第166話 欲しかったのは、護れる力/魔神襲来
-欲しかったのは、護れる力-
「シリルちゃん? うそ……消えた? ルシアくんまで……」
つい先程まで会話していたはずの相手の姿が突然消失した。その事実に、あたしたちは酷く混乱してしまった。ほとんど、まったく何の前触れもなかったのだ。
「今のは……空間転移? でも、『エデン・アルゴス』でもないのに、そんな真似ができるのか?」
ノエルさんも驚いた顔で周囲を見渡している。気づけば、あたしたちの周りには不気味な鎧姿の人影が多数、佇んでいる。けれど実際には、それを『人影』と呼んでよいものか抵抗がある姿も多い。
「四足に四本腕から首無しお化けまで、多種多彩だねえ」
あたしの横でレイフィアが、手にした竜杖を掲げつつ、いつも通りの斜に構えた笑みを浮かべた。
「せーの!」
「はい!」
レイフィアの掛け声に合わせ、シャルちゃんが頭髪を赤く染める。
《赤の吐息》!
発動したのは火属性初級魔法。けれど属性増幅されたそれは、周囲の【生体魔装兵器】たちを炎の海の中に飲み込んでいく。
「とにかく、ルシアたちを探そう! まずは謁見の間に向かうんだ!」
「この手の城の構造なら大概は同じだ! 行くぞ!」
エリオットくんとエイミアが皆を促し、あたしたちは急いでその場を後にしようとする。けれど、その時だった。ぐにゃりと周囲の景色が歪み、平衡感覚が奪われる。
「え? なんなの?」
「む? いつの間に……」
研ぎ澄まされた“超感覚”を持つヴァリスにも何が起きたのか、わからなかったらしい。感覚を取り戻した時には、あたしたちは城門の外にいた。
「……また、空間転移? いや、今のはそれとは少し違うようだけど……。でもこんな真似、『魔族』の技術でだって不可能に近いんじゃないか?」
ノエルさんは、納得いかなげな顔で周囲を見渡す。するとそこに、彼女の疑問に答えるような声が響く。
〈我らが城は、招かれざる客を自ずから排除する。ゆえに、歪んだ空間はすべてがすべて、この城門に通じている。……汝らに用はない。『客人』は、あの二人だけである〉
無機質な声。一切の感情を廃し、ただ情報を伝えることだけに特化したかのような声だった。
「招かれざる? 何をわけわかんないこと言ってんの? あたしはねえ、他人が入ってくんなって場所に、構わず土足でずかずか入り込むのが大好きなんだよ!」
レイフィアは彼女の性格が滲み出ているかのような台詞を吐きながら、壊れたままの城門内に足を踏み入れようとした。
「あれ? なんであたし、こっちに?」
きょとんとした顔で、目を瞬かせるレイフィア。傍で見ていたあたしたちにも、何が起きたのか分からなかった。目に見えたものをそのまま表現するならば、彼女の後姿が歪んで見えた直後、こちらに正面を向けて立っている彼女の姿が現れたとしか言いようがない。
〈我らが主の【変革魔法】。《見るも歪んだ世界》──招かれざる客は、決して御座にはたどり着けぬ〉
「城の中で聞いた声とは、違う声だな」
エイミアが声のした方を睨むと、律儀にも彼は返事を返してくる。
〈我は『真眼』のラディス・ゼメイオン。先に捧げた【ヴァイス】により、我が主はすでに、世界に御座を生み出す力──世界を自在に歪める力を得た。……後はただ、『魔神』による生贄の蹂躙を待つのみである〉
「え? イケニエ?」
あたしは聞こえてきた声の意味を計りかねて、おうむ返しに問いただす。
〈『ジャシン』が抱く『神』への憎しみ──『魔神』の【ヴァイス】を活性化すべく、『神』の【オリジン】を抱く人間どもを贄とする〉
「……つまり、今回の件は『魔神』にこの国の人間を殺させるのが目的だと?」
〈然り。ここはそのための『牧場』──農業国家クルヴェド王国〉
ノエルさんの問いに、感情のない声で答える『真眼』。あたしは、全身に走る悪寒をこらえきれず、思わず身震いしてしまった。つまり、ここは最初から『魔神』のエサにするために、『人間』を集めた国だと言うのだろうか?
