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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第15章 孤児の目覚めと邪悪のはじまり
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第147話 セルフィッシュ/一寸先は闇

     -セルフィッシュ-


 唖然とした顔で固まるファルネートさん。


 あと数歩で、母の腕の中に辿り着けたはずの少年は、首に巻きつくモノの感触に動きを止め、小刻みに身体を震わせています。


「う、あ……?」


「うふふ! ずるいんだ、ずるいんだ。……ワタシと同じはずなのに、ワタシの仲間のはずなのに、孤児のあなたに『お母さん』だなんて、ずるいんだ」


 彼の首に巻きつく髪の毛。それはまるで生き物のようにしゅるしゅると音を立て、少しずつ少しずつ、彼の身体を覆っていきます。深淵から響くかのような彼女の声は、それまで温かかったわたしたちの心を、芯まで凍りつかせてしまいました。


「ファルネートくん!」


〈ファルネート!〉


 アリシアお姉ちゃんとレミルさんが、彼の名前を呼び掛けます。けれど、彼は動かず、代わりに彼女が笑いました。


「……セフィリアは寂しいの。だからあなたには、せめてワタシと『同じ』でいてもらわなくちゃね? 余計な絆なんて、喪失なくしてあげる。ワタシのなかで、せめてセフィリアの力になってね?」


 ファルネートさんの姿が金と紅の輝きの中に埋もれ、徐々に霞んでいきました。


「う、あ、ぼ、僕は……」


「大丈夫。怖がらないで? ワタシたちが一緒にいてあげる。いつまでもいつまでも、『孤児』のまま、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……ずーっと! 一緒だよ?」


 彼女のその言葉を最後に、ファルネートさんの姿は完全に消えてしまいました。


「セフィリア! あなた、どうして?」


「こんにちは。シャル。ごめんね。なかなか会いに来れなくて。セフィリアはね、傷ついてるの。だから、癒してあげなくちゃいけなかったの……」


 『彼女』は、まるでセフィリアのことを別人のように語っています。


「あ、あなたは誰?」


「ワタシ? うん。ワタシもね、セフィリアと一緒の時間が長過ぎて、自分と彼女の区別がつかなくなってたの。でも、湖の底にいたアイツが、ワタシとセフィリアの間に『絶縁の剣』を差し込んだとき……気付いたの。ウフフ、ワタシはセフィリアを護るためにいる。彼女のために……ワタシは『彼女と同じ』を、たくさん作るのよ」


 かつて『無邪気』に笑っていた彼女は、邪気に満ちた笑みを浮かべていました。それはまるで、それまで失われていたモノを取り戻したかのような、そんな笑み。


「ど、どうして? どうしてこんな酷いことをするの!? やっと、やっと心を開いてくれたのに……」


 叫んだのはアリシアお姉ちゃん。金色の瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれています。するとセフィリア──いいえ、『彼女』は軽く首を傾げました。


「いいなあ、さっきの子。自分のために泣いてくれる人がいるんだ? ……でも、それじゃ、あの子、ワタシたちと『同じ』じゃないよね? ……そんなの、喪失なくしちゃおうか?」


 金と紅の髪が、しゅるしゅると動いています。心なしか、以前見た時よりも紅い髪の方が多いみたいな……。そこまで考えた時、わたしは『彼女』がしようとしていることに気付きました。


「だめ!」


 間一髪、わたしの動きは間に合いました。アリシアお姉ちゃんと『彼女』の間に割って入り、両手を広げて立ち塞がることができたのです。そんなわたしの鼻先では、紅い毛先がゆらゆらと揺れています。


