表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第16章 開く世界と拓かれる未来
195/270

第151話 スイートハート/うらぎりもの

     -スイートハート-


 これまでの旅路の中で、わたしはシリルお姉ちゃんやヴァリスさんから、『竜の谷』とそこに住まう竜王様のお話を聞いたことがありました。巨大な洞穴をくり抜いただけでありながら、荘厳な雰囲気を漂わせる『竜王神殿』。そこに鎮座するは、七色の鱗と輝く黄金の瞳を持った、神々しい竜の王。


 ですがどうやら、わたしは騙されていたようです。

 まったく酷い話です。これはいわゆる『詐欺』ではないでしょうか?

 わたしはこれでも、ここに来るまでの間、伝説の竜王様──歴史に名を残す、すごい『竜族』に会えることを心待ちにしていたと言うのに。


「シャ、シャルちゃん……。別に騙してなんかいないよ? そ、その、アレは今回がたまたまそうだっただけで……」


 そんなわたしの心情を読み取ったのでしょうか。アリシアお姉ちゃんは少し顔を引きつらせながらも、弁解の言葉を口にしています。


「いや、実際驚いたぜ。まさかこんな展開になるとはなあ……」


「ま、まあ……仕方がないんじゃないかしら。千年もの間、再会を待ち望み続けていた気持ちなんて、実際、想像を絶するものがあるでしょうし……」


 ルシアとシリルお姉ちゃんは、自分が見ているものが信じられないらしく、何度も瞬きを繰り返しています。


「目に毒だな」


「そ、そうですね……」


 エイミア様とエリオットさんは、言葉少なに呟きを交わしています。


 ……などと周囲に目を向けてばかりいるのは、そろそろやめましょう。

 場の中心、竜王神殿の中央に地属性の【精霊魔法】エレメンタル・ロウで造り出したテーブルを囲んで腰かける皆──その視線の先には、『らぶらぶ』なカップルが一組。


〈確かあれは、五百四十年ほど前のことだったかな? 近隣の人間たちが、無謀にもこの『竜の谷』を己の支配地域に加えようと、軍勢を揃えて押しかけてきたことがあった。もちろん、我が同胞たちは激怒したよ。だが我は、怒りを抑え、人間たちを極力殺さぬように追い返した。……ファラ、なぜだかわかるか?〉


〈い、いや、わからんが……〉


 座面と背面を《融解メルト》で柔らかくして造った岩のソファに並んで腰掛け、会話を続ける二人組。虹色の髪の男性は、明らかに逃げ腰となっている黒髪の女性の手をしっかりと掴み、その肌をさするようにして言葉を続けています。


〈無論、ファラのためだ! お前が眠るこの場所を人間たちの血で汚すなど、我には考えられなかったのだ!〉


 『さあ、褒めてくれ』と言わんばかりに、金色の瞳でファラさんを見つめる竜王様。


〈そ、そうか……。まあ、なんだ、ありがとな?〉


 若干顔を引きつらせながら、応じるファラさん。嫌がっているわけではないのでしょうが、相手の迫力に圧倒されてしまっているようです。


〈いや、礼を言われるほどのことではないぞ。我はお前の『つがい』として、当然のことをしたまでだ〉


 一方の竜王様は、言葉とは裏腹に礼を言われたことが相当嬉しいらしく、元はきりりと引き締まっていたはずの顔に満面の笑みを浮かべていました。


〈それから……そうそう、あれは確か四百と七十年以上前だったか……〉


〈い、いや、ちょっと待て、グラン。おぬし、この調子で千年分の出来事を語りつくすつもりか?〉


〈む? いや、心配するな。これでも大分、端折っている。今日一日あれば話し終えるぞ〉


 これから丸一日、話し込む気満々のグランさんでした。


〈……ファラ。まさか、我の話を聞くのは、嫌なのか?〉


 こういうところは、竜王様と今のヴァリスさんはそっくりです。あんなふうに自分への好意をあけすけに示しつつ、不安げに問いかけられては、否定の返事なんてできるわけがありません。


