第121話 プラットホームの惨劇/裸の付き合い
-プラットホームの惨劇-
『ファルーク』から降りた俺たちは、灰色の草原に建つ『駅』の入口へと向かう。ノエルの造った【魔導列車】に乗って、ここに着いたのはもう二週間近く前のことだ。
あの時はまさか、こんなことになるなんて夢にも思わなかった。
「少し早かったかもしれないけど、ノエルをここで待たせる状況になるよりは良かったわ」
地下への階段を下りながら、シリルが言った。確かこの『駅』には、水先案内人を自称するカールさんがいる。さすがに見慣れない【魔導列車】がいつまでも停車していれば、不審に思われてしまうだろう。
だが、この時の俺たちには、知るよしもなかったのだ。──まさかこの先に、あんな惨状が待ち受けているなんて……。
階段を降りきった先には、列車の発着場となるホームとその脇に立つ『案内人』の小屋がある。見れば、そこには一台の【魔導列車】が止まっていた。俺たちが乗ってきたものと違い、随分と流線型の姿をしている。
「見覚えがない形だな? まさか、ギルドの車両ってわけじゃないよな?」
「……行ってみましょう」
シリルの言葉に頷くと、俺たちはその車両へと慎重に近づいていく。
「ひ、人が倒れています……」
シャルに言われるまでもない。俺たち全員の目に、その姿ははっきりと映っている。俺はとっさにシャルの後ろから顔に手を回し、その目を覆う。
「え? ル、ルシア?」
「……見ない方がいい」
俺が険しい顔をして見つめた先は、『案内人』の小屋の前、入口を出てすぐの場所だ。ちらりと横を見れば、シリルがそちらから全力で目を逸らしていた。まあ、あれだけの惨いモノ……正視に堪えないのも無理はない。
だが、逆にここまで付いて来たレイフィアはと言えば、金色の瞳を輝かせ、瞳孔まで大きくしながらソレを見ている。……ったく、なんて趣味の悪い女だ。
「これは酷いな……」
ヴァリスでさえ、目の前の惨状には他に言葉も出ない。俺はとりあえずシャルの肩を掴んで回れ右させると、その『犠牲者』の元まで近づいていく。……間違いない。自称水先案内人のカールさんだ。
だが、何をどうやったら、こんなに酷い目に?
俺は周囲を警戒する。これをやった犯人はまだ、周辺に潜んでいる可能性がある。
──と、その時だった。【魔導列車】の中から、一人の女性が姿を現す。
「あ! みっなさーん! 遅かったじゃないですかあ! わたし、待ちくたびれちゃいました!」
気の抜けた声を上げて車両の扉から顔を出し、大きな胸を揺らせながら走り寄ってくる一人のメイド。眼鏡に三つ編み。胸の部分が大きく開いた黒っぽいメイド服。
「レ、レイミさん!?」
「あ! ルシアさん。覚えていてくださったんですね? 光栄ですう!」
目の前で立ち止まるなり、胸を強調したポーズを取りながら笑いかけてくるレイミさん。……えっと、なんで彼女が?
「ちょ、ちょっと! どういうことなの? どうしてあなたがここに? ノエルはどうしたの?」
「うふふ! 彼女は忙しくて手が離せないので、わたしがお迎えに上がりました!……ってあれ、シリルさん? 顔が赤くないですか?」
「う……、だって……」
シリルは、チラチラとソレを横目で見ているようだ。
「ぷ! ぷ、くくく……!」
「エ、エイミアさん……笑ったら気の毒ですって!」
俺の背後からは笑いを必死に噛み殺すエイミアと、それをたしなめるエリオットの声がする。
『犠牲者』であるところの、カールさんの姿。
白目をむいて気絶している。それだけなら、まだいい。問題なのはその先だ。……大の男が全裸のまま、亀の甲羅を思わせる結び目でもって縄に拘束されている有様は、俺やヴァリス、エリオットと言った男性陣にこのうえない同情心を抱かせるものだった。
あ、ありえない……かわいそすぎる。いったいどんな悪いことをすれば、あんな酷い目に合うんだろう?
