第153話 思い出の街/深夜の念話
-思い出の町-
俺とシリル、アリシアとヴァリス、そしてノエルとレイミ、さらにシャルを含めた七人は、ルーズの町を一日かけて廻り歩いた。それとなく眺める街並みは、俺の胸に迫るものがある。
何と言ってもここは、俺にとって初めての異世界の町だったのだ。街の人々の姿や売られている品々、道端で行われる大道芸のような見世物など、今となっては見慣れたものが、ひとつひとつが新鮮に見えていた時のことを思い出す。
「ふふふ! ルシアくんも嬉しそうだね?」
そう言うアリシアの方が、楽しそうだ。弾むような足取りに、途絶えることのない思い出話の数々。彼女がここでシリルと過ごした日々が、本当に幸せだったのだとわかる。
「アリシアが生活していた町か。ふむ。なかなかいいところだな」
「でしょ? ふふ! ヴァリスにも気に入ってもらえたみたいで、良かった」
この町に思い出の多いシリルとアリシアに案内を受けつつ、俺たちは様々な場所を訪れる。
二人がよく行ったという服飾の店。天気の良い日に弁当を持って出かけたこともあるという小さな公園。午後のおやつに最適だというケーキのある店は、確か俺も二人と一緒に行ったことがある場所だった。できればこの町のギルドにも立ち寄りたいところだったけれど、万が一情報が伝わらないとも限らない。それは断念することとなった。
「久しぶりだと凄く楽しいよね! シリルちゃん」
「ええ、そうね。ここにいたのも随分昔のように思えるけど、まだ半年だものね。全然変わってないわ」
言葉遣いは落ち着いたものだが、シリルは花の咲くような明るい笑顔で応じている。きっとこの町には、彼女にとっても掛け替えのない思い出がたくさん詰まっているのだろう。
「……僕としては、シリルが外の世界で幸せな時間を過ごすことができて、良かったと思うよ。アリシアには、いくら感謝しても足りないくらいだ」
ノエルは街並みをしみじみと眺めながら、そんな言葉を口にした。
「そんな……感謝なんか必要ないよ。あたしの方こそ、シリルちゃんがいなかったら、ここでもずっと、あの店で引きこもり同然の生活しかできなかったと思うもの」
アリシアは、照れくさそうに言葉を返す。俺はその言葉で、思い出したことがあった。
「なあ、そう言えばあの店って、どうなったんだっけ?」
「え? ああ。家財道具一式含めて、売り払ったよ。もともとあの建物のオーナーだった人に返しただけだから、そんなに高くは売らなかったけどね」
「そうか。じゃあ、今頃は他の人の店になってるかもしれないんだな」
「うん。……でも、せっかくだから、どんな様子か見に行かない?」
アリシアの提案に、俺たちは頷きを返す。あの建物にはたった一晩、宿泊しただけだったけど、それでも色々と思い出深い場所だ。懐かしい気持ちはあるし、どうなっているかは一度見てみたいところだった。
「じゃあ、こっちよ」
シリルも同じ気持ちらしく、率先して俺たちを案内し始めた。そして、辿り着いた先にはあの時と同じ、小さな一軒の店があった。
「変わってないわね……」
「うん。買い手がつかなかったのかな?」
店の中には、何もなかった。空き家も同然の状態だが、一応は手入れをされているらしい。
「懐かしいな。この世界での俺の旅は、この場所から始まったような気がするよ」
つい、そんな言葉が出た。あの時、わけもわからずシリルに促されるままに『竜の谷』へと旅に出た俺が、再びここに『竜の谷』を経て戻ってきたと思えば、感慨深いものがある。
「ちょっと聞いてくる」
アリシアはそう言い残し、その場を足早に去っていく。
「どこに行ったんだ?」
「この建物のオーナーさんのところでしょうね。アリシアのご両親の知り合いらしいわ。……アリシアは両親との仲が上手く行ってなかったみたいでね。行商人だった両親は、あの子が自分の【スキル】で商売できるようにお店の手配を済ませると、逃げるようにここから去ったらしいわ」
「……なんだか酷い話だな」