〈そ、そうではない! だ、だが、……よくそんなに話が続くものだと思ってな〉


〈千年間、我がファラのことを思わぬ日は、一日たりとてなかった。積もる話なら山ほどある〉


〈う……〉


 見る間に顔を赤らめていくファラさん。実体化すると、顔色まで感情と連動してしまうようです。


「うわあ……上には上がいるもんだねえ。あそこまで熱烈な愛の言葉を臆面もなく堂々と言い放っちゃうんだもんね。さすがのあたしも冷やかす気にはなれない熱さだよ」


 と言いながら明らかに冷かしているレイフィアさんの声に、ますます顔を赤くしながらこちらを睨みつけてくるファラさん。


〈我は千年の間、何か変わった出来事があるたびに、いつかファラが目覚めたら話してやろうと思っていた。そうした出来事を忘れぬよう、記憶にとどめることばかりを考えていた。……さすがに千年は長かったが、その分だけ、こうして話せることが多くあるのだ。悪いことではないのかもしれないな〉


 しみじみと語るグランさんの目には、わずかに涙が光っているようです。そんな竜王様の様子には、ファラさんもさすがに感じるところがあったようです。一転して真面目な顔に戻ると、優しい顔で語りかけていました。


〈グラン……本当に、長いこと待たせてしまったみたいだな。……わらわを待っていてくれて、ありがとう。嬉しいよ。こうやってまた、おぬしと話ができることを、わらわは心の底から嬉しく思う〉


 ファラさんは軽く微笑みながら、竜王様を自分の胸元にしっかりと抱き寄せ、まるで子供をあやすようにその背中をさすっています。


〈ファラ……〉


 肩を震わせてファラさんにしがみつくグランさん。さすがに誰も口を差し挟むことはできず、静寂のまま時間だけが過ぎていきした。

 やがて、ようやくファラさんから身体を離した竜王様は、神妙な顔でわたしたちの方に向き直りました。


〈あらためて礼を言わせてほしい。何度言っても言い足りないくらいだが、本当にありがとう。ルシアよ、汝のおかげで我は最愛の友に会えた。我にできることなら、どんな形でも汝の恩に報いたい〉


「い、いや俺は別に何か特別なことをしたってわけじゃ……」


 深々と頭を下げてくる竜王様に、ルシアは恐縮したように手を振ります。


「それに……ヴァリスを俺たちの仲間として同行させてくれたことで、十分ですよ。彼がいてくれたおかげで、俺たちはものすごく助けられてきたんです。何度も危ない場面はありましたけど、それだってヴァリスが身体を張って皆を護ってくれたから乗り越えられたようなものですしね」


〈そうだったな。……ヴァリス!〉


「……は!」


 それまで呆然とした顔で事の成り行きを見守っていたヴァリスさんは、竜王様に呼びかけられて、我に返ったように背筋を伸ばしました。


〈よくやってくれた。我は汝を誇りに思うぞ。汝こそ、我の自慢の『息子』だ。それになにより、礼を言わせてほしい。ありがとう、ヴァリス〉


「……!」


 竜王様の言葉を聞いた瞬間の、ヴァリスさんの表情こそ見物でした。目を見開き、口まで半開きにして、表情を凍りつかせるヴァリスさん。身体は小刻みに震え、頬は紅潮してやがて目に涙が滲み始める有様でした。


「あ、あ、ありがたきお言葉……」


 ヴァリスさんは、そこで一度、言葉を詰まらせるように下を向き、再び顔を上げました。


「すべては竜王様の御心のおかげです。我の抱く人間への想いをくみ取り、彼らへの同行を命じてくださった。その御心こそが、今日の良き日を招きよせたのです。我の方こそ、改めて御礼を申し上げたく存じます」


〈成長したな。……聞けば、アリシアと真の『つがい』になったそうではないか。めでたいことだ〉


「あ……は、はい」


 思いもかけない意外な言葉に、戸惑った声を出すヴァリスさん。続いて竜王様は、ヴァリスさんの隣にいるアリシアお姉ちゃんに目を向けました。


〈アリシアよ〉


「え? あ、はい!」


〈ヴァリスのことをよろしく頼む。こやつはまだまだ、未熟者だ。聞けばアリシアは、随分とヴァリスを尻に敷いているようではないか。その調子で、上手く手綱を握ってやってほしい〉


 竜王という立場には似つかわしくない、悪戯っぽい笑顔での言葉でした。


「ふえ? ええ!?」


「な! 竜王様!」


 茶目っ気たっぷりの竜王様の言葉に、息の合った驚きの声を上げる二人。これからまだまだ、ファラさんと竜王様を中心とした座談会は続くようでした。


 ──やがて、夜も更けはじめた頃、わたしたちは積もる話があるだろう二人を残し、『アリア・ノルン』に戻って夜を明かすことにしました。


「何故ですか! 熱烈に愛し合う二人の夜の営みを、ばっちりと記録しようという崇高なわたしの使命を妨害するなんて、いくらなんでも横暴です!」


「うああああ! なんで、どうして、僕は! こんな! こんなのをメイドにしてしまったんだろう!? いや、仕方ないんだけれども! 自業自得かもしれないけど! でもこれは酷過ぎないか!?」


