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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第16章 開く世界と拓かれる未来
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第159話 ホープ/三人寄れば……

     -ホープ-


 その日の夜。なんとなく寝付けなかったわたしは、静かに寝息を立てるシリルお姉ちゃんを起こさないように気をつけながら、部屋の窓から外の景色を眺めることにしました。椅子に腰かけたまま、窓枠に肘をつき、何を考えるでもなく見つめる視界の中で、輝く月と煌めく星々、わずかに浮かぶ白い雲が幻想的な光景を作り上げています。


〈シャル……〉


 心の中で、フィリスがわたしに気遣わしげな声をかけてきました。


〈なに?〉


〈大丈夫?〉


 フィリスには、何もかもわかっているのでしょう。当然です。わたしたちは、二人で一人なのですから。だからわたしは、彼女にだけは、包み隠さず自分の想いをさらけ出します。


〈怖いよ、フィリス……〉


〈……うん〉


〈セフィリアは、わたしを待っている。でも、わたしが失敗したら、彼女は世界を滅ぼしてしまうかもしれない〉


〈うん〉


〈わたしは、あの子のことを友達だと思ってる〉


〈うん〉


〈でも、わたしに何ができるのかな? あんなにも孤独で、あんなにも絶望的なあの子に、わたしがしてあげられることなんて、あるのかな?〉


〈シャル……〉


 わたしには、何の力もない。少なくともフィリスの言うとおり、セフィリアが“天意無法フロウレス”というものなのだとしたら、わたしの力なんて無いに等しい。到底、敵うはずなんてない。

 

 世界の孤児──世界の歪みを押しつけるための犠牲者。システムとしての世界は、あの子を『存在しないもの』として扱ってしまう。けれど、世界にとっての致命的な欠陥ヴァイスを抱えた彼女は……彼女の意志は、確かにそこに『存在して』いる。


 その矛盾こそが、何よりも致命的。彼女が世界を滅ぼそうとするなら、誰にもそれは止められない。


〈……傍にいてあげること。一緒にお話をすること。同じものを見て、聞いて、笑って、泣いて、同じ世界に生きること。……いっぱいあるよ。あなたが、ううん、あなたにしかできないことが〉


〈……うん〉


〈あの子も、怖いんだと思う。誰かを傷つけてしまうことが怖い。大切な人を死なせてしまうことが怖い。一人ぼっちで『永遠』を、生きていかなければならないことが怖い〉


〈……うん〉


〈あの子にとって、頼れる人はシャルだけなんだよ? あなただって、あの時、言ったじゃない。同じじゃなくても、違っていても、それでも友達になるって決めたんだって。わたしはあのとき、シャルのことを凄いと思ったんだよ?〉


〈フィリス……〉


 あの時のわたしは、まるで子供のようにセフィリアの言葉に腹を立て、できるかどうかなんて考えもしないで、感情の赴くままに喋り続けただけでした。まさかフィリスが、そんな風に思ってくれているなんて……。


 フィリスはさらに、言葉を続けます。


〈あの子について、わたしが知っていることを全部話すね。もしかしたら、その中に、あの子を救える可能性だって見いだせるかもしれないから〉


「うん……」


 寝静まった部屋の中には、淡い月の光。わたしは乱れる心を落ち着けるように深呼吸すると、フィリスがこれから話そうとする事柄を、一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けました。

 フィリスはそんなわたしを気遣うようにゆっくりと、それでいて自分の考えを整理するように、淡々と語りかけてくれました。


〈そもそも【自然法則エレメンタル・ロウ】に発生した歪みを【無法】に隔離すると言っても、永遠に隔離しておくわけじゃないの。歪みは少しずつ、正されて、馴染まされて、やがて世界に帰っていく。一度生まれた【無法】はね、そうやって長い時間をかけて、最後には消えてなくなってしまうものなの〉


