第167話 ジーニアス/ラフォウル・テナス
-ジーニアス-
ヴァリスさんたちが街の入口へと走り去った後、わたしはノエルさんの視線に気づきました。何かを言いたげな、そんな目です。やっぱり、無理矢理同行を申し出たことがまずかったのでしょうか?
でも、わたしは間違ったことをしたとは思いません。ノエルさんは自分の身体が『生身』じゃないから平気だ、みたいなことを言ってはいましたが、レイミさんは違うでしょう。……それに、お二人は何かを隠している気がしてならないんです。
「何か?」
わたしが平静を装って問いかけると、彼女は軽く首を振ります。
「いや、何でもないよ。……それより、一つ約束してくれないかい?」
「何の約束ですか?」
「その前に返事が欲しいな。どうだい? 約束してくれるだろう? さっきは僕が折れてあげたんだ。今度は君の番だよ」
「うふふふ。あれで『折れてあげた』なんて、随分ですねえ」
「うるさいな。レイミは黙っててよ。……で、シャル。返事は?」
なんだか、妙な迫力を感じさせる顔をしています。わたしはいったい、何を約束させられてしまうのでしょう?
「は、はい……」
それでも強引に意見を通してしまった負い目はあったので、わたしは約束の内容を聞かないままに、そう返事をしたのでした。
「よし、それじゃあ言うよ」
「は、はい!」
「これが無事に終わったら……」
ゆっくりと間を置きながら、ノエルさんは真剣な目でわたしを見つめてきました。わたしはごくりと唾を飲み、彼女の言葉の続きを待ちます。
「……僕のことを、『ノエルお姉ちゃん』って呼んでくれないかな?」
「は、はい?」
いきなり何を言い出すんでしょうか、この人は? わたしは呆気にとられて固まってしまいました。
「ほら、シリルのことをお姉ちゃんって呼んでるだろう? だったらその姉的存在である僕のことだって、そう呼ぶべきじゃないか?」
「え、えっと、その……」
急展開に頭が追いついていません。
「よし、そうと決まれば善は急げだ! 俄然やる気が出てきたぞ!」
気付けば、それは決定事項になっていました。いったい、どうしてこんなことになったのでしょうか。
〈愚かな。無駄なことをする。言ったはずだ。我が主より賜りし、《見るも歪んだ世界》の結界は、決して汝らを主の御座に辿り着かせぬ〉
すかさず響く、『真眼』の声。けれどノエルさんは、それを鼻でせせら笑いました。
「馬鹿は君の方だよ。『僕のような奴』に向かって、あんまり情報をぺらぺら話すものじゃないぜ。【変革魔法】だか何だか知らないけど、どんなものも種がわかればそれまでだ」
ノエルさんはゆっくり右手を横に伸ばします。すると、まるであらかじめ指示されていたかのように、レイミさんがその手に板のようなものを乗せました。
「石板、ですか?」
「まあ、見ててよ」
言いながらノエルさんは、手にしたペンのようなものをその石板に走らせています。いったい、何が始まるのでしょうか。
「よし、こんなものかな? じゃあ、行くよ、シャル、レイミ」
「はいな」
「え? 行くって言っても……」
『真眼』の言う歪んだ空間は、どうするつもりなのでしょうか? そんな質問をする間もなく、わたしは歩き出すノエルさんの後に続きました。
一歩、また一歩と歩を進めるわたしたち。何も起こりません。何の問題もなく、わたしたちは真っ直ぐに城内へと歩みを進めていくことができています。
〈どういうことだ? 汝は一体……何をした?〉
「え? ああ、技術的には空間を拡張したり歪めたりするより、歪んだ空間を元に戻す方が簡単だろ?」
〈なに?〉
「まあ、これが【事象魔法】による【空間転移】だったり、もっと進んで【空間創造】だったりした日には、打つ手はなかったけどね。あえて攻略のヒントをくれるんだから、君の親切心には頭が下がるよ」
意地悪なことを、意地悪な声で言うノエルさん。
〈歪んだ空間を戻す? だが、どうやって……〉
「だから、これだよ。【魔導装置】さ」
〈馬鹿な……何故そんな【魔導装置】がある? あらかじめ、このことを知っていたとでも言うのか〉
「あらかじめ? 何を言ってるのさ。決まってるだろう? たった今、『作った』のさ」
