第149話 理想の相棒/懐かしの地へ
-理想の相棒-
俺の目の前には、メラメラと燃える炎を纏った巨人がいる。片腕を失い、不恰好な姿ではあるものの、依然として脅威であることに変わりはない。しかし、そんな脅威も俺にとっては過去の物だ。俺には、こんなにも心強い相棒がいるのだから。
「よし、行くか」
〈……うむ〉
だが、ファラは何故か表情を曇らせている。
「どうした?」
〈いや、なんでもない。それより、先ほどはああ言ったが、シャルの“同調”が効いている今の状態でも、あれを倒すのは簡単なことではない。集中を怠るなよ?〉
「りょーかい!」
俺は手にした魔剣を正眼に構える。目の前には、斬られた足を再生させながら立ち上がる、邪神──『最初の邪悪』。自我を持つ生き物であれば、ファラの【事象魔法】では斬ることができない。肉体を直接攻撃するしか手はないだろう。だが、こいつはあくまで【事象】そのものだ。だから、俺の認識さえ成り立つ距離であれば、刀身の長さなど関係ない。
間合いも防御も関係なく、この【魔鍵】の真の神性は、『あらゆる事象』を斬って捨てる。
〈意志を剣に剣を意志に……世界に刻め、己が理想を〉
《斬神幻想》!
俺は剣を振り下ろす。間合いは遠く、刀身は奴に触れもしない。しかし、『邪神』の身体には、はっきりと斬り裂かれた痕跡が生み出される。
「ち! 一度じゃ無理か!」
〈ならば、畳み掛けよ! 己の思いをかなえるため、何度でも足掻き続けろ!〉
ファラに言われるまでもない。一度でできなければ二度やるだけだ。それでも駄目なら、何度でもやるだけだ。無駄な足掻きと言われようが、やりたいことがあるのなら、俺はそれを諦めない。
時折『最初の邪悪』から放たれる炎を斬り散らし、俺は滴る汗をぬぐう間もなく魔剣を振るう。そして、何度目の斬撃の後だろうか? とうとう『最初の邪悪』は動きを止めた。
ぼろぼろと土で造られた人形のように崩れていく『最初の邪悪』。
「……ふう、どうにか勝ったな」
「ルシア!」
俺がようやく終わった戦いに胸を撫で下ろしていると、山道の下から他の皆が上がってくる。真っ先に俺の視界に映ったのは、銀の髪を振り乱して駆け寄ってくるシリルの姿だ。
「大丈夫? 怪我はない?」
目の前で急停止し、心配そうに俺を見上げる彼女。坂道であるせいか、もともとの俺と彼女の身長差が、さらに拡大されてしまっている。つまり、その分だけ彼女は、俺を上目遣いに見上げる姿勢をとっているということだ。
長いまつ毛に縁どられた愛らしい銀の瞳は、今さらながらに恐ろしい破壊力をもって、俺の心を激しく揺さぶる。
「えっと、ルシア?」
呼吸を落ち着けるように胸に手を当て、それでも俺を気遣うように視線を向けてくる彼女に、俺は思わず見惚れてしまっていた。
「あ、ああ、大丈夫。エイミアとエリオットもいたし、何よりファラのおかげで怪我一つないよ」
俺は慌てて目を逸らし、どうにか言葉を言い繕う。だが、視線を向けた先がまずかった。
「むっふっふ。ルーシーアくん?」
アリシア、満面の笑み。いやいや、さっきまで力を使い果たしたみたいにぐったりしてたんじゃないのか?
「何を動揺してるのかな?」
「い、いや、その……」
しどろもどろに返事をする。
「なに? どうしたの?」
「あ、シリルちゃん。あのね、実はさっき、ルシアくんったら……」
「うあああ! ちょ、ちょっと待った!」
俺は慌てて二人の間に割って入る。
「ルシア……。さっきから、いったいなんなの?」
シリルが不思議そうな顔で俺を見上げる。あらためて見つめられて、俺はますます狼狽する。なんというか、反則的な可愛さだ。ただ見上げてくるだけなのに、いつにも増して可愛く見える。いったい、どういうことだろう? 彼女に何があった? いや、おかしいのは俺の目の方だろうか?
