幕 間 その27 とある掠奪者の過去と未来
-とある掠奪者の過去と未来-
俺がすべてを失った日。
俺の祖国の生命線──エネルギーコア『終末の炎』が奪われたことにより、掠奪戦争から帰還した俺を待っていた『結末』。
すべてが氷に覆われた世界で、俺に何かを託して氷の世界に消えて行った仲間たち。残された俺は、がむしゃらに、ひたすらに【スノークロウラ】を走らせた。
行くあてなどない。意味などない。けれど……死にたくなかった。
俺が【ヒャクド】という存在に『接触』したのは、右も左もわからない氷原の中でのことだ。食料と燃料が尽きかけたことにより、避けようもない死を覚悟した、その時だった。車両上部のハッチが鈍い音と共にこじ開けられる。そして、ソレは律儀にもハッチを閉じ、梯子を伝ってゆっくりと俺の元まで降りてきた。
「……機械兵?」
世界における絶対者に仕える、物言わぬ兵士。黒水晶の頭部に、関節を歪にくびれさせた金属質の身体のヒトガタ。世界の規則に従わぬ俺を、それこそ律儀にも抹殺しに来たというのだろうか?
だが、抵抗する気などない。どころか、俺を楽にしてくれる存在が来たのだと、心から安堵したほどだ。その機械兵は、右腕を錐のように尖らせながら、ゆっくりとその先端を突きつけてくる。
「く!」
反射的に、俺はその腕に『電撃』を叩きつけた。
俺の腕。少年時代に凍傷によって失われた俺の腕は、機械式の義手だった。掌の先に電撃を収束させ、対象に叩きつけることでその戦闘能力を奪う。もちろん、そんなものが機械兵に有効とは思えない。そもそもなぜ、俺はこの時この瞬間、諦め悪くも抵抗してしまったのだろう?
〈素晴らしい〉
「な!」
俺は驚きのあまり、尻餅をついた。物言わぬはずの機械兵が、言葉を話したのだ。驚くなと言う方が無理な話だ。
〈トライハイト。お前は生きていたいか?〉
そう、問われた。問われた瞬間、俺は何故か理解する。ここが俺の『運命の分かれ道』なのだと。
「……当たり前だ。俺は生きたい」
熱に浮かされたような感覚で、俺はどうにかそれだけは口にした。
〈ふふふ……ようやく見つけた〉
「なに?」
〈ならば生きなさい。生きて足掻きなさい。それこそが、わたしの楽しみ〉
そう言うと、機械兵は【スノークロウラ】の操縦席へと腰を下ろす。滑らかに発進する車両の中で、俺はその機械兵の後姿をぼんやりと眺めていた。
「……あんたは、何者だ?」
〈……〉
機械兵は答えない。俺は問いを変えた。
「俺たちは、何のために戦わされている? 敵国から食料やエネルギーを奪うのに、なんだってあんなにややこしい規則がある? あんたのような機械兵……いや、機械兵を操るような存在がいるのなら、その目的は何だ?」
俺は、長年にわたって心に澱のように溜まり続けていた疑問を、機械兵の背中へと叩きつける。答えなど期待できなくても、それをせずにはいられなかった。
〈……驚いた。トライハイト。お前は本当に『イレギュラー』。そんな疑問を抱く余地などないくらい、この世界には『秩序』が満ちていると言うのに〉
機械兵の合成音声には、感情など含まれない。だが、その言葉からは確かに、驚きの気配を感じ取れた。
〈機械兵を操る存在……。お前の知りたい名は、【ヒャクド】だ。覚えておくといい。【ヒャクド】は世界に『秩序』をもたらす。『国』同士を争わせ、争いの中に生まれる進化や成長の中から、有益と思われるモノだけを選び取る。いたずらにモノが増えすぎないよう数量を調整し、要らないモノなら抹消する。ただただ、『秩序』を維持するそのためだけに〉
俺は最初、機械兵の言葉が理解できなかった。機械兵の言う『モノ』が『人間』を意味するのだということを理解したのは、【スノークロウラ】が目的の場所に到着する直前になってからのことだ。
国同士のチェスゲーム。俺たちは盤上の駒に過ぎない。取り換えの利く道具に過ぎない。俺を生かすために凍りついていった仲間たちは、用済みのゴミも同然の存在だった。
「う、う、うあああああああ!」
目の前が真っ赤に染まる。喉が張り裂けんばかりに叫び続けた後、ようやく呼吸を思い出したかのように荒く息をつく俺の足元には、物言わぬ機械兵の残骸が転がっていた。この機械兵は、抵抗しなかったのだろうか? それが【ヒャクド】とやらの意志だから? だとすれば、俺も所詮、このヒトガタとさして変わらぬ存在なのだろうか?