「シャル。危ないからどいて?」


「……どかないよ。アリシアお姉ちゃんは、わたしの大切な人だもん」


 しかし、わたしが彼女を見つめてそう言った、その瞬間のことでした。彼女の紅い髪が爆発的な勢いで周囲に拡がっていったのです。


「く! 囲まれたか……!」


 ヴァリスさんが地に膝を着けたまま、呻くように言いました。出血が多かったせいか、その声もかすれてしまっているようです。


「……ふうん。シャルも、セフィリアを一人にするの? シャルだけは、セフィリアの友達で、セフィリアと『同じ』だって思ってたのに」


 ぞっとするような声で言う『彼女』。

 でも、わたしだって、こんなところで怯むわけにはいかないのです。


「友達だよ。それは今だって変わってない」


「だったら、どうして邪魔するの? ワタシはセフィリアのために、その人を喪失なくそうとしているだけなのに……」


 その言葉に、アリシアお姉ちゃんがびくりと身を震わせました。周囲には、依然としてゆらゆらと紅い髪の海が揺れています。


「言ったでしょう? わたしの大切な人だからよ」


「じゃあ、セフィリアより、その人を選ぶんだ?」


 あと一歩で敵意・憎悪という域に達しそうな、そんな暗い感情を含んだ声。


「ううん。選ばないよ。だって、どっちも大事だもの。セフィリアだって、わたしの大事な人を傷つけたいなんて、きっと思わないはずだよ」


「…………」


 わたしがそう言うと、『彼女』は判断に迷うような顔で黙り込みます。恐らく『彼女』の中には、セフィリアのために何が一番良いのか、それだけしかないのでしょう。だからこそ、迷う。


「……ねえ、セフィリアとお話をさせてくれる?」


「……セフィリアは、傷ついてる。表に出たら、もっと傷つく」


「彼女がわたしとお話ししたくないって、言ってるの?」


 わたしが食い下がるように言うと、『彼女』は再び黙り込みます。


「……話したいって」


 『彼女』がそう言った直後、劇的な変化が起きました。周囲を覆う紅い海が、一瞬で金色の海に姿を変えたのです。目の前の少女の姿も、紅い髪は金に染まり、裾が赤かったワンピースも純白に色を変えていました。


「……シャル。ごめんね」


「え?」


 雰囲気でわかりました。今、言葉を口にしたのは間違いなくセフィリア本人です。でも、どうして謝るのでしょうか?


「一人は嫌なの、寂しいの。でも、だからって、わたし、シャルの仲間の人に酷いことをしちゃった。シャルだけは……わたしと『同じ』でいてくれたのに。わたしと『同じ』だって、言ってくれたのに……」


 セフィリアは、申し訳なさそうに言葉を続けます。わたしにも言いたいことはあったけれど、今はただ、彼女の言葉の続きを待つことにしました。


「わたしはこの世界が大好き。世界全部を同じように、わたしは愛してる。わたしと世界は『違う』けど、それでもわたしは世界が好き。シャルも、同じだよね? シャルの大切な人も、シャルは『世界と同じ』に好きなんだよね?」


 それは、確認するような言葉でした。以前に別れてから、彼女に何があったのかはわかりません。だから、わたしはここで慎重に言葉を選ぶべきだったのでしょう。彼女を刺激しないように、彼女が望む答えを返す。それが最善だったのかもしれません。


 ──でも、友達に嘘をつくような『最善』なんていらない。

 だってそれは、彼女のためを思っての嘘ですらない。そんなの、本当の友達じゃない。だからわたしは、こう言いました。


「違うよ」


「え?」


「わたしはアリシアお姉ちゃんや他の皆を、世界そのものよりも、ずっと愛してる」


「な、なにを言ってるの? シャル、言ったじゃない。わたしと同じだって。わたしと同じで、世界が大好きなんだって!」


 セフィリアは、今まで見せたこともないような、驚愕に震える顔でわたしを見つめてきます。


「世界は大好きだよ。でも、わたしには特別に好きな人たちがいる。……もちろん、セフィリアもその一人だよ。わたしは、大好きな世界に生まれて、大好きな人たちと特別に結ぶ絆があることが幸せなの。だから、あなたも……」


「……じゃあ、『違う』の?」


 わたしの言葉を遮るようなセフィリアの声。冷たくて無感情なその声に、怯まないと決めたわたしの心が、一瞬だけ怯んでしまう。でも、それでも……


「違うよ。わたしとセフィリアは違う。『同じ』じゃない。でも、同じじゃなくたって……」


「……うそつき」


「え?」


「うそつき。シャルのうそつき。同じだって言ったのに、同じだって信じてたのに……!」


 心臓に突き刺さるような言葉。そう、わたしは嘘つきだった。彼女のことをろくに知りもしないで、わたしはなんて無責任なことを言ってしまったんだろう? 彼女が『世界が大好きだ』と言う言葉の裏に、どれだけの深い悲しみや孤独があるかも知らずに。


