第155話 オーバードライブ/デザイア
-オーバードライブ-
花々が咲き誇り、蒼く晴れ渡る空の下に鏡のような湖が広がる幻想的な景色の中、ルシアとフェイルは剣を交えながら、徐々に場所を移動しているようでした。
恐らく、フェイルが周囲に展開する【爪痕】の位置を巧みに操作し、わたしたちから引き離すようにしているのでしょう。
とはいえ、不意打ちを常套手段にするような卑劣な敵を相手に、ルシア一人で戦わせるわけにはいきません。
しかし──
「ううー! 【魔法】を消すとか反則でしょ!?」
「く……ルシア……」
シリルお姉ちゃんとレイフィアさんは、ルシアを援護するべく次々と【魔法】を放ちましたが、『彼女』の“喪失”の力がそれを阻んでいるようでした。
わたしもできれば【精霊魔法】での援護を行いたいところですが、ここが【聖地】であるということが、却ってわたしの選択肢を狭めてしまいました。
自然現象の増幅を主とするわたしの【魔法】は、威力の上昇がそのまま攻撃範囲の拡張に繋がり、周囲の皆を巻き込んでしまう恐れがあるのです。
「それなら……これでどう!?」
わたしは『差し招く未来の霊剣』を抜き放ち、七色にきらめく刀身をルシアたちに向かって掲げます。そして、剣先に圧縮した空気を収束し、フェイルめがけて解放しました。《解放の角笛》から着想を得て編み出した、『砲撃魔法』とでもいうべきものです。
ですが、そんな砲撃も、彼らの周囲に展開された赤い傷跡に接触した途端、吸い込まれるように消えてしまいました。
「ルシア!」
そして、わたしが遠ざかっていくルシアの姿に焦燥を感じ始めた頃──。
「アリシア・マーズ!」
「ヴァリス・ゴールドフレイヴ!」
アリシアさんとヴァリスさんがお互いの『真名』を呼び合う声。《転空飛翔》の誓いの言葉。その力強く頼もしい声を聞いて、思い出されたのは『精霊の森』で見たヴァリスさんの圧倒的な強さでした。……そうです。あの力なら、状況を打開できるに違いありません。
己の肉体を分解し、粒子となって世界を渡るヴァリスさん──ところが、その時でした。
「ぐぬ!? ぐあああああああ!」
絶叫の声。再び再構築された彼の身体は、ぼろぼろに傷つき、全身から血が噴き出していました。
「きゃああ! ヴァリス!」
アリシアお姉ちゃんの悲鳴が響き渡ります。いったい、何が起こったというのでしょうか?
「ふふふ! 人とのつながりとか、絆とか……セフィリアには無いものだもの。だから、ワタシがみーんな! 喪失してあげる!」
「……まさか、肉体の再構築の失敗?」
シリルお姉ちゃんが教えてくれたところでは、『竜族』は、《転空飛翔》によって自己の肉体を粒子に分解して世界を渡る際には、その肉体を再構築するにあたり、『つがい』との絆を拠り所にするのだそうです。
それが失敗したとなれば、ヴァリスさんの肉体はかなり深刻なダメージ受けているはずでした。
「エイミア! すぐにヴァリスを治療して! 命に関わるわ!」
「あ、ああ! わかった!」
素早くヴァリスさんのもとへと駆け寄っていくエイミア様。すると、その隣から『彼女』に迫る影が一つ。
「答えろ! 君は『ローグ村』と何の関わりがある! どうして僕のことを知っていた!」
叫ぶエリオットさんの放った『轟音衝撃波』は、あっさりとかき消されてしまいました。
「やっぱり駄目か! くそ、悪い夢でも見ているみたいだな」
エリオットさんは悔しげに言いながらも、再び槍を腰だめに構えています。
「『ファルーク』! 援護をお願い! ……シャル! あなたも『リュダイン』を! とにかく数で攻めるわよ!」
「う、うん! ……『リュダイン』」
上空から舞い降りてきた『ファルーク』とわたしの足元で巨大化した『リュダイン』。白銀の飛竜と黄金の獅子は、『彼女』へと魔力のこもった風や雷撃を叩きつけます。
