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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第18章 世界の欠陥と少女の純真
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第171話 コンサルティング/トラジディー

     -コンサルティング-


 世界には、絶望が満ちています。

 未来は見えず、不安は募り、悩みは絶えず、希望は潰える。

 何一つ思い通りになることなんて、存在しないのがこの世界です。

 ……などと、普段ならそんな悲観的な物の見方をするわたしではありませんが、このときばかりはつい、そんなことを考えてしまいました。


 ──この世の悲嘆と言う悲嘆を表現し、不幸と言う不幸を体現し、絶望と言う絶望を具現する。見る者を憂鬱にすることにかけては、右に出る者はいない。そんな有様で、彼はわたしの前で椅子に腰かけています。


 濁りきった底なし沼のような、どんよりとした瞳。憔悴しきった表情には、覇気どころか生気すら感じられず、肩を落としています。うなだれたまま、ほとんど微動だにしない姿を見ていると、本格的に彼の健康状態が心配になってしまう程でした。


 ……というか、この状況は一体何なのでしょう? 


 わたしたちはクルヴェド王国での事件を解決した後、モンスターの襲撃や王城の崩壊で混乱する街を離れ、次の目的地である【水の聖地】クアルベルドを目指すことになりました。


 混乱が生じたとはいえ、街の住人に犠牲者を出すこともなく、過去に幾度となく敵対してきた『パラダイム』を壊滅させることさえできたのです。わたしたちにとっては、今この時こそ、順風満帆といって差し支えない状況でしょう。


 先に待ち受ける困難も皆で力を合わせれば、きっと乗り越えられる。そんな思いを新たにしていたところに、いきなりこんな状況が訪れたのです。晴天に霹靂もいいところでした。


 魔導船『アリア・ノルン』の船室のひとつ。わたしは無言のまま、部屋の主と向かい合わせに座っています。

 廊下を歩いていたら、いきなり「相談したいことがある」と腕を掴まれ、そのまま部屋へと引きずり込まれるところから始まり、勧められるがままに椅子に腰かけてみれば、こんな風に黙ったままで時間ばかりが過ぎていくのです。


「えっと……その、どうしたの?」

 

 沈黙に耐えきれなくなったわたしの言葉で、ようやく彼──ルシアは顔を上げました。


「……うん。なあ、シャル。何が……悪かったんだろうな?」


「え?」


 低くつぶやく彼。どうやら事態は、相当深刻なようです。その深い苦悩に満ちた顔は、彼が抱えている問題の根深さ、そして困難さを物語っていました。わたしは、ひとつ頭を振ると、慎重に問いかけました。 


「ねえ、何があったの? わたしが力になれることがあれば、なんでもするよ。それに他の皆だって凄い人たちばかりなんだから、ルシアにどんな難しい問題が起きていたって、きっとこれまでみたいに解決できるよ。だから、安心して話してくれないかな?」


 わたしはルシアの手を取り、彼の顔を真剣に見つめて言いました。こういう時はまず、気をしっかり持たせることが大事なのです。彼の身に降りかかる難題の正体が何であれ、まずは彼自身を落ち着かせ、問題解決の糸口を本人の口から聞き出す必要があります。


 仲間であること。力になってあげたいのだということ。そうした事実を並べることで、彼に安心してもらう。それが『基本』なのだと、わたしが読んだ本にも書いてありました。

 すると、その作戦が功を奏したのでしょうか。彼の顔には、いくらか明るさが戻って来たようです。


「そうか。そうだよな。うん。やっぱり、持つべきものは、頼りになる仲間だよな!」


 感激したように声を大きく張り上げ、こちらの手をしっかりと握り返してくるルシア。


「わわ! えっと、うん。そうだね。それで……何があったの?」


 いくらか引き気味になりつつも、事の核心に触れるべく問いかけるわたし。


「ああ、じゃあ聞いてくれ」


「うん」


 わたしは唾をごくりと飲み込みました。そのまま、彼の言葉の続きを待ちます。


「シリルが最近、俺のことを避けているみたいなんだ」


「…………」


 わたしは足元に転がる金の子猫、『リュダイン』に目を向け、彼がごろごろと床を転がりまわって一人遊びする様子を、ぼんやりと見つめました。はて、先ほど何やら空耳が聞こえたような……。