「ひ、ひどい……」
「……下衆どもが。反吐が出る。こんな小細工など関係ない。今すぐ叩き潰してやる」
ヴァリスが力強く言いながら、あたしを見た。《転空飛翔》を使おうということらしい。確かに全力を解放したヴァリスなら、この不思議な現象も突破できるかもしれない。
〈憤るのは結構だが、この街は『主の御座』を残して消える定め。その時はもう、間もなくだ〉
と、『真眼』が言ったその時だった。
「……なんだと? いつの間にこんな距離に……」
ヴァリスが何かを感じ取ったように声を上げる。
「ど、どうしたの?」
「……『魔神』どもが近い。この分では間もなく街までたどり着くぞ」
「嘘だろう? 僕が調べた時は……」
ノエルさんも目を丸くしているけれど、ヴァリスの“超感覚”が外れるはずもない。
〈距離の操作など、今の我が主には造作もない〉
「なんだと? くそ! 距離が近すぎる! これでは三体同時に足止めできない限り、街に被害が出かねないぞ」
「そ、そんな……」
ヴァリスの悔しげな叫びに、あたしは絶望的な思いにとらわれる。この街には、男性も女性も老人も子供もあらゆる人たちが各々の生活を送っているはずだ。なのに、それが今、理不尽にも蹂躙されようとしている。
見方を変えれば、彼らは、あたしたちとは何の関係もない人だ。助けなければならない義理は無い。
でも、あたしは自分が以前住んでいたルーズの町を想う。あの町がセフィリア──『ジャシン』のノラ──によって消されてしまった時、とてつもない喪失感に襲われた。
でも、それは、あの町に特別な思い入れがあったからだけじゃないと思う。普段から何気なく見ていた人々の姿が、無くなってしまったことが辛かったんだ。
誰もが共感し、誰もが望む『当たり前の幸せ』。
それが理不尽に失われると言うことは、自分との関係性を抜きにしても、とても悲しくて寂しいこと。
だからあたしは、そんな当たり前の幸せを護れる力が欲しかった。
「……ヴァリス・ゴールドフレイヴ。あなたはあたしの心の片翼。あなたの心はあたしのすべて。あたしのすべてはあなたと共に、ここに在る。今ここに、永遠の誓いを」
その言葉は、自然と口から出た。思いを最大限に重ねあわせ、《転空飛翔》の効率を最大に高めるために、あたしはあえて想いを言葉に乗せて伝える。
一瞬、驚いたような顔をしたヴァリスだったけど、すぐにあたしの意図に気付いてくれたらしい。深く頷くと、静かに口を開く。
「……アリシア・マーズ。我が魂の片翼よ。汝は我が魂の全てなり。我が存在は汝のために、ここに在る。今ここに、永久の誓いを」
二人、声をそろえる。
「護る力を」
「戦う力を」
「──互いの魂に誓う」
手を取りあうヴァリスとあたしを中心に、黄金の風が吹きあがる。いつになく強い力は、あたしの髪や瞳だけでなく、全身に金の燐光をまぶすかのように具現化していく。
「みんな、この街の人たちはあたしが護るよ。だから、安心して戦って」
〈さあ、おいで……。この手はあなたを優しく包む。愛しきわが子を護る腕〉
《抱擁障壁》
金色の燐光が形作るドーム型の障壁は、見る間にその範囲を拡大していく。この街も、そこに住む人々も、そのすべてを受け容れ、そのすべてを護る。
あたしが一番欲しかった、誰かを護るための力。
「……だが、状況は厳しいな。ルシアとシリルのことも心配だ。『魔神』が相手となれば、アリシアの防壁も長くは持たないだろうし……」
エイミアが難しそうな顔で言ったところで、誰かが駆け寄ってくる気配がした。