「でも、力押しの攻撃ばかりじゃ消されるだけだよ!」
アリシアお姉ちゃんの言葉どおり、『幻獣』たちの攻撃は、そのことごとくが『彼女』に届く前に消失していました。
「わかってる! でもあれが【事象魔法】の一種なら、こちらの攻撃を認識せずに干渉することはできないはずよ。無数の攻撃を連続的に叩き込めば、認識そのものが間に合わない状態に追い込めるかもしれないわ!」
こんな時でも冷静にそんな判断をしていたなんて、さすがはシリルお姉ちゃんです。わたしたちは息を合わせて、ひたすら『彼女』に攻撃を続けました。でも、そんな激しい波状攻撃ですら意にも介さず、『彼女』はわたしに笑いかけます。
「じゃあ、そろそろお願いしようかな? シャル、セフィリアの残した『第二の邪悪』……ちゃあんと、受け取ってね?」
声がした次の瞬間、周囲の風が急速に『彼女』の頭上に収束していくのを感じました。本来なら無色透明のはずの『風』が濁り淀んで、凝り固まって、真っ黒な物体を形作っていきます。
「うひゃあ! なにあれ? ドラゴン?」
「……『竜族』の姿を模した化け物なの?」
レイフィアさんとシリルお姉ちゃんは、全く別の言い回しを口にしましたが、指しているものは同じです。──それはまさに、『漆黒の竜』そのものでした。大きさとしては、ここに来る前に見た、青竜ラーズさんに匹敵するでしょう。
しかし、不吉で禍々しいその姿は、圧倒的というより、悪魔的な印象がありました。本物の『竜族』であれば、対峙する者を委縮させるだけの威圧感を備えているものですが、この『黒竜』からは、人の心を不安や恐怖で蝕むような不気味な迫力を感じます。
「くそ! ヴァリスの治療も済まないうちから次々と!」
シリルお姉ちゃんの言うとおり、ヴァリスさんは見た目以上に重症のようで、エイミア様が必死に上級の【生命魔法】をかけています。わたしも重ねがけをしたいくらいですが、目の前の敵がそれを許してくれるかどうか……。
「アリシア! 結界で二人を護って。あれはわたしが倒すわ。だからシャル、あなたは『セフィリア』を! ……ルシアなら、一人でも大丈夫よ。あんな男に彼が負けるはずはないわ。だから、わたしたちは目の前の敵を倒すことに集中しましょう」
「う、うん!」
「シャル……僕にも、そっちを手伝わせてくれ」
「エリオットさん?」
「ずっと気になっていたんだ。彼女と『ローグ村』にどんな関係があるのか」
「……わかりました。お願いします」
はじめて会った時、セフィリアは……ううん、『彼女』はエリオットさんに向かってこう言いました。『あなたは、セフィリアのおかげで生きている』と。それが今でも、彼の心にトゲとなって刺さっているのかもしれません。
そんなことを考えていられたのも束の間のこと。突然、空気をびりびりと震わす咆哮が、辺りに響き渡りました。
「うああ!」
「きゃああ!」
魂までも揺さぶるような強い衝撃。まるでヴァリスさんの“竜の咆哮”のようでした。翼を羽ばたかせ、赤い瞳でこちらを見下ろしてくる『第二の邪悪』。それはまさに『竜族』そのものです。
「なにあのドラゴン……。まさか本物?」
「……ううん。本物じゃないよ。あれは……見る者の心を“侵食”する【ヴァイス】。あたしたちが今、最も強いと考えているものの姿をかたどっているだけ……」
レイフィアさんの疑問に、アリシアさんがつぶやくように答えています。
「ふうん。じゃあ、いっちょ『ドラゴンの丸焼き』でもつくっちゃおうか? ねえ、シリル!」
竜杖の先に真っ赤な【魔法陣】を構築しはじめるレイフィアさん。
「そうね。味付けはわたしがするから、丸焼きにするのはあなたに任せるわ」
「言うわね。アンタ……」
レイフィアさんの減らず口に、負けじと応戦するシリルお姉ちゃん。二人はそんな言葉の応酬を続けながらも【魔法陣】の構築を完了し、立て続けに『黒竜』めがけて攻撃魔法を叩き込みました。
