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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第18章 世界の欠陥と少女の純真
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第173話 愛の告白/いい男には甘い女

     -愛の告白-


 皆の様子がおかしい。と思った時には、もう後の祭りだった。

 俺とシリルの二人は、船内の一室に閉じ込められていた。それも、それほど広い部屋じゃない。元の広さこそそれなりだが、内部には所狭しとさまざまなものが積まれていて、人間がいられるスペースとしてはごくわずかだ。

 くそう、ノエルの奴。船体の改造に必要な物資が倉庫にあるとかなんとか、いい加減なことを言いやがって。


 当然、その部屋にあったのは資材なんかじゃない。いや、資材もあるにはあったのだろうが、部屋の真ん中で呆然と立ち尽くす彼女の姿を見れば、それがノエルの策略だったことがわかる。


「ル、ルシア……!」


 案の定、というべきか、彼女は俺を見るなり、脇をすり抜けるようにして扉へと駆け寄っていく。その際、俺の方には見向きもしないのだから、何とも嫌われたものだ。シャルの言うとおり、当たって砕けようにも、この状態ではそれすらままならない。


 と思っていたら……。


「え? 嘘でしょ? 開かない! どうして?」


 シリルは扉の取っ手を掴み、押したり引いたりを繰り返しているが、扉の方はびくともしない。しまいには扉を叩き始める彼女の後姿を見て、俺はやれやれと息を吐く。どうやら、今回の件はノエル一人の仕業ではないらしい。こんなにも都合よく、シリルがここにいたこと自体が不自然だ。


「……うう、い、いったい何が……」


 焦ったような彼女の声。そんなに俺と同じ部屋にいるのが嫌なのだろうか? だが、ここはもう開き直るしかない。どうせ逃げ場がないのは俺も同じなのだ。まずは彼女に、訳を聞こう。話はそれからだ。


「シ、シリル!」


 俺は彼女の背中に声をかける。思ったより大きな声が出てしまったらしい。彼女はびくりと身体を震わせて動きを止める。そのままこちらを振り向くこともしない彼女を刺激しないように、俺はゆっくりと言葉を続ける。


「いったい、どうしたんだ? 何でここ最近、俺のことをそんなに避けるんだ?」


「べ、別に……避けてなんか……」


 彼女は口ごもるように言う。いつもはこれで逃げられていたが、今回はそうはいかない。


「いいや、避けてるだろ? 違うって言うのなら、頼むからこっちを向いてくれよ」


 俺がそう言うと、彼女は再びビクっと身体を震わせ、それからおずおずと俺の方へと向き直る。開かない扉に追い詰められたように背を預け、顔を赤くしたままうつむいている。


「よかった。ちゃんと話がしたいと思ってたんだ」


「…………」


 俺の言葉に、彼女は沈黙したままだ。だが、構わず続ける。


「なあ、シリル。俺はさ、シャルにも呆れられるくらい鈍いらしいんだ。だから、お前が一体何に対して怒っているのかわからない。……まあ、お前からしてみれば、この時点で問題外なのかもしれないけど、それでもわからない以上は……こう言うしかない」


 俺はそこで息を吐く。彼女の顔色を窺うが、相変わらず変化がない。


「何が悪かったんだ? 頼む。教えてくれ。できることなら何でもするし、直せるものなら何でも直す。とにかく、わけもわからずお前に避けられるのはもう嫌なんだ。どうしても俺を許せないって言うんなら仕方がないけど……いや、すごく辛いけど……せめて、理由ぐらいは……」


「ち、違うのよ……」


「え?」


 俺の言葉に割り込むような、彼女のつぶやき。ともすれば聞き逃してしまいそうな声ではあったが、部屋の狭さが幸いしたらしい。俺は彼女の言葉の続きを待った。


「……駄目なの。どうしたらいいか……わからないの」


「わからない? 何がだ?」


「……だ、だって、こんなの、初めてなんだもの。だから……」


 途切れ途切れに聞こえてくる彼女の言葉は、今もって意味不明だ。だが、少なくとも俺に対して怒っているわけではなさそうだ。そう思うと、ようやく心が少し軽くなったような気がする。