「あ、みなさーん! お揃いですね」
「レイミ。早かったね。例のモノは持ってきてくれたのかい?」
「はいな。ばっちりです!」
かなりの勢いで走ってきたように見えるのに、レイミさんは息も切らさず、にこやかに笑いながら立ち止まった。
「ノエル? こんなところにレイミを呼んでどうするんだ?」
「ん? ああ、どうやら人手が足りないみたいだしね。ここは手分けをしようと思ってさ」
「手分け?」
首をかしげるエイミアに、ノエルさんは軽く頷きを返す。
「そう。とりあえず僕とレイミは、手のかかる妹と弟くん候補を助けに行くことにするよ。だからみんなは、『魔神』の方へ向かうといい」
シリルちゃんとルシアくんに対するノエルさんの何とも言えない表現に、あたしは思わず吹き出しそうになってしまう。けれど、言っている話の内容は笑い事ではなかった。
「で、でも敵はあの『パラダイム』ですよ。お二人だけでなんて、危険すぎます。せめてもう一人くらい、そちらに向かった方がいいんじゃないですか?」
エリオットくんもそう思ったのか、戸惑い気味の顔で言う。
「心配いらないよ。そもそも僕のこの『身体』は生身じゃない。それに『パラダイム』は『魔族』だ。『魔族』に対する戦い方なら、僕が一番よく心得ている。まあ、実際には戦うんじゃなくて、恐らく彼らが隠しただろうルシアの【魔鍵】を探し出すのが目的だけどね」
「ルシアの【魔鍵】を?」
「うん。『パラダイム』があの二人だけを城内に隔離した理由はわからないけど、その前にわざわざ彼から【魔鍵】を没収した意図は明らかだ。……怖いんだよ、彼の力がね。とはいえ、【魔鍵】は人の力で破壊できるものじゃない。とすれば、今も城内に隠されているはずさ」
確かにルシアくんの【魔鍵】は、他のものとは段違いの力を持っている。これまで何度か『パラダイム』との激突を繰り返した中でも、彼の【魔鍵】が状況を覆した例は多い。
逆に言えば、ノエルさんの言うとおり、【魔鍵】さえ戻れば状況を打開できる可能性は高いということなのかもしれない。
「『魔神』は、そう簡単に勝てる相手じゃない。ましてや、君らの相手は『魔神ナギ』だろう? エイミアたちが仕入れた情報が本当なら、戦う人数は多ければ多いほどいいはずだ」
ノエルさんはそう言って、頑なにあたしたちの同行を拒否しようとする。そんな彼女の心の内は、相変わらずあたしにも見えなかった。
けれど、彼女がそこまで言うならやむを得ないか、という空気がその場に漂い始めたその時──
「わたしもノエルさんと一緒に行きます」
静かに、でも力強くそう言ったのはシャルちゃんだった。
「シャル?」
「……ルシアが【魔鍵】を取られたのも、彼が倒れた時に動揺して、とっさに対応できなかったわたしのせいです。本当ならわたしが、あの場で皆を庇いながらでも城を脱出するべきだったのに……」
後悔の滲む声で言うシャルちゃん。こういう責任感の強いところも、シリルちゃんに似てきているのかもしれない。
「君のせいじゃないよ。あれだけ包囲されていれば、意識を失った仲間を抱えて逃げるなんて不可能だ。だから君も、皆と一緒に『魔神』の方へ向かいなさい」
子供に言い聞かせるようなノエルさんの口調。けれどシャルちゃんは、折れなかった。
「嫌です」
「へ?」
呆気にとられた顔で固まるノエルさん。
「わたしも『差し招く未来の霊剣』を没収されていますから、戦力としては低下しています。でも、だからこそこの場面で、ノエルさんのサポート役に回るには適任なんじゃないですか?」