「そうね。あの子も思い出したくない話でしょうし、今の話には触れないようにしてね」
俺はシリルの言葉に頷きを返す。しばらくすると、アリシアが戻ってきた。
「どうしたの。アリシア?」
「う、うん……。その……おじさんたちがね。このお店はあたしにくれた物だから、誰にも譲ってないんだって……。旅に出る時のお金は、あたしへの餞別だったんだから気にするなって言ってくれて……」
アリシアは、水色の大きな瞳からぽろぽろと涙を零していた。
「そう……いい人たちね」
「うん……」
それから、俺たちは『指輪』で仲間たちと連絡を取り合い、今晩の宿をこの店にすることにした。二階にある寝室だけでは全員は入りきれないが、寝具さえ調達できれば一階部分でも宿泊は可能だ。
室内を居心地のいいように作り替える作業には、レイミが張り切って取り掛かっている。さすがにここはメイドの本領発揮と言うところらしい。家財道具の大半が無くなった殺風景な部屋が、見る間に洒落た内装へと変わっていくのは驚きだった。
もっとも、必要な物資の買い出しをさせられた俺やヴァリスにしてみれば、『見る間に』と言うわけでもなかったけれど。
「うふふ! みなさんお疲れ様です! これから飲み物をご用意しますので、ゆっくりおくつろぎくださいね」
就寝するには、まだ早い時間だ。部屋の中央に置かれたテーブルを囲み、しばらく雑談でもして過ごすことにした。
「あたし……おじさんたちのこと、まともに見ようともしてなかったんだよね。きっと気味悪がられているに違いないって思って、あの人たちがあたしをどれだけ気にかけてくれているのか、考えもしなかった」
「もういいじゃない。ちゃんとお礼、言ってきたんでしょ?」
「うん……」
アリシアを慰めるようにシリルが優しく声をかけている。
一方、何やら改まった様子で話を始めたエリオットとエイミアの方へ視線を転じれば、
「いまさら何を言っているんだ、君たちは。そんなの、最近の君らの様子を見ていれば、一目瞭然だよ? ねえ、シャル?」
「はい。エイミアさんのエリオットさんとの距離の取り方は凄く不自然でしたし、エリオットさんは時々、エイミアさんの顔を見ては頬を緩ませきってましたから、あれでわからない方がおかしいんじゃないかと」
「そ、そんな……!」
ノエルとシャルのさも当然といったような言葉に、がっくりと肩を落とすエイミアとエリオットがいる。というか、俺は気付かなかったんだが、シャルの言葉を借りれば、俺はおかしいと言うことになるのだろうか? ……少し、へこんでしまいそうだった。
「ここがアリシアの過ごした家か……」
ヴァリスは隅から隅まで見落とすまいとするかのように、建物の中を見渡している。
「うふふ、後でアリシアさんが毎晩眠っていらっしゃったと思われる、寝室を案内しますよ?」
「なに? 本当か? それはかたじけない」
「も、もう! 何が『かたじけない』なのよ! 寝室なんか見てどうするの!?」
「うふふふ、それはもちろん……」
「レイミさんには聞いてません! ……うう」
真っ赤な顔で叫んだ後、肩で息をしながらヴァリスをにらむアリシア。
「い、いや、我はただ、アリシアのことをもっと良く知れればと思ってだな……」
「いやいや、ヴァリス。お前もいい加減、純朴さを装って言い訳をするのはやめたらどうだ?」
「な、なに?」
「気になる女性の寝室を確かめたい。……まあ、お前だって男だ。そういう願望があっても恥じることはないさ」
「そ、そうなのか?」
ヴァリスは唖然とした顔で俺を見る。隣ではアリシアが顔を赤くしたまま俺を睨みつけてくるが、ますます面白くなってしまった俺は、さらに調子に乗って言葉を続けようとして……
「寝室を見れば、普段の寝姿も想像がつこうってもんだ。だから……って! ちょ、待て! 痛い! 痛いって、ファルーク! お前の爪、本気で鋭いから!」
「この変態! わたしの寝室も、それが目的で覗いたのね? というか、やっぱりファラの件だって……!」
「い、いや、誤解だ! 誤解だぞ、シリル! 今のはヴァリスをからかうための冗談でだな……」