「うっふっふ。わかるかな? わからないよね? うん。恋は女の子を綺麗にするんだよ」
そんなアリシアのつぶやきも、今の俺には遥か彼方から響いてくるようで、はっきりとは聞き取れなかった。
「ま、まあそれより……今回は色々なことが起き過ぎだな。『ラディス』の野郎が妨害してくるわ、ジャシンは手が付けられないわ、フェイルとセフィリアまで出てくるわ、挙句の果てに『邪神』とまで戦う羽目になったんだもんな」
俺は、そんな動揺を誤魔化すように今回の件を振り返る。
「……ファルネート。せっかく、レミルと分かり合えそうだったのに……」
アリシアは、『ジャシン』を救いきれなかったことをまだ悔やんでいるようだ。彼女の足元では、十歳程度の幼女に見えるレミルもまた、酷く悲しそうな顔で俯いている。
「……あれ? これは?」
エリオットが消えていく『最初の邪悪』の残骸の中から、何かを見つけた。
「髪の毛? 金色の髪、か。まさか、セフィリアの?」
エイミアもエリオットの手の中にあるソレを覗き込むように見る。
「……わたしにください」
シャルが深刻な顔で二人に申し出た。
「え? これをかい? いいよ」
エリオットから金の髪の束を受け取るシャル。
「……セフィリア。これがあなたが振り撒く『邪悪』なの? でも、この髪からは、あなたの心を感じるよ。たとえこの心が『邪心』だとしても……あなたには『心』がある。なのに、誰とも一緒にいられないだなんて、寂しすぎるよ……」
シャルは、手にした黄金の髪を丁寧に腰のポーチにしまいこんだ。そんな彼女の頭に、ぽんと手を置く人物が一人。
「大丈夫よ。あなたの思うようにしなさい。きっと、それが正解だから」
「う、うん。ありがとう、シリルお姉ちゃん」
こくりと頷きを返すシャル。
「……それと、さっきノエルたちにも連絡を取ったから、もうすぐ来てくれるはずよ。『ジャシン』がいなくなったおかげで、あの『道化師団』の化け物たちも復活しなくなったらしいしね」
彼女のそんな言葉どおり、それからいくらもしないうちに、俺たちの頭上には『アリア・ノルン』の船影が現れていた。
「みんな! 無事かい?」
船に乗り込んだ俺たちを、ノエルが両手を広げて出迎えてくれる。どうやら船も彼女たちも無事だったようで、俺は安堵の息をついた。
「あーあ、つまんないの。このあたしがお留守番なんてありえる? さっきから見てれば、面白そうな敵とばっかり戦っちゃってさ」
ふくれっ面で不満を口にしたのはレイフィアだ。だが、そんな彼女もシリルが近づいていくと、露骨に顔色を変えた。
「うう、だから、なんなのさ……」
俺からはシリルの顔は見えないが、レイフィアから見て、彼女はかなり『嫌な顔』をしているようだ。レイフィアはその顔を見て、戸惑ったように後ずさっている。
「あなたなら……この船を護ってくれると信じてたわ。ほんとにありがとう」
「べ、べべべべべべべ、別に!! か、関係ないじゃん?」
ぺこりと頭を下げるシリル。支離滅裂に返事をしながら顔を青褪めさせるレイフィア。……いや、赤くなったり青くなったりと言った方が正しいだろうか?