「ああ、これですか? 色々としつこく詮索してくる上に、いやらしい目でわたしを見てくるので、ちょっとだけお仕置きをしちゃいました!」
そんな理由でここまでしたのかよ!?
てへっと笑うレイミさんに、俺は非難の叫びを上げそうになった。だいたい、いやらしい目で見るも何も、自分であれだけ胸を強調しておいて見るなと言う方が無茶な気が……
俺は同情の気持ちを込めて、改めてカールさんの姿に目を向けた。……あれ? うーん、なんだろう? この人、心なしか幸せそうな顔をしているように見える。
「うふふ。この方も……新しい世界の扉、開けたみたいですね?」
「新しい世界って!?」
「え? 知りたいですか?」
満面の笑み。手にはいつの間にか縄のようなものが……
「ぜ、全力で、結構です!!」
「残念……。『向こう側』まで行ってしまえば、素晴らしい人生が待っているかもしれませんよ? ルシアさんなら『扉』を開く素質、十分にあると思います」
一生開きたくない扉だった。
「なに、このメイド……、あんたたちの知り合いって、変なのが多いんだね?」
レイフィアの顔が引きつっている。さすがの彼女にも、初対面でレイミさんのキャラクターは強烈過ぎたらしい。
「メイドではありません。メイドさんです」
と、よくわからない訂正をした後、──レイミさんが怪訝そうな顔をする。
「あれ? どなたですか? それに、アリシアさんの姿が見えませんが……」
その問いかけは、それまでの賑やかな雰囲気を一変させた。
──【魔導列車】の車内にて。
「そうですか。そんなことが……」
レイミさんの声にも、いつもの明るい調子はない。速度を重視して形を改めたというこの【魔導列車】に関しては、彼女が運転を一手に引き受け、運転席に陣取っている。彼女の表情は、こちらからはうかがい知ることができなかった。
列車の内装は、以前乗った時と同じままだ。壁面に設けられた座席が片側に五人ずつで計十人分。俺たちは思い思いの席に腰を掛けている。
「唯一の手がかりはフェイルの残した言葉だけよ。『邪神の復活』と『今も使われている施設での儀式』。マギスレギアに戻り次第、情報を収集して一刻も早く彼女を助けに行かないと……」
「……フェイルか」
あいつの目的は、一体何なのだろう? あいつなら、「俺には目的などない」とか言いそうだが、生きているのに目的がない人間などいない。目的がなければ、死ぬだけだ。そのことは、かつて絶望に満ちた世界で憎しみだけを糧に生きてきた俺こそが、誰よりもよく知っている。
だからこそ、俺にはあいつのことが、どうしても理解できない。
「どうしたの、ルシア?」
「え? あ、いや、なんでもない」
まあ、あんな奴のことなんか、真面目に考えたところで馬鹿を見るだけかもしれない。
「……ルシア、ファラ殿はいるか?」
「ん? ああ」
ヴァリスに言われて、俺は自分の心の中に呼びかける。そう言えば、レイフィアが加わってから、何となくファラを実体化させてこなかった気がする。彼女にファラのことを教えるタイミングを、計り損ねていたのだ。
〈ファラ? 出てきてもらっていいか?〉
〈まったく、待ちくたびれたぞ?〉
やれやれと言った様子で、ファラが俺の目の前に実体化する。
「わあ! なにこれ? あんた、どっから出てきたの?」
「レイフィア、悪いけど、後にしてくれ」
「えー? なによもう……」
俺の言葉に、彼女は子供のように頬を膨らませる。
〈で、何の用だ?〉
「お休みのところをお呼び立てして申し訳ない」
〈いや、かまわん。ルシアの『扉』は、ほとんど開きかけている。他の『神』ほど眠りが必要なわけではないからな〉
ファラは近場の席にどっかり腰を下ろした。最近では俺に触れていなくても距離さえ離れていなければ実体化できるらしい。
「邪神のことだ。千年前、神々はすべての『邪神』を『竜の谷』に封印した。そして、それを我らが先達とファラ殿が滅ぼした。それに相違ないのだろうか?」
〈ああ、間違いない〉
「……ならば、その『邪神』たちが復活する可能性は?」
〈考えられんな。あれは『神』の生み出した事象に過ぎない。《異世界からの侵略者》は千年前に終了した【魔法】だよ。わらわとともにあった残骸も既に滅びた〉
残骸とは、あの窪地にあった巨大な角付き頭蓋骨のことだろう。
「ならば、『邪神の復活』とは? アリシアを使って奴らは何をしようとしている?」