〈じゃ、じゃあ……〉


〈でも、それには長い……永い時間がかかる。それこそ数千年という時間が〉


〈そんな……〉


 数千年だなんて、わたしやセフィリアにとっては、『永遠』と同じようなものです。どうして彼女だけが、そんな永劫にも近い時を苦しみ続けなくてはならないのでしょうか。


〈でも、わたしたちには、世界そのものと密接に関連した力が、【精霊魔法】エレメンタルロウという力があるわ。彼女の【無法】を生み出した【天意】に最も関わりの深い力を持つわたしたちなら、彼女を救う手段だって見つけられるかもしれない〉


「そう……だよね。諦めてちゃ駄目なんだ」


 フィリスの示してくれた可能性。それは何の具体性もない、あやふやで曖昧な考えでしかありません。それでも、あやふやであろうと曖昧であろうと、絶望して歩みを止め、考えることを止めてしまうべきではないのです。


〈もちろん、方法だってわからないし、できる保証なんてない。でも、彼女の友達のあなたなら、きっとできる。わたしも協力するし、……きっとセフィリアの中にいる『ノラ』も、あなたに力を貸してくれるはずだよ〉


 諦めるのではなく、考え続けること。フィリスの声は、わたしにその大切さを教えてくれました。絶望するのではなく、そこから希望を見出すことこそが、わたしのすべきことなのです。


「うん! フィリス、頑張ろうね!」


 わたしは胸に湧きあがる決意と共に、勢いよく椅子を蹴って立ち上がりました。

 すると、わたしの肩にそっと誰かの手が乗せられます。


「シャル? こんな夜中にどうしたの? 大丈夫?」


 どうやら、シリルお姉ちゃんを起こしてしまったようです。こんなとき、いつもならわたしはシリルお姉ちゃんに謝罪の言葉を口にするところですが、このときばかりはそんなことも言っていられませんでした。


「シリルお姉ちゃん!」


 わたしは立ち上がった勢いのまま振り返り、そのまま呆気にとられるシリルお姉ちゃんに腕を回して抱きつきました。


「え? きゃ! ど、どうしたの?」


「わたし、わたし……あの子を、セフィリアを、助けてあげられるかもしれないの!」


 そのままわたしは、まくしたてるように言葉を続けます。興奮気味に話し続けるわたしに最初は唖然としていたシリルお姉ちゃんも、やがて優しい笑みを浮かべると、わたしの頭を撫でてくれました。


「ふふふ、よかったわね」


「うん!」


「でも、一人で背負っちゃ駄目よ? わたしたちは仲間なんだから。あなたとフィリスだけじゃなく、みんなで協力して彼女を助けてあげましょう」


「シリルお姉ちゃん……」


 わたしの目には、涙が浮かんできていました。もともと敵だったはずの彼女と、勝手に友達になってしまったのは、わたしでした。それなのにシリルお姉ちゃんも他の皆も、そんなわたしを咎めることもなく、それどころか友達ができたことを喜んでくれたのです。


 そして今も、そんな彼女を救おうとするわたしに向かって、こんなにも優しい言葉をかけてくれる。それが嬉しくて仕方がありませんでした。


「そうすることで世界が救われると言うのもあるかもしれないけれど……それよりわたしは、あなたのお友達があなたと一緒に笑って生きられる世界を創りたいの。狂った夢を創り変えるのがわたしの使命だと言うのなら、新しい世界では、できるだけ……みんなに笑っていてほしいもの」


 新しい世界を創る──そんな、わたし以上に大きい使命を持った人がわたしの目の前にいる。自分が失敗したら世界が滅びるかもしれないという恐怖を、今日、わたしは初めて知った。そして、それを知ったことで、わたしはあらためて、シリルお姉ちゃんのことをすごいと思ったのでした。


 しかし、わたしがそう言うと、シリルお姉ちゃんは照れ臭そうに首を振りました。


「全然、すごくなんてないわよ。これまでだって、わたし自身、何度諦めたかわからないもの。アリシアやルシアがいなかったら、今のわたしはないわ。……ふふふ。そう言えば、久しぶりにあの【聖地】を訪れて、彼を【召喚】したときのことを思い出しちゃったな」


