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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第14章 時の楔と聖地の巡礼
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第137話 変わりゆくもの/幸せのかたち

     -変わりゆくもの-


「何者だ、お前たち! 人間がこの『妖精の森』に何をしにきた!」


 若いくせに生意気そうな声。俺は初めてレイフォンに会った時のことを思い出す。まだ数か月前のことなのに、随分と昔のことのようだ。

 それはさておき、声の主は、かつてのレイフォンよりもさらに若そうな少年だった。白い髪に尖った耳、くりくりとした緑色の大きな瞳。若いせいか、美形と言うより可愛いと言った方がいいような顔だ。


「驚いたな。今じゃこんな子供まで密伐者のパトロールをやってるのか?」


「な! 子供だと! 馬鹿にするな、人間め」


 少年は、威嚇するように俺に弓矢を向けてくる。あどけない顔に強い使命感をみなぎらせながらも、敵と相対する不安と緊張からか、その身体を小刻みに震わせているようだ。俺としては微笑ましい気持ちになってしまったのだが、その程度の感想では済まない人物もいた。


「び、美少年ですううう! かーわーいーい!」


 『彼女』は、鼻息荒く撮影装置を手に構え、『妖精族』の少年へと肉薄していく。


「ひっ!」


 これにはさすがの勇敢な少年も、怯えたように顔を引きつらせていた。気の毒に思った俺は、無言で彼女の肩を掴み、強引に下がらせる。


「大丈夫か? 悪い悪い。子供だなんて、馬鹿にするつもりはなかったんだ。そうそう、レイフォンは元気か?」


「え? どうしてレイフォン様の名を?」


 知り合いの名前を出されただけで、簡単に警戒を解く少年。まだまだ、甘いと言わざるを得ない。とはいえ、話が早いのは助かる。


「聞いているかどうかわからないけど、わたしはレイフォンの知り合いのシリルよ。よかったら、彼の元に案内してくれないかしら?」


「シ、シリルって、あの、『精霊の森』を救ってくれたっていう、シリル様?」


 『妖精族』の間ではシリルの名はすっかり知れ渡っているみたいだ。彼女が頷くと、少年の目が急に輝き出す。


「うわあ! すげえ! じゃ、じゃあ、そっちの子がシャル様? 『完全精霊』を宿した奇跡の子、なんだよね!?」


「シャルはそんなのじゃありません。冒険者です」


「……あ、そうだった。ご、ごめんなさい! お願いですから生き埋めにするのだけは勘弁してください!」


 少年は何かに気付いたように、頭を下げて謝り始めた。


「え?」


「悪気はなかったんです! 本当です! へりくだった態度を取ったりしてごめんなさい! ……っていうか、こういうのも駄目なんでしょうか?」


「あ、い、いや、えっと……」


 俺は吹き出したくなるのを全力でこらえた。レイフォンの奴、以前にシャルに埋められたことが、よっぽど酷いトラウマにでもなっているのだろうか。ちょっと話しただけで、さっきまで生意気そうな態度を取ってた少年がこんなに怯えるなんて、どんなふうに話しているんだろうな?