ヴァリスの言葉は、すでに問いかけの体をなしていない。強いて言うなら自問自答だが、それだって答えが出る類のものじゃないだろう。彼も相当の焦りを感じているみたいだ。
「……わたしは、『パラダイム』の言う『ジャシン』とは、ファラの言う『邪神』とは別物なのだと思う」
「どういう意味だ、エイミア?」
突然話に割り込んできたエイミアに、俺はとりあえず訊き返す。
「……フェイルの言葉だ。奴は確か、ジャシンを指して、『全世界に眠る』ものだと言ったはずだ。だったら、『竜の谷』にしか存在しないはずの『邪神』とは、異なる存在なんじゃないのか?」
「そうね。気が動転して考えてもみなかったけれど、きっとそうだわ……」
シリルは、納得したように頷いた。
「……だとすれば、過去の『邪神』そのものについて調べるのは時間の無駄よ。それどころか、見当違いの結論に辿り着くところだった。ありがとう、エイミア」
「……少しは役に立てて良かったよ」
エイミアも、あの時アリシアを助けられなかったことを随分と悔やんでいるようだ。
「ふん。さっきからみんなして、あたしにわかんない話ばっかしちゃってさ。こら! 仲間外れにすんな!」
耳に響くヒステリックな声の主は、レイフィアだ。本気で怒っているわけじゃなさそうだが、どうにも場違いな感じだった。
「あなたって本当にうるさいわね。……ヒステリーは嫌われるわよ?」
かつて自分が彼女に言われた言葉を、そのまま言い返すシリル。心なしか、してやったりと言った顔にも見える。
「で? あたしにもどういうことだか説明してよ。……あ! あたし、意外と頭悪いから、わかりやすくお願いね!」
だが、レイフィアはそんなシリルの言葉をあっさりと無視した。悔しそうな顔をするシリル。……というか、『意外と』なんてつけなくても十分頭は悪そうに見えるけどな。
「……って、どわあ!!」
俺は目前に迫った炎を目視すると同時、首をひねってそれをかわす。耳のすぐ近くを通り過ぎた小さな火炎が、俺が背にした壁面の窓をじりじりと焦がす。
「誰が頭悪そうだって?」
「い、いや、なんでもないです……」
思わず声に出ていたらしい。いや、今に限って言えばそんなはずはない。もしかすると、顔に出ていたのかもしれない。
正面の席に座るレイフィアが手にした『竜杖』の口に、チロチロと小さな炎が見える。
──と、そのとき。
風切音と共に彼女の顔のすぐわきに、一本の包丁が突き立った。
「ひえ!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げるレイフィア。
「……うふふ、レイフィアさん? わたしがせっかくお掃除した車両の内装を焦がすなんて、イケない人です。次やったら『お仕置き』ですよ?」
「……は、はい、気を付けます」
まさかあのレイフィアが、怯えた声で謝るとは……。
運転席から振り向きもせず、角度的にも無理があるはずなのに、どうやって包丁を投げつけてきたのか? 元々理屈の通じる人ではないが、ますます妖怪じみてくるメイドさんだった。
-裸の付き合い-
王城マギスレギアの地下に着いたわたしたちは、レイミの案内でノエルの執務室へと向かった。
「飲み物をご用意しましたから、このままお待ちくださいね。すぐに彼女も来ると思いますから」
そう言い残し、部屋を出ていくレイミ。
彼女の姿が見えなくなると、ふと、わたしの袖を引っ張る気配があった。
「なに、あのメイドさん。マジ怖いんですけど……」
何故かわたしの隣に腰かけたレイフィアだった。うんざりして、その手を振り払う。
「とにかく、今は静かにしていてちょうだい。知りたいことがあれば後で、まとめて教えるわ」
「それじゃ、置いてきぼりじゃん。だいたい、列車の中でだって、あのメイドさんがあんなにやばい人だって教えてくれてれば……」
ぶつぶつとぼやくレイフィア。確かに、少し邪険に扱いすぎたかしら? ノエルがここに来るまでの間くらい、もう少しちゃんと話してあげるべきかもしれない。
「ねえねえ、シャル。あんたでいいや。教えてよ」
……だが、そう思ってわたしが彼女に話しかけようとしたときには、すでに彼女はシャルの隣に移動していた。……すっごくムカつく。
「あ、そ、その、えっと、わかりました。わたしでわかる範囲でよければ……」
「あ、ほんと? さっすが、シャル! 話がわかる! どっかの誰かさんとは大違いだよねえ?」
彼女は人の神経を逆なでする天才なんだろうか?