ここでようやく俺たちは、今回この船を降りるところから続いていたシリルの妙な態度について、理解ができた。
「あはは。レイフィアにもとんだ弱点があったみたいだね」
「なんなのだ、あれは? 人から好意を向けられるのを恐れるとは、相変わらず彼女だけは理解に苦しむな」
「ふふ。恐れるって言うか、慣れてないって言うか、照れ屋さんなんだよねー、レイフィアちゃんって!」
アリシアの声はヴァリスに向けてのものだったが、すぐ隣にいる人物に対する声としては、明らかに大きすぎる。
「レイフィアちゃんって言うなあ!」
レイフィアが顔を真っ赤にして叫ぶ。ただ、アリシアがここまで露骨に他人の弱みを突いた真似をするのも珍しい。それはつまり、彼女がそれだけレイフィアに心を許しているということだろう。
それから俺たちは、【火の聖地】『フォルベルド』上空に船を浮かべたまま、一晩を過ごすことになった。本当ならすぐにでも『楔』を設置したいところだが、ヴァリスもアリシアも消耗しきっている。どうしても一日はゆっくり休む必要があった。
「ふう……何はともあれ、無事でよかったけど、いつになく冷や冷やものだったな。さすがに疲れたぜ」
夕食を終え、自室に戻った俺は寝台に腰かけて一息ついた。ちなみにもう一つの寝台にはファラが寝ころんでいる。残念ながら、シリルに固く禁止されてしまったため、彼女の服装は以前寝巻に使っていた色っぽいモノとは違っている。
それでも掛布団の上に直接寝転がる黒髪美人の姿が同室にあると言うのは、実のところ、今でもまだ緊張してしまったりもする。
〈な、なあ、ルシア?〉
「ん? なんだ?」
昼間から彼女の様子がおかしいことには気づいていた。原因もわからないが、しかし、今の声は尋常じゃない。いつも力強く自信に満ちた話し方をする彼女が、弱々しく、まるで俺の機嫌でもうかがうかのような声を出すなんて、まったく初めてのことだった。
〈その、訊かないのか?〉
「え? 何を?」
〈だ、だから……わらわの妹のことだ〉
言いにくそうなファラの声。
「いや、ほんとにどうしたんだ? いつものお前じゃないぞ?」
あまり様子がおかしいようなら医者に……っていや、こいつを医者に見せても仕方がないのか? あいにく『神』様を治してくれる医者は知らないしなあ。
〈ま、まさか……気を遣っておるのではなくて、本当に気にしておらんのか?〉
「え? 気にしてるって言うと……」
ん? 妹のことを訊かないのかって、ああ、なるほど。そういうことか。
「……アレクシオラ・カルラ。だっけ?」
〈そうだ。わらわの……『妹』だ〉
決定的な一言。そう言いたげに『妹』という言葉を強調するファラ。
「……ファラの、『種族としての名前』を剥奪したとかいう『妹』だったよな?」
俺は一応、確認の意味でそう問い返す。
〈そうだ、そして……お主の世界を創造した『四柱神』の一柱だ〉
「……ああ、やっぱりそっちか。俺の元の世界のことを気にしてるんだな? でも、【ヒャクド】の正体がそいつかどうかもわからないし、そもそもお前は『四柱神』じゃないだろ?」
〈そんなに簡単に割り切れるものなのか?〉
「らしくないなあ、ファラ。お前でも『妹』が相手となると、自分とは切り離して考えられないんだな。……いや、そう考えると『らしくある』のかな? お姉さん?」
〈ぬぐ! 人が真面目に話しているというのに、ふざけおって……〉
「悪い。ただ、俺としてはどっちかって言うと、どうしてお前の妹がお前の名前を剥奪したのかの方が気になるけどな」
〈このお人好しめ〉
ファラはごろりと壁の方に寝返りを打ち、俺に背を向けたまま言った。不満そうな声だ。一方的に『許される』感覚が気に入らないのかもしれない。俺としては許すも何もないのだけど……はあ、まったく面倒な奴だな。
俺は内心で溜め息を吐きながら、彼女に『お願い』の言葉をかける。
「なあ、ファラの妹がどんな人だったのか、聞かせてくれよ。俺がフェイルとやりあう上でも、大事な情報になるだろうしな」
〈む? ああ、アーシェのことか。だが、そんなことでいいのか?〉
「ああ、聞きたいね」
〈……彼女は、精神や魂にまつわる力を神性とすることの多いカルラ神族にあって、『刹那の衝動』を司る『神』。『永遠の理想』たる、わらわの対になる女神だ〉
──フェイルの持つ【神機】の力は、まさにそんな彼女を象徴している。