いつの間にか動きを止めた車両から、俺は外に出ることにした。防寒装備を身にまとい、ハッチを開けて外に出る俺。だが、装備は必要なかったようだ。気が動転していた俺は、周囲を確認することさえせずに外へ出たのだが、俺が顔を出した周囲には、純白に凍る氷原などではなく、暖かい空気に包まれた『国』と呼ばれるドーム内の景色があったのだから。
だが、周囲に集まる人々の視線は、到底暖かいなどと言えるようなものではなかった。敵意に満ちた冷たい視線。防衛戦争用の銃を構える兵士たちの姿。意味も分からず、俺は茫然と車両の上に立ち尽くしていたが、やがて兵士たちの一人が俺に向かって声をかけてくる。
「……ようこそ、我らが『国』へ。絶対者様のご命令により、貴様を我が国の掠奪部隊のメンバーとして迎え入れる」
言葉の内容に反し、進み出てきた初老の男の眼差しは、憎しみに満ちていた。……そう言えば、この『国』は見覚えがある。確か、そう……かつての略奪戦争において、俺は何度となくこの国に侵入し、多くの食料や水を掠奪したことがあったのではないか?
「人殺しめ! よくもおめおめと顔を出したな!」
「ちくしょう! どうして殺しちゃいけないのよ!?」
「あんたのせいで、わたしの息子は!」
俺に向かって様々なものが投げつけられてきた。装備を身に着けた俺には、痛くもかゆくもないガラクタの類だ。だが、俺の心はズタズタだった。
「……貴様には特別な区画を用意する。貴様の国との戦争で、我が国の民は何人もの餓死者を出した。それだけに憎しみは根深い。不用意に出歩くことは避けてもらおう。……かくいうわたしも、絶対者様の命がなければ、今すぐにでも貴様を八つ裂きにしてやりたいのだからな」
はるか遠くから聞こえてくるようなその言葉に、俺は虚ろな顔で頷きを返した。
それから、かつて敵国だった国のために、さらに別の国から食料や水を掠奪する日々が続いた。いくら俺が『国』のために戦っても、称賛はない。蔑まれ、憎まれながら、俺はただ、自分が生きるためだけに任務を全うし続けた。
【ヒャクド】の目的が理解できない。奴は秩序を重んじる。ならば俺はいったい何だ? ゲームのように『国』を争わせる【ヒャクド】の目的が、人間の管理統制にあるというのなら、俺のような『イレギュラー』を生かしておくのはおかしい。
だが、あの機械兵はこうも言った。『足掻け、それこそが自分の楽しみだ』と。ならば恐らく、結論はただ一つだ。【ヒャクド】は狂っている。秩序を保つと同時に世界を掻き回し、命をもてあそんで悦に入るなど正気の沙汰ではあり得ない。
そもそも、こんな氷に閉ざされた世界で得られる『秩序』に、何の意味がある?
