第135話 スカイクルージング/タイム・ストップ
-スカイクルージング-
目が覚めて、わたしが最初にやったことは、壁面の窓にかじりつくことでした。いえ、もちろん本当にかじったりはしていませんが、シリルお姉ちゃんに顔を洗いなさいと声をかけられても数秒はそこから動けないくらい、その景色に夢中になってしまったのです。
わたしは室内に設けられた洗面所(水が出る仕組みも魔法なんでしょうか?)で顔を洗うと、すぐに窓へと駆け寄っていきます。キラキラと輝く景色。夢みたいです。
「気持ちはわかるけど、後からいくらでも見られるんだから、ほら、早く来なさい。朝食の準備だってできてるはずよ」
「う、うん!」
わたしはようやく窓から身体を離しました。そして、寝台の上に寝そべったまま器用に前足で顔を洗っている『リュダイン』を抱き上げると、扉の前で待つシリルお姉ちゃんの元に駆け寄ります。
それにしても、青い空の中、日の光を浴びて白く輝く雲が流れる景色は、『ファルーク』の上から眺めるものとは、また一味違っていました。
〈きっと高さが違うからだよね!〉
わたしは胸中の興奮を誰かに伝えたくて、まずは一番身近なフィリスに呼びかけました。
〈ふふ、そうね。さすがに『ファルーク』も、ここまで高い高度を飛んではいなかっただろうし、景色が違って見えるのも当然かもね〉
なんだろう? フィリスがちょっとお姉さんっぽくなってる気がする。わたしと同じ年のはずなのに……。ちょっとだけ悔しい気持ちになりましたが、それとこれとは話が別です。わたしはつい、廊下で会ったルシアにも同じ調子で話しかけてしまいました。
「ほんとに、すごいよね! 昨日はすぐ寝ちゃったけど、夜空も綺麗だったんだろうなあ!」
「ははは。気に入ったみたいだな」
そう言ってわたしの頭をぽんぽんと軽く叩くルシア。いつもなら、そんな風に子ども扱いされれば怒るところだけど、この日ばかりは違いました。
「うん!」
自分でもわかるくらい、満面の笑顔で返事をするわたし。とにかく気分がうきうきして、仕方がありません。空飛ぶ船で冒険だなんて、いつか本で見た物語みたいです。
「……シャルの機嫌がいいと助かるなあ、俺も」
「ふふ、なんだかこっちまで楽しくなってきちゃうわね」
ほのぼのとした雰囲気で言葉を交わすルシアとシリルお姉ちゃんの真ん中を歩きながら、わたしは食堂に向かいます。
「ここでの食事はレイミが作ってくれるんだっけか」
「ええ、時々はわたしも手伝うつもりだけどね。そうじゃないと腕もなまっちゃうし」
「料理好きもそこまで来ると大したもんだよ」
「でも、レイミの手料理ってどうなのかしら? 『アストラル』のホテルで出された料理は専属の料理人が作ったみたいだし、飲み物は別にしても彼女の料理は初めてなんじゃない?」
「気になるのか?」
「ええ、もし昔のエイミアみたいだったら……」
「おいおい、怖いこと言うなよ」
ルシアはぞっとしたように首をすくめました。そうこうしているうちにも、食堂の扉の前までたどり着きます。そこには、レイミさんがお盆を両手に下げた姿勢で待っていてくれました。
「さ、どうぞ。みなさんもお揃いですよ」
促されて中に入ると、大きい会食用テーブルを囲むように、わたしたち以外の全員が揃って席に着いていました。
「うわあ! すごい。こんなに大きな窓があるんだ!」
わたしはまたも大きな声を上げてしまいました。会食用テーブルの奥の方、ノエルさんが腰かける席のすぐ後ろに、ほとんど壁一面と言ってもいいぐらいの大きな窓があったのです。
「気に入ってくれたかい? まあ、流石にこれは窓じゃなくて、外の景色がここから見えるよう【魔導装置】で投影しているだけなんだけどね」
「そうなんですか? でも、すごいです!」
空に流れる雲を間近に見ながら皆でお食事だなんて、なんて贅沢なんでしょうか。
「うん、確かにこれは凄いな。気分がいい」
ルシアも感心したように頷いています。
「さ、いいから席に着きましょう?」
逆にシリルお姉ちゃんはいたって冷静な感じで、わたしたちに着席を促しました。テーブルの上には、レイミさんが作ったらしい料理が並べられています。特に豪華と言うほどのものではなく、起きたばかりの胃にも優しそうなメニューばかりですが、ほのかに湯気を立てているそれは、とてもおいしそうに見えました。
