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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第15章 孤児の目覚めと邪悪のはじまり
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第150話 ドラゴンの姉上さま/竜王再臨

     -ドラゴンの姉上さま-


 それから二日後、あたしたちの乗った『アリア・ノルン』は、パルキア王国領上空に到達していた。これからあたしたちが向かうのは、『竜の谷』。あたしとヴァリスが初めて会った、思い出の地。あたしはうきうきしながら甲板の上を歩く。吹き抜ける風が気持ちよかった。


「もうすぐ『竜の谷』の上空だな。こんなにでっかい船で行って、いきなり撃ち落とされたりしないかな?」


 ルシアくんは初めて『竜の谷』に行った時に見た、たくさんの『竜族』たちの迫力が忘れられないみたいだ。


「心配するな。我らはそこまで野蛮ではない。まずは門番役のものが警告に来るだろう。そこで我が話をつける」


「そういえば、あたしたちが初めて谷に近づいた時も、ヴァリスが警告してくれたもんね」


 あたしがそう言うと、なぜかヴァリスは気まずそうに下を向いた。


「あ、ああ……そうだったな」


 一昨日の『弾劾裁判』の時のことが、まだ忘れらないみたい。いい加減、あたしの機嫌も直っているのだけれど、彼にはそれがわからないらしい。ビクビクした顔のヴァリスも、ちょっと可愛いかもしれない。そんな風に思ったあたしは、あえて誤解を解かないでおくことにした。


 ……それがこの後、どんな展開に繋がるかも知らずに。


「みなさん。何かがこっちに近づいて来るようですよ」


 レイミさんは船の操縦時にはこの格好と決めているのか、メイド服を着たまま手袋をはめ、ごつい眼鏡をかけて甲板上にせり出した画面を見ている。実際に操縦桿を握っているのはノエルさんだったけれど、レイミさんいわく「こういうものは雰囲気が大事なんです」だそうだ。


「来たみたいだね。それじゃ船をいったん止めようか」


 徐々にスピードを落とす『アリア・ノルン』。と、そこに突如として強い風が吹きつける。あたしたちの斜め上空、照りつける日差しをさえぎるように出現したのは、目の覚めるような鮮やかな青い鱗のドラゴンだった。