「それにしては、やけに情感たっぷりだったよね?」
俺の弁解を叩き潰す、アリシアの一言。ま、まずい……。一番敵にまわしてはいけない相手を敵にまわしてしまったようだ。
〈まったくお主も、懲りない男だな〉
〈グルグル!〉
俺に向かって呆れたような視線を向けてくるのは、隣の席に座っていたファラだった。膝の上で金の子猫『リュダイン』を抱いているが、相変わらず全力で嫌がる彼を構わず撫でまわしている。
「いや、そんなこと言ってないで助けてくれってば!」
〈ふん。お主とて、わらわが『竜の谷』で皆にからかわれている時に、助けてなどくれなかっただろう?〉
「うう、それを言われると痛い……」
冷ややかな彼女の視線に耐えかねたように俺はうつむく。やっぱり、こういう時は普段の行いが物を言うらしい。次からは気を付けよう。
そして、ようやく『ファルーク』による鉤爪攻撃も終わり、どうにか一息つけたところで、俺は先ほどから気になっていた人物へと視線を向ける。
「ん? なに?」
彼女、レイフィアは俺の視線に気づいたらしい。気の抜けた声で訊いてくる。
「いや、さっきから元気がないみたいだからさ」
「そう?」
「ああ。だってこの手の騒ぎにお前が絡んでこないとか、これまでじゃ考えられなかっただろ?」
俺がそう言うと、レイフィアはびっくりしたような顔をした。
「……あたしがここで絡んでくるのが当たり前だって?」
「ん? ああ、そう言ったつもりだけど……」
「ふうん。ちょっと聞きたいんだけどいい?」
「なんだ?」
俺が尋ね返すと、レイフィアは少しためらいがちに口を開く。珍しいこともあるものだ。
「あのさ……あたしって、ここにいるみんなの仲間なのかな?」
「え?」
俺は一瞬、言葉に詰まる。彼女の質問があまりにも予想外だったからだが、彼女はそうは受け取らなかったらしい。むくれたようにそっぽを向いた。
「ふん! 今のは、なしだよ。聞かなかったことにして」
彼女にどんな心境の変化があったか知らないが、これは喜ぶべきことだろう。それを思えば、このまま終わりにすべきじゃない。俺は慌てて言葉を続けた。
「仲間だよ。決まってるじゃないか」
「……あのねえ、無理して言われても腹立つだけなんだけど」
「別に無理はしてない。さっきのは単に、あまりにも当たり前のことを聞かれたんで、意表を突かれただけだしな」
「ふうん」
気のない返事ながらも、先ほどよりは明らかに機嫌がよさそうなレイフィア。そこに、今の話を聞きつけたらしいシリルの声が掛けられる。
「それに、ただの仲間じゃないわ。『頼りになる仲間』よ。信頼してるからね。これからもよろしく頼むわよ」
心のこもった真摯な言葉。それに違いはないのだが、わざわざこのタイミングで言うあたりが、シリルの他意を感じさせた。
「な、なに言ってんの? あたしなんて、いつ裏切るかわかんないよ?」
「裏切らないわよ、あなたは。わたし、信じてるもの」
「う……こんな話、振るんじゃなかった。あたしってば、なにやってんだろ」
あくまで真っ直ぐなシリルの言葉に、レイフィアは頬を赤くしてうつむいた。
「うん。だいぶ時間も遅くなってきたし、このままだと徹夜しそうな勢いだね。名残惜しいけどここらでお開きにしないかい?」
「はい、そうですね……」
頃合いを見計らったかのようなノエルの言葉に、シャルの眠そうなあくびが重なる。
思い出の地で過ごす楽しい一日は、こうして終わりを迎えた。……かのように思えたが、まだ少しだけ続きがあった。
-深夜の念話-
建物の二階の寝室には、当然のことながら所有者であるアリシアが寝ることになる。後はその他の部屋割りだけれど、一階のカウンタースペースの奥の部屋が比較的広いので、基本的にはそこに寝具を敷くしかない。
二階の部屋も数人で寝泊まりができそうだったけれど、皆が気を遣ってくれた結果、わたしとアリシアの二人だけで使わせてもらえることになった。
「昔はよく、こうしてシリルちゃんに泊まってもらったよね?」