「よし、これで全員揃ったみたいだね? それじゃあ、食事にしようか。──いただきます!」
「いただきます!」
皆の声がノエルさんの声に唱和した後、和やかな食事が始まります。
「ほら、ルシア。皆がまだ手を付けていないものから食べるのよ」
「……俺は毒見役かよ!」
近場にある料理の皿を指し示すシリルお姉ちゃんに、憤慨したように言葉を返すルシア。
「なによ、冗談でしょう?」
「いや、今のは冗談に聞こえなかったんだが……」
けれどシリルお姉ちゃんは、そんなルシアの言葉を無視するかのように話を進めていきます。
「……うん、すごくおいしい。やるじゃない、レイミ」
「うふふ、お褒めにあずかり光栄です」
レイミさんはシリルお姉ちゃんの賞賛の言葉に、はにかんだような笑みを浮かべました。そんなところを見ると、彼女も普通の可愛らしい女性のように見えます。
「まあ、レイミは僕と同じで料理だけは得意なんだ」
「だけ、とは酷い言い方をしますねえ。メイドさんに求められる『ご奉仕』全般で、わたしにできないことなんてありませんよ」
ノエルさんの言葉に、少しだけ憤慨した顔で反論するレイミさん。
「いろいろと余計なこともできるようになっちゃったけどね……」
「何か言いましたか?」
「ううん、な、なんでもないよ……」
二人は主従関係ではなかったのでしょうか? なぜかノエルさんの方がたじたじとなっています。
と、そこで急に大きな声が聞こえました。驚いてそちらを見ると、
「あ! ちょっと、ヴァリス。大丈夫だから! ……ね? 自分の食事に集中して」
「いや、熱かったのだろう? 口の中を火傷したのではないか? 確かめた方がいい」
「あーん! こんなんじゃ、落ち着いて食事もできないよう!」
「ああ、そうか。すまん……」
相変わらず、面白いやり取りを続けているようです。ここ最近繰り返されるこの光景に、みんながもうお腹いっぱいとばかりに目を逸らします。
「ちょ、ちょっと! お腹いっぱいってどういう意味!?」
わたしのほか数人の心に同じ言葉が浮かんだことに気付いたのか、アリシアお姉ちゃんは顔を赤くして抗議の声を上げています。
「いいじゃん、いいじゃん。周囲の雑音なんか気にしないでさあ。いやあ、衆人環視の中、どこまでいちゃいちゃできるのか、あたしは楽しみで仕方ないよ。いつか町の真ん中でキスとかしちゃうんじゃない? ほら、この前だってやったんでしょ?」
「レ、レイフィア~!!」
動揺のあまり、レイフィアさんのことを呼び捨てです。彼女の本意ではなかったとはいえ、自分がさらわれるきっかけを作ったレイフィアさんに対し、アリシアお姉ちゃんは特に気にするところはないようです。
もっとも、レイフィアさんの方がまったく悪びれる様子もないからこそ、なのでしょうが。
〈なんだか、いいね。こういうの。〉
笑いながらその光景を見つめるわたしに、フィリスが心の中で語りかけてきました。
〈どうしたの?〉
〈うん。みんなで食卓を囲んで食事して、寝起きを共にして笑いあうのって、なんだか家族みたいでしょう?〉
〈家族……〉
わたしは複雑な思いでその言葉を聞いていました。わたしには、二つの家族がいます。
顔も知らない実の父親。パルキア王国の国王様だそうですが、わたしのことなんて、存在すら気にも留めていないだろうと思います。
惜しみない愛情で育ててくれた『お父さん』と『お母さん』。彼らがわたしを『王女殿下』と呼び始めた日のことは、今でも忘れられません。すごくショックで悲しくて、でも別れるときは娘のように抱きしめてくれて……。
〈なら、これはわたしにとって三番目の家族なのかな?〉
〈でも、今一番の家族でしょう?〉
〈うん〉
わたしはフィリスの言葉に心の中で頷きを返しました。と、そのとき。
「どうした、シャル。手が止まってるぞ? ははあん、そうか、これが嫌いなんだな。よし、俺が代わりに食べてやろう!」
「え? あ! ちょっと!」
そう言うと、ルシアは小皿に盛られたお惣菜をひとつ、ひょいっと掴むとそのまま自分の口に流し込んでしまいました。
「ああ!」
それは一番おいしそうだったから、楽しみに取っておいたものだったのに!!