「ここより先は『竜の谷』。矮小なる人間どもよ、命が惜しくば去るがいい!」


 よく通る男性の声。けれど、ヴァリスよりもさらに若い感じの声だ。青く煌めく竜鱗が並ぶ翼をはためかせ、頭上でホバリングを続けるその姿は、まさに雄大な空の王者。


「まさかお前、ラーズか? そうか。お前が我が跡を継いで、外敵の排除の任に着いたのか」


「む? なぜ我が名を?」


 ヴァリスがラーズと呼んだ青竜が、いぶかしげな声を出す。


「我だ。ヴァリス・ゴールドフレイヴだ。かつて大空を共に駆けた仲間を忘れたか?」


 親しげに語りかけるヴァリス。どうもあのラーズさんっていう青竜は、ヴァリスの知り合いらしい。


「……ヴァリス? ヴァリスの兄者か? そ、そうか。竜王様から聞かされてはいたが、まさか本当に人間の姿などに……なんと気の毒な……」


 悲しげな声でつぶやくラーズさん。


「気の毒なことなどない。我は使命を果たして戻ってきたのだ。竜王様の親友を呼び戻し、お連れするという使命をな」


 誇りに満ちた声で、ヴァリスは胸を張って言う。


「なんと!? さすがは兄者だ! 己が身を人身にやつしてまで使命を全うするなど、並みの『竜族』にできることではない。我は誇らしいぞ、兄者」


 彼のあまりの大声に、その場の空気がびりびりと震える。表情の変化はわかりにくいけど、ラーズさんがすごく喜んでいることは、あたしの目でもよく分かった。


「ならば、兄者。もう人間の姿に縛られる必要はないのだな? ようやく我は、兄者と共に再びこの空を駆けることができるのだな?」


「……残念ながらそれは叶わない」


「なに?」


「いや、残念ではない。我は我の意志で、この姿を選んだのだ」


「そ、それはどういう……」


「我はな、ラーズ。ここにいるアリシアと、真の意味で『真名』を交わしたのだ。この身が彼女とともにある限り、二度と竜身に戻るつもりはない」


 ヴァリスは力強く断言する。聞いているこっちの方が恥ずかしくなるくらい情熱的な言葉に、あたしは顔の熱さを自覚する。


「……そ、そんな、兄者。あなたは、気が触れたのか? 誇り高かったあなたが……」


「悪いが正気だ」


「み、認められぬ……認められるものか! そこの人間、アリシアとか言ったな? 貴様が兄者をたぶらかしたのだな!」


 ラーズさんは怒号に【魔力】を乗せながら、あたしをにらみつけてくる。とっさにレミルが“抱擁障壁バリアブル・バリア”を展開してくれなかったら、気絶していたかもしれない迫力だ。


「た、たぶらかしただなんて……あたし、そんなつもりじゃ……」


「黙れ。そもそもなぜ、兄者が貴様のような醜く穢れた人間などと……」


 なおも言葉を続けようとしたラーズさんは、そこで言葉を詰まらせる。


「あ、兄者?」


 ヴァリスが怒っている。ラーズさんが黙らざるを得ないくらい、ヴァリスからは猛烈な怒りが溢れているのがわかる。


「……今の言葉は、捨て置けんな。ラーズ。貴様は真実を見る目を曇らせている。人間をうわべだけで見ているからだ。我ら『竜族』の本質こそ、魂にあるを忘れたか?」


「だ、だが、しかし……」


「ならば、わかりやすいようお前にも見せてやる。……アリシア。悪いがここは、《転空飛翔エンゲージ・ウイング》に協力してもらいたい」


 怒気をはらみながらも、あたしに対する言葉には、控えめな感情が含まれている。


「うん、いいよ」


 あたしは頷く。


 二人で『真名』を交わし合い、世界に解かれ、世界を渡り、世界に結ばれる。《転空飛翔エンゲージ・ウイング


 爆発的に吹きあがるヴァリスの力と金色に染まるあたしの髪と瞳。


 それらを目の当たりにして、ラーズさんの心が驚愕に染まるのが見えた。


「な、な……こ、これは……」


「これでわかったか?」


 驚愕に打ち震えるラーズさんに、静かな声で語りかけるヴァリス。


「……あ、あ」


 ラーズさんは深みのある青い瞳であたしを見下ろしてくる。すごい迫力だけど、ここで負けちゃ駄目なんだ。そう思った。だからあたしは、逆に睨み返すように彼を見た。


 すると──


「う、美しい……」


「え?」


 今、この人なんて言ったの?


「まさか、人間がこんなにも美しい魂をもっていようとは……」


「え。あ。いや……その、あはは……」


 あたしの『目』には、彼が掛け値なくあたしの『美しさ』に驚嘆し、褒め称えていることがわかってしまった。それだけでも、ものすごく恥ずかしいのに、極めつけは次の言葉だった。


「ふん。ようやくアリシアの美しさがわかったか。さあ、ラーズ。我の伴侶たるアリシアに、先ほどの失言を詫びてもらおうか」


「ちょ、ええ!?」


 ラーズさんに迫るように、一歩進み出るヴァリス。

 あたしは、心の中で悲鳴を上げる。『美しさがようやくわかったか』って、何を誇らしげに言ってるのよ! 信じられない! っていうか、周囲の皆の反応を確認したくない。怖い怖い怖い……。


 すると案の定、あたしの天敵から実に的確な一撃がお見舞いされる。


「あはは! これってどう見ても、『自分の彼女を後輩に自慢する若者』って感じだよね? よかったね、自慢してもらえて。ア・リ・シ・ア・ちゃん?」


「うきゃあああ!」


 思わず絶叫するあたし。


「な! ど、どうした、アリシア? 大丈夫か?」


 心配げに声をかけてくるヴァリス。


「だ、大丈夫なわけがないでしょう!?」


 あたしは半狂乱になって、近づいてきたヴァリスの身体を叩く。


「い、いや、その、すまん! 何か、気に障るようなことがあったのか?」


 あたしの身体を抱きかかえながら、焦ったような声を出すヴァリス。《転空飛翔エンゲージ・ウイング》の使用直後であるため、あたしにはヴァリスがすごく怯えているのが分かった。……一昨日の『裁判』、そんなに怖かったんだね。そう思いつつも、パニック状態のあたしはそんな思いを上手くヴァリスに伝えられない。