「ル、ルシア! 笑わないでよ!」


 こらえきれなかった笑いの気配でも感じ取ったのか、シャルが頬を膨らませて怒る。だが逆に、それが実際の笑いの引き金になってしまった。


「う、く、ぶは! うはははは!」


「も、もう! ばか!」


「いや悪かったって」


 完全に拗ねてしまったシャルをなだめていると、先ほどの少年が所在なげに尋ねてくる。


「あ、あの、僕はどうすれば……?」


「ああ、そうだった。さっきシリルが言った通り、レイフォンたちのいる森の奥に案内してくれるとありがたいんだが」


「そうですか。うーん、でもレイフォン様は今、『精霊の森』で暮らしているんです」


「え? そうなの?」


 シリルの意外そうな声。そう言えば以前に聞いた話では、『妖精族』は皆、『妖精の森』を中心に生活しているとのことだったのだが。


「あの事件以来、あっちの森も結界任せにしないように、人員を配置しているんです。レイフォン様は、率先してあちらに移り住んでるんです」


「なるほどね。でも、最長老のソアラさんはいるんでしょう?」


「はい! ご案内いたします」


 少年は元気よく返事をしてくれた。レイフォンに比べると随分と素直な少年だと感心する。さっきの態度は密伐者に対するもので、人間全般に対するものではないのかもしれない。『妖精族』も変わりつつあるということだろうか?


 テオと名乗った少年に連れられて、俺たちは森の奥深く、巨大な世界樹の下に造られた『妖精族』の集落へとたどり着く。すると、ようやく懐かしい顔が出迎えてくれた。


「君たちか! よく来てくれたな! 我ら『妖精族』は、一族を挙げて歓迎しよう」


 そう言ったのは、最長老の親衛隊の一員だったアルフだ。かつての彼は、俺たちの素性を怪しみ、敵意の視線を向けてきたこともある。だが、あの時とは違い、彼は並外れて整った顔立ちに温和な笑みを浮かべていた。


「うふふふ、美形がいっぱいですう。撮らねば撮らねば……」


 なにやら後ろから、腐ったナニカの声が聞こえてくるが、ここは無視することにしよう。


「ぐふふふ、あの子とあの子の組み合わせなんて、どうでしょう?」


 ……笑い方まで腐り始めていた。見たくはなかったが、声のする方に視線を送れば、案の定、撮影装置を盛んに操作しながらカサカサと動き回る変態の姿がある。


〈……わたしを撮影してた時のルシアだって、アレと動きに大差はなかったんだからね〉


〈……ごめんなさい。反省してます〉


 念話で語りかけてきたシリルに、俺は心からの謝罪の言葉を返した。


「あ、いや、その……見ない顔もいるようだが……」


 斜め下から抉るように撮影されているせいか、アルフは戸惑ったように軽くのけぞっている。そんな失礼な真似をされても、彼は怒る気配すらない。プライドの高い若者だったはずなのに、わずか数か月で随分と変わったものだ。


 それはともかく。


「あーっと、そうだな……」


 『俺たちの新しい仲間なんだ』……その簡単な一言が、どうしても出てこない。えっと、俺の仲間? コレと仲間? あの、台所に出没する黒い虫よろしく奇怪な動きを見せるアレが仲間? 嘘だろう? ひょっとすると、これって悪い夢なんじゃないか?


「ルシア、気持ちはわかるけど……それはもう痛いくらいにわかるけど、諦めて紹介してあげてくれないか?」


 ノエルの言葉に、俺は泣く泣く頷いたのだった。


 『妖精の森』の中央に位置する、世界でも有数の大きさを誇るだろう『世界樹』。その根元に最長老のソアラさんがいた。彼女の姿が見えるや否や、シャルが声を張り上げた。


「ソアラ様! お久しぶりです!」


 元気よく挨拶の言葉を口にしながら、礼儀正しく頭を下げるシャル。こういうところが年上に好印象を持たれる秘訣なんだろうか。


「まあ……」


 俺たちに視線を向け、軽く会釈を送ってくるソアラさん。それから近づいてきたシャルの手を取り、穏やかに微笑みかける。


「お友達にまた会えるだなんて、嬉しいわ」


 ソアラさんも、シャルに対しては随分と砕けた口調で話しかけている。


「わたしも、ソアラ様にまたお会いできてうれしいです!」


「元気なようで何よりね。あなたの中の『精霊』のお友達も……」


「はい。フィリスもソアラ様にお会いできて、嬉しいって言ってます!」


 そんな会話が続く中、俺たちはかつてのようにソアラさんが造り出した岩の椅子に腰を下ろす。改めて見る彼女は、相変わらず八百歳を超えているようには見えなかった。

 ゆったりとした長衣の上を流れる白く艶やかな髪。木漏れ日に照らされて銀にも見えるその髪は、老人の白髪とは逆に、むしろ彼女の若さを引き立てているようでさえある。


「あなたたちには、一度、お礼を申し上げないといけないと思っていました。『精霊の森』を……いいえ、世界中の『精霊』たちを救っていただき、本当にありがとうございます。わたくしたちにできることであれば、どんなことでも協力させていただきますわ」