「押し倒されちゃったんだっけ?」


「え? ちょ、ちょっと、シャル!?」


「あははは!」


 思わずこみ上げてくる笑いが抑えきれません。シリルお姉ちゃんは怒ったようにわたしを睨みつけると、抱きかかえたままのわたしの身体を寝台に向かって押し倒してきました。


「きゃあ!」


「まったく……どうも最近のあなたは、周囲の大人の悪い影響を受けちゃってるみたいねえ?」


「……シリルお姉ちゃん。目が怖い」


 窓から差し込む星々の薄明かりの中、シリルお姉ちゃんの銀の瞳には、剣呑な光が宿っているように見えました。


「ここはひとつ、教育が必要かしら?」


「え?」


 ほとんどしなだれかかるようにわたしの身体に覆いかぶさりながら、シリルお姉ちゃんは意地悪そうな笑みを浮かべました。なんだか久しぶりに見る、真っ黒な笑みです。


「あの、ちょ、何を?」


「うふふふ。そんな悪い子にはお仕置きよ!」


「え? きゃあああああ!」


 わたしは全身を襲う感覚に、たまらず悲鳴を上げてしまいました。


「あは! あははははは! ひ、ひい! ま、待って、だ、だめ! あははは!」


 シリルお姉ちゃんは、わたしの身体をがっしりと拘束したまま、脇腹をものすごい勢いでくすぐり始めたのです。


「じゃあ、さっきみたいなことを言わないって、誓えるかしら?」


「あははは! ち、誓う、誓い、ます! 誓うから! あはは!」


 笑いすぎて息が苦しくなってきました。お腹も痛くなってきたし、目には先ほどまでとは違う涙が溢れてきています。わたしが誓いの言葉を口にしたことで、ようやくシリルお姉ちゃんも許してくれたようでした。


「……ふう。人には触れられたくないことの一つや二つ、あるんだからね? 気をつけること。いい?」


「は、はい……。はあ、はあ、はあ……」


 わたしは、荒く息をつきながら返事をします。


 ──するとその時。いきなり部屋の照明が点灯し、わたしは眩しさに目を閉じる羽目になりました。と、同時に、部屋の入口の方から聞こえてくる声がひとつ。


「……ま、まさかお二人がそんな関係にあるなんて!」


「え?」


「ちょ、何言って?」


 わたしとシリルお姉ちゃんは、揃って部屋の入口に立つ人物──レイミさんに目を向けました。


「ああ、もっと早く言ってくだされば……! 抑えきれない劣情を幼い少女にはき出そうとする、もう一人の美少女の姿! これは是非、写真に収めなければ!」


 いつの間にか彼女の手には、黒い箱のようなものが握られています。そもそも彼女は、一体何を言っているのでしょう?


「ちょ、ちょっと、レイミ? 何を訳の分からないことを」


「うふふ。そんな、ベッドの上にシャルちゃんを押し倒したままの姿勢で誤魔化そうだなんて、往生際が悪いですよ? それに、シャルちゃんだって、顔を赤くして息まで荒げて……服だってほら、はだけちゃってるじゃないですか」