「そうね。なんだか、懐かしいわ」
わたしは寝具を整えながら、アリシアと雑談を続けていた。
「あの時はまさか、シリルちゃんがこの店に彼氏を連れてくる日が来るなんて思わなかったもんね」
「も、もう……すぐそういうことを言うんだから」
アリシアに向かって、下手な否定の言葉は逆効果だ。わたしの気持ちなんて、彼女にはすっかりお見通しなのだから。
「ふふ! ごめんね。……ねえ、シリルちゃん」
「なに?」
「あたし、今すっごく幸せだよ。こうしてシリルちゃんと旅ができて、お友達もたくさんできて、……す、好きな人とも思いが通じ合えて……本当に幸せ。シリルちゃんと会う前までは、こんな幸せなんて考えられなかった」
寝具を敷き終えたアリシアは、布団に身体を潜り込ませながら、しみじみとした口調で言う。わたしは隣の布団にもぐりこみ、横になったまま彼女と目を合わせた。穏やかな光をたたえた彼女の瞳に、わたしは胸を締めつけられるような思いがした。
「あなたが幸せなら……それがわたしの幸せでもあるわ」
どうにかそれだけを口にすると、アリシアはびっくりしたような顔でわたしを見た。
「……シリルちゃんって最近、聞いている方が恥ずかしくなっちゃうくらい、真っ直ぐな言葉を言うようになったよね」
「な! なによ、それ!」
あまりの言葉に憤慨して声を大きくするわたしに、アリシアは布団から出した手を目の前で左右に振って見せた。
「ううん、からかうつもりじゃないの。その……素直になったんだねってこと。昔のシリルちゃんなら、絶対に自分の思っていることをそのまま表に出したりしなかったもん」
「そ、そうだったかしら?」
「うん。あたし以外の人には、すっごく分かりづらい性格だったし、冷たい人間だって誤解されることも多かったと思う。でも、……ふふふ!」
「なによ? 急に笑い出したりして」
「シリルちゃんが変わったのって、ルシアくんの影響だよね。思ったことをすぐ口に出しちゃうとことか、相手が感傷的になるとすぐ同情的になっちゃうとことか……他にもいろいろ」
言われてわたしは押し黙る。反論できないくらい、思い当たる節は多いからだ。今だってわたしがあんな言葉を口にしたのは、アリシアの言葉に感極まって、つい心の内を吐露してしまったようなものなのだから。
「……ほんとに、あなたには敵わないわね」
「あはは。ちょっと話が横道に逸れちゃった。……本題に戻すとね。あたしが今、こんな風に幸せでいられるのは、全部シリルちゃんのおかげだと思うんだ。だから、今度はシリルちゃんに幸せになってほしいと思うの」
「だから、わたしは十分幸せよ?」
「でも、もっと幸せになりたいでしょ?」
「そんなことを言い出したら、きりがないじゃない」
けれどアリシアは、口元を布団で隠すようにして、目だけで笑いながら言葉を返してくる。
「ごまかさないの」
「う……」
「世界を救う使命は大事かもしれないけど、シリルちゃんだって女の子なんだよ? もっと女の子らしい幸せを求めてもいいんじゃないかな?」
「……アリシア」
この時何故か、わたしは『精霊の森』で見たレイフォンとルフィールの幸せそうな姿のことを思い出していた。仲睦まじく寄り添う二人。二人だけの新婚生活。
「け、結局、何が言いたいのよ」
そんな光景を頭から振り払うように瞬きすると、わたしはアリシアに続きを促した。
「ん? えっとね、……ルシアくんに告っちゃいなよ! ……かな?」
「こ、告? で、でも、そんなこと言われても……」
あまりに明け透けなアリシアの言い様に対し、わたしは言葉を濁して誤魔化そうと試みた。でも、無駄だった。
「そんなこと言われたから、だよ。理由があった方がやりやすいでしょ?」
「な……」
「うーん……そうだね。……愛の告白じゃなくってもいいからさ。今、シリルちゃんが思っていることを、ルシアくんに告白するの。直接話しづらかったら、二人にはちょうどいいものがあるじゃない」
「……『絆の指輪』ね」
