第19話 シャルロッテちゃんの秘密/五里霧中
-シャルロッテちゃんの秘密-
ああ、心臓が止まるかと思っちゃった!
突然の戦いの始まりは、シリルちゃんたちへの魔法攻撃からだった。どうやって防いだのかはわからないけど、二人が無事で良かった!
でも、続く戦闘は怖い事ばかりで、あたしには何もできなかった。時々飛んでくる矢は全部、『拒絶する渇望の霊楯』が防いでくれたけれど、あたしの周りではみんなが必死で戦っていて、怪我をして倒れる人もいる。きっと死んだ人も……。
怒り、恐怖、苦しみ、混乱。あたしの中に様々な感情が流れてくるような感覚。思わず目を閉じたくなったけれど、それはできない。
あたしが認識しない脅威は、『拒絶する渇望の霊楯』も防いではくれないから。たとえ後ろからの攻撃でも、あたしの視界に入らなくても、あたしが怖いと感じていれば、それは防げる。でも、目を閉じてこの現実から逃げてしまったら、防げない。
あたしは、必死に戦場を『見る』ことに集中した。でも、これまでこんな世界とは無縁だったあたしには刺激が強過ぎて、とても長くは耐えられそうになかった。
そんななか、突然何の前触れもなく、その場にいた全員の動きが止まった。気がつけば皆、自分の影から伸びた手みたいなものに足首を掴まれて、驚愕のうめき声をあげている。
「え? シリルちゃん。これって無差別?」
あたしの、『拒絶する渇望の霊楯』も、あたしが間違いなく味方だと思っているシリルちゃんの【魔法】に対しては発動しない。掴まれた足首から全身の力が抜けていく。
びっくりして、シリルちゃんを見る。……やっぱり、すごく怒ってる。
そういえば、ここ最近のシリルちゃん、まるでシャルロッテちゃんのことを妹みたいに可愛がっていたもんね。もっとも、そのことに気付いたのはあたしだけだったけれど。
シリルちゃんは、怒りの感情を抱くことがあったとしても、表面上は冷静を装い、決して誰にもそのことを悟らせない。それこそ、そんなシリルちゃんの心の動きが分かるのは、あたしぐらいものだ。
でも、あの魔導師の人がシャルロッテちゃんのことを「呪い子」だと口にした瞬間、シリルちゃんの顔色が目に見えて変わった。
あれは単に、可愛がってた子を殺されそうになったからの怒りだけじゃない。
どうしようもなく理不尽な、この世界そのものに向けられる行き場のない激情。
そんな気持ちがシリルちゃんにはあるみたい。
「シャルロッテ様!」
襲撃が終わった後、ジグルドさんがシャルロッテちゃんのところに駆け寄っていく。
あのジグルドさん、本当に貴族らしくない。だって、あの人から見える感情は、『彼女のことを守りたい』というものだけなんだもの。『愛情』もないとは言わないけれど、何より強いのは『使命感』みたいなもの。
親なら当然って言っていたけど、それだけなのかな?
それに、さっきの戦闘でも、身を守るための武器を持っただけでなるべく戦わないようにしているみたいではあったけど、全然恐怖のような感情が見えなかった。
……実際、恐怖らしきものはあったと思う。けれどそれは、ジグルドさん自身の身の危険に対するものじゃなかった。
冒険者の人たちでさえ、混乱に陥っていたのに、自分自身に関しては、すごく冷静に対処していた。あせったように見えたのは、最初に火の玉がシリルちゃんたちに飛んできたときだけ。
「貴様! 何をしている!」
「何って、腕をまくっただけでしょ?」
「その子の肌をさらすなと言っているのだ。一体何の真似だ!」
ジグルドさんは出会ったときみたいな穏やかさをかなぐり捨てて、シリルちゃんに怒鳴りつけている。あんなに感情の激しい人だとは流石に思わなかったな。
「それはこちらのセリフよ。どうして特定の対象、それも貴族がらみの相手に狙われていることを隠していたの? 道中、モンスターや盗賊対策しか考えてなかったから、危ないところだったのよ?」
「そ、それは……」
「言っておくけれど、これは一歩間違えれば契約違反よ。つまり、わたしたちはここで依頼を降りても違約金を払わないで済む可能性もあるわけ。それを念頭に置いて、真実を話しなさい」
シリルちゃんは相変わらず、容赦がない。
一方のジグルドさんは、しばらく躊躇していたみたいだけど、ようやく観念したみたいに口を開いた。
「……その子は、わたしの娘ではない。パルキア王国十二代国王レメデス陛下の長女にあたられる御方だ」
