第126話 あたしが主演/絶対結界
-あたしが主演-
現在地点は『セリアルの塔』の第五階層。
さっきの第四階層に引き続き、シリルが天使パワーで【魔導装置】を無効化しただけで制圧できたフロアだ。あ、ちなみに『天使パワー』というのはあたしの命名。この言葉を言うたんびに、シリルが身悶えして恥ずかしがるんだもん。いい名前だよね。
それはともかく。ことここにいたるまで、あたしはちっともさっぱし目立てなかった。
施設は壊しちゃ駄目、モンスターも殺しちゃ駄目ときたら、あたしに出番なんてあるわけがない。はっきり言って、すっごくつまんない。……帰ろうかな? いやいや、冗談だってば。あたしはこれでも、いつになく真剣なんだ。
どうしてかって? 決まってる。むかつくからだ。あのフェイルって奴に腹を立てた時以上に、あたしは『ラディス』とやらに腹を立てていた。まどろっこしくもこすい手で、あたしたちを翻弄しようとする『魔族』に。
あたしは正義の味方じゃないし、罪のない人とやらがモンスターとくっつけられたからって憤るような柄じゃない。
だからこれは、ただ単純にむかつくだけ。だって、……むかつくんだんもん。
「6階には2体ほどのモンスターがいます。……多分【人造魔神】じゃないかと」
だから、シャルがそんな報告をしてくれた時は、あたしは小躍りしながら喜んだものだった。
「ちょっと本気なの?」
「当たり前じゃん。聞いた話じゃ随分手強そうな相手みたいだし、そんな獲物譲れますかっての。ストレスたまってんだよねえ」
「あのねえ……」
呆れたようなシリルの顔も面白い。
「と、いうわけで、ここはあたし一人に任せなさい」
「で、でも……」
「『でも』も、『もで』もなーい!」
「『もで』って何よ……」
「ま、ちょっとばっかしシャルに準備を手伝ってもらえたら、あたしは無敵だよ。知ってるでしょ、あたしの能力」
仲間として認めてもらうため、あたしは自分の【魔鍵】『燃え滾る煉獄の竜杖』の力まで含めてシリルに話していた。ま、実のところ隠さなくってもいいんだけどね。
「神性“禍熱領域”。設定した領域内で、自身が使用する火属性【魔法】のレベルを強制的に一段階引き上げる。初級魔法なら無作為かつ無限に発動するし、中級魔法は初級魔法と同じ【魔法陣】で使用できる。上級以上も一段階下の【魔法陣】で使用可能。それに増幅もアレンジも思いのままだし、持続タイプの【魔法】なら効果時間も永続化する。ほら、負けるわけないじゃん」
「相手は人造とはいえ、『魔神』なのよ? どんな危険な能力を持っているかわからないわ。今はアリシアもいないんだし……」
「心配性だなあ、シリルは。それに相手のことなんて、わからないから楽しいんじゃん」
「シリル、問答をしている暇はない」
お、ヴァリスか。随分と焦っているみたいだね。
「……わかったわ。じゃあ、シャル。準備を手伝ってあげて」
「うん」
あたしの“禍熱領域”の発動条件は、血液だ。領域に指定したい場所の四隅に自分の血液で陣を描く必要がある。戦闘中には難しいんだよね、これ。あらかじめ罠を張った場所での戦闘なら簡単なんだけど、そうでなければ隠蔽結界でも使って隠れながら描くしかない。
その点、シャルの『聖天光鎖の額冠』はすごく便利だった。今度あたしも売ってる場所を教えてもらって買おうかな? ギルド製の結界は質があんまりよくないし。
自分の手をナイフで切りつけ、ポタポタと垂れる血で陣を描く。シャルが自分の手でも切られるかのような顔をしていたのが面白かった。さらに別れ間際、あたしが『キュアポーション』を使おうとしたのを止めて、【生命魔法】までかけてくれちゃったのだからびっくりだった。
「レイフィアさん一人を置いて行っちゃうんだから、これぐらい当然です。むしろ、ごめんなさい。これくらいしかできなくて……」
この子はどうやら、あたしが命がけで皆を先に行かせようとしているのだと思っているらしい。うーん、面白いって言うか、可愛いかも。あたしには小っちゃい子を愛でる趣味はないんだけど、それでもこの子はちょっと可愛い。
