幕 間 その31 とある悪魔の目的
-とある悪魔の目的-
俺には目的がある。
俺は、目の前を真っ赤に染める紅い炎を回避しながら、横目でちらりとあいつを見た。
ルシエラ・リエラハート。俺の『相棒』。鉄面皮のように表情を変えない美貌の女。だが、そんなことはどうでもいい。俺にとって重要なのは、あの女が、俺に隙を見せないことだ。俺があの女とつるみ、行動を共にしているのもすべて、あの女の隙を見出すためだった。
気に入らないことにあの女は、たとえ眠っている時でさえ油断しない。誰に対しても、つけ入る隙を与えない。とはいえ、これだけ長く行動を共にしていれば、何度かチャンスはあった。しかし、そのことごとくが失敗に終わっている。
まったくもって、憎々しい女だ。
それはさておき、今は目の前の敵にも集中する必要があるだろう。
俺たちが相手をすることになった『魔神ファンドス』の姿には、取り立てて特徴はない。短い剛毛に覆われた四足の獣。口からは炎を吐き、四肢に生えた鋭い爪は、巨岩を紙のようにやすやすと切り裂く切れ味がある。
つまりは、まあ、何処にでもいる魔獣の姿だ。
「はっはー! 楽しくなってきたぜえ!」
俺はいつもの通り、雄たけびを上げながら奴に突進を仕掛け、その『前足の指』に拳を叩き込む。肉が爆ぜ、血しぶきが舞うも、奴の骨にまでは届かない。次の瞬間には、日が欠けたように周囲が暗くなる。
「おおっと、危ねえ」
俺が大きく飛びさがると、巨大な前足が大地に叩きつけられ、ぐらぐらと足元を揺らす地震が起きる。
「なんつーか、随分でかくなったもんだなあ! ええ?」
俺はほとんど真上を見上げるように、獣の下顎に目を向ける。確かに、奴の姿には取り立てて特徴が無い。だがそれは、奴の『大きさ』を除けばの話だ。
世界最大のモンスターとも言うべき化け物、『魔神ファンドス』。
ルシエラがギルドから仕入れた情報によれば、奴の能力は【ヴィシャスブランド】“成長暴走”。受けたダメージの分だけ回復・成長を続け、ひたすら身体を巨大化させていくという馬鹿げた性質を持った『魔神』だ。
「ヴァルナガン。いつまで遊んでいるつもりですか。そろそろ解放なさい」
俺の背後からは、いつもと変わらず落ち着いた調子の女の声。
「ああ? まだいいだろ? こいつがどこまででっかくなるか、もうちっと試させろや」
『魔神ファンドス』はここまでやってきたばかりの時は、大きいとは言ってもここまでではなかった。せいぜい、前に戦ったドラゴンの三倍程度。その頃はまだ、殴りつけた拳を脚の骨まで届かせることができたはずだ。
だが、俺が面白半分に殴り続けているうちに、こいつは成長を続け、ついには見上げた顔が判別できないレベルの大きさにまでなっていた。
「駄目です。まだ街までは距離があるとはいえ、巨大化するということは、歩幅が増すということです。このままでは、一足飛びに街に逃げられる恐れがあります」
「お、そうか。そこまで考えちゃいなかったなあ」
俺が感心したようにそう言うと、ルシエラは手にした黄金の剣を一閃させる。ほとばしる光の奔流は、今にも跳び上がろうとしていた『魔神ファンドス』の鼻面に叩き込まれ、「ギャン!」という悲鳴と共に奴の身体を大きく後退させた。
「で? どうすんだ? こいつ、攻撃すればするほどでっかくなるんだろ? じゃあ、俺が力を解放して戦っても、同じじゃねえか」
「いえ、もしこの『魔神』が無限に大きくなる『だけ』の存在なら、私たちの前に現れた最初の時点で、もっと巨大化していてもおかしくはなかったはずです。『正体不明』だった『クロックメイズ』と違い、ギルドに奴の詳細な情報があったということは、過去に奴と遭遇して戦闘したパーティがいたということですから」
「じゃあ、なんなんだよ? はっきり言いやがれ」
もったいぶった言い回しをするルシエラに、俺は苛立ったふりをして先を促した。
「奴は攻撃のために力を使うと、その分だけ体が小さくなるようです。先ほどの踏み潰しでさえ、わずかですが変化が見られましたから」
俺があわや踏みつぶされかけたあの時、この女は俺のことじゃなく、化け物の身体の大きさのわずかな変化を確認していたらしい。つくづく、嫌になるくらい冷静な女だ。
「んで?」
「ですから、あなたが囮になって奴の攻撃を受けなさい。奴の吐く炎も、『解放』さえすれば耐えられるでしょう」
表情一つ変えず、俺に向かって命懸けの囮役を指示するルシエラ。どこまでも鉄面皮な女だ。つーか、この女、本当に血も涙もないんじゃないだろうか? まあ、それは冗談だが……。
「……りょーかい」
今度は拗ねたふりをして、おざなりな返事をしてみた。だが、ルシエラの表情は動かない。そんな冷静さが忌々しい。内心で舌打ちしながらも、俺は体に巻きつけた『鎖』をゆっくりと解いていく。