 するとそのとき──


「ま、待ってくれ、姉上さま! 悪いのはヴァリスの兄者ではなく、我だ! だ、だからその、罰するのなら、我を罰してはくれまいか」


「え?」


 青く巨大な竜の口から、信じられない単語が聞こえた。……ううん、あたしには何も聞こえませんでした。


「今、『姉上さま』って言わなかったか、あの竜?」


「え、ええ、確かに聞こえたわね。多分、アリシアのことでしょうけど……」


 聞こえませんでしたったら、聞こえませんでした! あたしは、ルシアくんとシリルちゃんの声を耳から追い出すように首を振る。


「姉上さまに無礼を働いたのは、我だ。ならば我が……」


 ああ、やっぱり駄目でした。幻聴じゃないんだね……。


「ちょ、ちょっと待って? えっと、どうしてあたしが『姉上さま』なの?」


「姉上さまは、我が慕うヴァリス兄者の伴侶ではないか。それに……我は生まれてこの方、ここまで怯えた様子の兄者を見たことはないのだ。ただ、美しいだけでなく、兄者を圧倒するほどの強さをも兼ね備えているとは……我が姉上と呼び慕うのも当然だろう」


「あ、あはは……」


 酷い誤解に言葉も出ない。圧倒するほどの強さって、別にそういうわけじゃ……さっきまで威圧感が無くなったのはいいけど、こんな風に尊敬の眼差しを向けられるのは、それはそれですごく居心地が悪かった。


「アリシア……許してくれないのか?」


「ああ、もう! 今のヴァリスなら落ち着いて『見れば』わかるでしょ?」


 周囲から注がれる視線が痛い。『さあ一斉にからかうぞ』と準備万端の皆に囲まれて、あたしは余計な言葉を言わないことにした。


「あははは! すごいじゃん! アリシア! まさかあたし、生きてる間に『竜族』から姉上さまって呼ばれちゃう人間に出会える日が来るなんて、夢にも思わなかったなあ!」


「いやはや、驚いた。わたしもエリオットも『魔神殺しの聖女』だの、『最強の傭兵』だの、色々な称号でもてはやされることはあったが、これは極めつけだな。その名もまさか『ドラゴンの姉上さま』だ」


「ぶはっ! くくく! い、いや、エイミアさん……いくらなんでもからかい過ぎですよ。ド、ドラゴンの姉上さまって、なんですかいったい……ぷ、くくく!」


 エリオットくん……あからさまに笑いをこらえている時点で、レイフィアとエイミアの二人と同罪なんだからね。あたしはジロリと彼らをにらむ。けれど目が合うと、余計に爆笑されてしまった。


「……すごいです。アリシアお姉ちゃん。世界最強の『竜族』に慕われちゃうなんて、きっと世界で、アリシアお姉ちゃんだけです」


 シャルちゃん……珍しくあたしのことを『お姉ちゃん』を付けて呼んでくれるのは嬉しいけど、今それをされるのは悪意しか感じないよ?


「──それではラーズ。『竜の谷』の皆に、我とファラ殿の到着を知らせてはもらえないか?」


 話が落ち着いたところで、ヴァリスがあらためてラーズさんに声をかける。


「無論、任せておいてもらおう。……ヴァリスの兄者は無事に使命を果たしたばかりか、美しく勇ましい姉上さままで伴侶に迎え、凱旋を果たしたと、声高らかに宣言してまいる!」