こともなげに言ったノエルさんに対し、『真眼』からの反応はありませんでした。でも、姿が見えなくてもわかります。恐らく彼は、絶句しているのでしょう。
シリルお姉ちゃんに聞いたことがありますが、【魔導装置】に【古代文字】を刻んで望みどおりの効果を実現するには、普通なら何回も試行錯誤と微調整を繰り返さなければならないのだそうです。
まさかそんなものを、鼻歌混じりにその場で作ってしまうだなんて。
〈そんなことは不可能だ……嘘をつくな〉
「それは僕が、二番目に良く言われる言葉だね。……僕は昔から不思議だったんだ。みんな、どうしてこんなに簡単なことができないんだろうってね」
天才の孤独。そんな言葉で言い表してしまうのは、間違いでしょう。明らかにどう考えても、彼女は『わかって』いて言っています。でなければ最初に『僕のような奴に』なんて言葉が出るはずもないのですから。
「あらあら、ノエルさんの悪い癖が出ちゃいましたね」
「じゃあ、行こうか」
「は、はい!」
頼もしい後姿。でも、わたしはこのとき、彼女のこの『頼もしさ』が何から来るものなのか、まだ理解できていませんでした。
〈ならば力づくで道を塞ぐのみ〉
「ふうん。でも、さっきの会話を聞いていたんでしょう? そんな暇があるなら、ルシアの【魔鍵】をどこか遠くに持って行った方がいいんじゃないかい?」
〈くだらぬ。あれを奪ったのは保険に過ぎぬ。我が主に恐れるものなど無い〉
その言葉を最後に『真眼』の声は聞こえなくなりました。
「ノエルさん。あんなことを言って、本当に遠くに持って行かれたらどうするつもりなんですか?」
わたしはつい、批判めいた言葉を口にしてしまいました。こちらが恐れている可能性をあえて敵に告げる必要はないはずです。するとレイミさんが、わたしの耳元に口を近づけてきました。
「うふふ。敵さんにもプライドがありますからね。ああ言うことで、その手段を敵から奪うのが手です。前に彼女が言った『怖いんだよ、彼の力が』なんて台詞も、その伏線ですね」
なるほど。さすがはノエルさんです。しかし、レイミさん。敵に聞かれないようにするために耳元で話してくれたのでしょうが、息を吹きかけるのは止めてください。くすぐったいです。
「ほら、早速敵さんのお出ましだよ。さっさと蹴散らしちゃおう」
城内入口から伸びる破壊された通路の奥。ノエルさんが指し示した先には、犬のような生き物が大量にあふれかえっています。一見してお城で飼っている番犬のように見えなくもありませんが、番犬には頭が二つもないでしょうし、口から毒々しい紫の息を吐いたりもしないはずです。
「『リュダイン』、お願いできる?」
〈グルグル!〉
『霊剣』がなくても【精霊魔法】が使えないわけではありませんが、ここはひとつ、頼もしいわたしの相棒に任せることにしました。
〈グルウウウ!〉
一声吠えると、『リュダイン』は全身を帯電させながら、【生体魔装兵器】と思われる凶犬の群れへと飛び込みました。たちまち始まった乱戦の中、一本角の金獅子は勇猛果敢に爪や牙を振りかざし、その雷の力で次々と敵を焼き尽くしていきます。
「おお、すごいです! さすがは『リュダイン』ちゃん! これはわたしたちの出番はないかもしれないですね」
「何を言っているんだ。君も少しは仕事をしろ、仕事を。それが君の役割だろう?」
「わかってますよー」
軽口を叩きあいながら、わたしたちは城内を進みます。
「でも、【魔鍵】を探すって言っても、どこにあるんでしょうか?」
「そりゃ、宝物は、宝物庫の中と相場は決まってるさ。この城でも特に強い結界に護られた場所。大体の位置は、この【魔導装置】で特定できているよ」
ノエルさんは、再び取り出した石板のようなものを示してくれました。
「実際、そういう大事なものは、自分の目の届かないところには置かないだろうね。自分の管理下で、護りに絶対の自信がある場所に置く。だからこそ、あの『真眼』もこの状況で余裕ぶっていられるのさ」
石板には光の点のようなものが映っていて、ノエルさんその向きを変えるたびに、一定の方向へと光の点が移動しています。つまりこれで、その場所がわかるということでしょうか。
「ちなみに、シャルは『新世界樹』の気配とか、わからないのかい?」