 あまり丁寧にお礼を言われると、却ってこっちが恐縮してしまいそうだ。


「……いいのよ。お礼なら、ほら貰っちゃったしね」


 シリルは、シャルの腰に佩かれた剣を指差した。だが、ソアラさんには最初からわかっていたようだ。


「『新世界樹』の枝ですね。レイフォンから聞いたところでは、『創世霊樹』の根元に『新世界樹』を植えて、【魔法】で成長させてくださったとか。それではお礼になりませんわ」


「そういえば、レイフォンはどうしたの?」


「彼は今、『創世霊樹』の傍に新居を構えています。かつての『妖精族』には、神聖不可侵の地であるあの場所に居住するなど、到底考えられませんでした。ですから、これも『妖精族』が変わりつつある証拠でしょう。すべて、あなたたちのおかげです」


 なるほど、レイフォンの奴。頑張っているんだな。あの時は随分きついことを言っちまったけど(胸に剣まで刺したけど)、今度会ったら態度を改めてやらないとかな?


「……ふふふ。きっと驚くでしょうね」


 ソアラさんは珍しいことに、外見相応の女性らしい悪戯っぽい笑みを浮かべた。これまで超然とした笑みしか見せたことない彼女のこんな表情は、かなり新鮮だった。


「実は……レイフォンは、ルフィールさんと暮らしているのです」


「え?」


「ええ!」


 驚く俺たちに、にっこりと笑いかけてくるソアラさん。


「つまり、婚姻関係にあると言う意味ですね」


「確かに『結婚してくれ』とか言ってたけど、まさか本当にしちゃうなんて……」


 そんなアリシアのつぶやきに、俺は愕然となる。


「結婚だって? あの野郎、ルフィールさんみたいな美人と新婚生活だなんて、うらやましいにもほどが……あ」


 言葉の途中、というかほとんど言い終えたところで、俺は我に返った。今のは、まずい。最高にまずい台詞だ。間違いなく、《黒の虫ブラックバグ》が飛んでくるレベルの失言だった。


 恐る恐るシリルの様子を窺った。彼女は、こちらを見ている。目が合った。銀の瞳を不機嫌そうに瞬かせ、ぷいと横を向いていしまう。……だが、それだけだった。彼女は、俺の視線を無視するように、横を向いた顔を戻そうとはしなかった。


 おかしいな。なんだろう、これは? 気になって念話で呼びかけてみても、返事もない。今までとは違う彼女の態度に、どうにも不安な気持ちになる。これなら攻撃魔法でも叩き込まれた方が、まだましだった。

 俺は最後の頼みの綱とばかりにアリシアを見たが、彼女も俺と目が合うと、静かに首を振ってしまう。


「……と、いうわけなんだけど、僕たちが『精霊の森』に入り、【儀式】を行うのを許可してもらえませんか?」


 そうしている間にも、ノエルからソアラさんへの事情説明は進んでいたらしい。ソアラさんはあまりの話の大きさに、流石に驚いた顔をしている。


「【狂夢】……まさか、八百年前の『変質』にそんな元凶があったとは……」


「いきなりこんな話をされて、信じろと言う方が無理なのはわかっています。それでも僕らは……」


「信じますよ」


「え?」


 ノエルは、彼女には珍しく目を見開いて驚きを露わにしていた。


「ちょ、ちょっと待ってください。僕が自分で言うのもなんですけど、狂った世界法則を正すとか、そのために時間を止めるだとか、言ってて自分で呆れるくらい荒唐無稽な話だと思うんですけど……」


