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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第12章 渦巻く災禍と彼女の箱庭
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第118話 真っ赤な世界で/竜頭蛇尾

     -真っ赤な世界で-


 『瘴気発生装置』が作動を停止し、エイミアの浄化魔法であらかた部屋の中の【瘴気】を無くしてから間もなく、シリルちゃんとルシアくんの二人が通路の奥から戻ってきた。

 二人の姿は何事もなかったように見えるけれど、あたしにはわかる。……うっふっふ、これは何かラブラブなイベントを終えてきたところだね?


「な、何よ、アリシア……にやにやして」


 あたしの視線にたじろぐ様子を見せるシリルちゃん。


「えー? それをあたしに聞いちゃうかなあ、シリルちゃん」


「ま、待って! わかった! わかったから何も言わないで!」


 さすがにシリルちゃんは察しがいい。でも、ここまで慌てふためくなんて、奥で一体何があったんだろう? 気になるなあ。


「アリシア。からかうのも、ほどほどにしておいてやれ」


「はーい」


 ヴァリスにたしなめられちゃった。ヴァリスも段々と、人間同士のやりとりに隠れた機微を理解できるようになってきたみたい。


「で? 目的の物は見つかったのか?」


「ええ」


 エイミアの質問にシリルちゃんが頷きを返す。


「後はこれと、さっき手に入れた記録をノエルのところに持ち帰るだけよ。わたしにも分析はできるけど、この手の道具は彼女の方が得意分野だからね」


 あたしたちはシリルちゃんの言葉に頷くと、元来た道を引き返すことにした。けれど、これがまた大変だった。途中であった冒険者の人たちが言った通り、多くのトラップが復活──というか新しいものに変わっているんだもの。


「施設に自己修復機能までつけるだなんて、彼女は本当にここが大事だったみたいね」


 彼女、というのはここを造った人のことだろうか? シリルちゃんは来た時のように様子がおかしくなることはなかったけれど、どことなく物思いに沈んでいるみたいだった。


「でも、流石に僕が壊した壁までは直っていないみたいだね」


 一階への階段を登りきったところで、エリオットくんが言った。何をそんなに誇らしげに言ってるのかな、この子は? 十六歳という年相応に、少年っぽいところもちゃんとあるんだね。


「ほら、わたしの言った通り、この方が帰りも楽だったじゃあないか」


 でも、エイミアまで胸を張って喜んでいるのは、ちょっと違うんじゃ……?


「はいはい、さっさと行くわよ。時間も遅いわね。夜は『デスウイング』の活動も活発になるらしいし、まずは『2号』まで徒歩で戻りましょう。そこでノエルと連絡を取って、翌朝にでも『ファルーク』で『駅』まで行くことにするわ」


「ああ、そうだな。俺も早くこんな辛気臭いところからは、おさらばしたいぜ」


 ルシアくんがシリルちゃんにしみじみと言葉を返している。確かに、胸に宿る不安の正体がわかったところで、ここが居心地の悪い場所なのは違いないもんね。ああ、早くマギスレギアに戻ってメリーさんの料理でも食べたいなあ。


 施設の一階部分には例のごとく、モンスターもいなければトラップもない。あたしたちは、すぐに入口の広間にまでたどり着く。


「『祈りの間』だなんて、彼女にとっては他の『魔族』への皮肉みたいなものだったんでしょうね。あるいは……カムフラージュかしら?」


「だろうな。あの日記を見る限り、神様に祈りをささげるような殊勝なタイプには見えなかったし」


 シリルちゃんとルシアくんは二人の間でしか通じない会話を交わしている。なんだか、除け者にされているみたいで悔しいな。最初はあたしたち三人から始まった旅だったんだよ? うーん、あとで訊き出しちゃおう!