 『竜王神殿』を出る間際、撮影装置を片手に居残りを決めようとしたレイミさん。その襟首を掴んで引き摺りながら、何故かノエルさんは悲痛な声を上げていました。


 ──そして、翌日の朝。


 あらためて『竜王神殿』に出向いたわたしたちが見たものは、寝台の形に直されたソファの上で、寄り添うように眠る二人の姿でした。


「こ、これはさすがに……」


「うう、わたしの昔の姿で何をやってるのよ、もう……」


 そう、ファラさんはかつてのシリルお姉ちゃんの姿をしているのです。これではまるで、シリルお姉ちゃんが見知らぬ男性と同衾しているように見えるではありませんか。ルシアとシリルお姉ちゃんが複雑そうな顔で見守る中、気配を感じたのか、もぞもぞと動くファラさん。


〈む? むむ……なんだ、もう朝か〉


 むくりと身体を起こした彼女の服は、女性物の寝巻姿です。かつては寝る時にネグリジェを着ていたこともあったそうですが、シリルお姉ちゃんに注意された結果、この姿に落ち着いたらしいです。というか、そうでなかったら、今回の状況は目も当てられなかったでしょう。


「ファ、ファラ。いくらなんでも大胆すぎないか?」


〈え?〉


 眠い目をこするようにしながら、自分の脇を見下ろすファラさん。


〈んな! なっ!〉


 ファラさんは飛び跳ねるように寝台から離れました。するとその振動を感じてか、もう一人、目の覚めるような綺麗な顔立ちの男性がゆっくりと身体を起こします。


〈ああ、おはよう。ファラ〉


〈お、おはよう、ではないわ! なんだ、これは! なんでおぬしがわらわの寝台に!〉


 肩で息をしながら叫ぶファラさん。一方、竜王様は何事もないような顔で平然と言葉を返します。


〈決まっている。我が潜り込んだのだ〉


 セクハラでした。寝ている女性の寝台に潜り込む男性がいたら、それは間違いなく女の敵です。もっとも『恋人同士』であれば、当然そんなことはないのでしょうが。


〈なんで! そんな! 真似を!〉


 動揺して、文節を途切れ途切れに発音するファラさん。


〈何を驚いている? 昔はよく、一緒に寝ていたではないか〉


「ええ!?」


〈うあああ! だから、それを言うなああああ!〉


 みんなが驚きの声を上げる中、ファラさんの叫びは再び虚しく木霊するのでした。


 

     -うらぎりもの-


 それから、散々みんなでファラのことをからかった。大体、生きた女神さまがいるってだけでも信じらんないのに、『竜族』の超絶美形のお兄さんがその恋人だっていうんだから、世の中は何があるかわからないよね。


〈べ、別に恋人ではない!〉


「でも、『つがい』なんでしょ?」


〈うぐ! そ、それはそうだが……〉


 シリルをからかうのとおんなじくらいに面白いな、これ。今まであんまり接してこなかったけど、今度からはこの子で遊ぼっかな?


「ほらほら、そろそろ話の本題に入りましょ」


 そうそう、あたしたちは世界を救う旅の最中なのだ! って、自分で言ってて笑っちゃいそうだけど、どうやら本当らしいから仕方がない。昨日はあまりの熱烈歓迎ぶりに到底そんな余裕はなかったけど、一応竜王のお兄さんには事情を説明する必要があった。


「……というわけなんです。この世界を救うため、僕らは旅を続けなきゃいけないし、そのためにはルシアやヴァリス……それからもちろんファラさんの力も必要です。だから……」


 ノエルは少し緊張した面持ちで説明している。彼女にしてみれば、自分たち『魔族』を目の仇にしている『竜族』の本拠地で、その親玉と向かい合っているのだ。いくら大丈夫だと言われたところで、緊張は隠せない。っていうか、凄い度胸だね。