そう問われて、初めてわたしは気付きました。考えてみれば、『精霊』の力が強く宿る『新世界樹』を素材に使ったあの剣の場所なら、わたしにだってわかるはずなのです。
わたしは意識を集中し、世界に満ちた『精霊』の気配を感じようと試みました。すると、確かにノエルさんの持つ石板の光が指し示す方向に気配を感じます。
「良かった。じゃあ、間違いないわけだね。それじゃあ、このまま行こうか」
どうやらわたしたちが向かうべきところは、本丸の建物を抜けた先にある別棟の建物のようです。こうしている間にもシリルお姉ちゃんやルシアが危険にさらされているかもしれない以上、わたしたちは急ぐ必要がありました。
けれど、建物から表に出て敷地内を進もうとした、その時でした。
わたしたちの周囲を覆う、無数の羽音。目のない鳥の群れ。牙を生やした鳥とも思えない口からは、けたたましい鳴き声が響き渡ります。
「……え? さっきまで何もいなかったはずなのに!」
まるで死角から突然現れたとしか思えない唐突さ。でも、死角となる場所なんてなかったはずです。わたしたちが戸惑っていると、鳥たちは、息もつかせず一斉に襲いかかってきました。
「きゃ!」
「うふふ! わたしにお任せあれ!」
周囲にひらめく刺付きの黒い鞭。まるで生き物のように自在に方向を変えるその動きは、かつてアルマグリッドの武芸大会でミスティさんが使っていた、『跳ね回る狂乱の牙鞭』を思わせるものでした。
レイミさんの鞭さばきによってどうにか不意打ちを回避したところで、今度こそわたしが【魔法】を発動します。
〈砂礫を巻き上げ、炎を絡ませ、潜む刃は吹き荒れる〉
地、火、風の連続【精霊魔法】。これを使うとわたしの髪と肌の色が何とも言えない状態になるため、あまりやりたくはないのですが、『霊剣』が手元にない分、数で威力を補うしかありません。
打ち据えられ、焼き裂かれていく凶鳥の群れ。思う存分、威力を発揮したわたしの【魔法】は、周囲の敵の大半を倒すことに成功しました。
残る鳥たちには、『リュダイン』が嬉々として飛び掛かり、その喉元に喰らいついています。一応、元が猫だけに、鳥を狩れるのが楽しいのでしょうか?
そんな姿に気を取られたせいか、わたしは油断してしまいました。
わたしの眼前に、いつのまにか巨大な爪が迫ってたのです。
「うそ? いつの間に?」
先程の凶犬たちとは比較にならないほど巨大な四足の獣。その首は犬というより猿に近い形をしており、虹彩の無い濁りきった紅い瞳には、狂気の光だけが宿っています。丸太のように太い四足や筋骨隆々とした胴体全体に生えた毛は、まるで針金のように固そうで、金属のような輝きさえ放っていました。
先ほどまで、この場にそんな巨体が存在していたことに気付かないなんてあり得ません。何か異常な事態が起こっている。それだけは確かでした。ですが、何よりも問題なのは、今この時、わたしの回避行動はとても間に合いそうにないということでした。
「危ない!」
──そう言ってわたしの前に飛び出したのは、他でもない、ノエルさん。
「え?」
飛び散る鮮血。生暖かい血が、自分の顔にかかったのがわかりました。でも、何が起きているのかだけは、わかりません。いえ、わかりたく……ありませんでした……。
「ノエルさん!!」
わたしの目の前で、わたしの代わりに凶爪に身をさらした彼女。その背中から突き出すものを見て、わたしの思考は停止してしまいました。
-ラフォウル・テナス-
「……なあ、君は本気なのかい?」
彼女は僕に呆れたような顔で言う。
「もちろん、本気だよ。僕には護らなければならないものがある」
「だからってこんなの、自殺行為だろう?」
「いや、君も確認したじゃないか。理論的には十分に可能さ」
「その『理論的には』って言葉には、これから君が味わうことになる発狂せんばかりの苦痛って奴が、カウントされてないと思うんだけどねえ」
投げやりな口調ながらも、彼女が僕を酷く心配してくれているのはわかる。彼女はいつだってそうなのだ。素直じゃない。
「繰り返すけど、止めておいた方がいいぜ」
「いや、僕はやるよ。『魔族』の連中は、誰一人信用できない。敵か味方かも、わからないからね。かといって、一人では限界がある。だから僕には、どうしたって絶対の信頼がおける右腕が必要なんだ」
「……ふうん」