 何かに打ち震えるような恍惚とした表情で、わたしたちに黒い箱を掲げて見せるレイミさん。


「あ、あれ? ま、まさか……」


 シリルお姉ちゃんが何かに気づいたように、わたしから身体を離しました。


「うふふふ! この写真。ルシアさんに見せたらなんて言うでしょう? 彼のことですからきっと、どんな交換条件を受け容れてでも、欲しがるに決まっています!」


「だ、だめ! それは絶対に駄目!」


 顔を真っ赤にしたシリルお姉ちゃんは、慌ててレイミさんに掴みかかりましたが、あっさりとその手首を掴まれてしまいました。


「うふふ。それじゃあ代わりに、わたしもお二人に交ぜてくれますか?」


「交ぜるって何よ! べつにそんなんじゃ!」


「じゃあ、この写真、別に問題ありませんよね?」


「ううー! そういう問題じゃ!」


 ……あんなに騒いでいれば、そのうちみんなが起きてしまうのではないでしょうか? そうなればシリルお姉ちゃんのパニックは必至です。


「……『リュダイン』。あのメイドさんの足、ちょっと噛みついてきてくれる?」


 わたしは足元に寄り添ってきた金の子猫に、小声でそっと呼びかけました。


〈グルグル!〉


 任せろとばかりに胸を張り、彼女に向かって歩いていく『リュダイン』。本当に頼りになる相棒です。


「きにゃああああ! ああ、でも、この痺れ! 癖になるかもですうう!」


 こればかりは、どうやっても救いようのないメイドさんの声に、わたしは呆れて頭を抱えてしまうのでした。



     -三人寄れば……-


 自身が生まれ落ちた【聖地】を戦場として、宿敵との激闘を終えたルシア。しかし彼は、休む暇もなく『アリア・ノルン』の船上において、次なる戦いに身を投じていた。


「な、なんだよ……今のは」


 ルシアは身体を震わせ、驚愕の呻き声をあげている。ここは『アリア・ノルン』の中でも、他の皆にその存在を知られていない部屋だ。隠し部屋と言うわけでもないが、倉庫としての役割しか持たない場所らしく、用が無ければ立ち入るような区画でもない。


「僕としても……こんなことは言いたくはないんだ。でも、言わなければならない」


「いやいや! ちょっと待ってくれ! 一瞬じゃ、よく分からなかった! もう一度だ! もう一度頼む!」


 至極残念だという顔で首を振るノエルに対し、食い下がるように迫るルシア。


 ……わらわは、そんな彼のことを、酷く残念なものを見るような目で見つめていた。


「うふふふ……。ということはつまり、わたしの条件を飲むということですね?」


 倉庫のような狭い部屋には、わらわを除き、三名の人物が顔を揃えている。その最後の一人であるレイミは、左手には黒い箱を持ち、右手には黒い縄を掲げながら、ぞっとするような笑みを浮かべていた。


「い、いや、それはいくらなんでも……」


「では、もうこれは、いりませんね?」


「ま、待ってくれ! あと一分でいい! 俺に! 俺に考える時間を!」


 必死の形相で絞り出すような言葉を吐くルシア。いくらなんでも必死過ぎるのではないだろうか? わらわは呆れて物も言えない。


「それより、ルシア。君はいい加減に事実から目を背けるのをやめなさい」


 そこに厳しい言葉を突きつけるのはノエルだ。


「うう……! だ、だが!」


 うろたえたようなルシアに向けて、ノエルは勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


「わかっただろう? シリルも本当は、君のような『むさい男』なんかじゃなく、可愛い女の子が好きなんだって事実が」


「いやいやいや! さっきの画像だけで決めつけるのは早すぎるだろう!」


「でも、君も見たはずだよ? シャルとシリルが今朝方、仲睦まじそうに過ごしている様子を」


「で、でも、そんなのいつものことだろうが……」


「いいや、違うね。あの二人に昨夜、何かがあったことは間違いない。いつもとは違う親密さを、二人に感じなかったと言えば嘘になるんじゃないのかい?」


「うう! ま、まさか本当に?」


 よろよろと後退し、壁に背を預けるルシア。片手で顔を覆い、世の絶望を全身で体現しているかのように打ち震えている。


〈何を大げさな……〉


 そんなわらわのつぶやきは、この場にいる変態どもには聞こえなかったようだ。


「まあ、君もシリルを護るため、よくやってくれた方だと思うよ。うん。これからも良き『友人』として、彼女を支えてあげて欲しいな。ふふふ。あとは同じ『女の子』であるこの僕が、彼女を幸せにしてあげるからさ」


「ゆ、友人……」


 ルシアは、しょんぼりと肩を落とす。そこへ追い打ちをかけるように、もう一人の変態が迫る。


「そろそろ一分経ちますよ? どうします? 恋破れたとは言っても、可愛らしい二人の姿をお宝画像で眺める楽しみが失われるわけではないのです。わたしなんて昨日からずっと、シリルさんの目を逃れつつ、何度この絵に鼻血を流したことか……」


