幕 間 その28 とある放浪者の刹那
-とある放浪者の刹那-
俺は『イレギュラー』だった。
死を前提とした『魔族』の実験に、あり得ない形で生き残った半魔族。それが俺だ。
生まれてすぐ、俺の身体には『邪霊』の凝縮物が注入された。本来なら精神体であるはずのそれを、強引に凝縮し、物質として人間の身体に取り込ませる。そんな正気を疑うような実験を、『パラダイム』の研究者どもは日常的に繰り返していたらしい。
俺は、その実験の唯一の生き残りだった。だが、本来の実験においては、『成功作』だったわけではない。『古代魔族』の再現実験。そのために『魔族』の因子を身体に組み込まれながら、その因子をほとんど生かすことのできない『失敗作』。それこそが俺であり、モンスターとの融合実験は、そうした失敗作のリサイクルに他ならない。
俺は唯一『邪霊』との融合に成功した珍しいサンプルとして、窓もない狭い部屋の中で、来る日も来る日も苦痛に満ちた人体実験を繰り返された。
奴らの生み出した実験体の子供たちの中には、同じような実験の中で息絶えるものも少なからずいたらしい。俺は貴重過ぎるサンプルであったために、命の危険の少ない実験が多かったからこそ、生き残れたに過ぎない。
『失敗作』でありながら、『成功作』
『ガラクタ』でありながら、『貴重品』
どこまでもイレギュラーな俺の扱いを、連中も考えあぐねていたのかもしれない。
──実験を繰り返す『パラダイム』の研究員の中には、年端もいかない子供への非人道的な実験に心を痛め、せめてもの罪滅ぼしにと俺たちに優しく接してくる者もいた。
実験体の中には、そのことにいたく感動し、涙を流して尾を振る連中もいたが、俺からしてみれば馬鹿馬鹿しい限りだった。研究員どもの振る舞いは、ただの偽善だ。いざ上からの命令があれば、奴らはためらいもなく俺たちを『処分』するだろう。
馬鹿馬鹿しい。くだらない。俺自身を含め、この世界の存在は、どいつもこいつも『価値』を持たないクズばかりだ。
そしてある日、俺を初めとする実験体の連中は、『パラダイム』の研究員の指示に従い、施設内の一際大きな部屋へと集められていた。周囲を見渡せば、身体の半分をモンスターのように歪めた奴や、気が触れたとしか思えない笑い方をしている奴など、様々な連中がいた。
どうやら、俺とは別の施設から集められた連中もいるらしい。そして、円形の巨大な室内に三十人ほどが集まったところで、アナウンスのような声が流れる。
「お前たちは失敗作だ。ゆえに処分する」
──来るべき時が来た。俺はこの時、そう思った。
死の恐怖は、なかった。代わりに俺の心を支配していたのは、狂おしいまでの悔恨の念だ。望まれぬ存在として生を受け、誰からも必要とされることなく、何も得られぬままに死んでいく。こんなことなら生まれたくなどなかった。最初から存在していなければよかった。何よりも、俺をこんな形で生み出したこの『世界』が、俺の死後も何食わぬ顔で存在し続けるだろうことが悔しかった。
世界が憎い、世界が呪わしい。こんな世界など、滅んでしまえばいい。
そんな風に思ったのは、一瞬のことだった。
だが、その瞬間。俺の中の『邪霊』がざわめく。
アナウンスは、なおも続く。
「だが、寛大なる我らは、失敗作であるお前たちにチャンスをやろうと思う。我らは実戦部隊としての戦力を欲している。いわゆるエージェントとして戦う力を持つものがあれば、お前たちの中から、それを選んでやっても良い」
続く言葉は、容易に予想できた。
「さあ、殺し合え。最後に生き残った者だけを、我らが同胞として迎え入れてやろう。混じりものの人間ごときには、身に余る光栄だと思え。くくく、力だけが貴様らに残された唯一の価値なのだ!」
室内には、こんな単純な展開さえ予想できないものが多かったのだろうか? 悲鳴と怒号が響き渡り、何とも見苦しい騒ぎが起こる。だがやがて、そんな混沌とした騒ぎも、一つの方向へと収束していく。当然だ。生存本能は、誰もが持つ最大の欲求なのだから。
そこからは、阿鼻叫喚の地獄絵図が始まった。三十人の実験体たちが互いに互いを殺し合う。部屋の上部に設けられた窓からこちらを見下ろす『魔族』の姿を見つけた俺は、しばらくそいつを見つめていたが、やがて目を逸らした。