「ええ!? 王女様!?」
あたしはびっくりして大声を出してしまった。他の冒険者の人たちも唖然としている。
「そういえばさっきの男がそんなことを言っていたわね。で、『悪魔憑き』だから辺境に追われていたとか? ……くだらない」
「ぐ……」
図星だったみたいで、ジグルドさんは歯噛みしながら俯いている。
「お家事情に興味はないけど、どうしてこの子が狙われているのかわからなければ、今後、どんな刺客が来るかも判断できないわ。話してもらうわよ」
「……わかった」
苦渋の決断のすえに、ジグルドさんが語ったのは、今、このパルキア王家で起きている後継者問題のことだった。
現在のパルキア国王レメデス陛下には、子供が三人いたはずだけれど、現在では子供は『二人しか』いない。
シャルロッテちゃん自身は十二年前、赤ん坊の頃にお付きの人がいきなり火だるまになって死んだ事件があって、そのことで『悪魔憑き』と呼ばれて、死んだことにされた揚句、辺境に隔離されてしまった。
ジグルドさんは、その辺境の領主で彼女を預かり、人目に付かないように育てていたんだけど、ここにきて情勢が急変した。
きっかけは、宮廷魔導師の一人が“精霊紋”についての古い文献を発見し、興味本位で十二年前の事件を調べ上げたこと。
結局、死んだお付きの人は、実は暗殺者で、赤ん坊だったシャルロッテちゃんを殺そうとしたところ、宿っていた『精霊』に返り討ちになった、というのが事件の真相らしい。
だったらそれさえ証明できれば『悪魔憑き』ではないということになるのだから、一度呼び戻したらどうかって話になったということみたい。
結果、宮廷から要請を受けて、それまでジグルドさんに育てられていたはずの彼女は、王都に向かうことになったらしいんだけど……
「なぜ、護衛の一人もいないわけ?」
「宮廷魔導師は、あくまで可能性の話として、それが“精霊紋”によるものではないかと推測したに過ぎない。万が一、それが証明できなかった場合、死んだことになっているこの子は、再び『いなかったこと』にせねばならん」
「つまり、公的な護衛をつけることはできないと?」
「そのとおりだ。だから、宮廷からはギルドへ依頼するように言われていた。冒険者なら護衛させるのに事情を話す必要もなければ、仮に漏れても証拠にはならないはずだ、とのことだ」
「……ふざけないで。あなた、シャルロッテのことを何だと思っているの?体のいい出世の道具か何かかしら? うまくいけば王位後継者をかくまって育てていた、時の人になれるものね」
……それは違うよ。シリルちゃん。その人も、そこまで酷い人じゃない。
「ふざけるな! 私がそんな気持ちでこの子を育ててきたと思っているのか!? この子はずっと、人目を忍んで生きてきた。だが、ようやく、この子は国王の子として、日の光のあたる道を歩んでいける!わたしの望みはそれだけだ」
「そう、あなたの望みよね。で、この子の望みを聞いてあげたことはないのかしら?」
「……、その子は私に対しても、最近では言葉を話してくれない。だが、私がこの話をした時には、頷いてくれた」
「それは気を遣ってのことよ。わたしは道中で気づいたけど、この子、自分を偉い人のように扱われるのを極端に嫌がるの。あなた、普段は、この子にどう接しているの?」
「無論、身分を隠しているとはいえ、王の御息女にあたられる御方だ。何不自由のないようにいろいろと手を尽くしてきた」
「さっき、様付けで呼んだわよね。それって最近の話? だとすれば、彼女は父親だと思っていた人の豹変ぶりに傷ついているのよ。そんなこともわからないの?」
「そんなバカな! それに、誰が人目を忍ぶような生き方を望むものか!」
「そう、わかったわ。じゃあ、本人に聞いてみましょう? さあ、シャルロッテ。遠慮しなくていいのよ。自分の気持ちを言ってごらん。あなた、王宮に行きたい?」
シリルちゃんの言葉に、それまでずっと無言だったシャルロッテちゃんはローブのフードを外すと、おずおずと口を開いた。
-五里霧中-
フードを外した少女は赤い髪と赤い目をしており、皮膚には赤い紋様が走っている。
道中で見かけた限りでは、彼女の容姿は薄い金色の髪に水色の瞳であったはずだが、恐らく先ほどの火球を防いだ際に精霊の力が働いた影響だろう。
