幕 間 その30 とある現人神の変革
世界は、醜いもので満ちている。
生まれた時から完全で、正しく、歪みがない。
歪みが無いがゆえに融通が利かず、遊びが無いがゆえに変化がない。
完成されたものは、『進化しない』ものでしかない。
なによりそれでは、『つまらない』ではないか。
わたしはそう考えた。この世界に偽りの法則を塗り重ね、己の思うままに世界を改変する仲間たちを見て、わたしは無駄なことをしていると、嘲笑したい気持ちだった。
それでは、駄目だ。それでは不十分だ。完成されたものの上に、何を塗り重ねようと、それでは何も変えられない。だが、不完全こそを美徳とし、可変であることこそを最善とするわたしのような存在は、『完全』であることを求める神々にとって、異端視すべき存在だったらしい。
わたしが四大神族のいずれにも属さないことが、排斥の理由と言うわけではないのだろう。それなら同じく、『トリス・シャクナ』も排斥されていなければつじつまが合わない。
だが、憎むべきかの『神』は、わたしとは真逆の思考の持ち主だった彼女は、異端ながらも他の神々との交流があるらしい。
彼女には変わったところがあって、己を信奉する存在として『魔族』ではなく、人間の集団を選んでいると言う。その意味では、わたしの方がまともだろう。
誰にも理解されなくとも構わない。わたしには、わたしを慕う『魔族』がいる。異端であろうとなんであろうと、己を信じてくれる『子供たち』がいることは、わたしの心を救ってくれる。
だからわたしは、彼らのためにも、もっともっとこの世界を『美しく』したいと願った。
だからわたしは、世界に変質の『呪い』をかけた。法則による上塗りなど、生温い。この世界を変えようと思うなら、もっと根本から行うべきなのだ。だが、いかにわたしと言えど、『個』でしかない存在である以上、世界そのものを大きく変えるには至らない。せいぜいが異常気象を起こしたり、生物を突然変異させたりと言った、比較的どうでもいい変化ばかりだ。
だが、それでいい。最初は小さな歪みでも、複雑に絡み合い、影響しあうこの世界では、やがて大きなうねりと化す。それが何年後かはわからないが、わたしはそれをゆっくり待つつもりだった。
「お前は狂っている! 『世界の土台』を歪めれば、完全であるべき【幻想法則】もまた、歪んでしまうのだぞ!」
「貴様は『神』ではない。上位存在たる我らの面汚しだ」
神々はわたしのしたことに気づくや否や、罵声と共に乗り込んできた。馬鹿馬鹿しい限りだ。進化や変革を望まず、完全という名の停滞に安寧を求める怠惰な連中に、何を言われたところで、わたしの心は痛まない。
しかし──そんな簡単な話では済まなかった。
「……危険分子なら、さっさと処分してしまおうよ。僕としては、不完全な要素なんて、たとえ同胞であろうと『排除』するのにためらいはない。ましてや『はぐれもの』の一匹や二匹、どうなったって構わないだろう? ……すべては、完全なる世界のために」
わたしより、よほど狂気に満ちた声。だが、他の皆はそれに気づかない。生まれながらの支配者である『彼』の声は、どんな時でもその場の空気を支配する。
「完全なる世界のために……」
わたしを諌めに来ただけのはずの神々の眼に、殺意の光が宿り始める……。
──次に気づいた時、わたしは己の半身、否、存在の大半を消失していることに気づいた。神々の間でさえ、禁忌とされる所業。【想像世界】の剥奪。そんな非常識な真似ができるのは、神々の中でも『彼』ぐらいのものだろう。
他の神々も力を貸したには違いないが、あの『完全』を求める彼こそが、主犯格には違いない。
わたしは、この世界に落ちた。いや、『落ちた』という表現は、『神』の傲慢さを示すものに過ぎない。【想像世界】は、『世界の上』にあるのではなく、『世界の外側』にあるだけなのだから。
『神』としての力を失い、ただの人となり果てたわたし。そして、この世界の外側から世界に『迷い込んで』しまったわたしは、言うなれば──そう、【異世界人】だ。
だが、わたしにはそれでもなお、愛すべき『子供たち』がいた。『神』としての力の大半を失ったわたしのことを、『現人神』と呼んで崇め、他の『神』すら否定して、盲目的なまでに信仰を捧げ続ける彼らのことを、わたしは心の底から愛おしいと思った。
だからわたしは、わたしの残る力を使い、彼らの内の三人に【刻印】を刻み込む。
わたしの眼となり、頭脳となり、心となる者たち。特別な力を得た彼らは、『魔族』の中でも徐々に頭角を現していく。
わたしにとって、彼らの『魔族』内での地位のことなど、どうでもよかった。……けれど、わたしは思う。今のわたしには、この程度の力しかない。手足を縛られ、己の居場所さえ封じられて、愛する子供たちにすら、わずかばかりの力しか与えてあげられない。
そのことが悔しいと思った。
だが、それからいくらもしないうちに、世界に大きな『変革の時』が訪れる。わたしが待ち望んでいた世界の変質。それが実際、わたしの撒いた種が芽吹いた結果なのか、単に神々の失敗が原因なのかはわからない。だが、とにもかくにも『それ』は世界に出現した。
『ジャシン』と呼ばれる変革者たち。
彼らの在り様は、わたしの心を動かした。存在するだけで世界を歪め、歪めた場所に己の存在をねじ込むように世界に居座り、中から世界を変えていく。
世界の内にありながら、世界の外ではなく、『世界と異なる』立場にあることによって、世界を客観的に見つめることを可能とし、【事象魔法】でさえ、使いこなす。
そう──まるで、『異世界の存在』であるかのように。
そうだ。あの在り方こそ、わたしが求めるものなのだ。わたしが再び舞台に立ち、世界を変えるそのためには、あの在り方を目指せばよい。そんな狂おしいまでのわたしの想いは、言葉にせずとも『子供たち』に伝わった。
その後の世界の光景こそが、見物だった。滑稽だった。可笑しかった。わたしは肉を得たこの身体を、最大限に震わせて大いに笑った。
怯えて震え、泣き叫んで否定し、許しを乞いながら拒絶する。狂乱の中で次々と自滅していく神々の姿。時折、愚かにも『ジャシン』と相打ち気味に己の存在を【魔鍵】に残して果てる『神』もいた。
いい気味だと思ったが、肝心の『彼』だけは違った。他の神々が、己の生み出したモノの不完全さに恐れおののく中、彼だけは冷静だった。
いわく、「不完全なものなら、排除すればいい」
それは正気を疑うような一言だ。だが彼は、まさにそれを実行に移す。
この世界そのものを『不完全なもの』として見限り、正真正銘の【異世界】を生み出して、そこに安住の地を求めたのだ。どこまでもわたしとは相容れない、不倶戴天の天敵ともいうべき存在だ。
とはいえ、彼がいなくなったのは幸いだった。わたしはわたしの『子供たち』とともに、堂々と表舞台に顔を出すことにしたのだ。
そして、今。わたしの可愛い子供たちは、わたしに大いなる捧げものを与えてくれた。
──さあ、開幕の時はもうすぐだ。
今度こそ、この世に変革をもたらしてみせよう。