 そんなことを考えているうちに、あたしたちはとうとう正面入り口から外に出た。目の前に広がるのは、まるで神殿のような石造りの柱の列と中央にある祭壇。その脇にある冒険者たちのテント。よく見ると、そのテントから見覚えのある人たちがやってきた。


「ヘンリーさん、たちだね……」


 ぞろぞろとテントから出てくる彼らの様子は、何かおかしい。


「よ、よお、随分早かったじゃないか。やっぱり、無理だったか?」


「ええ、もう少し準備が必要ね。今日のところはこれぐらいで引き上げることにしたわ」


 シリルちゃんは、何食わぬ顔でさらりと嘘をつく。


「へ、へえ、そうかい。あ、そうだ。どこか怪我はないかい?」


 そう言いながら、距離を詰めてくるヘンリーさん。あれ? まさか……


「シリルちゃん! 近づいちゃ駄目!」


〈朝に生まれし戒めの水、彼の者の自由を奪え〉


毒花の零滴(ポイズン・ドロップ)


 ヘンリーさんが握る【魔導の杖スタッフ】の先に生じた紫色の液体は、無数の雫となってシリルちゃんへと襲い掛かる。毒で身体の自由を奪う、水属性中級魔法。


 けれど──


「なんのつもりかしら?」


 シリルちゃんの周囲には、光の膜のようなものが出現している。それと、背中には銀の翼が……。どうやらシリルちゃんの『紫銀天使の聖衣』に備わった【魔装兵器】としての機能らしい。


「……うう、とっさだったから他に方法がなかったわ。ヘンリー……わけを話してくれる? ことと次第によっては、死んだ方がましな思いをさせてあげるわよ?」


 恥ずかしさに頬を紅潮させながら、シリルちゃんがヘンリーさんを睨み付ける。


 と、その直後──


「ぐわ!」


「ぎゃ!」


「げふ!」


 あたしたちの周囲でバタバタと倒れていく冒険者の人たち。ヴァリスとエイミア、それにエリオットくんの三人が、こちらを不意打ちしようとした人たちを叩きのめした音だった。


「う……つ、強い」


 あたしたちを取り囲む他の人たちは、あまりにも鮮やかな三人の動きに驚愕して固まっている。もっとも、あたしの後ろでビリビリと音を立てる『リュダイン』ちゃんの眼光に怯えているだけかもしれないけれど。


「ま、待ってくれ! その、俺たちは脅されただけなんだ!」


「脅された? 誰に?」


 シリルちゃんは、ぞっとするような声色で問いを重ねる。


「そ、それは……」


 ヘンリーさんが露骨に怯えた顔になる。そして、ちらりと自分が出てきたテントを見た。すると、その時。


「えー? もう降参? ちょっと早くない?」


 飄々とした女性の声。


「ひ、ひい!」


 悲鳴と同時、ヘンリーさんの身体が炎に包まれる。


「う、うわあ! 消火しろ! 早く、早く!」


 燃え上がる服の熱さに耐えかね、転げまわるヘンリーさんに他の仲間が慌てて水の魔法をかける。


「ほら! 邪魔だから、あっちに行ってよね。あたしの登場シーンが目立たないじゃないか」


 そう言ってテントから姿を現したのは、癖のある赤毛の髪を二つに縛り、黒い魔女のような服を着た、一人の女性だった。手には竜の頭を模した杖を握っている。


「レイフィア?」


「やっほー! おひさ! 元気だったかい? シリル」


 左手を顔の横でわきわきと開閉させながら、満面の笑みで声をかけてくるレイフィアさん。金色に輝く猫の瞳は、ものすごく楽しげだ。


「あなたがやらせたの?」


 シリルちゃんは、火傷を治療しながら慌てて逃げていくヘンリーさんたちを横目で見ながら、レイフィアさんに鋭く問いかける。


「そだよ。余興にもなんなかったけど」


 レイフィアさんは、あくまで気楽に返事をしてくる。


「どうして?」


「ん? そういう命令だから。……よくわかんないけど、あたしも迷惑してんのよ。せっかく『魔神』ぶっ殺して、いい気分に浸ってたところで仕事しろとか、そんなのないんじゃない? って感じ」


 Sランク冒険者レイフィア・スカーレット。彼女はもしかして……


「エージェント、なの?」


「まあね。もっともあたしは、ヴァルにいやルーねえみたいに真面目じゃないから、依頼なんてめったに受けないんだけどさ。一番近くにいて、この仕事ができそうな奴があたししかいないってんじゃ、断れないじゃん?」