世界を引っ掻く幻想の爪。移り気で気まぐれで、誰にも手の付けられない無謬の女神。そんな彼女が、いつの間に『カルラ神族の長』などになり、なぜこの世界を捨てて【異世界】の創世になど関わったのかは、わからない。
間違えない。失敗しない。後悔しない。刹那の衝動。
永遠に過ちのない神。その瞬間、絶対の正しさを有する『神』。
情念の塊。それこそが彼女──
ファラは、そう語った。
「……でも、あれが【魔鍵】じゃないなんてな。フェイルの奴は嘘を言っていたのか? 確か、『斬り開く刹那の聖剣』とか言っていたけど」
〈さあ、それはわからない。だが、妹は──アーシェは、あえて【魔鍵】に擬した力を残したのかもしれない。あやつの行動はいつだって意味不明だ。フェイルとも似ているな。案外、奴があの『剣』を使っているのも、そんなところに理由があるのかもしれん〉
「意味不明……か。でも、どうやらその辺に謎を解くカギはありそうだな。何はともあれ、次にフェイルに会った時にでも聞いてみるか?」
〈まったく気楽に言ってくれるな。……だが、そうだな。あの妹が何を思ってこの世界にあんなものを残したのか。それだけでも確かめたい〉
そこにはもしかしたら、ファラの名を剥奪した意図も、隠されているのかもしれない。するとそこで、ファラは再び寝返りを打ち、こちらを向いた。
〈ま、まあ、これからもよろしくな。わが相棒よ〉
はにかんだように笑う彼女に、俺は拳を突きだして返事を返す。
「おう、よろしく」
-懐かしの地へ-
翌日、わたしたちは【火の聖地】フォルベルドの中枢である火山の頂上に降り立った。どうやら火山自体はファルネート覚醒の影響で活性化していたらしく、一日がたった今では、噴火口のマグマもその水位を大幅に低下させている。
「とはいえ、暑いものは暑いよな。手早く済ませようぜ」
ルシアが片手で顔を仰ぎながらぼやく。
「うんうん、早くしよう、早くしよう! 楽しみ楽しみ!」
もっとも、レイフィアが楽しそうにアリシアとヴァリスを急き立てるのには、別の理由があるに違いないのだけれど。
「……ヴァリス?」
「……む」
ただ、二人の様子がおかしい。いつもならアリシアが恥ずかしそうに下を向き、ヴァリスがそれをリードするように始まるはずなのに、今では何故かアリシアの方が胸を張り、ヴァリスの方が若干萎縮しているようにさえ見える。
「昨日は疲れちゃって、ろくにお話もできなかったけど、まさかここで『アレが必要だからやってくれ』なんて、言わないよね?」
「……も、もちろんだ」
アリシアはにこやかに笑みを浮かべ、ひたすら縮こまるヴァリスに向かって何かを言い聞かせているようだ。ただ、笑顔に見える彼女の表情こそが、何より怖いものであることを、何故かその場の全員が感じ取っていた。──否、全員ではなかった。
「どしたの? ほら、愛の台詞、早く聞かせてよ」
「……レイフィア。あなた、本当に楽しそうね」
例外が一人。どこまでも空気を読まない彼女は、アリシアの笑顔の意味にも気づいていないのだろうか。
「……ねえ、レイフィアちゃん? あたし、後で一度、レイフィアちゃんともじっくりお話ししてみたいなあって、思ってたの。うふふ……」
「ひえ!? なに? 怖い! その笑い方怖いよ!?」
空気を読まないことで我が道を行く彼女も、たまにはそれがマイナス方向に働くことがあることを知ればいい。そんな風に思いたくなる場面だった。
「うーん、なんだかよく分からないけど、そろそろ始めてもらっていいかい?」
ノエルが長引きかけた皆のやりとりをまとめるように言う。
「よし、ではアリシア。手を前に出してくれ」
「え? う、うん……」
アリシアは恐る恐る両手を前に差し出す。するとヴァリスは彼女の手を包み込むように両手でつかんだ。
「後は気持ちを合わせるように、お互いの『真名』を呼べばよい」
「う、うん」
「よし、ではいくぞ。……アリシア・マーズ」
「……ヴァリス・ゴールドフレイヴ」
お互いの名を呼び合う。ただ、それだけだった。ただ、それだけで二人の身体は光に包まれ、《転空飛翔》使用後の二人の姿が現れる。
「あれ? 愛の言葉は?」
レイフィアが拍子抜けしたような声を出す。実はわたしも、少しだけがっかりした気分だった。最初は聞いているだけで頭から布団をかぶりたくなるほど恥ずかしい台詞だと思ったりもしたけれど、それでも少し羨ましいし、素敵な台詞だとさえ思っていたのだ。