 ばさばさと羽ばたきの音を強く響かせ、身をひるがえす青竜ラーズさん。


「いやあああ! ちょ、ちょっと、待ってえええ!」


 そんなあたしの叫びは、蒼穹に虚しく吸い込まれていく。



     -竜王再臨-


 あの若造が成長したものだ。我は感慨深く青竜の背を見つめている。最後に会ったのはわずか半年と少し前のこと。『竜族』は谷の中で過ごすことに固執するあまり、外界への関心が薄い。我のように外敵排除の任という名目で、嫌でも外界に飛び出さねばならない立場になって、ようやく見えてくるものもあるのだ。


 なぜか竜王様は、この手の任務を比較的若い『竜族』にのみ命じている。かつての我は下命に疑問を抱くことなどなかったが、今にして思えば、そうした成長が望める若者だからこそ、竜王様はご配慮くださっているのかもしれない。


 それを思えば、今の我があるのもやはり、竜王様のおかげなのだろう。そんな竜王様のお役に少しでも立てるとなれば、胸に誇らしさが溢れてこようというものだ。


 だが、我がそんな感傷に浸っていると、袖口をぐいぐいと引っ張られた


「どうした、アリシア?」


「え、えっと……その、あたしだけこの船の中で待ってるってわけにはいかないかな?」


「……アリシアはわが故郷に足を踏み入れるのは嫌か?」


 彼女の意外な言葉に、つい責めるような、すがるような言い方になってしまう。


「え? ううん! そ、そんなことはないんだけど……その、恥ずかしいというか、気まずいというか……」


 今の状態なら、アリシアの感情は我にも見える。言っていることは本当のようだが、なぜ恥ずかしいのかまでは、我にはわからないのだ。この“同調”という力も、便利なようで不便な能力だ。


「あはは。それを言ったら僕なんてどうするんだい? 『竜族』から蛇蝎のごとく忌み嫌われている生粋の『魔族』なんだよ? 気まずいどころの話じゃないんだけどな……」


 茶化すようにそう言ったのは、ノエルだった。しかし、我はその言葉に首を振る。


「それも心配はいらない。自身の制御を至上命題とするのが『竜族』だ。過去のしがらみがあろうと、今のお前の立場を正しく説明すれば、問題など起こるまい」


「そうだね。勇気を出して行ってみるよ」


「ノエルさん、ひどい。あたしの逃げ場がなくなっていく……」


「まあまあ、ヴァリスの気持ちも考えれば、君を置いて行くなんて、今さらできないでしょ?」


「それは、そうだけど……」


 アリシアは、どうにか同行してくれる気になったようだ。我は助け舟を出してくれたノエルに感謝の視線を送る。ノエルはそれを笑って受け流すと、別のことを口にした。


「ところで僕としては、今回の件のもう一人の主役であるところの彼女が、一言も話していないのが気になるんだけどなあ」


 彼女とは、言うまでもなくファラ殿のことだ。ノエルの言葉に、皆の視線が彼女に集中する。だが、彼女は──


「…………」


 黙ったまま、宙を見つめて動かない。ぴくりともせず、彫像のように固まっている。


「おーい、ファラ? 大丈夫か?」


 ルシアがそんな彼女の前に掌をかざし、呼びかける。すると、


「む、むむ? な、なんだ、ルシア?」


 ようやく我に返ったように返事がある。


「まさか、ファラ。緊張しているのか?」


〈な! なななななな! 何を言ってしまうか、このたわけめ! べ、べべべ別にわらわは、グ、グランの奴なんか、手のかかる小僧だぞ? 緊張なんてするわけないか!?〉


「……文脈が滅茶苦茶だぞ」


 ルシアがにやにやと笑いながら言う。


〈うう! な、なんだ? その顔は! 何か言いたいことでもあるのか!?〉


「いや別に?」


 ルシアは、とぼけるように肩をすくめてみせる。傍から見ている我でさえ、小憎たらしくなるような仕草だ。


〈ぐ、ぬ!〉


「ねえ、ファラ? 何をそんなに興奮しているのよ。いいから少し、落ち着いたら?」


 助け舟のようなシリルの声。彼女は光明を見つけたかのように、それにすがりつく。


〈む、ま、まあそうだな。ふふん。別にわらわは……〉


 ようやく胸を撫で下ろすファラ殿。


「ところでファラ。落ち着いたところで訊きたいんだけど……」


〈なんだ?〉


「竜王様に会ったら、第一声で、なんて声をかけるつもりなの?」


〈むきゃあああ!〉


 ファラ殿が壊れてしまった。これはまずい。ようやく竜王様に会っていただけるというのに、なんということだ。


〈声に出ているぞ! そこのドラゴン!〉


 涙目で叫ぶファラ殿。我には珍しいミスをしたものだ。それもこれも、使命を達成できたという安堵感とアリシアを伴侶として皆に紹介できるという誇らしさが、我の気を緩めてしまっているのかもしれない。