爆音と爆風が押し寄せてくる中、わたしは手にした剣を振りかざし、『彼女』に向かって渦巻く炎を放ちます。強力な上級魔法ですら無効化する“関係喪失”に対し、こんなものが有効とは思えませんが、牽制ぐらいにはなるはずです。
「消えた!?」
エリオットさんの驚きの声。しかし、わたしの放った【精霊魔法】が消えたという意味の言葉ではありません。
消えたのは、『彼女』でした。
「エリオットさん! 危ない!」
姿を消した『彼女』は、いつの間にかエリオットさんの背後に立っていました。紅い髪は蛇のように揺らめき、エリオットさんを押し包もうとしています。
「くそ!」
とっさに手にした魔槍で周囲を薙ぎながら、距離をとろうとするエリオットさん。ですがそれより一瞬早く、『彼女』の紅髪は彼の全身を包み込んでしまいました。
「エリオットさん!」
自分の顔から血の気が引くのがわかりました。あんなものに飲み込まれれば、いくらエリオットさんでも命がありません。
ですが、その直後のこと。──赤い奔流を斬り裂くように槍を振るい、エリオットさんはあっさりと紅い海からの脱出を果たしたのです。
「……え?」
わたしは、その光景に違和感を覚えました。あらゆるものとの関係性を喪失させる『彼女』の力は、防御不能の危険極まりない代物です。にも関わらず、まともにそれを受けたはずのエリオットさんには、特にダメージを負った様子も見受けられません。
「……う、ぐ」
いえ、ダメージを負っていないわけではなさそうです。外傷こそ見られませんが、エリオットさんは酷く苦しそうに胸を押さえ、槍を取り落としてうずくまってしまいました。
「エリオットさん! 今、回復魔法を!」
「来るな! あ、がああ!」
わたしの言葉に鋭い叫びを返してきたエリオットさん。その身体がみるみるうちに変貌を遂げていきました。全身に鱗が現れ、指には爪が、口には牙が、頭には角まで生えてきたのです。
「……あれってまさか【因子加速】? あなた、エリオットさんに何をしたの!?」
「うふふふ。だってエリオットが悪いんだよ? あの子は『セフィリア』が命をかけて護った村の生き残りなのに、『セフィリア』の身体を傷つけようとしたんだもの。そんなの、許せないでしょう?」
「いいから答えて! これはいったい、なんなの!?」
わたしの叫びに、『彼女』は不気味な笑みを浮かべました。
「うふふふ。ワタシはただ、あの子が生まれた時から忌み嫌っていたモノを喪失してあげただけだよ?」
「生まれた時から忌み嫌っていたモノだと? ……まさか!」
そうつぶやいたのは、ヴァリスさんの治療を続けるエイミア様でした。
「エイミアさん、わかるんですか?」
「……彼が『ルギュオ・ヴァレスト』で生き残った原因であり、彼が自らを呪い続けた元凶でもあるもの。……生まれ持ったモンスターの因子」
「じゃ、じゃあ、まさかあれって……」
かつてエリオットさんが生まれ育った村で行われた、『魔族』の実験。それは村人たちにモンスターの因子を植えつけ、それを暴走させるというものでした。
彼が生き残った原因が元から所持していた【因子】であり、それが喪失したことで引き起こされた現象がアレなのだとすれば、アレは【因子加速】などではなくて……
「【因子暴走】」
-デザイア-
エリオットさんの異変とは別に、戦況は刻一刻と悪くなっていく。宙を旋回する『黒竜』が不気味な咆哮を上げ、一羽ばたきするたびごとに猛烈な風が吹き下ろしてきた。
ワタシたちは風の【精霊魔法】で辛うじてそれを防げても、シリルお姉ちゃんとレイフィアさんは、そうもいかない。『幻獣』たちが盾になってもなお、防ぎ切れない強風にあおられ、したたかに身体を地面に打ちつけている。
