幕 間 その23 とある真眼の困惑
-とある真眼の困惑-
我は『真眼』──観察こそが、我が使命。
あの御方より刻み込まれた『ラディス・ゼメイオン』は、我の存在を眼に変えた。ただただ観察し、ただただ知らせるのみ。
だから我は、久しく自身の感覚というものを失っていた。眼前に広がる事実をありのままに受け入れるためだけの存在である我には、驚き、そして戸惑うことなどあるはずはなかった。
だが、これはどういうことだ? 理解できない。理解や分析は『真算』の役回り。それでも我は、この存在を見て『思うことをやめる』ことができない。
我の『眼前』を進む一人の男。
「……ったく、趣味の悪い城だな。内部まで黒一色とかあり得ないだろ」
全身黒づくめの男がそんな呟きを口にする。そんなどうでもいいような矛盾を無視し、我は男に声をかける。
〈警備装置が作動した。汝の命運はここまでだ〉
「……」
だが、我の声は無視された。
「なあ、ファラ。どっちだろうな?」
〈ふん。こういう時は一番奥に縮こまっていると相場が決まっておろう〉
「……だな。天守閣が破壊されてんだし、被害を避けるつもりなら、一階か、でなけりゃ地下だな」
宙に浮かぶ城に地下などない。そんな矛盾を指摘しても仕方がないが、我は小さくつぶやいた。すると……
「うるせえよ」
意外なことに返事があった。
〈無視していたのではなかったのか?〉
驚いて我が問いかけると、男は「しまった」という顔をした。死地に飛び込んできたにしては、呆れるほどに緊張感が感じられない。
「さて、お出ましか」
男が手にした剣を構える先に、三体ほどの【生体魔装兵器】『ヴァルガンの哨戒歩兵』が姿を現す。銀の鎧をまとい、槍を両手に持った人型の兵器だ。侵入者を確認すると同時に、鋼の身体を軋ませながら、光り輝く槍を突きだし、突進を開始する。
「邪魔だ!」
一閃。
横薙ぎに振るわれた剣が槍の先端を斬ると同時、三体の『哨戒歩兵』は、三体同時にその身体を真っ二つに斬り裂かれる。男はそれを見下ろしもせず、飛び越えるように先を急ぐ。
『ひとまとまりの斬断』──恐るべき、【魔鍵】の力。
同一の存在をいくら数多くそろえても、ただの一閃で無意味にされる。多種多様にして千差万別な【魔装兵器】なら対抗可能かもしれないが、それは我の考えることではない。必要な情報なら『真算』に既に送信している。
〈馬鹿な! 何を考えている? 非合理だ! 非論理的だ! 死ぬことが頭にないのか!〉
狼狽える『真算』。だが、すでに我にとってはどうでもいい。
忌々しい四柱神の遺産とはいえ、我らの切り札の一つでもある『ラグナ・メギドス』を持ち出した挙句、作戦に失敗したあの男は、場合によっては『真算』の刻印を剥奪される可能性もある。
〈くそ! だ、だが完全に失敗したわけではない。きっと『ジャシン』は覚醒しているはずなのだ!〉
そんな言い訳は、『あの御方』にしてもらいたい。
その後も男は、『重装歩兵』や『守護騎兵』などの【生体魔装兵器】を次々と斬り捨てながら、確実に目的の場所へと近づいていく。それを我は、信じられない思いで見つめる。このままでは、本当にこの男、『真算』を殺すかもしれない。
だが、そのときだった。階下へ急ぐ男の前に、一人の人影が立ちはだかった。階段への入り口を背にして立つ彼の周囲には、無数の【生体魔装兵器】が残骸となって転がっている。
「フェイル……?」
それまで数多の敵をものともせずに斬り捨ててきた男が、怪訝そうな顔で人影に呼びかける。
「ククク……! さすがに俺も、お前がたった一人で乗り込んでくるなど、予想もできなかった。お前は面白いな。本当に面白い。お前が俺を退屈させることは、当分なさそうだ」
「一人で勝手に納得してんじゃねえよ。アリシアをさらった罰を、今ここで受けさせてやろうか?」
低く、怒りに満ちた声。だが、『真算』に対するものとは異質な怒りのようだ。『真霊』でもあるまいに、我はそんな感想を抱いてしまった。
「そうだな。少し俺の趣向に付き合ってくれるなら、奴の元に案内してやる。この『ラグナ・メギドス』も、勘だけで目的地に辿り着けるほど単純な造りはしていない」
……やはりフェイルは、我らを裏切っている。だが、我の『眼』が周囲に満ちていることが明らかなこの場所で、こうまではっきりと裏切るとは、もはや『パラダイム』に戻る気がないということだろうか?