「シャ、シャル?」


「え? あ、ああ……何か言いましたか?」


「い、いや、だからだな。ここ数日、俺、あいつとほとんど口を利いてないんだよ。目が合えば逸らされるし、近づこうとすればそそくさと離れていくしで……。何かあいつの気に障ることをやったのかなとも思ったんだが、心当たりがないんだ。シャル。何か知らないか?」


「……………………」


 ……ところで、わたしは最近、料理関係の本を読んでいます。もちろん、ただ読むだけでなく、レシピを覚えて作れるようになることが目的です。できる限り一日に一種類のレシピを覚え、暇さえあればシリルお姉ちゃんやレイミさんに手ほどきを受けながら練習しているため、大分腕前も上達したのではないでしょうか?


「シャ、シャル?」


 そうそう、そう言えば今日のノルマはまだ達成していません。自室に戻って早速新しいレシピを覚えねば。


「お、おい……どこに行くんだ? 俺の力になってくれるんじゃなかったのか」


 椅子から立ち上がり、回れ右をして部屋を後にしようとしたわたしの腕を、縋りつくように掴んで引き留めるルシア。わたしは彼に罵声を浴びせてやりたい衝動をどうにかこらえ、あらためて椅子に腰かけました。まったく、さっきまでのわたしの心配を返してほしいものです。


 深刻そうな顔をしているから重大な問題でも抱えているのかと思えば、まさか、よりにもよって『それ』だなんて。馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。


「ねえ、ルシア?」


 わたしは半眼でルシアを睨みつけました。


「は、はい……」


 ルシアは何故か敬語を使いながら、怯えたように肩をすくめています。


「前から思ってたんだけど……」


「お、おう」


 彼が唾を飲む音が聞こえます。わたしは言葉に十分なためをつくり、それからゆっくり言いました。


「ルシアって、馬鹿だよね」


「はっきり言うなあ、おい!」


 間髪入れずに叫び声を上げるルシア。まあ確かに、今の言葉はいくらなんでも直球過ぎたかもしれません。反省しましょう。


「ごめんなさい。間違えました」


「何と間違えたんだよ、何と……」


「え? えっとね……」


「い、いや、いい。皆まで言うな。……まあ、要するにあれだろ? シリルがなんで俺を避けてるのか、わからない俺が鈍いって言いたいんだろ?」


 概ね正解です。花丸とはいきませんが、二重丸くらいはあげてもいいかもしれません。


「なんとなくなんだが……今、お前にものすごく上から目線で見られてる感じがするのは、俺の気のせいか?」


「気のせいだよ。そんなことより……うーん、正直、わたしには手に負えないよ」


「手に負えないって……まさかあいつ、そこまで怒ってるのか?」


「……はあ」


 そういうところが手に負えないんです。そう言いたかったけれど、話がどんどんこじれてしまいそうです。


「じゃあ、ひとつだけ」


 言われなくとも、皆まで言うつもりはありません。


「ルシアって、シリルお姉ちゃんのことが好きなんでしょ?」


 わたしはあえて、別の意味で直球な言葉を投げかけてみました。ヴァリスさんとの一件で学んだことですが、こうした相談事は受ける方も相手のペースに巻き込まれてばかりではいけないのです。