所詮は小物だ。憎む価値どころか、視界にとどめる価値すらない。
つまらない人生。
価値のない世界。
目の前の地獄にも何の関心も持てない。どうでもいい。俺はただ、周囲の空気に溶け込むように気配を消して、繰り返される化け物同士の殺し合いを眺めていた。
肉体に宿る『邪霊』を制御し、存在そのものを霞ませる力。それはこの土壇場に来て、ようやく俺が獲得した能力だった。俺が一瞬でも世界を呪ったことが、体内の『邪霊』を制御するためのきっかけを与えたのかもしれない。
徐々に、周囲の実験体たちの数が減っていく。生き残ったのは何らかのモンスターと融合させられているらしき、巨体の少年だった。
確かあいつは、俺のいた施設の奴じゃなかっただろうか? 研究員たちの偽善的な優しさに、人一倍感激していた馬鹿だったはずだ。俺はこの時、この瞬間まで、このまま姿を消して研究所を脱出してしまおうと考えていたはずだった。
「は、ははは! やった! やったぞ! 僕が生き残ったんだ! ざまあみろ! どいつもこいつもよわっちいじゃないか! 僕が最強だ! 僕だけが、生き残る価値のある存在だったんだ!」
「…………」
だが、生き残った少年の声が室内に響いた瞬間、俺は考えを変えた。
「あはははは! ……は、はへ?」
ゆっくりと少年の背後に近づき、実体化する。足元の刃物を拾って、背中から心臓を一突き。ただ、それだけで耳障りな喚き声は止まる。別にこの少年の身勝手な叫びに対し、義憤に駆られたというわけではない。俺はただ、『お前には価値などない』と言うことを、わからせてやりたくなっただけだ。
だが、そんなくだらない衝動のせいで、俺は自分の姿を露見させ、『パラダイム』にその能力の一部を知られてしまうこととなった。
はっきり言って、失敗だろう。だが、それでも俺には、後悔などなかった。その場の衝動に身を任せることが、こんなにも気分の良いことだと知ったのだ。何もかもがどうでもよかったはずの俺に生まれた、これは『生きがい』とでも言うべきものだったのかもしれない。
それからの俺は、『パラダイム』から時折下される指令を適当にこなしながら、自由気ままに世界を渡り歩いた。『パラダイム』も恐らくは、俺の能力を多少なりとも見抜いていたのかもしれない。あの小物連中はともかく、『ラディス・ゼメイオン』ならば、恐らくはそうだろう。
それでいながら俺を泳がせようと言うのだ。奴らの意図は不明だが、有難い話だった。
俺は暇つぶしに世界を放浪するうちに、……興味深い存在に出会った。
八年前に滅びた村。『ルギュオ・ヴァレスト』と呼ばれるそこに立ち寄ったのは、単に興味本位からでしかなかった。だから、村の中心に立ち尽くす一人の少女を見つけた時は、思わず目を疑った。俺以外に、そんな酔狂な人間がいるとは思いもしなかったのだ。
事件があったのは、その時からおよそ八年前だ。つまり、当然のことながらこの少女は、この村の生き残りなどではない。あるいは、長らくこの村を離れており、ちょうど久しぶりに帰郷したところなのかもしれない。考えられるとすれば、それくらいのものだろう。
だが、俺は少女の姿を目にした瞬間、確信した。この少女は、八年前からここにいる。八年前から何一つ変わらず──八年間、絶望の中で立ち尽くしている。本来ならあり得ないことだが、なぜかその時の俺には、それがわかった。
「いつまでそうしているつもりだ?」
俺は興味本位で、そう声をかけた。だが、少女からの反応はない。
「…………」
「……感傷に浸っている暇があるなら、動け。それができないなら、死ね」
物言わぬ人形に語りかける趣味などない。だが、なぜか俺の口からは、そんな言葉が漏れ出てしまった。
「動く? でも、ここにあったのは、『セフィリアのすべて』だったんだよ? それが喪失なっちゃったんだもの……どうしたらいいの?」
俺に向けられた真紅の瞳には、深い絶望の闇があった。彼女の言う『すべて』が、掛け値なく『すべて』だったのだろうことを思わせる、絶望の瞳。
「お前がしたいことをすればいい」
「したいこと?」
「俺は、この村が滅びる原因をつくった奴を知っている」
「え?」
