第111話 ベースキャンプ/プロミス
-ベースキャンプ-
ヴィングスさんとレイフィアさんの案内で、わたしたちは『1号ベースキャンプ』へとたどり着きました。歩いていく道すがら、ヴィングスさんから『ベースキャンプ』の仕組みや成り立ちを教えてもらったとはいえ、実際に目にするそれは、やはり驚きの光景でした。
なんと『1号ベースキャンプ』は、地下にあったのです。理由としてはさっきの『魔神ヴァンガリウス』に気付かれないようにするためとのことでしたが、言われなければ気付かず通り過ぎてしまいそうなくらい、何もない場所でした。
二つの岩が連なる場所は、『双子岩』と呼ばれる入口の目印なのだそうです。やはり、水先案内人のカールさんの話は最後まで聞いておくべきだったのでしょう。わたしたちだけなら、危うく通りすぎてしまったところです。
入口から階段を下り、辿り着いた先はまるで一つの町のように見えました。
ヴィングスさんの話によれば、現在このベースキャンプには全部で二百人近い人間がいるとのことです。ただ、その多くは後方支援員というギルド本部から交代で派遣されてくる人たちらしく、各種装備品・補給物資の提供を行う『店』や宿泊施設、飲食施設などを運営しているのだそうです。
「まったく、カールの奴も手抜きが過ぎるな。水先案内人を自称するなら、もう少しここのことを教えてやったっていいだろうに」
「それは仕方ないさ。僕らが大した説明も聞かずに出発したのが悪いんだ。彼はこっちまでついてこれなかったみたいだし、追いかけてきて教えてくれるって訳にもいかなかったんだろう」
エリオットさんの態度は実に堂々としています。これなら彼がこのパーティのリーダーだと言っても、誰も疑わないでしょう。
わたしたちが歩く道は、地下を掘り下げた後、特に舗装もしていないようで、岩が剥き出しのままですが、地均しはされているようです。地下ではありますが、照明はしっかりしています。灰色の世界から一転、色鮮やかなこの場所に立ち入った瞬間には、思わず目がくらんでしまったほどでした。
「……ま、彼は『洗礼』に耐えきれなかったくせに、あそこに残ってる変わりものだからな。──にしても『洗礼』もそこそこに、大して説明も聞かないままやってくるなんて、随分と大物なんだな?」
「うーん、どうかな? それなりに有名だとは思うけど……」
エリオットさんがそう言うと、ヴィングスさんは軽く首を傾げ、それから目を見開いて言いました。
「まさか……エリオットって、あのエリオットか! 最近南部から来た連中が、武芸大会三連覇中の化け物がいるって言っていたのを思い出したぜ」
「今は四連覇中だけどね。……もっとも最後のは、こっちの彼と同時優勝だったけど」
エリオットさんがヴァリスさんを指し示して言う言葉に、ヴィングスさんはようやく腑に落ちたといった顔をしました。
「……なるほどな。格が違うってわけだ。当然、そっちの嬢ちゃんもただ者じゃないんだろう? ギルド製じゃない隠蔽結界──それも広範囲に展開可能な【魔法具】なんて、そうそう簡単に手に入る物でもない」
ヴィングスさんは感心したように言いますが、当のわたしはそれどころではありませんでした。
「ねえねえ、いいじゃん。教えてよ。どうやったのさ?」
「いや、その、えっと……」
ついうっかり、あの囮地点での『焼却』をしたのが自分だと話してしまったばっかりに、質問攻めが続いています。
「もしかして、もったいぶってる? それともさっきのじゃ足りない? んじゃ、もいっかい見せてあげようか? あたしの能力」
今にも炎を吐き出しそうな竜の頭を象った杖をわたしの前で振りかざすのは、ヴィングスさんとパーティを組むレイフィアさんでした。いえ、火を噴き出すのは実際に外を歩いている間に見せられたので知っています。……というか、そんな危ないものを振り回すのはやめてもらえないでしょうか?