「……ま、まあな」


 さすがにここにきて、ルシアも誤魔化すつもりはないようです。わずかに顔を赤くしながらも、彼は肯定の言葉を口にしました。


 そして、それを聞いたわたしは…………


「…………」


「シャ、シャル? どうした?」


「……ううん。なんでもない。大丈夫」


 わたしは、自分自身に言い聞かせるように言いました。なんだろう? 少しだけ胸が痛いような……変な気分です。


 わたしは、軽く胸を押さえると、大きく首を振りました。なんにせよ、わたしは二人に幸せになってもらいたいのです。だってわたしは、『幸せな二人との絆』こそ、一番大事にしたいと思っているのだから。


 わたしは、わずかに感じる胸の痛みを忘れるように、にっこり笑って言いました。


「……これは、わたしからの『専門家』としてのアドバイス。──『当たって砕けろ!』 だよ」


「く、砕けろって……。今の状態じゃ、確実に粉々だろうが」


「そういう問題じゃないの。とにかく、専門家の意見は聞くものだよ」


 わたしは素っ気なく、言いかえしました。


「あ、あのな……そもそも、何の専門家なんだよ?」


 呆れたように言うルシア。


「決まってるでしょ? アリシアさん以外でシリルお姉ちゃんのことを一番よく分かっているのは、わたしなんだよ?」


 アリシアお姉ちゃんの場合、『わかっている』の意味が変わってきてしまいますので、こうした相談には不向きな人です。だからこそ、ルシアもわたしを頼ってきたのでしょう。


「な、ならせめて、理由くらい教えてくれてもいいだろ」


「駄目だよ。それじゃ、不公平だもの」


「不公平?」


「うん。それに今日のわたしはね。相談に乗ってあげてるんじゃないの。一方的に、わたしがしたいように助言しているだけ。それを受け入れるも受け入れないも、ルシアの勝手だよ」


 相手のペースに巻き込まれない。自分の心情を巻き込まない。今、わたしに求められているのはそれでしょう。そのせいか、少し突き放したような言い方になってしまいました。しかし、当のルシアはと言えば、真剣な顔で黙り込み、やがてゆっくりと顔を上げました。


「甘えるなってことか……。臆病風に吹かれて、問題を先延ばしにし続けても意味がない。そもそも、今、俺がこんなに悩まなくちゃいけないのも、それをはっきりさせていないせいだ。中途半端が一番いけない。お前が言いたいのは、そういうことなんだな?」


 そこまで深い意味を込めて言ったわけではありませんでしたが、ルシアは感心したようにわたしを見つめてきます。


「あはは……。ま、まあ、頑張ってね」


「おう。サンキュー、シャル。ほんとに助かった。心が軽くなったみたいだぜ」


 ルシアは最後に笑いながらわたしの手を握り、あらためて礼を言うと、意気揚々と部屋を出て行きました。その後ろ姿と閉まる扉を見つめてから、わたしは大きく息を吐きました。


「まったくもう……人の気も知らないで……」


 誰もいなくなった……とわたしが思っていた部屋の中で、わたしは押さえていた胸から手を離し、軽く息を吐きました。けれど、ちょうどそのとき。ふと、近くに人影が立っていることに気付きました。