その間も、ルシエラの一撃に怒り狂った『魔神ファンドス』が巨大な足を振り下ろしてきたが、気付けば頭上には、光属性禁術級魔法《霊光集う水晶の城壁》が展開されている。ずんと響く衝撃も、禁術級の光の壁を破壊するには至らない。
「さあて、行くか!」
俺は、俺の体内に潜む化け物を解放する。
俺には小さい頃の記憶がないが、俺の身体を検査した『セントラル』の連中の話では、恐らく俺はガキの頃、『パラダイム』に無数のモンスターの因子を埋め込まれたのではないかという話だった。
無数のモンスターと言っても、まったくの無差別だったわけではなく、埋め込むにあたっては、大きく分けて四種類のモンスターが均等に選ばれているらしい。すなわち、火属性、水属性、風属性、地属性の四種類だ。
ただの人間に、四属性に対する完全な耐性を身に着けさせるための実験。
だが、無数のモンスターの因子を一人の人間に詰め込むというのは、ただの殺人に等しい。『パラダイム』の連中には実験を成功させる気などなく、興味本位の面白半分だったのだろう──とは、俺の能力を解析した『魔族』の言葉だ
そんな実験で俺が生き残ったのは、俺の持つ【生命魔法】の【エクストラスキル】“奇跡の癒し手”と生命力の増幅強化が可能な【気功】の才能でもある体術系【エクストラスキル】“神気豪拳”のおかげらしい。
俺の四肢が四色に染まり、身体の中央で交わって、黒色に染まる。四属性を滅茶苦茶に詰め込んだ結果、俺の身体は四属性のみならず、光と闇、さらには属性のない魔法攻撃まで含め、ほぼ無効化できるようになっていた。
だから俺は、こう呼ばれる。【魔法】の通じない化け物──悪魔ヴァルナガン。
真正面から灼熱の炎を浴びながら、俺は平然と笑う。俺はこの力で、物心ついた時から憂さ晴らしのようにあらゆるものと戦いまくった。モンスターだろうが、冒険者だろうが関係ない。俺を楽しませてくれる強い奴が相手なら、何でもよかった。
立て続けに振るわれる巨大な足の一撃も、俺はルシエラの障壁に頼ることなく耐えきった。真上からの一撃を両腕を上げて受け止める。踏ん張る両足の下で地面が大きく陥没し、地割れが周囲に広がっていく。
あらためてルシエラの姿を探せば、いつの間にか少し離れた場所へと退避し、その冷徹な眼差しで俺の戦いを──いや、『魔神』の肉体の変化を観察しているようだ。
「はっ! 攻撃できねえってのは、退屈だなあ! おい!」
あの女と初めて出会ったのは、十年近く前のことだ。
無法者として暴れる俺を始末するべく、冒険者ギルドの依頼を受けたあの女は、当時はまだ十代の少女だったはずだ。
しかし、それでもあいつは、俺を完膚なきまでに叩きのめしやがった。もちろん、俺にも油断はあったんだろう。だが、何よりの敗因は、あの女が俺の能力を冷静に分析し、己の【魔鍵】の全性能をかけて、俺の能力を封印してきたことだった。
【魔鍵】『束縛する王命の鉄鎖』。
対象の有する特定の能力を指定することで、絶対的な束縛の力を発揮する神性“永遠律令”。ルシエラは、極めて特殊なその神性の力でもって、俺の【因子所持者】としての能力を封印しやがったのだ。
さらには何を思ったか、この女は俺を殺さず、冒険者として同行するよう誘ってきた。だがそれは、とんでもない暴挙だと言えた。
なぜなら、“永遠律令”は、複数の対象には使用できない能力なのだ。この状況で俺を殺さないということは、つまり、己の強力な封印術を永遠に使えなくするに等しい。だから、当時の俺は、その理由をこう推測した。『猛獣を鎖で縛り上げ、強力な武器として使役すること』が彼女の目的なのだと……。
「うははははは!」
馬鹿馬鹿しい。俺は『魔神ファンドス』の攻撃をひたすら耐えながら、かつての自分の愚かな推測を笑い飛ばす。
「何がそんなに楽しいのですか?」
少しだけ、呆れたような声で言うルシエラ。まあ、あいつには一生わからねえだろうな。わかってもらう必要もねえ。ただ、俺に隙を見せてくれさえすればいい。
「はっはー! 教えてやらねえよ!」
もう何度目になるかわからない炎の乱舞。奴の巨大な口から吐かれる膨大な量の火炎は、辺り一帯を焦土に変えている。ルシエラはルシエラで防御魔法を展開し、その純白の衣装には焦げ目一つできていない。
「んで? まだ、続けんのかよ?」
「ええ、後二時間は粘ってください。今のペースからすれば、わたくしの【魔法】の一撃で倒しきれる大きさになるまで、最低でもそれくらいの時間は必要です」
「…………」
はっきり言って、他の奴ならここはブチ切れる場面だろう。よりにもよってこの女は、表情一つ変えないまま、『魔神』を相手に二時間、黙って攻撃を耐え続けろと言いやがったのだ。
