表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第15章 孤児の目覚めと邪悪のはじまり
185/270

第144話 自分に素直に/彼のお願い、わたしの想い

     -自分に素直に-


 大変なことになった。


 シャルの誕生パーティーでの余興で、僕はエイミアさんに勝利した。素手での戦いと言う彼女にとって不得手な分野であり、僕も死に物狂いで戦った以上、それは当然の結果だ。けれど僕は、考えていなかったのだ。


 確かに僕が勝てば、エイミアさんの無茶なお願いを恐れる必要はなくなる。でも代わりに、僕の方がエイミアさんに何か一つ、お願いをしなければならないのだ。これほどまでの難題が、未だかつてあっただろうか?


「なにが難題だよ。なんでもいいんだろ? 難しく考えなくたっていいじゃないか」


 パーティーの翌日、僕は早速ルシアの部屋を訪れ、相談を持ちかけていた。同室のヴァリスは、何やらアリシアさんに用があるみたいだったし、こうした相談が向いている相手でもない以上、彼を頼るしかなかったという訳だ。


「それが難しいんだよ。エイミアさんの性格を考えてみてくれ。あの日、ものすごく悔しそうな顔をしてただろ? そのうえ僕があまりにも簡単なお願いとか、適当なお願いなんかをした日には……」


「あーなるほどな。『わたしに情けをかけるつもりか?』となるわけだ」


 ルシアもわかってくれたみたいだ。少なくとも彼女は、僕が本当にしてほしいお願いか、そうでなければ罰ゲームとしてエイミアさんに負担がかかるようなお願いでなければ、聞き入れてくれないはずだ。


「まさか、エイミアさんに罰ゲームをしてもらうなんて、到底考えられないし……」


 僕がそんな風につぶやくと、ルシアはにやりと笑ってみせた。


「だったら決まってるじゃないか。エリオットがエイミアにやってもらいたいことをお願いすればいい。別に難しくないだろ?」


「それが難しいんだよ!」


 思わず僕は声を荒げる。するとルシアが口元に人差し指を立てて声を低めた。


「静かにしろよ。ファラが起きちまうだろ?」


「……え?」


 一瞬、僕は彼が何を言っているのかわからなかった。彼の視線の方向に目を向ければ、空いているはずの寝台の布団がこんもりと盛り上がっているのが見える。僕も目の前の難題に気をとられ過ぎて、今まで気付かなかったが、確かにそこには誰かがいた。


「……あれ? ま、まさか、そこに寝てるのって……」


「ん? ああ、ファラだよ。不思議だよな、ほんと。普段から俺の中で眠ったり起きたりしているようなものだから、寝なくてもいいはずなんだが、実体を伴っての眠りは一味違うとかなんとか……」


 違うだろう。そうじゃない。そういう問題じゃない。何を言っているんだ、彼は。


 ──その寝台で眠っていたのは、黒髪の美しい一人の女性だった。


「う、ううん……むにゃむにゃ。にくきゅう、さいこー」


 壁の方を向いたまま意味不明な寝言を繰り返す『彼女』は、もぞもぞと身じろぎし、寝返りを打ってこちらを向いた。幸せそうなその寝顔は、当然ながらかつてのシリルのものだ。


 年頃の男女が同じ部屋で寝泊まりしている……。どこからどう見ても、そうとしか言えない状況だ。


「ん? そんなの今さらだろ? そもそもあいつ、少し前まで俺の中にいたまま、風呂だろうがトイレだろうが、一緒だったんだぜ?」


「……シャルが君のこと、神経が無いって言う意味がよく分かったよ」


 僕は力無く息を吐く。少なくともこの状況をシリルが知った時のことが怖い。とはいえ、それは別の話だろう。


「ごめん。話が逸れてしまったみたいだね。本題に戻ろう」


 僕がそう言うと、ルシアは改めて意味ありげな顔で笑う。


「難しいって言うけどさ、どうなんだ? 実際、してもらいたいことなんて山ほどあるんじゃないか?」


「な、何を言ってるんだよ」


「言っとくけど、俺にアドバイスなんかできないからな? お前がしてもらいたいことなんか、知るわけないんだし」


「うう……」


 突き放されてしまい、僕は言葉に詰まる。


「でも、まあ、羨ましいぜ。なんてったって、年上の美人のお姉さんに『なんでもひとつだけ、言うことを聞いてあげる』って言われてるわけだろ?」


「ル、ルシア!」


 僕は殺気を込めてルシアを睨む。


「おお、怖い怖い。まあ、いきなり過激な要求をするのもどうかと思うけどさ。お前なりに今回の件をチャンスっていうか、いい口実だと思って、ちゃっかり利用すればいいんじゃないか?」