「聞いて! わたしは確かに、セフィリアと同じじゃない。でも、わたしはそれでもセフィリアの友達だよ? セフィリアと仲良くしたいよ。わたしと特別な絆を、結んでほしいと思ってる!」


「そんなの嘘。ううん、無理だよ。だってわたし、知ってるもの。『違う』ってことは、独りってことだから。家族も友達も恋人も仲間も何もかも、『同じ』だから一緒なんでしょ? 一緒にいる理由があるから、共有できる何かがあるから、一緒なんだよね?」


「そ、それは違うよ!」


「……もういい。もうわかった。やっぱり、この世界にはわたしと『同じ』ものなんてないんだ。……うふふふ。だったら、やっぱり喪失なくしちゃってもいいよね?」


 セフィリアは、黒く染まった純真を、敵意──否、『滅意』に変えて世界に放つ。金色の髪、そして純白の服が黒く染まり、それに伴って世界がびりびりと震えていく。


〈駄目!〉


 わたしの中で、フィリスが焦ったように叫びました。


〈フィリス?〉


〈世界が悲鳴を上げている……このままじゃ、この世界が……〉


 滅びてしまう? フィリスの言葉の続きは、容易に想像がつきました。こんな禍々しい力、見たことがありません。世界全てを呪う力? そんな生易しいものではありません。ジャシンなどより遥かに強固に、この世界そのものを、ただただ喪失なくしてしまおうとする、純粋な意思。


「わたしが世界を愛しても……世界はわたしを見てくれない。この世界に、わたしと『同じ』ものなんて無い。……うふふ、あははは!」


 セフィリアは笑う。世界を滅ぼす意思を放ちながら、壮絶な笑みを浮かべています。ですがわたしは、そんな彼女にお腹の底から湧きあがってくるような感情を覚えました。……いいえ、これは『湧いて』いるのではありません。


 わたしは、『はらわたが煮えくり返って』いるのです。


「この、ばか!!」


 怒りに任せてわたしは叫ぶ。


「うふふ。あはは…………って、え?」


 真っ黒な笑みを浮かべていたセフィリアが、虚を突かれたようにわたしを見ます。間抜けな顔です。いい気味です。


「なによ! いじけちゃってさ! いい加減にしてよね! 同じじゃないから、友達になれない? 一緒にいられない? そんなこと……そんなこと、勝手に決めつけないでよ!」


「シャ、シャル? 何を言って……」


 金の瞳を丸くしたまま問いかけてくる彼女に、わたしはさらにまくしたてます。


「あなたがなんて言おうが関係ない。嫌だって言っても駄目なんだから! わたしはあなたと友達になるって決めたの! ……決めたって言ったら、決めたんだから!」


 激情を一気に吐き出し、わたしは肩で息をしながら、ようやく口を閉じました。


「シャ、シャルちゃん?」


「……シャル?」


 アリシアお姉ちゃんとヴァリスさんの二人が、驚いたようにわたしを見ているのがわかります。わたし自身、まさか自分がここまで感情的になって、理屈も何もあったものじゃない、『子供の論理』を振りかざす日が来るなんて、思いもしませんでした。


 でも、わたしは子供なんです。だったら、子供らしく、わがままな感情で、同じ子供であるセフィリアに向き合うのです。


「……シャル。ふふ!」


 黒かった周囲の髪が、彼女の姿が、元の色に戻っていきます。わたしの思いが通じたのでしょうか?


「面白いね、シャルは。それじゃあ、こうしよう? わたしはね、ここに来るまで蛇神様と一緒に、たくさんの孤児を取り込んだんだ。……知ってる? 『存在そのものが邪悪』な孤児。……ねえ、シャル。わたしはこれから、あの子たちの『邪悪』を世界に振りまく。だから、あなたはそれを全部集めて、わたしのところに持ってきて。そしたら、もう一回、あなたのことを信じるから」


「な、なにを……」


「同じじゃなくても、わたしがどんな存在でも、一緒にいてくれるんだよね? だったら、わたしが『邪悪そのもの』よりもひどいモノでも、一緒にいてくれるよね?」


 彼女は、わたしを試そうと言うのでしょうか? 