「お前がそいつに復讐したいなら、手を貸してやってもいい。それは、俺にとっても利のある話だからな」
「復讐?」
少女は不思議そうに首を傾げる。
「簡単なことだ。そいつのせいでお前がすべてを失ったのなら、今度はお前がそいつからすべてを失わせてやればいい。くくく、きっと実に爽快な気分だろうな」
俺の体内にある『ワイズの言霊』の効能を笠に着て、俺を奴隷のように扱うアキュラの死にざまを想像し、俺は少しだけ愉快な気分になった。
その少女は、金と紅の髪をざわつかせ、俺の背筋さえ凍りつかせるような笑みを浮かべる。
「うん。それ……とっても楽しそう」
それ以来、俺は少女に様々なことを教えた。最初はただ、アキュラを殺すために少女を利用しようと考えていただけだった。しかし、『無邪気』に俺を慕う少女の姿は、どうしようもなく俺を苛立たせる。
その苛立ちの原因が何なのか、俺には分からない。だが俺は、その苛立ちを無視することにした。己の心の内から、目を逸らした。恐らくそれは、ろくでもないものに違いなかったからだ。
──それから二年余りが経ったある日、俺は任務の途中で、とある【魔鍵】を発見する。
『斬り開く刹那の聖剣』
本来なら、『出来損ないの魔族』であり、『損なわれた人間』であるこの俺に、適合する【魔鍵】などあるはずがない。だが、古い遺跡の入口に無造作にうち捨てられていたその剣は、俺の魂に呼びかけてくる。
足掻く者よ。己の衝動のままに、生きよ。刹那の時こそ永遠なれ。そこに誤りなどなく、そこに過ちなどない。思うがままに生きよ。暴れて叫んで世界を引っ掻け。己が存在を高らかに謳うがいい。
掴んだ柄から伝わる衝動は、俺がかねてから考えていた計画の実行を後押しすることになった。いや、計画などと言えるものではない。世界の生命線ともいうべき、『創世霊樹』を使った『遊び』だった。
これが上手く行けば、世界には大きな混乱が訪れる。
俺の存在を世界に刻み、ようやく俺は俺になれる。そのためには、この世界など滅んでしまっても構わない。そう思っていた。だが、そんな愉快な計画の最中、俺は『あいつ』に出会った。
ローグ村で会ったセフィリアと同じく、『すべて』を失ったものだけが持つ、深い絶望を宿した瞳。あの男は、真の絶望を知っている。
俺に近いところで言えば、『パラダイム』の実験体の多くが、同じような絶望の底にいた。そんなとき、連中はすべてを諦め、すべてを見限って、そうやって辛うじて生きていた。俺も似たようなものだった。『どうでもいい』というのは、そういうことだ。
だが、あいつは違う。過去の絶望を踏みにじり、未来を掴もうと足掻いている。俺にはそれが、理解できない。だから俺は、確かめることにした。
親しかったはずの人間を【人造魔神】に変えられる。そんな抗い難い災厄を前にして、あいつはそれでもなお、未来を掴もうと足掻けるのだろうか?
だが、そんな試練でさえも、あいつは信じられないような力で打ち破ってしまう。無論、打ち破れたこと自体は、ただの結果に過ぎない。あいつの【魔鍵】の力に過ぎない。
俺が信じられなかったのは、あいつが己の力に自覚すらないままに、絶望に剣を向けたということだ。
なぜあいつは、目の前のものを諦めないのか?
なぜあいつは、運命を受け入れようとしないのか?
すべてを見限って、すべてを価値のないものと断ずれば、これほど楽なことはないはずなのに。
結局俺には、あいつを理解することなど叶わなかった。だがそれでも、わかったことがある。あいつは、『価値』のある人間だ。このつまらない世界で、俺が俺になるために、俺自身を測るための試金石となるべき存在だ。
だから俺は、あいつを殺して、世界に『俺』を刻み込む。
価値のある者を殺したからといって、己に価値が生まれるとは思わない。
それでも俺は、世界を引っ掻く。価値など得られなくとも、満足ならできるだろう。俺が世界に残した【爪痕】など、すぐに消える。だが……だからどうした。
つまらない人生に、くだらない感傷を抱き続けるくらいなら、過去など必要ない。
価値のない世界で、無意味に無感動に生き続けるくらいなら、未来など必要ない。
俺にはただ、この『刹那』さえあればいい。俺はそれだけで満足だ。




