第12話 闘う意志/支配者の命令
-闘う意志-
これまでに、『この世界の俺』のことで、わかったことがいくつか。
俺が“剣聖”の【エクストラスキル】持ちだというのは、間違いじゃないらしい。
だが、現実の俺は弱い。それはヴァリスと訓練してみて、よくわかった。
弱さの理由も、ヴァリスが教えてくれた。
どうやら俺には、戦う気力が致命的に足りないのだ。積極的に対象を攻撃する意思を持たない。いや、持てない。
自衛のための戦いといえば聞こえはいいが、結局のところ、防御よりも攻撃を主体とする『剣』という武器を持ちながら、攻撃に転じる気がないのなら、勝てるはずもない。
ヴァリスが慣れない人身でありながらも、俺を圧倒したのは、『竜族』の基本的な能力の高さが要因の1つにあるとはいえ、実際にはそれが大きな理由らしい。
驚いたことに、ヴァリスは半ば俺に気を遣うように、それらのことを話してくれたのだが、身も蓋もなかったのはシリルの方だった。
「つまり、戦うことに、まったく向いてないってことでしょう? まともに戦うこともできないんじゃ、やっぱり冒険者なんて無理じゃないかしら」
どうもシリルは、俺を冒険者にしたくないらしい。まあ、俺の身を案じてくれるのはわかるが、なんだか言い方がきつくなってきている気がするぞ。
まあ別に、俺もそんなに冒険者になりたいってわけじゃない。自立して生きていくにはそれが手っ取り早そうに思えるってだけの話だ。
「戦うことに向いていない」か……。他人にそんなことを言われる時が来るとは、前の世界にいた時は、思ってもみなかったな。
俺は「生まれ変わった」んだ。それでいいのかも知れない。
次の目的地は、『竜の谷』から歩いて三日ほどのところにある、比較的大きな町とのことだ。もともと冒険者ギルドに行くことが目的ではあったけれど、場合によっては働き口を見つけることだってできるかもしれないしな。
木々もまばらな草原地帯を進む俺たちの足元には、旅人たちが踏み固めただけの未舗装の道がある。まあ、この世界じゃ舗装されている道の方が珍しいのかもしれないが、なんだかすごく新鮮な感じがするな。
そんなことを考えていると、ヴァリスが不意に声を上げた。
「向こうからモンスターの群れが来る。進行方向を変えた方がいい」
「何も見えないけど、どういうこと?」
シリルと一緒にヴァリスの指さす方を見るが、何も見えない。
「我には見える。あの方向から、馬車が一台とその後ろに数十体の小鬼の群れが続いてきている」
いや、どういう目の良さだよ、それ。
「旅の馬車が、『ゴブリン』の群れに目を付けられたってわけね」
「巻き込まれないうちに、進路を変えるべきだ」
ヴァリスがそう主張したが、シリルは首を横に振った。
「馬車の人たちを見捨てるわけにはいかないでしょう? 『ゴブリン』程度ならわたしの魔法で一掃できるから大丈夫。討ち漏らしがあれば、ヴァリスにも戦ってもらうけど」
あれ? 俺は? とは言わなかった。まあ、今までの話の流れからすれば当然か。
一方のヴァリスは思ったより素直に頷いた。
「わかった。我とて、あの妖魔どもは虫が好かない。戦えというのなら戦おう」
妖魔か。なんでも『妖精族』のなれの果てだとかって話だが、どんな連中なんだろう?
「じゃあ。わたしは【魔法】の準備に入るから、よろしく」
シリルはそう言って、手を前方にかざし始めた。
そしてようやく、馬車とその後方の『ゴブリン』の群れが見えてくる。
て、おいおい! 想像してたのと全然違うぞ! 何が小鬼だ、何が妖精だよ!
土煙を上げながら疾駆するその集団は、巨大な棍棒を持った緑の肌の怪物たちだった。
足が二本に腕が二本。頭が一つで目が二つ、鼻が一つに口が一つ。基本的な造形は人間に近いが、筋骨隆々で背もかなり高い。あれが『ゴブリン』?