「ゆ、許せない、よくもわたしの楽しみを!」
「え? なんだ? 俺は良かれと思ってだな……」
「問答無用!」
「……って、ぎゃああ、し、痺れ……!」
テーブルの下で大人しく毛づくろいをしていた『リュダイン』が、ルシアの足に噛みついています。わたしの怒りを察知し、わたしの指示を待つまでもなくやってくれたのでしょう。わたしには勿体ないくらいの、いい相棒です。
「おい、こら……何をいい話でまとめようとしてるんだ。『放魔の生骸装甲』が無かったらシャレになってないぞ、今のは……」
「あなたの自業自得よ」
「な、シリルまで……。なんか昨日の夜あたりから、俺への風当たりが強くないか?」
「ふん」
シリルお姉ちゃんの機嫌があまり良くないようです。そういえば昨日の夜、なにかぶつぶつと独り言を言っていたような気がしましたが、わたしも眠くてよく聞いていませんでした。
〈フィリス、わかる?〉
〈うん。でも誰にも聞かれていないと思っての言葉だったみたいだから、言ったら駄目だよ?〉
フィリスがそんな風にわたしに念を押すなんて、珍しいこともあるものです。
〈……あのね、シリルお姉ちゃんは昨日、アリシアお姉ちゃんがヴァリスさんに心配してもらっていたときのことを、うらやましく思っていたみたいなの〉
〈うらやましい?〉
〈うん。ほら、レイミさんが凄い速度で船を動かしてた時のこと〉
〈うーん、なんだか楽しかったような気はするけど、よく覚えてないや〉
〈そ、そうなんだ……。そ、それはともかく、その時、ヴァリスさんは真っ先にアリシアさんの名前を呼んでくれたのに、ルシアが自分を気にかけてくれなかったって……そんな独り言だったみたい〉
〈ええ! それって……〉
〈ほら、落ち着いて。皆に不審がられるでしょう?〉
フィリスに言われて、わたしは慌てて居住まいを正しました。危うく、むせてしまうところでした。
……それにしても、そんなことでへそを曲げるなんて、シリルお姉ちゃんも可愛いですね。ああ、いつまでもこんな日が続けばいいのに。わたしは心からそう思いました。
-タイム・ストップ-
食事が終わり、レイミさんが食後のお茶を用意してくれている中、改めて今後の方針をみんなで語り合うことになった。
「方針も何も、ヴァリスに【魔力】を増幅してもらって『クロイアの楔』で時を止めた後、シリルが【儀式】を行うってことでいいんだろう?」
「そんなに単純な話なわけがないだろう?」
ルシアが言うと、ノエルさんが小馬鹿にしたような顔で言う。間違いなくわざと意識してやっているのだろうけど、どうしてルシアにだけ、こうも意地悪なんだろう?
「ぐ……。わかってるよ。言ってみただけだ」
悔しそうなルシア。ノエルさんは、そんな彼に満足げな笑みを向けると、背後に向かって手をかざす。すると、食堂の壁全面に映し出されていた外の風景が別の画像に切り替わった。
「なんだ、これ?」
「『クロイアの楔』の解析記録だよ。まあ、作成者の残した断片的な記録を統合して僕が整理したものでもあるけどね。まったく、『彼女』は誰かに理解してもらう気があったんだろうかと思うほど、難解な記録だったよ」
「大変だったみたいね。ご苦労様」
シリルお姉ちゃんのねぎらいの言葉にひとつ頷くと、ノエルさんは画面を見ながら言葉を続ける。
「ただ、どういうことなんだろうね。シリルの言う『彼女』については、『セントラル』の保有する記録には一切残っていない。こんなに大それた化け物みたいな技術者の情報を、他ならぬ『魔族』が遺さないなんて考えにくいよ」
「つまり、誰かが意図的に記録を消している、ということじゃないかしら?」
「そうだね。名前すら記録に無いんだ。そう考えるのが自然だろう。誰が何のためにしたのかは気になるところだけれど、考えていても仕方ないかな。……ごめん、脇道に話がそれちゃったね」
ノエルさんはそこで改めて言葉を切ると、少し間をおいてから話題を戻す。
「まずは、『時を止める』ってところだけど、よく考えてみれば、これは最初から言葉として矛盾しているんだ」
「矛盾? どこがだ?」
ルシアが首を傾げると、ノエルさんは呆れたように目を細める。