〈まったくな。あのたわけも、罪作りな男だ〉


「え? え? ファ、ファラさん? いつからそこに?」


 驚いて目を丸くするわたしに、ファラさんはかつてのシリルお姉ちゃんそのものの顔で悪戯っぽく笑いかけてきました。


〈まあまあ、よいではないか。わらわも初心な少女の精一杯のいじらしさを見ることができて、久しぶりに心温まる思いがしたものだぞ?〉


 か、からかわれてる……。彼女はまだ、『竜の谷』で自分がからかわれた時のことを忘れてはいないようでした。


「うう……べ、別にそんなんじゃ……」


〈それより、シャル。ひとつ、賭けをせんか?〉


 わたしの弁解に聞く耳ひとつ持たず、全く別のことを言い出すファラさん。


「え? 賭け?」


〈うむ。あの男、意気揚々と出てはいったが、実際、当たって砕けることができると思うか?〉


「途中で怖じ気づくってことですか?」


〈それもある。だがなあ、わらわはあやつの中にいて思うのだが……〉


 そこで意味ありげにためを作るファラさん。


「えっと、なんでしょう?」


〈あやつは、そう……肝心なところで詰めが甘いのだ!〉


「…………」


 決めポーズのようなものまでつくりながら言うファラさんの言葉に、思わず納得してしまうわたしでした。



     -トラジディー-


「あれ? シャルじゃないか。どこに行くんだい?」


 ルシアのことが心配になったシャルが廊下に出ると、後ろからそんな声を掛けられた。けれど、シャルは振り向くよりも早く、心の中でワタシに一言叫ぶ。


〈ごめん、フィリス! 後はよろしくね!〉


〈あ、ちょっとシャル? ……もう、仕方がないなあ〉


 ワタシはやむなく、彼女の代わりに自分の身体を声がした方に振り返らせた。


「こんにちハ」


「ああ、フィリスか。珍しいね。……ていうか、最近、僕と話すときはフィリスが出ていることが多いような気がするね」


 それはそうだろう。彼女はここ数日、『アリア・ノルン』の船内で彼女に会う度、こうしてわたしと入れ替わっているのだから。


「まあ、フィリスもシャルと双子みたいなものなんだし、いいんだけどね」


 などと言いながら、彼女はワタシの顔を期待に満ちた眼差しで見下ろしてくる。うん。これはどうやら、いつものとおり、言ってあげないと解放してはもらえそうもない。


「……ノ、ノエル『お姉ちゃん』こそ、何か御用ですカ?」


 途端、ぱあっと輝くノエルさんの顔。ワタシには何が嬉しいのかよくわからないし、シャルがどうしてこの呼称を使うのを嫌がるのかもわからない。


「うんうん。実はね、この前約束してた通り、そろそろ僕とレイミのことを皆に話そうと思ってね。ほら、次の目的地までもう間もなくだし」


「ああ、なるほド」


 ワタシは納得したように頷く。ノエルさんは、今度の夕食の時間にでも話をするつもりで、事情を知るシャルに事前に知らせに来てくれたのだった。


「うふふ。できればわたしは、いつまででも『秘密のメイドさん』でいたいところなんですけどねー」


 気づけばいつの間にか、ノエルさんの後ろにはレイミさんが立っている。


「あ、こんにちハ、レイミさん」


「おやおや? わたしのことは『お姉ちゃん』って呼んでくださらないのですか?」


 何故か胸の谷間を強調しながら、ずずいと迫ってくるレイミさん。ワタシはそんな彼女に対し、きっぱりと首を振る。


「それは身の危険が大きすぎマス。エイミア様に教えていただきまシタ」


「そ、そんなあ……。うう、エイミアさんのいけずう……」


「ははは! 日ごろの行いが悪いせいだよ」


 項垂れるレイミさんに対し、勝ち誇ったように胸を張るノエルさん。するとレイミさんは、にやりと笑って上半身を反り返らせるように身体を起こす。


「うっふっふ。よく、そんな貧相なお胸で胸が張れますね? 恥ずかしくはないんですか?」


「んな!? レイミ! 君は今、一番言ってはいけないことを言ったぞ!」


 憤慨したように叫ぶノエルさん。彼女がここまで取り乱す姿は、滅多に見られるものではなかった。レイミさんの言葉のどこに、そんなに怒りを覚えているのだろう?