「できませんか? ならば別の作戦を考えますが」
「ああ? 俺を馬鹿にしてんのか? できるに決まってんだろうが!」
売り言葉に買い言葉。またしても俺は、この女の術中にはまった。いくら俺でも、二時間は相当にきつい。『魔神』の攻撃は、ひとつひとつが一般のモンスターとは桁が違う。炎そのものは俺の耐性で防げても、通常攻撃はそうはいかない。
重い一撃を受けるたびに、骨が砕け、肉が弾け、血しぶきが舞う。【生命魔法】で周囲の【マナ】を生命力に変換し、【気功】の力で増幅しながら治癒を繰り返したところで、二時間も続ければ回復が追いつかない場面も出てくるだろう。
「では、よろしく」
そう言ってあの女は、周囲に障壁を展開したまま、座り込みやがった。うわ、信じられねえ。
──それから二時間。本当にルシエラは何もせず、黙って俺が攻撃にさらされ続けるのを観察していた。いや、だから観察は俺じゃなく、『魔神』の方なのだろう。なにやら俺に視線が向けられているような気がしたのは、恐らく錯覚だ。
「ぜ、ぜえ、ぜえ……。はは……さすがに随分小っちゃくなったじゃねえか、化けもん」
俺の目の前には、今もなお巨大な四足獣が立っている。とはいえ、その大きさは俺の背丈の倍程度にまで縮んでいた。
「おい、ルシエラ! もういいんじゃねえか?」
「そうですね。わたくしの準備も終わりました。さて、やりましょうか」
ルシエラは落ち着いた声音でそう言うと、ほとんどくつろいでやがったんじゃないかと思うようなお座りの姿勢から立ち上がり、服に付いた土を払う。
「準備だあ? お前、座ってくつろいでたんじゃねえのかよ?」
「馬鹿と一緒にしないでください。わたくしは戦闘中に無意味な行動はしません。その『魔神』が地面に流した【魔力】を回収していたのです」
「地面に流した【魔力】?」
「ただの肉体の力だけで、あなたの肉体を破壊できるわけがないでしょう。『魔神ファンドス』は前足に【魔力】を込めていたのです」
「ふうん」
“操作”系の【オリジナルスキル】──“糸繰る神の指先”。
周囲の【魔力】をかき集め、操る力。まあ、操ると言っても、それほど大規模な真似ができるわけじゃない。せいぜいが【魔力】を糸状に変化させ、様々な形に編み込む程度の能力だ。だが、この女はその力を応用し、【魔力】の糸を派手な装いの衣装の中に変則的な【魔法陣】として仕込むことで、傍目には無詠唱かつ【魔法陣】抜きにしか見えない形で、【魔法】の発動を可能としていた。つまり、常識で考えればあり得ないようなこいつの【魔法】には、種も仕掛けもあるってわけだ。
とにもかくにも、この女は、そうやって自分を偽ることを得意としている。
当然、冒険者ギルドへのスキル登録でさえ、真っ赤な嘘だ。少なくとも【オリジナルスキル】に関しては、自分の【魔力】の波長を操作して、自分に対する“同調”系のスキル分析結果にさえ表れないようにしているらしい。
俺自身、この女から本当の【スキル】構成を聞き出せたのは、仲間になってしばらくたってからのことだ。
「これだけの【魔力】があれば、糸の長さもそれなりです。かなりのアレンジができそうですね」
だが、これだけでは説明できないこともある。それがこの、圧倒的な光属性魔法だ。『本当の分析結果』を見たところで、この女には属性適性などほとんどない。だと言うのにこの女が、たかだか見えない【魔法陣】を簡易構築できる程度の能力で、禁術級光属性魔法を連発できてしまう──その理由。それこそが、俺がこの女をつけ狙う『目的』だった。
純白の羽根飾りに彩られた腕を前に伸ばす金髪の美女。
──天使ルシエラ。
《舞い散る天使の羽根》
掌に集う黄金の輝きは、一本の剣となって収束する。だがその刀身には、凝縮され過ぎた力によって無数のひび割れが走っており、まさに暴発寸前といった状態だった。
「これで終わりです」
ルシエラは厳かに宣言し、剣を振り上げる。そして、振り下ろされた瞬間。黄金の刀身は粉々に砕け散り、無数の破片は爆発的に膨れ上がる光と化した。
視界を染める白光に目を細める俺の視界の中で、『魔神ファンドス』は光の嵐に飲み込まれていく。
「おうおう、随分派手にやりやがって」
「アレの成長速度より早く、アレの肉体を完全に滅ぼすためです。念には念を入れる必要がありました」
俺が呆れたように言うと、ルシエラはいたって真面目な顔で解説してくる。駄目だ。『魔神』程度が相手じゃあ、この女に隙が生まれるには全然足りない。
もっともっと、強い敵が必要だ。まあ、まだ時間は十分にあるだろう。それに、『あて』もなくはない。いつの日か、この女に隙が生まれた時。その時こそこの俺が……。