 けらけらと笑うレイフィアさん。


「今さら元老院がどういうつもり? まさか、『楔』の回収を?」


 シリルちゃんがこの施設でそれを発見することを見越して? でも、それにしては対応が速すぎる気がする。


「『楔』? 何言ってんの? あたしが受けたのはシリル・マギウス・ティアルーンをかっさらって『アストラル』まで連れて来いってだけだよ?」


「どういうこと? 議長はこんなこと、認めないはずよ」


「さあ? まあ、いいじゃん。それより、どうする? 抵抗する? してくれた方があたし的には面白いけど」


 シリルちゃんは考え込む様子を見せた。目的のものは手に入れたし、このまま『魔導都市』へ戻って【儀式】に臨むこと自体は問題ないのかもしれないけれど、まだ確実に『世界の理』計画の概要がわかったわけじゃない。


「……抵抗するわ。こんなタイミング、胡散臭さすぎるもの。理由も知らされないなんて、あり得ないわ」


「だよねえ。あたしも言ってて、そう思うもん」


 彼女は、竜の杖を肩に担ぐようにして笑う。


「でも、あなたこそ本気なの? たった一人で、わたしたちとやりあうつもり?」


「え? 当たり前じゃん。こんな面白いこと、他の誰かに譲れますかって!」


 彼女が吠えた次の瞬間、周囲一帯を炎が取り囲んだ。神殿の柱の列に沿うように生み出された炎は、あたしたちの退路を塞ぐ灼熱の壁となってそそり立つ。


「バトルフィールド設定完了! って感じだね。じゃあ、初めはこれだ。頑張って躱すか防ぐかしてよね?」


 レイフィアさんが【魔鍵】『燃え滾る煉獄の竜杖(ゼスト・アヴリル・ウィオラ)』をこちらに向けて突き出す。


〈万象ことごとくを舐めつくす、炎の大蛇が伸ばす舌〉


蹂躙の赤熱波(クリムゾン・スネーク)


 赤い【魔法陣】は中級クラスの物。なのに、発動したのはかつての『妖精の森』で見たものと同じ、上級魔法だった。こんなの、シリルちゃんたちの障壁でも防ぎきれない…… と、思ったところで果敢に飛び出す影が一つ。


 あたしたちの目前に迫る赤い蛇の業火は、その影が振り下ろした剣に当たった直後、しぼむような音を立てて斬り散らされ、消滅していく。


「わお! すごい!」


 彼女は猫のような瞳の瞳孔を、丸く大きく開くようにして叫ぶ。


「聞いてた通り、ほんとに【魔法】が斬れるんだねえ! じゃあ、これはこれは?」


 愉快気な声と共に、立て続けに放たれる火球は《爆炎の宝珠(バースト・ボール)》。中級魔法である以上、連発なんてできるはずもない【魔法】だった。


「げ! まじかよ! くそ!」


 ルシアくんは爆炎に身体を焦がしながら、次々とそれを斬り散らしていく。


「……これがあなたの【魔鍵】の力?」


「まあね。神性“禍熱領域(バーニング)”。もちろん能力は、──秘密だよ」


 言いながら、彼女は杖を振りかざす。途端、世界が真っ赤に染まる。

 四角い世界──ここはそう、炎が渦巻く彼女の箱庭。



     -竜頭蛇尾-


 足元から吹き上がる炎は、それほど強力なものではない。だが、まともな装備もなしに受けては火傷は避けられまい。我は『波紋の闘衣』で周囲の炎を防ぎつつ、アリシアの姿を探す。


「きゃあ! 熱い!」


「アリシア!」


 我はアリシアの元に駆け寄る。彼女にも『星光のドレス』がある。そうそう酷い怪我は負うまいが、敵の攻撃がこの程度で終わるわけもない。

 彼女の身体を抱きかかえた途端、あたりに熱風が吹き荒れる。


「シャル! 空気の壁を!」


「やってます! でも範囲が広すぎて!」


 このままでは、まずい。こうして抱きかかえていれば彼女を守ることはできるが、我も動くことができなくなる。


「エイミアさん!」


「大丈夫だ! それより怪我人はいないか!?」


 エリオットとエイミアの声だ。あの二人はそれぞれ四属性耐性のある装備を持っていたはずだ。……だが、これはいったいなんなのだ? 足元からの炎は《塔の燈火レイズ・ファイア》、この熱風は《赤の吐息レッド・ブレス》に似ている。いずれも火属性の初級魔法だが……。