「ふふふ。駄目ですよ。そんなに大きな声を出しては、フィリスさんがびっくりしてしまいます」


「ぬぐ……」


 ノエルさんは、獰猛な獣のような目でレイミさんを睨みつける。けれど、レイミさんはそんな視線などまるで気にした様子もなく、ワタシの方に身を寄せると、耳元でこんな言葉をささやいた。


「わたしが彼女の心の一部を強調した特徴を持った人格として生まれたって話は、前にしましたよね? でも、実はこの身体。この胸の大きさも、彼女の願望ともいうべきものが……って、むぎゅうう! いたた! 痛い、痛いです!」


「痛いのは君だ! この変態メイドが!」


 レイミさんの言葉の最後の方は、怒ったノエルさんが彼女の頭を脇に抱え、ぎりぎりと締め上げはじめたせいで聞き取れなかった。けれど、その意味は、ワタシの中にいるシャルには、しっかり伝わってしまっていた。


〈あは、あはははははははは! そ、そうなんだ……! お、おかしい! うふ、うふふふ! あはははは!〉


 何故か、そんなレイミさんの言葉は、どうやらシャルのツボに入ってしまったらしい。表に出ていたならお腹を抱えて笑い転げていたに違いないと思うほどに、ひたすら笑い続けている気配がする。


 さっきまで少し元気がなくなっていたようにも見えたので、そんな彼女の様子には、ワタシも少し安心した。が、しかし。


「……フィリス? い、今の話は嘘だからね? いや、ほんとに嘘だぞ? む、胸なんか別に、僕は、気にしたことなんて……、こ、こんな変態メイドの言うことを、信じてるわけじゃないよね?」


 どうやらノエルさんは、ワタシが安心して浮かべてしまった笑みを、別のものと勘違いしてしまったらしい。もっとも、シャルに関しては勘違いじゃないけれど。


〈あははは! だ、だめ! そんな風に必死に否定すればするほど………あはは!〉


 ワタシは心の中で笑い続けるシャルの声を意識しながらも、どうにかノエルさんを慰める言葉を考える。


「え、えっと、フィリス?」


「大丈夫デス」


 ……うん。あった。思いついた。簡単なことだった。ワタシは自分で思いついた名案に、頷きを繰り返す。


「だ、大丈夫って何が?」


 なおも腋に抱えたレイミさんの頭をぎりぎりと締めつけながら、ノエルさんは不安そうな声を投げかけてくる。


「ノエルさんの胸だっテ、小さくないデス」


「え? ええ!?」


 驚きに目を丸くするノエルさん。ワタシはひとつ頷くと、こう続けました。


「だって、ほら、シャルと同じくらいはあるじゃないデスカ」


 ワタシが言い終えた直後、ノエルさんの動きが唐突に止まった。


「………………」


 あれ? おかしいな。どうしたのだろう? 魂の抜けたような顔で固まり、ついで力の抜けた人形のようにがっくりと膝を着き、わなわなと身体を震わせ始めるノエルさん。

 それどころか、ようやく彼女の腋から頭を抜くことができたレイミさんまで、気遣わしげに彼女を見下ろし、時折慰めるように肩に手まで置いている。


〈だめ……それ、だめだよ、フィリス……〉


 もはや泣いているのか笑っているのかわからないような声で、シャルがわたしに呼びかけてくるのが聞こえる。


「気を……落とさないでくださいな」


 普段の彼女からは信じられないような、悲しげな声でノエルさんを慰めるレイミさん。


「…………」


 それでもノエルさんは、返事ひとつせず、ただ茫然と床を見つめて身体を震わせ続けている。


「あ、あの? もしかしてワタシ、なにか悪いことを言ってしまったのでショウか?」


「いいえ。フィリスさんはまったく悪くありませんよ。言うなればこれは、事故みたいなものです。それもどうやっても避けようのない、構造的な悲劇なんです。誰も悪くないのに、誰かが不幸になる。なんて、悲しいことでしょうね……」