馬車は必死で逃げているが、逃げ切れそうもない。あの『ゴブリン』たちもどんな体力をしているのか知らないが、馬車をひく馬の方が先に限界を迎えそうだ。
そうこうしているうちに、シリルの【魔法】が完成する。
彼女の掌の先には、今までにない大きさの白く光る魔法陣とそれより小さめの黒い魔法陣が重なるように反対回りに回転しながら浮いている。
【魔導の杖】を使っていないのは、これが上級魔法だからか。確か、上級魔法では魔力変換と属性付加の二種類の魔法陣を構築するため、【魔導の杖】による簡易発動はできないんだってシリルが言っていたっけ。
〈束縛するは闇の鎖。喰らいつくすは染血の檻〉
《飢餓の縛鎖牢》!
瞬間、『ゴブリン』の群れの行く手を遮るように黒い球体が出現した。そして、その球体からは真っ黒な鎖のようなものが無数に伸び始め、脇を通り過ぎようとする『ゴブリン』たちを次々と絡め捕っていく。
次の光景は、できれば二度と思い出したくないものだった。
絡め捕られた『ゴブリン』たちが一気に黒い球体に引き寄せられると、ソレは大きな口を開ける。
そして、バキ!ゴリ!ゴキ!ボキ!グチャ! と身の毛もよだつ音を立て、文字通りソレは『ゴブリン』たちを『咀嚼』し始めたのだ。
「きゃあ!」
アリシアが悲鳴をあげるのも無理はない。宙に浮かぶ黒い球体からは真っ赤な鮮血がほとばしり続けている。俺も流石に文句を言いたくなった。
「おい、シリル。何もこんなスプラッタな魔法にしなくてもいいだろうが」
「スプラッタ? 仕方がないでしょ。下手に破壊力のある魔法じゃ馬車を巻き込みかねなかったし。あ! ヴァリス、後続の連中が馬車に向かっているわよ、仕留めて!」
「承知!」
シリルの言葉通り、ほとんどの『ゴブリン』は闇の鎖に捕らわれたものの、一部の連中がそれをかわして迂回しながら馬車に向かっていた。
ヴァリスはその連中にあっというまに肉薄すると、凄まじい勢いで駆逐し始めた。
振り下ろされる棍棒を素手で打ち砕き、続く回し蹴りで2体まとめて吹き飛ばす。ここまで骨の砕ける音が聞こえてくるような強烈な一撃だ。
一見して細身のヴァリスが巨体の怪物をああもこともなげに蹴散らしているのは、かなり違和感のある風景だったが、あれも気功による身体強化の賜物なのだろう。
俺と訓練している時は、相当手加減してたんだな……。
人間であれば、体術系【アドヴァンスドスキル】“気功闘士”以上のスキルがなければ使えないそれを、『竜族』特有の方法(“竜気功”というらしい)で使いこなす彼は、つい先日人間の身体になったばかりとは思えない戦いぶりを続けている。
「あ! やばい!」
5体ほどの『ゴブリン』が、ヴァリスの方を避けるように馬車へ接近していた。シリルの様子を見ても、今も上級魔法《飢餓の縛鎖牢》で次々と残りの『ゴブリン』を捕えているところで、こちらの方まで対応している余裕はなさそうだ。
俺は仕方なく、馬車へ向かって駆け寄っていく。
馬車はすでに横転し、5体の『ゴブリン』がその周りに群がっていた。馬車の中からは恐怖に満ちた悲鳴が聞こえ、『ゴブリン』たちは楽しそうに馬車を棍棒で叩いている。
恐らく旅の危険に備えるためだろう、それなりに頑丈な作りをした馬車ではあるが、『ゴブリン』の巨体から繰り出される棍棒の一撃を前にしては、破壊されるのも時間の問題だった。
視界の端には、逃げ惑う御者らしき男を今にも捕えようと追い回す『ゴブリン』の姿も映っている。
〈ぎゃぎゃぎゃぎゃ!〉
己の欲望の赴くままに、殺し、奪い、破壊する。それはあまりにも醜い化け物の姿だ。
生きとし生けるものの天敵……か。他の命を苦しめ傷つけ殺すことに、快楽すら感じているかのような『ゴブリン』たちの姿は、なるほど狂っているとしか言いようがない。
「……何が、何が楽しいんだよ、てめえらは!」
意識が灼熱し、思考がまとまらない。かつて俺が、何度となく見てきた光景。
ここにいるのは人間ではなく、モンスターだ。だが、人間に酷似したその姿は、俺に嫌でも思い出させるものがあった。
己が生きるために他者を殺す。そのはずなのに、いつしかそれは、殺すために生きているのではないかと思うほど、醜悪な争いへと発展する。
「ちくしょう、吐き気がする……」
『いつかの自分』を見ているかのようだ。
そして、目の前で馬車が破壊され、中から商人らしき人物が引き摺りだされ、視界の端では哀れな御者が捕まり、怪物の握る棍棒が振り下ろされる光景が繰り広げられるに至って、とうとう俺は、『戦わない』こと、『殺さない』ことを諦めたのだった。
目の前のコレを殺す。斬殺する。この『醜さ』を消去する!