「いや、君は別だよ。味方だと思ってる。でも、荒事が得意なタイプじゃないだろう?」
僕は彼女が不機嫌そうな顔をしたのを見て、慌てて言い繕った。『魔族』の研究者たちが集う学術機関で知り合った彼女は、何と言うか変わり者で、だけど気のいい女性だった。もともと彼女には才能があったとは思うけど、それでもこの若さで『ラフォウル・テナス』の研究班の代表になれたのは、僕の後押しがあったからだろう。
僕にとって彼女は、ほとんど唯一の信頼できる友人だった。
彼女、ローナは装置の前に立つ僕に、最後通告のように言った。
「装置の調整には責任を持つけどね。君の心が壊れてしまうかどうかまでは、責任は持てないよ。……まったく、こんなの狂人のすることだ。イカれてるよ……」
「あはは。終わったら、また紅茶でも淹れてあげるよ」
僕が冗談交じりにそう言うと、何故か彼女は酷く嫌そうな顔をしたのだった。
──回想、終わり。
「ご、ゴホ! つまり、何が言いたいかというとだね。シャル。この身体は見ての通り、生身なんだけど……『僕の身体は、これひとつじゃない』ってことなのさ」
胸を貫く獣の爪が引き抜かれるのを感じながら、僕は血混じりの唾を吐き捨てて笑う。致命傷を負った時点で、この身体は痛みを感じないようにできている。でも、こんなのじゃ、彼女は全然安心しないだろう。
「命の複製。まあ、禁断の技術だね。代償も安くはなかった。ものすごく痛かったし、それよりなにより、心が二つに割れてしまったのも大きい。まあ、ものすごーく厄介な問題点に目をつぶれば、後者の方は利点でもあるんだけどね」
胸の傷は徐々に塞がってきている。複製体である肉体には、僕が【古代語魔法】で様々な処置を施しているため、回復能力も桁違いに高い。
「失礼ですね。問題点なんてありませんよお」
僕の『もう一つの心』──レイミが笑う。
「いや、大ありだよ。僕は君のような変態じゃない」
そう、彼女は僕であって、僕じゃない。僕の心の一部が『ラフォウル・テナス』によって増幅され、強調されて生み出された存在だ。ただ、こんな変態性が自分の中にあっただなんて、どうしても認めがたいけれど……。
「いえいえ、わたしだって変態じゃないです……よっと!」
レイミは僕の胸に爪を刺していた獣の前足を掴み、それをあっさりと折り砕く。
〈グルギャアア!〉
「ウフフフ! わたしのシャルちゃんを怖がらせた報い、受けさせてあげますよお?」
叫ぶ獣。笑うメイド。宙を飛ぶ無数の包丁。肉を裂き、骨を砕く音。そして、断末魔の声。戦闘用にカスタマイズされた彼女の肉体は、この程度の相手ならまるで問題にしないだけの強度を誇っている。
「え? え? いったい、何が? ノエルさん、大丈夫なんですか?」
目まぐるしく赤と茶色と緑に色を変えていく瞳に涙を溜め、僕を見上げるシャル。こんな場合じゃなければ、抱きしめたくなるような可愛さだ。
「大丈夫だよ。この身体が壊れても、僕は死なない。そもそも身体を【魔導装置】に見立てた強力な再生能力も付加しているし、仮に再生不能になったところで、別の身体に意識を移せばそれで済む。『ラフォウル・テナス』で複製に成功して以来、随分と危ない橋も渡ってきたからね」
「……レイミさんは?」
「わたしですか? うふふ。この身体は複製というより、『特別製』なんです。だってわたしは、特別なメイドさんですからね」
「……わけがわからなくなってきました」
シャルは安心したような顔をしながらも、しきりに首をひねっている。
「まあ、いいじゃないか。先を急ごう」
僕はそこで話を打ち切ると、宝物庫があると思われる建物に向けて走り出す。途中で再び空を飛ぶ【生体魔装兵器】が襲ってきたけれど、レイミと『リュダイン』のおかげで問題なく先に進むことができた。
ただ、時折僕らの死角に相当する場所から飛び出してくる敵がいて、何度か危うい場面もあった。……先ほどの四足獣の奇襲と言い、どうにも妙な感じがする。
やがて目当ての建物の扉を慎重に開き、罠が無いことを確認した僕たちは、ゆっくりと中に足を踏み入れる。
すると、そこには一人の男が立っていた。
「……ここまで辿り着くとは大したものだ。だが、汝らはここで終わる」
黒い髪に黒い瞳。がりがりに痩せた身体には、白いローブのようなものを纏っている。