「……だ、だから、そういう恥ずかしいこと考えないでよ」


 袖を引っ張りながら、顔を赤くしてうつむくアリシアは、とにかく魅力的だ。


「ううー!」


 ますます赤くなった彼女は、そっぽを向いて我から離れてしまった。


「さてみなさん。そろそろ『竜の谷』中心部の上空ですよ」


 レイミが言えば、タイミングよくラーズが姿を現す。


「待たせたな。その乗り物を着陸させられるスペースなら十分にある。このまま真っ直ぐ降りてくれ」


「え? いいのかい? 君らだってこれが『魔族』の【魔導装置】だってことくらい、わかっていると思うけど……


 ラーズの呼びかけに対し、意外そうな顔をするノエル。


「百も承知。我ら『竜族』は、過去の恨みを相手の種族全体に向けるような野蛮な存在ではないのだ」


 我が先ほど、ノエルに言って聞かせたとおりの言葉を口にするラーズ。そう、それこそが誇り高き我ら『竜族』なのだ。


「……驚いた。ほんとに『竜族』って懐が深いんだね。尊敬するよ」


 目をみはり、感心したように言うノエル。


「ふ、それが我ら『竜族』だ」


 ラーズの声には、得意げな響きが混じっている。心なしか、彼がノエルを見つめる視線も好意的なものになっているようだ。これを狙ってやっているのだとすれば、ノエルも大したものだ。


「それじゃ、降下するよ。ゆっくりやるけど、一応着地の衝撃に備えてもらっていいかな?」


「おう」


 甲板の床からせり出した席につき、拘束帯で体を固定する。


 やがて降り立った場所は、我には懐かしき『竜の谷』の光景だった。半年前から何一つ変わらず、そこに在り続ける『竜族』の棲み処。


 ラーズは、よほど張り切って伝えてくれたのだろう。周囲の『竜族』たちからは、どちらかと言えば好意的な視線が我とアリシアに注がれている。


「うう、恥ずかしい……」


 所在なさげに下を向くアリシアの肩を、我は軽く抱き寄せた。


「きゃ」


「心配するな。皆、我らを受け入れてくれているようだぞ」


「そ、それはわかるけど……この姿勢になってから、視線の種類が変わってきたよう……」


 この姿勢、というのは我が彼女を抱き寄せた体勢だろうか。やむなく我は彼女を離す。そして船から降り、地上を歩きだしたところで、ルシアから肩を叩かれた。


「なあ、ヴァリス。彼女を皆に自慢したい気持ちはわかるんだけどさ。アリシアのためにも少し控えめにしてやらないか?」


「控えめ? 何をだ?」


「いや、だから抱き寄せるとか、だよ。気づいているかどうか知らないけど、それって仲睦まじい姿を、他のみんなに見せつけているようなものなんだぜ?」


「…………」


 言われて我は気付く。つまり我は、己の『誇らしい』という感情を制御しきれず、アリシアに過剰な負担を強いていたということだろうか?