「いい加減にしてよね。シャルが困ってるでしょう?」
「ええー? いいじゃないケチ! さっきからアンタ、過保護も度が過ぎるんじゃないの?」
「な! そっちこそ、さっきから何なのよ! 初対面なんだから少しは礼儀ってものを知りなさいよ!」
「あーもう、キーキーうるさいなあ」
「なんですって!?」
シリルお姉ちゃんとレイフィアさん。どうやらこの二人は全く気が合わないみたいで、先ほどから何度も衝突を繰り返していました。
「……ついたぞ。いやはや、あの銀髪の子、すごいな。レイフィアが怖くないのか?」
ヴィングスさんがわたしたちを案内したのは、『キャンプ運営本部』という場所でした。このキャンプで宿泊場所を確保するにも、補給を得るにも、まずはこの運営本部に登録する必要があるそうです
「……シリル、大丈夫なのか? ギルドに俺たちのことが知られても」
「ええ、ここまで来たら仕方がないわ。ギルド本部にもすぐにはバレないでしょうし、ここに長居するつもりもないもの。なにより補給の方が大事よ」
「そうか。ならいいんだけど」
ルシアとシリルお姉ちゃんの声が、『絆の指輪』による中継機能によってわたしの耳にも聞こえてきました。
「さて、俺たちは別の窓口で仕事の完了を申請してくる。あんたたちはあっちの窓口でライセンス証でも見せれば、一から十まで説明してくれるはずだ」
「うん。ありがとう。ヴィングス」
「いいってことよ。ここは慢性的な人手不足だからな。戦力になるルーキーなら大歓迎だ」
「じゃ、あんたたち面白かったし、すぐに死んじゃったりしないでね。……ってか、シリルはうるさいから死んじゃってもいいかな?」
「な、何を縁起でもないこと言ってんのよ!」
「ほら、うるさい。ヒステリーな女は嫌われるよ?」
「く、くう~!」
シリルお姉ちゃんが悔しそうに肩を震わせて歯噛みしてます。一方で、けらけらと笑う赤毛の魔女──レイフィアさんこそ、いろんな意味で只者ではありませんね。
それからわたしたちは、運営本部の窓口でライセンス証の登録を済ませると、宿泊場所の手続きを取りました。ルーキーに関しては、最初の数日間はキャンプへの『貢献』がなくてもタダで泊めてくれるそうです。
「……それにしても、すごいメンバーだね。こりゃ、あの『天使ルシエラ』と『悪魔ヴァルナガン』以来の大物じゃないか?」
窓口のおじさんが、受付を終えた後のわたしたちにそんな声をかけてきました。
「なに? あの二人もここに来たのか?」
驚いたようにそう言ったのは、エイミア様でした。そういえばエイミア様とエリオットさんはマギスレギアであの二人と手合わせをしたという話でしたね。
「そりゃそうさ。この『ゼルグの地平』であの二人を知らない奴はもぐりだよ。エイミアさん──あんたも確か、『南部』じゃ『魔神殺しの聖女』なんて呼ばれているらしいけど、あの二人はそれでもやっぱり別格だよ」
「……参考までに聞かせてほしいんだが、あの二人はここでそんなに実績を挙げているのか?」
「まあね。聞いて驚くなよ? かつてここには十体の『魔神』がいたんだが、なんとそのうち三体をあの二人が倒しちまったんだ。彼らこそ『魔神殺し』の中の『魔神殺し』だよ。ギルドの特殊任務も多いらしくて、ここに潜ってばっかじゃいないけど、ここに来ればそれこそ英雄扱いだ」
「『魔神』を三体、か。それは驚きだな……」
人間業とは思えません。さすがのエイミア様も驚いた顔をしています。
「ここじゃ、南部と違って単にモンスターを倒したり、【歪夢】を処理したりしただけじゃ報奨はない。そんなもん腐るほどあるからな。だが、『魔神』となれば話が違う。あれこそ、探索の最大の障害だからな。発掘品そのものの確保より莫大な報奨がもらえるぞ」
もっとも、命と金とどっちが大事か考えてからの方がいいけどな。と、別れ際に笑った受付のおじさんは、やっぱり『元』冒険者なのだそうです。
それからわたしたちは、宿泊施設を確認しに向かいました。
「なかなか立派な建物だな。もっと簡易式のものだと思ったけど」
ルシアが石造りの建物を見上げながら、感心したように言っています。
「ええ、そうね。……ノエルによればこの【真のフロンティア】の開拓自体、二百年以上前から行われているらしいわ」
この地獄ともいうべき世界で、地下を掘り下げ資材を持ち込み、建物を建てるというのはかなりの苦労と犠牲があったに違いありません。それだけの犠牲を払ってなお、『魔族』が追い求める『クロイアの楔』とは、いったい何なのでしょうか?