「……うーん。なあ、シリル。少し落ち着こうぜ」


「え?」


「ちょっと待っててくれよ」


 俺はそう言うと、近くに積み上がった資材の中から手ごろなものを引っ張りだし、椅子代わりに彼女の分と自分の分を用意して腰かけるように指示する。冷静に、落ち着いて、ゆっくり話し合えば、わだかまりも消えるんじゃないかと思った。


 少し距離をおいて、相向かいに腰かける俺とシリル。しばらくはそれ以上言葉もなく、黙ったまま時間が過ぎていく。時折、彼女を見ると、うつむいて何かを考えているような時もあれば、俺の方に視線を向けていて、俺と目があった瞬間に慌てて目を逸らすこともあった。


 それでも俺は、辛抱強く待った。ここは焦らず、そうする場面だ。直感でしかないが、そう思う。


「……ご、ごめんね」


 しばらくして、ようやく彼女からそんな言葉が聞こえてきた。


「いや、いいよ」


「ううん。よくない。あなたは何も悪くないのに、わたし……あなたのことを避けてた。本当にごめんなさい」


 小さく、震えるような声で謝罪の言葉を口にするシリル。ああ、これは良くないな。こういう時の彼女は、自分のことをとことん責めている。いくら俺が気にしていないと言ったところで、聞かないだろう。


「まったくだ。何事かと思ったぜ。それこそ俺は、結構昔の『あんなこと』や『こんなこと』が、ばれちまったせいなんじゃないかと思ったくらいなんだからな」


 俺がおどけた調子で言うと、彼女の銀の瞳がすうっと細まる。


「……なあに? その、あんなことやこんなことって?」


「い、いや! なんでもないです!」


 俺は彼女から注がれる冷たい視線に、ぶんぶんと首を振った。すると、彼女は、


「……ふふふ。冗談よ。ううん。冗談を言ってくれて、ありがとう。少し気が楽になったわ」


 と言った。どうやら俺の気遣いなんて、お見通しだったようだ。


「えっとね……。最近、あなたのことを避けてたのは……恥ずかしかったからなの」


 そう言う彼女の顔は、依然として赤いままだ。というか、ここ最近の俺は、シリルの赤くなった顔しか見ていない気がする。


「恥ずかしい?」


「うん。だから、あなたの顔もまともに見られなかったし、その、傍に来られるだけで、胸が苦しくって……」


 なんだろう? この展開は……。


「な、何よ、その顔は? し、仕方ないでしょう? さっきも言ったけど、わ、わたし、初めてなんだもん、こういうの。アリシアみたいには、行かないわよ……」


 ますます顔を赤くして、目まで潤ませつつ、彼女はそんな言葉を口にする。


「う、嬉しかったのよ? で、でも、あんな形だったし、タイミングもわからないし、こういう場面でどうすればいいかなんて、誰も教えてくれなかったし……」


「……な、なあ、シリル?」


「な、なによ」


 彼女はわずかに頬を膨らませ、睨むように俺を見る。うわあ、なんだ、この可愛い娘は。怒っているのに可愛く見えるとは、これいかに。……じゃなかった。俺は胸中の疑問を口にする。


「う、嬉しかったって、何のことだ?」


「え?」


 彼女は驚いたように目を丸くする。そして、それから何かに気付いたように口元に手を当てて首を振る。


「うそ! 嘘でしょう? だ、だって、皆はわかってたみたいだったのに! なんで? どうしてこの状況で、あなただけがわかってなかっただなんてことが!」


 彼女の声はここにきて、ほとんど絶叫と言っていいレベルに達していた。俺は思わず耳を軽く塞いでしまったが、だんだんと状況を認識し始める。


「え、えっと、まさか……シリルさん? お前、あのとき……」


「もう! ばか! し、信じられない! なんなの? どういう鈍さなの?」


 勢いに任せて立ち上がり、俺に罵声を浴びせかけてくるシリル。いやいや、ちょっと待て。そうなってくると、これまでのシリルの態度がすべて、俺が考えていたのとは別の意味を持ってくるぞ?