こんなもの、ただ、終わり続けているだけだ。
俺は絶望した。『国』の人間は、俺が何を言おうと聞く耳を持つまい。絶対者に逆らうことなど、考えもしないだろう。
だから俺は、諦めた。彼らには、永遠に理解できないだろうから。
しかし俺は、諦めない。惰性に任せて生き続けるなど論外だった。
俺のために死んだ仲間のためにも、俺が死なせてきた人々のためにも、俺は諦めて生きるのではなく、諦めずに死ぬ道を選んだ。
止める連中を振り切って外に飛び出した俺は、早速群がってきた機械兵たちと戦闘を開始する。支配者に牙を剥き、一体でも多く、奴らを壊す。それが俺にできる最後の悪あがきだと思った。
当然のことながら、装備が違う。勝てる相手じゃない。チェーンカッターで全身を切り刻まれ、装備の裂け目から侵入する冷気に傷口が凍るのを感じながら、俺は意識を手放した。
───だが結局、俺は死ねなかった。
次に目を覚ましたのは、狭い部屋の中だった。窓の外には猛烈な吹雪。だが、あり得ない。この世界ではドーム状の空間内を除き、人が住むことはできないはずだ。エネルギーコア『終末の炎』が存在しない場所では、あらゆるものは数分と経たたないうちに凍りついてしまうのだから。
「あら、目が覚めた?」
寝台の上で身を起こす俺に声をかけてきたのは、一人の女性だった。俺と同じ黒髪黒目。当然だ。この世界の人間は、わずかな例外を除けば、一人残らず黒髪黒目なのだから。
「こ、ここは?」
「今は気にしないで。それより、ほら、栄養を取らないとでしょう?」
彼女は美しかった。包容力のある優しげな笑みが印象的で、気立ても良く、身体の自由がきかない俺を甲斐甲斐しく介抱してくれた。束の間の一時、俺が人の温かさを感じることができたのは、この『家』にいる間だけだったのかもしれない。
そんな状況の中、俺は彼女に好意を抱いた。それも当然だろう。こんなにも身近に女性が接してくれることなど、これまで数えるほどしかなかった俺だ。ただ、目覚めてから数日が経った後も、彼女が俺にその名を教えてくれることはなかった。
「名前なら、あなたが好きに呼ぶといいわ」
そう言われ、俺は彼女を『ナオ』と呼ぶことにした。
「ナオ、ね。いい名前だわ。どうしてその名前にしたの?」
まるで自分の子供に微笑みかけるような顔で問いかけてくる彼女に、俺は照れ臭さを感じてうつむいた。
「そ、その……怒らないで聞いてくれよ?」
「ええ、いいわよ」
「昔さ。俺の友達だった猫の名前なんだ」
『国』と呼ばれるドームの中には、一種の生態系が広がっている。家畜類の他、穀物を狙うネズミもいれば、それを食料とする猫のような小動物もいた。特に小動物の類は人間に餌をもらうこともない自活した存在として生息しており、俺は幼い頃、そんな彼らの一匹と仲良くなったことがあったのだ。
「え、えっと……猫って、あの小さい動物の?」
「あ、ああ。いや、だからその、悪かったって思ってるよ。でも、仕方ないだろ? 他にその、思いつく名前とかなくてさ……」
俺がそう言うと、彼女は可笑しそうに笑った。
「あはは! いいじゃない、それ。ナオね。気に入ったわ。じゃあ、わたしは今日からナオよ」
無邪気に笑う彼女の顔に、俺は思わず見惚れてしまった。
何もない氷原に建つこの家で、ナオはどうやって生活しているのか? 俺に与えてくれる食料はどこから調達しているのか? 疑問は尽きなかったが、それでも俺はこの時この瞬間、最高に幸せだった。
こんな絶望に満ちた世界にも、幸せは存在するのだ。この時俺は、そう思った。
だが、そんな幸せは所詮、その後に始まる悪夢のための演出に過ぎなかったのかもしれない。ようやく俺の傷も癒え、自由に動き回れるようになった頃のことだ。いつものように部屋の入口に現れたナオは、俺に向かってこう言った。
