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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第11章 希望の道と神の絶望
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幕 間 その19 とある女将の意地悪

     -とある女将の意地悪-


 マギスレギアの城下町に夫婦二人で宿を始めてから、もう四十年以上になる。七年前に旦那を亡くしてからは、自分一人でこの宿を切り盛りしてきた。息子夫婦も同じ町に暮らしてはいるが、今はまだ世話になるつもりはない。あの人と二人で始めたこの宿を、できるところまで続けてやろうと思っている。


 それが誰よりもこの街を愛し、この街を訪れる旅人たちを得意の料理でもてなすことに何よりの喜びを感じていた、あの人の供養になると思ったからだ。

 ──いや、嘘だ。ただ単にあたしは、旦那と同じことをすれば、その分旦那の近くにいられるような気がしていただけだ。……ふん、どこまで未練がましいんだろうねえ、あたしは。


 ──だから、あの日、街を行くあてもなくウロウロしていたガキんちょに声をかけてやったことだって、そんなつまらない感傷のせいでしかない。


「あんた、何やってんだい?」


「え?」


 長細い包みを抱えた少年が、市場をうろちょろとしていた。この日、料理の材料を仕入れるために市場に来ていたあたしは、それを見て軽くため息をついた。どう見ても、こいつは迷子だ。この市場は、旅人風の、しかもこんな子供がやってくるような場所じゃない。


「道にでも迷ったか? ったく、仕方ないねえ。親はどこだ。送ってやるよ」


 仕方がない。食材探しは後回しにしよう。だが、あたしが親切心でかけてやったその言葉に、そのガキは激しく反発してきた。


「うるさいな。道に迷ったなんて言ってないだろ? なんなんだよ、ばあさん?」


 カチンときた。……このガキは顔の見てくれだけはまともだが、薄汚れた旅装からして、あまり裕福な家の人間じゃないだろう。だから、まともな教育も受けていないのだろうし、態度の悪さも大目に見てやるべきかもしれない。でも、年長者に対する礼儀なんて、それこそ必要最低限持つべきもののはずじゃないかえ?


「が! いってええ! 何すんだよ、ババア!」


 無言で叩き込んだ拳骨に、抗議の罵声を上げるガキ。ギロリとこちらをにらみあげてくる目は、一瞬だがぞっとするほどの迫力を感じさせた。ただの子供のように見えて、灰色の瞳には、暗い炎のようなものが見え隠れしている。……つい、頭に血が上ってやってしまったが、まずかっただろうか?


「な、なんだい、その言葉は! 年長者に向かっての口の利き方ぐらい、教わってこなかったのかい?」


 なのに、あたしは内心の恐怖をひた隠しにしたまま、虚勢を張った。……相変わらず、損な性格だねえ、あたしゃ……。だが、そのガキは何かに気付いたかのように目を見開き、殴られた頭をさすりながら黙り込む。なんだか様子がおかしい。


「わ、悪かったよ……。あ、い、いや、悪かったです。ごめんなさい」


 こちらに向かって、しぶしぶと、でもしっかりと灰色の頭を下げてくるガキ。あたしは軽く息をついた。なんだ、意外と素直なところもあるじゃないか。さっきのはこの少年なりの『虚勢』だったのかね。そう思うと可愛いもんだ。


 その後、あたしはその少年からいろいろと話を聞いた。生まれた村が悪漢どもに襲撃されたとか、途中で親切な女性騎士に助けられたとか、この歳で自立して生きるために冒険者になりたいんだとか、そんな話をだ。……何かを隠しているような素振りもあったけれど、本人が言いたくないことまで聞く必要はなかった。


 あたしとしても、そんな子供の不幸な身の上話を聞かされて、同情しなかったわけじゃない。ただ、この後、あたしがこいつを宿の下働きとして住まわせてやったり、ギルドに正規登録するための後見人になってやったりしたのは、同情と言うよりも単に、ひねくれ者のこの少年が気に入ったからだった……。


「──『自分は他人より不幸だから、自分は他人に助けられて当然なんだ』って考えを、あの子はまったく持っていなかった。あたしは何よりそれに驚かされた。……そりゃ、一年で思った以上に図体だけはでかくなったけど、でも、所詮は十二か十三のガキだ。もっと周りに甘えたっていい歳だったのにね」


 あたしはお茶をすすりながら、目の前の蒼髪の美女に目を向ける。テーブルを挟んで反対側の椅子に腰かける彼女は、上下統一された意匠の騎士服に身を包み、ビシっと背筋を伸ばしていて、誰が見ても惚れ惚れするぐらい凛々しい女性だった。


「……そうでしたか。あの子も無理をしていたのでしょうが、この街で最初に貴女のような方に出会えたのは本当に幸運でした。改めてお礼を言わせてください。あの子の力になっていただいて、本当にありがとうございます」


 そう言って彼女──『魔神殺しの聖女』エイミア・レイシャルは、あたしに向かって深々と頭を下げる。なんと恐れ多いことだろう……なんて考えるほどあたしゃ、殊勝じゃない。でも、彼女の清々しい態度に好感を抱いたことは間違いなかった。