「ご、ごめんって! 悪かったよ。だから、ちょっと、落ち着いてくれって」


 俺は急いで立ち上がり、彼女を宥めるようにその肩を押さえる。


「こ、これが落ち着いていられると思う? こ、これまでの数日間、わたしはずっと、馬鹿みたいに一人相撲を取っていたのよ?」


 興奮のためか、彼女の身体はふらふらと揺れている。


「ほ、ほら、危ないって。気をつけろよ」


 倒れかけた彼女の身体を慌てて支える。


「あ……あう……」


 ちょうど彼女を抱きかかえる形になってしまったらしい。などと冷静さを装ってはいるものの、興奮しているのは俺も同じだった。何しろ彼女は、俺のあの時の言葉を『嬉しかった』と言ってくれたのだ。それはつまり……


「な、なあ、シリル」


「なによ!」


 拗ねたような彼女の声。そんな口調さえも愛おしくて仕方がない。


「返事、聞かせてくれないか?」


 だが、彼女は首を振る。


「……だめ。そんなの、ずるい。だってあれは、わたしに向かっての言葉じゃなかったじゃない」


「う……」


 そう言えばそうだ。ここは男らしく、もう一度ちゃんと言うべきだろう。


「……シリル。俺は、お前が好きだ。愛してる。この世界で最初にお前に会って以来、どんどん、俺の中でお前の存在は大きくなっていったよ。今じゃ、お前がいない世界なんて考えられない。俺が向こうの世界に未練が無い一番の理由はさ……向こうには『お前がいない』からなんだ」


 言った。とうとう、俺は俺の気持ちを彼女に伝えたのだ。

 俺は彼女の反応を待つ。すると彼女は、にっこりと俺に笑いかけてきた。まるで天使のような、美しくも可愛らしい、そんな笑顔で。


 頭に血が上る。思わずこのまま抱きしめて、キスしてしまいたいくらいだ。


 ところが──


「……ごめんね」


「え?」


 意外な言葉に、俺は耳を疑った。しかし、続く言葉は、さらに俺の予想を裏切るものだった。


「邪魔するつもりはなかったんだけど、このままだと危ないから」


 別人のような口調で彼女は言う。


「な、ななな! ま、まさか……」


「うん。シェリエル」


 こ、こいつはまた、何てタイミングで! それにしても『危ない』? どういう意味だ? まさか、俺が彼女にキスしたい衝動に駆られたことを指しての言葉じゃないだろうな?


「あ、あ、危ないって何がだ? お、お前には関係のないことだろう?」


「ん? あはは。違う違う。面白い勘違いだね。そうじゃなくて、危ないのは、『この船』の方だよ」


 彼女がそう言った次の瞬間、低い轟音と共に、船全体を激しい振動が襲った。



     -いい男には甘い女-


 嘘でしょう!? なんなの、このタイミング! ありえない! 信じられない。最高のタイミングで、なんて最悪な真似をかましてくれるのよ!


 わたしは内心で悲鳴を上げた。せっかく、彼がわたしに伝えてくれた言葉に、精一杯の想いをこめて返事をしようとしていたのに。その瞬間に「ごめんね」って、そんなのないでしょう?


〈だから、ごめんって言った〉


 彼女はにべもない。彼に対する言葉遣いに比べ、なんだか愛想が足りない気がする。普段がこうなのだとすれば、彼にだけ特別な態度を取っているようにも見える。


〈うん。わたし、いい男には甘いの〉


 なんですって?


