第110話 わたしじゃない/烈火繚乱
-わたしじゃない-
倒れた時、あたしは夢の中で泣き叫ぶ女の子に会った。
何もかもが怖くて、自分自身すら信じられなくて、かといって過ちを認めるだけの強さもなくて……。そんな彼女は、まるで小さい頃のあたしみたいで。
「レミル?」
〈もう、いや! なんでこんなことになるの? どうして?〉
十歳くらいの小さな少女。これが神様? 普通なら信じられないけれど、あたしにはなぜか、彼女がそうなのだと理解できた。何もない空間で、地に足だけはつけたまま、彼女の元へと近づいていく。
〈こないで! こないでよ! 違うんだから! わたしは、こんなモノ知らない!〉
あたしは思わず足を止める。けれど、その声はあたしに向けられたものではなかった。
〈違うもの……。こんなはずじゃなかった、こんなつもりじゃなかった……。わたしは悪くない。わたしのせいじゃない……〉
彼女は悲痛な声をあげ、何かを必死に否定する。
それは、否定の言葉のようでいて、悔恨の言葉だった。
それは、拒絶の言葉のようでいて、謝罪の言葉だった。
あたしには、彼女が何を悔やんで何に謝っているのかは、まるで見えない。けれど、彼女がその対象を認めることすら、恐れているのだということだけはわかった。
あたしは彼女にさらに近づく。なんとか彼女を慰めてあげたい。そう思ったけれど、彼女にはあたしの姿が見えていない。彼女の肩に手を触れようとしたけれど、するりと素通りしてしまう。
それでもあたしはどうしても見ていられなくて、彼女に必死に呼びかける。
「レミル! しっかりして! どうしたの? 何があったの!」
白いワンピース。足首まではあろうかという長い長い黒髪。黒い瞳からはぽろぽろと涙を流し、目の前の何かから必死になって遠ざかろうと、一歩、また一歩と後退していく。
「いったい、何が起こっているの?」
多分これは、彼女の記憶。彼女の意識が見せる夢。
〈わたしは認めない! わたしは『脅威への抵抗』! だから、わたしを脅かすものの存在を認めない! それがわたしの、存在だから!〉
拒絶する渇望の霊楯──サージェス・レミル・アイギス。
そんな激しい拒絶の果てに、彼女を待っていたものは……。
〈お願い……お願いだから、もうやめて。わたしにその手を……差し伸べないで……。わたしに助けを……求めないで……。違う! わたしは、こんなひどいこと……違うの……わたしじゃない。……わたしじゃない!!〉
叫んだ瞬間、彼女の姿は光に包まれ、そのまま小さくなっていく。
そして、後に残されたのは小さな楯。手首に着けるようなバックラー。
「これが、神様に起きたことなの? わけがわからない。いったい、何に怯えていたの?」
何もない空間に落ちた【魔鍵】を、あたしは拾い上げた……。
夢から覚めた時には、あたしの手首から【魔鍵】が外されていた。それは、この【フロンティア】に足を踏み入れてすぐ、倒れてしまったあたしを救うための処置だった。
それからの道中、あたしは一度も【魔鍵】に触れていない。シリルちゃんが預かってくれているけれど、手元にアレがない状態で過ごすのはこれで二度目だ。もちろん、一度目の時と違って、みんながいてくれるから不安なんてない。でもなぜか、寂しいような、物足りないような、そんな感覚がしてしまう。
「あ、あのシリルちゃん」
「なに?」
「あ、ううん。なんでもない……」
「そ、そう?」
シリルちゃんに怪訝な顔をされてしまった。あたしのためを思って預かってくれているのだし、もしまたあの時のような状態になったら、またみんなに迷惑をかけてしまう。そう思うと、返してほしいだなんて言えなかった。
うん。少なくともこの『ゼルグの地平』を出るまでは我慢しよう。かわりにあたしは、気になっていることを訊いてみることにした。
「ねえ、ファラちゃん。小さい子供の姿をした神様っているの?」
〈ん? どうしたのだ? 藪から棒に〉
「えっと、その……レミルって、小さい女の子みたいなの。あ、その……倒れている時に夢で見たんだけど……」
〈……なるほどな。それはレミルという『神』の本質とかかわりがあるのだろう〉
「本質?」
〈うむ。たとえば、わらわの姿はわらわの本質である『理想』に深い関わりがある。つまり、見る者の理想そのものだ。今はルシアの理想に固定化しているがな〉
あれ? なんか今、すごいこと聞いちゃったような?