「礼はいらないよ。さっきも言ったが、あたしがやりたくてやったことだ。……まったく、後であのガキに言っておくれよ。余計な仕送りなんかしてくれなくていいってね」


「ははは。それだけあの子が貴女に恩義を感じているということです。できれば受け取ってあげてください」


 非の打ち所のない人格者。彼女と話しているとそんな言葉が脳裏に浮かぶ。……けれど。


「ここで過ごした一年の間に、それはもう耳にタコができるくらい、アンタの話を聞かされたよ」


「あの子はなんと?」


 彼女は青い目を輝かせて、身を乗り出してくる。


「なんて言っていたと思う?」


「え? ああ、まあ、一応はあの子もわたしを姉のように慕っていてくれましたからね。悪口は言われていないと思いますが……まさか、違うのですか?」


 やっぱりそうだ。彼女はまったく『わかっていない』。


「悪口なんて、とんでもない」


「そうですか。少し、ほっとしました。あんないなくなり方をされたもので、少し心配していたんです。最後にあの子の気に障るようなことをしてしまったんじゃないかって」


「悪口よりも、もっと酷いよ」


「え? それはどういう……」


 きょとんと不思議そうに眼を瞬かせる彼女に、あたしは思わず手にしたお茶をぶっかけてやりたくなった。いや、彼女が悪いというわけでもないのだけれど……。


「あの子にはね、『アンタしかない』よ。あの子にとっては、アンタがすべてだ。アンタ以外のことはどうだっていいってぐらいに、あの子はアンタに依存している」


「……え? どういう意味でしょうか? わたしに依存している? で、でもあの子は、自分からわたしの元を去って行ったのですよ?」


「そんなことは知らないよ。……ただ、アンタのことを話すときのあの子は、優しい母親のことを話すかのようだったし、頼もしい父親のことを話すかのようだった。自慢の姉のことを話すかのようだったし、憧れの先輩のことを話すかのようだった。唯一の親友のことを話すかのようだったし、最愛の恋人のことを話すかのようだった」


 彼女は圧倒されたかのように押し黙る。


「わかるかい? あの子はアンタの中に、それだけのものを全部見ているんだ。それがどれだけ異常で、どれだけ危険なことか、アンタはもっと認識すべきだ。……あの子はきっと、アンタが死ねば死ぬだろう。いや、アンタに死ねと言われたら、喜んで死ぬかもしれない」


「…………」


「もちろん、それがアンタの責任だってわけじゃないだろうさ。不幸な生い立ちを持って、たまたま誰かに優しくされたくらいで、あんなにも依存しちまうのはあの子の弱さってものだからね。でも、アンタがあの子を少しでも大切に思うなら……」


 そこまで言いかけて、あたしは口をつぐむ。彼女が顔を蒼白にして、身体を震わせているのがわかったからだ。


「いえ、わたしの責任です。──あの時のわたしは……あの子のことを見ているようで、その実、見ていたのは『あの子』じゃなかった。わたしは、あの子に頼ってほしかった。あの子に……依存してほしかったんです。わたしがあの子を、わたしに依存するように仕向けていた。あの子を使って、わたしは自分の心の穴を埋めてしまっていた……」


 聞いていて気の毒なくらい、彼女の声は震えている。


「何があったか知らないけどさ、あまり思いつめるものじゃないよ。だいたい、あたしが言ったのは、数年前の話だ。久しぶりに見て話したあの子の様子は、あの頃とはちょっとだけ、違っていたね」


「違っていた、ですか?」


「ああ、ほんの少しだけどね。……ただ、そのほんの少しは、あの子が男として成長したから生まれたものなんだろうし、だからこそ、ものすごく大事なことなんじゃないかとあたしは思うんだよ」


 あたしの言葉に彼女は真剣に耳を傾けている。あの子のためになることを、一言でも聞き漏らすまいとするかのように。あたしは、そんな彼女に改めて好意的な感情を抱く。けれど、あたしゃ、旦那からも『お前はいつだって素直じゃないな』と言われてきた女だ。


 だから精いっぱいの意地悪を込めて、彼女に最後の忠告をしてやろう。


「アンタもたいがい、鈍いんだねえ。ここまで言って、まだわからないかい?」


「え?」


「あの子はね、アンタに恋をしているのさ」


「な! 何を馬鹿なことを……」


 おや? 少しは動揺してくれたようだ。礼儀正しい口調が若干乱れているじゃないか。


「親愛でも友愛でも敬愛でもない。紛れもない恋愛って奴が、今のあの子の中では、一番の上位を占めている感情だよ。アンタの仲間内では誰もが知っているんじゃないかい? あたしが信じられないなら、そのうちの誰かに聞いてごらんよ」


「あ、あの子が、エリオットが……わたしに?」


 あたしの希望的観測かもしれないが、彼女の白い頬に、わずかに赤みがさしてきているように見えた。


「あの子の気持ちに応えるにせよ、応えないにせよ、さっき言ったあの子の『危うさ』にだけは、十分注意することだね」


 あたしはそんな言葉で、最後の忠告を締めくくった。


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