「そこまで回復できたのなら、わたしはもう、用無しね」
「え? ナオ? どういう意味だ?」
だが、俺の問いかけにナオは答えない。いつものように優しい笑みを浮かべながら、ただ、立ち尽くしている。軽く首を傾ける彼女。そんな仕草を、愛らしいと思ったことがあった。白くたおやかな手を、愛おしいと思ったことがあった。
だが、それらはすべて……『幻』だった。幻だと、思い知らされた。
ぐずぐずに崩れていくナオの美しい顔。その下からは、のっぺりとした黒水晶の球体が姿を現す。ふくよかな彼女の身体はぼろぼろと崩れていき、金属質の武骨なシルエットが出現する。
「う、あ、あ、ああ……ナ、ナオ……」
もう駄目だ。限界だ。耐えられない。死ぬしかない。あり得ないほどの絶望が俺を襲う。
だが、しかし……
「駄目よ、トライハイト。あなたは生きなくては駄目。きっといつか、あなたにだって幸せは訪れる。だから、諦めないで?」
化け物からナオの声がする。俺を介抱してくれていた間、何度となく俺を励ましてくれた彼女の声だ。
「う、うるさい! 黙れ! 黙れ! 黙れえええええ! 俺は! ……貴様は! この世界は! いったい、何の……何のために!」
俺は狂ったように叫んだ。発狂しないのが不思議なほどの爆発的な怒りが、俺の全神経を焼き尽くす。
〈……トライハイト。足掻きなさい。足掻くことは生きること。それだけが、わたしの喜び〉
「うるさい!」
〈……これからお前が向かう国で、お前の任務を全うできたなら、そのたびごとに『世界の秘密』を教えてあげる。わたしに辿り着くための、ヒントをあなたに与えてあげる〉
奴は、怒り狂う俺に対し、子供をあやすような声音で言った。
俺の命を救い、俺に『幸せ』を与え、俺からすべてを奪った【ヒャクド】。
──だが、俺の中に生まれたのは、奴への『殺意』ではなく、世界への『憎悪』だった。この狂った世界が憎い。どうにもならない『理不尽』が許せない。人々が生きる意味も目的も見いだせないこの世界を、俺はそのままにしておきたくはなかった。
憎悪という名の衝動に従い、世界を変える。
それがどんなに無謀で無茶なことでも、俺の望みはそれだけだった。それだけを糧に、俺は絶望的な世界を生きた。憎しみこそが、俺の命を長らえさせたと言ってもいい。
奴の指示に従い、いくつもの国を渡り歩き、世界の真実を聞かされ続ける日々。この世界がかつて、緑に覆われた楽園であったこと。【ヒャクド】による『秩序』の統制は、過去に何度となく、様々な方法が試みられた結果、現在の方式に落ち着いたものであること。【ヒャクド】が全世界に張り巡らせたネットワークシステムの存在。その根幹となる施設の所在。
だが、俺は最後のヒントである施設への辿り着き方を知る前に、この世界から姿を消した。それは今でも心残りだ。だが逆に、俺があのまま世界に残り、仮に【ヒャクド】を滅ぼせたとしても、得られるものなど何もなかっただろう。
召喚されてすぐ、俺の目の前に現れた銀の髪の少女。
目に涙を溜めて、俺に謝罪を繰り返した美しい少女。
世界の命運をその小さな肩に乗せ、一人で悩み、苦しみ続けてきた少女。
弱いくせに強がって、自分の傷すら厭わずに人に優しく在り続ける少女。
今の俺には、彼女に出会うことのなかった未来など想像もできない。今度こそ、俺が手に入れた幸せ。その象徴とも言うべき存在である彼女に出会えたことを思えば、そんな心残りなど、些細なものだ。
俺はかつて、すべてを失った。でも、だからと言って、幸せな未来を夢見てはいけない理由などない。一度はすべてを失い、絶望を味わい尽くした俺だからこそ言える。
生きることは、足掻くことだ。
もがき苦しんででも、その足を前に進めることなんだ。
俺は過去を踏みしめて、未来に向かって歩いて行こう。