〈みなまで言うな。わかっている。こうしてファラに会えただけで我は十分幸せだ。このまま引き留めようなどと、考えてはいない〉


 言葉とは裏腹に、ちょっと寂しそうな顔をする竜王のお兄さん。


〈心配するな。ことが終われば戻ってくるさ。完全に扉が開けば、その時こそゆっくり話もできるだろうしな〉


〈ああ! 待っているぞ〉


 深く頷く竜王のお兄さん。だけど、あたしには疑問があった。


「あのさ。いっそのこと竜王のお兄さんについて来てもらうわけにはいかないの? そしたらすっごく戦力アップだよ? ルー姉やヴァル兄だって、流石に正真正銘の『竜族』には勝てないだろうしさ」


「レイフィア! 竜王様に何という口の利き方を!」


〈いや、いい。それより、そのことだが……できるなら我もそうしたい。だが、無理なのだ〉


「どして?」


〈千年前、ファラと『真名』を交わした時、我はその『理想』の力で、己に制約を課した。この『竜の谷』に己が身を縛る制約をな。その代わり、我は莫大な力と無限の寿命を得た。ファラの扉が完全に開けば別かもしれないが、今はここを動けないのだ〉


「なるほどね。でも、それなら他の『竜族』とかは? それでもすっごく心強いんじゃないかな?」


 あたしは図々しくも言い放つ。まあ、こういう役目は他のお人好しの連中にはできないだろうね。するとあたしの言葉に、竜王のお兄さんは考えるような顔をした。


〈ふむ。だが、いくら我が王であると言えど、あまり同胞に無理強いはさせたくない。……望んでくれるものがいるのなら、同行させてやりたいとは思うが……〉


 お、あと一押しな感じ?


「じゃあ、ほら、ここまで案内してくれたラーズくんは? ヴァリスを兄者って呼んでて、アリシアを……ぷくく! 姉上様って呼び慕っているんだよ? 協力してくれるんじゃない?」


「ううー! レイフィアー!」


 アリシアが何やら可愛らしくきゃんきゃんと吠えている。


「……あのド迫力の青竜をラーズくん呼ばわりかよ。相変わらず、怖いモノ知らずの女だな」


 ルシアの声も聞こえないふり。まあ、あたしだからね。


〈そうか。ならば後でそれとなく伝えてみよう。ヴァリスのように外に出たい願望を隠しているのならばともかく、そうでないなら我の言葉はそれだけで無理強いとなってしまうからな〉


 うん。まあ、こんなところかな? 上手くすれば後で青竜くんが合流してくれるって訳だ。今後、邪神だの邪心だの、ルー姉だのヴァル兄だの、化け物との戦いが続くことを思えば、戦力はいくらあっても足りないと思う。みんな、お人好しで危なっかしい奴ばっかしだしね。


「やるじゃない。レイフィア」


「だ、だから! あたしをそんな目で見るなっての!」


 感心したように声をかけてくるシリルに、あたしは辟易してしまった。


 それから、名残を惜しむように抱擁を交わし合うファラと竜王のお兄さんに一応の冷やかしを入れた後、あたしたちは次なる目的地に向けて出発する。青竜のラーズくんも律儀に途中まで追いかけてきてくれた。まだ、竜王のお兄さんから話は聞かされていないみたいだけど、愛いやつだった。


 あたしたちの乗る魔導船『アリア・ノルン』には、高度な隠蔽機能があるらしい。そのため、適当な場所を見つけさえすれば、『ルーズの町』の近くまで接近してから降りることもできた。


「うわー、まさにド田舎の町って感じだよねー」


「失礼なこと言わないの。これでも結構、色々なお店も充実しているし、一応はギルドもあるんだからね」


「はーい」


 シリルにたしなめられ、首をすくめるあたし。なんでもルシアやシリル、アリシアにとっては、ここは始まりの場所とも言うべき、思い出深い場所なのだそうだ。


 ……そう言えば、あたしには『思い出深い』場所なんてないなあ。

 ま、いいけどね。


 町に入ると、シリルの案内でアリシアと初めて出会ったという飲食店に顔を出し、食事を終えてから自由行動を取ることになった。とはいえ、皆は二人の想い出の場所巡りに同行するつもりのようだ。


「レイフィアは来ないの?」


「うん。遠慮しとく。意外とこの町も面白そうだし、自由に見て回りたいからね」


 あたしはそう言うと、一人で町を歩く。実際、こんなに小さな町に『面白そう』も何もない。仲間との思い出の場所を巡るなんて恥ずかしい行事に、付き合わされるのが嫌だっただけだ。


 思えば、この時のあたしは少し拗ねてしまっていたのかもしれない。あんまり認めたくはないけれど……。


 だが、そんないじけた人間には、罰が当たるということだろうか?