「り、利用って……」


「あ、ちなみに後で結果ぐらい、教えてくれよな?」


「……君に相談した僕が馬鹿だったよ」


 あまりにも気楽な様子のルシアに、僕はがっくりと肩を落とした。なんだか面白半分で話をされたようで、少しばかり気に入らない。


 ──と、そのときだった。部屋の扉が控えめにノックされる音がする。


「ルシア? いる?」


「ん? おお、シリルか。どうした?」


「うん。今後のことでちょっと相談したいことがあって……」


「そっか。じゃあ、入れよ」


 彼は馬鹿なのだろうか? 僕はそう思ったが、先ほどの不満が残っていたためか、特に忠告もせず、そのまま展開を見守ることにした。扉のノブが回され、その向こうからシリルの姿が現れる。


 銀の髪に薄紫の聖衣。この部屋の寝台で眠る女性とは、まるで別人のような姿。


「ごめんね、急に」


「いや、いいって。実はエリオットも来てるんだが、どうする?」


「うん、大丈夫。一緒に聞いてもらいたいわ。ジャシンを相手にするにあたって、アリシアの言ってたことをどうやって試すべきか、考えたいのよ」


 そんなやり取りを交わしながら、ルシアはシリルを部屋に招き入れる。椅子に腰かける僕に気付き、軽く会釈をしてくるシリルに僕は何とも言えない目を向けた。彼女は少し怪訝そうな顔をしたが、まっすぐ僕のいるテーブルへと歩いてくる。


「うーん、むにゅむにゅ……うう、グラン! それはわらわの獲物……うーん……」


 間が悪いというより、狙ったのではないかと思いたくなるタイミング。ひときわ大きな寝言を口にするファラ。当然、シリルはそれに気付く。驚いて声のした方を振り返り、そしてそのまま硬直。僕からは彼女の表情は見えないが、大惨事直前といった状況なのは間違いない。


「ん? どうした、シリル?」


 この期に及んでまだ気づかないか、君は……。


「ル、ルシア?」


「ん?」


「そこで寝てるのって……」


「ああ、ファラだよ」


 どこまでも呑気な答え。続くシリルの声は、間違いなくこの『アリア・ノルン』の船内に響き渡ったことだろう。


「ファラだよ、じゃないわよ!! いったい何を考えてるのよ!?」


「ぬおわ!?」


 あまりの大喝に、たまげたように目を見開くルシア。


「……どういうことなの? なんでわたしがヴァリスとアリシアの同室をやめさせた傍から、貴方が男女同室で寝泊まりしてるわけ?」


 今度はいたって小さな声だ。だが、声に秘められた感情は、先ほどよりも激しさを増しているんじゃないだろうか。


「い、いや、それはだな……」


 ルシアはしどろもどろに、僕に話したのと同じ言葉を繰り返す。だが、当然ながらシリルにそれが通じるはずもない。


「何を言っているの? そういう問題じゃないでしょ? ……まさかあなた、ファラがそういうことに頓着しないのをいいことに、わざと寝台で寝させてるんじゃないわよね?」


 じろりと疑いの目でルシアを見つめるシリル。


「ば、馬鹿なことを言うなよな。ファラから言い出したんだよ。折角空いてる寝台があるなら、実体化して寝心地を確かめたいってさ。それを駄目だなんていう方が不憫だろ?」


「そうね。でもそれなら、ファラと同室である必要はないはずでしょう? 隣の部屋くらいなら十分実体化していられるみたいだし」


「うう……」


 シリルに下手な言い訳なんて通じるわけがない。それがようやくルシアにもわかったのか、少し観念したように息をついた。


「うーん、わかったよ。白状する。確かにお前の言うとおり、別室にするっていうのは思いつかないわけじゃなかった。でも、その……初めてこいつが寝台に潜り込んで寝ちまったのを見たらな……惜しくなったんだ」