「ちょ、ちょっとファラ! それは言わない約束でしょう?」
シリルちゃんが慌てたように割って入る。
「ルシアくんの理想がシリルちゃん?」
「へ? いや、だからその、印象に残ったって意味でだな……」
前を歩くルシアくんが、こちらを振り返りながらしどろもどろに弁解する。
「──なあんだ、そんなのいまさらじゃない。ルシアくんの理想なんて決まってるでしょ?」
あたしがあっさりそう言うと、何かを言いかけていたシリルちゃんは言葉を失い、顔を赤くしたまま口をパクパクと開閉させはじめた。あ、なんか可愛い。
「あ、ごめんなさい。話が脱線しちゃったね」
〈いや、面白いものが見られたから構わん。くくく。で、レミルだったな?〉
「うん」
〈【魔鍵】の“神性”からすれば、その本質は他者の拒絶だか、脅威の排除だか言ったところかな? ならば、こういうことだろう。──そのくらいの年ごろの多感な少女というものは、得てして人見知りで臆病で、自分に近づく者を拒絶する傾向にある……〉
「え? そうなの?」
〈と、お主が思っているのだろう? その結果だ〉
言われてあたしは納得する。だからあたしは、彼女と小さい頃の自分が似ていると思ったんだ。他でもない、あたし自身がそうだったから……。
「なるほど、そっか。ありがとね、ファラちゃん」
〈なに、大したことじゃない。礼には及ばん〉
それから、何度かの小休止を挟みつつ歩くことしばらく、異変は突然起こった。
「……嘘でしょう? どうなってるの?」
「このタイミングで遭遇するとはな……」
シリルちゃんとヴァリスがそれぞれ何かを感じ取ったらしい。でも、周囲にはまだ何も見えないけど……。
「いいえ、『ファルーク』の目で確認したけど、恐らくここからでも見えるはずよ。……ほら、あっちよ」
シリルちゃんが指差したのは、そのままあたしたちの進行方向だ。少しずつ慎重に歩みを進め、やがてあたしの“目”がそれを確認する。
「巨人、なのか?」
エイミアの漏らした言葉のとおり、巨大な人影が歩き回っているのが見える。それこそあたしたちの優に五倍はありそうな背の高さ。腕を前に垂らした体勢で、ゆらゆらと身体に巻きつけた緑色の布のようなものを揺らしながら、『ベースキャンプ』があるはずの場所を歩いている。灰色の景色に浮かぶ緑の巨影……。
「……参ったな。補給拠点になるはずの場所が『魔神』に蹂躙されているなんてね」
さすがのエリオットくんも、驚きの表情も露わに頭を振っていた。
「あれが、キャンプと決まったわけじゃないわ。どうにも元々の建造物が少ない……というか変だもの」
シリルちゃんは少し遠い目をしている。多分、上空を旋回中の『ファルーク』ちゃんの視界から、あの場所を見下ろしているんだろう。
「アリシア。あの『魔神』の能力などはわかるか?」
「うん」
ヴァリスに問われ、あたしは自分に見えているものについて語る。
「えっと、名前は『魔神ヴァンガリウス』。“邪を統べるもの”の【種族特性】を持つ『魔神』だね。【ヴィシャスブランド】は“製命侵食”──触れたモノを侵食して命に作り替える力?」
自分で口にした言葉が、自分で理解できない。命に作り替える? なんなのそれ?