「ひひひ! 心配してくれてありがとね! シャルが手伝ってくれたおかげであたしは無敵だからさ、任せときなって!」
「は、はい!」
くしゃくしゃっと頭を撫でてやると、嬉しそうな顔で笑うシャル。
うわあ、癒されるね、これ。
──みんなを見送ったあと、あたしは一人で二体のモンスターと対峙する。どうせラディスの奴が見ているのだ。仮に隠蔽結界でやり過ごそうとしても追いかけられるに決まっている。誰かがこいつらを足止めするなり倒すなりする必要があった。
もちろん、倒しちゃうけどね。
〈愚かな。人間の自己犠牲の精神だけは、理解しかねるな〉
盛大な誤解だ。でも、この馬鹿にそれを教えてやるつもりはない。それにすぐに誤解だとわかるだろう。あたしがこいつらをぶっ殺しちゃえば。
と、思っていたところで、あたしは気付く。──目の前のモンスターの姿が歪んでいる。
「な、なに?」
〈その二体の【人造魔神】は、【調整】によって相乗効果を実現した最新作でね。【ヴィシャスブランド】“恐怖侵食”と“真実暴走”。対象の恐怖を侵食し、対象にとっての真実を暴走させる〉
「嘘でしょ!? どうなってんのこれ?」
あたしの前には、さっきまで人型の二体のモンスターが立っていたはずだ。色合いは金と銀。のっぺりした外見の気持ち悪いモンスターだった。
でも、今は……
「ルー姉とヴァル兄?」
身体に鎖を巻いた大男と羽根飾りの多い純白の衣装をまとった金髪美女。あたしの知る限り、そんな二人組は彼らしかいない。でも、どうしてこんなところに?
〈それはもう、単なる幻覚を超えた『真実以上の真実』だ。絶対に勝てない相手を前にして、痛みも傷も死ですらも、真実となって襲いくる。……もう聞こえてはいないかな?〉
「さて、レイフィア。あなたには報いを受けてもらわないといけませんね」
「……ったく、てめえにはがっかりだぜ。裏切りだと? ふざけやがって。さすがに勘弁ならねえな、殺してやるよ」
二人から殺意を向けられ、流石のあたしも足がすくむ。なに? なんなの、この状況は? よりにもよって今、一番会いたくないと思っていた二人組が目の前にいる。さすがに二人を同時に相手にするとなれば、無敵の領域ですら心もとない。
とにかく、あたしは用意しておいた【魔法】を解放することにした。
〈我は炎。猛火であり、烈火であり、劫火であり、葬火であり、煉火である者〉
《偽り欺く劫火の魔人》
あたしの姿をした炎の魔人が五体、姿を現す。あたしが使える禁術級魔法の中でも、汎用性の高さなら一推しの【魔法】だ。
「は! お得意の分身か? んなもんが効くか!」
ヴァル兄が凄まじいスピードで飛びかかってくる。既に周囲に吹き荒れている初級魔法の炎も、ヴァル兄には何の痛痒も与えられないらしい。
《爆炎の宝珠》!
五体の魔人から五発同時に中級魔法が放たれる。
いくらヴァル兄でも、これを喰らって足止めにすらならないなんてはずはない。
「ぐががが! いってえええ!」
喚きながらたたらを踏んで後ろに下がるヴァル兄。けれどあたしにはそれを喜ぶ暇はない。悪寒を感じて火属性中級魔法《猛進の火車》での高速回避を行ったすぐそばを、光の奔流が駆け抜けていったのだ。
《舞い降りる天使の剣》
ルー姉の反則技だ。今ので一体の魔人が消し飛ばされた。
「まじで殺す気じゃん! ちょっとした出来心なんだってば! 心が狭いなあ。許してよ!」
「うるせえ! 見苦しいぜ!」
ヴァル兄が怒号と共に間合いを詰めようとしてくる。
《蹂躙の赤熱波》!
中級魔法と同じ魔力消費、構築時間で放たれる上級魔法。それをヴァル兄は片手で弾き飛ばす。うそでしょ? まじで?
さすがにヴァル兄の腕はほとんど炭になるほど焼き尽くされていたけれど、本当なら全身がそうなったっておかしくないのに……。
「ちっ! 焦げちまったか」
〈原初より来たりて、彼方へと運ぶ無限の枝葉。我が前に奇跡を顕せ〉
《輝き宿す生命の樹》
数秒で回復するヴァル兄の腕。駄目だあ、こんなの反則過ぎだよ。勝てるわけないじゃん! いくら自分を対象とする【生命魔法】は発動時間が短縮できると言ったって、禁術級をあの速度で使うか普通?