「え? い、いや、まあ、それはそうかもしれないけれど……」
ノエルさんは、立て板に水の勢いで言い募るシャルちゃんに、たじたじとなっている。
「ルシアの【魔鍵】が隠されているなら、わたしの『霊剣』もそこにある可能性は高いです。それに、見つけた【魔鍵】をルシアに届けるのだって危険が伴うはずですから、サポート役はいるに越したことはないですよね?」
「うう……で、でもね?」
どうにか反論を試みるノエルさん。でも、あたしの目から見て、それはすでに無駄な抵抗にしか見えない。そしてとうとう、シャルちゃんは伝家の宝刀を繰り出した。
「……それとも、わたしなんかじゃ足手まといでしょうか?」
「…………!」
上目づかいで不安そうに、ノエルさんを見上げるシャルちゃん。うわあ、びっくり……。ついにシャルちゃんが、あの目つきを意図的に使いこなし始めている。
「うふふ……諦めた方がよろしいのでは?」
楽しそうに含み笑いを漏らすレイミさん。にやにやした顔でノエルさんに向ける目は、とても主人に対するものとは思えなかった。
「……ああ! もう、わかったよ! じゃあ、君には僕のサポート役をお願いするよ! ……まったく、そういうところまでシリルに似なくたっていいんじゃないか? 今の目つきなんか、小さい時のシリルが僕にお願いごとをする時のそれにそっくりだったよ」
「うふふ、断れるわけがありませんよねえ?」
がっくりとうなだれるノエルさんの肩を、レイミさんは慰めるように軽く叩いている。
「あ、ありがとうございます!」
顔を輝かせてお礼を言うシャルちゃん。
「まあ、いつかはバレることだと思ってたしね……」
ノエルさんは意味深な言葉をつぶやきながら、ようやく顔を上げた。
「そうと決まれば善は急げだ。そろそろ急いだ方がいいんじゃないかい?」
「……そうだな。急ごう。どうやらヴァルナガンとルシエラは『魔神ファンドス』と交戦を始めたようだが、残る二体は依然として、こちらに迫りつつあるようだ」
ヴァリスの言葉を最後に、あたしたちは二手に分かれ、各々の役割を果たすべく駆け出していく。あたしは結界を維持するべく、城壁の影に身を潜め、街の様子を見守ることにした。
「ヴァリス。頑張って……」
-魔神襲来-
我らは街の中を駆け抜ける。人々は突然町全体を包み込んだ燐光に驚き、戸惑っているようだが、街に迫る危機にはまったく気づいていないらしい。その能天気ぶりには苛立ちを覚えないでもなかったが、我知らず『家畜』として『魔族』に飼われていた彼らの境遇を思えば、気の毒だと考えるべきなのかもしれない。
しかし、焦る思いに速度を上げて走っていると、徐々に遅れだす者がいた。
「あたしは肉体派じゃなくて、頭脳派なんだってば!」
「仕方がないな。ほら……」
〈しなやかな力。駿馬は風のごとく駆ける〉
《疾風の健脚》
エイミアの【生命魔法】が発動し、遅れつつあった彼女、レイフィアの速度が一気に上がる。
「おお! こりゃ、楽ちん! 今度から移動するときは毎回やってもらおっかな?」
これから我らは、世界でも最凶の存在である『魔神』と戦うことになるはずなのだが、そんな状況とは思えないような能天気な会話だった。我らも人のことは言えないのかもしれない。
とはいえ、そんな雰囲気も街の入口に着くまでのことだった。我の視力で見る限り、すでに敵は、その姿がはっきりと見える距離にまで近づいてきている。
「……そうか。『魔神』は一体だけか。ルシエラとヴァルナガンも、しっかり仕事をしているみたいだな」