「く! 【魔法陣】を構築している時間もないじゃない! ……レイフィア! なんとか時間を稼ぎなさいよ!」
「いたたた! 無茶言わないでよね! 陣を張ってる暇もないし……そもそも、こんだけ強い風が吹いてちゃ、下手な炎魔法は使えないんだってば!」
「だったら、上手な炎魔法を使いなさい!」
「……アンタ最近、あたしへの風当たりが強くない!?」
言葉の応酬を続けながらも、シリルお姉ちゃんとレイフィアさんは攻撃魔法を放ち続ける。でも、初級・中級魔法程度では『黒竜』がうるさそうに翼を振るだけでかき消され、どうにか上級魔法を発動できた時に限って、セフィリアの手の一振りで搔き消される。
「くうう! 邪魔してくれちゃって!」
渾身の上級魔法をかき消され、歯噛みするようにセフィリアをにらむレイフィアさん。
一方、『黒竜』は大きく顎を開き、黒い炎の塊をその口中へと集束させていく。
「やば! 防御魔法!」
それに気づいたレイフィアさんは、竜杖の先に赤い【魔法陣】を展開し、
「く! 『ローラジルバ』!」
シリルお姉ちゃんも氷の『精霊』を召喚する。
直後、『黒竜』の口から強烈な威圧感と共に耳をつんざく咆哮が発せられ、黒い炎がまき散らされる。
まさに間一髪。吐き出された黒い火炎は紅い障壁によって受け流され、氷の女王の息吹によって鎮火していく。
「咆哮だけでも精神力をかなり削られるわね。『ローラジルバ』の召喚維持も厳しい……。とにかく長期戦は不利だわ。……レイフィア! あいつはわたしの【魔法】で片を付けるわ! 時間稼ぎ、頼んだわよ!」
「へいへい、りょーかい!」
シリルお姉ちゃんは、一瞬だけワタシたちに視線を向けてきた。でも、そのまま何も言わずに複雑な【魔法陣】の構築に取りかかる。
「とにかく『彼女』を止めなくちゃ……シリルお姉ちゃんの【魔法】が完成しても消されちゃう」
シャルの焦りは、魂を共有するワタシにも伝わってくる。『リュダイン』に護られながらも一心不乱に【魔法陣】を構築するシリルお姉ちゃんは、ワタシたちがセフィリアを抑えることを信じてくれているのだ。
信頼には、応えなければ。
〈シャル。ワタシに替わって〉
「え?」
〈さっきの攻防を見て気づかなかった? 【精霊魔法】だけは、『彼女』も消さずに避けていた。多分だけど……『今の』あの子には、世界に限りなく近い【精霊魔法】と世界そのものとの関係を喪失すことができないんだと思う〉
真紅の髪に真紅のドレスを身にまとう、ジャシンの少女。彼女にはもともと、事物そのものを失くすほど規格外の力はない。それを可能としてきたのは、“天意無法”──金色の髪の少女だ。
でも彼女は今、ワタシたちに会うことを拒絶し、眠りについている。だから今なら、『彼女』を止めることができるかもしれない。
〈世界により近い存在であるワタシなら、きっとあの子と戦える〉
「……じゃあ、お願い。フィリス」
そしてワタシは、対峙する。かつてワタシが救えなかった、孤児たちの一人に。
「あなたの名前、教えてくれる?」
ワタシは、ゆっくりと、明瞭な発音を意識しながら言葉を発する。彼女に想いが届くように。くすくすと笑いながらエリオットさんの変貌を見つめ続けていた『彼女』は、驚いたようにワタシを見た。
「名前? ワタシの?」
「ええ、そうよ。セフィリアじゃなくて、『あなたの名前』を教えてよ」
「…………」
何が気に障ったのか、わからない。けれど彼女は、ワタシに向かって今までにない憎悪の視線を向けてくる。
「ワタシに名前なんて必要ない。ワタシには、ただ、セフィリアさえあればいい」
ざわざわとうごめく紅い髪。彼女の周囲に大量の土砂が浮かび上がる。多分、前にルシアが教えてくれた『重力』と呼ばれる力の関係性を喪失させて、宙に浮かせているのだろう。でも、宙に浮いただけの土砂なんて、近づかなければ何の脅威にもならない。