「『魔族』……君が『真眼』かい? というか、本当の名前は?」
「我に本当の名などない。我にはただ、あの御方から与えられし、『真眼』の刻印があればよい。なれど、名乗るとすればただひとつ──我が名は『ラディス・ゼメイオン』」
狂信者特有の、熱に浮かされたような言葉。
「大した忠誠心だ。『真眼』とか言ってる割には、随分と盲目的な感じもするけどね」
内心の嫌悪感を押し殺しつつ、僕は挑発の言葉を放つ。しかし、敵も流石にこの程度のことで頭に血を昇らせたりはしないようだ。
「『真霊』が発案した『道化師団』作成のため、我らは多くの【生体魔装兵器】を消耗した。この城の守備が薄くなったのも、そのせいだ。……愚かなり。『真算』といい『真霊』といい、無様なものだ。ただひたすら、主の『眼』となりし我こそが、真理の体現者である」
くだらない戯言を無視して、僕はシャルの様子を確認する。
「シャル? 大丈夫かい?」
「……気持ちわるい」
シャルが頭を抱えて身体をふらつかせているのを見て、ようやく僕は異常に気付く。現に僕自身も、わずかではあるが目の眩むような気分の悪さを覚えていた。
「……『真霊』が理解させるものであるならば、我、『真眼』は見るものであり、『見せる』もの。あらゆる瞳であらゆる景色を写し取り、それをあらゆる対象の眼の中に、映像として再生する。この部屋に入った時点で、汝らは我が『真眼』の虜である」
低く無機質な声で言う男の顔には、まるで生気が無い。
「つまり、これが君の見ている景色ってわけか」
頭の中に無数の映像が流れ込んでくるのを感じながら、僕はつぶやく。恐らくはここに来るまでの間、僕らの視界を撹乱し続けてきたのも彼の仕業なのだろう。だが、今回の『これ』は特に酷い。
「これが我の力……『眼』のすべて。見せることに特化した我が力でならばこそ、このような真似も可能となる。大人しく、ここで死ね」
視界のあちこちに、鎧騎士姿の【生体魔装兵器】が映る。とはいえ、あらゆる角度から分割したように視界に飛び込む映像では、普通なら敵の正確な数さえ、把握することは難しい。
……そう、普通なら。
「シャル、ここは僕に任せて、自分の周りに防壁を張っておくんだ」
「え? で、でも……」
「こういう搦め手の攻撃には、僕の方が対処しやすいからね」
僕は言いながら、腰の鞘から【魔装兵器】の剣を抜き放つ。
「レイミ、君は右の一匹を。僕は正面の二匹を相手する」
「はいな。了解です!」
「なぜ、それがわかる? 汝らの視界は狂っているはず」
僕たちのやり取りを聞いた『真眼』が疑問の声をあげた。けれど、いちいち説明なんかしてやるつもりはない。
「まあ、こういう戦闘用の【魔装兵器】に関しては、ランディくんの方が得意なんだけどね。とはいえ、僕だって負けてはいないよ」
鎧兜に身を包む、騎士のような出で立ちの【生体魔装兵器】が2体、僕らに向かって槍をかざして突進をしかけてくる。僕はその姿を『多角的』に捉えながら、手にした剣を持ち上げる。そのまま間合いの遥か外から、赤と白の入り混じった刀身を振り下ろした。
刀身から舞い上がる紅い光の粒。それはそのまま宙に留まり、僕が振り下ろした剣の軌道に赤い跡を残す。僕は宙に赤い粉で絵を描くように、立て続けに二度三度と剣を振るった。
鎧騎士のうち、一体が僕の真横に回り込むように進路を変える。僕はそれに合わせ、さらに真横にも剣を振るい、赤い軌跡を描き続ける。
「うん。こんなものかな? 話に聞いた『斬り開く刹那の聖剣』ばりにとはいかないけれど、着想は大事だよね」
言葉と同時、宙に浮かんだ赤い光の粉は、その配列を崩さぬままに動き出す。速度こそ遅いものの、散々に振るった軌道は網のように目が細かく、この狭い室内では鎧騎士たちに回避の余地など存在しない。
「【魔装兵器】『ディ・マレウル・クロスの彩粒剣』──配列を固定された粒子は、あらゆるものの隙間に潜り込み、内部で互いに結合することによって対象を斬断する。効果としては強力だけど、こんな場合じゃなければ、あまり実戦的ではないかもね」
僕が口にした解説をなぞるように、数百、数千の断片へと切り刻まれる鎧騎士。
「必殺! メイドさんによるメイドさんのためのストレス解消百叩き!」
