幕 間 その32 とある研究班主任の諦念
-とある研究班主任の諦念-
彼女は馬鹿だ。わたしが知る限り、最大にして最高の馬鹿だ。
あれがわたしと同じ『魔族』だなんて、信じられない。
わたしはいつもの研究室のテーブル席に腰を落ち着け、自分で淹れた美味くもない紅茶を飲みながら、ため息を吐く。まあ、彼女のおかげで面白い研究ができていることは確かだ。
『命の複製』なんて馬鹿馬鹿しいにもほどがあるけれど、実際に上手くいってしまったのだから笑えない。わたしは研究室の中央に鎮座する『ラフォウル・テナス』を見上げ、一人つぶやく。
「わたしも試しに入っては見たものの、二秒と耐えられなかったんだよなあ……」
まあ、試しにだろうがなんだろうが、生命力の乱流が吹き荒れる装置の中に入り込むだなんて、馬鹿のすることだ。わたしだって実際には腕を差し込むくらいのことしかしなかった。それでも泣き叫びたくなるような苦痛を味わう羽目になったのだ。
「……理論的にはわかってたんだけど。彼女が耐えきれたってことは、理論に穴があったのかなとも考えてしまったんだよなあ」
わたしは自分の失敗に言い訳をするように、一人つぶやきを続ける。今は深夜であり、研究員はわたし以外、誰も残っていない。
まあ、研究班の代表でもあるわたし、ローナ・ジェレイドは、自身の権限で仮眠用のベッドを持ち込み、ここで寝泊まりすることもあるくらいだから、こうして残っていても不審に思われることはない。
それはともかく、わたしは自分自身で先ほどの苦痛を体験してみて、改めて思う。彼女は馬鹿だ。確かに、妹同然に数年間を共に過ごした相手に情が移る気持ちはわかる。そのために『セントラル』の幹部たちを敵にまわすのも、まあ、わからないでもない。
わたし自身、上層部の連中はあまり好きじゃないからだ。でも、だからといって、これはないだろう。あんな苦痛、どう考えても死んだ方がましなレベルだ。片腕だけであれなのだ。全身だなんて想像を絶する。
「つくづく、合理的じゃないね」
言いながら、わたしは手近にあった資料の1つを手に取る。特殊な方法で封印を施し、それを知る者以外にはただの白紙のノートにしか見えない資料だ。わたしはそれをぺらぺらとめくった。
タイトル:『神機ラフォウル・テナスによる命の複製。その効能と副作用について』
わたしが彼女を実験台にしてまとめた研究書だ。彼女に協力する見返りとして、わたしが求めたのがこれだった。しかし、わたしがそんな提案をすると、彼女は笑ってこう言った。
「あはは。君も素直じゃないね。まあ、いいよ。研究がしたいんだろ? そういうことにしておいてあげるさ。……ありがとう」
知ったかぶって見透かしたような言葉に、わたしは激しく反論したものだったけれど、彼女は『ありがとう』と繰り返した。彼女は本当に、人の話を聞かない奴だった。
わたしと彼女の出会いは、今からもう七年近く前になるだろうか。ここ、『魔導都市アストラル』には、優秀な『魔族』の子供たちを集め、将来の研究者を育てることを目的とした人材養成機関があった。
その名を『アルゴス研究学院』と言う。わたしは『魔貴族』の出身ではなかったけれど、自分の才能には自信があった。特に治療装置の作成や『幻獣』の調教方法など、『命』に関する分野であれば、他者の追随を許さなかった。
一方、彼女はと言えば『魔貴族』の中でも極めて格式の高い七賢者の末裔、『グレイルフォール家』の一人娘であり、それだけでも学院内では一目置かれる存在だった。だが、己の才能に自信のある者たちが集まる学院のこと。最初のうちは、家柄を笠に着て大した才能もないのに学院に入ってきたのだろうという、やっかみもあった。
しかし、それが一変したのは、とある出来事によってだ。
その日、学院では初年度の学生たちに自由課題を出し、各々がこれはと思う研究成果を持ち寄って発表することになっていた。わたしはそこで、『幻獣』たちが倒されてから新たに湧出する速度を高めるための画期的な装置を発表し、皆から喝さいを浴びた。
学院の教師たちすら唸らせたその装置の出来は、すぐにでも現場で採用しようという意見まで飛び出すほどのものであり、わたしの自尊心を大いに満足させたものだった。
だが、その後に発表された彼女の『研究成果』は、そんなわたしの喜びも発表会場の盛り上がりも、根こそぎ吹き飛ばすものだった。
「……と、まあ、こんな風に規格化することで、これまで個人の技量に頼ってきた【魔導装置】を簡単に大量生産できるわけだね。その分、性能の微調整は効かなくなっちゃうけど、同じ品質のものを大量に作るなら、便利な方法でしょ?」