「……ありがとう、アリシア。よく、わかったわ。それが『アレ』なのね……」
シリルちゃんの『視界』には何が映っているのだろう?
この距離からでは依然として、緑の布を身体から垂らす巨大な人型が意味もなく歩き回っているようにしか見えない。
「いずれにしても、このままやり過ごすしかないだろう。あえてアレと、ここでやりあう理由もあるまい」
ヴァリスの言葉に頷くあたしたち。けれど、シリルちゃんだけは、なんとなく不安そうな顔をしている。
「やりすごせるのかしらね……アレは」
そんなシリルちゃんのつぶやきの意味が分かったのは、緑の巨人がいなくなり、あたしたちがその場所に辿り着いてからのことだった。
シャルちゃんの『聖天光鎖の額冠』が発生させた光の輪の中で、あたしたちは隊列を組んだまま、ゆっくりと近づいていく。
「お、おい、なんだ、あれ?」
ルシアくんが指差した先には、『緑色の人間』がいた。先ほどの巨人を小型化したようなシルエット。目も鼻も口もなく、のっぺりとした全身にはぬらぬらと光る粘液のようなものが見える。そんな不気味な無数の人影が、うろうろと廃墟と化した『ベースキャンプ』の中を歩き回っている……。
「『ガリウス胞子体』? 命に作り替えるってまさか……」
読み取れた情報に絶句するあたし。それから、シリルちゃんが補足するように言葉を続ける。
「ええ、さっきの巨人が垂らしていた緑の布が糸くずみたいに千切れて……その辺の岩や建物を取り込んで、それを核に人間の形になったように見えたわ」
生き物でないものを、強引に生き物に作り替えた? そんなことって……。
〈ふむ。まさに『神』をも恐れぬ所業だな。まあ、今ではそんなもの、珍しくもないが〉
ファラちゃんのつまらなそうな言葉。けれどその直後、あたしの中で何かが警告を発する。
「シャルちゃん! 楯を造って!」
叫ぶと同時、シャルちゃんとシリルちゃんが展開した障壁に、跳躍してきた緑の人間が激突する。そしてそのまま、べチャッという音とともに、ずるずると障壁の上を滑り落ちていく。
「気配は隠蔽していたはずだろ!?」
「あれは『命』を感じ取る力が強いみたい! だから隠蔽が効かないんだよ!」
あたしがルシアくんの叫びに答える頃には、あたしたちの周囲を緑の人間『ガリウス胞子体』が取り囲んでいた。
「他に特徴は?」
そうだった。それを早く伝えなくちゃ。ヴァリスの言葉に、あたしは目に見える情報をどうにか頭の中で整理する。
「生き物への異常な敵意……ううん、嫉妬心? と、とにかく、あの粘液は触っちゃ駄目。生き物を腐らせる力があるから! そ、それと、弱点は炎だよ!」
こうしている間にも、『ガリウス胞子体』は次々と飛び掛かってきている。全面展開すると障壁が脆くなってしまうため、ルシアくんやエリオットくんが背後から迫る敵に対応する形をとる。
「うぐ! く、くそ……気持ち悪い感覚だな」
ルシアくんが相手を斬った際に粘液に触れてしまったらしい。嫌悪の声をあげている。装備の効果で腐った皮膚もすぐに回復し始めているみたいだけれど、接近戦で戦うにはかなり厄介な相手だった。
「アリシア、『アストラル』でお前に買った『イヤリング』があっただろう!」
「あ、うん!」
ヴァリスに言われて、あたしは自分の持つ【魔法具】『赤眼魔のイヤリング』の力を思い出す。着用者が念じた方向に向かって放射状の炎をまき散らす。威力はあまり高くないけれど、少ない【魔力】で連射が可能な優れものだ。あたしは、イヤリングに【魔力】を集中しはじめた。
-烈火繚乱-
“竜気功”による防御の鱗をまるで無視し、侵食してくる緑色の粘液。
回復こそ可能だが、人体にとって『腐食』というのは単なる負傷以上に影響が大きい。その部分から発生した有害な毒素が全身を回り、体力を奪うのだ。それもいずれは治癒されるが、こうも続けて喰らっては回復が追いつかない。
増幅した生命力を源とする【気功】の力を侵食してくるとは、厄介な代物だ。『命に対する嫉妬心』……か。モンスターとは人間の【オリジン】を憎むものだということだが、『魔神』についてはその限りではないのだろうか?