 膝をつくノエルさんを抱えながら、慈愛に満ちた聖母のような顔でワタシを見上げるレイミさん。


「さあ、あなたも立ってください。行きましょう。こんなことで、へこたれてはいけません。あなたにはやるべきことが、護るべきものがあるはずでしょう?」


「……う、うん。そうだね。僕は、僕は……こんなところでくじけるわけにはいかないんだ」


 何故か演出される感動的な場面。ノエルさんは、レイミさんに支えられながら、よろよろと立ち上がる。


「じゃあ、わたしたちはこれで。さあ、行きましょう」


「うん。……じゃあね、フィリス」


 力無くつぶやくノエルさんの声を最後に、二人はワタシに背を向けて歩いていく。


「いったい、どうしたんだろウ……」


〈ご、ごめんなさい、ノエルさん……。わたしがフィリスと替わったばっかりに……〉


 ようやく笑いの発作が治まったらしいシャルが、申し訳なさそうにつぶやいている。


〈なによ。わたしのせいなの?〉


 わけがわからず、ワタシはシャルに問いかける。けれど彼女は……


〈え? えっと……せいっていうかその……あはは! だ、だめ! さっきのレイミさんの台詞と顔を思い出しちゃって……あはは! こ、構造的な悲劇って……何の構造なんだろう! あはは!〉


 もはや処置なしと言ったところだった。これ以上この話を続けていても、シャルの笑いは激しくなるばかりだし、ワタシは話題を変えることにした。


〈ところで、ルシアを見失っちゃったね〉


〈え? うん。まあ、もうすぐ夕食の時間だし、後でどうなったか聞いてみよっか〉


〈うん〉


 そう言えば、今日の夕食はシリルお姉ちゃんが作ってくれることになっていた。最近ではアリシアお姉ちゃんも一緒に教わりながら料理に参加しているみたいだし、だとすると、今の時間ではルシアもシリルお姉ちゃんに話をできるタイミングじゃなかったかもしれない。


 とにかく、夕食の時を待つことにしよう。ワタシはシャルと身体の操作を交代した。


 ──そして、夕食の席にて。


「さあ、みなさん。今日も一日お疲れ様でした。といっても、平和な船内のことだけに、疲れるようなことなんてなかったかもしれませんね。……約一名を除いては」


 料理の皿を手早くテーブルに並べながら、レイミさん。いつものごとく、一番奥の席に腰かけるノエルさんの顔には、未だに生気が戻ってきていない。ほんとに、いったいどうしちゃったんだろう?


「ねえ、ルシア。あの後、どうだったの?」


 食堂の席に着く間際、小声でルシアに尋ねるシャル。


「いや、料理中だったからな」


「ああ、やっぱり」


 どうやらさっきの推測は当たっていたらしい。


「……みんな、席に着いたみたいだね」


 ノエルさんは項垂れていた顔を上げ、元気のない声を出した。


「ど、どうしたの? 身体の具合でもよくないの?」


 ノエルさんは心配そうに彼女を見つめるシリルお姉ちゃんに対して、大丈夫だと言うように手を振った。


「いや、身体に問題があるわけじゃないんだ。ちょっと精神的にね。それと……実はみんなに、この場で話しておきたいことがあるんだ。食事前に悪いけど、少しだけ時間をくれるかい?」


「あ、ああ」


「構わん」


「なんだい?」


 あらたまったノエルさんの言葉に、皆は少し身構えた様子で返事を返す。


「うん。実はね。ほら、前に僕とレイミの関係を聞かれたことがあっただろう?」


「あなたとレイミの関係?」


 シリルお姉ちゃんが不思議そうに聞き返す。そう言えば以前、シャルがノエルさんにその話を聞いた際、彼女は『シリルに怒られるから言えない』と言っていたはずだけど……。


「ちょっと待て。わたしは前にも言ったはずだぞ? 二人の関係だなんて……そんなただれた話なんか聞きたくないと」


「いやいや、君。いつまでそのネタを引っ張るつもりだよ」


 あの時と同じことを言い出したエイミア様に、さすがのノエルさんも辟易したように首を振る。


「そうじゃなくて……正確には、『レイミとの関係』というより、『レイミと僕の身体のこと』というべきかもね」


「…………」


 訪れる沈黙。凍りついたように固まる皆の顔。


〈もしかして、ノエルさん。狙ってやってるのかな?〉


 そんなシャルのつぶやきが聞こえた。

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