「どういうつもりだ? ……まあ、いいや。確かに俺の今回の目的はお前じゃない。いつか報いはくれてやるにしても、案内してくれるっていうんなら……させてやってもいいぜ」
〈おい、ルシア。こんな男の言うことを真に受けるのか?〉
ファラと呼ばれた『神』の声。
「ああ、真に受ける。……それでいいだろ?」
〈……まったく、仕方のない奴め〉
何を言っているのか、我にはわけがわからない。
「ククク、そうだな。それでいい。さあ、始めようか」
フェイルは、禍々しい輝きを宿す紅い剣を抜き放つ。
【魔鍵】『斬り開く刹那の聖剣』
この『剣』にも謎が多い。どこで手に入れたかは知らないが、そもそもフェイルが【魔鍵】と適合したという事実自体が信じがたい。
現在の『魔族』は、とある理由により【オリジン】を保有することができない。ゆえに『古代魔族』の能力を再現するには、『混沌の種子』の技術を応用し、強制的にかき集めた【オリジン】を『魔族』の因子とあわせて人間に詰め込むしかない。そうして生まれたのがフェイルであり、恐らくは『銀の魔女』も同様だろう。
だが、人為的な操作によりかき集められた【オリジン】は、【魔鍵】と適合させるには特定の『神』の要素が薄すぎるはずなのだ。
「で? 条件はなんだ? このまま前みたいに、お前に傷でもつければいいのか?」
「いや、このまま案内してやる。……ただし、この城は間もなく墜ちる。それでもよければな」
墜ちる? どういうことか?
「どういう意味だ?」
男の問いかけに、フェイルは肩をすくめて見せた。
「この城の中枢にある動力源。それこそが真の意味での『ラグナ・メギドス』だ。だが、それ自体は単なる【魔力】の発生装置に過ぎない。アレが生み出した膨大な【魔力】は、動力部や各種兵装へと供給されているわけだが、その繋がりを喪失せば、この城は墜ちる。たった今、セフィリアが張り切ってそちらに向かったところだ」
「な! ちっくしょう! ふざけやがって」
「言っただろう? これは遊びだと。この城が墜ちるのが先か、お前がラディスを殺すのが先か、そういう賭けだ。命が惜しければ引き返しても構わないぞ」
「……な、わけないだろ。さっさと案内しやがれ」
「ククク!」
愉快気に笑うフェイル。この男がこんなに感情をあらわにするところは初めて観察する。……だが、魔力供給の繋がりを喪失す? そんなことが可能なのだろうか?
我は『視点』を変更する。
目的の地点は、機関室だ。侵入者がいたとして、厳重な警備が施されたはずのその場所に、たどり着けるはずもない。
だが、あり得ないはずのことが起きていた。我の『眼』には唸りを上げて稼働する漆黒の球体──『ラグナ・メギドス』の前に立つ、少女の姿が映っている。
裾を赤く染めた白いドレスをはためかせ、その少女は、当たり前のようにそこにいる。
周囲には、何の損傷もないままに、動きを止めた無数の【生体魔装兵器】。そして、メンテナンス用の人員として本作戦に参加していた、数名の研究員が倒れている。彼らは全員、事切れているようだった。
「うふふ……、喪失さなきゃ、喪失さなきゃ。だって胸が苦しいの。だって心が寂しいの。だから、だから、いっぱいいっぱい喪失さなきゃ……」
うわごとのように呟く少女。金色の髪にまだらに混じる紅い髪。
そして、『ラグナ・メギドス』から、音が消えた。
我は自分が『見た』ものが信じられない。【神機】『ラグナ・メギドス』は、今この瞬間、無効化された。生み出した魔力を活用するための手段、それらをすべて喪失したのだ。ただ意味もなく【魔力】を垂れ流し続ける道具など、何の利用価値もない。
「うふふ……、ねえ、そこの人? あなたも喪失しちゃおうかな?」
壮絶なまでに美しい紅い瞳が、邪気に満ちた笑みを浮かべる。感じたのは、根こそぎ存在を刈り取られるかのような根源的な恐怖。実体もなく、姿も見えないはずの我に向けて、少女の手が伸ばされる。……我は、『眼』を退避させた。
──城内のとある一角。
「ここがそうか?」
「ああ、奴ならこの奥だ。逃げ場などない。……いや、今さら逃げる気などないだろう」
城内最奥部に存在する隠し部屋。フェイルはそこに、黒髪の男を案内していた。やはり裏切るつもりのようだ。あの少女の存在が、フェイルにここまで思い切った真似をさせているのだろうか?