-支配者の命令-
わたしは迂闊だった。思った以上に『ゴブリン』の数は多く、何故か異常に執念深い。確かに『ゴブリン』は一度目を付けた獲物を、その無尽蔵の体力でどこまでも追いかけまわし、その疲弊した様子を楽しむという悪趣味な性質のある妖魔だけれど、こんな大規模魔術を群れに受けながらも、なお、馬車を追うとは思いもしなかった。
通常の『ゴブリン』の集団とは、何か違うのかもしれない。
いずれにしても、馬車を助けるのは難しくなった。ヴァリスは確かに強いけれど、肉体のみで戦っていては、遠くを行く相手には対応できない。
気がつけば、ルシアが馬車に向かう5体の『ゴブリン』を追っていた。
でもきっと、間に合わない。
追いつけたとしても、最初の一匹を切れるかどうかのタイミングになってしまうはずだ。
現在発動している【魔法】による『ゴブリン』の掃討は完了しそうだけれど、あちらには距離がありすぎて援護魔法を放つ余裕はない。
馬車が壊され、中から人が引き摺りだされる。近くでは御者らしき人物に棍棒が振り下ろされている。避けようもない惨劇が始まる瞬間、ルシアが動いた。
〈ギャア!〉
「え? なに? 何が起こったの?」
わたしは、自分の見たものが信じられなかった。ルシアが実際に起こした行動はといえば、一番近くにいた『ゴブリン』に向かって斬りつけただけ。他の『ゴブリン』に何かをできる間合いでもなければ、そんな時間もなかったはずだった。
なのに、その結果としてわたしの目に映ったのは、馬車を襲撃していた『ゴブリン』5体すべてが、ほぼ同時にその身体を真っ二つに切断されるというものだったのだ。それはまるで、ルシアの一振りが5体をまとめて斬り裂いたかのような光景だった。
「あれが、『切り拓く絆の魔剣』の力なの?」
目の前で起きた現象を【魔鍵】に結び付けて考えれば、理屈は理解できるかもしれない。
【魔鍵】とは『神の欠片』である。つまり人は、これを用いて擬似的に神の力のごく一部を使うことが可能となる。
わたしが知る限り、あんなことができるのは【事象魔法】しかない。
世界の【マナ】に直接命令を与えて、望みの事象そのものを引き起こす、冗談みたいな魔法体系。『神』のみが使えたとされる【失われた魔法】
今の事象はすなわち、『ゴブリン』5体を個別に切り裂いたのではなく、『5体のゴブリンが馬車を襲撃している』という事象そのものに干渉した結果としか考えられない。
でも、そんなことありえない。【魔鍵】がいくら神の力を持っているとしても、使用者である人間には、目の前の事象そのものを『客体』としてまとめて捉えることなんて不可能なはず。
アリシアの『拒絶する渇望の霊楯』にしても、「加えられた敵意や害意を自動で防御する」事象を引き起こすだけであり、彼女が敵意や害意であると認識できないものまで防ぐことはできない。(もっとも彼女は、そうした察知能力に極めて優れてはいるけれど)
「ルシア! 大丈夫?」
わたしは胸中に生じた疑問をとりあえず脇に置いて、ルシアへと駆け寄った。
「あ、ああ。何が起こったんだ? いったい」
どうやら自分でもわかっていないらしい。しかし、現実に『ゴブリン』はすべて二つに切り裂かれて絶命している。5体をひとまとめの事象として考える。それは、理屈では分かったとしても、実際にできることではない。個別の存在が個別に動きまわっているのを見て、総体としてそれを捉えるなど、人間の精神レベルでできるはずがないのだから。
「ルシア。あなた、この『ゴブリン』たちを『事象』としてまとめて捉える事が出来たの?」
だからこそ余計に、理解されないだろうことはわかっていても、それでも聞かずにはいられなかった
「『事象』? いやよくわからないけどさ、ちょっと色々あって頭が真っ白になって、気がついたらこんな状態だったんだよ」
自分でも制御ができていない?
とすると、今回の件は偶然のなせる業といったところかしら?