〈炎よ!〉
アリシアが放った炎が接近してきた『ガリウス胞子体』の一団を焼き払う。倒すには至らなかったようだが、それなりにダメージにはなったらしく、連中は声一つ上げずに後退していく。──生き物とはいっても、痛みを感じるようにはできていないらしい。
「不気味な連中だな!」
エリオットが数体の敵を『轟音衝撃波』で吹き飛ばす。しかし、その後ろから、すぐに次が出現する。敵の数はいつの間にか数十体を超えている。まともに戦っていたのでは、らちが明かない。
「みんな、下がれ!」
〈還したまえ、千の光〉
エイミアの声とともに、空から落ちる光の雨が数十体の『ガリウス胞子体』を飲み込んでいく。そして、光が消えた後には、無数の緑の残骸だけが残っていた。一本ごとの威力が落ちているとは言っても、千本の光の矢にはそれなりの破壊力はあるようだ。
「よし!!」
「やれやれ、どうにかなったな」
我も安堵の息をつき、ようやく身体を回復させる。ルシアも『放魔の生骸装甲』では回復しきれなかった負傷をシャルに治してもらっているようだった。
「さすがはエイミアさんです。助かりました」
「ああ、それにしても『魔神』というのは本当に性質が悪いな。いなくなった後でさえ、この有様か」
エリオットの労いの言葉に苦笑しながら答えるエイミア。だが、この『魔神』の性質が悪さが本領を発揮したのはここからだった。
「む! 気をつけろ!」
──気が付けば、周囲の岩などが少しずつ変化し、『緑の人間』へと姿を変えている。これが『命に作り替える』いうことなのだろうか?
「駄目よ! この土地そのものが侵食されてる! 周囲一帯を焼き払わないと全滅は難しい!」
シリルがそう叫ぶが、周囲一帯を焼き払うほどの炎の魔法となると、簡単な話ではない。シリルとシャルの属性増幅も、再び始まった激しい攻撃の中では、防御に手いっぱいでタイミングを合わせている余裕もないのだ。
我も『竜の爪』を使い、相手に触れないように戦ってはいるものの、それでも粘液を完全に防ぐことは難しい。『波紋の闘衣』の効果がなければ、もっと酷かっただろう。
「『ファルーク』! わたしたちを護って!」
それまで周囲を旋回しながら敵を切り刻んでいた『ファルーク』が、シリルたちの背後へと舞い降りる。
「シャル。今のうちに!」
「う、うん! 今、準備する!」
舞い降りた『ファルーク』から風の刃が放たれる。しかし、腕をちぎり飛ばされ、首を無くしながらも、何体かの『ガリウス胞子体』が『ファルーク』の身体にしがみついていく。
〈キュアアア!〉
「くっ! ごめんね! 少し辛抱して!」
『ファルーク』の叫びに、シリルが悲痛な声をあげる。『幻獣』の本体は封印具の中だ。具現化した肉体がやられても、時間さえおけば復活は可能だが、それでもシリルにとっては、『ファルーク』を楯代わりに使うのは抵抗が大きいところだろう。
「ったく、うちの大事なペットに何しやがる!」
ルシアは目の前の『ガリウス胞子体』を蹴り飛ばして間合いを取ると、その隙に『ファルーク』の方へ駆け寄りつつ、しがみついている連中を斬り裂いた。あれでは足にダメージを負うだろうに無茶をするものだ。
〈魔を降し、邪を滅するは、輝く双剣〉
《聖光の双刃》!