 あたしはこの直後、絶体絶命のピンチに陥ることになる。


 ぼんやりしながら、どうでもいい街並みを眺め、ふらふらと通りを歩くあたし。町の中でまで気を張っていろと言う方が無理な話だが、この時、あたしがソレに肩を掴まれるまで、まったく気付くことさえできなかったのは、恐らく油断があったせいだろう。


「いよう! レイフィア。奇遇じゃねえか! こんな所で会うなんてなあ?」


 野太い男の声。あたしの身体ごと小脇に抱えるように、がっしりと肩を掴んでくる力強い腕。今度は幻覚なんかじゃない。近くにいるだけでひしひしと感じる、荒れ狂う力の塊。正真正銘、紛れもなく本物の……


「ヴァ、ヴァルにい……」


 あたしの声はかすれている。なにこれ? なんなの? このタイミング……。


「ん? どうした? いつもなら、ここで一発炎の【魔法】でもぶっ放してくるところだろ?」


 不思議そうな声で訊いてくるヴァル兄。あたしの肩を掴む力は強く、とても逃れられそうにない。何事もなかったような言葉を口にしてはいるけれど、いくらなんでもあの状況で裏切った挙句、増幅版上級魔法を叩き込んだあたしを、見逃してくれるとは思えない。


「…………」


 適当な言葉も思い浮かばず、あたしは沈黙を続けた。ヴァル兄が今、どんな獰猛な顔であたしのことを見下ろしているのか、確認したくもない。うつむいたまま、顔を上げることもできなかった。


「……おいおい、本当にどうしたって言うんだ? らしくねえぞ?」


 白々しい。ヴァル兄がその時になれば、あたしの肩なんて簡単に握りつぶせるだろう。


 あたしたちは、町の大通りを足を止めずに歩き続ける。きっとこのまま、人気のない場所まで連れて行かれて、殺されるんだろうな。

 どうしてだろう? あたしは今まで、好き勝手に生きてきたし、その報いで殺される日が来ても、それは仕方のないことだと思ってた。


 でも、こんなのないんじゃない? せっかく楽しくなってきたところなのに。こんなところで、あたしは終わり? そんなの……嫌だな。


 気づけば、あたしの身体はぶるぶると震えていたらしい。


「お、おい? まじで大丈夫か? 震えてるっつーか、顔が真っ青じゃねえか。なんだ? なんなら【生命魔法】ライフ・リィンフォースでもかけてやろうか?」


 あはは、まだ言ってる。ほんとに白々しいね。と、そこまで考えて、あたしは思った。いやいや、ちょっと待て。相手はあの、ヴァル兄だぞ? そんな頭があるわけないじゃん。


 あたしは勢いよく顔を上げた。


「うわっと! なんだよ、元気そうじゃねえか。驚かすんじゃねえよ」


 いつものとおりのヴァル兄の顔。顔の造りがごつい割には、意外に可愛いこげ茶の瞳。その顔には怒りの色はなく、少しばかり驚いたような、ひょうきんな表情が浮かんでいる。


「あ、あれ? ヴァル兄……もしかして、怒ってないの?」


「ん? 何がだ?」


 あ、ひょっとして忘れてるんだろうか? あり得る。ヴァル兄、馬鹿だもんね。


「失礼なことを考えてやがるな? 言っとくが、忘れちゃいねえよ。まったく、とんでもねえ真似してくれやがって。あんときゃ、久々に死ぬかと思ったぜ」


 がははと笑うヴァル兄。意味が分からない。


「じゃあ、何で怒ってないの?」


「あ? 何言ってんだよ。あんなのいつものことだろ? お前の気紛れにゃ慣れてっからな。……んなことより、ひとつ聞かせろよ」


「な、なに?」


 相変わらずヴァル兄は、あたしの肩を掴んだままだ。


「お前の仲間はどこにいる? お前らがこんな辺鄙な街にいるってのは驚いたが、どっかに宿でもとってんだろ?」


 少しだけ、肩を握る力が強まる。そっか。つまり、ヴァル兄は交換条件を持ちかけてきているんだ。仲間の情報を売る代わりに、助けてやると言っている。なるほど、どうやらまだあたしには、生き残る目があるというわけだ。


「…………」


「なんだ? どうせお前のことだ。あいつらに義理立てするつもりなんざ、ないだろ?」


 肩を掴むヴァル兄の手が、痛いくらいにあたしの肩を圧迫する。って言うか、ほんとに痛いんですけど……。


 まったく、ヴァル兄もあたしの性格がわかってるなら、いちいちそんなに脅さなくったっていいのに。だいたい、答えなんて決まってるじゃん。どうしてあたしが、あんな奴らのために、こんなところで死ななきゃいけないわけ?