「………………」
あんぐりと口を開けたまま、会場の全員が言葉を失った。彼女が説明したことは、これまでの『魔族』の常識を全否定しかねないものだった。彼女が生み出したもの。それは言うなれば、『魔導装置を生み出す魔導装置』だった。
「あれ? 皆さん、どうしたの? やっぱりこんな簡単なものじゃ、研究成果だなんて言えないかな? 確かに『こんなのどうして思いつかないの?』って話だし、皆も知ってたのかな?」
「あ、え、う……」
教師陣は口を開きすぎて顎が外れそうな有り様だった。
「もう少し時間があれば、もっとましなのが発表できたんだけど……。って、それじゃ言い訳になっちゃうか。うん。ごめんなさい」
殊勝な言葉を吐きながら、頭を下げる彼女。わたしは発表会場の最前列に座っていた。だから気づいた。彼女の肩が震えていることに。もちろん、緊張や羞恥の震えではない。明らかに彼女は、『おかしくて』笑っているのだ。
知らないような振りをして、会場の全員に向けて痛烈な皮肉を放っている。わたしは知る由もなかったが。このころの彼女は、同居している妹との関係があまり良くなかったらしい。それがこうした態度に出ていたのだと、後に彼女から聞かされた。
それはともかく──
「あは! あははははは!」
わたしは笑いが抑えきれなかった。おかしくておかしくて、仕方がない。どうにも笑いの発作が収まらず、周囲の連中が呆気にとられて見守る中、わたしはしばらくの間、笑い続けたのだった。
恐らくは、そんなわたしに興味を持ったのだろう。それからほどなくして、彼女はわたしに積極的に声をかけてくるようになった。実際、あまり関わりあいになりたい相手でもなかったのだが、わたし自身、自分の才能に不釣り合いな連中との付き合い方がわからず、一人でいることが多かった。だから、彼女に声を掛けられれば、自然と二人で過ごす機会が多くなる。
「なんだか僕、君とは気が合いそうな気がするよ」
「そうかい。わたしはそうでもないけどね」
「またまた、素直じゃないね。君は。だったら、どうしてここにいるんだい?」
学院での昼休み。わたしたちは『いつもの席』でくつろいでいた。特に取り決めがあったわけではないけれど、気付けばわたしたちは、示し合せたように毎日同じ席で顔を合わせていたのだ。
「……まあ、君の淹れるお茶はおいしいからね」
彼女は、研究用の携帯型【魔導装置】などを持ち歩く学生たちが多いこの学院内で、わざわざお手製のブレンド茶葉と茶器のセットという、実にかさばる道具を持ち歩いている変わり者だった。
「あはは。そうかい。それはよかった。今日のブレンドは自信作なんだよ?」
「試させてもらおうかな」
そんなやり取りを続けながら、数年の時を過ごした。そして、学院を卒業したわたしは、『ラフォウル・テナス』の研究班に配属されることになった。これはもちろん、わたしの残した優れた研究成果が、『命』にまつわるものばかりだったせいでもある。
しかし、わたしはその後、あれよあれよという間に、わずか二年足らずで研究班の代表となっていた。裏では間違いなく、彼女が手を回していたに違いない。わたしはそう確信する。そして、その後。わたしは彼女の狙いを知ったのだった。
──手にした資料の最初の方には、彼女と合同で研究を続けた内容が記されている。
『ラフォウル・テナス』は、四柱神の一柱である『造物主』ルシア・マーセル様の力の断片だ。その性質は『命を生み出し続ける』というもの。だが、ここで根本的な疑問が生まれる。
ここで言う『命』とは何なのか? 少なくとも、新しい生命が生まれてくることではない。調整さえすれば、擬似的な『幻獣』を生み出すことはできる。そうした人工的な『幻獣』でも、わずかではあるものの、『自我』に近いものが生まれる場合がある。
だが逆に、器となる何らかのモノを用意しなければ、それは肉の塊すら生み出さない。装置の中にはただ、不可思議な乱流が吹き荒れるのみだ。
ゆえに、生み出されているのは、正確には『生命力』そのものであり、ここで言う『生命力』とは、肉体に注がれる力であると同時に、『自我』の目覚めを促すきっかけを与えるものなのではないだろうか。そんな推論が成り立った。
そしてさらに……。
肉体さえあればそこに生命力を注いで、仮初とは言え生命体の形を生み出せる。
ならば、ならば……肉体の元となる器を用意し、雛形となる精神さえそこに在れば、その精神によって形づくられる新たな自我を持った肉体も生み出せるのではないだろうか?