あたしの分身たちは、それでもめげずに二人に向かって【魔法】を放ち続けている。さすがにルー姉も『剣』を消し、『光の壁』を構築していた。
「観念なさい」
ルー姉の声と共に、空から光が降ってくる。まずい! これってまさか……
《天蓋の鎮魂歌》
たちまち、あたしの魔人たちが消えていく。持続型魔法の効力を打ち消す厄介な上級魔法。浄化の性質を持つ光属性ならではの業だ。
「やばいやばいやばいやばい!」
あれ? どうしてこうなったんだっけ? そもそもあたしはどこにいて、何と戦ってるんだ? そう、確かあたしはシリルを『ともだち』にしてやろうと思ってヴァル兄たちに喧嘩を売って、……気が付いたらこんな目にあっている。
失敗したなあ、もう。とっさに構築した炎の障壁を突き破り、巨大な拳が目の前に迫る。
「ひええ!」
間一髪、身を捻って躱したあたしは、再び加速魔法を使って二人から距離を置く。その間にもルー姉からの光属性魔法が飛んでくるし、死ななかったのが奇跡なほどだ。
「わけわかんない! わけわかんないけど、むかつく! 死んでたまるかあ!」
〈加熱せよ、過熱せよ、禍熱せよ〉
〈あまねく命を飲み干して、赤より紅く燃え滾る。罪にまみれし、この手を染めよ〉
必死で二人の攻撃をかわしながら、あたしは詠唱を開始する。何度かルー姉の【魔法】があたしの身体をかすめ、気が遠くなりそうな痛みが全身を襲う。額から流れる血を舐めとり、あたしは不敵に笑みを浮かべた。
「ここからは、あたしが主演だ! ぶっ壊してやろうじゃん、二枚看板をさ!」
竜杖の先に構築された【魔法陣】が、真っ赤な世界で紅く輝く。
《暴かれる真紅の原罪》!
真っ赤な世界を真紅に染める、極熱の焔。
地下書庫で見つけた魔導書にあった、あたし好みの凶悪な【禁術】。
あ! 思い出した……。施設をあんまり壊すなって、言われてたっけ?
でもいまさら手遅れだし、ま、いっか。
-絶対結界-
『セリアルの塔』の第七階層。
そこには、想像を超えるものが待ち受けていた。
そもそもシャルの偵察が意味をなさなかった。『リュダイン』に偵察に行かせた先にあったものは、ただの『肉の塊』だったからだ。フロア全体を覆い尽くすほどの、モンスターの群れ。明らかに定員オーバーと言うべき状況に絶句する。
「な、なにこれ……」
身動きすら取れないほどにひしめくモンスター群に、流石のシリルも驚愕のうめきを漏らす。物理的な肉の壁による足止め。階段間際にいるモンスターがこちらに気付き、襲い掛かってくるのを蹴散らしながら、我は歯噛みする。
「おのれ……」
「どうしよう、シリルお姉ちゃん。これじゃ進めない……」
単体で見れば、強くてもせいぜいCランクモンスターまでと言ったところだが、いかんせん物量が多すぎる。先ほど蹴散らしたモンスターの死骸でさえ、すぐ近くの別のモンスターに叩きつき、床に落ちて行く手を阻む。
「ここは僕がやる」
進み出たエリオットは、手にした【魔鍵】『轟き響く葬送の魔槍』を構える。『轟音衝撃波』で吹き飛ばすつもりだろう。
そして狙い通り、腰だめに構えた魔槍から放たれる爆発的な衝撃波は、数体の『マッドオーク』を吹き飛ばす。粉々に吹き飛ばされた残骸は、流石に我らの道を塞ぐことはなかった。
「よし、これなら!」
立て続けに衝撃波を放つエリオット。
が、しかし──
「これは厳しいな……」
〈不浄を清め、汚濁を払うは聖なる輝き〉
《清浄の聖光》
つぶやくエイミアの手の先で金色の【魔法陣】が明滅し、光属性の浄化魔法が発動する。モンスターの体液は、それだけでも通常の生き物に害をなすものが多い。気づけば、エリオットの技でまき散らされた有害な臭気があたりに充満してしまっていた。
《凝固》!