それはむしろ、背筋が寒くなるような話じゃないだろうか。
今回はたまたまうまくいったけれど、『事象の認識』を誤れば、馬車の中の人ごと斬り殺すことになりかねなかったということになる。
「もし、もーし、大丈夫ですか?」
アリシアの声が聞こえてきた。そう言えばすっかり忘れていたけれど、馬車の人たちは無事だったのかしら。見てみると、どうやら馬車から引きずり出された商人も、棍棒で殴られそうだった御者も、間一髪で助かったらしい。
「いや、おかげさまで、本当に助かりました!わたしはこの先にあるツィーヴィフの町で商店を営んでおります、ボルゾフ・ゲインズと申します。このお礼は必ずさせていただきます! よろしければ、ぜひ、わが商店においでいただけますでしょうか?」
ボルゾフと名乗った身なりの良い商人は30代半ばといった容貌の男性で、茶色の髪の毛を綺麗に撫でつけた髪型をしている。
「あ、ど、どういたしまして……」
ほとんど一息でまくし立ててくるボルゾフさんに、たじたじな様子のアリシア。やっぱり彼女、他の人が相手だと人見知りをしてしまうみたいね。まあ、ここはわたしが話をしましょうか。気になることもあるわけだし。
「ボルゾフさん。その前に、なぜ、『ゴブリン』たちに追われていたのか、教えてくださいます?」
「あ、ああっとそれは、その……」
「『ゴブリン』たちが、あれだけ攻撃されても逃げ出さないなんて、何かあるはずです。理由を言っていただければ、内容次第で町までの護衛を引き受けてもよろしいのですが?」
「え? あ、うう、それは」
言い淀むボルゾフさん。先ほどの彼のセリフは、わたしたちに護衛を依頼したい気持ちからだったに違いないのに、理由を話すとなると、ためらう事情があるらしい。わたしには何となく推測がついていたけれど、駄目押しをすることにした。
「アリシア。悪いけど、この人が何を隠してるか、わかる?」
「え?だから、あたしは人の考えまで読めるわけじゃないんだけどなあ」
そう言いながらも、彼女はボルゾフさんを見つめ、やがて口を開いた。
「持物を守りたい?町まで持っていかないとならないものがあるの?怖いけど、大事なものだから手放せない、離したくない……?」
アリシアの言葉に、ボルゾフさんは顔を真っ青にして呻き始めた。
「『混沌の種子』を持っているわね?」
「あ、あ、どうして、それを……」
商人にとって大事なもので、モンスターを惹きつける要因といったら、そんなところでしょうね。それにしても、いまだにそんなものが出回っているだなんて……。
「なあ、シリル。『混沌の種子』ってなんだ?」
ルシアからの問いに、ボルゾフさんは驚いた顔をしている。この世界で『混沌の種子』を知らない人間なんてそうはいないから、無理もないか。
「【魔法薬】の一種よ。それを服用した人間に人ならざる力を与える悪魔の薬。うまくいけば、モンスターの能力の一部を自分のものにしたりできるけど、副作用として外見も人間ではなくなってしまうことが多いわね。そのことに耐えられなくなって、心まで魔物になる人間もいたと聞くわ」
「そんなとんでもないものがあるのか?」
「もちろん、禁止薬物よ。というか、製法自体、封印されていて今ではほとんど出回らない代物なんだけど、何より問題なのは、この薬が人間の中に『亜人種族』を生み出してしまったことね」
『亜人種族』。通常の人間にはあり得ない能力や肉体の器官を有する『人間』のこと。
『混沌の種子』によって人間に植えつけられた因子は、世代を超えて発現することがある。
そうして生まれた子供は、時代や地域によっては鬼子として忌まれ、殺されることすらあった。いまでこそ、この【魔法薬】のせいであることは理解され、人々に受け入れられてはいるけれど、陰惨な歴史上の事実が、この薬のせいで生まれたことに変わりはない。
「『混沌の種子』に惹かれて『ゴブリン』が集まったのなら、自業自得ね」
わたしは、冷たくそう言ってボルゾフを睨みつけた。
『混沌の種子』は、悪趣味な好事家の間では、十分に高値で取引される。けれど、そういう連中が実験台に使うのは、貧しくて身寄りのない人たちなのだ。そうとわかっていて、こんなもので商売しようなんて許せない。
よりにもよって、『混沌の種子』だなんて。
人を助けたことで、こんなに後悔したのは今回が初めてだった。