 ……ううん、違う。試すんじゃなくて、確かめたいんだ。同じじゃなくても、違うものでも、一緒にいられるということを、彼女は確認したいんだ。彼女は、それを『信じたい』と思ってる。


「……いいよ。わたし、やる」


 わたしは決意と共に断言しました。


「うふふ! そうこなくちゃね。……それじゃ、まずは手始めに」


 そう言って、セフィリアは空に向かって手を掲げます。


「最初の邪悪」



     -一寸先は闇-


 ジャシンと呼ばれる哀れな孤児は、レミルの勇気ある愛によって救われた。山頂からアレがなだれ落ちてきた時は肝を冷やしたものだが、どうにか望む結末に収束した。わらわは胸を撫で下ろす思いだった。


 山のふもとで『邪神もどき』たちと戦っていたルシアや他の皆も、突如として敵が消滅したことに驚きながら、山の頂へと目を向ける。肉眼ではよく確認できない距離ではあるだろうが、アリシアたちの説得が成功したということは、他の皆にもわかったはずだ。


「ふう……どうにかなったな」


 ルシアは肩で息をしながら、安堵の声を漏らす。『邪神もどき』が放ち続ける黒い球体を防げるのがルシアだけだったため、戦闘中はひたすら剣を振るい続けていたのだ。疲れているのも無理はない。今だけは、わらわの【魔鍵】を杖がわりにすることを許そう。


「大丈夫、ルシア?」


 シリルが心配そうに声を掛けつつ、ルシアの元へ歩み寄る。


「ああ、さすがにちょっと疲れたけどな」


「そうね。まさか『ジャシン』がこれほどのものだったなんて……」


「この先ずっとこの調子じゃ、大変だな」


「ええ。アリシアの説得も毎回上手く行くとは限らないし……」


 先行きに不安を感じているのか、二人とも浮かない顔だ。実際問題として、あと3回も同じことを繰り返さねばならないのだ。前途は多難だと言えた。


「まあ、先のことを考えていても仕方ないさ。今はアリシアの頑張りを称えてあげよう」


 エイミアはそう言うと、背中に弓を背負いなおしつつ、頂上へと歩を進めようとする。


「危ない! エイミアさん!」


 それに気付いたのは、エリオットだった。これまで何度もルシアたち一行を苦しめてきたモノ。天性の勘でそれに気付いたエリオットは、虚空に向かって槍を突きだす。


「気付いたか」


 金属同士がぶつかる甲高い音と共に、黒尽くめの男が姿を現す。黒い長髪に漆黒の全身鎧。顔に巻かれた包帯の白さと赤い瞳だけが、不気味に浮き上がって見える立ち姿。


“虚無の放浪者”──気配はおろか存在さえも、感知できないレベルにまで“減衰”してしまう力。“減衰”の『始原の力オリジン』は、本来なら力を暴走させないよう制御するため、『神』が『古代魔族』に与えたものだ。だが、この男は歪んだ形でそれを手にしている。


「フェイル!?」


 エイミアは背後をとられたことに気付き、前方に駆け出すようにして距離をとった。


「できれば不意打ちで一人ぐらいは始末したかったのだがな。くくく、手品も繰り返せば種がばれる、と言ったところか」


 奇襲に失敗し、逆に敵に囲まれてしまうという危機的状況にも関わらず、フェイルは落ち着いた声音で語り、手にした『剣』で受け止めた槍の穂先を弾き返す。


「ぐ!」


 どうやらあの男、見た目以上に腕力もあるようだ。エリオットがたたらを踏むように後退する。


「エリオット、助かった。ありがとう」


「いえ、エイミアさんが無事でよかったです」


 二人は用心深くフェイルに向かって構えをとる。


「毎度毎度、最悪なタイミングで現れやがって。いい加減、お前の顔も見飽きたぜ」


 ルシアが悪態をつくと、フェイルは軽く肩をすくめた。


「同感だな。そろそろお前とは決着をつけてもいいかもしれない。俺には、他に楽しみもできたのだから」


 山頂方向に視線を向けながら、つぶやきを漏らすフェイル。そんな彼の視線の意味に、真っ先に気付いたのはルシアだった。


「あっちにも何か来てやがるのか?」


「まさか、セフィリアか!? 」


 ルシアの言葉にエリオットが反応する。確かマギスレギアの謁見の間において、彼女は『ローグ村』について言及していた。エリオットとも浅からぬ因縁があるのだろうか?