 うっとりと頬を染め、箱の中を覗き込むレイミ。


「ぐ……た、確かに。事の真相を確かめるためにも、是非、それは必要なことではある」


 絶対、それが理由ではないだろう。だが、わらわのそんな胸中での突込みなど、奴に聞こえるはずもない。ルシアは、声を震わせて言葉を続ける。


「で、でも、その条件が厳しすぎる!」


 ルシアの目は、彼女が握る黒い縄へと向けられている。


「ええー? 大丈夫ですよお。痛くなんてしませんから! うふふ。新しい世界。そこは今よりもずっと、素敵な場所ですよお?」


「……うああ」


 ルシアの顔には、わずかに迷いの色が見えている。


 馬鹿馬鹿しい。わらわは呆れて息をつく。本来なら、わらわはルシアと話さなければならないこともあるのだ。昨日は彼も疲れているだろうからと気を遣ったというのに、まさか今日になってこの様とは、いかんともしがたい。


 とにかく、この茶番を終わらせる必要があるだろう。そして、その終わりは、もう間もなくだ。わらわは少し前からこっそりと、ルシアの持つ『絆の指輪』の通信機能に働きかけていた。


 通信相手はもちろん──


「《黒の虫ブラック・バグ》!……エンドレス・バージョン」


「うえ? のわあああ!」


「うきゃあああ!」


「ひいいいい!」


 三者三様の悲鳴。部屋の中に沸き起こった黒い羽虫の群れは、たちまち三人を飲み込み、覆いつくし、彼らの悲鳴が途絶えた後も、終わることなく群がり続けている。


「はあ! はあ! はあ! ……なにを勝手に! 人を使って変な妄想を進めてくれてるのよ! この変態!」


 ここまで全力で駆け抜けてきたのだろう。肩で荒く息をつき、顔を真っ赤に染めたシリルが戸口の所に立っていた。


「……ファラ。ありがとね」


〈いや、礼には及ばん。この変態どもには、いつか天誅が必要だったと思う〉


「ええ、まったくよ。信じられないわ。ああ、もう!」


 言いながら彼女は、足元に転がる黒い箱を拾い上げ、その中身を確認する。聞いた話では、昨晩も同じようにレイミから撮影装置を取り上げ、破壊したらしいのだが、その際にはいつの間にか別のものとすり替えられていたらしい。


「うう……!」


 ゆえに中身を確認したのだろうが、悪意に満ちた構図で撮影されたそれは、本人としても恥ずかしいものだったようだ。顔を赤くして、うめいている。

 それから、どんな手段をもってしてか、手にしたそれをバラバラに砕いたシリルは、今もなお、黒い羽虫に覆われたままの三つの塊に目を向ける。


「さて、ここからどうしてくれようかしら……」


 どうやら、ここからが本番らしい。先ほど三人があげた悲鳴は、ともすれば断末魔に聞こえなくもなかったのだが……。そこまで考えて、わらわはシリルに声をかける。


〈悪いがシリル。わらわはルシアに大事な用がある。できれば彼だけは、後にしてもらえないか?〉


「え? ……そうね。ここを突き止められたのはあなたのおかげなのだし、いいわよ」


 言葉と同時、黒い羽虫の群れが消える。中から現れた三人組は、ボロボロの姿と化したまま、ぴくぴくと痙攣していた。彼女は「火力が必要だから、広い場所がいいわね」などと言いながら、ノエルとレイミの襟首を掴む。