 いや、それは確かに自分で言うのもなんだと思うが、ノエルの気持ちもわからなくもない。ソアラさんは、ほとんど考えた様子もないままに即答してしまったのだから


「話の内容ではなく、シリルさんたちを信じます。皆さんは、この国の『妖精族』と人間が変わるための、素晴らしいきっかけを与えてくれた恩人なのですから」


 ソアラさんは柔らかく微笑む。


「今の『精霊の森』に暮らす皆の姿を見れば、その意味が分かりますよ。きっと彼らも、あなたたちを歓迎してくれるでしょう」


 彼女の言葉どおり、この後訪れた『精霊の森』で、俺たちは『妖精族』と人間の新たな関係の萌芽を目にすることになるのだった。



     -幸せのかたち-


 岩で造られたテーブルを囲みながら、ソアラさんはシャルの話を楽しそうに聞いている。『精霊の森』を後にして以降、わたしたちが歩んできた旅路の話だ。あれから本当に、いろいろなことがあった。


 エルフォレスト精霊王国を出て、最初に訪れた鋼の街『アルマグリッド』。シャルのために、『新世界樹』を加工した武器を造るべく訪れたあの場所で、わたしは変わった。

 あの時のあの事件がなければ、わたしは今も、一人で世界を救う重圧に苦しみ続けていたかもしれない。


 わたしは、わたしを変えたその人の顔を、そっと盗み見る。

 シャルが語る話の内容に、時折からかうような横槍を入れながら笑う彼。


 あの時、彼は『恩人』であるわたしのために、わたしの剣となってくれると言ってくれた。一人で抱え込むなと、自分に頼ってくれと、そう言ってくれた。それは何よりうれしいことだったし、だからわたしは、彼の傍にいることで心からの安らぎを得ることができた。


 だけど。


「どうしたんだい? ご機嫌斜めだね」


 ノエルに声をかけられて、わたしは何でもないと首を振る。そう、本当に何でもない。何でもないはずなのに、わたしは何故か不機嫌だった。ちらりと別の方向に視線を向ければ、仲睦まじく言葉を交わすアリシアとヴァリスの姿がある。


 よくわからないけれど、わたしは不満だった。


「……でも、ソアラ様が八百年以上も生きている人だとは、到底信じられないな。どうやったら、そんなに若さを保てるんです?」


 今度は、エイミアが感心したようにソアラさんに問いかけている。


「ソアラで結構ですよ、エイミアさん。……わたくしは、この『世界樹』の傍でしか生きられないのです。生まれつき病弱だったわたくしは、幼い頃にこの『世界樹』の苗木とわたくしの命を繋ぐ特別な術をかけてもらい、それでようやく生き永らえることができたのですから」


「え? それじゃあ、ソアラ様って、この『世界樹』と同じくらいの歳なんですか?」


「ええ、そうです。お友達。ですから、わたくしはこの『世界樹』が枯れるとき、その命を終えるでしょう。……逆に、わたくしが死ねば『世界樹』も枯れる。そういう意味では、『世界樹』の方をわたくしの命に縛りつけてしまったようなものです。だからこそ、わたくしは、この樹を姉妹のように大事に思っているのです」


 世界樹と人の命を繋いで縛る? それはまるで、わたしを世界に縛りつけようとする元老院の考えのような……。


「この術式を『妖精族』に提供してくれたのは、古代の『魔族』です。永遠の命の研究。その実験の一環だと、そんな話だったようですが……」


 と、その時だった。それまでルシアの隣に座ったまま、黙っていたはずのファラが口を挟む。


〈──その『魔族』の名、わかるか?〉


「はい。確か……メゼキス、だったかと思います。わたくしの両親から、命の恩人の名として聞かされていましたので、間違いありません。……なにか、問題がございましたでしょうか?」


