目見て がっくりと肩を落とすシャル──そんな様子を見かねて言った我の言葉を、ルシアは首を振って否定する。
「とりあえず、情報収集をはじめましょう」
シリルは慰めるようにシャルの背中を撫でながら、軽く息を吐く。我らの前に広がる景色。そこには……じめじめとした雰囲気の中、昏く落ち込んだような顔で歩く住人たちの姿がある。そして、彼らの生気の無さの原因は、明らかだ。
本来なら限りなく透明な水が並々と張られているはずの水路に、一切の水が無いのだ。それなりの深さがある水路だが、今や底が完全に露出している。そのあちこちには、かつては水に浮いていただろうと思われる輸送用の舟が置かれていることからも、この『溝』がかつての水路であったことは間違いあるまい。
「いったい、何があったんでしょうね。僕も一度だけ来たことがある場所ですけど……あまりにも変わりすぎですよ」
「ああ。わたしもここには来たことは無いが、昔の冒険者仲間が良くこの街の土産話をしてくれたのは覚えている。実においしそうに、ここの地酒を飲んでいたのもな……」
元冒険者でもあるエイミアとエリオットの二人は、特に唖然とした顔で街を眺めていた。だが、そんな感傷とは無縁な冒険者もいるようだ。
「ねえねえ、ちょっと! そこの人。何でみんなして辛気臭い顔してんの?」
「え? ええ?」
レイフィアが道行く人を呼び止めて、早速『情報収集』を始めたらしい。だが、あまりの物言いに呼び止められた住人は見る間に顔を引きつらせていく。
「ええ? じゃなくってさ。なんなの、これ? うちらの仲間がせっかく楽しみにしてたのに、なんで水路に水が無いわけ?」
「い、いや、その……」
「あんた、責任とって、何とかしなさいよ」
「そ、そんな無茶な……」
レイフィアに詰め寄られているのは、まだ二十代ほどの若者だ。どうやら大分気の弱い青年らしく、レイフィアの無茶な要求に途方にくれたような顔をしていた。
間違いなく彼女は、相手が気の弱い人間だと言うことをわかっていて、やっているのだろう。彼女は相手の弱さを見抜く『目』を持っているという話だが、それをこんな形で使おうとは、趣味が悪いにもほどがある。
「ちょっと、レイフィア! そんな聞き方じゃ駄目に決まってるでしょう? ……ごめんなさい。わたしの連れがご迷惑をおかけしたみたいで……」
シリルは慌てて駆け寄ると、二人の間に身体を割り込ませるようにして、レイフィアをたしなめる。同時に青年の顔を見上げ、申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にした。するとその青年は現金なもので、途端に相好を崩してシリルの質問に答え始める。
「……なんだかんだで、いいコンビになってないかな。あの二人」
我の隣でアリシアが言う。『飴と鞭』というわけだろう。
「……そうですか。ありがとうございました!」
「い、いえ……それじゃ、お嬢さんもお気をつけて」
気付けば、話を終えたシリルたちがこちらに戻ってくるところだった。問いかけるようにシリルに視線を向けると、彼女は軽く頷きを返してきた。
「聞こえていたかもしれないけど、どうやら水源の方で異変が起きているみたいね」
そう言って彼女が語ったのは、次のような話だった。
──今からおよそ数週間前のこと。
街の住人達は、レムール川の水量が減っていることに気付いた。水路の水位が下がり、川の流れ自体も徐々に細くなってきたとなれば誰でもわかりそうなものだが、問題なのは、それがあまりに急激だったことだろう。
川の上流には、地元住人からも【聖地】として大事にされている『クアルベルド』がある。山頂には大量の水をたたえた火山湖があるとされており、そこから流れ落ちる水は、一部で巨大な滝を形成しているらしい。
滝の様子は遠眼鏡でも使えば、遠距離からでも確認できる。だが、ぼんやりと見える滝の姿は、普段と変化が無いように見えたのだそうだ。
生活用水に関しては、井戸水や【魔法】の力でどうにか賄っているようだが、水路に回す水は見る間に枯渇し、挙句、名産品の酒の品質にも影響するレムール川の水が使えないとなれば、街にとっては深刻な事態だ。
そこで、原因を確かめるべく、レムリアの酒造組合が中心となって数人の調査隊を編成し、山奥へと送り込んだのだが……彼らは戻っては来なかった。
それどころか、興味本位で出かけて行った人間たちもまた、誰一人として返ってくることは無かったらしい。ついには冒険者ギルドに依頼して異変の調査解明に乗り出してもらうことにしたらしいが、それはまだ最近のことだと言う。