エイミアも弓矢での殲滅は難しいと悟ったのか、両手に光の刃を出現させると、手近な敵を薙ぎ払い始めた。すると、徐々にではあるが周囲の敵の密度が落ちていく。
エイミアとエリオット、二人の戦いぶりには相当の安定感がある。我もルシアも実力的には引けを取らないとは思うが、それでも踏んできた場数が違うのだろう。我らが回避しきれていない敵の粘液を、二人はほとんど浴びもしないのだ。
「できた! これなら……!」
ようやく待ち望んだシャルの声だ。
「みんな! 下がって!」
その言葉に、皆がシリルたちのいる場所へと急いで駆け戻る。シャルは虹色にきらめく『差し招く未来の霊剣』を地に突き刺すと、吹き上がる力に黒いドレスをはためかせ、その全身を一気に真紅へと染め上げた。
シャルの全身を真紅の光が覆いつくしている。よく見れば、彼女の首元に下げられた『樹精石の首飾り』の四連石がすべて紅い輝きを放っていた。
あれは恐らく、四つの樹精石すべてに火属性を宿らせ、その増幅効果で強力な炎の【精霊魔法】を発動させようとしているのだろう。つまり、そのための『準備』か。
〈消えることなき始原の炎よ。迷える子らを母の腕へ還し給え〉
《烈火繚乱》
──瞬間、世界が燃えた。
何もかもを真紅に染める炎の乱舞。超高温の熱波の中で、ひとたまりもなく焼き尽くされていく無数の『ガリウス胞子体』。大地に散らばる緑の糸くずも蒸発し、塵ひとつ残さず消え失せていく。
「嘘!……ここまでの威力が出るものなの? って、このままじゃまずいわね!」
〈真白き世界より来たれ、我が友『ローラジルバ』〉
シリルが氷の『精霊』を召喚し、溶けかかった周囲の大地から発せられる輻射熱を冷やしていく。──気づけば、我らの周囲には、敵の全滅が確信できるだけの惨状が広がっていた。
「あ、う……」
シャルががっくりと膝をつく。その額には真紅の髪が汗で貼りつき、肌全体に紅く輝く紋様が鮮やかに浮かび上がっていた。
「まるで暴走ね……。シャル、大丈夫?」
「う、うん。加減が分からなくて失敗しちゃった……」
シリルに支えられながら、力無く返事をするシャル。
「シャ、シャルちゃんってやっぱりすごいんだね……」
アリシアが唖然とした様子でつぶやく。
「『世界の愛娘』……か。いつだったか『妖精族』のレイフォンがそんなふうに言っていたけど、まったくあなたって子は……奇跡のような存在ね」
まったくだ。『精霊』をその身に宿すということはまさに、世界そのものをその身に宿すということなのだろう。だが、彼女はシリルに支えられたまま首を振る。
「シャルはシャルだよ。みんなの仲間で、みんなの……お友達」
「ふふ。ええ、そうね」
シリルはシャルの言葉に穏やかに返事をすると、その真紅の髪を優しく撫でる。
「大丈夫か、シャル? よく頑張ったな、大したものだ」
エイミアがシャルに体力回復用の【生命魔法】をかけながら笑いかける。
「ありがとうございます、エイミアさん」
礼を言いながら、シャルはどうにか立ち上がった。
「『ファルーク』も無理させちゃってごめんね? お友達に楯になってもらうなんて……」
〈キュア?〉
シリルの肩にとまったまま、シャルに撫でられて首を傾げる『ファルーク』。先ほどまでは胸の鱗が剥げた状態だったが、サイズが元に戻った際にそれも治ったようだ。
と、そのとき──
「……え? うそ? あ、ちょ、ちょっと待って!」
なんだ? シャルがいきなり妙な声を出したかと思うと、あたりをきょろきょろと見回し、辛うじて溶け残った岩場へと歩いていく。