「……最低ね」


 見る間に不機嫌な顔になるシリル。ほら、だから言ったじゃないか……と、そこまで考えて、部屋に入ってくる際に自分が忠告をためらったことを思い出す。あれ? これで二人の仲が険悪になったら、僕にも責任の一端があるんじゃないか? まずいかもしれないぞ。


 と思っていると──


「ああ、自分でもそう思う。以前の姿とは言え、『シリルの寝顔をじっくり見られる機会ができて良かった』なんて、最低な発想をしちまったよ。反省してる」


 深々と頭を下げるルシア。真剣な顔で謝罪をしているけれど、「お前の寝顔が見たかった」なんて台詞は、好きな相手以外から言われたら引くしかないところだろう。


「な……う、う」


 だから、その台詞に顔を真っ赤に染めて言葉を詰まらせ、寝台で眠るファラの顔に時折視線を走らせているシリルは、きっと『そう』なんだろうなと僕は思った。


「ね、寝顔なんて……見てどうするのよ」


 おまけに質問まで支離滅裂だ。そんなことを聞いてどうすると言うのか。


「え? い、いや、まあ、可愛いし、癒されるし、とにかく見惚れてばかりだけどな」


「はう……!」


 当然こうなるに決まっていると言うのに。だんだん、同じ部屋にいるのが馬鹿らしくなってきてしまうが、二人のやり取りはなおも続く。というか、よく見ればルシアもかなり緊張状態にあるらしく、同じように顔を赤くして意味不明なことを言い始めた。


「ま、まあ、どうせなら今のシリルの寝顔の方がいいんだろうけどな」


「ば、ばか!」


 顔を真っ赤にしたまま、何故か目に涙まで溜めて叫ぶシリル。


「と、とにかく……ファラも神様なんだから変なことにはならないと思うけど……、他の人にはこんなこと、知られないようにしなさいよね」


 なんと意外にもシリルは、この状況をそのまま許すつもりらしい。僕に向かってこの件を口外しないよう言い聞かせてくるシリルの顔は、依然として赤みが残ってはいるものの、何処となく嬉しそうに見える。


 ……これもルシアが自分の思うことを包み隠さず、正直に話した結果なんだろう。なら僕も、エイミアさんに対して、遠慮してばかりじゃなく、自分にもっと正直になってみるべきなのかもしれない。


 この『お願い』は、そのいい機会だと捉えよう。何だかんだと言って、ルシアの言葉はちゃんとアドバイスになっているみたいだ。


 だが、そんな風に話がまとまりかけた、その時だった。


「む、むう……うるさいな。人の枕元で何を騒いでおるのだ」


 むくりとファラが寝台から身体を起こす。

 直後──その場の空気が一瞬で凍りつく。


 眠そうな目をこすりながら、こちらに目を向けてくる黒髪の美女。そこまでは問題ない。問題だったのは、彼女の服装だった。


 かつてのシリルが着ていた『流麗のローブ』ではない。今の彼女は、女性物の寝巻を身に着けていた。肌が透けそうな薄手の布地でできた服、いわゆるネグリジェとも呼ばれるものだ。


 僕は視線を逸らすことも忘れ、その光景に目を釘付けにしてしまう。


「…………ルシア?」


「は、はい……」


 名前を呼びかけられただけなのに、ルシアの顔にははっきりと恐怖の色が浮かんでいる。


「どういうことかしら?」


 シリルの声が怖い。横で聞いているだけでも、心臓が止まってしまいそうな迫力だ。


「い、いや、待ってくれ。これは誤解なんだ。最近になって、どうせなら寝る時の雰囲気をもっと出してみたいとか言い出して……いや、本当だって! だいたい、あいつがあの姿になるのは寝台に入る時だけで、俺だってほとんど見てな……ふぎゃ」


 これもまあ、痴話喧嘩の内に入るのかな?