〈シ、シリル、落ち着けよ? な?〉
ルシアが心配そうに念話で語りかけてくる。どうやらわたしは知らないうちに 怒りで身体を震わせていたらしかった。
〈だ、大丈夫……。わたしだって大人よ。こ、これぐらいのことで……〉
深呼吸よ、深呼吸をするのよ……。
──どうにかわたしが気を落ち着けた頃、扉をノックする音が響く。
「どうぞー!」
他人の部屋なのに「どうぞ」も何もないのだが、そう言ったのは何故かレイフィアだった。まったくもう、なんなのよ、あの女……。
「遅くなってごめん」
扉の向こうから、貴族の子弟を思わせる壮麗な衣服をまとったノエルの長身が現れる。
「ノエル……」
わたしはソファから立ち上がり、彼女に近づく。
「……無事に帰ってきてくれて良かった。と、全員に言ってあげられれば最高だったんだけどね」
「ううん。それでも、ここにいるわたしたちが無事に帰ってこれたのは、あなたのおかげよ」
悲しげに目を伏せるノエルに、わたしはお礼の言葉を口にする。
ノエルは少し疲れた顔をしているみたいだ。わたしを軽く抱擁すると、すぐに執務室のデスク席に腰を下ろした。ソファに座るわたしたち全員を見渡せる位置だ。
「だいたいの話は、レイミから聞いたよ。まさか『パラダイム』がアリシアさんを狙うなんて、思いもしなかった」
それはそうだろう。わたしだって、未だにどうして彼女が狙われたのか、わからないのだ。
「いずれにしても、まずは情報を収集しないと動きようがない。『世界の理』についてはともかく、『パラダイム』に関する情報は、僕もこれまであまり調べてはこなかったからね。今からでも調べてみるよ」
「……ええ、お願い」
「元気がないね。無理もないけど、でも、食事はちゃんととらないと駄目だよ? 思いつめるのも良くない。いざという時に力が出せないんじゃ、彼女だって助けられなくなる」
「うん」
確かにそのとおりだ。ルシエラとヴァルナガンとの戦闘時は、それが原因で危ういところだったのだから。
「……へえ、あのシリルが子供みたいに言うこと聞いてるよ」
レイフィアの感心したような声が癪に障る。……けれど、こうして腹を立てているおかげで、随分と気が紛れているのも確かだった。
「当面はこの城に泊まるといい。いい加減ほとぼりも冷めたし、城の人間も今の王様の方針は理解してくれているからね」
「そうね。情報が入り次第、すぐに動きたいし……自分でもできるだけ調べてみたいもの」
「……何もしないで休んでいるっていうのは、今の君には無理そうだね。わかった。それじゃあ、君には王立魔導図書館の最上級閲覧資格を出してもらうようにする。過去の人間たちが遺した古文書にも、有用な情報はあるかもしれないしね」
「ありがとう」
わたしはノエルの気遣いに感謝した。何もしないで待つだけなんて、今のわたしには耐えられない。アリシアが今、どんな状況にあるのかを思うと、心が張り裂けそうだった。
「話がまとまったところで聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「なんだい、ルシア?」
ルシアの話題転換も、きっとこの場の雰囲気を変えようとしてのものだろう。
「別に責めるつもりじゃないんだが、忙しくて手が離せないってのは何だったんだ? 少し疲れているようにも見えるし、他にも何か厄介ごとがあるとか?」
「ふふ、心配してくれるんだ? 別に厄介ごとなんてないよ。ただ、ちょっとばかり大きなものを製作中でね。君たちのための物だから、完成したら見せてあげる。それまでは秘密さ」
大きなもの? ……【魔導装置】かしら?