エイミアがつぶやく。そう、我らの目前には一体の『魔神』がいる。だが、アレを『一体』と呼ぶべきかどうかは、疑わしいところだった。
「あの二人の情報通りでしたね。あれが、『魔神ナギ』ですか……」
エリオットの視線の先にあるモノ。それは宙に浮かぶ真紅の球体だった。大きさは直径にして、人の背丈の三倍ほどはあるだろうか。完全な真円を描く球体。その中心には、感情を宿さぬ虚ろな目があった。どんよりとした沼のような黒い瞳は、見る者の生理的嫌悪感をかきたてる。
だが、問題なのは、そんな外見のことではない。
「少数で相手をするには向かない敵」
ルシエラがそう語る通り、奴はまさに『数』を武器にする『魔神』だった。視界をびっしりと覆い尽くすモンスターたち。奴が【種族特性】“邪を統べるもの”で集めたモンスターたち。そんなモンスターの群れが、その場で分裂し、増殖していく。
その数は、数百──いや、下手をすれば数千、数万にも上ろうとしている。
「……この前の『死神』といい、こういうのが流行っているのかな?」
「情報では、奴の【ヴィシャスブランド】“絶滅負荷”は、『滅びの拒絶』を意味する力だそうです。……自分を滅ぼそうとするものに、強い拒絶の意志を叩きつける能力。元を断つとかじゃなく、本当に全滅させないと倒せないらしいですね」
呆れたようなエイミアの声に、エリオットの言葉が重なる。
「へえー、随分楽しそうじゃん。いっちょ、やっちゃいますか!」
うきうきとした声を上げながら、レイフィアが『竜杖』を構える。
「幸いここは地下ではないし、わたしの“黎明蒼弓”が最大限に威力を発揮できる場面ではあるかな」
言いながら、青く輝く弓を構えるエイミア。
「どうやら『魔神クロックメイズ』は、別方向から来るようだな。厄介な話だが、奴は我が一人で相手をする必要がありそうだ」
我はそう言って、空を見上げる。と同時、地を揺るがす衝撃が街全体を襲う。
〈アリシア! 大丈夫か!〉
我は『風糸の指輪』を使い、城門前にいるはずのアリシアに呼びかける。
〈う、うん! で、でも……きゃあ!〉
再びの轟音。風糸から聞こえるアリシアの悲鳴に、思わず彼女の元まで引き返したい衝動に駆られる。彼女の構築する防壁に、強い負荷がかかっているようだ。
『ラグナ・メギドス』の攻撃にすら耐えきった彼女の防壁に負荷をかけるということは、恐らくただの力押しの攻撃ではないのだろう。
「奴はもう、街の上空にまでたどり着いている。空を飛んで奴の相手ができるのは、我だけだ。皆は『魔神ナギ』の相手を頼む」
我は周囲の風を従属させ、宙を舞う。
「ヴァリス! さすがに単独で行くのは危険だぞ!」
エリオットが我の動きに気付いて叫ぶ。
「忘れたか? 我は『竜族』だ。『魔神』ごとき、今の我なら一人で十分。お前はお前で、護るべきものを護れ。それがお前の『戦い』だろう?」
我はエリオットと、その隣に立つエイミアを見回しながら言う。
「うう、言うようになったよね。ヴァリスも」
照れくさそうに言いながら、了承の気配を見せるエリオット。
「足止めで十分だぞ! こっちが終わればすぐに救援に向かう!」
「おう!」
エイミアの声に頷きを返し、我は再び空を見上げた。奴は上空から街へと攻撃を仕掛けてきている。先ほどまでの攻撃はアリシアの防壁が防いでくれたようだが、敵が『魔神』である以上、それもいつまで持つかわからない。
「これ以上、やらせるか!」
《竜翼飛行》
我は速度を上げて、上空にたたずむ禍々しい気配へと飛翔する。
空に浮かぶ雲の先に、我が相手をするべき『魔神』の姿が『見えて』くる。