「うう、ルシア! 君だけ助かるなんてずるいぞ!」


 目を覚ましたノエルが叫べば、


「シ、シリルさん……さすがにこれ以上激しいプレイは、厳しすぎますう……」


 レイミが珍しく、怯えた声で許しを乞うている。


「うるさい」


 たった一言。それだけで二人の変態を黙らせると、シリルはルシアに目を向けた。


「……いい? わかってると思うけど、あの写真は何でもないんだからね? 誤解よ誤解。わかった?」


「も、もちろん、わかってるさ。俺は信じてたぜ」


 おどおどと目を泳がせ、説得力のない言葉を吐くルシア。


「……後であなたも死刑だけどね」


「うええ!?」


 頬を軽く赤らめたまま、シリルは二人を引き摺って部屋を後にする。


「…………」


〈…………〉


 場を沈黙が支配する。わらわは半眼でルシアを見つめ、ルシアはわらわの視線から逃げるように顔を背ける。


〈わらわは、情けない〉


 その言葉に、びくりと身を震わせるルシア。


〈……千年だ〉


「は、はい……」


 縮こまるように首をすくめるルシア。


〈わらわは、己の『扉』を開いてくれるものを千年待った。そして、気の遠くなるような時を経て、ようやく『それ』に巡り合えた……はずだった〉


「…………」


〈それが『これ』なのか? なんだ、これは! 千年待った末の結果が、この仕打ちなのか? こんな変態がわらわの相棒だなどと……悪い夢にしか思えんわ!〉


「い、いや、その……うう、面目ない」


 ルシアは反省したように頭を下げる。その姿勢は、当然のように正座だった。


〈だいたい、お主は……いや、そんな話をしようと思ったのではなかったな〉


 まだまだ言いたいことはたくさんあったが、ここではやめておくことにする。


「……で、話ってなんだ?」


〈いや、まあ……場所を変えよう。そんな恰好で話されても締まらないからな〉


 そう言って、わらわは正座したままのルシアを立ち上がらせると、部屋を出た。


 ──自室に戻ると、わらわたちは早速テーブルを挟んで向かい合わせに座る。


〈フェイルとの戦い……あの最後に見えたもののことだ〉


「ん? ああ、俺の世界のことか?」


〈うむ。そうだ。だが、それだけではない。お主が『ナオ』と呼んだ、あの女性のこともだ〉


 わらわがそう言うと、ルシアは妙な顔になった。


「え? まさかお前も気にしてるのか?」


〈違うわ、たわけ。そうではない。……あれはな。見た目や気配からして間違いなく、わらわの妹『アレクシオラ・カルラ』だ〉


「な!?」


 顎が外れんばかりに口をあけ、驚きの声を上げるルシア。その目はこれ以上なく見開かれ、彼の驚きが尋常ではないことを表している。


〈……お主は、彼女と知り合いだったのか?〉


 わらわが問うと、ルシアは唇をかみしめるようにしてうつむいた。


〈無理には訊かないが、できれば教えてほしい。あやつが向こうで、いったい何をしているのか。あの時、わらわが感じたものの正体も、それでわかるかもしれない〉


「感じたもの?」


 ルシアの言葉にわらわは頷く。フェイルが手にした『斬り開く刹那の聖剣カルラ・アーシェス・ソリアス』。妹の力の断片。わらわはそれと正面からぶつかり合うことで、確かに彼女の声を聞いた。だがそれは、残されたメッセージのようなものであり、彼女と対話ができたわけではない上、意味もよく分からないものだった。


「……そうか。わかった。俺にもあれが何なのか、知りたい気持ちはあるからな」


 そう言って、ルシアはかつての己の世界の経験を、つまびらかに語ってくれた。


 世界を爪弾く彼女の想い。衝動のままに駆け抜ける、どこまでも我が儘な彼女は、わらわの憧れ。だが、ルシアの語った【ヒャクド】の存在は、そんな彼女とまったく重ならない。


……ごく、一部を除いては。


〈足掻くことは、生きること〉


「え?」


〈お主の言葉だ。だが、同時にアーシェの言葉でもある。だから、わらわはこう思う。……世界を氷に閉ざし、すべてを秩序で支配しようとしたモノは、彼女ではない。もし彼女だとするならば、あんな『意志』をこの世界に残すことなどなかっただろう〉


「ファラ?」


『ここはわたしの故郷ふるさとで、わたしの想いの残る場所。わたしが愛し、わたしが憧れ、わたしが護ったヒトがいる場所。いつか来る、その日のために、世界にわたしのカケラを残す。足掻く者よ。わたしの想いを感じなさい。衝動の赴くままに、足掻くことをやめないならば、わたしの力を貸してあげる』


 彼女が、あの『聖剣』に残した言葉。


 あの時、わらわの胸に刻まれたもの。

『わたしが護ったヒト』。彼女は確かにそう言った。


 いつか来るその日には、その本当の意味も分かるのかもしれない。

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