「ルシアの言うとおりよ。それに今回は、ファラが竜王様に千年ぶりに出会う記念すべき日なのよ? 二人の仲の良さはわかるけど、少しは自粛してもらわなくちゃね」


「……む」


 シリルに駄目押しのように言われて、我は気付く。そうか。これがアリシアの言う『恥ずかしい』というやつか。我は謝罪の意味も込めて、アリシアに視線を向けると、彼女はわずかに頬をふくらませるようにしてにらみ返してくる。


「……もう、やっとわかったの?」


「面目ない」


 そう言うしかない。本当に面目ない話だった。


〈うう、や、やっぱり、もう少し後にしないか?〉


 我がアリシアに心からの謝罪をしていると、そんな往生際の悪い声が聞こえてくる。


「ここまで来て、そういうわけにはいかないだろ。覚悟を決めろって」


「そうよ。ファラ。竜王様はあなたのために、千年間もここで待っていてくれたのよ? ここで帰ったら可哀そうじゃない」


 ルシアの言い分はともかく、シリルのそれは、何となく抵抗を覚える言葉だった。


 竜王様と言えば、遥かな古代から世界に生きる『竜族』の中の『竜族』だ。この世界における最強の存在であり、「神」という言葉を絶対者として定義づけるなら、あの御方こそが、間違いなくそれだろう。


 その方を指して、『可哀そう』とは恐れ多いのではないか。


 だが、実際に竜王神殿に辿り着いた我らを待っていたのは、そんな我の想いを覆すようなものだった。


〈うう、この奥か?〉


「我はここで下がるように言われていますので失礼しますが、竜王様はこちらでお待ちです」


 ファラ殿の問いかけに、ラーズは簡潔な答えを返す。


 『竜族』ですら自由に出入りができるほど巨大な洞穴。岩壁をくり抜いて造られたここに来るのは、実に久しぶりな気がする。そう言えばかつて、ここでアリシアは竜王様の探査魔法をかけられながら、豪胆にも眠っていたのだったか。


「あう、あたしもその時のこと、思い出しちゃった」


 アリシアの声。我の想いを感じ取ったのだろう。少しばつの悪そうな顔をしている。


「あれ? でもおかしいな。確か前は、ここからでも竜王様の身体が見えたはずなんだけどな」


 ルシアの言うとおりだ。あの御方の虹色の巨躯は、入口からでも十分に見えるはずだ。それが見えないということは、どういうことなのか?


 と、その時だった。


〈ファラ!〉


 先頭を歩くファラ殿に、勢いよく何かの影が飛びつくのが見えた。


〈どああ! うわ、うわ、うわ!〉


〈ファラ、ファラ、ファラ!〉


 慌てふためくファラ殿に、頬ずりせんばかりに抱きついているのは、一人の青年だ。いや、一歩間違えれば少年と呼んでよいくらいに若い。光の加減で虹色にも見える金の髪を適度に伸ばし、簡素な旅人風の装いに身を包む彼は、感極まったように何度も彼女の名前を連呼している。


〈ちょ、ちょっと待て! 落ち着け! 落ち着かんか!〉


 ほとんど泣きじゃくらんばかりに自分に抱きつく青年に、ファラ殿は狼狽を隠せないようだ。


〈千年だ! 千年待ったのだぞ? これが落ち着いていられるか!〉


〈いや、まあ、それはそうだけれども! と、とにかくこれじゃお互いの顔も見えまい。少し離れてくれ〉


 ファラ殿が諭すように言うと、渋々と言った様子で青年は身体を離す。


〈ああ、ファラ。汝は千年前からまったく変わっていないな!〉


 満面の笑みを浮かべる美貌の青年。まさか、あれが? 皆に問いかけるような視線を向けられ、ファラ殿は軽く咳払いをする。


〈あ、あっと、つまりだな。グランはわらわと『真名』を交わすことで、人の姿もとれるようになったのだ〉


〈ああ、礼を言う。礼を言うぞ! ルシアよ。それに他の皆も……。こんなに素晴らしい日が、まさか巡ってこようとは……!〉


 歓喜に声を震わせる竜王様。再びしっかりとファラ殿にしがみついている。


〈うわ、ちょっと、やめい! うう、とにかく抱きつくんじゃない!〉


〈なぜだ、ファラ? かつてはファラの方が、竜身の時の我の首に、抱きついてくれていたではないか〉


〈うわあああ! そ、それを言うなあ!〉


 どうやら我が『竜族』の神とも崇めていた竜王様も、ファラ殿の前では別の顔を見せるらしい。そのことが喜ばしいような、残念なような複雑な気持ちで、我はその光景を見守っていたのだった。

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