〈冗談。どっちかって言うと『おいしそう』だからかな? それより、早くしないと本当に船が落ちる〉


 彼女はそう言うと、わたしの身体を勝手に動かして、行動を開始する。


「お、おい、どうするつもりだ?」


 ルシアが狼狽えたように、『わたし』に声をかけてくる。


「ん? ああ、扉を壊す」


 そう言うと、彼女は指先に【魔力】を集中し、扉の表面をなぞるようにこすり付けた。【古代文字】を書いたわけでもなく、【魔法陣】を描いたわけでもない。けれど、扉の『目』に沿って浸透していく【魔力】は、ごく微量でありながら、劇的な効果を発揮する。


「うわあ! まさか【魔法】で扉を壊すなんて、そこまでするか?」


 砕けた扉の向こう側には、驚いて尻餅をついたエリオットがいる。なるほど、彼が扉を押さえつけていたわけね。


「エリオット! さっきの衝撃はなんだ?」


「い、いや、僕もわからないけど……」


 部屋を飛び出していくわたしの身体の後方で、二人が何やら会話を交わしているのが聞こえる。するとそこに、ノエルからの艦内放送が響き渡る。


〈みんな! 現在、『アリア・ノルン』は、敵の攻撃を受けている! 以前に強化しておいた防御壁のおかげでどうにか防げてはいるけど、長くは持ちそうにないんだ! 甲板に出て迎撃を頼む〉


 言われるまでもなく、『彼女』はそこに向かっているらしい。

 だとすれば、彼女はこの襲撃を読んでいたと言うことだろうか? 

 あるいは、感知していた?


〈後者が正解〉


 心の中でわたしにそんな答えを返す余裕すらあるらしい彼女は、上階に続く昇降機へと辿りつく。


「おい! 待てって! 一人で行くな!」


 かろうじて追いついて来たルシアとエリオットが、同じ昇降機の床に飛び乗ってくる。続いて再び船を襲った衝撃に身体をふらつかせながら。わたしたち三人は甲板の船室を抜け、表へと飛び出した。


「な、なんだこれは?」


 ルシアが驚愕の声を上げつつ見つめる先には、船の周囲に群がる敵の姿があった。


「翼の生えた騎士?」


 エリオットが見たままのものを口にする。そう、まさしくそれは背中から『翼』を生やした純白の鎧騎士だった。顔を縦長に覆う四角い兜には、顔の中央に金の縁取りがされた十字型の切れ目が走っている。

 わたしが恥ずかしいと感じた背中の翼も、金の装飾に彩られた全身甲冑の騎士たちが付けていると、どこか神々しさすら感じられる。


 だが、この船の防御壁に激しい攻撃を仕掛けてきているのは、紛れもなく彼らだった。手にした槍の先端から白い光線を放つ彼らは、一糸乱れぬ統率の元に動いているように見えた。


「……撃ち方、止め」


 感情のない、無機質な声。その声に従うように、騎士たちは光線を放つのを止めた。声の主は、彼らと寸分違わない鎧をまとった騎士だった。でも、まったく同じ姿のようでありながら、何かが違う。他の騎士たちがいわゆる『狂信者』だとするならば、彼は『信仰』そのものを人の形に詰め込んだような、不気味な印象があった。