「じゃあ、どうする? とりあえず部屋で休むか?」
「そうね。そうしましょう」
じゃあ、わたしも……と言いかけて、わたしは大事なことを思い出しました。
「あ、あの、わたし、ちょっとキャンプの中を見てくる!」
「え? シャル? 一人で行く気? 危ないわよ」
シリルお姉ちゃんが心配そうな声を出しましたが、アリシアお姉ちゃんがその肩を軽く押さえました。
「シリルちゃん。シャルちゃんなら大丈夫だよ。さっきもレイフィアさんに過保護すぎるって言われたばっかりでしょ?」
言いながら、アリシアお姉ちゃんはわたしに向かってウインクをしてくれました。
「で、でもこんなところで……」
「大丈夫だよ。わ、わたしもキャンプの情報を仕入れるとか、そういうことでも皆の役に立ちたいの……」
わたしは精一杯のお願いの気持ちを込めて、シリルお姉ちゃんを見上げました。
「う、うう……。その目は反則よ、シャル……」
……反則? 前にルシアにも言われたことがありましたが、どういう意味でしょう?
「あ、ありがとう、シリルお姉ちゃん!」
シリルお姉ちゃんの気が変わらないうちに、わたしは急いでその場を後にしました。
──さすがのアリシアお姉ちゃんも、わたしが連絡しようとしている相手が『あの子』だということまではわからないでしょう。けど、隠し事をしていることくらいは見抜かれているかもしれません。
わたしは人の少ない裏路地に入ると、『風糸の指輪』を口元に当てました。やっぱり、あの子に予備の『指輪』を渡したのは失敗だったかな? まさか、こんなところで連絡をくれるなんて思わなかった。
「えっと、聞こえる? ……セフィリア」
わたしはそっと、呼びかける。……すると
「うん。聞こえるよ。こんにちは、シャル!」
「きゃあ!」
突然後ろから聞こえた『声』に、わたしは思わず驚いて飛び上がってしまいました。
-プロミス-
シャルの後ろから聞こえた声。それはもちろん、彼女、セフィリアのものだった。
どうにか気を落ち着けたシャルが振り返った視界の中に、金と紅の髪をなびかせ、白と赤の服を着た少女の姿が映り込む。
「来ちゃった!」
「き、来ちゃったって……どうやってこんなところまで?」
「ん? 歩いて?」
不思議そうに首を傾け、無邪気な笑顔を浮かべるセフィリアに、シャルは呆れたような溜め息をついた。
「そんなわけないでしょう? だってさっきまでそこにいなかったし……だいたい、ここ、何処だと思ってるの? 外はモンスターがいっぱいだし、すごく危ないところなのよ?」
どう見ても年上の少女相手に、シャルは説教でもするかのように語りかけている。けれど、シャルの中からその様子を見ているワタシには、セフィリアがその説教を半分も聞いていないことがわかった。ただ、『お話しできることが楽しくて仕方がない』──そんな雰囲気だけはあるけれど。
「さっきはちょっとズルしちゃった。でも、歩いて来たのはホントだよ?」
「わたしたちみたいに隠蔽結界か何かで隠れてきたの?」
「隠れるってどうして?」
「モンスターがいるでしょ?」
「え? なんで? あの子たち、可愛いじゃない」
「か、かわいい? うーん、まあ、いいけど……」
モンスターを可愛いと言う彼女のことを『まあいい』で済ますなんて、シャルもだんだんとルシアに似てきているんじゃないだろうか? そんなことを指摘したら、きっと彼女はむきになって否定するに決まっているけれど。
「それより、わたしとお話ししよ?」
「わ、わかったけど、ちょっと待って」
シャルは額に乗せた『聖天光鎖の額冠』に意識を集中し、光の鎖で囲まれた隠蔽結界を発動させる。
「わあ、きれい。なにこれ?」
「えーと、かくれんぼみたいなものかな? 一応、念のためね」
「ふーん。『まあ、いいけど……』。あははは!」
先ほどのシャルの声真似をするセフィリアは、見た目よりもずっと幼い印象だった。
……実際に、彼女はきっと子供なんだろう。本来であれば子供というものは、親や友達といった周囲の人間関係の中で、人としての情緒を育てていく。けれど、彼女は誰とも何とも関係せず、誰にも育てられず、ゆえに育つことを知らずに育ってしまったのだ。
絆を知らない少女。だからこその幼さ。
この時のワタシは、なぜかそんな風に思った。
「あ! そうそう、ご挨拶しなきゃ! こんにちは『リュダイン』」
〈グルル〉
シャルの胸に抱かれた金色の子猫は、セフィリアに撫でられて嬉しそうな声を出す。
そして……
「こんにちは、『フィリス』」
彼女は『ワタシを見て』そう言った。
〈こんにちは、セフィリア……〉
「ふふ! フィリスもセフィリアに『こんにちは』って言ってるよ」
「うん。ありがとう!」
それから二人は、そのまま雑談にも近い会話を続けていく。とはいえ、共通の話題なんてあまりない二人のこと、話は自然とここに来るまでの間の出来事が中心だった。
「胞子体っていうんだけど、あれが出てきた時が一番大変だったの。わたしも防御で手一杯で……シリルお姉ちゃんの『ファルーク』みたいに『リュダイン』も変身させられれば良かったんだけどね」