「……そうかい。ありがとよっと!」
黒髪の男が、手にした剣でフェイルへと斬りつける。フェイルは、それを紅い刀身で弾き返す。
「不意打ちとは卑怯じゃないか」
「うるせえ、どの口が言ってる」
罵り合う二人。
「相手をしてやるのは構わんが時間がないぞ? 俺はいつでも退避できるが、貴様はそうはいくまい」
「わかってるよ。今のは単なる嫌がらせの憂さ晴らしだ。てか、用がなければさっさと失せろよ。目障りだ」
嫌悪の感情をあらわにする黒髪の男。なおも愉快気に肩を震わせると、紅い剣を振りかぶり、近くの空間に裂け目を生み出すフェイル。この二人の関係性も、全く不可解だった。
「さて、じゃあ、行くか」
男の声と共に、斬り裂かれる隠し部屋の扉。直後、その向こう側から輝く光線が放たれてくる。それは、人体など容易に貫く致命の閃光。だが、男はそこにいなかった。
「馬鹿正直に真正面から突っ込むわけないだろ?」
信じられないことに男は斬り裂いた扉ではなく、壁の一部を細かく切り刻んで打ち抜き、そこから内部への侵入を果たしていた。
「な! 馬鹿な……」
部屋の中央には、光線を放つ【魔装兵器】を手にしたまま、驚いて後ずさる『真算』がいた。
「エイミアたちの壁抜き技も、意外と応用が利くもんだな」
「し、死ねえ!」
闇雲に光線を放つ『真算』。……否、ここまでの醜態をさらした以上、奴に『真算』の名は相応しくない。己の攻撃がことごとく剣閃で薙ぎ払われるのを見た奴は、軍服の腰から【魔装兵器】『ルガルの細剣』を抜き、大きく振りかぶった。
振り下ろすと同時に、不可視の魔力の弾丸を放つ剣。近接用の道具に見せかけた射撃武器だ。そのため案の定、遥か間合いの外で振るわれた剣閃に、男の回避行動は大きく遅れた。が、しかし──
「な! なぜ効かん!」
「俺は【魔装兵器】には相性がいいんだよ」
わかるようなわからないようなことを言いながら、奴に向かって間合いを詰める黒髪の男。相手の首筋に剣を突きつけ、問いかけの言葉を口にする。
「さて、最後に言いたいことはあるか?」
「……馬鹿め。もう手遅れだ。予定よりは少ないとはいえ、すでに『ジャシン』の復活はなった。舞台はできた。後はただ、我らが主の御座を整えるのみ」
狂気に満ちた……否『正気』に満ちた目を男に向け、つぶやく『真算』。
「てめえが犠牲にした人たちに言うことはないのか?」
「くくく! さあ、時は来たれり! 今こそ世界に『変革』の光を……」
「くそ!」
男を殺すべく、手にした武器を振りかざそうとした『真算』は、逆に心臓を刺し貫かれ、絶命する。彼は変革の世のために、最後まで己が意を貫いた。ならばやはり、最後まで奴を『真算』と呼んでやるべきか。
と、そのとき、城がぐらりと傾く。
「うわっと……! やばいな」
〈ルシア! 逃げるぞ!〉
「ああ、わかってる!」
『真算』の亡骸を残し、部屋を後にする『ルシア』。
『真算』を殺した男の名前は、記憶しておくべきだろう。
我は墜ちていく城を外から視界に収めつつ、ぼんやりと観察を続けた。