これを見て、『悪魔憑き』とは、人間の愚かさには呆れたものだ。我ら『竜族』のように強力な『個』によって世界に存在するものと、ある意味では対を成す存在『精霊』。
世界に正しき秩序を与え、生きとし生けるものを育み、世界を潤すもの。
敬意にこそ値せよ、蔑む対象とするなど考えられない。
その『精霊』をその身に宿した少女はむしろ、人間の中でも特別な存在と言ってもよかろう。
「行きたくないです。狭い部屋に、もどるのもいや。今のままがいい」
少女はたどたどしいながらも、はっきりとそう言った。
「そんな、シャルロッテ様! あなたは王女なのです。王宮に行けば、何不自由のない生活ができるんです。皆があなたを敬うようになる。人目を忍ぶ必要もなくなります」
「お父さんもお母さんも友達もいない。……いても、いない。そんなところに行くのは嫌です」
「な! ……うう、シャル……ロッテ様」
この少女、言葉はたどたどしくても、知能は高いようだ。王宮に行くことが何を意味しているのか、理解している。
「答えは出たわね。王宮に行けば彼女は不幸になる。そうでしょう?」
「……」
「それに、王宮で“精霊紋”であることを証明するって言ったわね?歴史上、“精霊紋”がこういう辺境の国で『悪魔憑き』扱いされた例なんていくらでもあるけれど、その『違い』とやらをどうやって認めてもらうつもりなのかしら?認められずにそのまま再度追放されるのがオチよ」
「そんな! じゃあ、なんだというんだ? なぜ、いまごろ宮殿への召還など……」
「伯爵とやらは、おそらくこの子以外の後継者の取り巻きなんでしょうね。いくら『悪魔憑き』と呼ばれたことがあったとしても、この子はれっきとした国王の娘。後顧の憂いをなくそうとしたのだとしても、不思議じゃないわ。実際、公的な護衛のいない道中なら暗殺もしやすいわけだしね」
「なら、殺すつもりで召還したとでもいうのか? そもそも、こんなことがなければ、そんな心配などされるまでもなく、この子が宮殿に近づくことなどなかったはずなのに!」
「試されたのよ。この子は『悪魔憑き』じゃないかもしれない、なんて情報を聞いて、『あなたが』ノコノコと宮廷にこの子を連れていくようなら、あなたには野心がある。そうみなされるってわけ」
「わ、私の野心だと? そんなものはない!」
「それを彼らが信じてくれるかしらね」
どうやらこのジグルドとやら、辺境にひきこもった武門の家柄というだけあって、宮廷闘争などの問題には疎いようだ。いずれにしても、もはや護衛がどうこうという話でもなくなってきている。
「な、なあ、結局どうするんだ? 契約違反ってことで、仕事を降りてもいいのか?」
アランが口をはさんでくる。契約違反うんぬんというより、先ほどの襲撃に腰が引けているのだろう。一国の訓練された兵隊が相手では、盗賊を相手にするのとはわけが違う。
「ま、待ってくれ! ここで降りられてはシャルロッテ様の命が!」
「じゃあ、王宮まで行くつもりなの? むざむざ殺されに?」
「なら、目的地を領地に変更する!」
「領地に戻れば、狙われないとでも?」
「王宮に行かなければ、関係ないだろう!」
「駄目よ、もう手遅れ。いまさら戻っても、防御を固めに帰ったようにしか見えないわ。何らかの脅威になるかもしれない存在がいるというだけで、命を狙われるには十分。……だから、宮廷みたいなところは嫌なのよ」
シリルは、心底嫌そうに頭を振る。
これはもはや八方ふさがりと言うものだろう。人間同士の醜い争いで『精霊』を宿す子供が命を落とすなど、やり切れない話だ。
「そんな、そんな、そんな、そんな……!」
ジグルドは頭を抱えて呻いている。
「ああっと、お話し中、悪いんだけど、俺たち、やっぱり降りるわ。だいたい宮廷闘争みたいなのにギルドが巻き込まれるってのは良くないし。契約違反だもんな。いい迷惑だぜ。こっちは危うく死にかけたんだからな」
言うが早いか、アランたちはそそくさと、もと来た町へ歩きはじめた。やはり、報奨金どころか通常の報酬すら怪しいこの状況に、嫌気がさしたといったところだろう。
さて、我らはどうすることになるのか。この連中は、アランたちと違って二人を見捨てるような真似はするまいが、状況はすでにどうしようもないところまできている。
「ど、どうするんだ? 流石に見捨てちゃおけないとは思うけど、どうすればいいのか、さっぱりな状況だぞ」