周囲を見渡せば、ルシアもシャルも他の皆もやはり、期待していたものが見られなかったことに不満そうな顔をしていることがわかった。やっぱり、みんな、同じなのね……。
「うう……、だ、だって、仕方ないでしょ? あ、あんなの、恥ずかしすぎるよう!」
どうやら、わたしやレイフィアを初めとするみんなの『がっかり感』を感じ取ったらしい。アリシアは金の瞳に涙を浮かべてぶんぶんと首を振る。
「ははは。ま、ちょっと残念だけど、手早く変身できるようになったのはいいかもね。それじゃ、はいこれ」
ノエルが小さな銀の『補助装置』をヴァリスに手渡す。
「うう、変身じゃないよ」
ぶつぶつとつぶやくアリシア。
ヴァリスが【魔力】を込めることにより、空間に溶け込むように消えていく『補助装置』。ようやくこれで、四属の【聖地】のうちのひとつに設置することができたわけだけれど、今回の件を思い返すだけで、前途の多難さが思いやられるところだ。
「……でも、多分この先の【聖地】には『ジャシン』はいません。セフィリアなら……フェイルがあの子に協力しているのなら、わたしたちの先回りをして『ジャシン』を取り込み、代わりに邪悪──いえ『セフィリアの邪心』を残すぐらいのことはするはずです」
「……まあ、シャルの言うとおりだろうな。あいつならその程度の嫌がらせは、あり得る話だ」
シャルの言葉にルシアが同意するように頷く。
けれど、わたしには釈然としない思いがあった。先ほどの経験から言って、どう考えても力押しが通じにくい分、『ジャシン』の方が『セフィリアの邪心』よりは厄介な存在だ。行く先々にあるそれを取り除いてくれると言うのでは、まるでわたしたちを助けてくれているようなものじゃないだろうか?
「シリルの言いたいこともわかるけど、ここはひとつ、ラッキーだと思うことにしておくしかないんじゃないかな?」
わたしが口にした疑問に、ノエルは意外にも楽観的な言葉を返す。いつもなら慎重すぎるほど慎重な彼女にしては珍しいことだ。
「いや、フェイルとセフィリアに関しては、情報が少なすぎるよ。分析できるだけの情報があるなら、いくら時間をかけてでも対策を練るべきだとは思うけど、そうじゃなければ、なるべく物事は良い方向に考えておくべきだ」
合理性を追求した先の楽観主義。こういうところは、ノエルも『魔族』らしい。
「んじゃ、それはそれとして、この後はどうするんだ?」
「ああ、ここは最南端の【聖地】だからね。残りの三つ──風のラズベルド、地のエルベルド、水のクアルベルドについては、ここから北西に向かって、そのまま北東へと弧を描くように進めば、ちょうどその進路上にあるんだ。だから次は……」
「ラズベルド。シリルちゃんがルシアくんを召喚した【聖地】だね!」
アリシアが嬉しそうにはしゃいだ声を上げる。
ラズベルド──自暴自棄になりかけたわたしが、最後に望みを託した場所。花々が咲き誇り、湖に青空が映り込む幻想的なあの風景。あそこでわたしは、彼に出会った。
なぜかわたしは、胸の奥がくすぐったくなるような感覚を覚え、ちらりとルシアへ目を向ける。彼の黒い瞳が、わたしの視線とまっすぐぶつかる。気恥ずかしさを感じながらも、わたしが目を逸らさずにいると、彼の瞳がふっと柔らかく微笑んだように見えた。
「そうか。懐かしいな……。あれから半年以上は経っているけど、それにしたってもうずいぶん昔のような気がするな」
「うふふ! だよね? あたしとシリルちゃん、ルシアくんの三人が出会ったのも【聖地】の傍にある『ルーズの町』だもんね」
そう、随分と昔の話に思える。それもこれも、この半年がそれまでの時間とは比べ物にならないくらい、密度の濃い、充実した日々だったからだろう。
「それなら是非、行ってみたいね。ちょうどヴァリスもファラさんを『竜の谷』に連れて行きたいみたいだったし、【聖地】に行く前に多少の寄り道は構わないんじゃないかな?」
「え? ファラ、いいのか?」
ノエルの提案に驚いたような顔をしたのは、ルシアだった。そう言えば忘れていたけれど、竜王様とは、ルシアが『扉』を開いたら会いに行くという約束を交わしていたのだった。約束した当時はその可能性は低いだろうと思っていただけに、あまり気にもかけていなかったけれど、確かに今や、彼の『扉』は開きかけていると言ってもいい。