「まずいな。あの少女の力は危険だ。すぐにでも助けに向かわないと」


「危険……か。くくく。いまだに、その程度の認識でアレを見ているのか?」


 フェイルは、エイミアの発言を嘲笑するように肩を震わせる。


「まあ、いい。アレが世界を滅ぼすか否かは、あの場で決まるだろう。世界の終わり──そんな場所で、貴様と戦うのも面白そうだ」


「相変わらず、いかれてるな」


「褒め言葉をどうも」


 フェイルは、真紅の輝きを宿す剣を構える。


【魔鍵】『斬り開く刹那の聖剣カルラ・アーシェス・ソリアス』。


 『アーシェス』──いや、これは発音の問題だろう。

 実際には、『アーシェ』で間違いあるまい。


「ファラ? どうした?」


 わらわの感情が激しく乱れたことを、ルシアは感じ取ったようだ。心配そうに声をかけてくる。ただし、油断なく目の前の男を見据えたままで。だが、わらわが何かを言う前に、冷徹な声があたりに響く。


「余裕ぶっている暇があるかしら? わたしたちは、一対一なんて認めてやるほど寛大じゃあないわよ?」


 いつの間にか、シリルの正面には無数の黒い【魔法陣】が、連なるように出現している。


「……心配するな。今日の俺は機嫌がいい。全員まとめて相手をしてやろう」


「なら、ここで死になさい」


〈ゼルグ・メンダス・キルリス・アサード。アウラシェリエル・ジオ・ラド・ソリアス〉

〈絶望の門より来たる死神の鎌。惨劇の天使が抱くは暗黒の剣〉


命貫く死天使の刃アウラシェリエル


 触れたものに絶対の死をもたらす、凶悪な魔法。【事象魔法】コマンド・オブ・ルーラーでさえ、あそこまで問答無用の効果を発揮する魔法は少ないだろう。命というものを研究し尽くしでもしない限り、あんな【魔法】は創れない。


「“斬界幻爪ブレイド・オブ・フェイト”」


 フェイルは、つぶやいただけだ。だが、それだけで周囲に無数の紅い傷口が生み出される。今にも血の滴り落ちそうなそれは、ぱっくりと口を開いている。フェイルに迫る致命の刃。それをあっさりと飲み込み、何事もなかったかのように閉じていく。


 『世界の傷』──奴の言う【爪痕】だ。


「消滅した!?」


 必殺の魔法を消され、驚愕の声を上げるシリル。続いてエイミアが、光属性魔法や光の矢を放つものの、ことごとくが次々と生み出される【爪痕】に阻まれる。


「なんだ、あれは? 『剣』を振りもしないのに、なんであんなに無数の【爪痕】が……」


 ルシアは呆然とつぶやいている。これまでフェイルは、【爪痕】を創るのに、空間を斬りつけていたはずだ。だが、今の奴は、それをせずとも『空間を斬る』という事象を実現できるようになったと言うことだろうか? 