 話がややこしくならないように、ファラのことは『神』ではなく、冒険者仲間の一人だと伝えてある。それでも、ソアラさんは何かに気付いているようではあったけど。


〈……いや、永遠の命の研究とはな。ならばそのメゼキスとやら……〉


 メゼキス? どこかで聞いたことのある名前だけど……


「……メゼキスね」


「ノエル? 何か知っているの?」


「ああ。というか、この前の話に出ただろう? 元老院副議長メゼキス・ゲルニカ。初代から代々、同じ名前を引き継ぎ続ける七賢者の末裔」


 そう言えば、マギスレギアを出発する前日ぐらいに、そんな話もしていたわね。でも、今の話の流れからすれば……


「それってまさか、永遠の命の研究に成功して、ずっと同じ人がメゼキス・ゲルニカを名乗っているって訳じゃないよな?」


 ルシアもわたしと同じ疑問を感じたらしい。


「いや、どうだろうね。一応、メゼキスを名乗る人物は現在で三十三代目だし、歴代当主は性別も見た目も様々だったらしいよ。現在のメゼキスも、襲名したのは十年前のことだしね」


「元老院副議長ってことだけど、今のその人はリオネル側の人物なのか?」


「表向きはね。でも、裏では反議長派と手を組んでいるはずだよ。真の意味での『世界の理』計画の主導者も、恐らく彼だと思う」


「……なるほど。じゃあ、同一人物かどうかは別にしても、数百年前と大して立場は変わってないってことでいいのかもな」


 ルシアとノエルの淡々としたやりとりに、それまで黙ってソアラさんを撮影し続けていた(男女は関係ないらしい)レイミが含み笑いを漏らす。


「うふふ。あの映像、ちゃんと見てくれたでしょうかねえ?」


「……趣味が悪すぎだよ。君は」


 ノエルは、不気味に笑うレイミを一瞥すると、呆れたように嘆息する。


 それからしばらく歓談を続けた後、わたしたちはソアラさんに改めて礼を言い、『精霊の森』へと出発することとなった。


「お友達。また来てくださいね。……他の皆さんも、どうか御無事で」


「はい! ソアラさんもお元気で! また、必ず来ます」


 森を歩きながら、シャルはソアラさんの姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。


「……むう、随分とあのお姉さんになついてるじゃん」


 口をとがらせ、不満げに言ったのはレイフィア。仮にも妖精族の女王を『お姉さん』って……。相変わらず自由すぎる女ね。


「ソアラさんは、わたしのことを『友達』って最初に呼んでくれた人なんです」


「へえーそうなんだ。ふーん」


 なんであんたは、ソアラさんに嫉妬しているのよ。まさか、シャルの年上キラーぶりがレイフィアみたいな女にまで発揮されるようになるとは、驚きだった。しかし、続くやり取りを耳にする限り、この場合だけは意味合いが少し違うのかもしれない。


「あ、もちろんレイフィアさんも、今ではシャルの『おともだち』ですよ」


「そう? まじで? うん、そうだよねえ!」


 これでは、どっちが年上だかわからないわね。わたしは呆れながらも、シャルの成長ぶりに頬を緩ませるのだった。


 ──数か月ぶりに訪れた『精霊の森』は、あの時のように敵意を持った植物が襲いかかってくるようなこともなく、美しい姿でわたしたちを出迎えてくれた。シャルの先導で森を歩くわたしたちは、清々しい空気をあらためて楽しみながら奥へと進む。