〈う、うむ……。さすがにこれ以上、奴を待たせるのも悪いからな。今でも完全とは言い難いが、大分ましになった。……礼を言わせてくれ、ルシア〉
「何言ってんだ。当然だろ?」
神妙に頭を下げるファラの肩を叩くルシア。ファラは照れくさそうな顔をしてその手を振り払う。なんだか、少し妬けちゃうくらいに信頼関係ができてるのね。あの二人……。
「むふふふ……」
背後から不気味な笑い。肩に置かれた手に反応するように振り向くわたしの視界には、山頂に吹く風に輝く金髪を揺らしている、アリシアの笑顔があった。
「そんなに妬かなくても大丈夫だよ、シリルちゃん。だってファラちゃんには、千年間思いを寄せ合っていた、ラブラブなグランさんがいるんだよ?」
「な! べ、別に妬いてなんかいないわよ!」
〈な! べ、別に思いを寄せ合ってなど……!〉
アリシアの言葉に、同時に反応してしまうわたしとファラ。思わず声が重なってしまったのが恥ずかしい。見ればルシアなんて、必死で笑いをこらえている。
「くくく! あはは! 新旧のシリルちゃんが揃って同じ顔してる!」
「し、失礼ね! 新旧ってどういう意味よ!?」
お腹を抱えて笑い続けるアリシアを、わたしは強く睨みつける。
「あ、ご、ごめんね? シリルちゃん、ファラちゃん」
両手を合わせて謝罪の言葉を口にするアリシア。
何はともあれ次の目的地は、わたしたちにとって、『はじまりの地』ともいえるパルキア王国に決まったのだった。
──目的地までは、通常の巡航速度で行って二、三日かかる。
その日、わたしは何故かアリシアからの呼び出しを受けて、彼女のいる部屋に向かった。部屋割りの都合上、彼女は一人部屋が割り当てられていたのだけれど、実際にはルシアの場合と同じようにレミルがもう一つの寝台を使っているらしい。
けれどこの日は、レミルではなくもう一人、ヴァリスがいた。
「あ! シリルちゃん。急にごめんね?」
「いえ、いいけど……その、何が始まるの?」
わたしの視線の先には、何やら緊張した面持ちのヴァリスがいる。緊張というより、その顔は『恐怖』で強張っているようだ。
「うふふふ! うーんとね、弾劾裁判?」
わたしの問いに、アリシアは満面の笑みで答える。すごく楽しそうなのに、わたしの背筋には悪寒が走る。あれ? この子って、こんなに黒い笑い方できたっけ?
嬉しそうに笑いながら、部屋の中央に置かれた椅子に腰かけるヴァリスの周りをくるくると歩き回るアリシア。わたしとしては、呆気にとられて固まるしかない。
「え、えっと弾劾裁判って?」
「うん! シリルちゃんにはね、えっと……なんていうんだっけ? ほら、見届け人? それをやってほしいの」
「……それは刑罰執行の時の役割だと思うわよ」
明らかにわざと間違っているのだが、ヴァリスの顔がますます引きつっていくのを見て、一応は訂正しておいてあげることにした。
「ヴァリス……何をやったの?」
「いや、まあその……罪深いことだ」
わたしの問いかけに何かを言おうとしてアリシアに笑いかけられ、言葉を濁すヴァリス。一体何が始まろうとしているのか、この段階になっても判然としない。
そんななか、レミルと共に裁判官席(?)につくアリシア。というか、隣に座るレミルには、明らかに意味が分かっていないのだろう。なんとなく彼女に付き合って真面目そうな顔をしてはいるが、時々戸惑い気味の視線をわたしに向けてくる。
「それではこれより、乙女心をもてあそぶ、嘘つきドラゴンに対する弾劾裁判を開始します」
アリシアは、高らかに宣言する。呆気にとられていたわたしも、徐々に明らかになる『事件』の全容を知るにつけ、だんだんと我慢が出来なくなってしまう。
そしてとうとう、痺れを切らしたヴァリスが情けない顔で「済まなかった。頼むからもう許してほしい」と懇願し始めたところで、わたしの堤防は決壊した。
「あは! あははははは!」
「シリルちゃん! あたしは真面目なんだからね? 陪審員として、よーく話を聞いてくれなきゃ!」
「ご、ごめんなさい。で、でも、ぷ、くくく……!」
わたしは抑えきれない笑いの発作に耐えかねながら、肩で荒く息をつく。次の目的地は、ヴァリスと出会った『竜の谷』でもあるのだけれど、こんなヴァリスを見て、竜王様はなんて言うかしらね?