愛の告白じゃなくてもいいという一言は、わたしの心を楽にした。そういうのは別にしても、今までわたしは自分の気持ちを素直に彼に伝えたことはないかもしれない。いつだって彼ばかりが、わたしに気を遣ってくれて……この『指輪』だってそうだった。
「うん。そうね。考えてみる」
「あれ? 何言ってるの?」
意外そうなアリシアの声。
「え?」
「今すぐに決まってるでしょ? 今ならルシアくんだって起きてるよ。その気になった時にやらなきゃ、きっと踏ん切りがつかないんじゃない?」
「い、今すぐ?」
「そう」
「どうしても?」
「どうしても」
「……うう、わかったわよ」
わたしはアリシアに押し切られるように、枕元に置いた荷物から指輪を取り出す。実際のところ、これはアリシアが『押し切ってくれた』のだと思う。顔を合わせず、声にも出さず。そうやって話をするのなら、普段言えないことだって言えるかもしれない。
わたしは深呼吸を一つすると、『指輪』をはめて心の中で呼びかける。
〈……ルシア、聞こえる?〉
返事がない。考えてみれば、今は就寝前だ。すでに彼が指輪を外している可能性だってある。わたしは残念な気持ちと安堵の想いとを半々に抱きながら、アリシアにそう伝えた。けれど彼女は……
「あれ? おかしいな。ルシアくんにも今晩、『指輪』をつけたまま待ってるように言ったはずなんだけど……」
不思議そうな顔で言うアリシア。
「なんですって?」
「あ。ううん。なんでもないの。あはは」
よくも仕組んでくれたわね。などとわたしが思っていると、ようやく彼から応答があった。
〈悪い。返事が遅れた。ちょっとだけ取り込んでてさ〉
普段と変わらぬ彼の声。心の中に響いているはずの声だけど、実際に耳に聞こえているかのように感じられる。それを聞いて、急激に自分の鼓動が高まっていくのが分かった。
〈こ、こっちこそごめんね。急に呼びかけたりして……〉
〈何言ってるんだよ。この『指輪』はそのためのものなんだぜ? いつ呼び掛けてもらってもいいように、大概の場合は着けっぱなしにしてるからさ。遠慮なんかするなよ〉
〈う、うん……〉
彼の優しい気づかいの言葉に、わたしはただ、短く返事をすることしかできない。話したいことはたくさんあるはずなのに、言葉が出ない。けれど、沈黙が続きかけたところへ、彼が再び語りかけてくる。
〈……ほんと、懐かしいよな〉
〈え? う、うん〉
〈俺がラズベルドの【聖地】でシリルに召喚されて、もう半年以上が経つんだ。……思えば、この町では特にシリルの世話になりっぱなしだったよな。養ってくれるとか言われて断ったつもりでも、実質的には養ってもらってたわけだしな〉
〈最初は仕方ないわよ。ここはあなたにとっては異世界だったんだもの。そ、それに……い、今ではあなたの方がよっぽど……〉
〈ん?〉
〈あ、な、なんでもな……ううん〉
いけない。せっかくの機会なのだから、わたしはここで自分の気持ちをごまかしては駄目なのだ。
〈わたしは……あなたをすごく頼りにしてる。あなたといると安心できるし、迷わず前を向いていられる。世界を救うだなんて大それた目標を、気負わずに追い続けられるのも、あなたが傍にいてくれるから……そう思うわ〉
声に出していたら、絶対に震えていただろう言葉。ううん、そもそも口に出せていたかどうかさえ、怪しい言葉だ。『絆の指輪』のありがたみを、改めて感じてしまう。
〈……そ、そうか。そう言ってもらえると嬉しいな。俺は俺にできるやり方で頑張ってきただけだけど、それが少しでも役に立っているんなら、言うことはないよ〉
〈……ありがとう、ルシア〉
〈あ、ああ……。えっと、今日はどうしたんだ? なんというか、その、えらく素直と言うか……〉
戸惑ったような気配が彼から伝わってくる。
〈い、いいでしょ、たまには……〉
どうにか言い繕おうとするけれど、それ以上言葉が出てこなかった。
〈むしろ、たまにじゃない方が嬉しいけどな〉
〈……それは無理〉
〈ははは、そっか〉
わたしが覚悟を決めて自分の素直な気持ちを口にしていると言うのに、彼には少し余裕があるみたいだ。それが、なんとなく悔しかった。だからわたしは、聞いてみることにする。──彼の、気持ちを。