「うーん、なんか、つまんないなあ。ねえ、そっちの金髪の人?」


「……なんだ?」


 我はアリシアを抱きかかえながら、レイフィアをにらむ。


「その子、足手まといでしょ? 逃がしていいよ」


「なんだと?」


「いや、だからさ、そんなんじゃ、あんたが戦えないじゃん。だからほら、そっちに『道』をつくってあげるから、壁の外に出しちゃいなよ」


 この女、何を言っている? 意図がわからない。


「あ! でも、他の奴まで逃げようとしたら、途中でその子を焼いちゃうよ?」


「それを信じろと言うのか?」


「なら、そのままでいたら? 炎の中で抱き合ってお熱いことね、だなんて出来の悪い冗談みたいだけどね」


「く……」


 見ればアリシアは随分と苦しそうだ。我の『波紋の闘衣』でも完全に熱を遮断できるわけではない。このままでは彼女の体力にも限界が来る。


「……彼女に手を出したら、貴様を殺す。どんな手段を使ってもだ」


「はいはい、お熱いのはいいから、さっさとしてよね?」


 肩をすくめるレイフィアは、そう言いながらもルシアたちに向かって途切れることなく中級魔法を放ち続けている。我ら全員を相手取るというのも、口先だけではないようだ。


「……アリシア。あの『道』が見えるか? あそこを一気に駆け抜けろ」


「え? で、でもヴァリス……」


「心配するな。すぐに終わらせてやる」


 不安そうな彼女の頭を撫でながら、我は炎の中にできた一本の空白地帯を指差した。


「……わかった。待ってる。信じてるからね!」


 意を決したようにそう言うと、アリシアは立ち上がり、『道』を一気に駆け抜ける。炎の壁にも出口のようなものが開いており、彼女はそこから外に出た。


「……一応、礼を言っておこう」


「いいって、そんなの。それより、かかってきなよ。もっと遊ぼう!」


「後悔するなよ!」


 レイフィアへと、我は一気に肉薄する。時折吹きあがる炎や飛来する赤い光の玉をことごとくを回避し、打ち払いながら疾駆する。


「ええ! ちょ、まじで?」


 後悔しても遅い。我はレイフィアに拳を届かせんばかりの距離に迫る。


「なーんちゃって!」


 殴りつけた感触がおかしい。灼熱の業火に腕を包まれたかのような感覚に、我は思わず叫び声をあげた。


「ぐああああ!」


 反射的に大きく飛びさがった我は、己の腕を見て愕然とした。黒焦げだった。痛みの感覚すらないまでに焼き尽くされたその腕は、まるで自由が利かなくなっている。


「レディーに野蛮な手で触ろうとするから、そうなるのよ……って、え?」


 その時、楽しげに笑うレイフィアの声が止まる。突如として、これまでの熱気を圧倒するような冷気が、あたりを包み込んだからだ。


「シリル?」


 見れば、シリルの銀の髪が透き通るような輝きを帯びてはためいている。


「ありがとう、『ローラジルバ』。……エイミア、ヴァリスの腕を回復してあげて。シャルはルシアたちの回復を」


 吹き上げる炎も吹き荒れる熱風も、ほどなく冷やされていく。


「あ、あれ? うそ、まじ? あたしの“禍熱領域(バーニング)”の範囲内で冷気とか、非常識にも程があるでしょ?」


 言葉の内容とは裏腹に、レイフィアは酷く楽しげな顔をしている。


「さて、レイフィア。まだ、続ける? ここで引き下がるなら、アリシアを逃がしてくれたのに免じて、許してあげてもいいわよ?」