と思っていたのが甘かった。ふと、周囲が暗くなったのを感じて上を見上げたワタシの目に映ったものは……
「え? きゃあああ!」
頭上から降り注ぐ大量の土砂。ワタシは思わず悲鳴を上げながら防御魔法を展開する。凄まじい轟音を立てながら、埋め尽くされていくワタシの周囲。やがて、完全に視界が閉ざされたところで、『彼女』の声が響く。
「あははは! すごいでしょ? これ、フェイルに教えてもらったやり方なんだ。えーっとね、『距離を喪失せば、瞬間移動だってできるだろう』だっけ? あははは!」
狂ったような笑い声。
ワタシはすぐさま地属性魔法を発動して、周囲の土砂を取り払う。
「……面倒なやり方。今のあなたには、こんな方法でしか攻撃もできないの?」
あえて挑発的な言葉を口にする。『彼女』はその言葉に、再び表情を険しくした。
「何言ってるの? 大きなものを喪失すと反動が大きいから、やっちゃ駄目って言われてるだけだもの。でも、どうしてもって言うのなら、いいんだよ? あなたの仲間、みーんな! 喪失してあげよっか? うふふ……その方がセフィリアも喜ぶかも!」
思ったとおりだ。彼女はセフィリアと完全に分離した状態となったせいか、かつてのような『無邪気』さを失っている。……ううん、そうじゃない。セフィリアによって失われていた『邪気』が戻りつつあるというべきだ。
「反動ね。でも、それって本当かな?」
ワタシには、彼女の本質が見えている。
他ならぬ、世界そのものに等しいワタシには。
『神』の生み出した【幻想法則】が、その不完全さゆえに『ジャシン』という歪みを生み出したように、【自然法則】もまた、完全ではあり得ない。
けれど、【自然法則】は誰かが生み出した法則ではない。世界創造の時から存在する『天意』とでも言うべきもの。創り直すことのできないそれ自身に過ちがあれば、世界そのものの存在が危うくなる。
だから、『天意』は『無法』を生み出した。『無法』とは、法の無い場所。もともとは世界の一部を切り離し、歪みや過ちを法則外に置き続けることで、秩序を維持するためのもの。けれど、悲劇の始まりは数百年前──何故か山間にある小さな村に住む少女の魂に、その場所が設定されてしまったことだった。
だから世界は、少女に関わりを持たない。
それは、文字通りの不可触領域。
『彼女』は、そんなセフィリアの魂に──“天意無法”なその場所に、自分の魂を同居させている。それはつまり、『彼女』自身が『世界との関係性』を喪失しつつあるということだ。今のように二人が分離することがなければ、『彼女』はいずれ、セフィリアに同化して消えてしまっていたはずだ。
「……フェイルは、あなたに消えて欲しくないのかな」
「え?」
地中から見つけたのだろう巨大な岩塊を宙に浮かべていた『彼女』は、ワタシの言葉に動きを止める。
「あなたがセフィリアの力を使えば使うほど、あなたとセフィリアの同化は進む。『反動』なんて言葉で力の行使を制限して、セフィリアに頼らない戦い方まで教えるなんてね。……彼にも、あなたを想う気持ちがあるのかな?」
フェイルの言う『大きなもの』とは、セフィリアの力を使わなければ『喪失』させることのできないものだ。
「……べ、別に、そんなこと、どうでもいいもの」
ちらりとフェイルの姿を目で追い、すぐにワタシに視線を戻す。明らかに動揺した様子を見せながら、それでも『彼女』は、宙に浮かべた岩塊を一瞬でワタシの頭上に出現させる。
〈崩れゆく岩塊〉
〈巻き上げる砂塵の旋風〉
〈降り注ぐ火山弾〉
ワタシが発動させた【精霊魔法】は、落ちてくる岩を砂に変え、風に巻き上げ、無数の小石に押し固め、炎を纏わせて『彼女』に向かって降り注がせる。
すると案の定、『彼女』はそれを消すことはせず、自分の姿をかき消した。でも、原理がわかっている以上、驚くことはない。どこか他の場所との距離を喪失すことによる瞬間移動。