「少しは自分で考えてみようよ。大体、本当に時間が止まるなら、『止まった』という状態は誰にも認識できないはずだろう?」
「ん? うーん、まあ、言われてみればそうかな?」
「『時に楔を打ち込む』というのは、言い換えれば『【自然法則】を固定する』ということなんだ。つまり、根本的な法則そのものに干渉して、それが世界に与える影響を固定するのさ。仮にその状態が永続すれば、術者は『世界』から殺されることもなく、永遠に存在できる」
時を止める。世界を止める。
それは、途方もないことだった。原初の時から存在し続ける『世界』との関係性を、擬似的・一時的にとはいえ否定するだなんて……。なにより、そんなことを考えた人がいるだなんて、とても信じられない。
「限定的とはいえ、不老不死が実現できるってわけか。ある意味、夢のような技術だな」
呆れたようなルシアの声に、ノエルさんが軽く頷く。
「あるいは悪夢のような、だね。……正直、こんな場合でもなければ、こんな恐ろしいモノに手を出すべきじゃないとは思うよ」
ノエルさんは、身震いするように肩をすくめていた。やっぱりノエルさんにも、『世界を止める』ことの重大性はわかっているみたいだ。
「……それでも、今のままでは【狂夢】がいつか世界を滅ぼす。僕たちはやるしかないんだ」
それは、決意に満ちた声だった。みんなもその言葉に、しっかりと頷きを返している。
「さて、本題に入るよ。この『楔』はそのまま使ったんじゃ、限定的な空間の時しか止められない。それでも『術者の永遠』を創り出すには十分だけど、僕たちの目的は世界の人々に犠牲を出さずに【儀式】を行うことだ。だから、準備は世界中でする必要がある」
「世界中ですって? ……『楔』の効果範囲がどの程度のものかは知らないけれど、いくらなんでもそんなの無理よ」
シリルお姉ちゃんの呆れたような声に、ノエルさんは、すぐさま首を振りました。
「話は最後まで聞いてくれ。世界中と言っても、場所は決まってるんだ。僕たちがめぐるべきは、世界の主要な【聖地】だよ」
【聖地】
それは、世界を循環する【マナ】の湧出地点であり、回帰地点でもある場所。清浄な【マナ】の豊富な地を指して【聖地】と呼ぶ。ワタシのような『精霊』にとっても馴染みの深い場所。
「つまり、世界の【自然法則】の結節地点を押さえるというわけね?」
「そのとおり。僕が調べた限り、今回の【儀式】のために押さえるべき【聖地】は全部で六ヶ所。いずれもそれなりに知名度の高い場所だよ」
「六ヶ所……ね。この『アリア・ノルン』ならそんなに時間はかからないかしら?」
「そうだね。まあ。さすがにさっきみたいな無茶な操縦はしない。っていうか僕がさせないけど、それでも二か月とかからず回れるんじゃないかな?」
ノエルさんの言葉に、シリルお姉ちゃんはようやく安堵した表情を見せた。反対に不満そうな顔をしているのは、皆にお茶を注ぎ終えて席に着いたレイミさんだ。
「わたしに操縦させてくれないつもりですか?」
「当たり前だろう? この前は緊急事態だったからやむなく任せたんだ。普段は自動操縦か、でなければ僕が舵を取る」
「そんなあ……」
「駄目なものは、駄目! っていうか……どうして僕は、君にここまで振り回されないといけないんだろうね」
「そんなの、自業自得に決まってるじゃあないですか」
「にこやかに言わないでほしいな」
頭を抱えるノエルさん。するとここで、それまで皆が気になっていたに違いない質問を投げかけた人物がいた。
「あ、あの、ノエルさんとレイミさんって、どんな関係なんですか?」
おずおずと、でも、まっすぐにそう尋ねたのはシャルだった。これにはワタシも思わず感心してしまったけれど、特にびっくりした顔をしていたのはレイフィアさんだった。
「すごい勇気……、あたしだっておっかなくて聞けなかったことなのに……」
猫のような金色の瞳が、尊敬の色をたたえてシャルに向けられていた。
「僕たちの関係かい?」
にこやかな顔で訊き返すノエルさん。
「は、はい」
負けじと返事するシャル。
「気になりますう?」
含み笑いで応じるレイミさん。
「うう……」