 その台詞は、文字どおり火に油を注ぐだけだろう。レイフィアは間違いなく、『そういう人種』の人間だ。


「ははっ! 上等じゃない。これでようやく楽しめるってものよ。少しは本気を出してあげる」


 叫ぶと同時に、レイフィアの周囲に人影がにじみ出る。全部で五人。いずれも彼女と全く同じ姿をしている。


「な、なんだ、あれ? 幻か?」


 ルシアが戸惑いの声をあげる中、シリルは首を振った。


「あれは、火属性禁術級魔法《偽り欺く劫火の魔人(フェイク・イフリート)》……超高熱の炎の分身体を生み出す【魔法】。そんなもの、一体いつの間に……まさか、最初から?」


「じゃあ、いくよ!」


 異口同音に、五人から全く同じ女性の声が発せられる。


 そこから先は、ほとんど乱戦状態に陥った。五人のレイフィアはそれぞれが炎の魔法を連続で叩き込んでくる。我らも負けじとそれを回避しながら相手に迫るが、分身自体に下手な攻撃は逆効果だ。我の焦げた腕の二の舞になるだろう。本体を見抜ければ一番だが、それが可能なアリシアは外に出ている。


 周囲に吹き荒れる無数の初級魔法は、シリルの冷気で抑えこんだ。シャルの『リュダイン』がレイフィアの姿へと広範囲の雷撃を放ってはいたものの、どうやら本体は見える場所にはいないらしい。代わりにルシアが分身体を斬り散らすことで、敵の数を減らしていく。


 ──流石に多勢に無勢、徐々にではあるが我らの方が優勢となってきたところで、ようやくレイフィアから焦りの声が聞こえ始めた。


「く! やるじゃん! これはちょっと厳しいかな?」


 だが……その時だった。


「きゃああ!」


 絹を裂くような鋭い叫び声。


「え? なに?」


 今の叫びは、アリシア? だが、彼女は炎の壁の外側にいるはず……。


「ちょっと、レイフィア! 約束が違うじゃない! 卑怯者!」


「え? 何言ってんの? あたしがそんな小狡い真似、するわけないでしょうが!」


 言いながらレイフィアは、それを証明するように炎の壁を解除した。燃え盛る火炎が消えたその向こう側。そこにあったのは、……アリシアの姿だ。ただし、一人ではない。


「な! フェイル!!」


 フェイル・ゲイルート。奴は黒い手甲に包まれたその腕をアリシアの首に回し、その動きを完全に拘束している。彼女はすでに、意識を手放しているようだった。無理もない。我でさえ、奴に触れられれば力を失う。“虚無の放浪者”──すべてを減衰する力。


「何の真似だ! アリシアを離せ!」


 我が叫ぶも、フェイルは微動だにしない。相変わらず、我になど興味はないと言うことか。


「久しぶりだな。ルシア」


「うるせえよ。俺はお前になんか会いたくないんだよ。さっさとアリシアを離せ。用があるのは俺だろう?」


 ルシアは低く、それでいて突き刺すような鋭い声を出す。だが、フェイルは軽く肩をすくめただけだ。


「残念ながら、今回の俺の目的は、この女だ」


「なんだと? どういう意味だ?」


「『ラディス』が御所望なのだそうだ。この女の“同調”能力をな」


 あっさりとルシアの問いに答えるフェイルは、愉快気に赤い瞳を揺らめかせた。ぐったりとしたままのアリシアが我の目に映る。奴の腕の中にあるかぎり、迂闊な手出しはできない。くそ、いったいどうすれば……。我の心に焦りが募る。