ルシアも同じ感想を抱いているようだ。
「シリルちゃん。何とかしてあげようよ。可哀そうだよ」
アリシアは泣きそうな顔でシリルの袖口を掴んでいる。
「……君らは、残ってくれるのか?」
ジグルドはようやく顔をあげて、シリルを見た。
そして、それまでしばらく無言を貫いていた彼女が口を開く。
「どうにもならないわね。ジグルド。例えばあなたが、身分も地位も捨てて、この子と二人旅に出るのでもない限り無理よ。そして国外に出て、二度とこの国には近づかないこと」
「……それはできない。私はともかく、領地にも私の家族と使用人、それに多くの民たちがいる。この状況で失踪すれば、彼らが宮廷の貴族からどんな扱いを受けることか」
やはり難しいようだ。人間というものは、実に多くのしがらみを抱えている。非力なうえに守りたいものが多すぎて、守る手段さえ限られている。遠くから眺めているときには気付かなかったことだが、こうして身近にしてみると、『竜族』は、なんと気ままに生きることのできる種族であったのかと思い知らされる。
「……相談したいことがあるわ」
シリルは長い時間、考え込んだ後、おもむろにそう言った。そして、ジグルドを遠ざけて我ら四人だけに聞こえるように話す。
「わたしの一存で決められる話じゃないし、そもそもこんなこと、すべきかどうかでいったら、すべきでないことかもしれない。だから、みんなの考えを聞かせて」
シリルは、ためらいがちに自分の考えを語り始める。
彼女の提案は、自身が前置きしたとおり、我らの現状からすれば、余計なリスクを抱えるだけで非効率極まりないものだといえた。
しかし、そんな提案を受けたルシアたちはといえば、そんなことは考える必要もないと言わんばかりに、ほとんど即答でこれを了承した。
シリルは驚いた顔をしつつ、礼の言葉を口にしていたが、これまでの連中の行動を見るに、こうなるのは当然の結論であったといってもいいだろう。我としても、別に反対するつもりはない。
そして、再びジグルドに向き直ると、シリルはこう言った。
「残る手段は一つよ。あなたには、ギルドへの依頼を破棄してもらう。中途解約だから、前払い分の依頼金は戻ってこないけれどね」
「無論、それは構わない。どうせ、大部分は向こうから送られてきた資金だ。しかし……」
「それと、シャルロッテには死んでもらう」
「な!」
まあ、その言い方ではジグルドが驚きの声を出すのも無理はないだろう。嫌がらせにもほどがあるが、この男の無能さがなければ、こんな事態にならなかったことを思えば、仕方あるまい。
続くシリルの提案は、ジグルドにとって身を切られるような決断を強いるものであったが、やがて他に手段がない事を悟ると、項垂れながらもそれを受け入れざるを得なかったようだ。
そして、我らが野営のための準備を終え、用意したテントにそれぞれ潜り込んだ真夜中。夜の闇にまぎれ、野営地に迫る影があった。我には闇の中でも人間に数倍する視力がある。まったく迷うことなく高速で接近すると、そのうちの一人に掌打を浴びせ、吹き飛ばした。
しかし、残った集団は声一つ上げず、我をぐるりと取り囲む。部隊を二つに分け、一方はそのまま野営地のテントへと走っていく。
「ふむ。冷静だな。シリルの言うとおり、これが本命の暗殺者たちという奴か」
依頼主の伯爵とやらは、恐らく相当高額な費用を払っているに違いない。冒険者ギルドとは違い、非合法な仕事であれば、依頼料が高いのは当然のこと。
「武器は刃物か。ちょうどよい」
そう言って、我は体内の気功を練り上げる。自分の現在の力を把握し、最高効率でそれを運用する。今までの我にはなかった発想だが、元の強さを取り戻すため、かつての高みに再び上り詰めるため、我はその道を選んだ。
己の皮膚に薄く気を纏わせる。柔軟かつ強靭な『防刃の鱗』。ライルズとの戦闘で学んだことは、一点集中型防御の脆さだ。
だが、今の我の力では、集中しなければ強度が足りない。
ならば、性質を変え、用途を限定すればよい。刃を防ぐにはこれで十分。
暗殺者どもは一斉に我に向けて、短剣を投擲してくる。しかし、全ての短剣は我の身体に命中はするが皮膚を貫くことはなく、虚しく地に落ちる。我は短剣の激突そのものによる痛みを無視すると、驚愕する連中に肉迫した。
こちらに残った連中には、手加減は必要ないのだ。せいぜい我の練習相手になってもらうとしよう。