「変身? 『リュダイン』変身するの? 見たい! すごく見たい!」
セフィリアは目を輝かせてシャルに食いついてくる。シャルは若干引き気味に苦笑しながら言葉を続けた。
「うん。それができないの。シリルお姉ちゃんが言うには、元の姿とあまりにかけ離れたイメージで召喚したまま十年もたっちゃったから、癖が残ってるんじゃないかって言うんだけど……」
「くせ?」
「うん。『リュダイン』って前は馬の姿だったの。でも今は子猫でしょう? こっちがホントの姿に近いんだけど、前の癖が残っててそれが上手く行かない原因じゃないかって。でも簡単に癖なんてなくならないし……」
すると、セフィリアの顔にそれまでと少しだけ違う笑みが浮かんだ。嬉しそうな、そんな笑みだ。
「喪失せばいいの?」
「え?」
「じゃあ、わたしに任せて?」
「な、なに?」
しゅるりと音が鳴る。紅い髪がいつの間にかシャルの胸元に迫っていた。ワタシはぞっとするような思いとともに、それを見つめる。彼女に害意がないことはわかるけれど、彼女そのものに害がないわけではないのだ。
存在するだけで害悪。
存在そのものが邪悪。
それはまるで……
〈グル?〉
紅い髪は『リュダイン』を軽く一撫ですると、再びたらりと垂れ下がる。
「はい。喪失したよ?」
「え? あ、この感覚、まさか……」
シャルと『リュダイン』とのリンク。そこに何かを感じたらしいシャルは、『リュダイン』を地に降ろし、その身体に掌を当てて意識を集中し始める。
するとほどなくして、『リュダイン』の身体が光に包まれ、見る間にその大きさを変えていく。光が収まったあと、……気づけばそこには、巨大な金色の獣がいた。小さくて可愛らしかった角も大きく鋭いものに変化していて、首回りを飾る鬣もふさふさと立派なものだ。
「……金の獅子?」
「わあ! すごいすごい! 『リュダイン』かっこいい!」
セフィリアが無邪気にはしゃぎ、『リュダイン』に抱きついている。
「セ、セフィリア。あなた、何したの?」
「きゃはははは! くすぐったい! ……え? ああ、うん。シャルの言ってた『くせ』を喪失したの」
「なくすって、そんなことできるの?」
「うん! 他にも喪失したいものがあったら言ってね」
「……」
さすがにシャルも、彼女の不思議な力に圧倒されてしまったらしい。
「あ、でも、あんまり『大きなもの』は反動が大きいからやめておけって、フェイルには言われてるんだ」
その言葉を聞いて、シャルの身体に緊張が走る。
「ねえ、セフィリア。あなた、ここには一人で来たの?」
「ううん? フェイルも一緒だよ?」
「……やっぱり。そ、そうだ! フェイルと一緒に何しに来たのか教えてよ」
フェイルは警戒するべき相手だから、シャルとしては少しでも情報を得ようとしての質問だったのだろう。……けれど
「──そこまでにしておけ」
低く、呟くような声が響く。シャルがびしりとその身を硬直させる。
「……え? い、いつから?」
「忘れたか? 俺は気配を“減衰”できる。最初からに、決まっている」
シャルの背後に現れたのは、全身を漆黒の鎧で固めた長身痩躯の男だった。
「な、ならどうして?」
「なにがだ?」
「どうして今まで出てこなかったんですか?」
「……俺はお前には興味がない。お前とお前が身に宿す『完全なる精霊』──いや、ここは『世界精霊』とでも呼ぼうか。それこそ、この俺には最も縁遠い存在だろうからな。──まあ案外、そんなお前がよりにもよって『セフィリア』と友達面しているのが滑稽で面白かった、というのが理由かもしれんがな」
──世界精霊。
おかしな呼び方だけれど、聞きなれないはずのその言葉は、ワタシの中にすんなりと入りこんできた。
「友達で悪いんですか?」
フェイルに向かって、シャルは気丈にも胸を張って睨みつけるように話し続けている。
「いや? いつまで続けていられるか、楽しみだという意味だ。……まあいい。とにかく、セフィリア。今回の俺の目的は秘密にしておけ。いいな?」
「えー? 『セフィリア』のお友達にも?」
不満顔のセフィリア。
「そうだ」
何の感情も込めない視線でセフィリアを見つめるフェイル。
「……うん。わかった」
数秒後。しぶしぶとセフィリアが頷いた。
この二人の関係も謎だった。そもそも正体自体が不明なのだから、関係性が不明なのは当然のことかもしれないけれど。
「……あなたの目的なんて、わかってます」
「なに?」
フェイルは、赤い瞳に面白そうな光をたたえてシャルを見た。
「あなたは世界を滅ぼしたいんでしょう?」
「……なぜ、そう思う?」
「決まってます。『創世霊樹』にあんな酷いことをして、アルマグリッドでも【人造魔神】を使ってモンスターを呼び寄せるのに加担して……どれもこれも破滅的なことばかりです」
シャルが決めつけるように言った言葉に、フェイルは微かに身を震わせた。……笑っている?