 などと考えている時点で、わたしには彼らの正体に見当がついている。


「ふうん? 聖堂騎士団って言うんだ?」


 わたしの思考を読んだのだろう。シェリエルは声に出してそう言った。すると、聖堂騎士団の先頭に進み出てきたその人物は、ゆっくりと『甲板に着地』した。


「なに? 今、どうやって防御壁を……?」


 後ろから驚愕の声。いつの間にかノエルたちが上がってきていたらしい。


「……お初にお目にかかります。『惨劇の天使』。貴女様をお迎えに上がりました」


 ノエルが創った魔法の防御壁をすり抜けてきたその騎士は、うやうやしく『わたし』に向かって一礼する。いや、礼をした相手は彼女──シェリエルなのだろう。


「お迎えにだ? ふざけんなよ? いい雰囲気のところで邪魔しやがって……」


 ぶつぶつと怒りの声を上げるルシア。いい雰囲気って……ルシア……恥ずかしいからやめて。


「あなただれ?」


 シェリエルは『迎えに来た』との言葉に大した反応も見せないまま、短く尋ねた。


「……申し遅れました。わたくしは、聖堂騎士団の長、『レオン・ハイアーランド』と申します。我が主リオネル様の命により、貴女様をお迎えに上がりました」


 名乗りを上げ、同じ言葉を繰り返すレオン。だが彼の声には、全くと言っていいほど感情の色が見えてこない。まるで言葉を話す人形のようだ。


「リオネルがね。……ふうん。じゃあ、私が嫌だって言ったら?」


「特に何も。ただ、それとは別に、この船と彼らはまとめて始末するよう、命じられております」


 レオンは、シェリエルの言葉に驚きもせずに答える。


「なんで?」


「用済みだからです。我が主は、貴女様以外のものに価値を認めてはおりません」


「……ねえ、ちょっと教えて?」


「はい」


「今って、私が眠ってから、どれくらいが経ってるの?」


「……およそ八百年かと」


 その言葉を聞いて、彼女が驚く気配があった。さすがに自分が八百年も眠っていたと言う事実には、驚きを隠せないのだろうか。そんな風に思ったけれど、そうではなかった。


「たくさん夢を見た覚えはあるけど……そんなに時間が経ってるんだ? ……ふうん。この身体のことと言い、アレも結構頑張るね」


 感心したような、けれど同時に小馬鹿にしたような口調で言うシェリエル。というか、お願いだからわたしの胸を揉むのだけはやめてくれないかしら……。視界の端でルシアが顔を赤くしているのが目に入る。


「…………」


 レオンは彼女の言葉に何を感じたのか、何も言わずに黙り込む。


「……でも、くだらないくだらない。何の意味があるの、それ? うん。昔からリオネルは馬鹿だと思っていたけれど、やっぱり馬鹿だ」


「…………!」


 彼女がリオネルのことを『馬鹿だ』と言った、その瞬間。ぴくりと身体を震わすレオン。当のリオネルの命令が無ければ、殺してやる。そう言いたげな殺気を放っている。


「あれ? 人形が怒った。面白い面白い。コレはアレが造ったにしては、上出来、上出来。でも…………後ろの連中は、つまらないかな?」


 彼女の言葉に、レオンは後方を振り返る。そこには、依然として空を舞う『聖堂騎士団』の騎士たちの姿がある。背中の翼も良く見れば、【魔導装置】の一種のようだ。けれど、統制のとれた軍隊のように一言も発さず空を飛びつづけていた彼らは今……


 のた打ち回るように空を駆けまわり、苦悶の末に墜落していく。背中に生えた羽根が変形し、刃と化して彼らを斬り裂き、縄となって彼らの首を締め上げている。


「【魔導装置】への強制干渉? これって七年前の……」


 ノエルが震える声でつぶやくのが聞こえる。

 七年前と言えば、わたしが『魔導都市アストラル』の訓練施設で『パラダイム』の密偵に襲撃された頃だ。あの時、わたしは……


 思い出す。広い訓練施設の床が血の海と化した時のことを。わたしに向かって振り下ろされた『ディ・クレイドの白刃』。その【魔力】でできた光の刃がねじ曲がり、持ち主の両腕を切断した時のことを。密偵たちが全身に着けた【魔装兵器】が次々と暴走し、彼ら自身を襲いはじめ、細切れの肉片にまで変えてしまった時のことを。


「何をするのです? 我々は貴女様の敵ではありません。お迎えに上がったのです。貴女様がお戻りになれば、リオネル様もお喜びになるでしょう」


 聖堂騎士たちが次々と犠牲となる中、レオンはいたって冷静な声で不思議だと言わんばかりに問いかけてくる。


「関係ない。ああ、本当に、馬鹿の思考は理解不能。ううん。馬鹿は私を理解不能。つまらないつまらないつまらないつまらない」


 彼女はあえて、そんな言葉でレオンのことを挑発している。人形のような彼が、唯一感情をあらわにするリオネルに対する悪口。それを彼女は、あえて口にしているようだ。


「……なんだ、これは?」


 目の前のものが理解できない。そう言いたげなレオンの声。


「ん? なに?」


「貴女は、本当に我が主が求める『惨劇の天使』なのか? わたくしには、信じられない。完璧で完全で、唯一無二の我が主。その『憧れ』が、このようなモノでいいはずがない。これは何かの間違いだ」