かつて神童とさえ呼ばれたことのある彼女の才能は、もっぱら『ものづくり』の方面に発揮されることが多かった。一度製作に没頭し始めると、食事を抜いてしまうこともあったぐらいだ。そのあまりの熱中ぶりには、幼い頃のわたしですら心配になって、何度も彼女に差し入れを持って行ってあげたものだった。
「……これからの君たちには、きっと必要になるはずだよ。この場所だって、いつまで安全かはわからないし、他人を巻き込みたくないと思うなら、なおさらね」
そんな意味深なことを言う彼女は、やっぱり、わたしたちの知らないところで色々と動いているのだろう。わたしはどうやって、彼女の恩に報いたらいいのだろうか。
「とにかく、今日はゆっくり休むんだ。『ゼルグの地平』で蓄積した疲労は、自分で思っている以上に大きいはずだよ」
彼女の言葉に、全員が大きく頷く。確かに、もうクタクタだった。肉体的にも、精神的にも。わたしたちは彼女の勧めに従って、思い思いに体と心を休めることにしたのだった。
──夕食後。
わたしは身体の疲れをいやすため、王城内に造られた巨大浴場に向かって歩いていた。と、言っても一人ではない。
「うう、シ、シリルお姉ちゃん……」
わたしの方を落ち着かなげに振り返るシャル。
「大丈夫だぞ、シャル。使い方なら、ちゃんと教えてあげるから」
にこやかに笑いかけるエイミア。
シャルは、こういう場所の大浴場に入るのは初めてらしい。貴族の家で育てられたとはいえ、彼女の故郷は辺境だ。ましてや日陰者として育てられたシャルには、そんな経験がなくても無理はない。
エイミアに手を引かれ、わたしの方を不安そうに振り返るシャルの姿は、正直とても可愛い。そして、その姿が少しずつ遠ざかっていく。……うん、頑張ってねシャル。
「頑張ってね、じゃあないでしょ? ほら、あんたもさっさと歩く!」
「きゃ!」
背中を突き飛ばされた。
「あははは! なに? あんた、ひょっとして大浴場って初めてなの? びびってんの? 笑っちゃう、おっかしい! あはははは!」
「べ、別にびびってなんかいないわよ!」
振り向いた先には、ふんぞり返って笑うレイフィアがいる。
「じゃあ、ほら、行くよ」
「な、なんで、あんたなんかと一緒に……」
この計画を立案したのはエイミアだった。心身の疲れを癒すのには入浴が一番だとか言っていたけれど、それともうひとつ。とにかく仲が悪いわたしとレイフィアに『裸の付き合い』で打ち解けてもらうためだとかなんだとか……。はっきり言っていい迷惑だった。
とはいえ、これ以上渋れば怖がっていると思われてしまう。は、初めてだからって、別に大きいお風呂ぐらい怖いわけないじゃない……
わたしはひとつ頭を振ると、浴場へ向けて大きく一歩を踏み出した。
──それから、脱衣所にて。
「……な、なにこれ、いくらなんでも豪華すぎない?」
エイミアがシャルの服を手際よく脱がせ、中に追い立てていったのを見送ったわたしは、あまりの光景に唖然とした。脱衣所から見える浴場内は、恐ろしく広かった。たちこめる湯気のせいもあって、向こう端が見通せないほどだ。
「ほら、さっさと入りなよ」
その声に振り向いてみれば、レイフィアがぽんぽんと服を脱ぎ捨て、あっという間に一糸まとわぬ姿になっていた。彼女は、意外と着やせするタイプらしい。