シャルが生み出した空気の壁が、仲間の血に狂い、凶暴さを増したモンスターの群れをくい止める。
「く……【魔力】は使うけど、仕方がないわね。わたしが禁術級でまとめて消し去るわ。……ただ、塔が崩れないようにするとなると、アレンジも必要ね。とにかく、いったん下がりましょう!」
シリルの言葉に、我は首を振る。もはや一刻の猶予もないのだ。
「ここまで来て、退くわけにはいかん! 全滅させる必要などない。一気に駆け抜ける!」
我は叫ぶ。その叫びをそのまま“竜の咆哮”に変え、部屋中のモンスターの動きを止める。
「あ! ヴァリス! 待ちなさい!」
我は目の前を塞ぐモンスターの群れを左右に弾き、突き進む。エリオットが何度か敵を粉々にしていたおかげか、そうすることで目の前に辛うじて道が生まれた。
「もう!『ファルーク』、力を貸して」
白銀の飛竜が暴風を叩きつける。
「『リュダイン』もお願い!」
金色の雷獣が稲光を纏った一本角を振りかざす。
シリルとシャルは各々の『幻獣』の力を借りながら、エリオットとエイミアはそれぞれ自分の力で、同じように我の後に続く道を切り拓いていく。
「はあ、はあ、はあ!」
「まったく無茶するんだから……」
フロアを駆け抜けた反対側、上階へ続く階段の踊り場で荒く息をつくシリル。
「だが、これで大分時間は短縮できたはずだ」
今はわずかでも時間が惜しい。我は上階へ続く階段を見上げる。
「それはそうだけど……ラディスには、わたしたちをこのまま行かせるつもりはないようね」
シリルの言葉と同時、背後のモンスター群がこちらへどっと押し寄せてくる。
「やっぱり、何らかの手段で操っているんだわ」
ただモンスターを配置しただけではなく、その行動まで操るラディス。奴には、あの時のアベルのように“妖術師”系の【スキル】に近い能力でもあるのだろうか。
「くそ! こんなことをしている場合では……!」
舌打ちしつつも拳を繰り出そうとした我の前に、躍り出る影が一つ。
「仕方がないな。ここは僕が足止めする。皆は早く行ってくれ!」
「エリオット?」
「いいから早く!」
「……く、すまん」
我はエリオットに謝罪の言葉を口にする。焦りのあまり我が先走ったせいで、彼に危険な役目を押しつける結果になってしまった。
「いいって。僕だって、立場が同じなら同じことをしたはずだよ」
魔槍を振るいながら、軽い調子で返事をしてくるエリオット。
「エリオット。わたしも残ろう。浄化魔法が必要だろう」
「……いえ、ここは僕一人で大丈夫です。任せてください」
エイミアの申し出に首を振るエリオット。
「だ、だが……」
「一刻の猶予もないんでしょう? 僕を信じてください。だから、エイミアさんは……どうかヴァリスたちの力になってあげてください」
「……うん! わかった」
エリオットの力強い言葉に、エイミアが信頼のこもった言葉を返す。二人がそんなやり取りを続けている間、シャルが『リュダイン』を偵察に出していたのだが……突然、大きな声をあげた。
「あ! 『リュダイン』が……!」
「どうした?」
「『リュダイン』がやられちゃいました。八階は……かなり大変かもしれません」
意気消沈した声で言うシャル。
詳しい話を聞けば、警戒しながら『リュダイン』が部屋に飛び込んだ途端、雷のような光を浴びて具現化維持の限界を超えるダメージを受けてしまったらしい。
「雷のような光? でも、『リュダイン』は雷の力を持つ『幻獣』のはずでしょう?」
「うん、でもそうとしか見えなかった。特別な【魔装兵器】なのかもしれないよ」
「そうね。それなら、わたしがなんとかするわ」
ここまで来て『リュダイン』による偵察ができなくなったのは痛いが、まだシリルの『ファルーク』もいる。八階を超えれば残るはあと二階層だ。
……アリシア、もうすぐだ。無事でいてくれ
だが、八階に存在していたのは、どうしようもない『絶望の壁』だった。
もうすぐアリシアを助けることができる──再び彼女の声を聞き、再び彼女の笑顔を見ることができる。ソレは、そんな想いを虚しく散らす、絶対的な障害だった。
〈つくづく大したものだ。俺の『真算』によれば、お前たちがここに辿り着くには、今の倍以上の時間がかかるはずだった。……残念だよ。残り時間もわずかと言ったところで、絶望を与えてやるのも一興かと思ったのだが〉