「アレが完璧? 面白い面白い。馬鹿もここに極まれり」


「……解析不能。我が主に指示を仰ぐ。引き上げる」


 これまで以上に無機質な声を上げ、そのまま後ろを向いて飛び立とうとする。


「逃がすと思うか?」


 そう言ったのは、エリオットだった。彼は背中から純白の竜翼を生やすと、今にも飛び立とうとするレオンの背中に『轟き響く葬送の魔槍ゼスト・ヴァーン・ミリオン』の一撃を叩きこもうとする。


 激しく空気を振動させる破壊の一撃。上級魔法並みの破壊力を誇る『轟音衝撃波』。


「衝撃波感知。逆位相の波動を放出」


 人のものとは思えない、不気味な音声。その直後。エリオットの放った衝撃波の轟音に勝るとも劣らない音が周囲に響く。


「うあ!」


 たちまちバランスを崩し、後方へ弾き飛ばされるエリオット。


「嘘だろ? 振り向きもせずに、僕の『轟音衝撃波』を無効化したのか?」


 驚くエリオットを尻目に、生き残りの騎士たちに紛れ込んだ彼は、そのまま仲間の集団と共に船を離れていく。


「な、何だったんだ? あいつら」


 ルシアが呆然とつぶやく。彼の目は、シェリエルに向けられていた。


「説明が必要?」


「当たり前だ」


「だよね」


 ……やっぱり彼女、ルシアに対する態度だけは、少し柔らかい気がする。


「今のはサービス。というか、お詫びかな。さっきまで、この身体に仕組まれた『発信装置』に気付かなかった私のミス」


「え?」


 ノエルが驚いたように声を上げた。そう言えば、彼女はわたしの身体を検査してくれたはずで、そんなものがあれば気づかないはずはないのだ。


「無理。因子の中に組み込まれたモノを探知しているんだから」


「そんな……じゃあ、俺たちの居場所は敵に筒抜けだってのか?」


「うん。さっきまではね。もう大丈夫。私が消したから」


 ルシアの声にこともなげに答えるシェリエル。……消したって、ノエルの検査でさえ発見できない因子の中の発信源を? わたしは信じられない思いでその言葉を聞いていた。


「……君は、僕たちに味方してくれるのかい?」


 ノエルの問い。確かにそれは重要な問題だった。ここまでとてつもない力を持ち、わたしの身体を支配できてしまう彼女が味方なのかどうか。つい、彼女の独特の雰囲気に危機感を忘れてしまいそうになるけれど、特にわたしにとっては死活問題ともいうべき事柄だ。


「味方? なにそれ、おいしいの?」


 彼女はそう言って首をかしげる。けれどその直後、唖然とする皆に向かって、彼女は笑みを浮かべたらしい。


「冗談。身体があるのは久しぶり……八百年ぶり? 『こんな形』になるとは思わなかったけど、それはそれで面白い。だから、ちょっと遊んでるだけ。私は遊びを邪魔されるのが嫌い。あいつらは邪魔だった。それだけ」


「……つまり、敵でも味方でもないと?」


「あは。いいことを教えてあげる。私は、それが面白ければ、味方でも殺すし、敵でも助ける」


「……厄介だな」


 ノエルは難しい顔でつぶやく。


〈わたしの身体で遊ばないで欲しいんだけど……〉


 ノエルとは対照的に、わたしはあくまで気楽な調子で彼女に語りかけた。


〈大丈夫。あなたは、『私と同じ』もの。それに、彼とのやりとりとか、見ててすっごく面白かった〉


〈な! ちょ、ちょっと! 盗み見してたの?〉


〈盗み見じゃない。でも、見えるんだもの〉


〈そ、そんな……〉


 そんなの、プライバシーも何もあったものじゃない。よくルシアはこんな状態で耐えられるものだと思ってしまった。彼ってやっぱり、神経ないのかしら?


〈面白い面白い。今の私は『私の夢』。だから、『目が覚める』までは遊ばなくちゃね〉


 シェリエルは意味深にそう言い残すと、わたしに身体の主導権を明け渡したのだった。

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