その場には、なぜか奇妙な緊張感が拡がりはじめていた。沈黙が続いていたのはわずかな時間。けれど、それは永遠ではないかというほど長い時間に感じられる沈黙。
「それはね……」
「は、はい……」
つばを飲み込むように真剣な顔で見守る皆の前で、ノエルさんはただ一言。
「秘密だよ」
「はいな、秘密です!」
ガタガタと、テーブルに突っ伏す皆の勢いで椅子が音を立てる。ここまで思わせぶりな流れから、その答えはあんまりだった。
「おいおい、期待させといてあんまりだなあ」
ルシアがまさに、ワタシの感想そのままの言葉で抗議すると、ノエルさんは申し訳なさそうに頭を掻いて見せた。
「まあ、皆には隠しておかなくてもいいことなのかもしれないんだけどさ……」
「何が問題なんだ?」
そう尋ねたのはエイミア様だった。『秘密を護れない女性:第一位』ともいうべきこの人がいるから、駄目なんだろうか? ワタシはふとそんな風に考えてしまう。
「うん、言ったらたぶん、シリルに怒られるから」
「え? わたしに?」
シリルお姉ちゃんがきょとんとした顔で自分の顔を指差している。でも、ノエルさんとレイミさんの関係がばれるとシリルお姉ちゃんに怒られるだなんて、いったいどういうことだろう?
「ま、まさか、二人は……」
エイミア様は、何か恐ろしい事実に気付いたかのような顔になる。わなわなと身体を震わせ、信じられないとばかりに首を左右に振っている。
「……えーっと、エイミアさん? もしかして、何かとんでもない誤解をしてないかい?」
あまりのエイミア様の豹変ぶりに驚いてか、ノエルさんが顔を引きつらせる。
「いやいや! レイミの節操のなさはよく分かっているし、君が『博愛』主義者だというのは……まあ、話半分に聞いていたところではあったが、まさか、そんな……」
「ちょ、ちょっと待って! 違う、違うよ! 違うんだ! 僕の話を聞いてほしい!」
途端に焦ったように弁解を始めようとするノエルさん。でも、何に対するどんな弁解なのだろう?
「いいや、聞きたくない。聞きたくないぞ、そんな爛れた話。この場にはシャルだっているのだ。君も場をわきまえたまえ」
「わきまえるのは、君の方だ! 何をよからぬ妄想を全力でしてくれているんだ! 僕は確かに博愛主義者だけど……そうじゃない。そうじゃないんだ。これはその、ちょっと『誇張』されているだけで、本当の僕じゃないんだ!」
なんだか、言っていることが支離滅裂だ。
「うふふ、これは面白いことになりました」
「こら! レイミ! 笑ってないで君も何か言え!……い、いや、駄目だ! 何も言うな!」
「あらら、どっちですか?」
なんなのだろう、この光景は? シャルの質問がとんでもない事態を引き起こしたみたいになっている。
「えっと、シリルお姉ちゃん。エイミア様たちは何を言っているの?」
「……シャル。世の中にはね、知らなくてもいいことだってあるのよ。いい?」
シリルお姉ちゃんが、とっても怖い顔でシャルに言い聞かせている。
「驚いたな。まさか、ノエルがここまで取り乱すことがあるだなんてな。……くっくっく、よし、次からは何かあったらこれで仕返ししてやろうかな」
悪者顔でそんな言葉を口にするルシア。でも、悪者は勝利できないのが世の常みたいで、ノエルさんが耳ざとくその言葉を聞きつけていた。
「聞こえているよ、ルシア。言っておくけれど、今度僕にその手の話を振ろうものなら、レイミにルシアの特殊な性癖について、あることないこと言ってやるからね」
「特殊な性癖なんかない! それに『あることないこと』って、……ないことを言うのはおかしいだろうが!」
「うふふ、大丈夫ですよお。本気になんてしませんから」
「そ、そうか。まあ、そうだよな」
レイミさんが不気味に笑いながら言うと、ルシアは安心したように息をつく。……でも、ワタシですらわかる。今のはどう考えても前振りなのに、こういうところだけは鈍いんだから。
「大義名分があれば、事実かどうかなんて関係ありませんから!」
「節操がなさすぎる!!」
食堂にルシアの絶叫がこだまする。
ワタシたちの旅は、今後も賑やかなものになりそうだった。