しなやかな猫のような体には染みひとつなく、女性らしい滑らかな曲線を描いている。肉もつくところにはついているし、いらない場所からは程よくそぎ落とされている。
「なに、あんた? 人のこと、ジロジロ見ちゃって?」
「タ、タオルで身体くらい隠しなさいよ!」
「えー? いいじゃん。めんどっちい。女同士なんだから気にしない気にしない!」
そう言ってレイフィアは身体を隠しもしないまま、中へと駆け込んでいく。
「……う、覚悟を決めるしかないのかしら?」
身に着けた『紫銀天使の聖衣』を脱ぎすて、下着も脱いで、身体をタオルで覆うと、わたしは恐る恐る浴場内へと足を踏み入れた。
「遅かったじゃないか、シリル。シャルはもう身体を洗い終えて浴槽の中だぞ?」
「う、うん……」
湯気の中に、蒼い髪が見える。見目鮮やかなその蒼も、しっとりと群青色に濡れていた。彼女はその長身を申し訳程度に隠すように、タオルを胸元にあてたまま立っている。こんな場所でまで凛とした佇まいを見せる彼女に、思わず見惚れてしまいそうだった。
それから、エイミアに色々と教わりながら、どうにか体を洗い始める。
「いやあ、使用人用の浴場でいいと言ったはずなんだけど、王様が気を利かせてくれたみたいでね。王族専用の風呂を貸してくれたんだ」
大浴場の豪華さに驚くわたしに、エイミアはそう説明してくれた。
……レオグラフト国王。いつも自分が使っている風呂をエイミアに使わせるなんて、まさか……。つい、そんな良からぬ想像をしてしまう。
「さ、それじゃあ、頭を洗うぞ?」
「え? い、いいわよ、自分でできるもの」
「いやいや、遠慮をするな。せっかくの綺麗な銀髪だ。手入れはしっかりした方がいいんだぞ? 湯上り美人なところをルシアに見せてやらないとな?」
「う……ルシアは関係ないでしょう?」
そう言うわたしの声には力がない。
「ほら、それじゃあ目をつぶって」
「う、うん」
それからしばらくの間、わたしはされるがままに髪を丁寧に洗われた。無言のままだったけれど、その手つきは髪の毛一本一本をすごく労わってくれているようで、本当に気持ちよかった。最後に、頭から勢いよくお湯をかけられる。
「ふう、ありがとう。人に頭を洗ってもらうのも、気持ちいいモノね」
そう言って振り向いたわたしの前には、癖のある赤毛の髪を胸元に垂らし、にやにやと笑うレイフィアがいた。……え? エイミアは? ……シャルと一緒に浴槽内で泳いでいる。あれってお行儀が悪い真似じゃないのかしら? ……っじゃなくって!
「ま、まさか……」
「いやあ、シリルの髪って、すっごく綺麗だねえ! うんうん、こりゃ、流石のあたしもついつい丁寧に扱っちゃったよ」
「あ、あなたが洗ったの?」
「うん、そだよ。ひひひ! 気持ち良かったって? じゃあ、めいっぱい感謝してもらおうか! あたしは寛大だから、お礼は現金で十分だよ?」
エイミア、謀ったわね……。でも、嬉しそうな彼女の金色の瞳を見ていると、言葉が出なくなってしまう。
「……ほら、交代」
「え?」
「今度はわたしが洗ってあげる」
「ええ!? いや、いいってば!」
驚いて瞳孔を丸くする彼女の腕を掴んだわたしは、強引に自分が座っていた台に彼女を座らせると、じゃぶじゃぶと頭にお湯をかけて洗い始める。
「あ、こら! あたしの髪は癖っ毛なんだから、もうちょっと優しく扱え!」
浴場内にレイフィアの抗議の声が響き渡る。