「これから向かう【聖地】が、全部こんなに清浄な場所なら、むしろ楽しみなぐらいだね」


 ノエルも、鼻歌でも歌い出しかねないくらい上機嫌だ。


「そろそろ、『創世霊樹』が近いです」


 シャルに言われるまでもなく、遥か雲のかなたまで伸びる『創世霊樹』の威容は、間近に迫りつつあった。


「ん? なんだあれ?」


 ルシアが指差した先。そこには『村』があった。かつては無人だったはずの、『創世霊樹』の根元の空き地に、人が住んでいると思われる何軒もの家が立ち並んでいる。


「レイフォンくんたちも、あそこに住んでいるのかな?」


 並び立つ家からは、柔らかな明かりが漏れている。『妖精の森』で話し込んでしまったせいか、時刻はすでに夕方になっていた。

 わたしたちはソアラさんに教えられた外見の家を見つけると、扉の前に立つ。木材で造られた家庭的な雰囲気の一軒家だ。『妖精の森』の集落にあった木々の絡まり合う独特の形状をしているものではなく、人間社会の建築技術を使って建てられたものだろう。


 わたしが先頭に立ち、戸を叩くと、中から女性の声がした。


「はい。どちらさまでしょう?」


「ルフィール? 覚えているかしら。シリルよ」


 言うや否や、目の前の扉が勢い良く開かれる。中から姿を現したのは、一人の女性。初めて出会った時の彼女は、豊かに波打つ金髪を長く伸ばした美しい女性だった。けれど、今の彼女は、その時とは比べ物にならない。


 すっきりと肩の辺りまでで切りそろえられた髪。かつてのローブのような騎士服のかわりに、家庭的な印象の上掛けとスカート。さらには胸にエプロンまで着けた彼女は、輝くような笑顔でわたしたちを出迎えてくれた。


「……うわあ、綺麗です」


 シャルが感嘆の声を上げている。


「まあ! みなさん! よく来てくださいました! ……レイフォン様! 来てください。シリル様たちが来てくださったんです!」


 軽やかな動作で振り返り、家の奥へと声をかけるルフィール。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 鍋の火を止めたらすぐ行く!」


 奥からは、若い男の声。ばたばたと足音を立てながら、転がるように玄関口へと走り寄ってきたのは、白い髪に鋭い目つきの『妖精族』、レイフォン・レイヴンウッド。


「シリル! それに他の皆も! 本当によく来てくれた! さ、上がってくれ!」


 しかし、わたしたちは呆気にとられて動けなかった。かつて、『華麗なる風水使い』(?)などと呼ばれていたらしい自意識の高い少年だった彼が、ルフィールとお揃いのエプロンを身に着けているのだ。驚かない方がおかしい。


「……どういうことだか、説明してもらおうか? え? なんだよ、なんだよ。新婚生活は順調ってか? まさか、さっきのさっきまで、二人で仲良く夕食の準備をしていたとか言わないよな?」


「あ、い、いやその……」


 ルシアに白い目で睨まれながら、慌ててエプロンを外すレイフォン。ルフィールが頬を赤くしているところを見れば、ルシアの言葉は図星だったみたいだ。


 それにしても……新婚生活ね。少し、うらやましい。ルフィールがレイフォンを見つめる時の幸せそうな笑顔は、同性のわたしから見ても、とても魅力的だった。愛する人と一緒に、一つ屋根の下で仲睦まじく生活する彼女。


 その姿を見ていると、何故か胸の奥が苦しくなる。足りないものが欲しくなる。今でも十分幸せなはずのわたしが、今よりもっと欲張りになってしまうみたいで……。


「……すっごい。ホントに結婚しちゃったんだ。いいなあ」


 アリシアがうらやましそうに言ったかと思うと、


「何をうらやましがることがあるのだ? 我らとて……」


「うわあああ、だめだめ!」


 直後に慌ててヴァリスの口を塞ぎにかかる。まったく、なにをやっているのかしらね。


「ははは! 元気そうで何よりだ。あ、そうだ! ちょうど夕食の時間だし、皆も食べていかないか?」


 部屋の奥から漂ってくる、おいしそうな匂い。二人で作った料理なのだろう。

 いつか世界を救えたなら、わたしもこんなかたちの幸せを、手に入れることができるのだろうか?


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