「冒険者ギルドにおいても、被害報告を元にした推測以外は何の情報も得られていないということだったが……なるほどな。長年にわたって正体不明であり続けてきた魔神──『クロック・メイズ』か」
その異様な姿を前にして、我は思わず独り言を口にする。
確かに、これなら情報が無い理由もわかろうというものだ。もちろん、あの『ゼルグの地平』においては、空を飛んで移動する冒険者などいるわけがない以上、コレと遭遇する可能性自体が低いのかもしれない。
だが、そんな事とは関係なく、この『魔神』は我以外では戦うこと自体が困難な相手だろう。索敵系の【エクストラスキル】を有する人間でも、我ほど奴の存在をはっきり感知することは難しいはずだ。
【ヴィシャスブランド】“幽体喪失”
脳裏に自然と言葉が浮かび上がる。これはアリシアの“同調”能力だろうか? いつになく強力な結びつきを得た我とアリシアの絆が、我に彼女の【オリジナルスキル】の使用をわずかとは言え可能にしているのかもしれない。
「負ける気がしないな」
我は『見えない魔神』をはっきりと正面に見据え、不敵に言い放つ。遮るもの無き大空の中で、不可視の化け物と対峙するという状況にありながら、我の心にはただ、昂揚感だけがあった。
我は一人ではない。彼女とのつながりを感じながら、彼女の護りたいもののために、戦うことができる。ならば、負けるはずなどない。
目の前で『魔神』が動く気配がする。どうやら我のことを認識したらしい。不可視の何かが、高速で我に接近してくるのを感じる。
「ふん!」
右腕に収束した【魔力】を刃に変えて、斜め上へと振り上げる。何かを斬り裂く確かな感触。続いて正面から迫りくる圧倒的な熱量の『見えない炎』。我はそれを真横へと飛翔することで回避する。周囲の風を操りながら、我は敵の全容を見極めようと意識を集中した。
じんわりと、視覚以外の“超感覚”により、奴の姿が見えてくる。
感じ取れた形は、翼を生やした人型のようなものだった。我の身体の倍ほどはあろうかという体躯。全身に突起物のようなものを生やしているところからすれば、形が辛うじて人型なだけで、その正体は人とはかけ離れたものだろう。
『魔神』は、鞭のようなものを手にしているようだ。それを頭上で回転させるように振り回しているらしく、びゅんびゅんと風を切る音が聞こえていた。それは複数に分かれ、我の上下左右から唸りを上げて襲いくる。
「その程度で!」
《竜爪乱舞》!
我は両手をかざし、無数の斬撃魔法を繰り出していく。ぶちぶちと千切れていく物体の気配。我は瞬時にその場から上昇すると、今度は一転して急降下に転じ、【魔力】を収束した拳を『魔神』の頭めがけて繰り出した。
しかし、『魔神』は宙を滑るような動きで後方に回避し、恐らくは口があるであろう部位から、再び見えない炎を吐き出してくる。
「くっ!」
周囲の風を強引に収束し、空気の壁を生み出した我は、それを蹴るようにして真横に跳躍する。だが、跳んだ先には、両手を頭上で組んだ巨人の気配。
「ぐ!」
凄まじい力で振り下ろされたハンマーブローを両腕でガードしながら、我は弾き飛ばされる勢いをどうにか殺し、空中で姿勢を制御する。しかし、そんな我の動きを先回りするように、再び背後に『魔神』の気配が出現する。敵の動きは、その巨体にも関わらず、恐ろしく速い。
だが、何度も先手を打たせるつもりはない。我は両手に収束した【魔力】を一つに合わせ、振り返りざまに気配に向かって突きだした。
《凱歌竜砲》!