 馬鹿馬鹿しい。裏切りはあたしの得意技だよ? ちょこっと面白そうな連中だったから今まで付き合ってやったけど、少しばかり気の迷いもなくはなかったけど……それでもあたしは、『こんな奴』なんだ。それは今さら変えられない。


 あんな連中、さっさと売り飛ばして、あたしは気楽に無罪放免と行こうかな。


 ───あたしはゆっくりと口を開く。


「……はあ? 馬鹿じゃないの?」


 あれ? あたし、何言ってるんだろ?


「んだと?」


 低く唸るようなヴァル兄の声。肩の骨がみしみしと音を立てているみたいだった。やばいやばいやばいやばい! これ死ぬってば! あたしが死んじゃうよ! けれど、それでもあたしの口は、あたしの意志に反するように止まらない。


「……うざいなあ、もう。いい加減にその手、離してよね!」


 ちょっと待ってよ、どうしちゃったの、あたしの口!? このうらぎりもの!!


 あたしは内心で半泣きになりながら虚勢を張って、ヴァル兄の焦げ茶色の目を睨みかえす。そして、そのまま睨み合うことしばらく──


 ヴァル兄が目を丸くして言った。


「おお……俺、今初めて、お前のことを本当にいい女だと思ったぜ。どうだ? これから近所の宿にでもしけこもうぜ」


「は? 何言ってんの?」


 あたしは、半ばやけくそ気味に言いかえす。


「がははは! 冗談だよ。いや、お前がいい女だってのは本当だけどな。……つーか、あっさり仲間の情報を売りやがったなら、ぶっ殺しちまってもいいかとも思ったんだが」


「え? いや、意味がわかんないんだけど……」


「てめえの命もかけられねえ連中とつるむために、丸焼きにされたってんじゃ腹が立つだろ? だが、そうじゃなかった。……だったら、いいんじゃねえの?」


「じゃ、じゃあ、見逃してくれんの?」


「そもそも俺は今、別の仕事でそれどころじゃねえんだよ。余分な力を使ってる余裕もねえ」


 どうやら本当に、ヴァル兄はあたしを見逃してくれるつもりみたいだ。でも、ヴァル兄がそこまで余裕を失うなんて、どんな仕事なんだろう? 駄目元で訊いてみると、ヴァル兄は胸を張って、自慢げに口を開いた。


「おうよ。実はな……、ぐが!」


 鈍器で頭を殴られたように首を傾けるヴァル兄。


「極秘任務を自慢げに話す馬鹿がいますか」


 平坦な声。聞こえてきた方を見れば、そこには羽根飾りが大量に付いた純白の衣装に身を包む金髪美人が一人。氷のような冷たい瞳をあたしに向けてくる。


「ごきげんよう、レイフィア。元気そうですね」


「う、うん。……その、ルー姉も怒ってないの?」


 あたしは恐る恐る尋ねてみる。すると彼女は……


「怒っていますよ。ですが、今のわたしたちの任務とその怒りとは、何の関係もありません」


 いたって平坦な口調で言う。いつものルー姉だ。


「がはは! 素直じゃねえなあ。ルシエラは」


「……それより、団長殿がお呼びです。ついてきなさい」


「へいへい」


 ヴァル兄のからかいの言葉を無視してそう告げると、それ以上あたしに一瞥もくれることなく歩き去るルー姉。──と思ったら彼女は途中で足を止め、独り言のようにつぶやいた。


「レイフィア。いいことを教えてあげます。あなたたちがそこまでたどり着けるなら……わたしたちは恐らく、【創世の聖地】たる『ララ・ファウナの庭園』で再会することになるでしょう。その日まで、せいぜい力をつけておきなさい」


 耳を疑うようなセリフを残し、ルー姉は今度こそ本当に歩み去っていく。


 こうしてあたしは、生き残った。あたしはどうやら、『仲間』の元に帰れるらしい。やっぱり、拗ねてばかりじゃろくなことにならないね。今からでも皆を探しに行こっかな?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