「くくく。まあ、そうだな。俺もつい最近まで、俺には破滅願望があるのだと思っていたよ。世界を滅ぼそうと思っていたわけではないが、滅びてしまえとは思っていた。……否、思っていたつもりだった」
「今は違うって言うんですか?」
「最初から違ったのさ。俺はそれを奴に──ルシアに気付かされた」
「ルシアに?」
どういうことだろう? 彼とルシアが二人きりで戦った時に、何かあったのだろうか? まさか、その結果、彼が改心したとか? ……それこそ、まさかだ。
「俺には破滅願望などない。世界が滅びれば俺も死ぬだろう。だが、俺は死にたくなどない。俺は生きていたい──俺自身を衝き動かす、このわけのわからない衝動のために。……強いて言えば、俺はこの世界を『引っ掻きまわしたい』んだよ。……己の爪でな」
「……」
ある種の気迫すらこめられた身勝手な宣言に、シャルは圧倒されて黙り込む。
「うふふ! セフィリアはフェイルと一緒に遊ぶんだ! シャルも混ざる?」
「セ、セフィリア……」
無邪気に笑うセフィリアには、何がどこまでわかっているのだろうか?
「セフィリアはねえ、時々すっごく寂しくなるの。でもそんなとき、何かを喪失すと、胸の奥がすっとするの。楽しいのよ? フェイルはセフィリアのために、喪失すものをいっぱいくれるの。だから……フェイルのことが好きなんだ!」
セフィリアは、『好きな人を告白して恥ずかしい』とばかりに、年頃の少女のように頬を赤らめる。
「どうだ? これが『セフィリア』だ。お前が思うような生易しい存在ではない。それでもお前は、コレと友達でいられるというのか?」
「そ、それは……」
「ん? どうしたの、二人とも?」
セフィリアは『可愛らしく』小首をかしげている。……シャルはどうするんだろう?
「……わたしはセフィリアの友達だよ」
「ほう?」
「だってセフィリアは、わたしと『同じ』だもの。この世界が大好きだって……自分の生まれたこの世界が大好きだって……言ったもの!」
世界を愛する少女。
孤独でありながら、愛に囲まれて生きてきた少女。
自分が手に入れられないものを、物欲しそうに見つめる少女。
「…………」
シャルの叫びに、フェイルはつまらなそうに目を伏せる。興が冷めたとでも言いたげに、軽く肩をすくめると、腰から真っ赤な刀身をした剣を抜き放つ。
「な……!」
シャルが驚いて身構えるのをことさらに無視し、近くの空間に向けてそれを振り下ろすフェイル。
「まあ、いい。気の済むまで友達ごっこを続けていろ。俺には興味のない話だ」
フェイルはそう言って、赤く輝く『世界の傷』に手をかける。
「せいぜい見ておけ。俺がこの世界を引っ掻きまわす、その様をな」
彼の最後の言葉は、ワタシに向けられたような気がした。
残ったのは、『喪失』の少女と『精霊』の少女。二人だけ。
「嬉しいな」
「え?」
「シャル、わたしと友達だって……ううん、わたしと『同じ』だって言ってくれた。……それが、すごく嬉しいの」
セフィリアの顔には、はにかんだような笑み。先ほどまでの無邪気な少女とはまた別の、彼女の素顔。そんな彼女を見て、シャルは自分の胸元をぎゅっと握る。
「……ねえ、セフィリア」
「なあに、シャル?」
「約束してほしいの」
「約束?」
「寂しくなったら、いつでもいい──何かを喪失すんじゃなくて、わたしのところに来て。一緒にお話ししよう? そうすれば、きっと寂しくなんてなくなるから……」
「……うん!」
金と紅の髪の彼女は、嬉しそうに頷いた。
ワタシは、この子を救ってあげることができるだろうか?
……ううん、『わたしたち』ならきっとできる。
あの日のように見ているだけだなんて、もう嫌だから。
ワタシは彼女の笑顔を見ながら、心に固く誓いを立てた。