 黒い虫に埋め尽くされていくルシアの姿を見ながら、僕はそんなことを思った。



     -彼のお願い、わたしの想い-


 まったくレイフィアの奴め。彼女が変なことを言うものだから、あれからエリオットの動向が気になって仕方がない。『お願い』の期限こそ決めてはいないものの、次の目的地である【火の聖地】フォルベルドには後一日もすれば到着するはずだ。

 可能性とすれば、その前にということになるだろう。着いてからでは、そんな悠長なことを言っていられない状況になるかもしれないのだ。


 皆で朝食を済ませた後、わたしは気持ちを落ち着かせようと訓練室で汗を流すことにした。今なら他のメンバーもいるかもしれないし、相手をしてもらうのもいい。しかし、その目論見は食堂を出て数歩のところで、あえなく潰えることになる。


「エ、エイミアさん、ちょっと話があるんです。いいですか?」


 き、来た! 来てしまった。とうとうだ。わたしは焦りの色をどうにか隠しつつ、声のする方へと振り返る。


「ど、どうした、エリオット?」


「え? い、いえ、エイミアさんこそ、大丈夫ですか? なんだか顔色が……」


「い、いやいや! 大丈夫だ。うん、何の心配もいらないぞ?」


 まったく隠しきれていなかった……。エリオットは不思議そうな顔をしていたが、すぐに気を取り直したように言葉を続ける。


「そ、その、例の『お願い』の件なんですけど……」


 なにやら言いにくそうにするエリオット。わたしは頭の中が真っ白になったまま、返事をした。


「あ、ああ、お願いだな。うん。どんとこい。ぬるいお願いだったらむしろ、承知しないぞと言うくらいの勢いだぞ、わたしは。あはははは!」


 うああああ! 何を言っているのだ、わたしは! 自分で墓穴を掘ってどうする! ほら見ろ、エリオットだって困ったような顔をしているじゃないか……って、え?

 むしろ、どことなく安堵したような顔に見える。ま、まさか、わたしがどんなお願いでもだなんて言ったから、安心したのか?


 ということはまさか、彼の『お願い』というのは……そこでわたしは、レイフィアの言葉を思い出す。


──『エイミアさん、僕とキスしてほしいんです!』とか言われちゃったらどうする?


 いやいやいやいや、それはないそれはない。わたしはぶんぶんと頭を振った。まさかエリオットに限ってそんなことあるはずは……


──『なんでも』なんだから、キスくらいじゃ済まないかもね。


 うう、違う違う違う違う! 何を考えているんだ、わたしは。


「あ、あの、エイミアさん? 本当に大丈夫ですか? もし具合が悪いなら後でも……」


「ん? いやいや、大丈夫だぞ?」


 って、しまった! 今のは彼の気遣いに乗せてもらって、後にしてもらった方が良かったかもしれない。こんなにテンパった状態では、何が起きても冷静に対処できる自信がないぞ。


「そ、それじゃ、エイミアさん。『お願い』をする前に、ついて来てほしいんですが……」


「うん。わかった。ついていこう」


 もうやけくそ気味になりながら、わたしは快く返事した。


「じゃ、じゃあ、こっちです」


 行先も告げずに、歩き出すエリオット。なんだか様子がおかしい。わたしは彼の背中を見上げながら、自分の胸の鼓動が速まっていくのを感じていた。わたしをどこに連れて行くつもりなんだろうか? あ、あれ? ま、まさか本当に?


──『くふふ、もっと過激なことを要求されちゃったらどうする?』


 頭をよぎるレイフィアの言葉。過激なこと……。た、確かにエリオットだって男の子だ。そう言うことに興味が無いわけもないだろう。だ、だからと言ってこんなことで……

 うう、いったいどうしてこんなことになったのだろう? 確かあの時、誕生日パーティーの中で身体を動かす余興をやろうというような話になって……素手での組み打ちで負けた方が勝った方の言うことを聞くとか、わたしが言い出して……


 ……うん、自業自得だ。まさに完璧に、言い逃れもできそうにないくらい、わたしが悪い。となれば、彼が何を言ってきたとしても、それを受け入れるのがわたしの責任なのかもしれない。って、そんなわけには……!