「これは、何なの?」
虚空から響くラディスの声に、端的な質問を投げかけるシリル。
最初から【魔装兵器】の無効化さえ試そうともしなかった彼女には、聞くまでもなく、それが無意味なことがわかっていたのだろう。それは、我とて同じだ。
『セリアルの塔』第八階層。
破壊されつくした広大なフロアに吹き荒れる、凄まじい力の乱流。
塔そのものを破壊しないように調整はされているようだが、わずかでもその領域に足を踏み入れれば、全身を粉々に吹き飛ばされるだろう。
「『ラグナ・メギドス』……」
〈そのとおり。まさに『絶対結界』だな。【魔装兵器】でもなんでもない。小細工など必要ない。最初からこの圧倒的な力の前では、お前たちに抗うすべなどなかったのだよ〉
「く、なんて汚い……」
〈汚い? これは異なことを。俺はただ、手にした駒を最大限に活用しているまでだ。せいぜい、そこで世界が『変革』する様を見るがいい〉
わなわなと怒りに震えるシリルを嘲笑するラディス。
我は駆け出したい気持ちを抑え、吹き荒れる暴力的な力の渦を睨みつける。だが、駄目だ。どんなに“竜気功”で強化しようとも、この渦を駆け抜けることなどできないだろう。
「こ、こんなの、こんなのないよ……。せっかくここまで来たのに……。酷い! ひどすぎる!」
シャルが叫ぶ。涙に泣き濡れた瞳には、やりきれない感情が渦を巻く。
「天井抜きはともかくとして、この結界を迂回しながら上がる方法はないものかな……」
エイミアが手にした弓を掴みながら周囲を見渡す。ここの壁も恐らくは【古代語魔法】によって強化されている。とはいえ破壊は不可能ではないだろう。だが……
「……わたしが“魔王の百眼”で見る限り、八階と九階のフロアを完全に分断するように、壁の外側まで含めて結界が発生しているわ」
シリルの言葉は、我らに絶望の影を投げかけた。仮にここでルシアの到着を待ったとしても、どうにもなるまい。どんな【魔法】でも斬り散らせるルシアの『剣』も、永遠に発生し続ける力の乱流を消滅させることなどできないのだから。
〈さて、それではそろそろ、お前たちに話してやろう〉
「なんだと?」
〈そういきり立つな。立ったまま時間を無駄に過ごすのも詰まらんだろうから、俺が楽しい話をしてやると言っているのさ〉
「……」
屈辱的な物言いに、言葉を返せない。手詰まりなこの状況で、奴が何を話す気なのか。たとえ偽りであったとしても、何らかの情報が得られるなら。ここは黙って聞くべきだろう。
〈お前たちの探す囚われの巫女は、塔の最上階──というよりは屋上部分にいる〉
「巫女だと?」
〈愚かなる『神』に代わり、世界を変革する存在『ジャシン』。その魂を慰めるための巫女。フェイルの奴から少しくらいは聞いているのではないか?〉
「奴の裏切りもお見通しというわけか」
〈些細なことだ。俺の『真算』に狂いはない。……さて、話を戻そう。この『セリアルの塔』の送受信機能を使い、全世界に眠る彼らの意識を呼び起こす。だが、彼らは『神』を超越した高次精神体でもある。そんなものに人間の意識が直に接触すればどうなるかな?〉
「きさま!!」
〈落ち着け。ことが終わる前に巫女に壊れてもらっても困るのでな。触媒を用意した〉
「触媒?」
〈モンスターだよ。【歪夢】──すなわち、『神』が『ジャシン』を恐れる想い──から生まれたモンスターどもなら、触媒としてはちょうど良い。つまり、モンスターを通じて間接的に接触するというわけだ〉
何を言っているのか、よくわからない。だが、シリルにはわかったらしい。我が口を開くより先に叫ぶ。
「ふざけないで! モンスターの意識に接触するですって? そんなことをしたら……」
〈用意したモンスターは全部で二十体だ。まあ、人間の精神でそこまで持てば良い方だろう。最初の五、六体と“同調”している間はやかましい悲鳴も聞こえたが、今は大人しいものだ。もうすぐ、半分と言ったところかな?〉
シリルの叫びを無視するかのような淡々とした声。
その声が耳に入るや否や、目の前の視界が純白に染まる。
我の怒りが限界を超えたためだろうか?
──否、そうではなかった。