〈ねえ、ルシア〉
〈なんだ?〉
〈どうしてあなたはここまで、わたしに良くしてくれるの?〉
〈え? いや、言わなかったか? シリルは俺の恩人なんだよ。この世界に召喚してくれたことも、その後のことも含めてな〉
〈……そうね。言っていたわね。これはわたしが、その言葉から勝手に推測したことだけど……あなたは、その『恩返し』をこの世界で自分が生きるための目的のひとつにしているんじゃないかと思ってたわ。未知の世界で生きるには、当面の目標みたいなものが必要なんだろうし……〉
〈ああ、そのとおりだよ。俺がお前の剣として生きるって言ったのは、そういう意味でもある〉
断言するように、わたしの言葉を肯定するルシア。
〈恩返し……ね。でも、それだけなのかな?〉
〈え?〉
〈……わたしがわたしじゃなくても、あなたは同じようにしてくれた?〉
〈……ごめん。言っている意味がよく分からないぞ?〉
〈わたしは、そんなの……嫌〉
我が儘な言葉。胸の内からあふれ出る思いが、念話を通じて彼に伝わってしまう。わたしには、それを止める術がない。
〈シリル?〉
〈あなたがわたしにしてくれていることが、ただの恩返しだなんて、わたしは思いたくない。わたし以外の人が相手でも、同じだなんて……想像するだけで嫌なの……〉
わたしは何を言っているのだろう? こんなことを言ったところで、彼を困らせるだけなのに。彼の純粋な気持ちに自分の身勝手な想いを押し付けるようなことを言うなんて、わたしは最低だ。
けれど、自己嫌悪に陥りかけたわたしに、ルシアは弾むような声(?)で語りかけてくる。
〈か、感激だな……感無量と言うか、言葉も出ないぜ〉
〈え? な、なにが?〉
〈ああ、いや、悪い。話を戻そう。……言い方が悪かったな。俺がなりたいのは、『恩人の剣』じゃない──『シリルのためだけの剣』だ〉
〈わたしのためだけの……〉
〈ああ。それに恩返しなんて言い方も良くないな。どうも義務みたいに聞こえる。でも、そうじゃない。俺は俺が『やりたい』からやっているんだ。シリルのことを間近に見てきて、その結論として、俺は俺自身の意志で、お前のことを支えてやりたい、護ってやりたいと思っているんだ〉
〈ル、ルシア……〉
胸が詰まる。目から涙が溢れてきてしまいそうだった。
〈まあ、迷惑だったら言ってくれよ? 押し付けがましいことはしたくないからさ〉
〈……め、迷惑なわけないじゃない。わ、わたしは……〉
思いが止まらない。堰を切ったように言葉が口をついて出る。
〈あ、あのね? わ、わたし……その、あなたのことが……〉
決定的な言葉が止められそうもない。けれど、その時だった。
〈ん? うわ! ちょっと待て!〉
〈え?〉
念話の声に酷い動揺が感じられる。
〈ど、どうしたの?〉
〈ご、ごめん。たった今、部屋の真ん中のバリケードが破られた! くそ! まさかレイミさんと同じ部屋で寝ることがこんなに危険だったとは! あ、エリオットが捕まった……! すまん、エリオット! 俺にはお前を助けられそうもない……〉
下の部屋で、何やら理解不能な騒ぎが起こっているらしい。床越しに、ドタバタとした音まで聞こえてくる。……っていうか、バリケードってなに? 何をどうやったら、そんなものが必要な騒ぎが起きるわけ?
〈うわっと! 危ない。あの黒縄、生き物みたいだぞ……。って、ごめん、シリル。さっき何か言いかけてなかったか?〉
〈……もう、いいわよ!〉
あまりのタイミングの悪さに、わたしは拗ねたように言って念話を終えた。
「……あーあ、もう少しって感じだったのに。残念だね」
隣の布団からアリシアが残念そうな顔をのぞかせながら言う。
「え? アリシア? まさかあなた、念話の内容が?」
「な、なんのこと? あ、あたし……念話と“同調”する練習なんかしてないよ?」
悪戯っぽく笑うアリシアを見て、わたしは先ほどの告白が未遂で済んだことに、安堵の息を吐いたのだった。