解放された【魔力】は光の奔流となって『魔神』へ迫る。なおも回避行動をとる『魔神クロックメイズ』だが、その身体を撫でるように過ぎ去った破壊の閃光は、間違いなく奴の肉体を削り取ったはずだった。しかし、奴はそれでも動きを止めない。宙を滑るような独特の動きで我の真横へと回り込む。
「ぐあああ!」
吐き出されたのは、不可視の雷。我は再び空を蹴って回避行動を起こしたが、雷光の速度はあまりに速い。加えて放たれた雷の範囲は恐ろしく広かった。到底、回避しきれない。
「《竜の鱗》の上からでも、この威力か!」
身体に走る痺れと衝撃に目をくらませながらも、我は高度を上げて敵の頭上を取った。奴の攻撃が真下に向かえば、街を覆うアリシアの障壁に当たる可能性がある。
「まだ【魔力】には余裕はあるが……こうも素早いと大技は禁物だな」
自分に言い聞かせるように言いながら、我はこの場で使うべき【竜族魔法】を選択する。
《闘気竜装》
全身に黄金色の破壊の闘気をまといつつ、我は爆発的に膨れ上がろうとするその力を徐々に体へと定着させていく。
すると『魔神』は、痺れを切らしたように我めがけて飛びかかってくる。この状態の我に接近戦を挑むとは、身の程を知らないようだ。
手にした鞭のようなものを、猛烈な勢いで振り下ろしてくる『魔神』。感じる風圧は、その一撃が強固な城塞ですら粉々に打ち砕くであろうことを想像させた。
だが、結果として粉々に砕けたのは、我ではなく『魔神』の鞭だった。いや、鞭ではない。直に接触してみてようやくわかったが、これは奴の『指』だ。五本の指を鞭のように長く伸ばし、それをしならせて攻撃してきたのだ。
『魔神』の指は斬られても砕かれても再生するらしく、奴は何の痛痒も感じていないかのように、立て続けに攻撃を繰り出してくる。上下左右、縦横無尽に迫りくる『指の鞭』。
「無駄だと言っている!」
破壊の闘気を纏った我に、肉弾攻撃など通じない。念のため、腕や足で急所を防御する姿勢を取りつつ、あえてその攻撃を受け止めた。
全身に巻きつく『指の鞭』。我の《闘気竜装》は、身体に接触するソレを問題なく破壊する。──だが、その直後のこと。
「ぐぬ!」
砕けた『指の鞭』の中から、帯状の見えない炎が溢れ出す。ほとばしる稲妻の炸裂音が響き渡る。極低温の冷気が身体の自由を奪い、漏れ出す毒が目をかすませる。一瞬、遠のきかけた意識を無理矢理覚醒させ、我は高速でその場を離脱。さらに上空へと高度を上げていく。
すると、『魔神』は背中の翼を羽ばたかせ、我の後を追うように飛翔してきた。我に向かって突きだすように掲げられた拳には、禍々しい【瘴気】の塊が握られている。
《竜盾翼止》
奴の身体ごと包み込み、動きを封じる【魔力】の盾。それは奴の手にした【瘴気】を暴発させ、その腕を吹き飛ばす。
「喰らえ!」
敵の動きが障壁に阻まれて鈍った瞬間を狙い、我は上から逆さまの姿勢で奴の背後へと降下する。急激な加速と減速に身体を軋ませながらも、腕の先に【魔力】を収束。
《竜剣牙斬》
通り過ぎ様に我が放った光の斬撃は、残った腕を切り落とす。両腕を失った『魔神』は、声こそ上げないものの、苦痛に身をよじるような動きを見せた。
だが、つくづく相手の姿を視認できないというのは恐ろしい。我は“超感覚”によって、敵の輪郭や動きを感知することができる。しかし、肉眼で見るように、というわけにはいかない。奴の鞭が『指』であることに気付くのが遅れたように、その細部までは理解できない。
ゆえに、この『魔神』が、今の攻撃で本当にダメージを受けたかどうかなど、わかるはずがなかったのだ。
だから我は誤解した。奴が身をよじる動きを、苦痛によるものだと誤解した。
「な、なんだと?」
びしゃりと、何かの液体が我に浴びせられる。奴の体液だろうか?
「【魔力】が……!」
我は身体を包む《闘気竜装》に、奇妙な違和感を覚えた。
続いて、間近に迫る敵の気配。そこで我は、ようやく敵の能力の正体に気付く。
「くそ! これが真の意味での“幽体喪失”か!」
我は、“幽体喪失”という言葉と奴の『見えない外見』に気を取られ、その能力の本質に気付けなかったのだ。