ワタシは空気の動きを肌で感じる。この【風の聖地】では、すべての風はワタシの想いのままに動く。微かな動きでも見逃すはずはなかった。
〈収束する水滴〉
空気が乱れたその場所に、一瞬で水を凝縮させる。『彼女』はそれを回避できない。
「え? ふぁぶは!」
水に閉じ込められた『彼女』は、即座に瞬間移動でその場を脱した。
「ふふふ! びしょ濡れね」
ワタシは挑発するように、『彼女』に向かって笑いかける。
「フィリス! どうして? どうしてワタシの邪魔をするの? あなたは『精霊』でしょう? 見ているだけの『精霊』が、どうしてワタシの邪魔なんか!」
感情を露わにして叫ぶ『彼女』。セフィリアに同化したままの『彼女』には、ワタシの声も届かなかった。でも、ようやく『彼女』の素が見えてきた。
「見ているだけは、もうたくさんなの。だからワタシは手を出すの。だからワタシは、あなたにこの手を……差し伸べたいの」
「勝手なことを言わないで! あの時、ワタシを封印した神々は言ったわ。『存在するだけで絆を奪うお前の存在は、許されざるものだ』ってね! わかる? ワタシが生まれた原因をつくった奴らは、ワタシをこんなふうにした奴らは、ワタシに向かって『存在してはいけない』って言ったのよ?」
悲痛な叫び。その声に込められた悲しみは、かつてワタシが嫌と言うほどに聞かされていたモノだ。それでいて、手を出すこともできずにいたもの。でも、今は違う。今のワタシには、差し出すべき手があるのだから。
「だから、なに? 気の毒ね、可哀そうねって、言ってほしいの?」
「フィリス!」
『彼女』の瞳が怒りに染まる。ますます、ワタシの狙いどおり。良い傾向だった。
ワタシは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……それとも、助けてほしい?」
「違う! ワタシには、助けなんていらない!」
声を張り上げて叫ぶ『彼女』。激情のためか、その目には涙さえ溜まっているように見えた。ワタシはなおも、静かな声で言葉を続ける。
「……じゃあ、何が欲しいの?」
「う、あ……ワタシは、ワタシは……セフィリアが……セフィリアのために……」
「違うよ。ワタシは『あなた』に聞いてるの。ねえ、『あなた』の欲しいものは何?」
「いらない! 何もいらない! ワタシは、ただ、セフィリアのために存在できれば、それでいい!」
吹き荒れる風。『黒竜』からのものではなく、『彼女』が周囲の空気の圧力を喪失したせいだろう。
「どうしてあなたは、セフィリアのためにそこまでするの?」
「え?」
紅い瞳を見開いて、こちらを見つめる『彼女』。思いもしなかった質問に、呆けたように口まで開けている。
「わからないなら、ワタシが教えてあげる。……それはね、セフィリアが『あなたより可哀そう』だからよ。自分より不幸なもののために何かをすることを、あなたが『存在してもいい理由』にしているんでしょ?」
「ち、ちが……!」
「違わないよ。不幸なもの同士で傷を舐めあい、同じものを探し続けても、あなたもセフィリアも幸せになんてなれない。あなたがセフィリアを幸せにしたいなら、あなたが自分自身を認めることから始めなきゃ。あなた自身が幸せにならなくちゃ。……誰に何を言われたかなんて、関係ないでしょう?」
「ワ、ワタシは……うう」
『彼女』はその場で、がっくりと膝を落とす。ワタシは彼女に歩み寄り、その身体を抱きしめた。あの時のワタシには、できなかったこと。温かいぬくもりで、『この子』を包んであげること。
「……ねえ、『あなた』の名前を教えてよ」
「……ノラ」
彼女は小さい声でそう言った。ワタシは嬉しさのあまり、彼女──ノラを抱く手に力を込めた。
「じゃあ、ノラ。ワタシと友達になりましょう。そして、一緒に幸せになるの」