 わたしは頭の中で様々な考えを巡らせていたためか、彼がどこに向かっているのか、未だにわかっていなかった。ただ、ぼんやりと後をついていくだけのわたしに、彼も何も語りかけようとはしてこない。


 ──そして気付けば、わたしたちは船の甲板にいた。吹き抜ける風が心地いい。空は快晴。雲一つない抜けるような青さが、わたしたちを出迎えてくれた。甲板の中ほどまで進み、そこで初めてエリオットが振り返る。


「エ、エイミアさん!」


「は、はい! なんでしょうか?」


「え?」


 いかん。なぜか敬語になってしまった。


「あ、いやいや、何かな?」


 どうにか取り繕うも、全然心は落ち着かない。


「後ろを向いてもらってもいいですか?」


「後ろを? そんなことでいいのか?」


「あ、いえ、これはお願いのための準備みたいなものでして……」


「準備? そ、そうか。わかった」


 わたしは首を傾げながらも、ゆっくりと彼に背を向けた。彼の姿が視界から消えると、急に不安になってくる。いったい何が始まるのだろう? まさか、後ろから何かをするつもりなのだろうか?


「そ、それじゃ、エイミアさん」


「は、はい」


「そのままで聞いてください」


「え?」


 わたしは意味が分からず。振り返って聞き返そうとする。だが、肩を押さえられ、振り向くことができない。


「すみません。面と向かっては難しくて……。『お願い』の内容はこれなんです。これから僕が言うことを、黙って聞いていてください。相槌も返事もいりません。とにかく、黙って聞いていてくれれば、それでいいんです」


 静かな、それでいて決意に満ちた彼の言葉。わたしは何かを言いかけて、口をつぐむ。何が始まるにせよ、これを邪魔してはいけない。何故かそんな気がした。


「……エイミアさんと初めて会ったのは、『オルガストの湖底洞窟』の近くの林でしたよね。あの時のあなたは、弟のアベルさんを亡くしたばかりで、すごく悲しそうな目をしてました。逆恨みにも似た気持ちであなたを待ち伏せていた僕ですら、胸が苦しくなってしまうくらいの悲しみを……あなたは抱えていた」


 ……初めて会った時。そうだった。わたしは何故か、あの時、わけもわからずわたしに向かって叫ぶ少年を見て、話がしたいと思った。この世の不幸を背負ったかのような異形の少年が、わたしの悲しみを感じてくれていることを嬉しく思った。


「でも、あなたは強かった。たった一人の弟を亡くして、悲しくて仕方ないはずなのに、あなたは僕に笑ってくれた。死んだ人たちのためにも、前を向いて生きていくことの大切さを教えてくれた。僕はその時、あなたを心の底から尊敬したんです」


 それは違うよ、エリオット。君にそうやって言い聞かせることで、わたしはわたしの中にある悲しみを紛らわせようとしただけなんだ。それに、それだけじゃない。わたしは君に……


「エイミアさんが、僕にアベルさんの面影を重ねていたのは感じていました」


 ……え?


「僕は、それが……嬉しかった。僕じゃ、弟さんの代わりになんてなれないけれど、それでも、僕の存在が、僕が心から尊敬する人の悲しみを少しでも和らげることができるなら、こんなに素晴らしいことはないと思ったんです」


 エリオット……。


「でも、僕のために何度も騎士団の城から抜け出しくれたエイミアさんと【魔鍵】を探して、冒険者の真似事を続けて、そうして過ごすうちに、僕は思ったんです。ああ、僕は、本物の弟にもなりきれず、ただ、あなたに甘えるだけの存在で終わってしまうのかな、と。いつかあなたが悲しみを乗り越えれば、僕は必要とされなくなるかもしれない。それが怖くなったんです」


 馬鹿なことを……。声に出して答えることができないことが、もどかしい。


「僕はエイミアさんと離れたくなかった。できることなら、いつまでも一緒にいたいと思った。だから、僕はエイミアさんから離れたんです」


 わたしの目の前から彼が姿を消した理由。わたしは彼がいなくなって、悲しいと思ったし、心配にも思ったし、それよりなにより、彼が黙っていなくなったことに、恨みがましい気持ちさえ抱いていた。……でも、それさえもわたしの自業自得だったんだな。彼にそんな不安を感じさせていたことにも、わたしは気付かなかったんだ。