「どうした、シャル? トイレか?」
「ばか!」
ルシアを殴ったのは、もちろんシリルだ。……さすがに今のは我にもわかる。殴られても当然の酷い台詞だった。だが、当のシャルは返事もせずに物陰へと隠れてしまう。
トイレかどうかは別として、ああもあからさまに隠れられては、追いかけるのもはばかられる。だが、小声で話すシャルの声は、我の耳にだけは聞こえてきた。……『風糸の指輪』で話をしている? 周囲の仲間は誰もそんな様子を見せていないが……。
「い、今はまずいよう……。うん、もちろんあなたもお友達だから! えっと、まさか今、こんなところに来てるの? うん。そのうち余裕もできるかもだし、そしたら連絡するから今は待ってて!」
彼女の会話の内容は気になるが、それより今はもっと重要なことがある。
「ここは『1号ベースキャンプ』じゃなかったのか? これだけ跡形もないと何とも判断しかねるけど、このまま補給も拠点もなしにこの先に進むのは少し大変だな」
エリオットの言うとおり、問題はそれだった。できれば補給基地の一つぐらいは欲しいものだ。
──と、その時。
「……これはまさか、あんたたちがやったのか?」
「うわあ、これすごい。『胞子体』の焼却作業に来てみれば……なにこれ? 禁術級でも使ったの?」
人間の声。敵意は感じなかったため警戒もしないでいたが、振り向けば二人組の男女の姿がある。一人は、茶色の頭髪に騎士のような鎧を身に着けた男。もう一人は、典型的な魔女の帽子をかぶり、癖のある赤毛を首の後ろで二つにくくった魔導師の女。年齢でいえば、二人とも二十代と言ったところか。
「良かった。聞きたいんだけど、このへんに『1号ベースキャンプ』ってないかい?」
自分を中心としたパーティという『設定』を思い出したのか、エリオットが二人に声をかけた。
「こっちの質問、まるで無視? はあ、『ルーキー』ってこれだからねー」
「いや、レイフィア。見ない顔だが『ルーキー』のわけがないだろ? もしルーキーだったら初めて『1号』までやって来て、運悪く『ヴァンガリウス』に遭遇した挙句、対処法も知らないだろう奴の『胞子体』をまとめて焼き尽くしたことになるぞ?」
男が肩をすくめて言った。
「……ええっと、たぶん、そのとおりなんだと思うけど」
エリオットの言葉に、男の方があんぐりと口を開ける。一方、女の顔は面白そうな笑みに変わっていた。
「……そ、そりゃ、大したもんだな。そんなルーキーは初めて見た。……やっぱりあんたたち、Sランクなのか?」
そんな問いかけを続けながら近づいてくる男は、よく見れば均整のとれた体つきに隙のない身のこなしをしており、かなりの実力者であることがみてとれた。
「ああ、まあね。僕の名前はエリオット・ローグ。あなたたちは?」
「エリオット? どこかで聞いた名だな? ……まあいい。俺はヴィングス・グライド。しがないAランク冒険者だよ。で、こっちの彼女はレイフィア・スカーレット。歓迎するぜ、ルーキーさん」
「あと、ついでにお礼を言わせてよ。面倒くさい仕事を代わりにやってもらったみたいだしねー」
比較的礼儀正しいヴィングスに対し、レイフィアと呼ばれた魔女の方は、にやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「ああ、よろしく。それで、できれば詳しい事情を教えてもらいたいんだけど……」
「ああ、そうだな。じゃあ、『1号』に案内するよ。ついてきてくれ」
不幸中の幸いと言うべきか、どうやら補給基地は壊滅したわけではなさそうだった。