 それは『神』ならぬ身が操るには、あまりにも強力な【事象魔法】コマンド・オブ・ルーラーだ。しかし、あやつの中の【オリジン】は、わらわが見る限り、特定の『神』のものではない。……ならば、あの『剣』は【魔鍵】ではない。


 そして──『そうであるならば、すべての辻褄が合う』のだ。


〈……よく聞け、ルシア〉


「なんだ?」


〈奴のあの武器、あれは【魔鍵】ではない〉


「え? じゃ、じゃあ、なんなんだ?」


 一瞬、戸惑ったように動きを止めるルシア。


〈あれはな……『魔族』の言葉を借りるなら、【神機】と呼ぶべきモノだ〉


「【神機】……じゃあ、アストラルにあった『ラフォウル・テナス』と同じものなのか?」


〈その通り。【異世界】に消えた『神』が残した力の断片。四柱神が一柱──アレクシオラ・カルラ。……わらわの妹、アーシェの力だ〉


【神機】『カルラ・アーシェス・ソリアス』


「なんだって?」


 つまり、わらわの妹は、ルシアにとっての最悪の絶対者【ヒャクド】だったかもしれない存在なのだ。だからこそ、わらわはこの時まで『四柱神』の一柱が『妹』であることを言い出せなかった。


「……ったく、それじゃあいつ、『神』の【魔法】をそのまま使えるようなものなのか?」


 戦闘中であるためだろうか、彼はその事実には触れようとせず、そんな質問を口にする。


〈ああ、『ラグナ・メギドス』を思い出せば、その厄介さがよく分かるだろう〉


「……だな」


 ルシアは油断なく、フェイルを見つめると『切り拓く絆の魔剣グラン・ファラ・ソリアス』を大上段に構える。


「いくぞ、ファラ。……斬る!」


 ルシアは無数に開く『世界の傷』にためらうことなく突進し、剣を振り下ろす。『傷つけられた空間』という事象そのものを斬り散らし、フェイルに迫るルシアは、振り下ろした剣先を斜めに跳ね上げるようにして斬りつけた。


 フェイルは斜めに構えた剣でそれを上方へ受け流すと、体が流れたルシアの脇にそのまま刃を突き込もうとする。だが、ルシアは身体を捻ってさらに間合いを詰め、剣さえ振るえない超至近距離に入り込むことでその攻撃を避けた。

 フェイルは即座に後退しながらルシアに斬りつけようとするが、ルシアは引き気味に放たれた斬撃を正面から受け止め、受け止めたまま間合いを詰める。


 が、しかし、目前に出現した【爪痕】を察知して慌てて飛びのいた。


「くそ! 厄介だな」


「大したものだ。腕を上げたか?」


 感心したように言うフェイルに、轟音と共に衝撃波が迫る。ルシアと間合いが離れたことを見てとったエリオットの攻撃だ。


 だが、フェイルは己の存在を“減衰”し、その衝撃波を透過させてしまった。


「く! 嫌な能力だ!」


 エリオットが悔しそうに叫ぶのが聞こえる。


「逃がさないわ!」


 その声と共に、いつの間に構築を完了したのか、黒い【魔法陣】を明滅させたシリルが闇属性魔法を放つ。黒い無数の獣が、フェイルが先ほどまでいた場所を取り囲む。


「自動感知で敵を攻撃する、持続型攻撃魔法の《喰らう陰影シャドウ・イーター》よ。姿を現すまで、わたしがこれを維持するから、ルシアも周囲に気を配って!」


「了解!」


 だが、なかなかフェイルは姿を現さない。


「逃げたのか?」


 ルシアが痺れを切らしてつぶやいた、その時だった。


「見るがいい。あれがセフィリアの結論のようだ。くくく、俺としては理想的な展開だな」


 声だけが響く。だが、見ろと言われても指を差されたわけでもない。一体どこを見ろと言うのか。と、言いたいところだったが、その心配はなかった。山頂方面、この火山の噴火口付近に、凄まじいプレッシャーを放つ化け物の姿があったからだ。


〈……先ほどまでの連中の比ではないな。あれではまるで、正真正銘の『邪神』そのものではないか。なぜ、今頃になってあんなものが?〉


 ここにいた『ジャシン』は、アリシアとレミルのおかげで鎮まったはずだ。だが、わらわは奇妙なものを感知していた。場所は、アリシアたちがいる地点だ。


 つい先程まで存在していたはずの『ジャシン』の気配が無くなっている。というよりは、何か大きなものに飲み込まれているかのようだ。しかも恐ろしいことに、その『大きなもの』は、ジャシンと同質のものを多数、内包しているらしいのだ。


 結局、わらわが胸を撫で下ろすことができたのは、束の間のことだった。

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