「……じゃあ、その冒険者たちまでもが帰ってこなかったら、お手上げってわけだな」
拠点として押さえた宿屋の一室で、ルシアが両手を上げる身振りをしてみせる。
「……やっぱり、セフィリアが関係してるのかな」
シャルは沈んだ表情のまま、低くつぶやく。楽しみにしていた観光地が変わり果てた姿になっていたことだけではなく、その原因が自分の友だちにあるかもしれないという事実が、彼女の心に重くのしかかっているのかもしれない。
「今までの例からすれば、可能性は高いだろうね。いずれにしても、せっかく他の冒険者が偵察に行ってくれているんだ。戻ってきてくれたなら、彼らに話を聞くのもいいかもしれない」
「そうね」
ノエルの提案に一同が頷く。
「予定では、どれくらいで帰ってくるはずなんだ?」
「うん。徒歩で向かったとしても、往復で一日か二日の距離だよ。だから、明日にでも戻ってくると思うけど……」
「じゃあ、明日は冒険者ギルドの前で張りこみといくか?」
今度のルシアの提案には、ノエルが意味ありげに笑みを浮かべて頷いた。
「そうだね。でも、全員でやるには目立ちすぎるし、一人じゃ逆に不安も残る。……じゃあ、その役目はシリルとルシアに頼もうかな」
「え?」
「え?」
ふむ。なるほどな。前回、我も協力させられた『二人を二人きりにする作戦』を仕切り直すと言うわけか。
「うんうん。それがいいよ! さっすがノエルさん。名案だね」
それと察したアリシアは、心底楽しそうに笑っている。彼女は我に、こっそりと目配せをしてきた。我にとって彼女が幸せそうに笑う姿を見ることは、自身の喜びに等しい。当然のことながら、同意の言葉を口にした。
「そうだな。それがよかろう」
するとシリルの隣では、レイフィアが納得したように頷いている。だが、彼女の場合は一筋縄ではいかないのが常だった。
「二人なら何にも心配いらないもんね。いや、待てよ? イチャイチャしすぎて張り込みのことを忘れるんじゃない?」
「ちょ、ちょっと、レイフィア?」
「あ、あのなあ!」
「あはは! 怒り方までそっくりでやんの」
二人を指差して笑うレイフィアに、我は言葉もない。彼女が嬉しそうに笑う姿は、なぜか笑えない。笑ってしまったら、自分も彼女と同類になってしまう。どう考えても、それだけは御免こうむる話だろう。
──そして翌日。
「我には意味が分からないのだが……」
この街のギルドは、比較的規模が大きい。『ゼルグの地平』に近いからと言うわけではなく、それ以外にも周辺には複数の【フロンティア】があるからなのだそうだ。三階建ての立派な建物の入り口付近には、シリルとルシアの二人が立っている。
張り込みと言っても、こちらの姿を隠す必要があるわけではない。人数が多すぎては警戒されるだろうとのことで、二人に任せたに過ぎないはずだ。だが、だとすれば、これは何なのだろう?
「え? 決まってんでしょ? あの二人がどんな話をするのか、確認すんのよ」
我の隣ではレイフィアが、当たり前だと言わんばかりに胸を張っている。
「シャル。隠蔽結界はばっちり?」
「は、はい。大丈夫です」
そう、この場には我とレイフィアのほかにもう一人、シャルがいた。いや、何故シャルまでいるのだ……。
「うう、わたしも気になってしまって……」
「いや、まあ、責めているわけではないが……」
上目づかいで申し訳なさそうな顔をするシャルに、我は苦笑を返した。
「ほら、ヴァリス? 何のためにアンタをここまで引っ張ってきたと思ってんの?」
「いや、まるでわからん」
我が正直にそう言うと、レイフィアは「これだから、この男は使えない」とでも言わんばかりに呆れたような顔をする。
「いい? 生半可な【魔法具】じゃ、シリルにはばれるでしょ? この隠蔽結界だって、近づきすぎれば危険だし」
「む? まあ、発見されても問題はないと思うが……それはそうだな」
「だから、会話の内容を聞き取るのに、あんたの“超感覚”が必要だってわけ。わかった?」
「…………」
聞き分けのない子供に言って聞かせるかのようなレイフィアの言葉。だが、我は呆然自失に陥ったためか、返事がまともに返せない。
「ちょっと、聞いてんの?」
「う、うむ……」
よもや『竜族』が誇る【種族特性】のひとつ“超感覚”を、人間の男女の睦言を盗み聞きするために使わなければならない日が来ようとは、夢にも思わなかった。
「なんだか、その……ごめんなさい。ヴァリスさん」
シャルが申し訳なさそうに繰り返す謝罪の言葉が、我の耳に虚しく響く。