「なんだよ、お前。結局のところ、『パラダイム』の、『ラディス』の言いなりなんだな」


 ルシアが挑発の言葉を口にする。奴の気まぐれな性質につけ込んで、つけ入る隙を見いだそうとしているのだろう。だが、フェイルはその挑発には乗ってこなかった。


「今回の件は、俺にとっても有益、というか非常に面白い話でな」


「……世界を『引っ掻き回す』のに、ですか?」


 割り込んできた声は、シャルだった。そう言えば彼女は、この『ゼルグの地平』で奴と一度接触しているのだったか。


「言わずもがなだ。だが、これほど上手く行くとは思わなかった。何しろ、この女には厄介な【魔鍵】もあるうえ、ここに来てからというもの、単独行動もなかったからな」


「ちょっと待ちなよ」


 そこに、唸るような声。


「アンタが何者かは知らないけど……それじゃあ、なに? アンタはその子を捕まえるのに、あたしの『気遣い』を利用したっての?」


 怒りに震える声の主は、レイフィアだった。


「うん? そうだ……、いや」


 そこでフェイルは、何かを思いついたかのように笑う。


「……何を言うかと思えば。今回の件は、俺とお前の共同作戦のはずじゃあないか? だから、この女をわざわざ結界の外に出したのだろう? いやまったく、大した働きを見せてくれたよ」


「え?」


 皆の視線がレイフィアに集中する。だが、当のレイフィアはといえば、そんな視線などまるで眼中にないようだ。わなわなと身体を震わせ、猫のような瞳孔の目をかっと見開き、手にした竜杖を握りしめ、唇さえも噛み締めている。


「ムカついた……。ぶっ殺してやる!」


 フェイルの言葉は、彼女の逆鱗に触れたようだ。


【魔鍵】『燃え滾る煉獄の竜杖ゼスト・アヴリル・ウィオラ』を両手でつかみ、前方に突き出したレイフィアは、叫ぶように詠唱を開始する。


〈万象ことごとくを貫く炎蛇の牙よ、鋭く長く研ぎ澄ませ〉


貫き穿つ焦熱波(クリムゾン・バイト)》!


 赤く輝く【魔法陣】から生み出されたのは、赤熱する火炎の帯。それは渦を巻きながら、フェイルへと迫る。


「ばか! アリシアが巻き込まれる!」


「よ、よせ!」


 シリルと我の声が重なる。あんな熱量の炎に巻かれれば、【魔鍵】を持たないアリシアなどひとたまりもない。


「あたしがそんな、へまするかあ!」


 レイフィアの叫びと共に、炎の帯は弧を描くように大きく曲がり、細く鋭くフェイルのこめかみあたりへと突き進む。アレンジされた上級魔法だったようだ。


「脳まで焼け死ね!」


「やれやれ、うるさい女だ」


 フェイルは無感情に吐き捨てる。そしてまさに、フェイルのこめかみに炎が直撃する、その直前のことだった。


「あ! セフィリア!」


 シャルの声が響く。金と紅の髪を持つ少女の姿は、いつの間にかフェイルの隣にたたずんでいた。そして、その白い手のひらが伸ばされたかと思うと、掴まれた赤い蛇が萎れるように消滅していく


「なに?」


 さすがのレイフィアも驚いたようだ。呆気にとられて少女の姿を見つめている。


「セフィリア! どうして?」


「ごめんね、シャル。……セフィリアにも、シャルみたいに、たくさんの仲間がいてほしいの……。だから、今回はごめんね?」


 なぜか、酷く申し訳なさそうな顔をするセフィリア。


「さて、長居は無用だな。行くとしよう」


「フェイル! 待て!」


「ああ、ルシア。いいことを教えてやる。この女は【儀式】に使うそうだ。ジャシン復活の儀式にな。全世界に眠るソレらの意識に“同調”する【儀式】。──南部には確か、それに相応しい遺跡がある。いや、今も使われている以上は『施設』と呼ぶべきかな?……くくく、ヒントとしてはこんなものか」


 そう言い残し、空間の裂け目へと飲み込まれていくフェイルとアリシア。そして、シャルに手を振りながら、一瞬で姿を消すセフィリア。


「アリシア!」


 我の叫びも虚しく響くだけだ。


「セフィリア……どうして?」


「くそ! アリシアが!」


「どうして、こんなことに……」


 仲間たちの悔しげな声を耳にしながら、我はアリシアが立っていた足元に何かが落ちているのを見つけた。


 ──絡みつく銀と金の鎖。蒼く煌めく宝石のペンダント。


 我はそれを拾い上げ、自らの不甲斐なさに打ち震えながら咆哮をあげた。

 我は彼女を……守れなかったのだ。


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