意味不明な言葉を叫ぶレイミは、凶悪なトゲの生えた黒い鞭を振り回すと、鎧騎士が着けた鎧を粉々に砕き、内部の生体組織を無惨な肉塊になるまで切り刻んでしまった。そしてそのまま、彼女の鞭は勢い余って『真眼』本人にも振るわれる。
が、しかし──
「無駄である。この身体はただの映像。我には肉体などない。我を構成するは、主より与えられし『真眼』のみ」
「……おやおや」
相変わらず、彼は馬鹿だ。この城に入る時にも言ったはずなのにね。僕のような奴に、軽々しく情報を話すべきじゃないと。
「……シャル。目をつむったままでいいから、お願いがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
シャルは顔を伏せたまま、聞いてくる。無数の視界が同時に脳裏に浮かぶ光景は、さぞかし気持ち悪いだろう。僕のように『複数の身体の視点』に慣れていない彼女なら、なおさらだ。
僕は『真眼』に聞こえないよう、続きを『風糸の指輪』で呼びかける。
〈この部屋全体を出来るだけ強固な空気の膜で覆えるかい? 部屋の出入り口の隙間までびっしり塞いで、細かい物でも出入りできなくしたいんだ〉
〈大丈夫です〉
シャルの頼もしい返事に、僕は頷きを返す。やることが決まれば、シャルの動きは速い。たちまち部屋の中と外を完全に遮断する空気の膜を生み出した。あまり長引けば窒息しかねない状況ではあるけれど、問題はない。すぐに片が付くだろう。
「な、なんだ? これは……」
ようやく彼も、周囲の異常に気付いたらしい。うろたえた声を出している。
「君は喋りすぎなんだよ」
「なに?」
「肉体が無く、ただ観察し、ただ『見せる』だけの存在。……だったら言葉なんて、必要なかったはずなのにね。五感の大半を失った君にとって、お喋りは数少ない楽しみなんだろ?」
「な、何が言いたい?」
「言葉どおりの意味さ。余計なことをしゃべるから、僕に正体を見抜かれる。……でも、君には同情するよ。それと同時に、君を『そんな風』にした奴の無能さには呆れるばかりだね」
「き、貴様! 我が主を愚弄するか!」
「肉体が無い君にとって、本体は『眼』だ。そして君の『眼』を通じて、僕の視界に『この部屋の中』をあらゆる角度から写した映像が映り込んでいる。この二つから言える結論はね……この部屋の中には、宙に浮かぶ無数の『微細な君』があるということだ」
「…………」
図星を指されたせいか、『真眼』から返事はない。
「さて、後はこの空間に漂う『微細な君』をどうやって滅するかだけど……そうだね。こんな【魔導装置】を作ってみようか?」
僕は懐から石板を取り出すと、思いつくままに術式の書き込みを開始する。
「……な、何なのだ、お前は! どうして、その程度の情報で我の正体を……。おかしい。何かあるはずだ。そんな洞察力、尋常ではない!」
「……うん。こんなものかな? じゃあ、いくよ」
「ぐ! どんなイカサマをした! あり得ぬ! こんな、馬鹿な!」
「名付けて、『ディ・アシュバの音源』と言ったところかな?」
僕はつい今しがた、造り出した【魔導装置】を作動させる。簡易式の【魔導装置】製作板では、あまり複雑なものはつくれない。しかし、この【装置】の機能はいたってシンプルだ。
精神を撹乱する音波を生み出す──ただそれだけ。効果自体も大して強くはない。現にシャルも効果範囲に入ってはいるが、少し気分が悪くなる程度で済むだろう。
けれど、この密閉空間においては、己の精神を微細な粒子一粒一粒に宿らせている彼のような存在にとって、これは致命的な攻撃になりうる。
「うぎ! ぐ、ぐああああ!」
乱反射を繰り返す『音の波』にさらされて、狂ったように叫び声を上げる『真眼』。
「うそだ! 馬鹿な! この状況で、こんな、こんな【魔導装置】を……ば、化け物め!」
「それは僕が、一番良く言われる台詞だね。ありがとう。じゃあね。ばいばい」
『真眼』は断末魔の声すら上げず、次第にその意識を撹拌させて、溶けるように自我を消滅させていく。
「……さて、シャル。終わったよ。目当てのものはこの奥みたいだし、さあ行こうか?」
僕は尊敬の眼差しを向けてくるシャルに誇らしげに胸を張って、部屋の奥を指し示したのだった。