それは馬鹿げた考えで、荒唐無稽な発想だった。それでも、研究者としての悪癖を発揮したわたしは、彼女の『自分自身を実験台にしたい』という提案を断りきることができなかった。
だからその日も、代表権限で寝泊まりすることにした研究室に彼女を招いた。ちょうど今のような深夜のことだ。
そうして生まれたのが、彼女の意志を元に、彼女の肉体をそのまま象った複製体。そして、彼女の精神を雛形に意志を持って生まれた彼女の分身。
後者は、明らかに『新たなる命』と呼ぶべきものだ。だから、わたしも当初は、そちらに強い興味を抱いた。だが、『レイミ』を名乗る彼女は、あまりにも特殊すぎた。それでは研究対象としては、相応しくない。比較も類推も検証もできない。ただ、その時限りの『特別製』だ。
「いや、君。いくらアレと関わりたくないからって、そんな理由を無理矢理こじつけて、研究対象から外すのが研究者としての在るべき姿なのかい?」
そんな声が聞こえたけれど、わたしは無視した。
「うふふふ。つれないですねえ。言ってみれば、ローナさんはわたしのお母さんみたいなものじゃないですか。一人娘にもっと興味を持ってくださいな。あれこれ、いじくりまわして人体実験してみませんか?」
そんな声に対しては、無視するどころではない。わたしは全速力で逃げ出した。むろん、体力のないわたしのことだ。あっさり捕まってしまったけれど。
それはさておき、問題はもう一つの方だ。彼女の自我無き複製体。だが、それは『自我』がないのであって、『意志が無い人形』というわけではなかった。なぜなら、彼女はそれを己の意志で動かせたからだ。信じられないことに、彼女は別の場所にいながらにして、複製体を己の肉体のように操ったのだ。どうやら【召喚魔法】で言うところの術者と召喚獣との関係にも似た魂のつながりが両者の間にはあるらしい。
「これはいいね。これさえあれば、僕はどんな危険な場所にでも、命を失う恐れもなく向かうことができるよ」
「……で? なくなったら、また複製すればいいとでも?」
「うん。よろしく」
呆れたように言えば、あっさりと頷く彼女。そのたびごとに苦痛を味わう羽目になることが、彼女にはわかっていないのだろうか?
とはいえ、この研究は面白そうだ。一人の意識が複数の肉体を動かす。その時、その人物の『視界』はどうなっているのか? そもそも人はそんな感覚に耐えきれるものなのか?
いつしか彼女は、本体と複製の区別さえ失ったようだが、特に不自由は感じていないらしい。彼女につぶさに話を聞きながら、わたしが書き綴った情報は、このノートの後半部分の大半を埋め尽くしている。
「まあ、こんなものは慣れだよ、慣れ。そんなに難しくないってば。要は自分の頭の中で思考を分割すればいいんだ。一人目用の思考と二人目用の思考。それを使い分ければいい。ほら、簡単でしょ?」
そんなことを言って屈託なく笑う彼女には、いつしかわたしも、諦めにも似た笑いを返すしかなくなっていた。同時にノートの記述もまた、途中で途切れることになる
まったく……天才という奴は、どこまでも度し難いものだ。