「あなたと肩を並べられる人間になりたい。そのために、僕はあなたに甘えることなく、強くなりたいと思いました」


 それは前にも聞いた。だけどわたしは、それを『ちゃんと』聞いていなかった。ガアラムさんの食堂で、あんな風に尋問紛いの真似までして……自分を恥じたい気持ちだ。


 エリオットは、さらに言葉を続ける。


「ぼ、僕は……エイミアさん、あなたのことが……」


 駄目だ。これじゃ、駄目だ。これじゃ、なんにも変らない。わたしはいつまで、彼にこんな風に背を向け続けるつもりなのだろうか? わたしが、彼を見なくてはダメなんだ。


「悪いがエリオット。君の『お願い』は聞けない」


「え? ……あ、そ、そうですよね。ご、ごめんなさい」


 かすれるような悲しげな声。


「勘違いしないでくれ。返事もせずに、黙ったまま今の話を聞くなんてできないという意味だ」


「え? それはどういう……」


 わたしは片足を後ろに引き、その足を軸に勢いよく振り返る。思った通り、エリオットの顔はかなり近い。至近距離からその顔を見上げていると、わたしの心臓が早鐘のように鳴りはじめる。


 だが、ここは引かない。目も逸らさない。まっすぐ、彼を見る。


「エリオット。わたしは、君が好きだよ」


 言った瞬間、全身がかあっと熱くなるのを感じた。自分の声は震えていなかっただろうか? そもそも発音はちゃんとできていただろうか? そんなくだらないことが気になって仕方がない。


「え? あ、はい。ありがとうございます」


 どうやら通じたらしい。……でも、おかしい。通じたはずなのに、通じていないみたいじゃないか? と、そこまで考えて思い至る。そういえば、この手の台詞は何度となく、口にしたことがあった。その時と今とでは、そこに込められた思いは全然違うのだけど……。


 これは困った。わたしとしては最大限の気持ちを込めて伝えた言葉なのに、このままでは全く意味がないではないか。──と、そこでわたしは、『セリアルの塔』でのことを思い出す。自分の告白を信じられないと言ったアリシアに、ヴァリスがしたこと。


 行動で、自分の気持ちを証明すること。


 いやいやいや! 駄目だ。いくらなんでもあんなに大胆なことなんてできるものか。わたしはエリオットの唇のあたりに視線を向け、慌てて目を逸らす。


「あ、あの、エイミアさん?」


「……うう、エリオット」


「は、はい」


「少し、屈んでくれないか?」


「え? いいですけど……」


 彼の顔がぐっと近くなる。わたしは震える身体をどうにか抑え、彼の肩に両手を乗せる。彼は、本当に背が高い。目的を果たすためには、これでもなお、つま先立ちが必要だった。


「エ、エイミアさん、いったいなにを……?」


「…………ちゅ」


 意を決して、彼の頬にそっと唇を触れさせる。柔らかく暖かな感触に、頭の中が真っ白になる。どうしよう……。わたしは何か、取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか?


「ええ!」


 驚き、顔を紅潮させて固まるエリオット。わたしは半歩身を引きながら、自分の唇に手を当てる。自分の全身がますます熱くなっているのがわかる。わたしの顔は、彼以上に赤く染まっていることだろう。


「あ、あの、エイミアさ、ん。いい、今のは、いったい……」


「だ、だから、言っただろう? わたしは君が好きなんだって」


 どうにか恥ずかしさをこらえつつ、それだけ言った。

 ……すまない、エリオット。今のわたしにはこれが限界だ……。


「す、好きって……、その、そういう意味で?」


 自分の頬を押さえつつ、エリオットが呆然と立ち尽くす。

 

「……く、繰り返させるな! わ、わたしだって、頑張ったんだ……。い、今のだって、ものすごく恥ずかしかったのを我慢してだな……」


 わたしは彼の顔をまともに見ることもできず、下を向いたまま、ぶつぶつと言葉を続ける。だから、わたしは気付かなかった。彼の表情も、その動きも、事前に察知することができなかった。


「エ、エイミアさん!」


 叫び声と共に、思い切り身体を抱きしめられる。昔から何度も彼を抱きしめたことはあったけれど、考えてみれば『抱きしめられる』のは初めてだった。でも、これは酷い。不意打ちだ。


 わたしは思わず、声にならない悲鳴を上げたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